宮城県北から岩手県南にかけて盤踞した葛西一族、その家臣で叛骨を貫いた末永氏の、今は滅びし声無き声を明らかにするブログ
第二六章31動乱そして滅亡・浜田再乱の論功行賞スタート、2回目の小手森合戦、もう1人の弾正忠、彦姫の早世
浜田再乱の論功行賞は天正16年(1588)4月28日には始まっていたようで、参戦した柏山氏家老の胆沢郡下姉体館主(岩手県奥州市水沢下姉体)大内源次郎に対し、17代太守葛西晴信は胆沢郡中野郷(岩手県奥州市水沢真城)5000苅(約5ヘクタール)を与える黒印状を発行しています
第二六章30動乱そして滅亡・一栗高春の返り忠、政宗二世が葛西晴信に使者を出す、浜田再乱で浮かび上った瞬きのような人物
天正16年(1588)4月21日、伊達政宗二世は玉造郡磯田館主(大崎市岩出山磯田)氏家筑前守こと磯田典膳正兼継に書状を出し、氏家三河守真継と玉造郡鵙目館主(大崎市岩出山池月鵙目)一栗兵部高春が、玉造郡岩手沢館主(大崎市岩出山)氏家弾正忠吉継と手切り、親伊達氏家監司
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