ふつう男は女性と近づきになるまでは獣のごとく荒々しい感情が体内に吹きまくるが、ひとたび女性との関係ができると紳士的になり穏やかになる、といわれる。ところが、反常識的になるが、愛をより深めるためには、親しくなるまでは紳士的にして、いったん心が通じあったら、獣のように相手を求め続ける、というのが理想のパターンなのではないか。愛の百態ーその98
Sは脳の血流を高め、心肺機能をたかめ、記憶力をたかめ、認知機能をたかめます。さらに親密な社会関係をつくることになります。 老齢・熟年カップルの夜の世界のつぶやき
ふつう男は女性と近づきになるまでは獣のごとく荒々しい感情が体内に吹きまくるが、ひとたび女性との関係ができると紳士的になり穏やかになる、といわれる。ところが、反常識的になるが、愛をより深めるためには、親しくなるまでは紳士的にして、いったん心が通じあったら、獣のように相手を求め続ける、というのが理想のパターンなのではないか。愛の百態ーその98
若いということは未熟であることでもある。女性も40半ばを過ぎると心身ともに豊穣さを身につけることになる。凄まじい、という表現にぴったりの、命を燃やすことのできる年齢になる。熟女というのはそういう人をいうのだろう。愛の百態ーその97
恋は美しいというのは本当ではない。恋のエネルギーには嫉妬や憎しみが含まれていて、それがあってこそ燃え上がる。生々しく、どろどろとした情念が恋の起爆力になるのだ。誰か不幸にしなければ恋はかなわぬものなのか。愛の百態ーその96
適当な距離があってはじめて二人の愛はうまく成立する。去る者は日々に疎しというとおり、離れていればおのずと愛は色あせてゆく。反対に近づきすぎてひとつの壁もなくなるのも愛を壊す。付かず離れずの関係が長続きさせるコツなのかもしれない。愛の百態ーその95
男の、オスの本能ともいうべき性的好奇心は、もっと本質的な言い方をすれば、限りある命を、絶頂の感覚で燃えたたせたいと願う心から発するものである。こうした行為に走らせる根源の理由は、死への無意識な恐怖心があるからで、一見、遊び感覚で女性に接する男の心にさえ、暗い深淵が口をあけている。快楽を求める行為の底には死への本能(タナトス)がつきまとっているのである。愛の百態ーその94
第一に、ある性的成熟が必要であること、さまざまな抑圧から解放されていること、相手に心を開くことができる状態にある、などの条件がととのってはじめてエクスタシーに達することができるという。あくまで肉体的なことではなく、心あるいは脳内活動の問題だ、と言える。愛の百態ーその93
私見によれば、女性がエクスタシーを感じるというのは極めて主観的なもので、それだけに本当に自分がそうした状態に達しているのかどうかわからず、思い込みで理解しているように思える。エクスタシー状態とは、瞬間的な絶頂感に陥ることである。この状態になるためには、いくつかの条件があるが、何よりも相手との心のつながりがあることであろう。それなくしてテクニックなどで何とかするとか考えるのは邪道だ。愛の百態ーその92
さる調査結果によれば、交際相手のいる単身者の方がそうでない妻帯者より性愛欲求が強いと言う。これは何を意味するかと言うと、人は社会的に拘束される異性関係より、より自由な関係を求める、と言うことであり、自由な性愛にこそ自由が実現すると言う思いがあるからであろう。これからの社会はそう言う方向へさらに発展してゆくことを暗示している。愛の百態ーその91
すべての愛の行為は、まず自分のいつわらない気持ちを正直に相手に告げることだ。それをせずに相手がわかるはずだと思うのは、独りよがりの、勝手な思い込みである。特に、男にはこういうタイプが多い。愛の百態ーその90
アバタもエクボといわれるように、愛しているさなかは、相手を客観的に見ることはない。いわば、相手を性的な幻想のなかで受け止めているのである。ところが、ある瞬間相手に対する性的幻想をうしなうということがある。そうなるとすっかり気持ちが醒めてしまって、いままでエクボであると思っていた部分がアバタに見えてしまう。特に、男の場合これが強く出るようだ。愛の百態ーその88
恋の焔は周りの状況が悪ければ悪いほど燃え上がる、といわれる。それだけにそれを保つエネルギーは大変なもので、周囲の敵視に対して居直れる図太さが必要だ。それができない恋の焔はすぐに消える。恋愛感情は周りの条件が悪ければ悪いほど燃え上がる。不倫はもとより親が反対する結婚でも同じこと。周囲からの軋轢がかえって二人の関係を強固にする。愛の百態ーその87
お互いに愛しあっていた男女がなにかのきっかけで別れるということはままあることだ。が、肉体の絆が強いためになかなか別れないこともある。何か問題が起きてもこの絆が強いために危機を乗り越えることができる場合がある。肉体の記憶というものは想像以上に強く心に刻み込まれているのである。一般的に女性の方が強く体にとどめておくように思われる。愛の百態ーその86
女性の美しさは、若い時は当然である。本当の美しさは輪をかさねたところから発露する美しさだ。50歳を超えて生まれる美しさは本物である。ということは女性の魅力の本質は外見ではないということだ。熟成した魅力は年齢を経なければ生まれで出ないのである。愛の百態ーその85
男の浮気心というものは、男の懲りない本姓がなせるわざというしかない。常にエロスを求める男は狩人のごとく異性を探し求める。が、それが実行に移されないのは、社会的な制約があるためだ。それがいいか悪いかが問われるのは日本だけで、例えば、フランスでは成り立たない。男と女が愛し合うことは人生の主要目的として、たとえそれが道に外れていたとしても市民権をもっているのである。愛の百態ーその84
巷で見かけるカップルのなかには、どうしてあの二人は一緒にいるのだろうか、と意外に思うケースがある。しかし、それは二人にしかわからないわけがあるのだ。この二人には論理や理性ではない肉体の記憶が刻み込まれていて、それが二人の強い絆になっているのである。生活能力のないダメ男から離れられない女、本当の性に目覚めさせてくれた男、男からしても同じようなことがいえる。愛の百態ーその83
二人の内密の関係は、それが密かに秘密に満ちているゆえに、その味わいは格別のものがある。日常はさりげなく過ごしているが、ひとたび、その時を迎える際には、日常が失われ、非日常ともいうべきめくるめく関係が醸成される。このなんと見えない瞬間は当事者でなければ分からない。だから、再び、その機会を求めることになる。愛の百態ーその82
もう年だと思いつつも、なぜかカラダの芯から訳のわからない魔性のような、生への欲求がが蠢き出るのを何とも処理し難くて、それを温めつづけている。それが生きている証拠なのだろう。生きている限りその気持を失わないでいたい。無性に肌と肌が触れ合うことへの欲求が芽生える。愛の百態ーその81
老齢の異性に対する関心というものは、残った命への抑圧を排除したいと思う強い願いであり、また命への讃歌でもある。それは神聖な生命の輝きでもある。いっぺんだけしか生きられないのに、こんなことでいいのか、という心のそこから沸き起こる欲求である。限りある命の自覚
何も言わずに、相手が分かってくれると思う男性が多い。が、そのためには小まめな思いやりが必要です。小まめに動かなければ何ひとつはじまらない。女性が描く理想の相手のタイプの条件の一つに「行動力がある」がある。これは多分、相手にこまめさを求めているのだろう。とにかく男は心を開いて、プライドを捨て、思い切り自分をさらけだし、相手にこちらの思いを告げることが必要です。誤解をされては困るのは、ただ饒舌に喋りまくるということではありません。これ、けっこう難しいかな。愛の百態ーその80
清らかな愛というのは言葉のうえでのことであって、実相はもっと生々しくどろどろしたものなのかも知れない。愛のなかにはある種の嫉妬や憎しみが潜んであるのであり、それがエネルギーとなって燃え上がるのである。だから愛は常に加害者をつくり被害者を生み出す。愛が深まるにつれてエゴが強くなるのである。絶対的な愛を成就するには圧倒的なエゴイストになる必要がある。誰か不幸にしなければ恋はかなわぬものなのか愛の百態ーその79
適当に距離があって、ときたま逢うという関係の方が、優しさや愛おしさが保たれるのであって、日常的に常にそばにいるとお互いに惰性が芽吹き、新鮮さが色褪せてくる、という現実がある。そばにいることで、次第にアラが見えてきて、欠点が露わになる。例えば、真面目で誠実でさえ退屈で厭うべきものとなることさえある。常にそばにいる関係にある場合でも、お互いに侵すべからざる秘密があって、それがほどよい障壁になっている方が、お互い新鮮な関係が保たれることがあるのではないか。愛は離れすぎると薄れると同時に近づきすぎると色褪せてゆく。マンネリにならマイための愛の関係というものがあるのだ。適当な距離感
清らかな愛というのは言葉のうえでのことであって、実相はもっと生々しくどろどろしたものなのかも知れない。愛のなかにはある種の嫉妬や憎しみが潜んであるのであり、それがエネルギーとなって燃え上がるのである。だから愛は常に加害者をつくり被害者を生み出す。愛が深まるにつれてエゴが強くなるのである。絶対的な愛を成就するには圧倒的なエゴイストになる必要がある。リアルな愛
時おり温もりを求めてしまう,温もりを分かち合いたいと思う。そんな気持ちになるときは、いつも決まって躰の奥より何かつきあげるものがあることに気づく。それは若い頃の激しい疼きでなないけれど、じわじわと溢れ出るものである。こんな気持ちになるのは私だけだろうかと、ふと周りを見回してしまうが、そんな気配はどこにも漂ってはいない。皆んなそん情動を隠しながら平然と日々を過ごしているのだろう、と納得したりしている。愛の百態ーその78
係わりを持ってから・・・その結果の告白心が喜べば躰も喜ぶと言いますが、それは確かです。躰だけの関係がいかに虚しいものかは、実際に、そうした関係を体験して見れば明らかです。脳を刺激する快感は、心が伴っていないと本当の意味での快感にはならないものなのです。性的に溺れるということは精神的に溺れるということです。相手が好きになってSするうちに肉体的にも深まってゆく。肉体が変わる前段階には当然精神愛があるわけですし、だからこそ、そういうとてつもない快楽を感じられることになるのです。愛の百態ーその77
係わりを持ってから・・・その結果の告白脳みそがとろけるような愛撫というものを紹介しよう。まずキスはSへの挨拶。「ぷ」の唇で。乳房はまず、ゆっくりと乳房の全体を撫でて、次に乳首の周囲、つまり乳輪を撫でる。そして、最後に乳首に触れる。舌で舐める。やがて、胸が張り、火照る。下腹がじんわりと熱くなる。羽毛のように触れてゆく指は、やがて股間へ手を滑らせ陰部へ。指が膣の周囲を撫でてゆく。膣の快感はやがてより深く濃厚なクリトリスの快感へと昇華してゆく。震えが体の芯から水の波紋のように広がり始めた。花芯が濡れるに従って躰が痺れてゆく。めくるめく快楽の波が身体中を駆け巡る。愛の百態ーその76
係わりを持ってから・・・その結果の告白人は秘密を胸にしまい続けることが意外と苦手だ。思わず口か出てしまいそうなあの人の名前。親しい友だちにさえも、その名を隠しているから誰も知ることがない。それだけにかえって、言いたい気持ちが溢れ出て、顔にあらわれ出ることがある。そんな時、はっとして口をつぐむことがある。それがなんとももどかしい。いっそ一気に吐き出したい。愛の百態ーその75
係わりを持ってから・・・その結果の告白躰が求めている。忘れていた感覚が戻ってくる。私はまだ女であることを自覚する。夜の温もりが忘れられない。女として求められることを欲している。異性に対する関心はた命への讃歌でもある。それは神聖な生命の輝きである。いっぺんだけしか生きられないのに、こんなことでいいのか、心のそこから沸き起こる欲求である。愛の百態ーその74
係わりを持ってから・・・その結果の告白乳房は、今も娘のときに似た膨らみを持ち、弾力を失いつくしていない。燃え尽きることのできなかった生命の断片がしこりとなってその内側から抗うものを盛り上げてくる。空しく花を萎ませてゆく、女の一つのいのち。それが時折疼くように揺れ動く。その脆さの中にわたしは浸っている。表面にはあらわれ出ていないけれど、胸の奥に仕舞い込んでいる一つの熱い思い。それはいつ燃え立つとも知れず、火種となっていつまでもあり続けている。愛の百態ーその73
係わりを持ってから・・・その結果の告白さくら咲く雨の夜の外出から帰って、家の中に入ると、二人はすぐに濡れた唇を重ねた。互いの肩と背にしっかりと腕を回して、固く、抱きしめ合う。これから起こることを想像すると胸の昂まりを抑えることができなかった。体の奥がとろけるような、危ないきらめきが矢のように躰を射した。こん興奮はどこから溢れ出てくるのだろうか。男と女とが同じ方向に傾いた心を持つ時、二人は強く結びつく。それは昂まったいのちのふれあいなのだ。愛の百態ーその72
係わりを持ってから・・・その結果の告白・心も躰もせきとめることができなくなり、彼に身をまかせましたこれ以上つづけていてはいけないと思いつつ、もう我慢ができないという気持ちが溢れ出ました。感情を抑えることができなかったのです。・感情に流されてしまいそうでした。わたしの躰をを預けた状態で、気だるい幸せを感じました。自分の気持ちにいつわりがないようにしたいと思いました。こんな年齢でも恋をするし、愛をたしかめたいと思うものです。愛の百態ーその71
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その26真剣な出会いを求めています。今は家で趣味も兼ねたお仕事をしています。お相手の外見や年齢に全くこだわりません。素敵に年を重ねた方に魅力を感じます。結婚は必ずしも望んでおりません。その26還暦を過ぎ、ゆっくり楽しい時間を一緒に過ごせるパートナーがいたらいいなと思っています。歳をとっても手を繋いで歩くようなパートナーが見つかったらいいなーと思っています。結婚を急いでいない方希望です。その27優しく包容力のある方希望です。これからの人生を楽しくお互い尊重し合える方だといいですね。また、お互いの趣味嗜好を理解してくださる方と楽しく過ごせればと思っています。愛の百態ーその70
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その23若い頃から結婚願望は薄く自由を謳歌してまいりました。が、年齢とともにこのまま一人で過ごしていけるのかと不安になりました。パートナーになって下さる方にはありったけの愛を注ぎたいと思います。相手の喜びが自分の喜びになるーそのようになれる方と出逢えたらハッピーhaです。その24お互いの時間も大切にしながら二人の時を楽しみたいです。将来に繋がる出逢い…探してます。とは言え、互いに寄り添うって難しいですね。歯車が少し狂うと気持ちがすれ違ってしまう。長年違った環境で生きてきたのだから当然なんでしょうね。価値観、考え方が違ってもお互いを尊重し、解り合える関係ができたらいいなと思っています。その25体の関係だけでいい。この...愛の百態ーその69
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その20二人がいたわり合い、心から笑いながら生きてゆく、そんなことを夢想して登録いたしました。簡単ではありませんが、そんな人がいるはずだと信じています。その21私が求めているのは、とも白髪でお互いをいたわりあう仲ではなく、逢うたびに新鮮な気持ちで愛し、身体を重ね合う関係です。突飛と思われるかも知れませんが、それが真実の気持ちです。まだ私は女です。その22日常的な現実を一切拒止して人工的な夢幻の境地に逃避する、そんな境地に至るような出会いを求めています。これは果てしない夢なのでしょうか。愛の百態ーその68
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その17肌の温もりを感じあいながら愛し合いたいと思っています。愛の交流を通して心のつながりを深めたいと願っています。躰を合わせて、互いの愛おしさを感じたいと思っています。その18人生を重ねることで味わい深い喜びをを得たいと願っています。こんな歳ですが、まだまだ楽しみたい。いまの瞬間を、心踊る時間を楽しみたい。その19恋人としてでなくとも、直接逢って触れるだけで私に何かが蘇るものがあるかも知れない。肌が合うと言う言葉通り、触れているだけで和み、飽きることがない、そんな関係が作れればいいなと思っています。愛の百態ーその67
その14心から安らげる、寄り添っていける方を探しています。一緒に笑ったり、泣いたり、考えたり、喜んだり、日々の喜怒哀楽を共にしたいと思っています。そして楽しんでいけたら嬉しいです。その15一緒にいるだけでお互いに居心地が良く自然体でいられる。共にいるだけで自然と笑顔になれるそんなフィーリングの合う方に出逢えたらいいかなと思っています。その16今も現役で働いています。仕事は好きなので毎日楽しいです。でも、仕事から離れている時、ふと寂しく感じることがあります。そんな時、まだ女でいたいと思ったりします。女は灰になるまで女。そんな言葉を信じます。愛の百態ーその66
瑞江は、3年前に働き者の夫を亡くした。無口だが頼りがいのある優しい男だった。流産して子供の産めない身体になっても、夫の晴夫は瑞江を常にいたわるように扱ってくれた。瑞江は間もなく50になろうとしていた。ある日、パートの職場から帰る途上で、路上にうずくまる若者を見つけた。あたりに薄闇が広がる路地にうずくまっている人影にはじめはぎょっとした。介抱してやると男は、名を矢島といい25歳のコンビニに勤めていたという。聞けば、この近くに住む友人を訪ねるところだったという。すると急に持病の神経痛がぶり返してうずくまっていたのだという。瑞江は気の毒に思い、その若者を家に連れて帰り、夕食を食べさせてやろうとした。簡単な夕食を用意して食べさせると見苦しいほどがつがつ食べたが、汚れた衣服に似合わず、きっちり両膝を揃えて座り、言葉...勘違い
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えてくる。その例10わたしはSではありませんが、変わった趣向の方に興味をもちました。日常を離れて非日常を楽しむことを夢に描いています。ときめきを全開できるのもそんな時でしょう。早い時期にお会いできればと願っています。その例11健康が資本なので、体調が悪いと深刻に落ち込むことはあります。そんな時に、励ましてくださる心のパートナーがいてほしい。ときめきのある楽しい後半生を過ごしませんか。その例12退屈な日常を抜け出して、何か新しい刺激を求めたいと思います。人生を楽しみましょう。お互い語り合うだけでも新境地が開きますよ。その例13初めまして。忙しい毎日でも一言のメールで元気になったり、お互いの事を思い巡らせたり、そんな温かい関係が...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例7楽しい人生をつくりませんか。スローライフで心豊かな過ごし方ができればと思います。非日常を求めて、ときめきのある楽しいひとときを探そうではありませんか。散策、食べ歩き、温泉といろいろありますね。その例8定期的に逢って二人で楽しいひとときをすごすのが夢です。老いらくの恋が育まれていく過程で素敵な物語が生まれればいいですね。初恋のドキドキ感はいつまでも忘れられないものですね。純粋なものであれば。ある程良い想い出になりますからね。その例9夢を食べて生きてる私です。多分。生涯そんな気持ちで居られたら幸せと思います。贅沢な夢ではなく。地味でいて心がホワッとするものを望んでいますついでながら、歳はとっていても夜の方ですが...愛の百態ーその65
マッチングアプリから聞こえて来る声をいろいろ集めてみると、そこには女の本音が垣間見えて来る。その例1お互いに癒しあえる関係って素敵ですよね!いろいろ愚痴や悩み事を聞いて貰えたり欲求に素直になれる人が良いなと思ってます。恋人みたく大人の関係出来る人が希望です。その例2お互いに実りのある出会いになれるような人と出会いたいと思って始めました。まずはメールで話しながらいいいい関係になれたと思います。その例3初めまして。あなたのテクニックに溺れて見たいと、メールしました。胸ときめくひとときに浸れたらいいですね。ぜひとも夢を実現したいですね。愛の百態ーその63
手当という言葉がある。ふつう、医療における対応策をいうが、これは男女の関係を深める意味でも効果がある。手当は触れることである。ボディタッチを通して互いの信頼感を高めるためにも不可欠である。それは優しく柔らかく、手、手首、腕、膝、腰、うなじ、などが対象になる。ボディタッチとともに、気配りの言葉を添えて。それを通して心のつながりが深まるのである。愛の百態ーその62
愛を深めるための肌の接触について。肌と肌をピッタリと密着させて、文字通り一体感になる。その究極は、ぺ○スがゆっくりと優しく挿入される時だ。その時の至福感は例えようも無い。そんな状態でしばらくじっとしているとジワリとこみ上げるものがある。激しいピストン運動は必要ない。ペ○スが女性の体内に包み込まれているうち、感情が抑えられないほどに昂まり、やがて頂点に達する。そしてその時、その感情を一気に放出する。放出すると先ほどまでの情熱は急に萎えてゆく。これは男も女も同じだ。とはいえ、女にとってぺ○スの挿入はS行為の究極なものではない。愛の百態ーその61
君に会った。君のことが忘れられない。君のことが胸にも頭にもいっぱいになって、もう他のことは何も考えられなくなってしまう。理窟もなければ理性もない。などと言い寄られた場合、女性は間違いなく引くだろう。何かそこに暑苦しい圧を感じてしまうからだ。この感情の行きちがいをどう折り合わすかに悩んでしまう。愛の百態ーその60
まずは外陰を指でゆっくりとソフトに動かす。やがて膣内がねっとりと濡れ始める。この濡れは、膣の入口にあるバルトリン腺から出るものです。色は透明でネバネバしていて、糸を引きます。女性が感じるとこれが先に出ます。やがて躰がピクピクと動くようになります。次に、膣に指を入れ、クリトリスをこれも優しく愛撫します。快感曲線は最初の段階では徐々に上昇し、快感が理性の域を超えるまでになります。その後、平坦に高止まりし、しばらくするとまた急上昇します。やがて、快感は極限に達し、オーガスムをむかえます。愛の百態ーその59
・メールのやり取りの中で、こちらの気持ちを伝えてもそれに応えるような気持ちの表明がない。何かを抑制しているのか、それを避けているのか分からないが、内心を晒そうとはしない。そう言えば、実際逢って話をしていても、興が昂まって破顔するようなことがない。嬉しいのか、詰まらないのか、「ありがとう」という好悪の気持ちは表明するが感情表現でそれを表さない。それが不審なのである。これではこちらの感情が高揚するはずもなく、時間とともに気分が萎えてしまう。所詮、二人の関係はそんな程度だったのだろうと思ってみたりする。・今にして思うと、出逢いのきっかけにボタンの掛け違いがあったような気がする。宴席で声をかけられたことに痛く感じ入って、舞い上がってしまったのだ。何と愚かなことと思うが、これが寂しさからくる勘違いなのだ。相手は何の...それでも疑惑が
遠い昔のことを思い出す。それは、女の躰の中に残った肉体の記憶である。初めて味わった性の喜びの記憶が未だ躰の奥に刻まれている。あの夜のことをただ一回限りの夢か儀式であったというような気がする。それは不思議な感覚でもある。でも、確かにあった事実である。時間は何ごとも甘美にしてしまうののようだ。今も愛撫を受け、躰は燃える。それは以前と変わらない。いや、以前より燃えている時もある。だがあの時の感覚以上ではない。愛の百態ーその58
ともに燃え上がっている男女に常識や道徳を説いても無駄である、という。愛に燃えている間は、論理は通らない。理屈も知性も無駄である。愛のさなかにある男女は盲目である。人はそんな絶対愛は自分には関係ないとひそかに思っているが、一方で、そんな絶対愛に憧れてもいる。この人のためなら死んでもいいと思うほど人を好きになることを夢想する。ある瞬間、命を燃やすことができれば、どんなにか人生が豊かになるだろうか。と。愛の百態ーその57
遠い昔のことだけれど、今でも鮮明に躰に焼き付いていることがある。それは春の日の森林公園を散策しているときのことです。新緑の木々が眩しい光を反射している、そこは人気のない場所でした。深いところに来ると、彼は私の口を吸いにきました。その時、私は身をすくめましたが、すぐに云うに言われぬ恍惚に怪しく躍っていました。二人はじっと見つめあい、続いて接吻の雨。私は生まれて初めて愛し、愛される恋人を得たと云う思いに、有頂天でした。愛の百態ーその55
静かでゆったりとした時間がすぎてゆく。寝室はしんと静まり、物音ひとつしない。こんな時はムード音楽が欲しい。そう思い、私はラジオのスイッチをひねる。流れるような曲に誘われて、気分が盛り上がる。冬の夜の平和なひと時だ。そして、二人だけの秘密の時が訪れる。今、私の手の中にはぺ○スがある。それを手で弄びながら、相手の表情を伺う。次第に太く固くなるぺ○ス。その太く固くなったペ○スが愛おしくてならない。私はペ○スを体内に迎え入れることができなくても、若い時には得られなかった快楽を、長く、持続的に味わうことができる。愛の百態ーその54
スローSの本意は、互いの情愛を確かめ合い、存在を認め合い、いたわりあうための肉体のコミュニケーションにある。魂と魂との語り合い男と女とが互いに繋がりたいと思う願望の成就である。それがいま生きているという生の証になっている。女は仰向けになって、膝をやや開き気味にして目をとじた。そして、男を伺うように薄眼を開けて微笑んだ。安心仕切った態度がそこにはあった。慈しみあうエロスの重要さ。この神聖なる行為をおろそかにしてはならないと思うのだった。愛の百態ーその53
乳房やヴァギナを指で優しく、フェザーが触れるように愛撫したり、舌で舐めたりする行為のひとつひとつに敏感に反応しては、全身で喜びを表す。思わず、「どうして飽きないんだろうか」と思う。それはスローセックスがなせるわざなのだ。スローセックスのキモは、時間をかけてボデイタッチをすることにある。タッチする場所は色々あるが、乳房、ヴァギナ、腰、うなじ、腕、膝、手首などがあげられる。これらが全て性感帯になるのである。つまり、S行為は何度もいうように、女にとっては、挿入されることが究極ではないのです。愛の百態ーその52
お互い共にいたわり合い、心から分かち合いないながら生きてゆく。腕を回して、互いの肩と背をしっかりと接触し、固く、抱きしめ合う。互いの温もりがジワリと伝わってくる。それはかけがえのない一瞬だ。今、こうして、老いて社会から外された存在になってみて、やっと本来の自由な自分自身にもどることができたような気がする。時に、諍いをして、言葉で傷つけあっても、その後、肌と肌と触れ合って愛の行為をまじわせば、とびきり仲睦まじい二人にもどれるのだ。それが老年の愛というものだろう。愛の百態ーその51
この歳になっての乳房は、今も娘のときに似た膨らみを持ち、弾力を失いつくしていなかった。燃えきることのできなかった。生命がしこりとなってその内側から抗うものを盛り上げている。空しく花を萎ませてゆく、女のいのちの一つの極点にあるような危なっかしさ、脆さが、わたしのなかで揺れやまない。愛の百態ーその50
人間という生きものは、歳を経て、新しい命を生み出すつなぐ生殖の期間が終わったからといって、身中の性的な欲望や機能までも衰え、消えてしまうわけではない。胸ときめく誰かと出会い、肌と肌を重ね合わせて、肉体と精神の喜びを共にする行為を願望している。日常の生活の中で、ふと垣間見せる性の揺らめきを、世間的な規範で抑圧してはいけない。もっと真摯に、素直に、そうした情動を態度であらわすべきなのだ。ただ歳をくって、諦めの中で、年老いてゆくのはいかにも寂しいではないか。・愛の百態ーその49
部屋の灯りを消してから、私は服を脱ぎ、ついでブラジャーを外し、パンティを脱いだ。それからベッドの毛布をめくり、そのなかに潜り込んだ。そして、すでに横になっている彼に抱かれた。私は自分の躰を密着させて相手の火照った躰を全身で感じた。「君の躰って冷たいんだな」と彼は言った。夜のしじまがいっそう深くなった。二人だけの、誰にも邪魔されない、こんなひとときを、決して手放したくないと思う。頽廃と愉楽と、外界からの遮断と陶酔のなかにいる二人だった。今年最後の夜だった。愛の百態^その48
歳月のすぎるのは何と早いことか。時の流れに流されて生き続け、歳月もまた流れ過ぎ、世は移ろい変わりゆく。そんな時、昔あったことがきれぎれに頭に浮かんではまた消える。乳房を柔らかく、きつく括りあげられるだけで、頭の中で何度でも白い光が爆ぜた。S行為がこれほど気持ちいいと思ったのは生まれてはじめてのことだった。何度果てても達しても足りなかった、あの時の思い出が、いままた熱く蘇ってくる。愛の百態ーその47
求められたい気持ちがある。高齢であるとはいえ、その気持ちがなくなることはない。これは人によるかも知れないが、女性として求められることは嬉しい。それは新たな活力になり、心身ともに若返るきっかけになる。喜びと満足感に浸れる行為は理屈ではない。聞くところによれば、性的関心がある人は長生きするという。だから、性的な興奮をもちつづけることはアンチエイジングにもなるのである。愛の百態ーその46
冬至の日、ひさしぶりに隠れ家のような湯宿に泊まった。懐かしい我が家にもどったような気分になり、ほっとする。さっそく冷えた躰を温めるべく天然自噴の掛け流し湯に入る。誰もいない、貸切湯のような風呂。湯気の籠った浴室の鈍い電灯のもとで、共に湯船に浸り、白く浮遊するお互いの躰を眺め合う。温まるほどに気持ちよくなる。あまりの気持ちよさに、躰がふっと膨らんで、頭の中が瞬間まっ白になる。どちらかともなく、互いの素肌を合わせ唇を重ねる。まさに至福の時である。愛の百態ーその45
纏っている衣服をまさぐり秘所へと指がのびてゆく。指はしだいに深所をまさぐり、細やかに動き、大胆さを増してゆく。そんな動きを、息を殺しながら受け入れている自分がいる。躰がしだいに熱を帯びてくる。やがて、股間が汗ばんで、知らず間に躰をよじっている。次の瞬間、わたしの手が相手の指をしかと押さえて強く動くように促す。今感じているこの感覚を逃したくない。その一心で躰が動いている。そして、その瞬間が訪れた。そして、わたしは無我の境地で何かを叫んでいたように思う。愛の百態ーその44
結婚することがハッピーエンドなのではない。長い夫婦生活を通じて、時がたち次第に老いてゆく。その間、数え切れぬほどのふたりの交わりがあり、喜怒哀楽があり、それらが二人の絆をたしかなものにしていた、としみじみと思う。ごく普通の日常のなかで、ふと、そばにいる相手の息遣いを感じる。そんな平凡なことの積み重ねに幸せがあると気づく。そんな過去を振り返って、あらためて二人が幸せであったと思えたら、その時はじめて結婚生活がハッピーエンドだと思えるのである。愛の百態ーその43
瞬間的に絶対愛の充実感にひたれることがあります。それは行為のさなか、相手との交合中に感じる悦楽で、それは他に変えられない悦びです。ある意味、これほど強烈な体験はありません。人は絶対愛にあこがれるけれど、それは幻影のようなもので、見果てぬ夢ともいえるでしょう。移りゆく歳月のなか、それを現実にすることはかなり難しいことです。でも、ある瞬間、命を燃やすことができれば、人生いろどり豊かになることは間違いありません。愛の百態ーその42
生活に緊張感がなくなると何となく心身ともにだらしなくなったように思う。やはり日常的に緊張感が必要だ。怠惰な人の顔は崩れていて決して美しいとはいえない。恋は緊張感の連続である。世間的に許されない恋をしている時の緊張感はなおさらで、常に人から何か言われまいとする心の緊張をともなう。気構えというか、いっときも隙のないようにしようと思う。それが緊張感につながるのだ。年齢より若く、美しい容姿を保っていられるのもそのせいか。生活に張りをもって過ごす。緊張こそ女を美しくさせる原点だと思う。愛の百態ーその41
その外見に反して、高齢になっても性欲は消えないのであり、性欲があることを理解すべきなのである。高齢者の性欲を、忌むべきものとするのは社会的な偏見や誤解があるからであり、そうした社会的なタブーは解消されなければならない。一方、その当事者である高齢者が、自身の若さを保ちたいならば性欲を抑圧してはならない。性欲は自然であり、その欲求を尊重する必要がある。それによって、自己肯定感、幸福感が高まることになるからだ。内に隠した性欲を相手に打ち明ける必要がある。愛の百態ーその40
女は多面体であるといわれると、納得することがある。付き合う相手によって、ごくふつうに違った面を見せる。どれが本当の姿かといわれても、どれも本当というしかないところがある。躰はひとつなのに複数の顔が存在している。これは女性ならではの防御の姿勢なのかも知れない。躰のなかには得体の知れないものが棲みついていて、そうしたものが時と場合によって表に現れる。それは規則的でなく、ある時は衝動的に、つかみどころないものとして現れる。女は多彩で複雑、それは常に流動的であるのだ。愛の百態ーその39
ある時、聞いてみたことがある。男はS行為での快楽をどう捉えているのかと、いうことについて。その答えは、男は行為そのものよりも、それに関わる相手の反応に関心があるというのだ。愛する女の燃えてゆく姿を眺めることであるという。それは喘ぎ声であり、表情であり、うごめく肢体が、まるで万華鏡のように変化しながら、頂点に達する姿を見届けることであるようだ。男が心身ともに満たされてゆくのは、そうした時であり、思わず、「よかった?」と聞いてみたくなるはそれをたしかめるためであるようだ。愛の百態ー「その38
すべてが終わったあとの静寂に浸る時ほど安らぎを覚えることはない。激しい行為のあとだけに、この静寂は捨てがたい。燃えている時の興奮とはまた違った満ち足りた充足感が味わえる。二人の躰が密着した状態で、深くつなぎあっていると思うだけで満足感が満ちてくる。それはある種気だるさをともなった心地良さでもある。この言葉を必要としない躰を使ったボディランゲージこそが究極のコミニュケーションといえる。この燃え尽きた後の、時が止まったようなひとときの味わいは、それを経験した者にしか分からない。愛の百態ーその38
Gスポットの刺激によりさらなるオーガスムを感じるためにはGスポットとクリストスとの同時の刺激が必要です。ところでGスポットはどこにあるのでしょうか。それは膣の位置の内部3センチほどのところにあります。中指を押し込んだ、第二菅関節あたりの腹部側にあります。刺激方法はおなか側の部分を指で同じリズムでやさしくゆっくり押すと快感が生じます。マンネリにならず、さらなる奥義を極め、快感をたかめるとことはS行為には大切なことなのですね。愛の百態ーその36
ゆっくりやさしくする、というのは挿入する場合も同じです。膣に挿入したあとの激しいピストン運動は女性は快感を感じません。必要なのは、しっかり奥まで挿入したあと、ゆっくり同じテンポで押したり引いたりすることなんです。しかし、この挿入が女性にとっていちばん快感を感じるというのは違います。挿入はなくとも手マンで快感を得ることができるのです。陰部周辺の刺激、クリとリスの摩擦などがそれです。愛の百態ーその35
恋をすると女は美しくなり、男は生き生きするという。恋は人を内面から輝かせる。なによりも全身が敏感になり、感受性が昂まる。何を見ても感動し、いろいろなものに命があることを知るようになる。恋をするとホルモンの分泌が活発になり、それが血の巡りを良くし、肌が艶めいてくる。性を堪能している女性の肌がみずみずしくなり、表情が和むのはそのせいだ。愛の百態ーその34
男の女のあいだはタイミングが重要だ。愛にもタイミングがある。そのタイミングを逸すると、盛り上がった気分も萎えてしまう。この時と思ったら一気に進まねければならないのに、途中で迷い、力の抜けた行動になってしまう。あとで、「あの時こうしていたら」とか「あの時こうしてくれていたら」と思っても後の祭りである。ほんのタイミングの違いですべてを失ってしまうのだ。行くと決めたら失敗を恐れずに進むべきで、失敗を恐れて行動しないことによる後悔は傷が深いのだ。愛の百態ーその33
フェザータッチというものがあります。指先で触れる肌の感覚が、まるで羽根毛のように軽く、柔らかい状態をいいます。このほとんど強さを感じない触感は相手の感覚をますます研ぎ澄ましてゆくことになります。フェザータッチで触れられてゆく乳房や秘所はいやがうえにも興奮度を高めることになります。女性が優しい人が好きというのは、優しいタッチができる人の意味であることをお忘れなく。愛の百態ーその32
男にとって、愛の対象になる女性を、自分の力で、自分好みのタイプに変えたいという愛育願望があるらしい。最愛の女性が性の喜びに目覚めてゆく変貌の過程をつぶさに目にすることほど満足することはない、と思う。はじめ蕾のように硬かった躰を柔軟に解きほどき、やがて大輪の花が開くように咲き匂う。そんな過程にかかわったという満足感ほど深く男の心に刻まれることはないらしい。それは自分の存在が相手に深く刻まれたという満足感である。愛の百態ーその31
人肌ほど心地よく、やすらぐものはない。肌寒くなると人肌が恋しくなる。肌と肌を接していると、男も女も心が安らぎ、不安やいらいらが収まる。それなのに肌を接する機会が少なくなっている。一方で、肌合いというものがある。肌を合わせたとき気持ちよいな、と思う感覚ですね。この前提に気心が知れている。心が通じ合っているという精神的なつながりもあるのではないか、そう思いますね。愛の百態ーその30
戯れのあとの燃え尽きた状態にふたりは静かに浸っている。それはまるで何事も失せた無の世界にいるような安らぎの心の状態である。ふたりが深くつながっていると思える瞬間である。深くつながり合う男女があらためて愛を感じるのは、この燃え尽きたあとの、時が静止したような静寂の時かもしれない。文字通り、身も心も解放されて、すべての虚飾をかなぐり捨て生まれたままの姿になる。愛の百態ーその29
女の性は男より強い。男がどんなに荒々しく責めても、しょせん、果てたあとは疲労でげんなりして終わる。そんななか、女は上り詰めていく過程で快感の渦のなかにめくるめく。男は女を追い詰めてゆくことができない。女を悦ばせるための道化である。それと知りながら、男は女を絶頂にのぼりつめさせるために努力する。そうすることでしか男としての存在をたしかめることができない。愛の百態ーその28
女の躰は男と比べて繊細だ。たとえ、同じ行為でも、相手が好きであるか嫌いであるかで、そここらもたらされる快感には天と地の差がある。行為そのものに違いがあるわけではないのに、片方がめくるめく幸福感に満たされるのに対して、他方でただ嫌悪感でしかない、という違うがある。この違いは、やはりS行為はただ肉体の交わりではない、精神的なつながりが大切であることを知らせてくれる。相手を愛し、信頼し、そして当の相手がそれに応えてくれてはじめて、女性の性は花開いてゆくのである。愛の百態ーその27
マンネリ化を防ぐという意味で夫婦交換を試みるカップルがいる。スワッピングとよばれるこの行為は、妻が他人に寝取られることを想像(あるいは垣間見て)して興奮する、という効果と、みずからが寝取るという非日常を体験する効果があるといわれる。さらに、スワッピングを通して、あらためてパートナーを客観視することができ、パートナーの良い部分を再確認するという効果がある、という。夫婦交換の目的は、ふたりの関係が以前よりより良い間柄になる、ということにある。男性にはもちろん、女性にも、ときには相手を変えて、新鮮な体験をしてみたいと想像することがあるのではないか。愛の百態ーその26
もう年だと思いつつも、ふとカラダの芯から訳のわからない魔性のようなものが蠢きでるのを何とも処理し難くて、それを温めている。これが性欲というものだろうか。そんな欲求が衰えることは哀しいが、それを抱えつづけることも疎ましい。命がつねに生き生きしていたいと思う気持ちは、これからももちつづけるのだろう。愛の百態ーその25
優し人が好き、という真の意味は、外見ではなく、男と女の行為のさなか、優しいタッチで愛撫してくれる人という意味だということは男性諸氏は知っているのだろうか。秘所をまるで羽毛のような、触れるか触れないかのような感触で触れられる時、女の感覚は研ぎ澄まされてゆく。女性に接する時は、なによりも優しさが武器になるということをくれぐれもお忘れなく。性急に、強引に、力任せな行為は愚の骨頂。ゲスのやり方ほど一人よがりなことはない。優しさの本意
私はある絵画教室で学ぶ50歳の未亡人です。もう5年にもなります。授業のあと仲間たちとお茶をすることが恒例になっていました。ある日のことでした。いつもは他の仲間と一緒なのですが、その日は、教室では3年先輩のSさんと帰る方向が同じということで、今日の授業のことなど、とりとめのない話をしながら駅に向かいました。改札を通り、電車を待っている間でした。ふと、Sさんが、「前からあなたが好きだった」と囁くように言ったのです。一瞬、何を言われたのかと訝りましたが、たしかにSさんは私に愛の告白をしたのでした。Sさんとは前々から教室ではうまがあう仲でした。私の書いた絵についてアドバイスしてくれたりすることがありました。私もそうしたSさんを快く思っていました。それからしばらく経ってからのことでした。やはり教室の帰りの時でした。...予期せぬ出来事
実は女性にも「刺激慣れ」というものがあります。同じパターンを繰り返されることで刺激に慣れて、以前ほど感じなくなるのですね。それを避けて、いつも新鮮な気持ちで感じさせる一つの方法は、二つの性感帯を同時に刺激することなんです。ここで気をつけなければならないののは、二つ以上の性感帯を同時に愛撫する時は、刺激が分散してしまって大きなオーガズムには至れなくなるという欠点があります。つねに意外性をもたせて、相手との一体感を脳に意識させることが大切なのです。愛の百態ーその23
挿入だけがSではない。指をつかっての愛撫は挿入以上の快感があることを男性は知るべきである。まず、定番のクリトリスへの指マンがあります。さらにクリトリスと膣口の同時愛撫という方法を加えると効果は倍増します。指マンでこれらの部位を感じさせてあげることにより、女性のアソコはたちどころに濡れて、思わず声があがります。つぎは指をつかってではなく、舌をつかっての愛撫があります。このテクニックを実践すると、本当に舌で触れられただけで女性はとろとろになります。この脳を刺激する愛撫は、舌の当て方、動かし方などでいかようにも相手の快感をたかめることができます。愛の百態ーその22
未知の快感を女性に与えるためにもS行為をマンネリ化しないことが大切です。結果、オキシトシンというオーガスムを感じさせるホルモンの分泌をたかめることになります。オキシトシンには幸福感や愛情、女性の性欲を増幅させる効果があると言われていて、分泌量が多いほど女性はS行為をしたくてたまらない身体になっていくといわれています。そのための方法として身体のタッチ、マッサージがあります。まずは首筋をなでる。「首筋が弱い」という女性は結構多く、これは感度を高めるポイントが首筋になるからです。つぎに、耳裏の刺激。耳の裏側には、女性の脳を揺さぶることができる性感帯があります。この部分にある器官が、女性の感度を倍増させるのに非常に効果的なんです。さらに胸。胸の愛撫は乳首にばかり目が行きがちですが、実は胸全体に感度があるので、ここ...愛の百態ーその21
性欲がわく時がある。これは男の方が多いが、女性にもないわけではない。が、多くの高齢者には、そのことをありのままに発散することをはばかる。理由は世間体ということである。性活動があることが悪いことのように思われてしまう。欧米では高齢者の性についてもっとフランクだと聞く。高齢者が性欲をもつのははしたない、という考えは日本の文化的特性である。感情的な親密さを求めることは自然のことである。豊かな老後とはそうした触れ合いがあることのように思われる。愛の百態ーその20
快感のたかまりは、もうこの年齢になると、急激な愛撫行為によってはもたらされない。そうではなく、むしろ時間をかけて丹念に優しく愛撫されることで快感がたかまるのだ。性急で我慢のきかない男性には苦手な作業だが、それがかえって豊かなエロスの世界に導くのである。スローSとよばれるこの行為はじんわりと躰の芯までもとろけさせるのだ。愛の百態ーその19
エクスタシィに至る直前の気持ちを問われても、説明できないが、躰が野火のように走り、もうとまることない状態になっているのはたしかである。その悦びに波打つ肢体は、すでに自分のものではなくなっている。目をつむり、髪を振り乱して、思わず声をあげている。夢中のなかで次元を異にした幻想世界に身を投げ出しているような錯覚にとらわれる。一切が闇のなかに溶けゆくような感覚になる。愛の百態ーその18
ふいに強引に背中のファスナーが外され躰を求めてくる。その手が戦慄いていた。なにゆえに、そんなに性急に求めてくるのか。いずれ許すことがわかっているのに、と思うが、相手の飢えている状態が手にとるようにみえた。それが愛おしかった。母親が子供をあやすように、相手の躰を包んでやりたい気持ちになった。いつしか、自分の躰が自分のものであって自分のものでないような感覚になった。気が付いてみると全裸になっていた。愛の百態ーその16
愛の思い出だけではただ虚しさが残るばかりなのだろうか。流れ来た歳月そのものに意味があったのだと思うことで、過ぎ去った愛を確かめることでしかないのだろうか。あのめくるめく抱擁のひとつひとつが、口づけを受け、自分がもうひとりの別の女になる予感を覚えながら・・・それらが熱い思いのなかに蘇ってくる。愛の百態ーその16
道すがら、ふいに声をかけられた。振り向くと昔、仕事を一緒にしていた弥生だった。何年ぶりのことだろうか。少し太ったように思えたが、弥生はすっかり中年の女になっていた。ひさしぶりの再会だったので、近くの喫茶店でお茶でも、ということになった。素子は、すでに会社をやめているので、その後のことはわからなかった。が、一つだけ、昔付き合っていた同僚の井川のことが気になったので、彼の消息について聞いてみたかった。「ああ、井川さんね。素子、あの人とつきあっていたんだっけ。そんな噂聞いていてよ」そう言うと、弥生はさも秘密めいた口調で井川のことを話し出した。実は、素子は井川とは会社にいる頃、一度、あやまちを犯したことがあった。が、それきり事情があって関係が切れて、そのあと素子は会社をやめた。弥生によれば、井川はその後、博多へ転...再会
大人の女は相手に多くを望まない。というのも、相手に自分の全存在を賭けることがないからだ。相手が年上であろうと、年下であろうと、どんな職業であろうと、お金があってもなくてもそうしたことはさして重要視しない。相手の体型が太っていようと痩せていようと、背が高かろうが低かろうが構わない。要は自分の感性にあうかどうか、である。他人はどうか知らないが、私がこだわるのは相手の手だ、手がもたらす印象が感性があうかどうかを決めるポイントになる。愛の百態ーその15
躰とともに脳までとろけるような、おなかの底からこみあげるような、そんな深い快楽はついぞ訪れたことがない。こんな気持ちよすぎる快感はどこから湧き出るのだろうか。たぶん、これは愛の施術によってもたらされるものではなく、心の持ちよう、お互いの心がかよいあうことによってもたらされるもでではないか、という気がする。S行為は肉体行動であってもきわめて知的な作業なのであり、それは脳細胞を刺激することになる。愛の百態ーその14
躰の刺激を受けた男に心が傾くの自然の成り行きです。が、不思議なことに、心に焼き付いている顔に比べると、異常な事態で起きた体験が、妙に強く焼き付いているものなのです。躰だけ盗まれた相手が、めまいのするような刺激として残っているのです。それは相手の人柄や姿形、情愛などとは関係のないものであるにかかわらず、心の中に残るのです。心の中に残るといっても、残酷の傷跡として残るのです。愛の百態ーその13
正装した服のスカートがふいに捲られ、男の手が臀に触れる。突然の行為に、はじめは驚き、拒絶の態度をとった。が、逃げ出すことができなかった。むしろ、瞬間、妙な快感が走った。羞恥心で躰がが震えたが、知らずに今の状態を受け入れている自分がいた。こんな嗜虐な対位は受け入れられないと思いつつ、躰は下半身から燃え出してうち顫えていた。愛の百態ーその12
女は力のある限り抵抗した。抵抗しながら抱きついていった。それは女が身を護る時に出てくるあの奇蹟のやうな力での抵抗ではなかった。抵抗しているということを自分につたえるだけの余裕をもった抵抗だった。やがて、抵抗する力は萎えて、相手に身をまかせる姿勢になった。女は力いっぱいしがみついてきた。泣きじゃくりながら、やがて抑えられないほど激しく震え始めた愛の百態ーその11
お互いに少しだけ寂しくなって、ときおり、夜を共にすることがあった。映画を観て、カフェでお茶し、そのあと慎ましい愛の営みをする。経験豊富なお互いの躰で慈しみ合いながら。女は言った。「誰もあなたにはかなわないわ」と。そんなことを言われて男はまんざらでもない顔をしていた。愛の百態ーその10
不意に自分の意思とはかかわらない高揚感があふれてできた。秘所からじわりと熱いものがあふれでてくる。それはまるでダムが決壊したかのような勢いで。これまで平凡な人生のあとに、まさかこんなに深く感じる快楽が押し寄せることがあろうとは。S行為によってこれほどまで感じたことはなかった。生まれてはじめてだった。何度果てても足りないほどの快感だった。愛の百態ーその9
いつものように一旦燃え出すと身も心燃えたってくる。そして、その愉悦のなかにみずから埋没してゆく。それは奔放さとか好色といったようなものでない。これは情事をかさねることによって育まれた感受性なのだろうか。明らかに悦楽の深みにはまってゆく自分を感じる。性に対する貪欲なまでの真摯さ、切実さが溢れ出ているように思う。相手もこの変貌を楽しんでいるかのようである。愛の百態ーその8
老齢の好色といわれるものは、残った命への抑圧を排除の願いであり、また命への讃歌である。それは神聖な生命の輝きである。歳をへたとはいえ、まだ体内には生きる力に満ちた情欲が埋火のように蓄えられているのだ。そんな時、押し殺された気持ちがいっきに開放される。男と女とが同じ方向に傾いた心を持つ時、二人は性をきっかけに結びつく。それは昂まったいのちのふれあいなのである。愛の百態ーその7
豊満なこんもりと盛り上がった胸元に唇を触れ、静かに優しく乳首の周辺を吸いたてる。さらに硬く尖った状態にある乳首を吸う。やがて、愛撫は乳房から腹へと移る。下腹部にひろがる、オアシスのようにこんもりとした茂み。その硬く縮れた茂みをかきわけて、その先へと指を進める。秘所はすでに暖かく湿っている。いくぶん膨らみをましたようでさえある。その周縁をやさしく愛撫する。女の口からかすかな嬌声がもれる。愛の百態ーその6
女は力のある限り抵抗した。抵抗しながら抱きついていった。それは女が身を護る時に出てくるあの奇蹟のやうな力での抵抗ではなかった。抵抗しているということを自分につたえるだけの余裕をもった抵抗だった。女は男に肉体を繋ぐことで、男の抱いている思想や感情を共有しているという満足感があった。愛の百態ーその5
純粋に結ばれる男女が一つになり、その肉体と精神が生命の終わりまで続く幸福を、砂漠の旅人が泉の夢をみるように憧れる。それこそ人生で味わえる醍醐味のひとつと捉える愛の百態ーその4
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ふつう男は女性と近づきになるまでは獣のごとく荒々しい感情が体内に吹きまくるが、ひとたび女性との関係ができると紳士的になり穏やかになる、といわれる。ところが、反常識的になるが、愛をより深めるためには、親しくなるまでは紳士的にして、いったん心が通じあったら、獣のように相手を求め続ける、というのが理想のパターンなのではないか。愛の百態ーその98
若いということは未熟であることでもある。女性も40半ばを過ぎると心身ともに豊穣さを身につけることになる。凄まじい、という表現にぴったりの、命を燃やすことのできる年齢になる。熟女というのはそういう人をいうのだろう。愛の百態ーその97
恋は美しいというのは本当ではない。恋のエネルギーには嫉妬や憎しみが含まれていて、それがあってこそ燃え上がる。生々しく、どろどろとした情念が恋の起爆力になるのだ。誰か不幸にしなければ恋はかなわぬものなのか。愛の百態ーその96
適当な距離があってはじめて二人の愛はうまく成立する。去る者は日々に疎しというとおり、離れていればおのずと愛は色あせてゆく。反対に近づきすぎてひとつの壁もなくなるのも愛を壊す。付かず離れずの関係が長続きさせるコツなのかもしれない。愛の百態ーその95
男の、オスの本能ともいうべき性的好奇心は、もっと本質的な言い方をすれば、限りある命を、絶頂の感覚で燃えたたせたいと願う心から発するものである。こうした行為に走らせる根源の理由は、死への無意識な恐怖心があるからで、一見、遊び感覚で女性に接する男の心にさえ、暗い深淵が口をあけている。快楽を求める行為の底には死への本能(タナトス)がつきまとっているのである。愛の百態ーその94
第一に、ある性的成熟が必要であること、さまざまな抑圧から解放されていること、相手に心を開くことができる状態にある、などの条件がととのってはじめてエクスタシーに達することができるという。あくまで肉体的なことではなく、心あるいは脳内活動の問題だ、と言える。愛の百態ーその93
私見によれば、女性がエクスタシーを感じるというのは極めて主観的なもので、それだけに本当に自分がそうした状態に達しているのかどうかわからず、思い込みで理解しているように思える。エクスタシー状態とは、瞬間的な絶頂感に陥ることである。この状態になるためには、いくつかの条件があるが、何よりも相手との心のつながりがあることであろう。それなくしてテクニックなどで何とかするとか考えるのは邪道だ。愛の百態ーその92
さる調査結果によれば、交際相手のいる単身者の方がそうでない妻帯者より性愛欲求が強いと言う。これは何を意味するかと言うと、人は社会的に拘束される異性関係より、より自由な関係を求める、と言うことであり、自由な性愛にこそ自由が実現すると言う思いがあるからであろう。これからの社会はそう言う方向へさらに発展してゆくことを暗示している。愛の百態ーその91
すべての愛の行為は、まず自分のいつわらない気持ちを正直に相手に告げることだ。それをせずに相手がわかるはずだと思うのは、独りよがりの、勝手な思い込みである。特に、男にはこういうタイプが多い。愛の百態ーその90
アバタもエクボといわれるように、愛しているさなかは、相手を客観的に見ることはない。いわば、相手を性的な幻想のなかで受け止めているのである。ところが、ある瞬間相手に対する性的幻想をうしなうということがある。そうなるとすっかり気持ちが醒めてしまって、いままでエクボであると思っていた部分がアバタに見えてしまう。特に、男の場合これが強く出るようだ。愛の百態ーその88
恋の焔は周りの状況が悪ければ悪いほど燃え上がる、といわれる。それだけにそれを保つエネルギーは大変なもので、周囲の敵視に対して居直れる図太さが必要だ。それができない恋の焔はすぐに消える。恋愛感情は周りの条件が悪ければ悪いほど燃え上がる。不倫はもとより親が反対する結婚でも同じこと。周囲からの軋轢がかえって二人の関係を強固にする。愛の百態ーその87
お互いに愛しあっていた男女がなにかのきっかけで別れるということはままあることだ。が、肉体の絆が強いためになかなか別れないこともある。何か問題が起きてもこの絆が強いために危機を乗り越えることができる場合がある。肉体の記憶というものは想像以上に強く心に刻み込まれているのである。一般的に女性の方が強く体にとどめておくように思われる。愛の百態ーその86
女性の美しさは、若い時は当然である。本当の美しさは輪をかさねたところから発露する美しさだ。50歳を超えて生まれる美しさは本物である。ということは女性の魅力の本質は外見ではないということだ。熟成した魅力は年齢を経なければ生まれで出ないのである。愛の百態ーその85
男の浮気心というものは、男の懲りない本姓がなせるわざというしかない。常にエロスを求める男は狩人のごとく異性を探し求める。が、それが実行に移されないのは、社会的な制約があるためだ。それがいいか悪いかが問われるのは日本だけで、例えば、フランスでは成り立たない。男と女が愛し合うことは人生の主要目的として、たとえそれが道に外れていたとしても市民権をもっているのである。愛の百態ーその84
巷で見かけるカップルのなかには、どうしてあの二人は一緒にいるのだろうか、と意外に思うケースがある。しかし、それは二人にしかわからないわけがあるのだ。この二人には論理や理性ではない肉体の記憶が刻み込まれていて、それが二人の強い絆になっているのである。生活能力のないダメ男から離れられない女、本当の性に目覚めさせてくれた男、男からしても同じようなことがいえる。愛の百態ーその83
二人の内密の関係は、それが密かに秘密に満ちているゆえに、その味わいは格別のものがある。日常はさりげなく過ごしているが、ひとたび、その時を迎える際には、日常が失われ、非日常ともいうべきめくるめく関係が醸成される。このなんと見えない瞬間は当事者でなければ分からない。だから、再び、その機会を求めることになる。愛の百態ーその82
もう年だと思いつつも、なぜかカラダの芯から訳のわからない魔性のような、生への欲求がが蠢き出るのを何とも処理し難くて、それを温めつづけている。それが生きている証拠なのだろう。生きている限りその気持を失わないでいたい。無性に肌と肌が触れ合うことへの欲求が芽生える。愛の百態ーその81
老齢の異性に対する関心というものは、残った命への抑圧を排除したいと思う強い願いであり、また命への讃歌でもある。それは神聖な生命の輝きでもある。いっぺんだけしか生きられないのに、こんなことでいいのか、という心のそこから沸き起こる欲求である。限りある命の自覚
何も言わずに、相手が分かってくれると思う男性が多い。が、そのためには小まめな思いやりが必要です。小まめに動かなければ何ひとつはじまらない。女性が描く理想の相手のタイプの条件の一つに「行動力がある」がある。これは多分、相手にこまめさを求めているのだろう。とにかく男は心を開いて、プライドを捨て、思い切り自分をさらけだし、相手にこちらの思いを告げることが必要です。誤解をされては困るのは、ただ饒舌に喋りまくるということではありません。これ、けっこう難しいかな。愛の百態ーその80
清らかな愛というのは言葉のうえでのことであって、実相はもっと生々しくどろどろしたものなのかも知れない。愛のなかにはある種の嫉妬や憎しみが潜んであるのであり、それがエネルギーとなって燃え上がるのである。だから愛は常に加害者をつくり被害者を生み出す。愛が深まるにつれてエゴが強くなるのである。絶対的な愛を成就するには圧倒的なエゴイストになる必要がある。誰か不幸にしなければ恋はかなわぬものなのか愛の百態ーその79
恋をすることで人は自分をよりよく知ることになる。今まで知らなかった自画像を。意外に真面目なんだなとか、気弱なんだとか、悲観的なんだなとか、好色なんだとか、それまで知らなかった自分を知ることになる。それによって相手をより知ることになり、人間への関心もたかまる。どんなかかわりであっても、心があり、感情がある人間には、そのステップが不可欠なのだ。自分を知るためにも
読書の醍醐味は、心折れる現実からの逃避願望と別の自分になる変身願望が満たされることであり、これは何ものにも変えられない自由であり、権利でありましょう。特にラブストリーにおいては。例えばこんな場面で「二人の間には危険で甘い匂いが立ち込めはじめていた。いま彼女の躰にふれても拒みはしまいと男は思った。男の中に芽生えた雄の本能がむらむらと沸き起こった。」というような下りで。読書の醍醐味
まずは、性的欲求。男性も女性もめぼしい相手を探している時、男性ホルモンのテストステロンにより性欲が引き起こされる。次に、恋慕。ある特定の一人に恋焦がれている時は、ドーパミンが高まっていることが多い。そして、愛着。母性のホルモンであるオキシトシンが増えると、カップルの絆が生まれる。という具合に、躰はひとつのリズムをもって躍動してゆくのである。躰のリズム
特に女性は自分の年齢に線をひいてしまって、もう恋愛は無理とか、S行為は考えられないと、自分の気持ちを封じ込めてしまっている人が多い。そうすることで、男性が近づいてこなくても傷つかないようにしているフシがあります。ですが、男性からみると年齢はそれほど絶対的なものではなく、魅力ある女性であればその気になる、ということのようです。日本の場合、過度に道徳的であり、世間体を気に過ぎますね。そんな考えを捨てて、もっと自分に正直になった方がいいように思います。年取ったふりをしてそれに安住する安易な生き方ではなく、もっと挑戦的になるべきだと思いますね。もっと前向きに
成熟した性というものは、ある程度年齢を重ねないと育まれないものです。ですから熟年女性の方がはるかに感受性が豊かなんですね。そうしたS行為を好むことを「好色」といいますが、若い女性に夢中になっている状態では、これはまさに「好色」以前で話になりません。熟年で、肉体的美徳があふれた女性こそが魅力なのです。殿方はこのことをわきまえることです。また、女性は躰の線を気にするなどということはやめて、性感を高める努力をするべきなんです。いわゆる好色について
男はみんな若い女性がいいと思っているフシがありますが、若いということはまだか躰が未熟ということで、案外味気ないものだ、ということがいずれ分かります。まだ開花されていない女体は快感を感じることが鈍いのです。そうじて若い女性とのS行為は味わいがなく、殺風景なのが定石です。見栄えはよいが味のない料理のようなものなのです。よほど未熟な男は別としてただ若い肌に接するとか、見るだけではいずれ飽きがきてしまうものです。開花する女体
濡れるという現象は、かならずしも感じている、ということではない、ということを男性諸氏は知っていないようです。女体は不思議なもので、膣を濡らすことで、自己防御をする場合があるということです。これは意識的になされることではなく、躰が自然にそうなる、という本能的なものです。従って、S行為の際には、当の本人に、「気持ちよいうかどうか」を確認する必要があります。一方的に、思い込んで行為に至ると女性が痛みを感じることになります。そうしたうえで、快感をともなった濡れる状態になった時に溢れ出る、いわゆる愛液というものを解説すると、これには4種類あって、膣の入り口、中、奥からと出る場所を異にするのです。濡れるはかならずしも、感じている、ではない
相手に興味をもちはじめた女性は、相手の恋愛経験を聞いたり、今、誰かと付き合っているのかと、いろいろ相手の女性関係を知りたがる。そうした過程で安心感がはぐくまれ、しだいに相手にのめり込むようになる。そうなれば、今まで控えめだった態度がかわり、積極的になる。はじめはキスや手を繋ぐだけだったのに、それ以上の行為を厭わなくなる。こうして主導権が女性の側に移り、より積極的に相手に行為を求めることになる。さらに一線を超えた時、女性は自分の欲求を満たすことに貪欲になり、より深い快楽を求めるようになる。豹変する女性
いわゆる善がり声は、自分のことはさしおいて、人によって千差万別だ。どうしてこうもいろいろ異なるのだろうと思うが、異なるなかにも、より男を興奮させる声というものがあるようだ。女性の口から漏れる甘美な喘ぎ声は、男性にとっては何よりも強烈な興奮のタネなり、思わず男性のそれが硬く勃起する。やがて、「善がり声」は「よがり泣き」へと高揚する。ある時はしくしくとすすり泣き、ある時はしゃくりあげるような、吠えるような声になり、イクあるいはダメを連発しながら絶頂へと向かう。善がる声について思うこと
男性のオーガスムの究極は射精にあるとはいうものの、その男性の求めに応じて、ただ受け身的に身をまかせるのでは苦痛に等しいかも知れない。お互いのコミュニケーションを深めるという意味でも、こちらの欲求も相手に伝え、共に快楽のるつぼに没入することが大切なことだと思います。相互の愛の表現で
好物が年齢とともに変わるのはたしかにある。例えば、海鞘(ほや)は若い時は食べられなかった。あの感触がなにかゲテモノを食べるようで嫌だった。それが不思議なことに中年を過ぎる頃から海鞘を口にできるようになった。むしろ、積極的に食べてみたいと思うようになった。あの柔らかなぬめっとした舌の感触が好きになった。独特の匂いもあるし、クセがあるのだが、それも惹きつける理由になる場合もある。海鞘がアレに似ている、というのが夫の見解である。似ていて非なるもの
女性はS行為に関しては受け身でなければならない、という世間的な味方がある。それに反して、女性の側から積極的に行為を申し出ることははしたないという見方がある。でもそんなものだろうか。女性の側からいろいろな要求を出し、欲しいものを口に出すことによって、それを叶えてもらうこと。それによって、より深い快楽を得ることができるし、満足感が残るものなのだ。S行為はコミュニケーションを深めることであり、快楽の共有でもあるのだ、ということを忘れないで欲しい。女性は年齢に関係なくセクシュアルであるべきなのだ。欲しいものを口に出せる愛の行為
女ははプラスマイナスの計算をする。そして、人生から今まで窮屈な制限ばかり押し付けられていたこと知ってゾッとする。自分のものだったこの短い幻滅の生涯を前にして、もどかしい未来を前にして若い娘と同じ行動をとる。彼女は自分の有限性を拒止するのだ。彼女は生活の貧しさに比べつつ、自分の人間を素晴らしく豊富なもののように想像する。女として、多少とも受け身におとなしく宿命に従ってきたことを、機会を略奪され、騙され、知らぬ間に青春から老境へ滑り込んでしまったと思う。「わたしはいっぺんだけしか生きられないのに、こんなことになってしまった」その時、周囲の者をびっくりさせるような変化が彼女に起きる。新たな青春が芽生えるのだ。新たな女の誕生
その雅な響きに惹かれて、宗男は越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)を訪ねた。訪ねたもうひとつのわけは、風の頼りに聞いた、そこに住むであろうと思われる、ひとりの女性の足跡を探し求めるためもあった。宛のない人探しではあったが、町筋を歩くほどに、もしかしたら逢えるかも知れない、という淡い期待があった。あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。地元の観光パンフレッドがこの街を「情華舞歩」として紹介しているのにふさわし佇まいである。右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れた。善徳寺と記された看板が見える。道を回り込んでから、さっそく山門から境内に足を踏...まぼろしの彼の人を求めて
待つということに関しては男は女にかなわない。それは女性の身体の構造からそうなるのだろうが、それは男の瞬発力に対して女の持続力ということになる。女の持続力
女が惹かれる男の体の部分とは1)手指2)目3)腕4)お尻5)背中だそうだ。なぜそうなるかといえば、良い遺伝子を残す為の本能的な女性の選択眼がはたらくかららしい。それだから、いかに相手に男性ホルモン(テストステロン)が強くあるかないかを瞬時に判断しなければならないということになる。無意識のなかでオスの本質を見極めるべく行動するというのがおもしろい。女が惹かれる男とは
現在のように閉鎖的になりやすい社会にあっては、みなそれぞれが鎧を身につけて生きている。あるいはハリネズミのように危険から身を守るために防備する。が、そうした姿勢では人間関係を深めることができない。ほんとうは誰かを愛したいと考えている、あなた。ではどうしたら?よりよいパートナーを選ぶためにも、まずは、みずからの性格や好きなこと、興味をもっていること、さらに自分がどんな人生を送ってきたか、などを率直に相手に伝える必要がある。そうすることで、相手の心も開き、話がはずみ、交際が持続し、より深い関係へと飛躍してゆく。依存しあう関係では真のパートナー選びはできない、という気がする。パートナー選びは
肌と肌の触れ合い、ボデイランゲージに勝るものはない。中途半端な言葉、表面の言葉では分かり合えなくとも、ボデイランゲージによって理解が深まるのである。とはいえ、女の躰は微妙だ。たとえ同じ行為でも、好きな人に抱かれるのと、嫌いな人に抱かれるとでは天と地の違いがある。行為そのものは同じでも、一方では例えようもない快感を味わうのに、他方では我慢ができないほどの苦痛と嫌悪感に襲われる。ボディランゲージの大切さ
男女の関係を新鮮に保つためには、適当な距離をつくっておくことが必要だ。強い絆で結ばれていた愛も離れすぎれば薄れるし、近づきすぎれば鬱陶しさがつのる。二人の間には侵すべからざるものがある。そんな壁のようなものがあったほうが、新鮮で爽やかな関係を持続させることができるように思う。離れて相手を見るときと、身近で見るときとでは、案外評価がかわるものだ。日常という惰性のなかにいるよりか、たまに逢うことで勃起する強い欲望のほうが新鮮だ。適当な距離をおいた愛
「気持ちの上では抑えようとしているにもかかわらず、躰がすでに走りはじめている。せめて言葉だけでも抑えようとしているのに、走り出した躰はもはや止まらない。熱く、火ぶくれのような燃えた花芯が小刻みな痙攣をして、やがて行き果てる。」エクスタシィを感じた女性、エクスタシィに導いた男性。それぞれはその後、異性に対するものの見方が全く違ってくる。女性は異性というものへの愛着と認識において。男性は愛着と恐れとにおいて。エクスタシィの前と後