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風塵社的業務日誌 https://blog.goo.ne.jp/wind-dust/

出版現場の最前線から、企画、編集、営業と業務に関わることをなんでもレポートします。

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2006/05/16

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  • アナルコ保守主義(12)

    最近、夜に用事が入ることがしばしばで、ついついブログの更新を怠ってしまった。間が空いてしまうと、これまでなにを考えていたのかをほとんど忘れてしまっている。一連の妄想を最初から確認し直すのも面倒なので、ここで話が少し飛んでしまうかもしれないが、どうかお許し願いたい。ある休日の晩、ほろ酔い気分で近所をウロウロさまよっていた。近くの古本屋の前を通りかかると、店先の100円均一セールの棚にソローの『森の生活』(岩波文庫)があったので、ついつい買ってしまう。こういう表現もいかがなものなのかもしれないけれど、なにせ100円である。コンビニでコーヒーを買うようなものだ。たとえ積読となったとしても、それほど手痛いわけでもない。ここでなぜソローなのかとなるけれど、それが米共和党の一つの聖典であるからだ。建党の精神である。ソ連にお...アナルコ保守主義(12)

  • アナルコ保守主義(11)

    戒律についてもう少し考えてみたい。ここでいう戒律とは、キリスト教なり唐招提寺的なものに限らない。確かに宗教的な要素が濃い用語なのだろうけれど、どっかの村落共同体に代々伝わる掟のようなものと、とりあえずしておこう。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、大塚久雄訳)を、あえてここで超バッサリと要約しておけば、プロテスタントは戒律を放棄したがゆえにかえって不安になってしまい、お金儲けに慰撫を求めるしかなくなり、資本主義が発達しましたとさ、というものである。この説明ではあまりにあっさりしすぎなので解説をもう少し付け加えると、カトリックの場合は「安心しなさい。この教会を信じていれば天国に行けますよ」というさまざまなウソくさい仕掛けが信者に対してほどこされていた。しかし、そんなもの...アナルコ保守主義(11)

  • アナルコ保守主義(10)

    もう少しアナルコ・キャピタリズムについて考えてみたい。前に、アナキズムに近い概念にリバタリニズムとサンディカリズムとがあるものの、アナキズムとの区分けを小生はよく理解していない旨を述べた。それでも小生の理解としては、リバタリニズムとは自由放任主義とでも訳されるもので、権力に対して否定的ではあり、経済思想としてはアダム・スミスの「神の見えざる手」を楽観視したものといえるという解釈をしたつもりである(これが間違っていたら、どなたかご教示願います)。一方、アナルコ・キャピタリズムとは無政府資本主義とでも訳されるのだろうか。決して小生の造語などではなく、70年代から提唱されてきた概念であり、小生は読んでいないけれどもデヴィッド・フリードマン著『自由のためのメカニズム――アナルコ・キャピタリズムへの道案内』(勁草書房)な...アナルコ保守主義(10)

  • アナルコ保守主義(09)

    テロリズムに親和性の高いアナキズムはあるものの、テロそのものは、権力を握っている側が他者を支配するための手段であったことを述べた。一番最初に記したように、英のバークはジャコバン派のテロが吹き荒れるフランス革命の進行を見て、「だから言わんこっちゃない」と革命そのものを否定したわけである。のちのロシア革命も、中国革命も同じようなコースをたどることになる。そのため、革命なるものを否定したくなる気持ちは、小生にもよくわかる。社会実験としては、取り返しのつかない犠牲者の数が大きすぎるからだ。それでもあきらめ悪く続けることにし、ならば、テロリズムとは対極の概念であるアナキズムに基づく革命ならば、処刑者を出すことなく革命が進行するわけであるのだから、成り立つのではないのだろうかという夢想をしてみる。しかしそこで考えるべきは、...アナルコ保守主義(09)

  • アナルコ保守主義(08)

    前回、少しばかり結論を急ぎすぎたか。そこで、そもそもの初心にもどることにする。なぜ保守思想なのかという説明は、一番最初に行ったつもりなので繰り返さない。それよりも、なぜアナキズムかということの方が重要だろう。そして、アナキズムといっても多種多様なイメージがあることは述べたけれども、その保守思想との相性のよさそうなイメージというものがあるのか、どうかという点を考えてみないことには、話の重心をどこに置いているのかがわからないことになる。そのなぜアナキストなのかという問いには、小生がそれを好きだからという、まったくもって非論理的な解答しか小生の内部には持ち合わせていない。もちろん、それが民主主義でもかまわないのだろう。ただし、ここで述べている民主主義とは、丸山真男が『日本の思想』(岩波新書)4章の「『である』ことと『...アナルコ保守主義(08)

  • アナルコ保守主義(07)

    前回、全共闘の不倶戴天の敵であった林健太郎と、日本の新左翼との比較でもしようかしら、というところまで話が進んだ。しかし、結論を急ぐつもりもないし、このテーマで結論めいたものにたどりつけるのか自体がはなはだ不明だ。ようやくおのれのなかでは、こういうことなのかなあという像が結ばれつつあるのだけれども、それを文章として記せるのかどうかはわからない。まあいいや、ゆっくりやりましょ、てなもんだ。また前回、戦時中に林がどういう意味合いでニヒリズムという語を使ったのか、それがよく理解できなかったということを述べた。それと、小生は専門知とか学知のようなものからは縁遠い人間なので、哲学用語にはどうしても弱い。そこで、書棚に転がっていた1970年刊行『現代哲学事典』(山崎正一+市川浩編、講談社現代新書)の「ニヒリズム」の項を開けて...アナルコ保守主義(07)

  • アナルコ保守主義(06)

    前回、話がまたヘンな方に向かってしまった。抽象的にすぎるのだけれども、人間社会が自由自治を目指し、その構成員である個々人が自主、自立、自律などを獲得していくためにはどうすればいいのか、ということを考えていたつもりであった。その一つのオルタナティブとしてル・グィンの小説を取り上げてみたものの、そこから、名誉なるものを考えていたら迷走してしまったので話をもどすことにする。ここで、社会が先か個人が先かという「ニワトリ=タマゴ」論は避けておこう。また、社会とはなにかというソモソモ論にも踏み込まないようにしたい。こんな問題、社会学者が考えたって結論に到達できるわけがないのだから、ここで「だれだれがかく語りき」的なことを記しても意味がない。しかしアナキズムの場合、国家という支配機関(暴力装置)を否定する以上、そのよりどころ...アナルコ保守主義(06)

  • アナルコ保守主義(05)

    更新するのに時間が経ってしまった。ここまで、アナキズムなるものを考えるうえで、コミューン主義ではその内部に権力構造が発生する旨を述べたつもりである。したがって、それでは権力からの解放を訴えるアナキズムなるものにはなりえず、ならば、アナキズムとは永遠の見果てぬ夢なのかと、仮に設定してみたところで話が滞っている。そこで話が少しそれるけれど、英語でアナキズムと発音するとき、最初の「ア」の字にアクセントがあるらしい。日本語の発音だと、ナになるのかな。ずいぶん昔に、初対面の中年の米人白人女性と英語で儀礼的なあいさつをしていたら、「ジャパンのエンペラーには世継ぎが生まれないけれど、今後どうするんですか?」と無邪気にたずねられた。そこで「私は天皇制に反対しているので、なにも心配していません。それどころか、ガキが生まれないこと...アナルコ保守主義(05)

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