(愛知県豊橋市賀茂町2007年1月26日)豊川左岸の氾濫原だったこの地は、それまでその氾濫原を蛇行して流れていた間川の改修が行われ、整然とした田園へと変わった。賀茂田園と間川
(東京都港区赤坂区指定天然記念物)享保十五年(1730)に氷川神社が創建される以前からこの地に存在した、樹齢四百年、幹径2.4mのイチョウである。赤坂氷川神社の銀杏
(愛知県豊橋市石巻本町嵯峨2007年1月26日)永禄九年(1566)渡辺助清創建の嵯峨城は、長慶天皇玉川御所の隠し城としている。威徳山春興院と玉川御所
(横浜市中区伊勢佐木町)昭和6年(1931)に築造された、RC造7階建の百貨店である。開業翌年には負債により閉店し、鶴屋百貨店(後の松屋)に売却され再開業したが、間もなく寿百貨店と名称を変更し、後に松屋関内店となった。昭和52年(1977)松坂屋に売却され、同百貨店の横浜店西館となった。然し、経営不振により松坂屋は平成20年(2008)に閉店し、旧西館は大丸松坂屋百貨店所有のままJRA(日本中央競馬会)に賃貸され、定員制場外勝馬投票劵発売所であるエクセル伊勢佐木として利用されている。旧越前屋百貨店
(名鉄グループ2007年1月25日)平成18年(2006)より新岐阜百貨店及び岐阜乗合自動車(岐阜バス)が入居していた新岐阜ビルの解体が始まった。昭和32年(1957)に建設された、RC及びSRC(改修部分)5階建、延床面積24,300m2の建物である。一時は増床、改築の計画もあったが頓挫し、百貨店の売上も最盛期の半分に落ち込んで赤字収支に転落して閉店に至った。そして新駅舎建設のため、北側敷地面積約2,000m2の部分が先ず解体された。部分解体と並行して新駅舎及び商業施設の建設が開始され、平成20年(2008)に全面完成を目指している。但し、将来的に岐阜ー岐南間の高架化計画があり、岐阜駅の築堤部分の高架化、仮駅の設置等、現在行っている名鉄岐阜駅に関する事業は、あくまでも暫定的としている。新岐阜百貨店解体
(横浜市中区山下町)江戸時代末期の開港時に、海岸沿いの外国人街として始まったこの地。関東大震災以降、主に華僑が残ったため、次第に中国人街が形成され、南京町と呼ばれるようになった。戦後は閑散とした街となったが、昭和28年(1953)チャイナタウン復興計画が策定され、「中華街」牌楼門が建てられた。横浜南京町
(愛知県清須市2007年1月25日)庄内川水系の合瀬川、大山川、五条川、地蔵川等の合流による庄内川の氾濫を防ぐため、天明四年(1784)から四年間に四十万両の工費をかけて延長27kmの新川を開削し、開削のための本陣がこの新川橋に置かれた。新川橋
(横浜市中区海岸通)平成14年(2002)それまでの桟橋に代わって整備された、RC造2階地下1階、延床面積44,000m2の構造物である。日本人にはないデザインをしており、文化の交わる港に適応したものといえる。横浜港大さん橋ふ頭
(旧所在地:岐阜県羽島郡岐南町徳田県指定重要民俗文化財2007年1月25日)明治24年(1891)に発生した濃尾地震直後に建てられた八畳四間の民家である。旧宮川家住宅
(横浜市中区山下町県指定重要文化財)街路脇に違和感のある構造物がある。明治16年(1883)スコットランド商人ジェームス・ペンダー・モリソンの事務所兼住宅として建てられた、横浜最古とされる洋風建築である。大正12年(1923)関東大震災により2階部分を損壊し、また復興事業の道路拡張によって玄関の向かって右側が解体され、原形を留めなくなった。大正15年(1926)から昭和53年(1978)までヘルム兄弟商会が所有し外国人向け賃貸住宅として貸し出されていたが、神奈川県が取得し、平成13年(2001)保存工事が実施された。旧横浜居留地48番館
(横浜市中区山下町市指定有形文化財)大正10年(1921)に築造された、RC造3階、延床面積1,520m2の銀行建築である。然しながら、露亜銀行は5年後に日本から撤退、その後J・H・モーガン設計事務所、昭和3年(1928)に横浜市瓦斯局、昭和10年(1935)からはドイツ領事館として使用された。第二次世界大戦後は進駐軍が使用し、昭和34年(1959)からは横浜入国管理事務所となった。その後、昭和53年(1978)から警友病院の別館として使用されたが、平成8年(1996)みなとみらい21地区に移転した。平成22年に耐震工事がされ、県有資産のテナントという形で結婚式場となり、現在に至っている。旧露亜銀行横浜支店
(岐阜県羽島郡岐南町三宅町指定史跡2007年1月22日)幕末の大阪文楽(人形浄瑠璃)の花形で三宅文楽の創始者であり、明治4年(1871)に没した初代豊松清十郎の墓碑である。三宅文楽初代豊松清十郎墓碑
(岐阜県羽島郡岐南町三宅2007年1月22日)臨済宗高富大龍寺末の円空仏を安置する寺である。萬年山如意寺
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(岐阜県羽島郡岐南町三宅字亀ノ宮2007年1月22日)天正十六年(1588)巨大な亀が棲む池の畔に木曽川の洪水から守る水神として誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀ったのが始まりという。別名を亀ノ宮、今井田神社という。三宅八幡神社
(東京都渋谷区広尾)渋谷川はこの地で笄(こうがい)川と合流し、古川と名を変える。天現寺橋古川
(岐阜県羽島郡岐南町三宅式内社旧郷社2007年1月25日)平安時代初期創建と伝わる石作(いしづくり)神社は、延喜式神名帳に名が見える。かつて付近は尾張国であり、この地に勢力を持っていた石作連(やざこむらじ)が祖先とする建真利根命(たけまりねのみこと)を祀った神社という。建真利根命は垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の石棺を造った人物とされる。石作神社
(はねざわ東京都渋谷区広尾)谷あい地形のこの地は、かつて池や湿地のある場所であったという。その後斜面に邸宅が築かれるようになり、低地にも家が密集するようになった。羽沢
(岐阜県羽島郡岐南町三宅2007年1月22・25日)三宅地区の西側には正治元年(1199)創建の三宅山浄福寺があり、天台宗から後浄土真宗に改宗した。近くには「親鸞聖人御旧跡」があり、門弟が道場を設け親鸞を招いた地といわれている。戦国時代、兵火に遭うまで存在した道場跡には、親鸞生誕八百年の昭和42年(1967)に銅像が建てられ、いわゆる河野門徒の歴史を伝えている。三宅山浄福寺
(東京都渋谷区)少しずつ確実に変化する渋谷の一角。渋谷東口2019
(岐阜県羽島郡岐南町下印食旧郷社2007年1月22日)古来、北を流れる境川が木曽川の流れであった頃、この辺りは尾張国葉栗郡であったという。天正時代の木曽川氾濫によって流路が変わり、美濃国に編入され羽栗郡となり、中島郡と併合し羽島郡となったといわれている。その下印食(しもいんじき)村の鎮守は八剣神社である。参道は東海道線によって分断されている。祭神は熱田神宮より分祀された日本武尊(やまとたけるのみこと)であるが、日本武尊が伊吹山に向かう際、休息した場所に神社が創建されたと伝わる。境内には「池田輝政鎧かけ松」の史跡があり、輝政勢はこの地で休息した後、岐阜城攻めをしたという。当時からの松は残っていない。印食八剣神社
(東京都千代田区神田神保町)江戸時代、この地に猿楽(能楽)の観世座一座が住していたことを由来とする。昭和9年(1934)神保町に統合され消滅した。中猿楽町
(愛知県豊川市国府町2007年1月20日)かつては国府楽園と呼ばれた弘法山公園の麓を流れる豊川西部最大の川、音羽川。音羽川楽園下
(愛知県新城市乗本字長筋2007年1月11日)二十五年振りに訪れる。神社の創始は不詳であるが、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)を祀るため、江戸時代以前は諏訪大明神と称した。明治維新以後は、乗本村の村名由来になるほど盛んであった宇連川の水運になぞらえ、舟多神社と改称したという。舟多神社
(東京都港区六本木)元和年間(1615-24)二条城の城番を務めた旗本岡部丹波守長賢の屋敷が坂下にあり、故に丹波谷と呼ばれた。明治維新以後に坂が開削され、丹波谷坂と呼ばれるようになった。丹波谷坂
(もとやわた千葉県市川市八幡)JR総武線、京成本線、都営新宿線の駅のある本八幡は、市川市の中心地であり、江戸時代には佐倉(成田)街道の宿場として栄えた。地名の由来は葛飾八幡宮に由来し、現在は江戸川で区切られている都県境が、かつて隅田川以東は下総国葛飾郡であった同一感を僅かながら感じ取ることができる。本八幡
(静岡県駿東郡清水町徳倉2007年1月10日)宝永元年(1751)の狩野川洪水による溺死者を供養する、自然石のこの溺死供養塔は、安政四年(1754)に建てられたものである。溺死供養塔
(東京都江戸川区篠崎)江戸川区東端、江戸川右岸に位置する篠崎は、中世には葛西氏が統治し、篠崎街道(岩槻道)によって周辺との交流がなされた。篠崎
(静岡県駿東郡清水町徳倉2007年1月10日)三方を狩野川に挟まれた標高76mの本城山は、戸倉城の跡であり、その頂きには昭和58年(1983)公園開園時に設置されたRC造の展望台があって沼津市街や富士を望むことができる。本城山展望台
(東京都目黒区上目黒)昭和28年(1953)に誕生した、中目黒から祐天寺方向に延びる長さ1km弱の商店街。目黒銀座
(静岡県駿東郡清水町堂庭2007年1月10日)旧堂庭村の鎮守である熊野神社は、伊弉那岐尊(いざなぎのみこと)と伊弉那美尊(いざなみのみこと)を祀る。創始は不明であるが、昭和41年(1966)に隣接する清水小学校の拡張により遷座し、その際に葺かれた社殿のカラー瓦が印象的である。堂庭熊野神社
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