戦艦「大和」:引き揚げ検討 準備委が初会合−−呉 /広島 東シナ海に眠る戦艦「大和」の主砲や艦首部の一部を引き揚げる計画が呉市の経済界などで持ち上がり22日、準備委員会の初会合を開いた。 準備委は、奥原征一郎会頭、大和ミュージアムの戸高一成館長ら5人で構成し、奥原氏がこの日、委員長に選ばれた。計画では、大和の46センチ主砲と艦首部分の一部を引き揚げる。実際の引き揚げ作業までには5年はかか…
大和ミュージアムにて撮影した大和の艦橋。 少し上気味ですが・・・
有賀幸作(あるがこうさく)・・・大日本帝国海軍の軍人。 最終階級は大佐(死後中将)、長野県出身。 海軍兵学校卒(45期)卒。 1944年(昭和19年)11月6日、大和艦長に着任する。 戦艦大和7代目艦長にして大和の最後の艦長である。 水雷戦隊の指揮官として経験を重ね、机上の理論より実戦での経験を大切にする当時としては数少ない軍人の一人であった。 豪放大胆な性格で、戦上手な指揮官として部下からの信頼も厚い人物であっ…
大和型戦艦の副砲は条約型巡洋艦、駆逐艦などの突撃に対処するためのものだが、対空射撃には有効とは言い難く、副砲を全廃して両用砲に転換したノースカロライナ級やキングジョージV世級の方が設計に先進性があったという意見が幅広く見られる。 しかし、戦闘詳報によると遠距離での雷撃機等の迎撃に有効であるとの記述があり、一般に流布している説とは逆に、当の海軍は本砲の対空能力を非常に高く評価している。 大和型の…
森下 信衛(もりした のぶえ)・・・・大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。 海軍兵学校(45期)卒業。 戦艦榛名、大和などの艦長を務め、菊水作戦では第2艦隊参謀長を務めた。 この菊水作戦時の「大和」艦長、有賀幸作とは海兵同期である。 日本海軍屈指の操艦の名手。 大和の艦長であったレイテ沖海戦では、巧みな回避運動で、僚艦の武蔵が爆弾10発以上。魚雷20本以上の命中という猛攻を受けて沈没した…
大和ミュージアムにて撮影。 前方部の副砲。(クリックで拡大)
大和型はこの当時の日本の軍艦としては居住性が高く、太平洋戦争中は、海軍の象徴たるもので壊したくないので、主要な戦闘に参加せず泊地に留まったままの様子を「大和ホテル」や「武蔵御殿」と呼ばれていた。 居住区は広く、兵員の寝起きに大抵の軍艦が釣床(ハンモック)を使用していたところを大和では寝台を使用している。 また艦内の居住区設備は、弾薬庫用冷却機を利用した冷暖房完備、冷蔵庫(東京芝浦電気製)を利用…
大和ミュージアムで撮った前方の46センチ砲。(クリックで拡大)
戦艦大和の海上特攻の真相によれば、戦後になって流布された「特攻のさきがけとして死地に向かった」という特攻さきがけ説に、以下のような理由から、疑問が呈されている。 ・当時の日本の象徴的戦艦は長門や陸奥であり、戦艦大和は極秘にされていたため、国民や陸軍将兵にとってあまりなじみがなく、インパクトがない。 大本営は戦艦大和の撃沈を新聞・ラジオなどでは大々的には伝えていなく、新聞には水雷戦隊の写真が掲載…
松田千秋・・・戦艦大和3代目艦長。 旧制熊本県立鹿本中学校より海軍兵学校第44期入校。 入校時成績順位は100名中第89位、卒業時成績順位は95名中第14位。 松田は典型的な砲術畑の出身者で、駐米海軍武官補佐官、軍令部第1課員などの要職を歴任している。 標的艦「摂津」艦長として航空攻撃に対する操艦マニュアルを作成し、実戦部隊である戦艦「日向」「大和」艦長や第4航空戦隊司令官を務めた際もその経験を活かして活…
大和型戦艦の違いと言えば主に兵装が挙げられる。 その違いは下記の通り。 ◎竣工時 大和(呉工廠):武蔵(三菱長崎造船所) 主砲46cm3連装×3:主砲46cm3連装×3 副砲15.5cm3連装×4:副砲15.5cm3連装×4 高角砲12.7cm連装(盾付き)×6:高角砲12.7cm連装(盾付き)×6 高角砲12.7cm連装(盾なし)×0:高角砲12.7cm連装(盾なし)×0 機銃13mm連装×2:機銃13mm連装×2 機銃25mm3連装(盾付き)×8:機銃25mm3連…
大和型戦艦は実験艦ではなく、あくまで連合艦隊旗艦(指令艦的な役割)として耐えうる“実用艦”として建造された。 旗艦である以上、故障・不調は許されない。 石橋を叩いて造った戦艦というべきものである。 溶接適用範囲の縮小、主機械のディーゼルから蒸気タービンへの変更もそれゆえである。 艦橋形状や舵配置、機関等の重要構造部はいくつかのテストベットを経て採用されていて、昭和10年代の日本がもっていた確実な建…
大和ミュージアム、正式名称は呉市海事歴史科学館は、広島県呉市にある科学館。大和ミュージアムは愛称で、正式名称よりも愛称が広く定着している。 明治時代以降、造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年4月23日に開館した。 大和ミュージアムは開館から385日目の2006年7月1…
アメリカが建造を開始した戦艦群に対抗するため、1942年に第5次補充計画によって計画された戦艦3隻の内の一隻、第979号艦であり、第4次補充計画で建造される大和型の第110号(信濃110号)及び111号艦(111号)の改良型。 大和型戦艦の装甲が「対46センチ防御」として厚すぎると判断された結果、大和型の舷側410ミリ、甲板230ミリ(最大)に対し110号はそれぞれ400ミリ、190ミリと薄くなる一方、艦底の防御壁は大和型の二重か…
「ブログリーダー」を活用して、ヤマトラストさんをフォローしませんか?