「この世を去ることは、一種の“荷下ろし”である」と、私は捉えています。内向型である私は、そう感じるのかもしれません。 生きることは、必ずしも軽やかで楽なものばかりではないですよね。 喜びもありますが、責任や不安、苦しみや葛藤もある。人はそれらを背負いながら、日々を生きています。 だからこそ、人生の終わりは、その重たい荷物を下ろすとき、と言ってもいいのではないでしょうか。 それを目の当たりにしたとき、私が口にしたのが、「ご苦労さまでした」という言葉でした。 それは軽い意味のものではなくて、心情としては、深い愛情と敬意、そしてねぎらいを込めた言葉です。 「長い人生、本当
生き方を変えられないあなたへ やり過ごすだけの毎日。時間が過ぎるのを待つ人生。 「こんな生活、もう嫌だ」と思っても、仕事や家族、経済的な事情、その他で、生き方を変えることができない。 そんな人に、生き方をちょっとだけで楽にできる提案です。 私はいつからか「生まれてから死ぬまで消化試合だ」なんて考えるようになっていました。その頃に思っていた、やっていたことの話になります。 今思えば単に思考停止していたのですが、なかば信念になっていました。 同じように絶賛思考停止中の方、または逃れようのない生き方の人がいらしたら、参考にしていただければと思います。 生きるのがほんの少しだけ楽にな
マンガ「うる星やつら」に、「無我の妙薬」という煩悩をなくす薬の話があります。コタツネコに飲ませようと渡すものの、主人公の諸星あたるが飲んでしまいます。 すると煩悩が離脱した体は寝たきりになるのです。 頭のてっぺんから足の先まで煩悩でできていた彼。でもこれ私達にも、だいたい当てはまりますよね。 そして、煩悩って結構大事なものだと思っています。その裏には綺麗な想いがあると感じています。 嫌われる煩悩 年の瀬になると、除夜の鐘とともに「108の煩悩を祓う」という言葉を耳にします。 煩悩とは、欲や怒り、妬みといった、人の心をかき乱すものとされ、「苦しみの原因」として否定的に言われます
以前、うつ対策で自炊を始めたことを書いていました。 あっさりと自炊化できたのてすが、そこに意外な感想を持ちます。 そのことを書いてみますね。 これまで冷凍食品や調理済みのお惣菜に頼ることが多かった食生活。 でも、自炊を始めて気づいたんです。 「好きな味を、好きな食材で、好きなように組み合わせられる」 ここにある自由に。 これは、ただの食事の話ではありませんでした。 もっと深い、生き方の転換を象徴しているように感じます。 被雇用者からの転換に似てる サラリーマンから個人事業主になったときの感覚と同じです。これって。 決められた枠の中で、決められた時間に、決められたやり方
時代の大きな節目にいるのかもしれないです。 80年サイクル説というのがあるみたいですね。 今年は1945年の終戦からちょうど80年。10年前後は、社会の価値観が大きく転換する「終わりと始まりの時期」にあるそうです。 内向型の人が持つ「冷静さ」「思慮深さ」「準備力」といった特性が生きるかもしれません。 チョットこじつけですが (-_-;) 急激な変化には「冷静さ」が力となる 時代の節目には、想定外の変化が訪れてきました。 大体80年ごとに、天災や飢饉、戦争などをきっかけにして社会変革が起こり、社会の形を大きく変えてきているそうです。 この説が本当なら、なんか最近の混乱が腑に落
今日、タロットカードを引きました。 そこにいたみんなが引きましたが、今のあなたへのメッセージが得られるというんです。 私が引いたカードには、自然の中を生きる動物たちや、現代文明に縛られず生きる人々、たとえばマサイ族のような姿が描かれていました。 私はそれを見て、こんなメッセージを感じました。 「自然に帰れ。自然に触れろ。あなたに必要なのは自然だ。」 しかし、タロットや占いに対しては、どこか迷信めいた印象もあります。 本当にそんなことを信じてよいのか、疑問も湧きます。 どう考えればいいか。二つの視点があるとの考えに至りました。 そして、どちらが本当なのか分からない。 でもそれゆえ
🔸表に出ない自分は、やっぱり損? 周囲の空気を読んで、自分の意見を飲み込む。 誰かが困っていればそっと手を差し伸べるけれど、自分が困っていても言えない。 そんなふうに、自分の「内向性」は損をする性格でかも・・・ 内向型の方なら、一度はそんな思いをしたことがあるのではないでしょうか。 自己主張が強い人が目立ちやすい社会では、控えめな人が「損している」と見える場面は多いかもしれません。 でも、実はその「損」こそが、後に「大きな得」となって返ってくる。 そんな視点で内向型の歩き方を考えてみたいと思います。 🔸気づかれにくい、でも確実に届いている 内向型の人は、一般的に人の気
どんな人生にも希望を見いだすためには… それを問い続けてきた私なりの答えを、ひとつ思いつきました。 「生きたことの感想を持てること」 この一文に、命を生きることの“完全無欠の意味“を持たせることができるのではないかと、感じています。 今この瞬間にも、終わりのときにも いろんな生まれ方、生き様、死に様がありますね。 様々な人生のどんな瞬間にも、そして人生の終わりのときにも、自分の歩んできた時間に「感想を持てる」なら、それは意味のある命だったといえるのではないでしょうか。 たとえば、「苦しかったけれど、よくここまで来たな」 あるいは、「不器用だったけれど、私らしい生き方
できていない=「罪」ではない 先日、後任に「なかなか大変そうですね。頑張っていると思います」とメールに書きました。 何かを任されて、結果が出ない。 それは、その人が必要な力量を持っていないということです。 そして、それは「罪」ではない。 叱咤や叱責は誤り。頑張っている限り。 応援する、支援する、力を貸す、増員する、または配置転換する。 それが正解。 何を当たり前なことを言っているんだ。と思うかもしれません。 そうなのかもしれません。 だけど、その人の姿が今の自分と同じであると気づいたとき、 「そうか、俺も自分を責めていた。それは間違いなんだ」 と、思いに至ったという話です
「関税」って大きな話題になっていますね。 アメリカのトランプ大統領は関税をかけるという。外からの価格に上乗せされるので、内側での価格が上がる。その結果、入ってくる量が減り、内側での生産が増えると考えてらっしゃるよう。 この仕組みって、自分一人でエネルギーを自給自足する内向型に合ってますね。 他人からの関与に課税しちゃいましょう。 自己主張を意識して増やし、輸入にブレーキをかけてはいかがかと。 関与に「関税」をかけて、入りを減らす 現代社会は、牧歌的な過去から比べれば、内向型にはしんどい世界かと思います。 人がひしめき合っています。利害のぶつけ合いも多くなっているはず。 ちょ
空を飛ぶペンギンに感じた違和感 。「無い物ねだり」の奥にある本当の願い
ChatGPTと雑談の訓練をしているとき、Chatくんが「ペンギンが鳥の翼を手に入れて、空を自由に飛んでいる夢を見たんです」とネタフリしてきました。 問い返すと、ペンギンは嬉しそうに翔んでいた、と。 私はその話に共感できず、違和感を覚えました。 「現実には無理なことを、夢の中で気持ちよさそうにやっている」 その様子が、なんとも言えず“嘘っぽく”感じたのです。 自分には到底手が届かない何かを「無理して夢見ている」よう。 痛々しい。 モヤモヤしながらも、ふと気づいたのです。 この違和感の正体は、「そんなのあり得ない」と、どこかで自分に言い聞かせていた、“希望の裏返し”ではないかと。
ネットに「読書が成功の秘訣」みたいな趣旨の表題が目に入りました。その瞬間「モヤモヤ」を感じました。それってなんなのか? いつもの考え込むクセが出した答えは「航海し続けること」となりました。 どんな最後でも、進み続けた結果ならそれでよし。 灯台ではなく、自分の羅針盤に従うしかないのではないかと・・・ 成功に感じるプラスとマイナス 人から聞く「うまくいった」「よくなった」「収入が増えた」という話。 素晴らしい成功体験で、刺激になるのを感じます。 一方で少しだけモヤっとすること、ありませんか? 「それは成功の秘訣なんだろうけど」 「そうするのが良いんだろうけど」 「そうしなきゃい
例えば自分は「内向型」だと思うこと。それは安心になるし、辛くもなる
自分が「内向型」だと知ったとき、私は心底ほっとしました。若いころから「みんなと同じように振る舞えない自分」を責めていたからです。でも、その背景に「内向型」という気質があるとわかったことで、ようやく自分を理解できる糸口が見えた気がしました。 ただ、最近思うのです。人を「型」で分類することは、安心を与えてくれる一方で、別の問題を生み出すことがあるのではないかと。 型分けの功罪 ー 分かることで、比べたくなる 人を型で分けることには大きなメリットがあります。 自分の特性を知ることで「なぜ自分はこうなんだろう?」という疑問が解けて、心が軽くなる。対策を考えることもできるし、何より非常
現在進行系なんですが、「ダメな自分でも良い」と自分に許可を出すことで、むしろ他人から好まれ、助けられるようになるという体験をしています。 ただし条件がありまして。それは「実直さ」や「愚直さ」を持つこと。 それをキッチリ押さえていれば、人様の目は温かいものになる(そうでない人もいますが)。 そんな感触があります。 軽やかに生きるためには、大人としての「徳」を守りつつ、承認欲求を手放し、ありのままの自分を隠さずにあり続けること。 すると結果として、人の目に縛られたりする不自由から脱し、人からの好意的な反応や手助けを得られて生きやすくなりそうです。 「ダメな自分」を隠さない 「
いきなりですが、「孤独」についての研究は結構たくさんあるようです。 結果は、 「孤独は精神や肉体に問題を起こす。良くないことだ」 とされているように見えます。 しかし、この先の未来は必ずしもそうではない・・・ と思ったりしておりまして。 内向型にとってだいぶラクな世界に近づくかもしれない。 AIやロボットが、内向型にとって苦手な人間の代わりになってくれそう。そんな話です。 現実的な場面での孤独について、その観察結果 人や動物をほかの個体と隔絶してどうなるかの実験では、五感への刺激を遮断する、オリや個室に入れる、何もさせない、そんな条件だったりのものが多いような気がします。
電車内に置き忘れたメガネ。高崎駅のお忘れ物承り所に届いているという。とてもありがたいお知らせ。 JRからお返事をいただいたとき、小旅行になるかなって、ちょっとウキウキ(^^♪ しました。 そのことに驚いたんです。そういえば久々のウキウキ感だなと。 サラリーマンから個人事業主へ。会社を辞める前は、「これからは時間を自由に使えるんだ!」と思いました。 が、今はというと、結構あれこれあって、時間の組み方は自由ですが、土日もない感じ。 指導を受けていることもあって、遊んでられない。 大好きなスーパー銭湯。そんなとこすら行けていない。 そんなとき訪れた列車での遠距離移動。 高崎市は群馬県
命ってなんでいるのか? どうして生き物が存在しているのか。なんで命をつないでいるのか、有り続けようとしているのか。誰が始めたんでしょう? 太古の海に生命が誕生したとき、いくつか現れ、その中で自分を複製して命をつなぐ生命が出現した。それは命をつなぐ機能を持っていたので生き残った。 命をつなぐためじゃなくて、命をつなぐものが偶然に現れた。それが生き延びて今の生き物達になっている。 そんな始まりだったようです。なので今の生き物たちに、命を生きて命をつなぐという原則はあっても、「使命」はない、ということで私は納得してます。 生きる目的はないが、みんな足抜けしない 命に意識が宿っ
自己否定から自己肯定へ変われた人は、逃げていた人間関係を再び求めるのではないか。そんなことを考えるようになりました。 人様のnoteにリンクを張ってよいのか知らないのですが、「“生きづらさ”を抱える人たちが暮らすシェアハウス|福島県郡山市・三春町」を拝見しておりまして、憧れと癒しを感じているところです。 似た背景をお持ちの方々が集まって暮らしているところ、畑や山林でお仕事をされているあり方が素敵です。 シェアハウスっていいな 企業のように多様な人の集まっているのも素晴らしいです。 強いし柔軟だし、個々を組み合わせて新しい何かを生み出せる。 一方、似た人が集まるというのは、
個人的な話になりますが、最近気づいたことを書いてみますね。 横断歩道を渡るのが怖かった私 信号のない横断歩道を渡るとき、皆さんはなにか感情が湧くでしょうか。 私はこの状況が苦手です。車に止まってもらうことに罪悪感を感じ、ドライバーから「ちぇっ」と舌打ちされるんじゃないかと不安でした。 自宅を出る前から、この状況を想像して気が重くなったりするんです。 頭では横断歩道で人が渡るときは車が止まるべきだとわかっていても、どうしても嫌な気持ちが消えませんでした。 ネットも不快感の声がある この気持ちをネットで検索してみました。 すると、Yahoo知恵袋に 「最近横断歩道をわざ
若いころ、超激務(パワハラ付き)の職場で働いていたことが原因で、うつ病になりました。それ以来、長い付き合いを続けています。 一度発症すると再発しやすい病気であることは、身をもって実感しています。 そのため、これまでにもさまざまな対策を試してきました。 最近になって、新たな知見を得たので、対策として「自炊」を始めることにしました。 食品添加物の摂取が、気分にまで影響しているらしい 食品添加物がうつの発症や悪化に関係しているらしいんです。なんでも、発症率が低い群に比べて大体1.5倍増しだとか。 【超加工食品に含まれる人工甘味料がうつ病のリスクを高める?】 https://www.
内向的な人は、明るく振る舞ったり、会話に加わって盛り上がることが苦手ですね。 「みんなでワイワイ楽しく」という雰囲気に馴染めないと、周囲から悪く思われるのではないかと不安になることもあるでしょう。 ただ、周囲の人々は、そうした理由であなたを否定するわけではありません(子供の世界はちょっとそうかもしれませんが)。 引っ込み思案で、打ち解けない様子に、拒否感を持つんです。不器用でも、自分に後ろめたさを持たない姿勢があれば「あいつは、ああいうヤツ」で済むんです。 そうはいっても・・・というところですね。そんな図太くいられない。所在なさ感でオドオドしてしまう。 そんな人でも、仲間として
人嫌いな方でも、動物との暮らしは意外と気疲れしないかもしれません。 ワンちゃん、猫ちゃん、鳥ちゃんなどの愛玩動物と過ごす日々は、人間関係とは異なる癒しと喜びをもたらしてくれるかもしれないというお話です。 動物との絆:人間関係とは違う安らぎ 人間関係に苦手意識を持つ方でも、ペットちゃんなら抵抗を感じないということがあるみたいです。 彼らには「ウラ」がありません。裏切らず、嘘をつかず、押し付けたり否定したりしません。この純粋で無条件の愛情が心に沁みるかもしれないです。 そういうのが刺さらない人もいるとは思いますが、孤独ではなくなるように感じます。 動物との暮らしがもたらす幸
人と関わることの喜びと恐れ—自分が自分の友になっていれは平気
人とのコミュニケーションは楽しく、つながりを持つことは喜びにつながります。 しかし、特に内向的な人にとっては、外向的であることが価値を持つ現代において、人の輪に溶け込みにくいと感じることが多いものです。 その結果、劣等感を抱え、人との関わりを恐れてしまうこともあります。 過去にいじめられたり、疎外されたりした経験があると、なおさら人との関係を避けるようになります。 のちに人と関わることの喜びに気づいたとき、再び人との交流を深めるべきか、それとも避け続けるべきかと悩むかもしれません。 答えは「深める」べきですよね。そして必要なのが、自分と友達になれているかということだと。 その
白猫ちゃんがかわいくてフォローさせていただきました こんなメッセージをもらいました(原文まま)。 うれしい。私の愛猫に興味を持ってくれたことだけでないのです。 私に話しかけてくれたことが、うれしい。 顏のキズを自分でひっかくのでカラー中 「人が苦手」と思っていても、それは程度の差に過ぎないのでしょう。 人との関係を楽しむ度合いが、いわゆる陽キャの人々ほどではないだけで、誰しも少なからず人とのつながりを求めているのだと思います。 もし本当に完全に人と関わりたくないなら、山奥で木こりになったり、仙人のように暮らしたりする選択肢もありますね。 しかしド内向人間でも、なかなかそうはしませ
コミュ症対策─自己否定をやめること、会話スキルを身に付けること
陽気な人にも会話が下手な人はいます。でも「コミュ障」だと感じてなさそうです。自分に問題があるとは思っていない様子…。 内向的な人は、会話に悩みやすい傾向がありますね。 でも「内向的だから」ではないです。自己否定と会話スキル不足が理由と考えられます。 会話が下手でも悩んでないというのは、そんな自分を否定していないからです。この点、内向的な人は、すぐに自分に問題があると思ってしまう。一番の原因は「自己否定」です。 コミュ症の原因「自己否定」と「会話スキル不足」 原因1: 否定への恐れが強く、自己否定に陥る 内向的な人の中には、自分の意見を表現することに対して強い不安を感じる人
「人に疲れる。苦痛ですらある。いつかは物書きにでもなりたいな…」 「でも会社員を止めて、僕は私は何ができるんだろう?その道もまた恐ろしい😓」 こんな思いの方もいると思います。 そこで、まずは今の環境で生き抜くスキルを身につける。うまく人と付き合うという力。 それが辛くて困っている。なので目を背けたいところかと思います。でもやりましょう。自分はこうだから、とか言わない。 内向的な性格でも、会社員として適応的な態度ができないということはないですよ。「いつかは」って感じで少しずつ。 おじいちゃん・おばあちゃんになるまでにはかかりません。 そしてなんとかサラリーマンしながら、自分に
「運がいいこともあれば、悪いこともある。それらは最終的にバランスが取れている」という考え方は、私たちの日常や平和な環境下では、励みになる考え方かもしれません。 この「幸運と不運はバランスをとりながら巡ってくる」という考え方は、戦争という極限の不条理に巻き込まれた人々にもそのまま当てはまるのでしょうか。 無理ですよね。問いかけておいてなんですが。 だけど、信じた方が幸せだよねっていう、よくある話です。 もし良かったら続きをお読みいただければ幸いです。 「運のバランス」論は気持ちいいけど 大谷翔平選手の例を挙げて、「成功と不運が交互にやってきている」と語る方のインタビュー記事
サラリーマンから個人事業主に転向して早一年。リアルな場での人脈づくりを大切にするという師匠の教えを守り、苦手な異業種交流会に参加しております。 最初は苦痛でしかなかったこの場も、今では少しずつ慣れ、知らない人ばかりの集まりにも、落ち着いて参加できるようになりました。 そんな中、今回は新春の特別な異業種交流会に参加することに。会場には200人近くの人が集まり、かなり大規模なイベントでした。 大きな会場 こんなに大勢の人がいる中で、以前ならば息苦しさを感じていたはずの自分が、今では普通にその場にいられることに、驚きを覚えました。 「俺も変わったもんだ」と、そんな感じです。 自己受容
自分の価値は外側からの評価に依存しない--本当の自己価値を見つける
私たちは誰しも、他者からの評価や承認にかなり影響を受けて生きています。称賛されれば嬉しいし、批判されれば心に刺ささります。 人は他者との関わりの中で自分の存在を確認する側面を持っているからです。 しかし、自分の価値を他者の評価に依存するのは生きにくいですよね。 評価は「鏡」に過ぎない 他者からの評価は、しばしば自分を映し出す「鏡」のようなものだと言われます。 確かに、他人の言葉や反応を通して、私たちは自分の行動や態度を見直すことができます。しかし、それは自分自身の本質を決定するものではありません。 他者の評価はその人の価値観や状況、感情によりますよね。絶対的なものではない。聞く
「何者かにならなければならない」 「成功しなければならない」 「年相応の社会的なステータスが必要」 「コミュニティを持たず孤立はみじめ」・・・ 現代はそんなプレッシャーにさらされています。 SNSは激しく煽ってきます。キラキラした人生を送る人たちが目に入り、「そうでない自分がいたたまれない」と焦ることもあるでしょう。 この「自己実現のプレッシャー」に悩むのは、近代特有の現象かもしれません。 最近面白いことを聞きました。縄文時代の人々はあまり争わず平和に暮らしていたのだと。 この時代はまだ争いが少なく分配は公平であった。また、争った痕跡のある人骨が少ないんだとか。武器は狩猟に用い
自分の好きなことは何でしょう? より幸せになるために(=^・^=)
「自分が好きなことは何か?」 この問いにすぐ答えられない方もいらっしゃるかと思います。 日々の忙しさに追われ、自分の本当に好きなことが見つかっていない人も多いかもしれません。 私の場合、50近くにもなって猫と暮らすことで自分が変わりました。そこではっきり気づくことになりました。強い「好き」を持つことは自分を幸福にすると。 好きなことを明確にし、それに時間やお金を使うことは、あなたが自分を肯定することにつながり、周りの人は、あなたを幸せな人と感じるようにもなるのだと考えるようになりました。 好きなことに夢中になると、自分が素敵に思えてくる ゲームでも、読書でも、スポーツでも
と書いたものの、実のところは自己肯定感と他者からの承認の、どちらも大切だと考えます。両方同時に欲しいですね。 自己肯定感は内面から自分を認める力であり、他者承認は外部からの温かいフィードバック。両方を求めるのがマスト。 この二つがどのように連携し合うかを探りながら、承認欲求を得るための、最も簡単な方法「笑顔」について考えたいと思います。 自己肯定感の役割 自己肯定感とは自分自身の価値を認識し、ありのままの自分を受け入れる心の状態です。自分は自分でいいと、無意識に思えていること。 これは日々の小さな成功体験を意識することや、マインドフルネスを実践することで、内面からの自己肯
内向的な方は、どこか人生に絶望しながら生きているかもしれません。しかし、それは単にそのように捉えがちな性格特性から来るものです。 客観的な検討がなされた上での、あなたという人間についての評価ではありません。単に自分の脳がそう考えているだけです。 仕方がない そういうふうに作られている――私はそう思っています。だからこそ、絶望を結論として導き出したとしても、それは自分がそう思っただけで、確証は何一つありません。 実際には、それは正しいとは限らず、むしろ間違っている可能性のほうが高いのではないかと。なぜなら、内向的な特性を持つ人は、どうしてもマイナス方向に偏りがちだからです。
内向的な人でも好かれる会話術~あまり話さず相手の心に印象を残す~
「人と話すのが苦手」「会話が続かない」と悩む内向的な人は、陽キャさんとは異なる形で、相手に好印象を与える力を持っています。マシンガントークとは真逆の、口下手さんの話し方だから可能な表現方法があると思います。 「短い言葉」で印象に残る返し方 一言の重みを最大化するコツ 口数が少ないからこそ、一言の質を高めることがポイントになります。具体的なテクニックとして: 数字を使う:「素晴らしい」→「90点の出来ですね」 比喩を取り入れる:「上手ですね」→「プロのナレーターみたいです」 質問形式で返す:「どうやって勉強したんですか?」 二宮和也さんは、バラエティ番組で
内向的な人々は、深ーい思考力を備えていることが多いです。それが時に(いつもかも?)災いして、考え方がマイナスに偏りがちになることがあります。この傾向を改善し、より公平な思考パターンへ矯正するのに認知行動療法のコラム法が使えそうです。セルフでいけます。 内向的な人の思考の特徴 1.過度の自己分析 2.ネガティブな出来事への固執 3.社会的状況に対する不安 4.完璧主義的傾向 自分で書いてて、痛い感じですね (-_-;) これらの特徴は、時としてマイナス思考を助長し、ヘタをすると脳に変化を起こしてうつ状態になったりします(私の場合)。 うつは病気なので、SSRIとか飲んだりす
会話が苦手な方は、会話自体にマイナスのイメージがあると思います。コミュニケーションの背後にはどのような感情があるのでしょうか? そして、それにどのように向き合うことができるのでしょうか?今回の記事では、内向型の人が会話を苦手とする際に感じる具体的な感情を、私が感じてきた範囲でピックアップしてみようと思います。 不安と恐れ:話す前に生まれる感情 内向型の人が会話を苦手とする最大の要因は、「不安」と「恐れ」ではないでしょうか。これは、さまざまな形があると感じます。 失敗への恐れ 「変なことを言ってしまったらどうしよう」、「相手にうまく伝わらなかったらどうしよう」 このような思
今は外向的な特性が社会の価値として認められている 私たちの社会では、外向型の性格が賞賛されることが多くあります。社交的でエネルギッシュな人は、ビジネスや日常生活において「積極的である」と評価されることが多いため、自然と肯定的なイメージを持たれがちです。 一方、内向型の人々は、落ち着きや静けさを好み、目立つことを得意としないため、その価値が十分に認識されないこともあります。しかし、内向型の特性にも独自の強みがあり、人類にとって不可欠な存在であることをもっと意識する必要があるのではないでしょうか? 内向型が正当に評価されるのは難しい? 正直なところ、内向型への世間の意識を、外
「内向的な性格だから人と話すのが苦手」と思っている方、いますか? 私はそう感じていました。性格的に難しいのだと。とくに同級生や同期や女性なんかは特に苦手でした。 でも、長い時間をへて経験を重ねる中で、自分にとって致命的ではなくなりました。人に苦手意識があっても、コミュニケーションは取れるように成長していきました。 今回は、内向的な性格の人が抱える「会話の壁」を解きほぐしながら、現代社会における内向的な人の話し方・生き方について考えてみたいと思います。 内向的な性格の人が会話を苦手とする理由 内向的な性格の人が会話を苦手とする理由は、大体以下のようなものでしょうか。
私たち内向型の人間は、自分自身と向き合う時間がとっても大事。安心感に満ちた平穏なひと時ですよね。 対して、他人と長時間一緒にいる時間はエネルギーを消耗しがち。人といる楽しさもあることはある。しかし削られる。学生時代は教室での時間がとても長い。これがつらい。逃げ場がない。社会人でもリーマンなら、ほぼ同じです。 しかし、だからといって、孤高に生きることを求めてはならない。そこには危うさを感じます。人は孤独に生きられるようにはできていないらしい。さらに私たちが本来持つ力を発揮する機会を奪うことにもなります。 人から逃げて、一生を消化試合のように過ごしてはならないと思います。たとえ安心感
新年最初の投稿です。ちょっとした新目標を立てたいと思って書きます。 内向的に見えても「あなたは内向的ですね」とは、言われたくないんじゃないか。そういうご意見をいただきました(リアルの起業志望のお仲間さんからです)。 みなさんはどうでしょうか。 私は「そういえばそうだよね」ぐらいには思いましたが、特に意識したことはありませんでした。 でも、その場の何人かから言われました。少数意見ではなかったです。昨年の12月のことです。 そして偶然にも、それを強く意識さられる場面に出くわすことになりました。 カテゴリー名が痛い 「にほんブログ村」に登録したんです。このブログを。 にほんブロ
ブログというものを始めて一年経とうとしています。 2024年の元旦から投稿を始めました。この投稿を含めると41件の記事をアップしました。 なんで自分はこういうことを書いているのか。 私のしていることは何か。 ブログを書いてきて、割とまとまって来ております。 書くことで自分を私が成長させたようです。 いまの私は、私がこれからしようとしていることは、最初から予定されていたように思っています。そして今までのありようもまた、予定通りであったのだと。 人に馴染めず、とても長い間悩んできました。いつもいつも苦しかったです。なんであんなに辛かったのか。いま思うと不思議なくらい自分に自信がありま
学生時代のクラス編成は、その組の個々人に役割(受け持つ仕事)がなくて、ただ集められただけになります。こんな中で口下手な人が仲間と一緒に過ごすのは、なかなか難儀かと思います。 おしゃべりが得意で、ユーモアや軽快な会話術で仲間との関係を築く人は、あまり苦も無く歓談ができて仲間といることを楽しめたり、上手にその場を過ごせるのだろうと思います。 さて会話コミュニケーションの不得意な人はどうするか。 相手の話をよく聞き、リアクションしたり、深掘りして、相手にしゃべってもらう、というのが基本戦略になると思っています。 ですが、それだけでは繰り返される日常を乗り切れないこともあるでしょう。今の
「人からどう見られているんだろう?」「あの人は私をどう思っているのか?」そんな不安やプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間、誰でも経験があると思います。 私は人の目を気にして自分の行動を抑制していました。でも、ある一つの考え方を取り入れることで、少しずつその重たい自意識を軽くすることができたんです。 自分から「他人の役に立つ」へシフトする 自意識に囚われているとき、私たちは大抵「自分の評価」や「自分がどう見られているか」という自分中心の視点に陥っています。 これを乗り越えるために有効だったのが、「自分ではなく、相手に目を向ける」こと。具体的には、「相手の役に立つ」ことを行動の
こんにちは。 増穂は若い頃、大変な口下手人間でした。その話し方は抑揚に欠けた平平坦坦とした感じでした。 今はどうかと言いますと、ハキハキと喋れますし、人と話すときのクセになっています。 ボイトレとか色々取り組み方はあるのだと思いますが、自身の経験から効き目のあった方法を一つご紹介しようと思います。 自分の感情を乗せて話す 相手の話や自分が語る内容に生じる感情を言葉に乗せる。これです! 昔は「声が少し小さいね」と指摘されてました。中学生のとき「お前と話ししててもつまらない」、大学生のとき「お前の話にはイライラさせられる」と言われました。ひどくないてすか。そんなこと人に言うな
私たちの社会には、内向型の人と外向型の人がほぼ半々の割合で存在しているそうです。不思議に思うんです。なぜ、こんなにも違う性質を持つ人々が共存しているのでしょうか?それも半々の割合で。 私は昔、内向型の自分を責め立てていました。「どうしてもっと積極的に人と関われないのだろう」と悩む日々。このままでは社会人になれない、会社でみんなと付き合っていけない、素の自分ではこの会社でうまくやっていけない・・・ そんな自分はダメではない。これでいいんだ・・・ この考え方を身に付けるに至り、自然な自分でいられるようにはなりました。 別に内向的な人だから弾かれるなんてことはない。人は人を「ああい
「うらやましい」と思うこと。私はこの感情を抱くこと自体がいけないことのように思っていました。 なので、ままであることのメリットを探すだとか、「足るを知る」だとか、すぐにそんなことを考えてました。良くないことで、心のバランスを取らないと、なんていうつもりで。 なんか最近「うらやましい」が美しい感情のように思えるんです。心の純粋な声のような。 この感情そのものを否定するのではなく、むしろ大切に扱うべきかと。 うらやましい気持ちの本質 「うらやましい」と感じるとき、それは「こうなりたい」「こうであったらいいな」という自分の希望や憧れを映し出しています。 この感情を否定すると
こんにちは。増穂です。 みんなと話さなければならない… なんでしょう。この負担感。 ほとんどの場面で会話がイヤです(きっぱり)。 イベントのZoomウェビナー配信のお手伝いで、都心の会場に来ました。見知った方々が多く、それだけ挨拶や雑談の数が多いことになります。 この予定から来ていた圧。重苦しい( ;´Д`) 知り合いから逃げるのは非常に悪印象。明るく挨拶しまくります。そつない会話をいくつも交わし、イベントが始って一段落。 ふう。 内気とか内向的であるとか、人との会話に苦手意識を持っている方は、学校や職場で肩身が狭い思いをしているものと思います。 極端ですが会話は「必要悪」と考
私は長年、人の目を気にして生きてきました(今もちょっとだけ…)。 内向的な性格のせいで、周りの意見に流されやすく、自分の本当の気持ちを押し殺してきた時期もありました。 でも今は、自分の感覚を信じて生きることの大切さに確信があります。 自分を裏切る生き方の苦悩 歴史上の人物に、自分の本心に従わなかった結果、後悔の日々を送った例があります。 ゴッホは若い頃、周囲の期待に応えようと牧師の道を選びましたが、その選択は彼を深い苦悩に陥れたようです。 スティーブ・ジョブズは、両親の期待に応えて大学に入りましたが、自分のやりたいことが見つからず苦悩する日々だったそうです。 ゴッホは、自分の
こんにちは。ますほです。 まだ肺炎になるような歳でもないんですが、罹ってしまいまして。 ブログ下書きも底をついて滞っていたブログ更新、また頑張ろうかと思います。 私は、人と話すことが大好きな人と、会話に疲れを感じる人の違いに感じ入ることがあります。皆さんも、人が会話に対して全く異なる態度を持つのを見てきたと思います。おしゃべりが大好きで、大いに楽しむ人もいれば、避け気味の人もいる。 先日、おしゃべりでクタクタになりまして。強烈に疲れてしまい、コッソリひと寝入りしてから帰る始末。おしゃべりの主は、「定時で帰らなきゃ」と言いながらも、もうおしゃべりが止まらない… この違いはなんなので
内向的な性格の人は、なぜ自分に原因があると即座に思ってしまうのか?
内向的なタイプの人は問題が起きたとき、「自分が間違ったのかもしれない」「自分が原因を作ったのかもしれない」という思いが頭をよぎることが多いかと思います。 『ちょっとまずいよこれ!』 Σ(゚Д゚;)アラマッ おオレか??? こんなとき、私は反射的な速さで自分に目が向きます。おかしく思うほどに。 それゆえ態度も自信なく、弱々しくなりがちでした。今現在でもそういう傾向があり、自分のクセとして気を付けるようにしています。 なぜ自分に原因を求めるのか 内向的な人は深い思考力や洞察力を持っていますが、同時に自己反省や内省的な思考も強い傾向があります。この「内省的」というのが、そうさせる
今日は懇親会です。 朝から暗い気分でした。 辛い… 何がイヤなのか、何が怖いのか、つらつらとノートに書き出してみます。 つまらない人と思われたくないから、喋らないといけない。 誘われたのは何か思惑があるのかもしれない。何か面倒なことがあるかも。 知らない人ばかり。明るく外交的な人が多いんだろうな。ポツンは嫌だな。 集まりの趣旨も会合名どおりとも限らない。雰囲気が分からないから怖い。 リフレーミングや思い込みの再考察で、心に渦巻く闇にメスを入れます。 自分の妄想やマイナス思考でバイアスが掛かってますので、ノートに書くことで、自分から切り出してみるのが有効
内気さんにも心の内に猛る情熱ある。それを見つけるのはいかが?
みなさんこんにちは。 「自分は何が好きなんだろう?」 「本当にやりたいことって何だろう?」 こんなことに悩みましょう! 私はあまり考えてきませんでした。まわりのサラリーマンたちは、与えられた自分の仕事に一生懸命でした。その方々休日の過ごし方は、仕事のための休養といった感じで、刺激は受けませんでした。 でも、自分の情熱を見つけることは、幸せに生きるための重要なカギなんだと考えます。 私は読書はしていましたが、なんでしょうか、なんか突き動かされることもなく、50代にもなってからyoutube動画でカミナリに打たれました。 (ノ゚ο゚)ノ オオォォォ- 自分の持つ情熱 福沢諭
ビル・ゲイツ氏が、内向的な性格の持ち主だということをご存知でしょうか? あのマイクロソフトを創業し、世界を変えた人物が内向型なのです。 驚きですよね。私も最初に知ったときは「えっ、あのビル・ゲイツが?」と目を丸くしてしまいました😮。 私は前々職がSEでした。そのせいもあってかビル・ゲイツさんに、なんとなく親しみを感じてましたが、内向型であることを公言しているのは知りませんでした。 記事によると、2013年のLinkedInのインタビューで、ゲイツさんは「私は内向的だ」と認めつつ、それが自分にとっての強みであり、成功の要因の一つだったと語ったとか。 ゲイツさんの戦略 ゲイツさ
こんにちは。増穂(ますほ)です。またまた内向型のお困りごとについて。 私たち内向的性格の方々の悩み「人と会うのが苦手」について、多少なりとも苦痛を緩和できる手立てがあります。 期待のリフレーミングで負担を軽くしよう 人と会うことに、大なり小なり苦痛を感じてきました。今も、月1回と決めている異業種交流会への参加に抵抗を感じている自分がいます。 でも、ある方法を知ってから、その負担が軽くすることができてます。その方法とは 「期待のリフレーミング」 。「リフレーミング」という手法で考え方を少し変えてみるということです。 「リフレーミング」は物事自体の見方や解釈を変えるための思考法だ
人見知りで口下手な方々にとって、他者とのコミュニケーションはじつに苦労しますよね ε=(・д・`*)ハァ… これを少々のテクニックで緩和できることを実感してます。観察してみると、多くの人が無意識にやっていることでもあります。 めずらしくもなく、些細なことですが、効果的なアプローチありますよ。 笑顔の貫通力 笑顔は、人間関係における最も強力な開放の自己表現です。これを向けられると、懐にスっと入り込まれます。驚くほど華麗に入り込んでくるんです。 少なくとも私はイチコロです。 笑顔は、相手に温かさと親しみやすさを感じさせ、心理的な壁を一発で取り除きますね。特に初対面の知らない
みなさま、内向的な性格ゆえ悩みを抱えてしまうことはありませんか? 私たちが小学校で習った5W1Hで、心をずっと軽やかに保つことができるんです。 変な話かもしれませんね。どうぞ読み進めてください。 5W1Hが効果的? 5W1H、つまり「Who(誰が)」「What(何を)」「When(いつ)」「Where(どこで)」「Why(なぜ)」「How(どのように)」は、物事を整理する強力なツールです。内向的な私たちは、しばしば頭の中で考えをぐるぐる回してしまいがち。でも、この5W1Hを使えば、モヤモヤした思考をすっきりと整理できるんです。 まるで、頭の中の雑然とした部屋を、きれいに片付け
6月に県をまたいで引っ越しました。 んー。馴染めないな。 生活の仕方の変化(歯みがきの場所、ふろのはいりかた、物のしまい方,etc.) 町、道、交通状況。 人々の醸す雰囲気。 同じ関東圏。ぜんぜん大した距離ではない。 外国に来たわけでもないのに。 自分が情けない…😅 引っ越しは、私たちの人生に大きな変化をもたらす出来事ですね。新しい場所で生活を始めることは、わくわくする反面、不安や戸惑いを感じることもあります。 でも、3ヶ月たち、やっぱり大丈夫だと今回も思いました。境の変化に伴うストレスと、慣れちゃうんだなという実感について、お話ししたいと思います。 環境変化のストレス、
私には野球選手のイチローさんの言葉がしっくりきます。心が軽くなります。 イチローさんは「ウェルスダイナミクス」というプロファイリングでいうところの「アキュムレーター」らしいのです。私もそうなんです。これは内向的タイプに含まれます。 イチローさんの言葉を通し、自分自身も含めて心に気持ちの向かう方々を、励ましたいと考えました。 内向的な性格の可能性に着目せよ 内向的な性格は、なかなか悩ましいものである反面、いいとこもあるものです。 深い思考力や洞察力を持っていることが多いのですよね。 イチローさんは、こんなことをおっしゃってる。 『憧れを持ちすぎて、自分の可能性を潰してしまう人は
人見知りで人前で話すのが苦手な方々に向けて、こんなところから始めてはどうかと思う小さな一手を考えてみました。 私は今でも人と話すのが苦手です。しかしやりようはありました。十分とは言えませんが、多少は良い形の会話ができているんじゃないかと思っています。 経験から、皆さんにもきっと役立つヒントがあるのではないかと思います。 小さな変化がのちのち大きな違いを生む 人間関係を良くするのに、自分自身を少しだけ変えることから始まります。大きく現状を変えるのは無理。ですが、ほんの少しの工夫で、だんだんと関係は変わっていきます。周囲にとっての良い変化は喜ばれますから。 小さな変化が自分
「内向的な性格を持つ人々が自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的です」って、そうなんでしょうけど、他にないのでしょうか。 自己理解を深める、自己表現の場を見つける、自己評価を見直す、などありますが、こういうのはどうでしょうか。 「自分は今のままで全OK」 自分を正しく見る 私たちの思考には、知らず知らずのうちにクセやバイアスが忍び込んでいます。これらの影響を受けて、論理的とは言えないものになっていると思います。 例えば、「自分は人前で上手く話せない」と思い込んでいる人がいるとします。しかし、実際には周りの人は彼の話し方を気にも留めていないかもし
陰キャに悩んでいるなら、内向性が持つ強みをを生かせ。かのスーザンケインさんはそんなことをおっしゃる。でもどんなところで発揮できるんだうろう? リーマン前提でのものですが、すこし具体的にしてみました。 いかかでしょうか( ^ω^)・・・ 内向的な人の強みを活かす職場での機会あれこれ 【外向型にはなく内向型にある力】 深い思考力、旺盛な観察力、高い集中力、豊かな創造性、といったところで場面を考えます。 1. 戦略立案での深い思考力の活用 内向的な人の深い思考力で、会議での検討事項を深堀します。 具体的な行動: 会議前に時間を取って自分なりの解決策を考える。 誰か
雑談は人間関係の潤滑油であり、みなさんその恩恵に預かっています。 しかし、口下手さんにとっては少々苦手な分野かと思います。 最近の学校では、その訓練になるような授業や取り組みも、少しは増えているんだと思いますけどね。私の頃なんかはありませんでしたよ。ただ黒板を見て、ノートに書いて、話を聞くだけ。 まあ、それでも30歳になるころにはなんとかね。あまり話さずに相手の話を引き出す方法、楽しげなリアクションの仕方、そして雑談を楽しむ姿勢など、それなりにできるようにはなっていました。 聞き上手になること 聞き飽きたこのフレーズ。でもやはりこれ、床屋さんで(たぶん美容院さんも)これを実
外向型偏重の価値観から抜け出すだけでなく、変えていきましょう
明るく社交的な性格が「良い」とされ、たくさんの友達と楽しく過ごすことが「幸せ」の象徴のようにキラキラして見えた時代から、少しずつ緩んできて、そうでもなくなってきていますね。「お1人様」とかって言葉もよく耳にします。 江戸時代の日本では、この辺が今とはだいぶ違ったようです。当時は儒教の影響を強く受けており、慎み深さや静かに過ごすことが美徳とされていました。騒がしく自己主張の強い人は、むしろ好ましくないとされていたのです。お祭りとかは良いガス抜きだったのかもしれませんね。 また現代でも、北欧の国々には内向的な文化が根付いている国があるそうです。特にフィンランドでは、静かさや個人の空
皆さん、こんにちは。今日は少し控えめに、でも温かい気持ちを込めて、車の運転中によく遭遇する「あおり運転」について考えてみたいと思います。 あおり運転、なぜ嫌な気分になるの? 運転中、後ろの車にあおられると、多くの方が嫌な気分になるのではないでしょうか。その理由はいくつか考えられます。 まず、安全への不安が挙げられます。あおられることで、事故の危険性が高まると感じるのは当然のことです。また、急かされているような感覚も不快感を生みます。 しかし、最も心に響くのは、「批判されている」という感覚かもしれません。「もっと速く走れ」「邪魔だ」といった無言のメッセージを受け取っているよう
私たちは日々、様々な人々と関わりながら生きています。時に喜びを分かち合い、時に悲しみに寄り添い、そして時に意見の相違に直面することもあります。そんな中で、人と人とがうまくいくためにはやはり「共感する力」が必要なんだろうと思ったりしてます。 Webであるコメントを目にする機会がありました。「ペットは殺処分しても構わないと思う」と。あけすけにひどいことを書いているので、これは一石を投じるというような意図があっての投稿かと感じました。悪意あってのものではないようにも思ったのですが、さて、殺処分してはいけない理由ってなんなのでしょうか。 私はにゃんと暮らしていて、チューチューちゅぱちゅ
こんにちは。内向人間の増穂です。人混みを見ると逃げ出したくなる、そんな僕が、なぜか人とのつながりに幸せを感じるという、ちょっとした人生の謎解きに挑戦中です。さて、この矛盾した感覚はなんなのでしょうか? 同じ悩みを抱える内向的仲間たちも同じような不思議な感覚があるものなんでしょうか? 内向的な私と社会的つながり:満足感と憂鬱の複雑な関係 サラリーマンの頃、人間関係は実に煩わしく鬱陶しいものでした。しかし、今はというと「心地よさ」を感じている自分がいます。退職後、混乱している元職場をサポートする意味でバイトで入っていますが、その軽い責任と浅いつながり方だと、あら不思議、人とつながるこ
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