始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。
よかれと思って始めたことも、時が経つと悪しき慣例となる可能性があるという意味らしい。 背景としては、ローマである陰謀事件が起こった際、元老院たちは容疑者の処刑を主張したのに対し、カエサルは証拠もなく罰するべきではないと言い、ここで疑わしきを罰する先例を作ってしまうと、後の世もそうなりかねないということで上記の言葉となった。 感情的になっている人を諭すにはこの上ない説得力のある言葉である。
2024/06/30 10:47