642年7/27雨乞いの為、僧に大乗経典等を読経させ、 蘇我蝦夷は自ら香鑪を手に取り、香焼きして雨乞...
みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。
先週の「恵信尼さんの最後のお手紙」をZIPANGU風に。《裏端書》には、この書をしたためた日時晩春...
恵信尼さんが王御前(後の覚信尼)さんに送った最後のお手紙になってしまったと思われる文面抜粋です。(1...
先週紹介した「恵信尼消息」ついて。文は全て「恵信尼文書の研究」からの抜粋です。又、文書順は「真宗聖典...
「三善為教女法名恵信(日野一流系図)」→「恵信御房(口伝鈔)」1551年→1331年より遡ること75...
先週、恵信尼と親鸞のお子さん達についてお話ししましたがこちらの資料「日野一流系図」は1541年作成の...
恵信尼さんと親鸞との婚姻が「建永の法難還俗配流」の後の場合は僧籍を剥奪されてますので破戒にならず全く...
皆さんお元気でお過ごしでしたか?本日より、前回からの続きです。ところで、親鸞の連れ合いに「恵信尼(1...
還俗・配流の宣旨(1207/02)により(1211/11赦免)親鸞(1173~1262)は35歳で越...
貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。*官僧・・・朝廷に仕える僧侶法然を糾弾する...
法然(1133~1212法然房源空)は専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教え。子細は「法然上人とお念仏」...
平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。世は「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令...
奈良時代の光明皇太后・孝謙帝さんらの受戒、平安時代の東三条院・定子・上東門院さんらの剃髪・出家。これ...
彰子さん、二度目の出家と同じ年(1039年)、倫子さん、二度目の出家を一足先にされてます。倫子さん...
倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。「上東門...
倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。(大鏡裏書)*法成寺平安中期、京都...
「この世をばわが世とぞ思う望月の虧(かけ)たることもなしと思えば」(1018/10/16)を成し遂げ...
1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。彼女の母は源雅信(920~...
先週、「大進生昌が家に宮の出でさせ給ふに(中宮行啓)~」を紹介しましたのでもう一つ一条帝と定子さんの...
藤原道長のお嬢さん彰子(988~1074 87歳)(大河演 見上愛)は999年霜月12歳で一条帝(2...
藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は990年14歳で一条帝(11...
「令和6年能登半島地震」で被災された方々に呉々もお見舞い申し上げます。本日より前回の続きの展開にな...
自誓・受戒した覚盛は「律宗(戒律死守・実践にて成仏)」復興努力の途上、比丘尼(女性僧)不在の事態を憂...
覚盛らの行った「*自誓・受戒」について仏語。仏の定めた戒律を受けること。出家、在家を問わず、教団には...
「太子伝聖誉抄」の中宮寺・信如房さんに関しては先週で終了です。ところが、信如房さんがお過ごしになった...
いよいよ「太子伝聖誉鈔(抄)」の最後になります。タイトル 繍帳正文云々「歳在辛巳十二月廿一日癸酉日...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。お話を元に戻します。信如房さんはご縁を使い...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。超知識人のもうお一人は「(霊山)の定円法印...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。文永十一年甲戌二月廿六日⇒1274年2月2...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。法隆寺より「蔵開放」の連絡を貰い、信如房さ...
いよいよ「天寿国繡帳」の亀の甲400文字が発見されます。「信如房悦テ夢見タル尼衆ヲツレテユキ二人自...
ここからの現本写本は「夢見たる同法の尼衆」でご確認下さい。物語は一挙に好転します。何と翌年、1274...
「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」原文写本の続き。「夢見タル同法ノ尼衆ヲツレテ 則日法隆寺ニ参リ 宗...
「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」の写本の複写はこちらから。信如さんは中宮寺の長老ゆえにどうしても中...
次は中宮寺・法隆寺に於いての「天寿國曼荼羅起因」について。「中宮寺ハ太子四十六箇ノ伽藍ニハ 太子ノ...
信如さんが比丘尼になった後の中宮寺復興・修復の事はタイトル「中宮寺」別枠で記述されています。「天寿...
今日は奇しくも「重陽の節句」も「太子伝聖誉抄」の記述を追います。先ず、信如さんについて「笠置ノ解脱上...
法隆寺綱封蔵から天寿国繡帳の発見が1274年です。それに関わる「信如」さんを聖誉鈔は120年~150...
皆さんお元気でしたか?待ち遠しい秋空ですが・・・・・。それでは前回からの続きです。「中宮寺 由緒 信...
先週の「皇前曰啓」の有無の件について有→中宮寺本と松下見林本無→国宝知恩院本、及び、狩谷棭斎本(法王...
ところで、「知恩院蔵上宮聖徳法王帝説」、及び、「法王帝説證注」ですが亀の甲400文字の内、「皇前曰啓...
狩谷棭斎(望之)さんの「法王帝説證注」での注意書きに「法隆寺資財帳(法隆寺伽藍縁起并流記資財帳)」に...
「帷(帳)二張」についての注意書きです。思うに、この帳の「残片」は「中宮寺」の蔵にある。「天寿国曼荼...
天寿国曼荼羅繍帳の由来が記述された「亀さん100匹」。偶々、「上宮聖徳法王帝説」が書き残して下さって...
「天寿国繍帳 亀の甲四文字1」の天寿国繍帳の亀甲刺繍文字紹介の方々を分かり易くする為、日本書紀等の表...
「歳在辛巳十二月廿一癸酉日入 孔部間人母王崩 明年二月廿二日 甲戌夜半太子崩 于時多至波奈大女郎 悲...
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642年7/27雨乞いの為、僧に大乗経典等を読経させ、 蘇我蝦夷は自ら香鑪を手に取り、香焼きして雨乞...
新唐書 東夷 日本の読み解き続きです。今週は皇極女帝のお話です。彼女は本邦初、二度帝位におつきです。...
素敵な生成AI「Gemini」の日本語訳になります。太宗貞観五年~遣使賀平高麗の訳「太宗貞観五年(西...
新唐書 東夷 日本の読み解き続きです。先週は新唐書での天皇在位の歴史で「女神功為王」(神宮女帝)まで...
「日本は古(いにしえ)の倭奴である」~「官には十二の等級がある」と「その風俗は椎髻」~「貴賤を明らか...
先週の新唐書 東夷 日本の読み解きです。以下は力強い生成AI「Gemini」の日本語訳になります。日...
本日から「巻二百二十 東夷 日本」です。先ずは原文になります。「日本 古倭奴也 去京師万四千里 直...
「新唐書」撰は1060年ですので北宋(960~1127)成立から100年後。既に、君主独裁・官僚体制...
残りの旧唐書は遣唐使情報のみ。804年留学生として「橘逸勢(はやなり)」・「空海」、806年判官とし...
帰国を諦めた朝衡(仲麻呂)は唐で過ごし唐で亡くなってます。御年73歳との事。(770年1月没)但し、...
753年朝衡(仲麻呂)にとって久方ぶりの日本への帰国旅。朝衡(仲麻呂)の乗せた藤原清河の大使船は揚州...
「偏使朝臣仲満」とは阿倍仲麻呂(698~770)です。以前、楊貴妃についてお話した際、彼女の時系列に...
717年の遣唐使の記事で遣使は儒学講義を唐朝政府に要請してます。誰が受講したかは不明。続日本紀を紐解...
「開元初又遣使来朝~開成四年又遣使朝貢」の「Gemini」訳「開元初年、再び使者が朝廷にやってきて、...
「日本国者 倭国之別種也~山外即毛人之国」の「Gemini」訳「日本国は倭国の別の種類である。 その...
中国史書で倭奴国表記の初出は「後漢書 東夷倭伝」になります。「建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀 使人自称...
ここで驚く事を。何と、この史書、旧唐書を「Gemini」が日本語に訳せるのです。以下、貞観五年(63...
945年、後晋の劉昫等撰「旧唐書」の倭国・日本国についての著述。倭国者古倭奴国也 去京師一万四千里...
五代後晋にて端折りましたので今回紹介します。唐~北宋間の江南(華中・華南 北漢除く)十王朝「十国」に...
先週の「恵信尼さんの最後のお手紙」をZIPANGU風に。《裏端書》には、この書をしたためた日時晩春...
恵信尼さんが王御前(後の覚信尼)さんに送った最後のお手紙になってしまったと思われる文面抜粋です。(1...
先週紹介した「恵信尼消息」ついて。文は全て「恵信尼文書の研究」からの抜粋です。又、文書順は「真宗聖典...
「三善為教女法名恵信(日野一流系図)」→「恵信御房(口伝鈔)」1551年→1331年より遡ること75...
先週、恵信尼と親鸞のお子さん達についてお話ししましたがこちらの資料「日野一流系図」は1541年作成の...
恵信尼さんと親鸞との婚姻が「建永の法難還俗配流」の後の場合は僧籍を剥奪されてますので破戒にならず全く...
皆さんお元気でお過ごしでしたか?本日より、前回からの続きです。ところで、親鸞の連れ合いに「恵信尼(1...
還俗・配流の宣旨(1207/02)により(1211/11赦免)親鸞(1173~1262)は35歳で越...
貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。*官僧・・・朝廷に仕える僧侶法然を糾弾する...
法然(1133~1212法然房源空)は専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教え。子細は「法然上人とお念仏」...
平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。世は「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令...
奈良時代の光明皇太后・孝謙帝さんらの受戒、平安時代の東三条院・定子・上東門院さんらの剃髪・出家。これ...
彰子さん、二度目の出家と同じ年(1039年)、倫子さん、二度目の出家を一足先にされてます。倫子さん...
倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。「上東門...
倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。(大鏡裏書)*法成寺平安中期、京都...
「この世をばわが世とぞ思う望月の虧(かけ)たることもなしと思えば」(1018/10/16)を成し遂げ...
1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。彼女の母は源雅信(920~...
先週、「大進生昌が家に宮の出でさせ給ふに(中宮行啓)~」を紹介しましたのでもう一つ一条帝と定子さんの...
藤原道長のお嬢さん彰子(988~1074 87歳)(大河演 見上愛)は999年霜月12歳で一条帝(2...
藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は990年14歳で一条帝(11...