雲照律師受法研鑽四度加行を済ませた翌年弘化元年(1844)に慈雲上人は高野山から戻られると、律師は師の許しを得て念願だった高野山に登り大師霊廟に参拝した。高野山は当時天保14年大塔、金堂、山王院、中門など壇上伽藍の諸堂悉く焼き尽くす大火の後で一山未だ騒然としていたが、律師は金剛峯寺検校法印實賢大阿闍梨を拝して伝法灌頂を受けられた。そもそも灌頂とは、密教の法を伝えるために受者の頭頂に聖水を灌ぐことで、もとは国王が即位する際に四大海の水を汲み集めてその水を頭頂に注いだ儀式に起源がある。阿闍梨に相応しい秘密の印契と真言を授かり、伝法阿闍梨位を得るための儀礼である。今日では、寺院住職資格の必須条件となっている。律師はそのまま高野山にて真言宗の教義研究を続けたいとの強い思いがあったが、師僧から度々急ぎ帰還せよとの便...雲照律師受法研鑽