日曜日。前夜から降り続いていた雨が雪に変わる。寒い。コロナに感染されないためではなく、ただ単に濡れたくないから外に出る意欲などわかない。そういう日に限って、日曜のお楽しみである囲碁の放送がない。しかも金欠でイライラしており、くだらない報道番組を見ていると腹が立ってくる。しょうがない。まずは朝食を作ることにしよう。実は前日、イワシの丸干しが安かったので妻に買ってもらっていた。8匹入って300円ほどである。これはお得だなあと思いつつ、そのうち2匹をヌカ漬けにしていたのだった。アニメ『食戟のソーマ』にサンマのヌカ漬けというのが出てきたので、魚をヌカに漬けたらどうなるのだろうかと興味津々であったのである。そして、ヌカに漬けていないものと漬けたものとをそれぞれ2匹ずつ焼いてみて、妻とご試食会。漬けてなくても充分に美味しい...イワシのヌカ漬け
月末も近づきつつ、金欠で発狂しそうなきょうこの頃、R社M社長から電話がある。なんでも、M社長が以前お世話になったことのある弁護士さんの事務所にあいさつに行ってみたら、弊社で復刊した方の『反日革命宣言』(元はR社刊)が飾られており、「これはいい本だから、獄中のヤクザ屋さんに差し入れしているんだ」と、その弁護士さんがおっしゃっていたとのことだ。わざわざ、そのご報告のお電話である。もちろん、ありがたい話だとは思うし、小生にしてみればうれしいものではあるものの、しかし、ヤクザ屋さんがあれを読んでどうするのよ?とも考えてしまう。また一方で、そんな読者がいるのならば、いっそのこと『腹腹時計』の技術編も全部掲載してやればよかったとも想像する。それでBの作り方を覚えれば、ヤクザ屋さんにとっても都合のいい話じゃないのだろうか。た...ウシジマくん
某日、M翁の葬儀に出かける。わが家から歩いて40分ほどのところにある火葬場なので、チンタラ歩いて向かうことにするものの、まだお昼過ぎである。歩いているうちに、すっかり暑くなってしまった。とりあえずはコンビニで缶ビールを購入し、歩きながらさっそく献杯を始めることにした。着いたころには、小生の顔はすっかり赤くなっていたことだろう。ただし、ずいぶんと早く着いてしまったものだ。その火葬場は、以前、某画伯の葬儀のときにも使われたところである。来るのはそれ以来だから、10数年ぶりということになるのだろうか。そのときは、まさかP舎までつぶれるとは思ってもみなかった。それから数年したある日、P舎は2年以内に倒産すると感じることが起こり、沈没船から逃げ出すネズミのように弊社も逃げ出しをはかったのであるが、2年どころかなんと1年も...葬儀へ
某日M翁が亡くなった。享年87とか。それにしても昨年から訃報ラッシュである。小生がそういう年齢になったということかもしれないが、あの人が、この人が次から次によく亡くなるものだ。その個々人とのお付き合いには濃淡があるし、小生との関係がよかった人ばかりではない。しかし、訃報に接するたびに、なんともいえない感情に襲われる。なんともいえないので表現のしようもないのであるけれど、哀しいとか寂しいという語とは少しちがう。明確な感覚があるのではなく、ただ単に「嗚呼」とため息のようなものがこみ上げてくるような感じだ。そうならなかったのは、F社先代社長が死んだときくらいかな。そのときは、やれやれという思いしかなかったものだ。M翁については、これまで何回か述べてきたので、その記述と今回ダブってしまうところがあるかもしれないが、お許...追悼M翁
完全に金欠鬱に陥っていて、ため息ひとつつく気力もわかない。某所に返事の単純なメールを打たねばならないのだけれども、それすら気が重くて、指先が止まったまま数日が過ぎている。先方には申し訳ないかぎりだ。そのうえ、某制作作業が遅々として進まない。テクニカルな面で少々厄介な問題にぶち当たってしまい、それをなんとかしないといけないのだけれども、考えるなり手を動かすなりする気力が生れてこない。某ミニコミ用の取材は終わらせていて、そのテープ起こしとリライトも進めないといけない。これも、そのテープ起こしが進まない。若いころはテープ起こしが速かったものなのになあなどと嘆いてみてもなにも始まらないのはわかりきっているけれど、困ったものである。そんなある日、朝食を作っていた。もちろん、妻の分と合わせて二人前である。目玉焼きを作ろうと...マッシュルーム
某日、某社の某氏ご来社。小生の目の前に請求書を突きつけ、テーブルをバカ~ンと蹴り上げてから「おまえなあ、これだけ未払いたまっているのに、どげんすっとや!」とすごまれる。わかっちゃいるけど困ったものだとは思うものの、名案などあるわけがない。「どうもすみません」と謝罪していると、「いまから気仙沼に連れていってやるから、マグロ船にでも乗るか?」と追い討ちがくる。マグロを食べるのは好きだけれど、山育ちの小生は船が苦手である。若いころ関釜フェリーに乗ったことがあるけれど、その程度で軽い船酔いに襲われたものだ。そこで「いやあ、それはちょっと」と難色を示すと、「それやったら、どげんすッとや!」と恫喝が再び始まった。「どうもすみません。どうか命だけはお助けを」と、悪代官にすがりつく水飲百姓のような構図が展開することになる。する...おべっか
いまだ先月の支払いが終わってなく金欠で発狂しそうなきょうこの頃、会社へ行くのもいやで本郷へとトボトボ歩いていく。歩きながら、どうしようかなあと考えあぐねるものの、名案など出てくるわけがない。そこでこれは前に記したことかもしれないが、どんな俳句なり川柳でも、「それにつけても金のほしさよ」と下の句を付け加えれば、そこそこの短歌になるという有名な話がある。例えば「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」に「それにつけても金のほしさよ」と追加すれば、正岡子規の窮状が見事に浮き彫りにされるというものだ。その伝でいくと、いまの小生の心境は「屁をしても一人」「それにつけても金のほしさよ」というところだろうか(屁をしてもひとりなのは、小生が社内にこもっているさまを表す。放哉先生ごめんなさい!)。いやいや、句なり歌のことなど考えている場合で...3・11の前日に
金欠で発狂しそうなきょうこの頃、コロナウイルスなるものが流行っているそうだ。そんなものには、なんの関心もわかない。日本国内の死亡者を見れば、たったの10数人。宝くじよりも、当たる確率が低いことだろう。宝くじすら当たるわけもない小生が、コロナなんかに当たるわけがない。そして、本場中国での死亡者数を見ても3000人くらい。現在、アメリカで流行っているインフルエンザの死亡者数が1万人を超えているそうであるから、コロナで死ぬことがどんなに大変かがよくわかるというものだ。さらには、日本でもインフルエンザで亡くなっている人はいるわけで、その数はコロナよりも多いに決まっている。それなのに、コロナ、コロナとなぜ世間で連呼しているのか理解に苦しむ。そんな2月のある日、池袋のサンシャイン通りを歩いていたら、ドラッグストアの前にはオ...コロナに振り回される
金欠で発狂しそうなきょうこの頃、わが家のキッチンスペースに垂れ下がっている蛍光灯のヒモが風呂上がりの小生のメガネに引っかかり、そのままスポンと抜けてしまった。メガネも一緒にずり落ちるので、一瞬ムカッとしたものの、メガネに引っかかっているそのヒモを眺めつつ、アリャ~、どうやってこれを直せばいいのかと考える。蛍光灯を仰ぎみても、ヒモがどこに結ばれていたのか判然としない。どうやら、照明器具自体を一度天井からはずさなければならないようだ。金欠病にさいなみ、酔っ払って風呂に入り、とにかく寝ようとしていたというのに、いまさら蛍光灯の修理などする気など湧くわけがない。しかし、朝になって妻がギャーギャー騒ぐのもうるさいので、半分寝かかっている妻に「あのさあ、キッチンの蛍光灯のヒモが切れちゃった」と伝えると、「私、もう寝てるんだ...蛍光灯のヒモが切れる
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