−thee EURASIAN CANNONBALL− 走れ!夕焼け逃避行 大阪発 ポルトガル経由 稚内行き 29カ国200日
麻婆豆腐と言ってから、しまったこれは日本語だったと思ったが、なんなく通じた。なんのことはない、普通に考えたら、中華料理の名前なので中国語なのだ。でも、すんなり伝わったのには驚いた。というのも、中国では発音にいつも悩まされていたからだ。 こ
昼過ぎの広場付近を北に向かって歩いていた。バスの中から見るより、人々の活気を感じる。その人ごみを抜けながら、頭の中は麻婆豆腐のことでいっぱいになりながら、その店を探した。 「陳麻婆豆腐」はほどなくして見つかった。空腹の体が、感覚を研ぎ澄ま
心身ともにすがすがしくなって、部屋に戻った。この部屋にはテレビも備え付けられていたので、それを見ながら少し休憩しようかなと思った。しかし、体を洗いたいという欲求が満たされると、とたんに忘れていた食欲が湧いてきた。そういえば朝は食事代わりに
受け取った名刺は、パンダの絵が描かれた旅行会社のものだった。そしてその女性は旅行会社の人であるらしい。彼女は流暢な英語で話し始めた。このホテル内にカウンターがあること、チベットやパンダ繁殖基地などへのツアーをやっていることなどを、簡潔に慣
僕は手に持っていたメモ帳をもう一度開いた。やっぱり<成都、交通飯店、ドミ、人民南路、橋渡って左>とだけ書いてあった。駅にいたときは、これで行けそうな気がしていた。しかし今は、こんな不安定な情報しか書かなかった出発前の自分を恨んだ。渡って左
もうすぐあの橋だ、と思ったところで、バスが停留所に着いた。いや、でももう少し近くに行くだろうと思い、ここでは降りなかった。極力歩きたくなかったのだ。しかし、次にバスが停車したのは、橋を越えてからかなり先だった。間違った、やっぱりさっきのと
再び、地図を開けた。今いる場所から、目的地への道を目で追ってみた。歩く?でもやっぱ遠いなあ・・・。などと思っていると、地図上の道に、たくさんの小さな数字が振ってあるのをみつけた。その時、僕は頭の中で豆電球が灯るのを感じた。 そうか、この地
バスは探すまでもなく、今立っているところからも数台見えた。でも、それらに乗っても、どこに連れて行かれるかはわからない。交通飯店行きのバスなんて便利なものがあるはずもない。どうしようかと、もう一度地図に目を戻した。 地図上には、列車駅の前、
この宿探し連想ゲームが成立するためには、いくらなんでもこの町の地図がないと始まらない。駅前を見たところ、なかなかの都会のようだ。僕が持っている少ない知識でも、ここは四川省の省都であり、三国志の時代にはすでに大きな町だったということは知って
外国人窓口だからといって、すんなり英語が通じるかと言えば、そうではない。そんなに中国は甘くないのだ。それ以前に、言葉を聞く気が、おおよそなさそうな切符売りに話しかけること自体、無意味だった。 上海の時と同じように、僕はまたメモ帳に希望の列
駅舎を出ようとして、ひとつ思いついたことがあった。それは、次の目的地である昆明までの列車の切符を買っておこう、ということだった。 着いたばかりなのに、という気もたしかにする。しかし、中国には観光ビザなしで入国したこともあり、あまりゆっくり
気がついたら、成都にいた。 成都駅のホームに降り立つと、上海とはなにか空気の質が違うように感じた。まあ、淀んだ列車内に長くいたせいもあると思うが。 上海から直線距離にして千六百キロ、方角は西に進んで、今、四川省は成都という町にやってきた。
モップを手に、床を磨く。というより、なでる。床にあるものといえば、以前より少なくなったとはいえ、中国の皆さんが吐き出した、のどからの分泌物が大半だ。日本では痰と呼んでいる代物である。モップはその「分泌物」を拭き取るというよりは、薄く延ばし
トラウマ弁当を見送ったおかげで、空腹を満たす手段がなくなった。バックパックの中には菓子類が入っていたはずだが、甘いものを食べたいという気分でもなかった。 少しすると列車は、大きめの駅に到着した。何分間この駅に停車しているか、時刻表では確認
特に答えが得られるわけでもない問いと、中国の将来について、鈍い脳の回転をもって空想していた。鈍いながらも動いていたので、そのせいかお腹が空いてきた。やっと、というか忘れていた感覚だった。なにしろ、今朝飲んだ水以外、昨日の夕方から何も口に入
牧歌的な窓の外を飽きずに眺めている。昨日までいた上海の様子が、夢のように遠く感じられた。 次の瞬間、ふいに、そんな気分から現実に戻された。僕をハッとさせたのは、誰かの携帯電話が鳴る音だった。大きな声で、近くの寝台にいるおばさんが話し始めた
そうはいっても、ここは寝台車なので、いつも虎視眈々とイスを狙っているわけではない。いつも座りたいわけではない。そんなに座りたいなら、初めから安いイス席のチケットで列車旅をすればいいだけの話だ。 しかし人間は勝手なもので、座っていたら横にな
あまりキレイとは言えないトイレで、顔を洗い、歯を磨いた。それ以外、この列車内ですることがないので、すぐ寝台に戻った。ここでは、座ることさえままならないので、体のだるさも手伝って、ほとんど横になって過ごすことになる。 ここ上段の寝台は、山手
列車は二分ほど遅れて、十九時五十分に出発した。これから次の目的地、四川省の成都まで三十九時間、この寝台で過ごすことになる。あまりにも長すぎて、その長さをうまく想像できなかった。 気分的にも少し落ち着いてきたら、耳になんだかよくわからない音
荷物に続いて、僕も寝台に上がることにした。靴を脱いで、横に備え付けてあるハシゴに足をかける。上から三つ目のところに足をかけた後、上の壁にある取っ手に手が届いたので、片腕の力で体を引き上げようとした。 たぶん、この混沌とした状況から一刻も早
大きなリュックを背負っているので、それが引っかかりそうになりながら、狭い車内の通路を進んだ。周りが気になるので、方向転換の際にややロボットのような動きになっているのが自分でもわかる。 乗る前に車掌に渡された金属片と、寝台ごとに書かれた番号
発車まで一時間以上あった時間は、日本で感じるよりもずいぶん早く過ぎていったようにだった。 目の前に広がる異国の列車待合室の光景をまじまじと、しかし何を考えるでもなく眺めていた。すると周りが、にわかにざわざわしてきた。正面の電光掲示板を見る
発車まではまだ一時間ほどあり、僕は座って待つために空いている席を探すことにした。 人であふれる待合場のなかをかきわけながら、ときに周りを見まわしながら腰を下ろす場所を探した。そうやって歩き回っているうちに、人の多さとそれによる心理的圧迫感
地下鉄を降り、上海駅正面に出る通路を抜けると、外はすっかり夜になっていた。成都行き列車の発車時刻までまだ余裕はあるが、なんとなく急かされるような気分になった。 まずは、荷物預かり所にバックパックを取りに行かないといけない。荷物の預り証を手
中国とクリスマス。どうも結びつかないものがある。「ふんっ、西洋の風習に無理にかぶれて」、と思ったが、「いや待てよ、自分たちの日本だってそうだ」と思い直した。ここよりもっとかぶれている気もする。 最初に感じた中国とクリスマスの違和感は、アジ
一応はお腹の減りも収まったので、デパートなどをうろうろ見てみるも、あまりおもしろいものではなかった。昨日から続くだるさは体を疲れやすくしていた。 仕方ないので、建物の上の部分が丸くなったデパートで、外を眺めながら休むことにした。その丸くな
また南京路でうろうろするのも芸がないので、そのまま人民広場駅を通り過ぎ、衝山路駅まで行った。この衝山路は、ほかの通りとは一風変わった通りだと、日本で読んだ本にあった。中国の青山通りという、なんだかよくわからない例えが、その本に書いてあった
帰りはもちろん、あのぼったくりタイムトンネルを使わず、地下鉄に乗った。運賃は、たった二元(約二十六円)。行きと同じお金で、この地下鉄なら十五回も乗れる。まあそんなに乗る必要はないのだけれど。なんやろうかこの違いは。しかも地下鉄なら顔が引き
様々な商品を見はしたが、結局は水と菓子パンを持ってレジに並んだ。どのレジも長い行列ができている。この込み様は、客の多さにではなく、レジ打ちの店員のまずさに大きな原因があるようだ。 並んでいるここから見えるレジ店員に、急ごうという気がないの
いろいろ興味深く見ていると、ペットボトルに入った日本のメーカーのお茶があった。中国でサントリーのウーロン茶があることは前から知っていたが、おーいお茶や生茶などの緑茶が種類豊富にあるのには少し驚いた。 しかし、驚くのはそれだけではなかった。
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