searchカテゴリー選択
chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

カテゴリーのご意見・ご要望はこちら
cancel
プロフィール
PROFILE

zen9youさんのプロフィール

住所
福山市
出身
中野区

自由文未設定

ブログタイトル
住職のひとりごと
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/zen9you
ブログ紹介文
広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する住職のひとりごと 幅広く時折々の思いを語る
更新頻度(1年)

23回 / 365日(平均0.4回/週)

ブログ村参加:2006/08/24

本日のランキング(IN)
フォロー

ブログリーダー」を活用して、zen9youさんをフォローしませんか?

ハンドル名
zen9youさん
ブログタイトル
住職のひとりごと
更新頻度
23回 / 365日(平均0.4回/週)
フォロー
住職のひとりごと

zen9youさんの新着記事

1件〜30件

  • 備後國分寺だより 第59号

    備後國分寺だより第59号(↓よろしければ、一日一回クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)にほんブログ村にほんブログ村備後國分寺だより第59号

  • 煩悩について 3 

    煩悩について3一昨日の懇話会にて、煩悩についてお話しました。煩悩とはそもそもどのようなもので、どんな心が該当するのか。そしてそれを取り除くためにどのようにしたらよいのかということについても初期経典の内容に沿ってお話しました。しかし、大まかな流れにとどまり消化不良甚だしいものだったようで、あとから、難解なお話でしたが、最後の四行に救われました、と言いに来られた方があり、もう一度わかりやすく解説することが必要のようです。そこで、もう一度、①から⑦まで順に考えてみたいと思います。①これは、見ることとありますが、これは智慧の眼のみで見ることとテキストにもあり、煩悩が生じない思惟すべき法を見る、という意味となります。そして、欲の煩悩、生存の煩悩、無明の煩悩と三種の煩悩について生じないよう増大させないように思惟すべきである...煩悩について3

  • 松長有慶先生著 『訳注 吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

    (六大新報令和3年7月15日号掲載)松長有慶先生著『訳注吽字義釈』(春秋社刊)を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第五巻『訳注吽字義釈(以下『吽字義』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。実は昨年からこの時期に本書が発刊されることを承っていたので予習にといくつかの解説書を手にしたのではあったが、どれも難解で理解するに至らなかったのである。しかし本書を拝受し、その概説に続き本論特に【現代表現】を中心に読み進めてみると、私のような初学者にもとても分かりやすく、一日で最後まで読み通すことができた。表紙の帯には、「文字と真理の密接な関係性を解き明かす、空海思想の代表作!」とある。早速頁をめくると、まず「『吽字義』の全体像」が説かれ、『吽字義』とは何かを簡潔明瞭に知ることが出来る。『吽字義』は、言うまでもなく...松長有慶先生著『訳注吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

  • 煩悩について 2

    煩悩について2前回煩悩について、お釈迦様の時代から部派仏教、そして大乗仏教にいたり、次第に増えるたくさんの煩悩を数え上げてその内容にも触れ見てきました。今回は、懇話会でのご質問「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのか」ということについて、順に考えてまいりましょう。まずお釈迦様の説かれる煩悩の断ち切り方について見てまいります。パーリ中部経典の第二・『一切煩悩経』に、あらゆる煩悩を防止する法門について説かれています。邪な思惟をする者には、煩悩が生じ増大するけれども、正しく思惟する者には煩悩は新たに生じず生じている煩悩は断たれるとあります。そして煩悩を防止する方法として、見ること、防護、受用、忍耐、回避、除去、修習の七種あるとしています。では、まず①見ることによってどのように煩悩を断つのか。思惟すべきもの思惟すべきでな...煩悩について2

  • いま、メディアリテラシーが問われている

    (六大新報令和2年8月15日号掲載令和2年7月記)いま私たちは自主規制の世の中を生きている。これまでには考えられないような窮屈な時代になった。どこに行くにもマスクが必要で、建物の入り口で手指を消毒し、体温を測定されたり人との距離を測られ、話をすることも控える自粛が当然という空気が漂う。テレワーク、オンライン授業、オンライン飲み会、オンライン帰省というのもあったが、なにを馬鹿なことをと思えることがまことしやかに行われる。しかし、いかにもそれが良いことのようにも思えてくる不思議な世界に生きている。これがいつまで続くのか、もう元の生活には戻れないなどという人までいるようだが、誰がこんな不愉快な世の中にしたのか。「本日の新型コロナウイルスの感染者は…」という、毎日降り注ぐテレビをはじめとするマスコミ報道に洗脳された私た...いま、メディアリテラシーが問われている

  • 救われるということ

    2012年01月29日投稿の原稿に小見出しを付けて再掲載します。救われるということ先月の仏教懇話会で、DVD『親鸞・白い道』(三國連太郎監督作品)を皆さんとともに拝見しました。今日では大きな宗派の開祖として祀りあげられている祖師ではありますが、そのどん底の生活ながら己の信じる教えを説き続けた生涯の、一時代を切り取った作品でした。時代背景人間関係も繋がらないいままに見終わり消化不良ではありましたが、苦労された祖師があり今があることを忘れてはいけないのだと思えました。鑑賞会の後に、「仏様を信じれば本当に救われるのでしょうか」と問われる方がありました。時間もかなり超過していたこともあり、きちんとお答えする間もなく終えてしまいましたが、この一ヶ月、ずっとそのことを考え続けていました。仏様を信じるとはどんなことだろうか、...救われるということ

  • すみませんを口癖にしない

    すみませんを口癖にしない『地球の最期のときにInDeep』という情報分析サイトがある。2015年ころからサイトを立ち上げられ、科学的な新説を紹介したり、社会の変化についての秀逸な分析記事を投稿されている。昨年の夏頃から、現在も世界中に展開するコロナ騒動についての深い見解、最新の情報分析と未来予測を常々参考にさせていただいてきた。とりわけ、昨年の米国大統領選の少し前に、バチカンの大司教で、ローマ教皇フランシスコと敵対していることで知られるカルロ・マリア・ビガノ神父がトランプ大統領に公開書簡を送ったという情報とその内容は、私にとり特に貴重なものであった。ここに紹介するのは、そのInDeepで2016年9月26日に投稿され、2020年8月20日に更新された記事《「すみません」という日本語を口から発することをやめること...すみませんを口癖にしない

  • 煩悩について

    煩悩について一昨日の懇話会で、仏教伝道協会発行の『さとりの知恵を読む』の「仏のたとえ話6粗金のたとえ」を読んでいたら、首楞厳経の一説に「心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去るとどんな人でも、みなすべて同一の仏性を開き現すことができる」とあります。その解説には、迷い悩み苦しむ私たちではありますが、それは煩悩が邪魔をしているからで、その一つ一つの煩悩に気づき、これを取り去っていけば、仏になる性質・仏性を現し、それを発揮させて生きていけるのですと書いてありました。すると早速に、「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのですか」との質問がありました。貪瞋痴の煩悩と言われるわけですが、もちろん貪瞋痴はあくまでたくさんの煩悩を集約するものとしてあるわけです。一口に煩悩といっても様々ですから、まずは煩悩とはいかなるものかと考えてみ...煩悩について

  • 理趣経要旨

    理趣経要旨初段大楽(大きな欲)の法門金剛薩埵が教えの全体像を説く◯如是我聞あるとき大毘盧遮那如来(大日如来)が欲界最上部の他化自在天にて八十倶胝の菩薩衆金剛手観自在虚空蔵金剛拳文殊師利纔発心転法輪虚空庫摧一切魔の八菩薩に◯(理趣経の眼目)一切法の清浄の句の法門を説く(現象世界に存在するすべてのものが本質として清浄である)◯十七清浄句①妙適は、男女の快楽を指すが、「妙適清淨」となると、自と他の分け隔て無い自他不二平等ということ②欲箭は、その快楽を得んとする欲望の起こることを指すが、「欲箭清淨」となると、永劫不滅の清浄の境地を得んとする欲を起こすこと③触は、この欲により抱擁することであるが、「触清浄」とは、欲箭を本として正しく大楽の実相に触れること④愛縛は、触によって離れがたい心を生ずることであるが、「愛縛清浄」と...理趣経要旨

  • 花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで

    花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで1995年7月発行の中公文庫・花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を再読した。阪神淡路大震災の年に発行されているので、おそらくボランティアで、何度も神戸と東京を往復し、その後インド・コルカタの僧院で雨安居を過ごしてから帰国した頃購入した本であったろうと思われる。どういう思いでそのころ読んだのかは思い出せないが、この度再読したのは、昨年夏頃から毎週楽しみに視聴しているYOUTUBEの音楽報道番組『HEAVENESESTYLEヘブニーズスタイル2021.2.21号』にて東條由布子さんを紹介されていたことにある。その番組を拝聴しながら、先の戦争開戦時の東条英機総理が戦争犯罪人という汚名を一身に背負わされたのは、報道機関並びに日本人一人一人の責任転嫁に外ならな...花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで

  • 備後國分寺だより 第58号(令和3年4月4日発行)

    令和3年4月号(B5・16ページ・年三回発行)〇聖武天皇なぜ國分寺を建立されたか聖武天皇は藤原氏によって誕生した天平十三年(七四一)に「國分僧寺尼寺建立の詔(みことのり)」を発せられる聖武天皇は、後に天皇の外戚として日本政治の中枢で大きな権力を恣(ほしいまま)にする藤原氏に育てられた最初の天皇陛下でした。藤原氏が歴史の舞台に登場するのは「大化の改新」と私たちが習った事件からであり、今では「乙巳の変(いつしのへん)」といわれています。外国の使節団の前で皇極天皇(こうぎよくてんのう)も臨席する中で当時の総理大臣の地位にあった蘇(そ)我入鹿(がのいるか)を、後の天智天皇となる中大兄(なかのおおえ)皇子(のおうじ)と藤原氏となる中臣鎌足(なかとみのかまたり)の二人が惨殺し、政権を転覆させるクーデターであったと考えられて...備後國分寺だより第58号(令和3年4月4日発行)

  • 備後國分寺だより 第57号(令和3年1月1日発行)

    令和3年正月号(B5・16ページ・年三回発行)〇【六大新報令和二年七月二五日号掲載】松長有慶先生著『訳注(やくちゆう)声字実相義(しようじじつそうぎ)』を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第4巻『訳注声字実相義』(春秋社刊)を拝読させていただいた。『声字実相義』(以下『声字義(しようじぎ)』と略す)は、『密教辞典』(法蔵館刊佐和隆研編)に、真言教学の重要聖典、即身義、吽字義(うんじぎ)とともに三部書の一つとある。従って、専修学院時代に多少の知識は得ているはずなのだが、はたしてどのような内容であったか記憶に乏しい。もとより一から学ばせていただく気持ちで本書を開いた。そこには、凡例(はんれい)に続いて参考文献として、真言宗全書、智山(ちざん)全書、豊山(ぶざん)全書などより、鎌倉時代から江戸時代までの学僧による...備後國分寺だより第57号(令和3年1月1日発行)

  • いま、あらためて仏教徒にもとめられること

    いま、あらためて仏教徒にもとめられること混迷を深めるこの時代に、私たち仏教徒はいかにあるべきなのか。私たちにとっての仏陀であるお釈迦様の事跡に則り考えてみたい。①世間の通説にとらわれず自ら考えるお釈迦様は、紀元前六世紀インド北部の小国釈迦国の王子として生を享け、出産時に母を亡くし継母に養育された。そんなこともあってか、幼少の頃からよく物思いにふける方であったと伝えられている。気がつくと木の下に佇み目を閉じて黙想ないし坐って瞑想されていた。中インドの大国コーサラ国の属国として釈迦族の置かれた現実を思い、自分の立場をわきまえつつ、生きるとは何か、なぜ苦しみ多き人生を人は生きねばならないか、どうあるべきかと、沈思瞑想に耽られたのではないか。出家された時のいきさつを語る伝説に四門出遊という物語がある。ある日西の門から城...いま、あらためて仏教徒にもとめられること

  • 祈りについて

    祈りについて四月の護摩供後の法話私たちは、だれもが自然に、幸福を願うし、不安や恐れから逃れたいと思い、願い祈る。しかし仏教ではいつのころからか、学問仏教としては、祈り、つまりご祈祷や祭祀儀礼は仏教にあらずというような観念が浸透している。現世利益を求めるなどというのは仏教ではないという。確かに初期経典の中にもそのようなくだりはあるけれども、はたしてそうなのであろうか。たしかに、パーリ長部経典には、「信者から施された食べ物で生活しながら、・・・火の献供、・・・王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術・・・そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている。これもまた、比丘の戒です。」(第4ソーナダンダ経他)とある。しかしこれは、悟りに日々精進する比丘方の戒としての記述であり、そのような人々にとって無益であると言われたに過...祈りについて

  • 懺悔とは

    懺悔とは3月の護摩供後の法話今年の初護摩では、礼拝について述べました。礼拝に込める万感の思いというような少々重たい話になりましたが、今日はその続きとなる懺悔について話してみたいと思います。懺悔と、さんげと濁らずにいうと仏教の懺悔となりますが、ざんげと発音しますとキリスト教でいう懺悔となります。神の前に自らの罪を告白するというような意味となるわけですが、それと仏教の懺悔がどう違うのかというようなことであります。山岳修行にいきますと、山に登っていく道すがら、「懺悔懺悔六根清浄」とかけ声をかけ、同行の人らで繰り返し唱えながら歩きます。山岳修行といえば、吉野の大峰山、羽黒山など出羽三山、それに九州福岡の英彦山などが有名な修験道の霊場となりますが、皆同じように山伏の格好をして白装束に地下足袋を履いて山を登っていくわけです...懺悔とは

  • 仏教徒いかにあるべきか

    仏教徒いかにあるべきか昨日の法事後の法話に坐禅会での話を加筆今日はお父さんお母さんの三回忌七回忌を併せて行いました。三回忌は阿弥陀如来、七回忌は阿閦如来が本尊となります。この掛け軸には中央の大日如来の左下に阿弥陀さん、左上に阿閦さんが居られます。回忌毎に本尊様が移っていきますので、こうして掛け軸を掛けていただき法事を営むことになっています。さて、こうして十三仏の掛け軸を掛けて経を読み法事を営むのは皆さんが仏教徒であるからです。仏壇を構えるお宅は仏教徒のご家族と、例えば外国の方が見ればそう思われます。ですが、皆さんは自分が仏教徒であるという認識はない。でも、海外に行って入国カードなどにある宗教覧になんと書くのかといえば、やはりブッディストと書くのではないかと思うのです。そこで今日は仏教徒とは何か。いかにあるべきか...仏教徒いかにあるべきか

  • 後生がいい人、Kさんの思い出

    後生がいい人、Kさんの思い出(昨日の護摩の後話した内容に加筆しました)Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと私たちのことを気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわしたことがあった。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなか...後生がいい人、Kさんの思い出

  • 世の中と仏教

    世の中と仏教2008年01月13日投稿分を再掲します(ある方からのご質問に対する返事として書いた文章です。この世の中の様々な問題と仏法とはどのように関係し、どのような恩恵があるのかとのご質問でした。多少の改訂をしてあります)○○様私も実は、この世の中の成り立ちと仏教がどのように関係し、どのように説明されるものなのかにとても興味があります。現実の私たちの生活の様々な悩みの中に立ち向かい、それらをこともなく救い出す力が仏教にはあるはずです。大きな歴史の流れの中で今の現実はとても複雑な要素を併せ持ち、それぞれの人がそれぞれの立場と環境の中で歴史と対峙している。歴史などという大それたものを出してこなくとも、誰もが日々の生活に仏教が生かされなくてはいけないと思っています。まさに○○様が抱かれている様々な問題点についても同...世の中と仏教

  • 礼拝に込める思い

    礼拝に込める思い今年も初大師初護摩の日を迎え、早朝からたくさんの皆様お参りをいただきありがとうございます。世界は混迷を深めておりますが、私たちの日常はそれぞれに置かれたところでしっかり生きていかねばなりません。そこで今日は仏教徒にとって最も大事でもあり、また基本となる礼拝の意味するところについて考えてみたいと思います。今護摩行の初めと最後に、「オンサラバタタギャタハンナマンナキャロミ」と唱え礼拝しました。これは正しくはサンスクリット語では、「オーン・サルワ・タターギャタ・パダ・バンダナン・カローミ」となり、すべての如来方の御足を頂戴し礼拝します、という意味となります。インドの学校などに参りますと、子供たちが先生に挨拶する時、右手で先生の足を触りその手を自分の額に持っていき、それから合掌し、ナマスカールとニコニコ...礼拝に込める思い

  • うれしい友からの電話

    うれしい友からの電話一昨日からひどい冷え込みで、本堂の花瓶や供えた閼伽水も凍り、日中にも溶けないほど温度が上がらない中、昨日の坐禅会には9人もの篤信の方々が集い、10分の歩行禅、30分の坐禅を2度坐られた。ストーブを2つ置いての坐禅ではあったが、寒いせいかお寺の周辺に人の気配もなく、静まり返った中でよい坐禅が正月からできたと思う。坐禅後の茶話会では皆さん現在の世の中の状況にやや沈鬱な雰囲気にはなったのだが、それでも私たちは生きていかなくてはならず、すべてのことの真実を見つめながら日々の営みに集中しましょうということで散会した。そのあと、夕勤して寺務所に戻ると、遠路はるばる、ある高校の教頭先生をされている高校時代の友人から珍しく電話が入った。この人は私の人生の大事なところで精神的インパクトを与えてくれる貴重な存在...うれしい友からの電話

  • 真実は何か

    年頭所感騒がしかった一年が終わり新しい年が始まった。昨年は子年でもあり、いろいろな意味で新しいスタートの年になるのではないかというようなことを申し上げた。それがこんな感染症のパンデミックと騒がれる年になるとは思わなかったのではあるが、そのとき、トヨタ自動車の世界的な繁栄の陰に毎年幹部社員が長野蓼科の聖光寺に集結して交通安全祈願と交通事故死者への追悼を続け、奈良薬師寺の長老から法話を聞くということをされてきたという話をした。橋本凝胤老師開基のこの寺は1970年創建だから、昨年で50年になる。一般には公開せずにされてきたと言うが、そうした陰徳を積むということによってトヨタは今の繁栄がある。そして今、世界的に自動運転技術が競われる中で、ギル・プラットという有名なAI技術者はその聖光寺の話を聞いてトヨタに協力を申し出ら...真実は何か

  • 聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか

    聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか①聖武天皇は藤原氏によって誕生した天平十三年(741)に「國分僧寺尼寺建立の詔」を発せられる聖武天皇は、後に天皇の外戚として日本政治の中枢で大きな権力を恣にする藤原氏に育てられた最初の天皇である。藤原氏が歴史の舞台に登場するのは大化の改新と私たちが習った事件からである。今では乙巳の変といわれるようになり、外国の使節団の前で天皇も臨席する中で当時の総理大臣の地位にあった蘇我入鹿を後の天智天皇となる中大兄皇子と藤原氏となる中臣鎌足の二人が惨殺し、政権を転覆させるクーデターであったとされる。後に鎌足の子不比等が編纂の中心を担った日本書紀によって二人は英雄として描かれた。聖武天皇の母親は藤原不比等の娘宮子であり、生まれてからずっと不比等邸で育てられたという。そして、皇族でない、臣下の娘...聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか

  • 弥陀の浄土と薬師如来

    先日、地元の退職教職員組合の皆様がご参詣になられた。十年あまり前にもお越しになり、その時にはお寺の歴史について総代さんがお話になり、私は仏教について話させてもらったことを記憶している。今回は総代さんもお越しになっていないので、私が國分寺の歴史と堂内の仏様方について一時間余り話をさせてもらった。國分寺の話では、なぜ聖武天皇は大仏と國分寺を造ったのかというポイントに重点を置いて話し、堂内諸尊について話し始めるにあたり、丁度その日の朝日新聞朝刊に、宇治の平等院鳳凰堂の開創時の扉絵から弥陀の「九品来迎図」が見つかったとの記事があり、それをコピーして配布し、来迎の印・説法の印・禅定の印をそれぞれ見ていただいて、下品下生から上品上生までの九品浄土について話をした。そして、実は本堂の内陣には阿弥陀浄土から亡くなった信者を迎え...弥陀の浄土と薬師如来

  • 「人生は苦なり」を改めて今の時代に

    十四年も前に書いた文章を今改めて読むと、この時代を痛切に非難したものと読めてくる。()内に加筆することで心中ご理解いただけたらありがたい。人生は苦なり2006年12月01日09時39分56秒|仏教に関する様々なお話みんな誰でもが幸せになりたいと思う。不幸せになりたい人などいないであろう。山中鹿之助であっただろうか、「我に艱難辛苦を与えたまえ」とのたもうたのは。しかし、それは戦乱の世の中で、どのように生きたとしても修羅場であることを観念してのことであろう。たとえ辱めを受けたとしても今の地位、収入、立場を失いたくない。そんな価値観が根付いてしまってはいまいか。それは現代のこの国の姿勢そのものであろう。だから現代に生きる私たちは、だれもがそんな生き方を選択してしまいがちではないだろうか。しかしどんなに幸せを求め、うま...「人生は苦なり」を改めて今の時代に

  • 断捨離ということ

    断捨離ということ今台風10号が奄美地方に迫っている。これまでにないほどの大規模な暴風大雨による被害が予想されている。友人家族は大丈夫だろうか。何とか無事にやり過ごしてくれることを願うのみである。ところで、この夏はまさに記録破りの猛暑。観測史上最高に暑い8月だったとか。お盆を過ぎても、つい先日まで最高気温が35度36度という日が連日続いた。その暑さに毎日何も出来ない無為な日が続いたある日、何年も片付けられずたまりに貯まった空き箱やら書類の入った段ボールの積み重なった事務所隣のタンス部屋の片付けを思い立った。空き箱を外に出し、捨てられるものは仕訳して袋に入れ、焼けるものは外で焼却し、他に移動できるものは運び出した。掃除機を掛け、畳を拭いて、丸一日かかって念願の大掃除が出来た。その余勢を駆って、事務所の書類や本類、封...断捨離ということ

  • 松長有慶先生著 『訳注 声字実相義』(春秋社刊)を読んで

    【六大新報七月二十五日号掲載】松長有慶先生著『訳注声字実相義』(春秋社刊)を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第4巻『訳注声字実相義』(春秋社刊)を拝読させていただいた。『声字実相義』(以下『声字義』と略す)は、『密教辞典』(法蔵館刊佐和隆研編)に、真言教学の重要聖典、即身義、吽字義とともに三部書の一つとある。従って、専修学院時代に多少の知識は得ているはずなのだが、はたしてどのような内容であったか記憶に乏しい。もとより一から学ばせていただく気持ちで本書を開いた。そこには、凡例に続いて参考文献として、真言宗全書、智山全書、豊山全書などより、鎌倉時代から江戸時代までの学僧による十四の注釈書が掲げられ、さらには英語ドイツ語の文献を含む、近代の三十二の解説書、研究書まで一覧にある。それらは本文に【略記号】で文献を表...松長有慶先生著『訳注声字実相義』(春秋社刊)を読んで

  • 備後國分寺だより 第56号(令和2年8月1日発行)

    令和2年4月号(B5・16ページ・年三回発行)◯ラタナ・スッタを唱えて新型コロナウイルス感染終息のために四月五日、國分寺の恒例行事、土砂加持法会が執り行われました。世界が震撼する新型コロナウイルス感染拡大に伴い、受付時間を遅らせ、飲食を控えるなどの対策のもとで執行いたしました。土砂加持法会は、檀信徒各家先祖各霊の得脱のために修される法会ではありますが、この度は新型感冒感染症終息平癒祈願を併せ行いました。お釈迦様在世時のことですが、ヴァッジー国の首都ヴェーサーリーで、飢饉から疫病が蔓延し人々が苦しむさまを見て、阿難尊者とともにラタナ・スッタ(宝経)を七日間唱え続けて平癒せしめたとの故事があります。そこで、職衆(しきしゆう)が土砂加持法則(ほつそく)により法要が進む中、導師は光明真言法を修法し、前供養終わって、観法...備後國分寺だより第56号(令和2年8月1日発行)

  • 追悼 ボーディパーラ比丘 Bhikkhu Bodhipala

    追悼ボーディパーラ比丘BhikkhuBodhipalaインド・ベンガル人比丘ボーディパーラ師が、昨日午前8時20分コルカタの病院で亡くなられたという。まだ46、7なのに、なぜ死んでしまったのか。一昨日入院して、新型コロナ検査陽性だったとしか解っていない。はたして死因は何だったのか。遠く離れていて聞くこともかなわない。ベンガル仏教会(TheBengalBuddhistAssociation)の事務総長(GeneralSecretary)として、連日太った身体を揺らしながら、コロナの為に困窮している家族や施設、また水害に遭った地域に慰問に出かけ、食料や水を施している様子がフェイスブックでいくつもアップされていた。かなり疲労がたまっていたのかもしれない。最後に見た彼の動画は黒い肌が白く見えるほど生気がなかった。いつも...追悼ボーディパーラ比丘BhikkhuBodhipala

  • いまをいかに生きるか

    いまをいかに生きるか今年も半年が過ぎた。年初の話題は年末に起きたゴーン被告の国外逃亡事件に始まり、イランの民兵組織の司令官をアメリカがドローンで殺害し、それに対しイランがイラクの米軍駐屯地を攻撃して、あわや第三次世界大戦下とのニュースが世界中を駆け巡った。その頃は、今年は何が起こるかわからないなどと思っていたが、その後二月頃から毎日毎日コロナコロナで、世界中が奇妙な世界に取り込まれたようになっている。この不安定なというか不安な時代を私たちはどう生きたらよいのか。同じ列車事故に遭っても、怪我をする人もいれば、まったくかすり傷一つ無い人もある。大きな地震に見舞われて、家の下敷きになって亡くなられてしまう人もあれば、家は全壊したにの、不思議なことに家具と家具が交差したお蔭でその空間に入りこみ助かる人もある。インフルエ...いまをいかに生きるか

  • 自ら確かめよ

    自ら確かめよ増支部経典(三の部65)にあるお経から、自ら確かめることの大切さについて学んでみたい。お釈迦様がコーサラ国のケーサプッタという町に来たときのこと、この町のカーラーマ族の人々から、沙門バラモンなど修行者たちがやってきては、彼らは自分の説だけを明らかにして、他の説をののしり、そしり、無能呼ばわりするけれども、それら尊者沙門たちの中で、一体誰が誠に語り、誰が偽っているのかという疑いと惑いがあるのですと語った。するとお釈迦様は、それは疑い惑うのは当然のことであるとされて、ある説かれたことを受け取るときには、①聞き知ったことにたよってはいけない、②伝え承けたことにたよってはいけない、③言い伝えにたよってはいけない、④自分たちの聖典集成の中に承認されているということにたよってはいけない、⑤思弁にたよってはいけな...自ら確かめよ

カテゴリー一覧
商用