時おり温もりを求めてしまう,温もりを分かち合いたいと思う。そんな気持ちになるときは、いつも決まって躰の奥より何かつきあげるものがあることに気づく。それは若い頃の激しい疼きでなないけれど、じわじわと溢れ出るものである。こんな気持ちになるのは私だけだろうかと、ふと周りを見回してしまうが、そんな気配はどこにも漂ってはいない。皆んなそん情動を隠しながら平然と日々を過ごしているのだろう、と納得したりしている。愛の百態ーその78
Sは脳の血流を高め、心肺機能をたかめ、記憶力をたかめ、認知機能をたかめます。さらに親密な社会関係をつくることになります。 老齢・熟年カップルの夜の世界のつぶやき
時おり温もりを求めてしまう,温もりを分かち合いたいと思う。そんな気持ちになるときは、いつも決まって躰の奥より何かつきあげるものがあることに気づく。それは若い頃の激しい疼きでなないけれど、じわじわと溢れ出るものである。こんな気持ちになるのは私だけだろうかと、ふと周りを見回してしまうが、そんな気配はどこにも漂ってはいない。皆んなそん情動を隠しながら平然と日々を過ごしているのだろう、と納得したりしている。愛の百態ーその78
係わりを持ってから・・・その結果の告白心が喜べば躰も喜ぶと言いますが、それは確かです。躰だけの関係がいかに虚しいものかは、実際に、そうした関係を体験して見れば明らかです。脳を刺激する快感は、心が伴っていないと本当の意味での快感にはならないものなのです。性的に溺れるということは精神的に溺れるということです。相手が好きになってSするうちに肉体的にも深まってゆく。肉体が変わる前段階には当然精神愛があるわけですし、だからこそ、そういうとてつもない快楽を感じられることになるのです。愛の百態ーその77
係わりを持ってから・・・その結果の告白脳みそがとろけるような愛撫というものを紹介しよう。まずキスはSへの挨拶。「ぷ」の唇で。乳房はまず、ゆっくりと乳房の全体を撫でて、次に乳首の周囲、つまり乳輪を撫でる。そして、最後に乳首に触れる。舌で舐める。やがて、胸が張り、火照る。下腹がじんわりと熱くなる。羽毛のように触れてゆく指は、やがて股間へ手を滑らせ陰部へ。指が膣の周囲を撫でてゆく。膣の快感はやがてより深く濃厚なクリトリスの快感へと昇華してゆく。震えが体の芯から水の波紋のように広がり始めた。花芯が濡れるに従って躰が痺れてゆく。めくるめく快楽の波が身体中を駆け巡る。愛の百態ーその76
係わりを持ってから・・・その結果の告白人は秘密を胸にしまい続けることが意外と苦手だ。思わず口か出てしまいそうなあの人の名前。親しい友だちにさえも、その名を隠しているから誰も知ることがない。それだけにかえって、言いたい気持ちが溢れ出て、顔にあらわれ出ることがある。そんな時、はっとして口をつぐむことがある。それがなんとももどかしい。いっそ一気に吐き出したい。愛の百態ーその75
係わりを持ってから・・・その結果の告白躰が求めている。忘れていた感覚が戻ってくる。私はまだ女であることを自覚する。夜の温もりが忘れられない。女として求められることを欲している。異性に対する関心はた命への讃歌でもある。それは神聖な生命の輝きである。いっぺんだけしか生きられないのに、こんなことでいいのか、心のそこから沸き起こる欲求である。愛の百態ーその74
係わりを持ってから・・・その結果の告白乳房は、今も娘のときに似た膨らみを持ち、弾力を失いつくしていない。燃え尽きることのできなかった生命の断片がしこりとなってその内側から抗うものを盛り上げてくる。空しく花を萎ませてゆく、女の一つのいのち。それが時折疼くように揺れ動く。その脆さの中にわたしは浸っている。表面にはあらわれ出ていないけれど、胸の奥に仕舞い込んでいる一つの熱い思い。それはいつ燃え立つとも知れず、火種となっていつまでもあり続けている。愛の百態ーその73
係わりを持ってから・・・その結果の告白さくら咲く雨の夜の外出から帰って、家の中に入ると、二人はすぐに濡れた唇を重ねた。互いの肩と背にしっかりと腕を回して、固く、抱きしめ合う。これから起こることを想像すると胸の昂まりを抑えることができなかった。体の奥がとろけるような、危ないきらめきが矢のように躰を射した。こん興奮はどこから溢れ出てくるのだろうか。男と女とが同じ方向に傾いた心を持つ時、二人は強く結びつく。それは昂まったいのちのふれあいなのだ。愛の百態ーその72
係わりを持ってから・・・その結果の告白・心も躰もせきとめることができなくなり、彼に身をまかせましたこれ以上つづけていてはいけないと思いつつ、もう我慢ができないという気持ちが溢れ出ました。感情を抑えることができなかったのです。・感情に流されてしまいそうでした。わたしの躰をを預けた状態で、気だるい幸せを感じました。自分の気持ちにいつわりがないようにしたいと思いました。こんな年齢でも恋をするし、愛をたしかめたいと思うものです。愛の百態ーその71
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その26真剣な出会いを求めています。今は家で趣味も兼ねたお仕事をしています。お相手の外見や年齢に全くこだわりません。素敵に年を重ねた方に魅力を感じます。結婚は必ずしも望んでおりません。その26還暦を過ぎ、ゆっくり楽しい時間を一緒に過ごせるパートナーがいたらいいなと思っています。歳をとっても手を繋いで歩くようなパートナーが見つかったらいいなーと思っています。結婚を急いでいない方希望です。その27優しく包容力のある方希望です。これからの人生を楽しくお互い尊重し合える方だといいですね。また、お互いの趣味嗜好を理解してくださる方と楽しく過ごせればと思っています。愛の百態ーその70
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その23若い頃から結婚願望は薄く自由を謳歌してまいりました。が、年齢とともにこのまま一人で過ごしていけるのかと不安になりました。パートナーになって下さる方にはありったけの愛を注ぎたいと思います。相手の喜びが自分の喜びになるーそのようになれる方と出逢えたらハッピーhaです。その24お互いの時間も大切にしながら二人の時を楽しみたいです。将来に繋がる出逢い…探してます。とは言え、互いに寄り添うって難しいですね。歯車が少し狂うと気持ちがすれ違ってしまう。長年違った環境で生きてきたのだから当然なんでしょうね。価値観、考え方が違ってもお互いを尊重し、解り合える関係ができたらいいなと思っています。その25体の関係だけでいい。この...愛の百態ーその69
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その20二人がいたわり合い、心から笑いながら生きてゆく、そんなことを夢想して登録いたしました。簡単ではありませんが、そんな人がいるはずだと信じています。その21私が求めているのは、とも白髪でお互いをいたわりあう仲ではなく、逢うたびに新鮮な気持ちで愛し、身体を重ね合う関係です。突飛と思われるかも知れませんが、それが真実の気持ちです。まだ私は女です。その22日常的な現実を一切拒止して人工的な夢幻の境地に逃避する、そんな境地に至るような出会いを求めています。これは果てしない夢なのでしょうか。愛の百態ーその68
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その17肌の温もりを感じあいながら愛し合いたいと思っています。愛の交流を通して心のつながりを深めたいと願っています。躰を合わせて、互いの愛おしさを感じたいと思っています。その18人生を重ねることで味わい深い喜びをを得たいと願っています。こんな歳ですが、まだまだ楽しみたい。いまの瞬間を、心踊る時間を楽しみたい。その19恋人としてでなくとも、直接逢って触れるだけで私に何かが蘇るものがあるかも知れない。肌が合うと言う言葉通り、触れているだけで和み、飽きることがない、そんな関係が作れればいいなと思っています。愛の百態ーその67
その14心から安らげる、寄り添っていける方を探しています。一緒に笑ったり、泣いたり、考えたり、喜んだり、日々の喜怒哀楽を共にしたいと思っています。そして楽しんでいけたら嬉しいです。その15一緒にいるだけでお互いに居心地が良く自然体でいられる。共にいるだけで自然と笑顔になれるそんなフィーリングの合う方に出逢えたらいいかなと思っています。その16今も現役で働いています。仕事は好きなので毎日楽しいです。でも、仕事から離れている時、ふと寂しく感じることがあります。そんな時、まだ女でいたいと思ったりします。女は灰になるまで女。そんな言葉を信じます。愛の百態ーその66
瑞江は、3年前に働き者の夫を亡くした。無口だが頼りがいのある優しい男だった。流産して子供の産めない身体になっても、夫の晴夫は瑞江を常にいたわるように扱ってくれた。瑞江は間もなく50になろうとしていた。ある日、パートの職場から帰る途上で、路上にうずくまる若者を見つけた。あたりに薄闇が広がる路地にうずくまっている人影にはじめはぎょっとした。介抱してやると男は、名を矢島といい25歳のコンビニに勤めていたという。聞けば、この近くに住む友人を訪ねるところだったという。すると急に持病の神経痛がぶり返してうずくまっていたのだという。瑞江は気の毒に思い、その若者を家に連れて帰り、夕食を食べさせてやろうとした。簡単な夕食を用意して食べさせると見苦しいほどがつがつ食べたが、汚れた衣服に似合わず、きっちり両膝を揃えて座り、言葉...勘違い
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えてくる。その例10わたしはSではありませんが、変わった趣向の方に興味をもちました。日常を離れて非日常を楽しむことを夢に描いています。ときめきを全開できるのもそんな時でしょう。早い時期にお会いできればと願っています。その例11健康が資本なので、体調が悪いと深刻に落ち込むことはあります。そんな時に、励ましてくださる心のパートナーがいてほしい。ときめきのある楽しい後半生を過ごしませんか。その例12退屈な日常を抜け出して、何か新しい刺激を求めたいと思います。人生を楽しみましょう。お互い語り合うだけでも新境地が開きますよ。その例13初めまして。忙しい毎日でも一言のメールで元気になったり、お互いの事を思い巡らせたり、そんな温かい関係が...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例7楽しい人生をつくりませんか。スローライフで心豊かな過ごし方ができればと思います。非日常を求めて、ときめきのある楽しいひとときを探そうではありませんか。散策、食べ歩き、温泉といろいろありますね。その例8定期的に逢って二人で楽しいひとときをすごすのが夢です。老いらくの恋が育まれていく過程で素敵な物語が生まれればいいですね。初恋のドキドキ感はいつまでも忘れられないものですね。純粋なものであれば。ある程良い想い出になりますからね。その例9夢を食べて生きてる私です。多分。生涯そんな気持ちで居られたら幸せと思います。贅沢な夢ではなく。地味でいて心がホワッとするものを望んでいますついでながら、歳はとっていても夜の方ですが...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例1お互いに癒しあえる関係って素敵ですよね!いろいろ愚痴や悩み事を聞いて貰えたり欲求に素直になれる人が良いなと思ってます。恋人みたく大人の関係出来る人が希望です。その例2お互いに実りのある出会いになれるような人と出会いたいと思って始めました。まずはメールで話しながらいいいい関係になれたと思います。その例3初めまして。あなたのテクニックに溺れて見たいと、メールしました。胸ときめくひとときに浸れたらいいですね。ぜひとも夢を実現したいですね。愛の百態ーその63
手当という言葉がある。ふつう、医療における対応策をいうが、これは男女の関係を深める意味でも効果がある。手当は触れることである。ボディタッチを通して互いの信頼感を高めるためにも不可欠である。それは優しく柔らかく、手、手首、腕、膝、腰、うなじ、などが対象になる。ボディタッチとともに、気配りの言葉を添えて。それを通して心のつながりが深まるのである。愛の百態ーその62
愛を深めるための肌の接触について。肌と肌をピッタリと密着させて、文字通り一体感になる。その究極は、ぺ○スがゆっくりと優しく挿入される時だ。その時の至福感は例えようも無い。そんな状態でしばらくじっとしているとジワリとこみ上げるものがある。激しいピストン運動は必要ない。ペ○スが女性の体内に包み込まれているうち、感情が抑えられないほどに昂まり、やがて頂点に達する。そしてその時、その感情を一気に放出する。放出すると先ほどまでの情熱は急に萎えてゆく。これは男も女も同じだ。とはいえ、女にとってぺ○スの挿入はS行為の究極なものではない。愛の百態ーその61
君に会った。君のことが忘れられない。君のことが胸にも頭にもいっぱいになって、もう他のことは何も考えられなくなってしまう。理窟もなければ理性もない。などと言い寄られた場合、女性は間違いなく引くだろう。何かそこに暑苦しい圧を感じてしまうからだ。この感情の行きちがいをどう折り合わすかに悩んでしまう。愛の百態ーその60
まずは外陰を指でゆっくりとソフトに動かす。やがて膣内がねっとりと濡れ始める。この濡れは、膣の入口にあるバルトリン腺から出るものです。色は透明でネバネバしていて、糸を引きます。女性が感じるとこれが先に出ます。やがて躰がピクピクと動くようになります。次に、膣に指を入れ、クリトリスをこれも優しく愛撫します。快感曲線は最初の段階では徐々に上昇し、快感が理性の域を超えるまでになります。その後、平坦に高止まりし、しばらくするとまた急上昇します。やがて、快感は極限に達し、オーガスムをむかえます。愛の百態ーその59
・メールのやり取りの中で、こちらの気持ちを伝えてもそれに応えるような気持ちの表明がない。何かを抑制しているのか、それを避けているのか分からないが、内心を晒そうとはしない。そう言えば、実際逢って話をしていても、興が昂まって破顔するようなことがない。嬉しいのか、詰まらないのか、「ありがとう」という好悪の気持ちは表明するが感情表現でそれを表さない。それが不審なのである。これではこちらの感情が高揚するはずもなく、時間とともに気分が萎えてしまう。所詮、二人の関係はそんな程度だったのだろうと思ってみたりする。・今にして思うと、出逢いのきっかけにボタンの掛け違いがあったような気がする。宴席で声をかけられたことに痛く感じ入って、舞い上がってしまったのだ。何と愚かなことと思うが、これが寂しさからくる勘違いなのだ。相手は何の...それでも疑惑が
遠い昔のことを思い出す。それは、女の躰の中に残った肉体の記憶である。初めて味わった性の喜びの記憶が未だ躰の奥に刻まれている。あの夜のことをただ一回限りの夢か儀式であったというような気がする。それは不思議な感覚でもある。でも、確かにあった事実である。時間は何ごとも甘美にしてしまうののようだ。今も愛撫を受け、躰は燃える。それは以前と変わらない。いや、以前より燃えている時もある。だがあの時の感覚以上ではない。愛の百態ーその58
ともに燃え上がっている男女に常識や道徳を説いても無駄である、という。愛に燃えている間は、論理は通らない。理屈も知性も無駄である。愛のさなかにある男女は盲目である。人はそんな絶対愛は自分には関係ないとひそかに思っているが、一方で、そんな絶対愛に憧れてもいる。この人のためなら死んでもいいと思うほど人を好きになることを夢想する。ある瞬間、命を燃やすことができれば、どんなにか人生が豊かになるだろうか。と。愛の百態ーその57
遠い昔のことだけれど、今でも鮮明に躰に焼き付いていることがある。それは春の日の森林公園を散策しているときのことです。新緑の木々が眩しい光を反射している、そこは人気のない場所でした。深いところに来ると、彼は私の口を吸いにきました。その時、私は身をすくめましたが、すぐに云うに言われぬ恍惚に怪しく躍っていました。二人はじっと見つめあい、続いて接吻の雨。私は生まれて初めて愛し、愛される恋人を得たと云う思いに、有頂天でした。愛の百態ーその55
静かでゆったりとした時間がすぎてゆく。寝室はしんと静まり、物音ひとつしない。こんな時はムード音楽が欲しい。そう思い、私はラジオのスイッチをひねる。流れるような曲に誘われて、気分が盛り上がる。冬の夜の平和なひと時だ。そして、二人だけの秘密の時が訪れる。今、私の手の中にはぺ○スがある。それを手で弄びながら、相手の表情を伺う。次第に太く固くなるぺ○ス。その太く固くなったペ○スが愛おしくてならない。私はペ○スを体内に迎え入れることができなくても、若い時には得られなかった快楽を、長く、持続的に味わうことができる。愛の百態ーその54
スローSの本意は、互いの情愛を確かめ合い、存在を認め合い、いたわりあうための肉体のコミュニケーションにある。魂と魂との語り合い男と女とが互いに繋がりたいと思う願望の成就である。それがいま生きているという生の証になっている。女は仰向けになって、膝をやや開き気味にして目をとじた。そして、男を伺うように薄眼を開けて微笑んだ。安心仕切った態度がそこにはあった。慈しみあうエロスの重要さ。この神聖なる行為をおろそかにしてはならないと思うのだった。愛の百態ーその53
乳房やヴァギナを指で優しく、フェザーが触れるように愛撫したり、舌で舐めたりする行為のひとつひとつに敏感に反応しては、全身で喜びを表す。思わず、「どうして飽きないんだろうか」と思う。それはスローセックスがなせるわざなのだ。スローセックスのキモは、時間をかけてボデイタッチをすることにある。タッチする場所は色々あるが、乳房、ヴァギナ、腰、うなじ、腕、膝、手首などがあげられる。これらが全て性感帯になるのである。つまり、S行為は何度もいうように、女にとっては、挿入されることが究極ではないのです。愛の百態ーその52
お互い共にいたわり合い、心から分かち合いないながら生きてゆく。腕を回して、互いの肩と背をしっかりと接触し、固く、抱きしめ合う。互いの温もりがジワリと伝わってくる。それはかけがえのない一瞬だ。今、こうして、老いて社会から外された存在になってみて、やっと本来の自由な自分自身にもどることができたような気がする。時に、諍いをして、言葉で傷つけあっても、その後、肌と肌と触れ合って愛の行為をまじわせば、とびきり仲睦まじい二人にもどれるのだ。それが老年の愛というものだろう。愛の百態ーその51
この歳になっての乳房は、今も娘のときに似た膨らみを持ち、弾力を失いつくしていなかった。燃えきることのできなかった。生命がしこりとなってその内側から抗うものを盛り上げている。空しく花を萎ませてゆく、女のいのちの一つの極点にあるような危なっかしさ、脆さが、わたしのなかで揺れやまない。愛の百態ーその50
人間という生きものは、歳を経て、新しい命を生み出すつなぐ生殖の期間が終わったからといって、身中の性的な欲望や機能までも衰え、消えてしまうわけではない。胸ときめく誰かと出会い、肌と肌を重ね合わせて、肉体と精神の喜びを共にする行為を願望している。日常の生活の中で、ふと垣間見せる性の揺らめきを、世間的な規範で抑圧してはいけない。もっと真摯に、素直に、そうした情動を態度であらわすべきなのだ。ただ歳をくって、諦めの中で、年老いてゆくのはいかにも寂しいではないか。・愛の百態ーその49
部屋の灯りを消してから、私は服を脱ぎ、ついでブラジャーを外し、パンティを脱いだ。それからベッドの毛布をめくり、そのなかに潜り込んだ。そして、すでに横になっている彼に抱かれた。私は自分の躰を密着させて相手の火照った躰を全身で感じた。「君の躰って冷たいんだな」と彼は言った。夜のしじまがいっそう深くなった。二人だけの、誰にも邪魔されない、こんなひとときを、決して手放したくないと思う。頽廃と愉楽と、外界からの遮断と陶酔のなかにいる二人だった。今年最後の夜だった。愛の百態^その48
歳月のすぎるのは何と早いことか。時の流れに流されて生き続け、歳月もまた流れ過ぎ、世は移ろい変わりゆく。そんな時、昔あったことがきれぎれに頭に浮かんではまた消える。乳房を柔らかく、きつく括りあげられるだけで、頭の中で何度でも白い光が爆ぜた。S行為がこれほど気持ちいいと思ったのは生まれてはじめてのことだった。何度果てても達しても足りなかった、あの時の思い出が、いままた熱く蘇ってくる。愛の百態ーその47
求められたい気持ちがある。高齢であるとはいえ、その気持ちがなくなることはない。これは人によるかも知れないが、女性として求められることは嬉しい。それは新たな活力になり、心身ともに若返るきっかけになる。喜びと満足感に浸れる行為は理屈ではない。聞くところによれば、性的関心がある人は長生きするという。だから、性的な興奮をもちつづけることはアンチエイジングにもなるのである。愛の百態ーその46
冬至の日、ひさしぶりに隠れ家のような湯宿に泊まった。懐かしい我が家にもどったような気分になり、ほっとする。さっそく冷えた躰を温めるべく天然自噴の掛け流し湯に入る。誰もいない、貸切湯のような風呂。湯気の籠った浴室の鈍い電灯のもとで、共に湯船に浸り、白く浮遊するお互いの躰を眺め合う。温まるほどに気持ちよくなる。あまりの気持ちよさに、躰がふっと膨らんで、頭の中が瞬間まっ白になる。どちらかともなく、互いの素肌を合わせ唇を重ねる。まさに至福の時である。愛の百態ーその45
纏っている衣服をまさぐり秘所へと指がのびてゆく。指はしだいに深所をまさぐり、細やかに動き、大胆さを増してゆく。そんな動きを、息を殺しながら受け入れている自分がいる。躰がしだいに熱を帯びてくる。やがて、股間が汗ばんで、知らず間に躰をよじっている。次の瞬間、わたしの手が相手の指をしかと押さえて強く動くように促す。今感じているこの感覚を逃したくない。その一心で躰が動いている。そして、その瞬間が訪れた。そして、わたしは無我の境地で何かを叫んでいたように思う。愛の百態ーその44
結婚することがハッピーエンドなのではない。長い夫婦生活を通じて、時がたち次第に老いてゆく。その間、数え切れぬほどのふたりの交わりがあり、喜怒哀楽があり、それらが二人の絆をたしかなものにしていた、としみじみと思う。ごく普通の日常のなかで、ふと、そばにいる相手の息遣いを感じる。そんな平凡なことの積み重ねに幸せがあると気づく。そんな過去を振り返って、あらためて二人が幸せであったと思えたら、その時はじめて結婚生活がハッピーエンドだと思えるのである。愛の百態ーその43
瞬間的に絶対愛の充実感にひたれることがあります。それは行為のさなか、相手との交合中に感じる悦楽で、それは他に変えられない悦びです。ある意味、これほど強烈な体験はありません。人は絶対愛にあこがれるけれど、それは幻影のようなもので、見果てぬ夢ともいえるでしょう。移りゆく歳月のなか、それを現実にすることはかなり難しいことです。でも、ある瞬間、命を燃やすことができれば、人生いろどり豊かになることは間違いありません。愛の百態ーその42
生活に緊張感がなくなると何となく心身ともにだらしなくなったように思う。やはり日常的に緊張感が必要だ。怠惰な人の顔は崩れていて決して美しいとはいえない。恋は緊張感の連続である。世間的に許されない恋をしている時の緊張感はなおさらで、常に人から何か言われまいとする心の緊張をともなう。気構えというか、いっときも隙のないようにしようと思う。それが緊張感につながるのだ。年齢より若く、美しい容姿を保っていられるのもそのせいか。生活に張りをもって過ごす。緊張こそ女を美しくさせる原点だと思う。愛の百態ーその41
その外見に反して、高齢になっても性欲は消えないのであり、性欲があることを理解すべきなのである。高齢者の性欲を、忌むべきものとするのは社会的な偏見や誤解があるからであり、そうした社会的なタブーは解消されなければならない。一方、その当事者である高齢者が、自身の若さを保ちたいならば性欲を抑圧してはならない。性欲は自然であり、その欲求を尊重する必要がある。それによって、自己肯定感、幸福感が高まることになるからだ。内に隠した性欲を相手に打ち明ける必要がある。愛の百態ーその40
女は多面体であるといわれると、納得することがある。付き合う相手によって、ごくふつうに違った面を見せる。どれが本当の姿かといわれても、どれも本当というしかないところがある。躰はひとつなのに複数の顔が存在している。これは女性ならではの防御の姿勢なのかも知れない。躰のなかには得体の知れないものが棲みついていて、そうしたものが時と場合によって表に現れる。それは規則的でなく、ある時は衝動的に、つかみどころないものとして現れる。女は多彩で複雑、それは常に流動的であるのだ。愛の百態ーその39
ある時、聞いてみたことがある。男はS行為での快楽をどう捉えているのかと、いうことについて。その答えは、男は行為そのものよりも、それに関わる相手の反応に関心があるというのだ。愛する女の燃えてゆく姿を眺めることであるという。それは喘ぎ声であり、表情であり、うごめく肢体が、まるで万華鏡のように変化しながら、頂点に達する姿を見届けることであるようだ。男が心身ともに満たされてゆくのは、そうした時であり、思わず、「よかった?」と聞いてみたくなるはそれをたしかめるためであるようだ。愛の百態ー「その38
すべてが終わったあとの静寂に浸る時ほど安らぎを覚えることはない。激しい行為のあとだけに、この静寂は捨てがたい。燃えている時の興奮とはまた違った満ち足りた充足感が味わえる。二人の躰が密着した状態で、深くつなぎあっていると思うだけで満足感が満ちてくる。それはある種気だるさをともなった心地良さでもある。この言葉を必要としない躰を使ったボディランゲージこそが究極のコミニュケーションといえる。この燃え尽きた後の、時が止まったようなひとときの味わいは、それを経験した者にしか分からない。愛の百態ーその38
Gスポットの刺激によりさらなるオーガスムを感じるためにはGスポットとクリストスとの同時の刺激が必要です。ところでGスポットはどこにあるのでしょうか。それは膣の位置の内部3センチほどのところにあります。中指を押し込んだ、第二菅関節あたりの腹部側にあります。刺激方法はおなか側の部分を指で同じリズムでやさしくゆっくり押すと快感が生じます。マンネリにならず、さらなる奥義を極め、快感をたかめるとことはS行為には大切なことなのですね。愛の百態ーその36
ゆっくりやさしくする、というのは挿入する場合も同じです。膣に挿入したあとの激しいピストン運動は女性は快感を感じません。必要なのは、しっかり奥まで挿入したあと、ゆっくり同じテンポで押したり引いたりすることなんです。しかし、この挿入が女性にとっていちばん快感を感じるというのは違います。挿入はなくとも手マンで快感を得ることができるのです。陰部周辺の刺激、クリとリスの摩擦などがそれです。愛の百態ーその35
恋をすると女は美しくなり、男は生き生きするという。恋は人を内面から輝かせる。なによりも全身が敏感になり、感受性が昂まる。何を見ても感動し、いろいろなものに命があることを知るようになる。恋をするとホルモンの分泌が活発になり、それが血の巡りを良くし、肌が艶めいてくる。性を堪能している女性の肌がみずみずしくなり、表情が和むのはそのせいだ。愛の百態ーその34
男の女のあいだはタイミングが重要だ。愛にもタイミングがある。そのタイミングを逸すると、盛り上がった気分も萎えてしまう。この時と思ったら一気に進まねければならないのに、途中で迷い、力の抜けた行動になってしまう。あとで、「あの時こうしていたら」とか「あの時こうしてくれていたら」と思っても後の祭りである。ほんのタイミングの違いですべてを失ってしまうのだ。行くと決めたら失敗を恐れずに進むべきで、失敗を恐れて行動しないことによる後悔は傷が深いのだ。愛の百態ーその33
フェザータッチというものがあります。指先で触れる肌の感覚が、まるで羽根毛のように軽く、柔らかい状態をいいます。このほとんど強さを感じない触感は相手の感覚をますます研ぎ澄ましてゆくことになります。フェザータッチで触れられてゆく乳房や秘所はいやがうえにも興奮度を高めることになります。女性が優しい人が好きというのは、優しいタッチができる人の意味であることをお忘れなく。愛の百態ーその32
男にとって、愛の対象になる女性を、自分の力で、自分好みのタイプに変えたいという愛育願望があるらしい。最愛の女性が性の喜びに目覚めてゆく変貌の過程をつぶさに目にすることほど満足することはない、と思う。はじめ蕾のように硬かった躰を柔軟に解きほどき、やがて大輪の花が開くように咲き匂う。そんな過程にかかわったという満足感ほど深く男の心に刻まれることはないらしい。それは自分の存在が相手に深く刻まれたという満足感である。愛の百態ーその31
人肌ほど心地よく、やすらぐものはない。肌寒くなると人肌が恋しくなる。肌と肌を接していると、男も女も心が安らぎ、不安やいらいらが収まる。それなのに肌を接する機会が少なくなっている。一方で、肌合いというものがある。肌を合わせたとき気持ちよいな、と思う感覚ですね。この前提に気心が知れている。心が通じ合っているという精神的なつながりもあるのではないか、そう思いますね。愛の百態ーその30
戯れのあとの燃え尽きた状態にふたりは静かに浸っている。それはまるで何事も失せた無の世界にいるような安らぎの心の状態である。ふたりが深くつながっていると思える瞬間である。深くつながり合う男女があらためて愛を感じるのは、この燃え尽きたあとの、時が静止したような静寂の時かもしれない。文字通り、身も心も解放されて、すべての虚飾をかなぐり捨て生まれたままの姿になる。愛の百態ーその29
女の性は男より強い。男がどんなに荒々しく責めても、しょせん、果てたあとは疲労でげんなりして終わる。そんななか、女は上り詰めていく過程で快感の渦のなかにめくるめく。男は女を追い詰めてゆくことができない。女を悦ばせるための道化である。それと知りながら、男は女を絶頂にのぼりつめさせるために努力する。そうすることでしか男としての存在をたしかめることができない。愛の百態ーその28
女の躰は男と比べて繊細だ。たとえ、同じ行為でも、相手が好きであるか嫌いであるかで、そここらもたらされる快感には天と地の差がある。行為そのものに違いがあるわけではないのに、片方がめくるめく幸福感に満たされるのに対して、他方でただ嫌悪感でしかない、という違うがある。この違いは、やはりS行為はただ肉体の交わりではない、精神的なつながりが大切であることを知らせてくれる。相手を愛し、信頼し、そして当の相手がそれに応えてくれてはじめて、女性の性は花開いてゆくのである。愛の百態ーその27
マンネリ化を防ぐという意味で夫婦交換を試みるカップルがいる。スワッピングとよばれるこの行為は、妻が他人に寝取られることを想像(あるいは垣間見て)して興奮する、という効果と、みずからが寝取るという非日常を体験する効果があるといわれる。さらに、スワッピングを通して、あらためてパートナーを客観視することができ、パートナーの良い部分を再確認するという効果がある、という。夫婦交換の目的は、ふたりの関係が以前よりより良い間柄になる、ということにある。男性にはもちろん、女性にも、ときには相手を変えて、新鮮な体験をしてみたいと想像することがあるのではないか。愛の百態ーその26
もう年だと思いつつも、ふとカラダの芯から訳のわからない魔性のようなものが蠢きでるのを何とも処理し難くて、それを温めている。これが性欲というものだろうか。そんな欲求が衰えることは哀しいが、それを抱えつづけることも疎ましい。命がつねに生き生きしていたいと思う気持ちは、これからももちつづけるのだろう。愛の百態ーその25
優し人が好き、という真の意味は、外見ではなく、男と女の行為のさなか、優しいタッチで愛撫してくれる人という意味だということは男性諸氏は知っているのだろうか。秘所をまるで羽毛のような、触れるか触れないかのような感触で触れられる時、女の感覚は研ぎ澄まされてゆく。女性に接する時は、なによりも優しさが武器になるということをくれぐれもお忘れなく。性急に、強引に、力任せな行為は愚の骨頂。ゲスのやり方ほど一人よがりなことはない。優しさの本意
私はある絵画教室で学ぶ50歳の未亡人です。もう5年にもなります。授業のあと仲間たちとお茶をすることが恒例になっていました。ある日のことでした。いつもは他の仲間と一緒なのですが、その日は、教室では3年先輩のSさんと帰る方向が同じということで、今日の授業のことなど、とりとめのない話をしながら駅に向かいました。改札を通り、電車を待っている間でした。ふと、Sさんが、「前からあなたが好きだった」と囁くように言ったのです。一瞬、何を言われたのかと訝りましたが、たしかにSさんは私に愛の告白をしたのでした。Sさんとは前々から教室ではうまがあう仲でした。私の書いた絵についてアドバイスしてくれたりすることがありました。私もそうしたSさんを快く思っていました。それからしばらく経ってからのことでした。やはり教室の帰りの時でした。...予期せぬ出来事
実は女性にも「刺激慣れ」というものがあります。同じパターンを繰り返されることで刺激に慣れて、以前ほど感じなくなるのですね。それを避けて、いつも新鮮な気持ちで感じさせる一つの方法は、二つの性感帯を同時に刺激することなんです。ここで気をつけなければならないののは、二つ以上の性感帯を同時に愛撫する時は、刺激が分散してしまって大きなオーガズムには至れなくなるという欠点があります。つねに意外性をもたせて、相手との一体感を脳に意識させることが大切なのです。愛の百態ーその23
挿入だけがSではない。指をつかっての愛撫は挿入以上の快感があることを男性は知るべきである。まず、定番のクリトリスへの指マンがあります。さらにクリトリスと膣口の同時愛撫という方法を加えると効果は倍増します。指マンでこれらの部位を感じさせてあげることにより、女性のアソコはたちどころに濡れて、思わず声があがります。つぎは指をつかってではなく、舌をつかっての愛撫があります。このテクニックを実践すると、本当に舌で触れられただけで女性はとろとろになります。この脳を刺激する愛撫は、舌の当て方、動かし方などでいかようにも相手の快感をたかめることができます。愛の百態ーその22
未知の快感を女性に与えるためにもS行為をマンネリ化しないことが大切です。結果、オキシトシンというオーガスムを感じさせるホルモンの分泌をたかめることになります。オキシトシンには幸福感や愛情、女性の性欲を増幅させる効果があると言われていて、分泌量が多いほど女性はS行為をしたくてたまらない身体になっていくといわれています。そのための方法として身体のタッチ、マッサージがあります。まずは首筋をなでる。「首筋が弱い」という女性は結構多く、これは感度を高めるポイントが首筋になるからです。つぎに、耳裏の刺激。耳の裏側には、女性の脳を揺さぶることができる性感帯があります。この部分にある器官が、女性の感度を倍増させるのに非常に効果的なんです。さらに胸。胸の愛撫は乳首にばかり目が行きがちですが、実は胸全体に感度があるので、ここ...愛の百態ーその21
性欲がわく時がある。これは男の方が多いが、女性にもないわけではない。が、多くの高齢者には、そのことをありのままに発散することをはばかる。理由は世間体ということである。性活動があることが悪いことのように思われてしまう。欧米では高齢者の性についてもっとフランクだと聞く。高齢者が性欲をもつのははしたない、という考えは日本の文化的特性である。感情的な親密さを求めることは自然のことである。豊かな老後とはそうした触れ合いがあることのように思われる。愛の百態ーその20
快感のたかまりは、もうこの年齢になると、急激な愛撫行為によってはもたらされない。そうではなく、むしろ時間をかけて丹念に優しく愛撫されることで快感がたかまるのだ。性急で我慢のきかない男性には苦手な作業だが、それがかえって豊かなエロスの世界に導くのである。スローSとよばれるこの行為はじんわりと躰の芯までもとろけさせるのだ。愛の百態ーその19
エクスタシィに至る直前の気持ちを問われても、説明できないが、躰が野火のように走り、もうとまることない状態になっているのはたしかである。その悦びに波打つ肢体は、すでに自分のものではなくなっている。目をつむり、髪を振り乱して、思わず声をあげている。夢中のなかで次元を異にした幻想世界に身を投げ出しているような錯覚にとらわれる。一切が闇のなかに溶けゆくような感覚になる。愛の百態ーその18
ふいに強引に背中のファスナーが外され躰を求めてくる。その手が戦慄いていた。なにゆえに、そんなに性急に求めてくるのか。いずれ許すことがわかっているのに、と思うが、相手の飢えている状態が手にとるようにみえた。それが愛おしかった。母親が子供をあやすように、相手の躰を包んでやりたい気持ちになった。いつしか、自分の躰が自分のものであって自分のものでないような感覚になった。気が付いてみると全裸になっていた。愛の百態ーその16
愛の思い出だけではただ虚しさが残るばかりなのだろうか。流れ来た歳月そのものに意味があったのだと思うことで、過ぎ去った愛を確かめることでしかないのだろうか。あのめくるめく抱擁のひとつひとつが、口づけを受け、自分がもうひとりの別の女になる予感を覚えながら・・・それらが熱い思いのなかに蘇ってくる。愛の百態ーその16
道すがら、ふいに声をかけられた。振り向くと昔、仕事を一緒にしていた弥生だった。何年ぶりのことだろうか。少し太ったように思えたが、弥生はすっかり中年の女になっていた。ひさしぶりの再会だったので、近くの喫茶店でお茶でも、ということになった。素子は、すでに会社をやめているので、その後のことはわからなかった。が、一つだけ、昔付き合っていた同僚の井川のことが気になったので、彼の消息について聞いてみたかった。「ああ、井川さんね。素子、あの人とつきあっていたんだっけ。そんな噂聞いていてよ」そう言うと、弥生はさも秘密めいた口調で井川のことを話し出した。実は、素子は井川とは会社にいる頃、一度、あやまちを犯したことがあった。が、それきり事情があって関係が切れて、そのあと素子は会社をやめた。弥生によれば、井川はその後、博多へ転...再会
大人の女は相手に多くを望まない。というのも、相手に自分の全存在を賭けることがないからだ。相手が年上であろうと、年下であろうと、どんな職業であろうと、お金があってもなくてもそうしたことはさして重要視しない。相手の体型が太っていようと痩せていようと、背が高かろうが低かろうが構わない。要は自分の感性にあうかどうか、である。他人はどうか知らないが、私がこだわるのは相手の手だ、手がもたらす印象が感性があうかどうかを決めるポイントになる。愛の百態ーその15
躰とともに脳までとろけるような、おなかの底からこみあげるような、そんな深い快楽はついぞ訪れたことがない。こんな気持ちよすぎる快感はどこから湧き出るのだろうか。たぶん、これは愛の施術によってもたらされるものではなく、心の持ちよう、お互いの心がかよいあうことによってもたらされるもでではないか、という気がする。S行為は肉体行動であってもきわめて知的な作業なのであり、それは脳細胞を刺激することになる。愛の百態ーその14
躰の刺激を受けた男に心が傾くの自然の成り行きです。が、不思議なことに、心に焼き付いている顔に比べると、異常な事態で起きた体験が、妙に強く焼き付いているものなのです。躰だけ盗まれた相手が、めまいのするような刺激として残っているのです。それは相手の人柄や姿形、情愛などとは関係のないものであるにかかわらず、心の中に残るのです。心の中に残るといっても、残酷の傷跡として残るのです。愛の百態ーその13
正装した服のスカートがふいに捲られ、男の手が臀に触れる。突然の行為に、はじめは驚き、拒絶の態度をとった。が、逃げ出すことができなかった。むしろ、瞬間、妙な快感が走った。羞恥心で躰がが震えたが、知らずに今の状態を受け入れている自分がいた。こんな嗜虐な対位は受け入れられないと思いつつ、躰は下半身から燃え出してうち顫えていた。愛の百態ーその12
女は力のある限り抵抗した。抵抗しながら抱きついていった。それは女が身を護る時に出てくるあの奇蹟のやうな力での抵抗ではなかった。抵抗しているということを自分につたえるだけの余裕をもった抵抗だった。やがて、抵抗する力は萎えて、相手に身をまかせる姿勢になった。女は力いっぱいしがみついてきた。泣きじゃくりながら、やがて抑えられないほど激しく震え始めた愛の百態ーその11
お互いに少しだけ寂しくなって、ときおり、夜を共にすることがあった。映画を観て、カフェでお茶し、そのあと慎ましい愛の営みをする。経験豊富なお互いの躰で慈しみ合いながら。女は言った。「誰もあなたにはかなわないわ」と。そんなことを言われて男はまんざらでもない顔をしていた。愛の百態ーその10
不意に自分の意思とはかかわらない高揚感があふれてできた。秘所からじわりと熱いものがあふれでてくる。それはまるでダムが決壊したかのような勢いで。これまで平凡な人生のあとに、まさかこんなに深く感じる快楽が押し寄せることがあろうとは。S行為によってこれほどまで感じたことはなかった。生まれてはじめてだった。何度果てても足りないほどの快感だった。愛の百態ーその9
いつものように一旦燃え出すと身も心燃えたってくる。そして、その愉悦のなかにみずから埋没してゆく。それは奔放さとか好色といったようなものでない。これは情事をかさねることによって育まれた感受性なのだろうか。明らかに悦楽の深みにはまってゆく自分を感じる。性に対する貪欲なまでの真摯さ、切実さが溢れ出ているように思う。相手もこの変貌を楽しんでいるかのようである。愛の百態ーその8
老齢の好色といわれるものは、残った命への抑圧を排除の願いであり、また命への讃歌である。それは神聖な生命の輝きである。歳をへたとはいえ、まだ体内には生きる力に満ちた情欲が埋火のように蓄えられているのだ。そんな時、押し殺された気持ちがいっきに開放される。男と女とが同じ方向に傾いた心を持つ時、二人は性をきっかけに結びつく。それは昂まったいのちのふれあいなのである。愛の百態ーその7
豊満なこんもりと盛り上がった胸元に唇を触れ、静かに優しく乳首の周辺を吸いたてる。さらに硬く尖った状態にある乳首を吸う。やがて、愛撫は乳房から腹へと移る。下腹部にひろがる、オアシスのようにこんもりとした茂み。その硬く縮れた茂みをかきわけて、その先へと指を進める。秘所はすでに暖かく湿っている。いくぶん膨らみをましたようでさえある。その周縁をやさしく愛撫する。女の口からかすかな嬌声がもれる。愛の百態ーその6
女は力のある限り抵抗した。抵抗しながら抱きついていった。それは女が身を護る時に出てくるあの奇蹟のやうな力での抵抗ではなかった。抵抗しているということを自分につたえるだけの余裕をもった抵抗だった。女は男に肉体を繋ぐことで、男の抱いている思想や感情を共有しているという満足感があった。愛の百態ーその5
純粋に結ばれる男女が一つになり、その肉体と精神が生命の終わりまで続く幸福を、砂漠の旅人が泉の夢をみるように憧れる。それこそ人生で味わえる醍醐味のひとつと捉える愛の百態ーその4
女は仰向けになって、膝をやや開き気味にして目をとじた。そして、男を伺うように薄眼を開けて微笑んだ。男はおもむろに、乳房からやがて股間へ手を滑らせた。さらに唇に軽く触れると、かすかな息が漏れる。そして、女は目をつぶり、眉間に翳をためて、腰を片側に倒しながら迎え入れた。気がつけば、水を浴びたような湿りが大腿の付け根に滲み出ていた。肌がみるみるうちに熱くなり、体内にこもった熱が一度に外に溢れでる様子で、さらに、汗さえ噴き出してくる。豊かな息がふくらんできたかと思うと、やがてそれは嗚咽となって漏れ出した愛の百態ーその3
秋の夜長、ぽっちゃりとして小太りで、色が白くて肌のきめが緻密で、腰回りの張っている体つきの私。こんな夜は、ひとりでいるのがつらくなる性格なのか、知らずうちに、つい手が癖になっているところにゆく。抑えようもなく、思わず漏れてしまう声。なにかやるせない気持ちがつのる。それでも今が私だけの特別のひとときでもある。愛の百態—その2
二人はそのまま無言で抱き合い、やがてぎこちない姿勢のまま口づけをかわした。男はは女を膝に抱き上げるようにして仰向けに抱いた。女は一度は身をすくめたが、男にまた口を吸われると、自分も腕を伸ばして男の頸に巻いた。男は二人が一体になりつつあるのを感じた。が、欲望には限りがなく、男の血は女のすべてを知りたがって、いっそう狂おしく騒ぎ立てた。愛の百態ーその1
前にも言ったように、性的魅力というのは、ただ外見さえ良ければというわけではない。それに加えて、性格や雰囲気、肌合いというものが大きく影響する。むしろこちらの方が大きいのかも知れない。ですから、たとえ、夫婦間であっても、日頃の慣れで、もう少しもときめくことがない、という状態にするのではなく、つねに意識的に雰囲気を大事にする、スキンシップをこころがける、といった日常の気遣いが必要のような気がします。新鮮な感情を保つためにも
百四歳という天寿を全うしてまさ女は逝った。あの戦争が終わって、戦死したと思っていた夫が三年後に奇跡的に帰ってきたのである。夫は満州に出征した後、捕らえられてシベリアに抑留されたらしいと知らされていた。出征前から無口であった夫ではあったが、戻ってから一層無口になっていた。長い捕虜生活の中で夫の人格が著しく変貌していたのである。笑うことがほとんどなくなって、仕事につかず虚空をばんやり見つめているような時が多くなった。そんな夫を見て、まさ女は自分も生活の足しに働かねばならないと思い始めていた。まさ女は朝早く出かけると暗くなるまで働いた。昭和二五年、まさ女は三人目の子供を産んだ。待望の女の子だった。女の子は男の子のように闊達に育った。いつも二人の兄と一緒に、日が落ちるまで夢中で遊んだ。その禍事が起きたのは、二人の...マサ女のピアノ
ともに乱れることによって、二人の関係がより近づき、その結果、さらに次のより強い刺激が欲しくなる。そこにはお互いの甘えと開き直りのようなものが芽生えていて、より障壁のない性の饗宴となる。そうした世界がつくられることで、快楽の感覚はよりとぎ澄まされてゆく。忽然と時が消えゆき、絶対の停止空間が訪れる。時空間の停止状態
女の躰というものは、一度肉体の接触を持った男に対して、例えていえば、あたかも自分の産んだ子供と似たような思いで、切ない母性本能のようなものがあふれてくるものなのですよ。もちろんこれは、愛があってのことで、回数をかさねることで、相手にのめりこむようになるのです。結果、相手をより身近に感じるようになり、離したくなくなるのです。肉体的ばかりでなく精神的にもです。女の躰は
女性にはS行為の際に、はげしく乱れることははしたない、と思う気持ちがあるようです。感じすぎて乱れると淫乱な女性ではないかと思われるのが嫌で、みずから気持ちを抑制してしまう傾向がある、のではないでしょうか。しかし、この点について、男性の受け止め方はまったく違っていて、むしろそんな相手に出会うことの難しさを知っています。女性がいわゆる「いった」状態になる時ほど、男は肉体的にも精神的にも最高の快感を得ることができる、とはある経験者の話でありました。乱れるということ
エクスタシーに達するには女性がある程度性的に成熟している必要があるようです。初体験からエクスタシーを感じることはありません。ところでエクスタシー状態とはどういう状態を言うのでしょうか。体験的には興奮の頂点に達し、激しい快感とともに意識が虚ろになる、痙攣する、などの表情を呈します。このような実感を得るのは何度かの体験を通すことで性感が徐々に開発され、深まってゆくということになります。肉体的変化というものが生じるのですね。このエクスタシーを感じるようになるためには、肉体的なこともさることながら精神的な要素も大いに関係することを忘れてはなりません。成熟ということについて
自らの内に受け入れる性と放出する性とでは感覚的にも生理的にもちがいがあります。性の探検者である男はつねに未知の相手を求めようとする欲求があります。これは雄という生物が背負う宿命なのかも知れません。だから、仮に近くに魅力的は異性がいても、それだけでは満足せず、性的欲求は常に他をもとめてさまよいます。こうした男の本能的欲求を満たしてやることは至難のわざですが、答えは、女ということを意識させることですね。S行為に際しても、つねに受け身である必要はありません。自分の欲求を相手に知らせて、それを満足させることも必要かもしれませんね雄としての男の本姓
女性はムードに弱いと言いますが、本当ですよ。女性が受けいれ易い状態に誘うことは、男性の重要な務めであり、それが下手で誘うことに失敗する事例はたくさんあります。この点が男性の悩みのようですね。ムードづくりはいろいろありますが、例えば、部屋の明るさとかBGMを流すとか、さりげなく相手の横に座るとか、するのも一つの方法ですね。とはいえ、マニュアルがあるわけではなく、いくら事前にシュミレーションしても思う通りにゆかないものです。あくまでタイミングというものがあるので、女性がその気になっていても、今はダメということがあるものです。女性もその時はダメでも、誤解のないように、言葉を尽くす必要がありますがね。一度、断られたから、傷ついて、もう諦める、ということはありませんよ。ムードづくりについて
愛においては躰と精神は一体であることは前にも述べたとおりです。が、躰の絆の不可解なところは、男女の愛に理解不能な深さと豊かさをもたらすということです。性をとおして自分が変わる、性をとおしていままで自分が知らなかった自分を発見し、開拓してゆける可能性がある、といことなのですね。性の絆について
肉体の記憶というものがある。記憶と言えば時間的には過去に属する。よくいわれるように、男は相手の過去にこだわるといいます。性的に成熟した女性に対しては特にそういう思いが強くなる。そうした女性の過去にこだわり、怯えたり、嫉妬したり、自尊心を傷つけられたりします。が、男性が思うほど、女性は過去にこだわっていなくて、むしろ、今が大事と考えます。今が充実していれば過去はもう過ぎ去ったものと忘れています。男に比べて過去の記憶に未練はないのです。躰に刻まれて記憶
肉体が先か、精神が先か、という問題がありますが、成熟した大人であれば、愛が深まれば、肉体の愛も深まり、その結果、精神的な愛も深まる、と理解するでしょう。肉体の絆が強ければ、なにか二人の間で問題が生じても比較的容易に障害を乗り越えられる、ということは経験知で知っているでしょう。それを妥協とみるか、肉体の不思議さとみるかは人それぞれでしょうけれどもね。肉体が先か精神が先か?
クリトリスや大陰唇、小陰唇などの膣の外側の性感帯をこすったり、ゆすったりすることによる刺激は、女性には特別の快感となります。指でおこなう愛撫のほかに、クンニの場合も同様です。が、この時、気をつけていただきたいのは、舌を固く尖らせて、クンニするのはNGです。舌先を動かしてはいけないのです。多くの男性が舌を尖らせて、舌の先端でクリトリスを攻めますが、それは決して女性にとっては快感となりません。むしろ、痛みを感じることになります。間違ったクンニの愛撫法
ひとくちに、女性に対する愛撫といいますが、それは男性にとってのひとりよがりでは成り立ちません。愛撫のスピードひとつとってみても、最初はゆっくりと、そして、徐々に速くしていって、相手の女性の最も反応のいいスピードを見つけるのが基本です。最初は指マンで、やがてクンニと至るのですが、クンニは指ほどにスピード調節は簡単ではありません。疲れてきた舌を一定の速度でその硬さを保つとか、結構、簡単ではありません。これもコミュニケーションのひとつであり、相手のことを充分に思う、ことが重要なのです。愛撫の基本
女性が、躰全体を痙攣させて、全身をヒクヒクと震わせながら抱きついてきて、その後、何度も絶頂を繰り返す。痙攣とオーガズムの連続、こんな状態を経験した女性は意外と多くないと思います。この快感を得るにはどうすればいいのか。例えば、クリトリスを攻めた後に膣の入り口や膣口を愛撫すると、女性自身が驚くほどに膣口の感度が上がります。これをクリトリスの愛撫のあとにすれば感度は絶頂になります。オーガムス状態
エクスタシーに達するということは、それは女性にとって相手の男性に全面的にこころを開き、全ての虚飾や仮面を脱ぎ捨て、自分が文字通り無防備になることなんですね。男性にとって、それは自分に全てをさらけ出してくれる、ということを意味します。その時はじめて男は、相手が自分のものになったと実感できるのです。ですから、男は、相手の女性がいかにエクスタシーを得るかに執着するのです。エクスタシーにこだわる男心
女性であるわたし自身、よくわからない部分なんですが、S行為のさなか、膣の入り口から、色は透明でネバネバしていて、糸を引いたものが分泌されます。これをバルトリン腺液というのだそうですが、快感を覚えるとこれがまず出るようです。さらに、快感が深まり、極度に興奮すると、膣内の奥壁から、粘りのある白い液体が溢れ出てきます。これを俗にいう本気汁というそうですが、オーガムズに達した状態といえます。が、これを実感する女性はかならずしも多くなさそうです。なぜ、こんな液がでるかといえば、挿入を容易にするため、とちゃんとした理由があるのです。愛液について
愛はひとひらの雪のように儚いものなのだろう。が、愛がそういう宿命にあるとしても、人はまた新たな気持ちで、ひとひらの雪と知りながら、へこたれることなく、また新しい愛を求めてゆく。別れはまた、新しい自分に出会うスタートでもあるのだ。愛はつきることなく
専門家の見解でも、セックスは脳の血流を高める、心肺機能をたかめる、記憶力を高める→認知機能をたかめる、若さを保つ、といわれます。また、お互いに親密な社会関係をつくることになる、と。日頃から、興味あることを我慢しない。性的なことをどんどんやる(ホルモンが増える)。楽天主義を貫く→笑顔をつくる、無邪気になること。ホルモンには女性ホルモンと男性ホルモンとがありますが、加齢とともにそのどちらもが減少してゆく。生活態度として、もてることを意識する、そうしていないと、だらしなくなる。諦めの生活はしょせん、損得勘定で生きるということになる。S行為は遊びである。工夫をして楽しむべきである、と。S行為の効果
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時おり温もりを求めてしまう,温もりを分かち合いたいと思う。そんな気持ちになるときは、いつも決まって躰の奥より何かつきあげるものがあることに気づく。それは若い頃の激しい疼きでなないけれど、じわじわと溢れ出るものである。こんな気持ちになるのは私だけだろうかと、ふと周りを見回してしまうが、そんな気配はどこにも漂ってはいない。皆んなそん情動を隠しながら平然と日々を過ごしているのだろう、と納得したりしている。愛の百態ーその78
係わりを持ってから・・・その結果の告白心が喜べば躰も喜ぶと言いますが、それは確かです。躰だけの関係がいかに虚しいものかは、実際に、そうした関係を体験して見れば明らかです。脳を刺激する快感は、心が伴っていないと本当の意味での快感にはならないものなのです。性的に溺れるということは精神的に溺れるということです。相手が好きになってSするうちに肉体的にも深まってゆく。肉体が変わる前段階には当然精神愛があるわけですし、だからこそ、そういうとてつもない快楽を感じられることになるのです。愛の百態ーその77
係わりを持ってから・・・その結果の告白脳みそがとろけるような愛撫というものを紹介しよう。まずキスはSへの挨拶。「ぷ」の唇で。乳房はまず、ゆっくりと乳房の全体を撫でて、次に乳首の周囲、つまり乳輪を撫でる。そして、最後に乳首に触れる。舌で舐める。やがて、胸が張り、火照る。下腹がじんわりと熱くなる。羽毛のように触れてゆく指は、やがて股間へ手を滑らせ陰部へ。指が膣の周囲を撫でてゆく。膣の快感はやがてより深く濃厚なクリトリスの快感へと昇華してゆく。震えが体の芯から水の波紋のように広がり始めた。花芯が濡れるに従って躰が痺れてゆく。めくるめく快楽の波が身体中を駆け巡る。愛の百態ーその76
係わりを持ってから・・・その結果の告白人は秘密を胸にしまい続けることが意外と苦手だ。思わず口か出てしまいそうなあの人の名前。親しい友だちにさえも、その名を隠しているから誰も知ることがない。それだけにかえって、言いたい気持ちが溢れ出て、顔にあらわれ出ることがある。そんな時、はっとして口をつぐむことがある。それがなんとももどかしい。いっそ一気に吐き出したい。愛の百態ーその75
係わりを持ってから・・・その結果の告白躰が求めている。忘れていた感覚が戻ってくる。私はまだ女であることを自覚する。夜の温もりが忘れられない。女として求められることを欲している。異性に対する関心はた命への讃歌でもある。それは神聖な生命の輝きである。いっぺんだけしか生きられないのに、こんなことでいいのか、心のそこから沸き起こる欲求である。愛の百態ーその74
係わりを持ってから・・・その結果の告白乳房は、今も娘のときに似た膨らみを持ち、弾力を失いつくしていない。燃え尽きることのできなかった生命の断片がしこりとなってその内側から抗うものを盛り上げてくる。空しく花を萎ませてゆく、女の一つのいのち。それが時折疼くように揺れ動く。その脆さの中にわたしは浸っている。表面にはあらわれ出ていないけれど、胸の奥に仕舞い込んでいる一つの熱い思い。それはいつ燃え立つとも知れず、火種となっていつまでもあり続けている。愛の百態ーその73
係わりを持ってから・・・その結果の告白さくら咲く雨の夜の外出から帰って、家の中に入ると、二人はすぐに濡れた唇を重ねた。互いの肩と背にしっかりと腕を回して、固く、抱きしめ合う。これから起こることを想像すると胸の昂まりを抑えることができなかった。体の奥がとろけるような、危ないきらめきが矢のように躰を射した。こん興奮はどこから溢れ出てくるのだろうか。男と女とが同じ方向に傾いた心を持つ時、二人は強く結びつく。それは昂まったいのちのふれあいなのだ。愛の百態ーその72
係わりを持ってから・・・その結果の告白・心も躰もせきとめることができなくなり、彼に身をまかせましたこれ以上つづけていてはいけないと思いつつ、もう我慢ができないという気持ちが溢れ出ました。感情を抑えることができなかったのです。・感情に流されてしまいそうでした。わたしの躰をを預けた状態で、気だるい幸せを感じました。自分の気持ちにいつわりがないようにしたいと思いました。こんな年齢でも恋をするし、愛をたしかめたいと思うものです。愛の百態ーその71
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その26真剣な出会いを求めています。今は家で趣味も兼ねたお仕事をしています。お相手の外見や年齢に全くこだわりません。素敵に年を重ねた方に魅力を感じます。結婚は必ずしも望んでおりません。その26還暦を過ぎ、ゆっくり楽しい時間を一緒に過ごせるパートナーがいたらいいなと思っています。歳をとっても手を繋いで歩くようなパートナーが見つかったらいいなーと思っています。結婚を急いでいない方希望です。その27優しく包容力のある方希望です。これからの人生を楽しくお互い尊重し合える方だといいですね。また、お互いの趣味嗜好を理解してくださる方と楽しく過ごせればと思っています。愛の百態ーその70
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その23若い頃から結婚願望は薄く自由を謳歌してまいりました。が、年齢とともにこのまま一人で過ごしていけるのかと不安になりました。パートナーになって下さる方にはありったけの愛を注ぎたいと思います。相手の喜びが自分の喜びになるーそのようになれる方と出逢えたらハッピーhaです。その24お互いの時間も大切にしながら二人の時を楽しみたいです。将来に繋がる出逢い…探してます。とは言え、互いに寄り添うって難しいですね。歯車が少し狂うと気持ちがすれ違ってしまう。長年違った環境で生きてきたのだから当然なんでしょうね。価値観、考え方が違ってもお互いを尊重し、解り合える関係ができたらいいなと思っています。その25体の関係だけでいい。この...愛の百態ーその69
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その20二人がいたわり合い、心から笑いながら生きてゆく、そんなことを夢想して登録いたしました。簡単ではありませんが、そんな人がいるはずだと信じています。その21私が求めているのは、とも白髪でお互いをいたわりあう仲ではなく、逢うたびに新鮮な気持ちで愛し、身体を重ね合う関係です。突飛と思われるかも知れませんが、それが真実の気持ちです。まだ私は女です。その22日常的な現実を一切拒止して人工的な夢幻の境地に逃避する、そんな境地に至るような出会いを求めています。これは果てしない夢なのでしょうか。愛の百態ーその68
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その17肌の温もりを感じあいながら愛し合いたいと思っています。愛の交流を通して心のつながりを深めたいと願っています。躰を合わせて、互いの愛おしさを感じたいと思っています。その18人生を重ねることで味わい深い喜びをを得たいと願っています。こんな歳ですが、まだまだ楽しみたい。いまの瞬間を、心踊る時間を楽しみたい。その19恋人としてでなくとも、直接逢って触れるだけで私に何かが蘇るものがあるかも知れない。肌が合うと言う言葉通り、触れているだけで和み、飽きることがない、そんな関係が作れればいいなと思っています。愛の百態ーその67
その14心から安らげる、寄り添っていける方を探しています。一緒に笑ったり、泣いたり、考えたり、喜んだり、日々の喜怒哀楽を共にしたいと思っています。そして楽しんでいけたら嬉しいです。その15一緒にいるだけでお互いに居心地が良く自然体でいられる。共にいるだけで自然と笑顔になれるそんなフィーリングの合う方に出逢えたらいいかなと思っています。その16今も現役で働いています。仕事は好きなので毎日楽しいです。でも、仕事から離れている時、ふと寂しく感じることがあります。そんな時、まだ女でいたいと思ったりします。女は灰になるまで女。そんな言葉を信じます。愛の百態ーその66
瑞江は、3年前に働き者の夫を亡くした。無口だが頼りがいのある優しい男だった。流産して子供の産めない身体になっても、夫の晴夫は瑞江を常にいたわるように扱ってくれた。瑞江は間もなく50になろうとしていた。ある日、パートの職場から帰る途上で、路上にうずくまる若者を見つけた。あたりに薄闇が広がる路地にうずくまっている人影にはじめはぎょっとした。介抱してやると男は、名を矢島といい25歳のコンビニに勤めていたという。聞けば、この近くに住む友人を訪ねるところだったという。すると急に持病の神経痛がぶり返してうずくまっていたのだという。瑞江は気の毒に思い、その若者を家に連れて帰り、夕食を食べさせてやろうとした。簡単な夕食を用意して食べさせると見苦しいほどがつがつ食べたが、汚れた衣服に似合わず、きっちり両膝を揃えて座り、言葉...勘違い
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えてくる。その例10わたしはSではありませんが、変わった趣向の方に興味をもちました。日常を離れて非日常を楽しむことを夢に描いています。ときめきを全開できるのもそんな時でしょう。早い時期にお会いできればと願っています。その例11健康が資本なので、体調が悪いと深刻に落ち込むことはあります。そんな時に、励ましてくださる心のパートナーがいてほしい。ときめきのある楽しい後半生を過ごしませんか。その例12退屈な日常を抜け出して、何か新しい刺激を求めたいと思います。人生を楽しみましょう。お互い語り合うだけでも新境地が開きますよ。その例13初めまして。忙しい毎日でも一言のメールで元気になったり、お互いの事を思い巡らせたり、そんな温かい関係が...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例7楽しい人生をつくりませんか。スローライフで心豊かな過ごし方ができればと思います。非日常を求めて、ときめきのある楽しいひとときを探そうではありませんか。散策、食べ歩き、温泉といろいろありますね。その例8定期的に逢って二人で楽しいひとときをすごすのが夢です。老いらくの恋が育まれていく過程で素敵な物語が生まれればいいですね。初恋のドキドキ感はいつまでも忘れられないものですね。純粋なものであれば。ある程良い想い出になりますからね。その例9夢を食べて生きてる私です。多分。生涯そんな気持ちで居られたら幸せと思います。贅沢な夢ではなく。地味でいて心がホワッとするものを望んでいますついでながら、歳はとっていても夜の方ですが...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例1お互いに癒しあえる関係って素敵ですよね!いろいろ愚痴や悩み事を聞いて貰えたり欲求に素直になれる人が良いなと思ってます。恋人みたく大人の関係出来る人が希望です。その例2お互いに実りのある出会いになれるような人と出会いたいと思って始めました。まずはメールで話しながらいいいい関係になれたと思います。その例3初めまして。あなたのテクニックに溺れて見たいと、メールしました。胸ときめくひとときに浸れたらいいですね。ぜひとも夢を実現したいですね。愛の百態ーその63
手当という言葉がある。ふつう、医療における対応策をいうが、これは男女の関係を深める意味でも効果がある。手当は触れることである。ボディタッチを通して互いの信頼感を高めるためにも不可欠である。それは優しく柔らかく、手、手首、腕、膝、腰、うなじ、などが対象になる。ボディタッチとともに、気配りの言葉を添えて。それを通して心のつながりが深まるのである。愛の百態ーその62
愛を深めるための肌の接触について。肌と肌をピッタリと密着させて、文字通り一体感になる。その究極は、ぺ○スがゆっくりと優しく挿入される時だ。その時の至福感は例えようも無い。そんな状態でしばらくじっとしているとジワリとこみ上げるものがある。激しいピストン運動は必要ない。ペ○スが女性の体内に包み込まれているうち、感情が抑えられないほどに昂まり、やがて頂点に達する。そしてその時、その感情を一気に放出する。放出すると先ほどまでの情熱は急に萎えてゆく。これは男も女も同じだ。とはいえ、女にとってぺ○スの挿入はS行為の究極なものではない。愛の百態ーその61
君に会った。君のことが忘れられない。君のことが胸にも頭にもいっぱいになって、もう他のことは何も考えられなくなってしまう。理窟もなければ理性もない。などと言い寄られた場合、女性は間違いなく引くだろう。何かそこに暑苦しい圧を感じてしまうからだ。この感情の行きちがいをどう折り合わすかに悩んでしまう。愛の百態ーその60
現在のように閉鎖的になりやすい社会にあっては、みなそれぞれが鎧を身につけて生きている。あるいはハリネズミのように危険から身を守るために防備する。が、そうした姿勢では人間関係を深めることができない。ほんとうは誰かを愛したいと考えている、あなた。ではどうしたら?よりよいパートナーを選ぶためにも、まずは、みずからの性格や好きなこと、興味をもっていること、さらに自分がどんな人生を送ってきたか、などを率直に相手に伝える必要がある。そうすることで、相手の心も開き、話がはずみ、交際が持続し、より深い関係へと飛躍してゆく。依存しあう関係では真のパートナー選びはできない、という気がする。パートナー選びは
肌と肌の触れ合い、ボデイランゲージに勝るものはない。中途半端な言葉、表面の言葉では分かり合えなくとも、ボデイランゲージによって理解が深まるのである。とはいえ、女の躰は微妙だ。たとえ同じ行為でも、好きな人に抱かれるのと、嫌いな人に抱かれるとでは天と地の違いがある。行為そのものは同じでも、一方では例えようもない快感を味わうのに、他方では我慢ができないほどの苦痛と嫌悪感に襲われる。ボディランゲージの大切さ
男女の関係を新鮮に保つためには、適当な距離をつくっておくことが必要だ。強い絆で結ばれていた愛も離れすぎれば薄れるし、近づきすぎれば鬱陶しさがつのる。二人の間には侵すべからざるものがある。そんな壁のようなものがあったほうが、新鮮で爽やかな関係を持続させることができるように思う。離れて相手を見るときと、身近で見るときとでは、案外評価がかわるものだ。日常という惰性のなかにいるよりか、たまに逢うことで勃起する強い欲望のほうが新鮮だ。適当な距離をおいた愛
「気持ちの上では抑えようとしているにもかかわらず、躰がすでに走りはじめている。せめて言葉だけでも抑えようとしているのに、走り出した躰はもはや止まらない。熱く、火ぶくれのような燃えた花芯が小刻みな痙攣をして、やがて行き果てる。」エクスタシィを感じた女性、エクスタシィに導いた男性。それぞれはその後、異性に対するものの見方が全く違ってくる。女性は異性というものへの愛着と認識において。男性は愛着と恐れとにおいて。エクスタシィの前と後
胸の大きさで感度がちがうという話がある。大きな胸は感じにくい、むしろ小さめの胸の方が感じやすい、などという説である。が、これは本当のことなのか。感度は胸の大きさに関係ないのではないか、むしろ感じる理由はほかにあるように思う。だから、胸の大きさで悩むことはない。胸の大きさについて
朝露に花芯が濡れているさまは、何か涼しげで、隠微な感じさえありますが、でも美しいく繊細です。かくも秘めやかな造形をお造りになった神さまに感謝するほかありません。花芯が濡れて
言葉の必要性はとくに女性にたいしては重要だ。男は黙って、というのは昔のことで、今は諄々と言葉をつくさなければならない。何も言わずに、相手が分かってくれると思うのは論外だ。そのためにも小まめな思いやりが必要で、小まめに動かなければならない。女性の理想のタイプの条件の一つに「行動力がある」をあげる人がいるが、これは多分、相手にこまめさを求めているのだろう。とにかく男は心を開いて、プライドを捨て、思い切り自分をさらけだし、相手にこちらの思いを告げることなのだろう。これ、けっこう男性諸氏には難しいかな。言葉の必要性
恋をすると女性は美しくなるといわれるが、たしかにこれは事実のようだ。恋する女性の肌はみずみずしくなり、艶めいてくる。表情は和み、肌はぬれるように見える。これは内側から化粧品を塗ったようなものである。愛されていることによる精神的な昂り、それが刺激となって血のめぐりがよくなる、ということだ。女性ホルモンも活発化するのだろう。恋する女性は
あらゆるリスクを振り払っても、なお今目の前に迫る愛欲に燃えたい、と思う時があります。当然、ここには理性などない。理屈でも知性でもなく、躰の奥底から溢れ出る本能が暴れ出す。こうした状態にある男女に世間の常識や倫理を説いても無駄でしょう。渦中のふたりには今の圧倒的な快楽がすべてなのです。めくるめく快楽はほかの誰にもわからない。もうこのまま果ててもかまわないと思うタナトス(死の本能)に支配された思い。命燃え尽きるまで愛する人とともにいたいと思う気持ちは、他に代えることのできない悦びなのです。絶対愛とは
「あなたを好きになって、恋して愛したから、とっても綺麗になれたし、毎日に毎日、生きている意味がわかった。無論、いっぱい苦しいことがあったけど、その何十倍もの嬉しいことがあって、死ぬほど愛したおかげで、全身が敏感になっていて、なにを見ても感動できたし、・・・こんなにいっぱい、全身に入りきれないほど、素晴らしい思い出が詰まったから、もういいわ。もう思い残すことはなにもない」「失楽園」より。こんな人生がどれほどの人にあるかなあ。より深く生きるとは
男女の恋にはタイミングというものがある。そのチャンスを逃すと、せっかくの熱い思いも相手に伝わらずに失速してしまう。あの時こうしていれば、とか、あの時ああ言っておけばとか、あとで後悔してもはじまらない。そうした悔いは誰にでもあることだが、タイミングをつかむことは重要だ。例えば、相手の心が傷ついているときに、温かい言葉をかけてやることで、その一言が抜群の効果をあげることがある。この一番と思う時が来たら、一気に進まなければならない。相手がひたすら愛を告白してしてくれる時に、それに気づかずやりすごしてしまう。あとでその愛の深さに気づくことになる。行くと決めたら躊躇せずにすすむ。かりに失敗しても行動をおこさずに後悔するよりよほどましである。タイミングについて
男女の関係にはじつは相性というものがあり、それが実に大切なんですね。ただ、男性が感じる相性と女性が感じる相性とでは少し違うようです。男性は文字通り相手と接触した時の肉体的なフィット感が大事であるのに対して、女性の場合は相手の性格や人間性を重視するのです。男性が肉体派に対して女性は脳で感じるのです。だから女性が性感を感じる範囲は広いんです。この違いは深い谷間のようにあり、男性が魅力を感じる相手は、外見ではなく、あくまで性的な魅力があるかどうかにあるようです。第三者からみて、あんなカップルがどうして?と思う場合があるのも、それは二人だけが知る相性のゆえだということが言えそうです。相性について
女性はある年齢に達すると、もう歳だからといって、例えば、お腹に贅肉がついたりとか、躰のかたちが崩れることをとても気にします。私のパートナーはときおり呟きます。この歳になると、男はね、相手を喜ばせることで満足するものだよ、と。だから相手の体型とかはあまり気にせずに、それよりも性的に成熟していることが大事なんだ、というのです。ということで、中高年女性の方がずっと官能的な魅力を感じるというのです。自分が仕掛けたことに相手が充分に感応し、喜んでもらえることで、さらに自分が満たされるというのが本当のところのようですね。熟年女性の魅力
純粋に恋愛関係にあるとき、男性が相手の女性に求めるものは、相手の女性がいかに自分の欲求を満たしてくれるか、というところにあるようですね。そういうと躰だけが目的のように聞こえますが、男には心の奥でこの人の躰が欲しいという欲求がないと前に進めないらしいです。もちろん、その前提に、相手の容姿や人柄,感性が気に入っているということがありますがね。要するに絶対的な快感を与えてくれる人が理想なんですね。男が女性に求めることとは
春は曙、ようよう白くなりゆく頃、温かな陽気に誘われるようになにやら体内からむらむらと湧き出るものがある。これがいわゆる性欲というものなのだろうか。思わず隣に寝ている人の手を引き寄せ、手を握りしめる。ふいに握られた手に相手も気づき、目をさます。お互い無言のまま躰を寄せ合う。軽い口づけをして、朝の目覚めの挨拶をする。よく夜の営みというが、意外に朝の方が気持ちも躰も高揚するものだ。朝であるために、夜のようにだらだらとできないので、密度のある触れ合いが楽しめる。鶯の囀りを遠く耳にしながら至福の時をすごすことができる。春は曙
夫が会社の立場が変わったことで、確実に、前よりもふたりでいる時間がふえました。お互いを見つめ会う機会がふえたのです。ふたりで食事に出かけたり、ネットで映画を観たりすることで時を過ごすことが多くなりました。それが刺激にもなりました。そうしているとふたりの関係が新鮮になるのが不思議でした。昔の恋人というまでにはいきませんが、もっとゆったりした交流ができるようになりました。以前は夜の交わりも週に1回あるかどうかの状態でしたが、それがなにやらふたりの肌の触れ合いが多くなったんです。ときめく感情が躰をつつむようになりました。年を経た夫婦が、男と女の関係に徐々に変化するのがみてとれました。明らかに変わりました
S行為はテクニック以前に相手との躰があうということが究極ですね。躰があうとはどんな意味かといいますと、体型とかではなく、躰と躰を重なることによるフィット感です。インサートした時のぴったり感ではなく、肌と肌がぴったりと合うということなんですね。お互い、肌が吸い付くような感じをいうのですね。これは理詰めで説明できることではありません。実際体験してみなければわからないことです。躰が合うということ
男女の適当な距離というものがあり、それが破られと関係が破綻する。それはどういうことかというと、それぞ相手の関係を保つにほどよい距離感というものがあるということです。女性はひとたび相手にのめり込むと、まっしぐらに突き進むけれど、男性はそういうことはなく緩急自在ということらしい。好きになった相手とずっと離れたくないと思う女性に対して、男性は我を忘れてのめり込むということはないようです。この違いは男女の生理の違いがそうさせるようで、しかたありません。この違いを理解しながら、お互いの距離をつくり関係をつづけてゆくことが持続するコツなのかも知れませんね。男と女の愛の距離感のちがい
女性が感じる男性に対するセクシーさの基準は案外複雑なんです。外見がイケメンであればいいというわけではないんです。私の場合は清潔さがいちばんです。だからと言って、毎日お風呂に入っている人という意味ではありませんよ。あと母性本能をくすぐるタイプですね。放っておくわけにはいかない、というタイプですね。どこか頼りなくて、手を差し伸べたくなるんですね。これは男性の側から見ると、軟弱なダメな男のタイプと見られるのでしょう。これは男性が意識してつくれるものではありません。日頃の態度、ことばなどから醸し出されるもので、それが女心をくすぐるんですね。風にそよぐ葦のようにじっと見ているわけにはいかなくなるんですね。とはいえ、セクシーさを感じる、いちばんの理由は、メスとしての本能的な感覚なのかも知れませんね。女性が感じる男性のセクシーさの基準
男性が求める女性のタイプというものは、あんがい、女性にはわからない。ひとつ言えることは女性にモテる人は男性にはもてないらしいことだ。どんなタイプかというと、三枚目で、面白い女性が同性には好まれますね。あけすけで、ズケズケ物を言って、周囲を笑わせる、そんなタイプの人ですね。こうした女性はもちろん男性も好みます。が、それ以上のことはなく、けっして恋愛感情を抱かないようです。いくら外見がよくても、セクシーな感じがしなければ気持ちが動かない、ということのようです。男性に好かれないからといって、愛されていない、というわけではないのが、なんとも複雑なんですね。いい人では男は感じないようで