秀吉亡き後起こった宇喜多家のお家騒動●西暦:1599年●和暦:慶長4年●関連する場所:摂津国 大坂城宇喜多屋敷●概要:●宇喜多秀家織田信長の中国計略以来、豊臣秀吉の猶子となった宇喜多秀家は、8歳にして当主となって以来、秀吉のいる畿内にいることが多く、家
戦国時代の、人物、戦、出来事、城郭、国と群などを年表を軸にまとめています。 筆者オリジナルの戦国エッセイや、大河ドラマ関連のまとめブログなども掲載しています。
秀吉亡き後起こった宇喜多家のお家騒動●西暦:1599年●和暦:慶長4年●関連する場所:摂津国 大坂城宇喜多屋敷●概要:●宇喜多秀家織田信長の中国計略以来、豊臣秀吉の猶子となった宇喜多秀家は、8歳にして当主となって以来、秀吉のいる畿内にいることが多く、家
名槍を呑みとった黒田官兵衛の重臣(もりたへえ)●誕生:1556年?(弘治2年?)●生誕地: ●父:曽我一信●母:母里氏●名:母里太兵衛友信●官名:但馬守●正妻:大友宗麟の娘●弟:野村祐勝●ゆかりの地: 播磨国 姫路城 筑前国 福岡城 筑前国 鷹
【年表】戦国年表(まとめ)【特集】●どうする家康特集・関ヶ原の戦徳川家康ゆかりの地●麒麟が来る!明智光秀ゆかりの地①(岐阜県)明智光秀ゆかりの地②(滋賀県・福井県)明智光秀ゆかりの地③(京都府・奈良県・兵庫県)【エッセイ】① 岐阜は義父?
(しなののくに)●場所現在の長野県●戦国年表1542年 武田晴信(信玄)、諏訪頼重を攻め降し諏訪を平定。1545年武田信玄、高遠頼継を攻め降し上伊那を平定。1547年 武田信玄、笠原清繁・上杉憲政の連合軍に勝利。佐久を平定。1548年 上田原の戦で、村上義清が
河越夜戦で討ち死にした扇谷上杉家最後の当主(うえすぎともさだ)●誕生:1525年(大永5年)●生誕地: ●父:上杉朝興●母: ●名:五郎、上杉朝定●官名:修理大夫 ●ゆかりの地: 武蔵国 河越城 武蔵国 武蔵松山城●略歴: ●扇谷上杉家1525年
謙信が関東出兵の根拠とした(しろいじょう)●場所:群馬県渋川市白井624付近●旧国郡名:上野国 群馬郡●別名: ●種別:平山城●築城時期:1430年頃(永享2年頃)●築城背景:長尾景仲(白井長尾家)が居城として築城(推定)●名城:●主な城主:長尾景
洗礼名はダリヨ。右近の父、飛騨守(たかやまともてる)●誕生:????年(????年)●生誕地:摂津国 高山●父:高山重利●母: ●名:友照、大慮(号)、ダリヨ(洗礼名)●官名:図書、飛騨守●弟:中川重清●子:高山右近など●ゆかりの地: 大和国 沢城
(きいのくに)●場所和歌山県・三重県南部●戦国年表1577年 第一次雑賀攻め。第二次雑賀攻め。1582年 第三次雑賀攻め。1585年 太田城攻め。羽柴秀長(豊臣)、紀伊国一国を拝領。1600年 浅野幸長、和歌山城主に。(後略)●郡・現在の市町村・城郭(戦国
信玄・勝頼の二代に重用された(ながさかちょうかんさい)●誕生:1513年(永正10年)●生誕地: ●父:長坂昌房 ●母: ●名:虎房、光堅、長閑斎、釣閑斎(?)●官名:左衛門尉、筑後守●正妻:阿久利●子:長坂昌国、今福昌常など●ゆかりの地: 信
留守政景が城主となった歴史ある城砦(いちのせきじょう)●場所:岩手県一関市釣山1-76付近●旧国郡名:陸奥国陸中 磐井郡●別名:高崎城●種別:平山城●築城時期:1590年頃(天正末期)(異説有り)●築城背景:葛西家の家臣、小野寺道照が、古くから砦とし
兄の養子となり前田家の大封を保った(まえだとしつね)●誕生:1594年1月16日(文禄2年11月25日)●生誕地: ●父:実父:前田利家、養父:前田利長(実兄)●母:寿福院(前田利家側室)●名:猿千代(幼名)、犬千代(幼名)、前田利光、松平利光、前田利常、
(いずものくに)●場所島根県(東部)●戦国年表1537年 尼子経久が隠居し、尼子晴久が尼子家を相続。1542年 第一次月山富田城の戦。1554年 新宮党の変で、新宮党が滅亡。1561年 尼子晴久死没。1566年 毛利元就、第二次月山富田城の戦で尼子家を降伏させ、中
河越衆の筆頭として北条三代に仕えた(だいどうじまさしげ)●誕生:1533年(天文2年)●生誕地: ●父:大道寺資親(異説あり)●母:北条為昌の娘●名:孫九郎(幼名)、政繁●官名:駿河守●正妻:遠山綱景の娘●子:大道寺直繁、大道寺直次など●養子:大
千畳敷と三城からなる名和家の居城(うとこじょう)●場所:熊本県宇土市神馬町663付近●旧国郡名:肥後国 宇土郡●別名:宇土城、中世宇土城●種別:平山城●築城時期:1048年(永承3年)●築城背景:菊池一族の宇土家が築城●名城:●主な城主:宇土家、城
小早川水軍の総大将も務めた(のみむねかつ)●誕生:1527年(大永7年)●生誕地:安芸国●父:乃美賢勝(浦)●母: ●名:万菊丸(幼名)、浦宗勝、浦兵部、助四郎、新四郎、兵部丞●官名:備前守、兵部丞●子:乃美盛勝、乃美景継など●ゆかりの地: 安芸
(するがのくに)●場所静岡県(中部)●戦国年表1487年 今川氏親、家督を相続。この頃、北条早雲が興国寺城を築城し城主に。1519年 今川義元誕生。1536年 花倉の乱で今川義元が勝利。1554年 武田晴信(信玄)、北条氏康、今川義元による甲相駿三国同盟成立。
戦国年表(まとめ)天文9年(1540年)~慶長20年(1615年)【天文9年/1540年】【5月】■足利義晴、死没(近江)(12代将軍。生涯の大部分を近江で過ごす)【天文10年/1541年】【1月】■吉田郡山城の戦(安芸)(尼子家が毛利家攻めで大敗、没落の原因に)【6月
秀吉の寵愛を淀殿と競った名門出(きょうごくたつこ)●誕生:????年(????年)●生誕地:近江国 ●父:京極高吉●母:マリア(浅井久政の娘)●名:京極竜子、京極殿、西の丸殿、松の丸殿、寿芳院●夫:武田元明、豊臣秀吉●子:不詳●弟:京極高次、京極高知な
阿波一宮神社の神職も務めた小笠原家の山城(いちのみやじょう)●場所:徳島県徳島市一宮町西丁244付近(登城口)●旧国郡名:阿波国 名東郡●別名:阿波一宮城●種別:山城●築城時期:1338年(延元3年・暦応元年)●築城背景:阿波国守護、小笠原長房の四男、
蒲生騒動により大封を失った会津領主(がもうひでゆき)●誕生:1583年(天正11年)●生誕地:近江国●父:蒲生氏郷●母:相応院(織田信長の娘)●名:鶴千代(幼名)、藤三郎、秀隆、羽柴秀隆、秀行●官名:飛騨守、従四位下、侍従●正妻:振姫(徳川家康の娘)
(はりまのくに)●場所現在の兵庫県中西部●戦国年表1558年 赤松義祐、父を追放し当主に。1564年 赤松政秀、浦上政宗、浦上清宗父子を討ち取る。1568年 この頃、東播磨の別所安治が台頭。赤松義祐と分家の赤松政秀が敵対。1577年 羽柴秀吉(豊臣)、中国の毛
三船山の戦で殿軍を務めて戦死した(おおたうじすけ)●誕生:1542年(天文11年)●生誕地: ●父:太田資正●母:難波田正直の娘●名:源五郎、資房、道也(出家名)、氏資●官名:従五位下、大膳大夫●弟:梶原政景、太田資武、潮田資忠●妹:成田氏長の正室
鎌倉以来の豪族、益田家の詰城(ななおじょう)●場所:島根県益田市七尾町11-6付近(登城口)●旧国郡名:石見国 美濃郡●別名:益田城●種別:山城●築城時期:1200年頃(鎌倉時代)●築城背景:平氏討伐の戦功により石見五郡を源頼朝より拝領した益田家が、
秀頼の乳母の子で小姓も務めた(きむらしげなり)●誕生:1593年?(文禄2年) ●生誕地:不詳●父:木村重茲(養子説も) ●母:宮内卿局(青木俊矩の娘・豊臣秀頼の乳母) ●名:春千代(幼名)、重成、豊臣重成、木村長州●官名:従四位上、長門守 ●兄:木村高
(とさのくに)●場所現在の高知県●戦国年表1574年 長宗我部元親、土佐国西部の一条兼定を追放。1575年 長宗我部元親、四万十川の戦で一条兼定に勝利し土佐国を平定。1585年 長宗我部元親、四国をほぼ平定。豊臣秀吉の四国征伐。長宗我部元親は土佐のみを安堵さ
三増峠の奮戦により松山城主に返り咲いた(うえだともなお)●誕生:1494年(享禄4年)●生誕地: ●父:上田政広●母:難波田憲重の姉(または妹)●名:又次郎、左近大夫、暗礫斎、安独斎宗調●官名:能登守●正妻:遠山藤九郎の娘●子:成田長季、成田泰家、
竹中半兵衛の義弟、重利が拡張した(たかだじょう)●場所:大分県豊後高田市玉津1053●旧国郡名:豊後国 国東郡●別名:柴崎城、豊後高田城、豊洲陣屋●種別:平山城●築城時期:1196年(建久7年)●築城背景:大友家家臣、高田重定が居城とすべく築城(推定
2万石を拝領し白石城主を務めた(あまかすかげつぐ)●誕生:1550年(天文19年)●生誕地:越後国 上田●父:登坂清高●母: ●名:登坂藤右衛門、甘糟清長、景継●官名: ●子:甘糟信綱など●ゆかりの地: 越後国 護摩堂城 越後国 五泉城 出羽国羽
(かずさのくに)●場所現在の千葉県中部●戦国年表1518年 真里谷信勝、房総管領を名乗る。1534年 真里谷家の家督争い。1535年 里見家が上総国に進出し、武田家から奪った久留里城を本拠に。1538年 国府台合戦(第一次)で北条家に敗北した里見義堯が、一時上総
宗麟のあとを継いだ22代目当主(おおともよしむね)●誕生:1558年(永禄元年)●生誕地:豊後国 大友氏館●父:大友宗麟(義鎮)●母:奈多夫人(奈多鑑基の娘)●名:長寿丸(幼名)、コンスタンチノ(受洗名)、大友吉統(秀吉から一字を受け改名)●官名:従
近世城郭以前の小田原城の主郭(おだわらこじょう)●場所:神奈川県小田原市城内 ●旧国郡名:相模国 足柄下郡 ●別名:小峰城、小早川城 ●種別:平山城 ●築城時期:1417年頃(応永24年) ●築城背景: 扇谷上杉家に従っていた大森頼春が相模国足柄郡を拝領
甲州法度を草案した信玄のブレーン(こまいこうはくさい)●誕生:????年●生誕地:甲斐国巨摩郡●父:駒井政時●母: ●名:昌頼、政武、高白斎など●官名: ●兄:駒井信為●子:駒井政直など●ゆかりの地: 甲斐国 躑躅ヶ崎館●略歴: ●甲斐????
(やましろのくに)●場所現在の京都府南部●戦国年表1537年 細川晴元、畿内を掌握。1553年 三好長慶、畿内を平定。1565年 松永久秀と三好三人衆、将軍足利義輝を殺害。(永禄の変)1568年 織田信長上洛を果たす。(信長の上洛戦)足利義昭、15代室町将軍に。
叔父を継ぎ但馬守護となった築城名人(やまなすけとよ)●誕生:1511年(永正8年)●生誕地:但馬国●父:実父:山名致豊、養父:山名誠豊●母: ●名:紹熙、継熙、祐豊、宗詮●官名:右衛門督●幕職:但馬守護●弟:山名豊定、山名豊弘(東揚)●正妻:一
豊臣水軍に対する北条の向かい城(しもだじょう)●場所:静岡県下田市3丁目●旧国郡名:伊豆国 加茂郡●別名:鵜嶋城 ●種別:平山城●築城時期:1588年(天正16年)●築城背景:来寇が予想された豊臣秀吉の水軍に対抗するために、北条氏政が家臣の清水康英
真田家に嫁いだ本多忠勝の娘(こまつひめ)●誕生:1573年(天正元年)●生誕地: ●父:実父:本多忠勝、養父:徳川家康、義父:真田昌幸●母:乙女(本多忠勝の側室)●名:稲姫または於小亥(幼名)、小松姫、小松殿●夫:真田信之●弟:本多忠政、本多忠朝
松永弾正の讒言により兄から自害を命じられた(あたぎふゆやす)●誕生:1528年?(享禄元年?)●生誕地: ●父:実父:三好元長、養父:安宅治興●母: ●名:千々世(幼名)、神太郎、安宅冬康、鴨冬、宗繁、一舟軒●官名:摂津守●兄:三好長慶、三好実休(
(かがのくに)●場所現在の石川県南部●戦国年表1546年 尾山御坊が建設され、一向一揆の拠点に。1555年 一向一揆が越前国の朝倉家と対立。1570年 一向一揆が越後国の上杉家と対立。一向一揆が織田信長と対立。1577年 手取川の戦で、上杉謙信が柴田勝家に勝利
大和中納言と呼ばれた秀次の弟(とよとみひでやす)●誕生:1579年(天正7年)●生誕地:尾張国 中村●父:実父:三好吉房(木下弥助)、養父:豊臣秀長●母:日秀(豊臣秀吉の姉)●名:辰千代(幼名)、羽柴秀保、豊臣秀保、大和中納言、郡山中納言●官名:従四
因幡街道と引原川を見下ろす山城(はがじょう)●場所:兵庫県宍粟市波賀町上野2-71付近(登城口)●旧国郡名:播磨国 宍粟郡●別名: ●種別:山城●築城時期:1261年頃(弘長元年)●築城背景:地域の有力者である芳賀七郎が築城(通説)●名城:●主な城
上田長尾家へ嫁いだ謙信の姉、景勝の母(せんとういん)●誕生:1524年(大永4年)異説あり●生誕地:越後国●父:長尾為景●母:青岩院●名:綾、綾御前、仙洞院、仙桃院●官名: ●夫:長尾政景●子:長尾義景、華姫(清円院・上杉景虎の継室)、上杉景勝、桂
(ひぜんのくに)●場所現在の佐賀県・長崎県(壱岐・対馬は除く)●戦国年表1529年 龍造寺隆信、誕生。1530年 田手畷の戦。1559年 龍造寺隆信が肥前国4郡を支配下に。1570年 今山の戦。1581年 龍造寺隆信、九州の北五州を制覇。1582年 天正遣欧使節がロー
口封じのため政宗に暗殺されたと言われる(わがただちか)●誕生:1576年(天正4年)●生誕地:陸奥国陸中 和賀郡●父:和賀義忠(和賀義治説も)●母:●正妻:小原忠秀の娘●子:和賀義弘、小原忠弘 ●名:忠親 ●官名:●ゆかりの地:陸奥国陸中 飛勢
石川城(陸奥)(大仏ヶ鼻城の異名もある南部家津軽経営の拠点)
大仏ヶ鼻城の異名もある南部家津軽経営の拠点(いしかわじょう)●場所:青森県弘前市石川大仏下1-2付近●旧国郡名:陸奥国陸奥 津軽郡●別名:大仏ヶ鼻城、大渕ヶ鼻城、石川館、石川楯、岩館●種別:平山城●築城時期:1334年?(建武元年)●築城背景:不明●
信玄の謀略に立ち向かった上伊那の領主(たかとおよりつぐ)●誕生:????年●生誕地:信濃国伊那●父:高遠継宗(異説あり)●母: ●名:頼継、諏訪頼継●官名:信濃守、紀伊守●正室:諏訪頼満の娘●弟:蓮芳軒●ゆかりの地: 信濃国 高遠城 信濃国
(びぜんのくに)●場所岡山県(南東部)●戦国年表1567年 明善寺の戦で宇喜多直家が三村家に勝利。1568年 浦上宗景、備前国をほぼ支配下に。1573年 浦上宗景、織田信長から領土を安堵される。宇喜多秀家、岡山城に誕生。1577年 天神山城の戦で、宇喜多直家が
関ヶ原での寝返りが認知されなかった(あかざなおやす)●誕生:????年(????年)●生誕地:越前国●父:赤座直則●母: ●名:小法師(幼名)、久兵衛、吉家、直保●官名:従五位下、備後守●子:永原孝治●ゆかりの地: 加賀国 松任城●略歴: ●越前??
江戸湾を扼する里見家の水軍基地(つくろうみじょう)●場所:千葉県富津市竹岡4487付近(登城口)●旧国郡名:上総国 天羽郡●別名:百首城(ももくびじょう)●種別:山城(海城)●築城時期:1461年(寛正2年)●築城背景:里見家の支配下に入った真里谷信興
堺町奉行などを務めた三成の実兄(いしだまさずみ)●誕生:1556年(弘治2年)●生誕地:近江国 石田●父:石田正継●母:瑞岳院(岩田氏)●名:弥三(幼名)、弥三郎(幼名)、石田重成、一氏、正澄、豊臣正澄●官名:従五位下、木工頭●弟:石田三成●子:石
(むさしのくに)●場所神奈川県(北東部)・東京都・埼玉県●戦国年表1524年 北条氏綱が、扇谷上杉家の江戸城を攻略。1530年 小沢原の戦で、北条氏綱が上杉朝興に勝利。1537年 北条氏綱が、扇谷上杉家の河越城を攻略。1546年 河越夜戦で、北条氏康が上杉勢に
小牧・長久手で戦死した鬼武蔵(もりながよし)●誕生:1558年(永禄元年)●生誕地:美濃国 金山●父:森可成●母: ●名:勝蔵、勝三、長一、鬼武蔵、夜叉武蔵●官名:武蔵守、侍従など●正妻:池田恒興の娘●弟:森蘭丸、森坊丸、森力丸、森忠政など●ゆか
天下分け目の大合戦「関ヶ原の戦」で、各武将が布陣した場所などを紹介します。各所には案内板や駐車スペースが用意されるなど、とても見学しやすくなっています。関ヶ原町の熱意と配慮に深謝です。最後に、2020年開館の「岐阜関ケ原古戦場記念館」などの情報も掲載してい
長篠の戦で戦死した信玄の外交官(つちやまさつぐ)●誕生:1544年(天文13年)●生誕地: ●父:金丸虎義●母: ●名:平八郎、金丸平八郎、昌続、土屋昌続、昌次●官名:右衛門尉●兄:金丸昌直●弟:秋山昌詮、金丸定光、土屋昌恒、秋山親久●ゆかりの地:
丹波・丹後平定のための光秀の新城(かめやまじょう)●場所:京都府亀岡市古世町北古世●旧国郡名:丹波国 桑田郡●別名:亀岡城●種別:平山城●築城時期:1578年(天正6年)●築城背景:織田信長から丹波国、丹後国の平定を命じられた明智光秀が、居城とすべ
(かいのくに)●場所山梨県●戦国年表1507年 武田信虎、家督を相続。1508年 武田信虎、叔父の武田信恵を討ち取る。(坊峰合戦)1521年 武田信虎、今川氏の福島正成の侵攻を防ぐ。(上条河原の戦)武田信玄、誕生。1541年 武田晴信(信玄)、父の武田信虎を駿
兄に続き大名となり伊奈侍従と呼ばれた(きょうごくたかとも)●誕生:1572年(元亀3年)●生誕地:近江国、小谷城(?)●父:京極高吉●母:京極マリア(浅井久政の娘) ●名:高知、ジョアン(洗礼名)、羽柴高知、伊奈侍従●官名:従四位下、侍従、丹後守●正
徳川・武田の争奪戦が繰り広げられた(ふたまたじょう)●場所:静岡県浜松市天竜区二俣町1868付近●旧国郡名:遠江国 豊田郡●別名:蜷原城●種別:山城●築城時期:1560年(永禄3年)●築城背景:駿河国守護今川家の家臣、松井家が、それまでの笹岡古城(平城
元就に粛正された井上一族の家長(いのうえもとかね)●誕生:文明18年(1486年) ●生誕地:安芸国 ●父:井上光兼●母:村上隠岐守の娘●名:源太郎丸(幼名)、元兼、弥坂兵衛 ●官名:河内守 ●正妻:●弟:井上元光、井上就良、井上元貞、井上就正など●
(みののくに)●場所岐阜県(南部)●戦国年表1527年 斎藤道三、守護の土岐頼武を攻め越前国に追放。1542年斎藤道三、守護の土岐頼芸を攻め一時追放。(大桑城の戦(第一次))1548年 斎藤道三が、尾張国の織田信秀と政略結婚により和睦。斎藤道三、守護の土岐
大谷吉継とともに散った美濃垂井城主(ひらつかためひろ)●誕生:????年(永正??年)●生誕地:美濃国? ●父:平塚入道無心●母: ●名:孫九郎、藤蔵、為広●官名:従五位下、因幡守●正妻:●子:平塚為景、平塚庄兵衛[ ●ゆかりの地: 美濃国 垂井
按司、護佐丸が居した屋宜港そばのグスク(なかぐすくじょう)●場所:沖縄県中頭郡中城村泊1074付近(登城口)●旧国郡名:琉球国 本島中山(中部)●別名: ●種別:山城●築城時期:14世紀末頃●築城背景:当時の按司(あじ)(築城者不明)が、居城として
結城秀康の生母で家康の側室(おまんのかた)●誕生:1548年(天文17年)●生誕地:三河国知鯉鮒●父:永見貞英●母:水野忠政の娘(?) ●名:万、於古茶(おこちゃ)、松、菊子、於故満、於万の方、小督局、長勝院●官名:●夫:徳川家康(側室)●子:於義丸
(せっつのくに)●場所大阪府(北西部)・兵庫県(東南部)●戦国年表1531年 天王寺の戦で、細川晴元が三好元長に勝利。1553年 三好長慶、畿内を平定。1568年 信長の上洛戦で、三好三人衆が摂津国から追われる。1570年 野田・福島の戦。本願寺の顕如が織田信
家康を逃がすために三方ヶ原に散った(なつめひろつぐ)●誕生:1518年(永正15年)●生誕地: ●父:夏目吉久●母:水野氏 ●名:広次、正吉、吉信、次郎左衛門●官名:●正妻:松下之綱の娘●子:夏目吉治、夏目吉季、夏目信次、夏目吉忠、夏目吉次など[
揚北衆、色部家の居城(ひらばやしじょう)●場所:新潟県村上市平林1701付近●旧国郡名:越後国 岩舟郡●別名:加護山城●種別:平城・山城●築城時期:不明(南北朝時代と推定される)●築城背景:揚北衆の色部家が、居城とすべく築城したと推定。●名城:
小姓の頃から信長に寵愛された側近(はせがわひでかず)●誕生:????年(????年)●生誕地:尾張国 葉栗郡●父:長谷川与次●母: ●名:竹、竹丸(幼名)、藤五郎、貞長、秀一、羽柴秀一、東郷侍従、豊臣秀一●官名:従五位下、従四位下、侍従●ゆかりの地:
3万の軍勢を率いた信玄最後の行軍(しんげんのじょうらくせん)●西暦:1572年●和暦:元亀3年10月●関連する場所: 美濃国 岩村城 (別働隊、秋山信友が攻略) 遠江国 二俣城 (信玄本隊が攻略) 遠江国 三方ヶ原の戦場 三河国 野田城 (信玄が落とし
(あきのくに)●場所広島県(西部)●戦国年表1497年 毛利元就、誕生。1517年 有田中井手の戦で、武田元繁が討死。1523年 毛利元就、毛利家を相続。1541年 毛利元就、吉田郡山城の戦で尼子晴久に勝利。1555年 陶晴賢、厳島の戦で毛利元就に攻められ自害。1
天正の楠木正成と称えられた岡城主(しがちかつぐ)●誕生:1566年(永禄9年)●生誕地:豊後国 岡城●父:志賀親度●母:大友宗麟(義鎮)の娘●名:太郎、親善、ドン・パウロ(洗礼名)、鬼武蔵、少左衛門尉、湖左衛門尉●子:志賀勝親など●ゆかりの地:豊後
(えちごのくに)●場所新潟県(大部分)●戦国年表1506年 般若野の戦で、守護代、長尾能景が討ち死に。1507年 守護代、長尾為景が、守護、上杉房能を急襲し自害させる。上杉定実が守護に。1530年 長尾景虎(上杉謙信)誕生。1536年 長尾晴景が守護代に。154
外交に長けた北条家の名奉行(いたべおかこうせっさい)●誕生:1537年(天文6年)●生誕地:伊豆国(?)●父:実父:田中康行、養父:板部岡康雄●母: ●名:田中融成、岡野融成など●官名: ●子:岡野房恒など●ゆかりの地: 相模国 小田原城●略歴:
(むつのくに)●場所<陸奥>:青森県、岩手県(北部)<陸中>:秋田県(北東部)、岩手県(大部分)<陸前>:岩手県(東南部)、宮城県(北部・中部)<磐城>:宮城県(南部)、福島県(東部)<岩代>:福島県(中西部)、新潟県(東部の一部)、栃木県(北部
堺の町を焼き討ちした治長の弟(おおのどうけん)●誕生:????年(????年)●生誕地:尾張国大野村(異説あり)●父:大野定長●母:大蔵卿局(淀殿の乳母)●名:治胤、道犬斎、道賢斎、道見斎、道軒斎●官名: ●兄:大野治長、大野治房●弟:大野治純●ゆか
(さつまのくに)●場所現在の鹿児島県西部●戦国年表1527年 島津貴久、島津家当主に。1543年 種子島にポルトガル船が漂着、鉄砲が伝来。1549年 フランシスコ・ザビエルによりキリスト教が伝来。1587年 戸次川の戦(豊後国)で勝利した島津家が、筑前国、豊前国
徳川に嫁いだ信長の娘、五徳(とくひめ)●誕生:1559年11月11日(永禄2年10月12日)●生誕地: ●父:織田信長●母:生駒吉乃(異説あり)●名:五徳、おごとく、徳姫、尾張御新造、岡崎殿、見星院(法名)●官名: ●夫:松平信康(徳川家康の長男)●兄:
(さがみのくに)●場所現在の神奈川県中部・西部●戦国年表1486年 上杉定正、太田道灌を謀殺。1495年 北条早雲、小田原城を攻め盗る。(譲り受けたとも)1516年 北条早雲、三浦家を攻め滅ぼし相模国を平定。1518年 北条氏綱が家督相続。(第二代後北条氏)154
陶晴賢を厳島におびき寄せた毛利の忠臣(かつらもとずみ)●誕生:1500年(明応9年)●生誕地:安芸国●父:桂広澄●母: ●名:元澄、大江元澄 ●官名:左衛門尉、能登守●正室:福原広俊の娘●継室:志道広良の娘●子:桂元延、桂元貞、桂元親、桂景信、桂
交通の要地に築かれた上州の平城(たかさきじょう)●場所:群馬県高崎市高松町35付近●旧国郡名:上野国 片岡郡●別名:和田城●種別:平城●築城時期:1597年(慶長2年)●築城背景:元は和田家の居城である和田城があった場所で、徳川家康の関東移封にともな
実弟説もある大谷刑部の嫡子(おおたによしはる)●誕生:1581年?(天正9年?)●生誕地: ●父:大谷吉継(吉継の実弟でその後養子となった説あり)●母: ●名:大谷義治、大谷吉勝、大谷吉胤、大谷吉久●官名:大学助●弟:木下頼継(吉継の甥または養子説あ
(おわりのくに)●場所現在の愛知県西部●戦国年表1532年 織田信秀、今川家から那古野城を奪い居城に。1534年 織田信長誕生。1537年 豊臣秀吉誕生。1551年 織田信秀病没。織田家を織田信長が継ぐ。1553年 平手政秀、織田信長を諫めて自害。1554年頃 木下
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秀吉亡き後起こった宇喜多家のお家騒動●西暦:1599年●和暦:慶長4年●関連する場所:摂津国 大坂城宇喜多屋敷●概要:●宇喜多秀家織田信長の中国計略以来、豊臣秀吉の猶子となった宇喜多秀家は、8歳にして当主となって以来、秀吉のいる畿内にいることが多く、家
名槍を呑みとった黒田官兵衛の重臣(もりたへえ)●誕生:1556年?(弘治2年?)●生誕地: ●父:曽我一信●母:母里氏●名:母里太兵衛友信●官名:但馬守●正妻:大友宗麟の娘●弟:野村祐勝●ゆかりの地: 播磨国 姫路城 筑前国 福岡城 筑前国 鷹
【年表】戦国年表(まとめ)【特集】●どうする家康特集・関ヶ原の戦徳川家康ゆかりの地●麒麟が来る!明智光秀ゆかりの地①(岐阜県)明智光秀ゆかりの地②(滋賀県・福井県)明智光秀ゆかりの地③(京都府・奈良県・兵庫県)【エッセイ】① 岐阜は義父?
(しなののくに)●場所現在の長野県●戦国年表1542年 武田晴信(信玄)、諏訪頼重を攻め降し諏訪を平定。1545年武田信玄、高遠頼継を攻め降し上伊那を平定。1547年 武田信玄、笠原清繁・上杉憲政の連合軍に勝利。佐久を平定。1548年 上田原の戦で、村上義清が
河越夜戦で討ち死にした扇谷上杉家最後の当主(うえすぎともさだ)●誕生:1525年(大永5年)●生誕地: ●父:上杉朝興●母: ●名:五郎、上杉朝定●官名:修理大夫 ●ゆかりの地: 武蔵国 河越城 武蔵国 武蔵松山城●略歴: ●扇谷上杉家1525年
謙信が関東出兵の根拠とした(しろいじょう)●場所:群馬県渋川市白井624付近●旧国郡名:上野国 群馬郡●別名: ●種別:平山城●築城時期:1430年頃(永享2年頃)●築城背景:長尾景仲(白井長尾家)が居城として築城(推定)●名城:●主な城主:長尾景
洗礼名はダリヨ。右近の父、飛騨守(たかやまともてる)●誕生:????年(????年)●生誕地:摂津国 高山●父:高山重利●母: ●名:友照、大慮(号)、ダリヨ(洗礼名)●官名:図書、飛騨守●弟:中川重清●子:高山右近など●ゆかりの地: 大和国 沢城
(きいのくに)●場所和歌山県・三重県南部●戦国年表1577年 第一次雑賀攻め。第二次雑賀攻め。1582年 第三次雑賀攻め。1585年 太田城攻め。羽柴秀長(豊臣)、紀伊国一国を拝領。1600年 浅野幸長、和歌山城主に。(後略)●郡・現在の市町村・城郭(戦国
信玄・勝頼の二代に重用された(ながさかちょうかんさい)●誕生:1513年(永正10年)●生誕地: ●父:長坂昌房 ●母: ●名:虎房、光堅、長閑斎、釣閑斎(?)●官名:左衛門尉、筑後守●正妻:阿久利●子:長坂昌国、今福昌常など●ゆかりの地: 信
留守政景が城主となった歴史ある城砦(いちのせきじょう)●場所:岩手県一関市釣山1-76付近●旧国郡名:陸奥国陸中 磐井郡●別名:高崎城●種別:平山城●築城時期:1590年頃(天正末期)(異説有り)●築城背景:葛西家の家臣、小野寺道照が、古くから砦とし
兄の養子となり前田家の大封を保った(まえだとしつね)●誕生:1594年1月16日(文禄2年11月25日)●生誕地: ●父:実父:前田利家、養父:前田利長(実兄)●母:寿福院(前田利家側室)●名:猿千代(幼名)、犬千代(幼名)、前田利光、松平利光、前田利常、
(いずものくに)●場所島根県(東部)●戦国年表1537年 尼子経久が隠居し、尼子晴久が尼子家を相続。1542年 第一次月山富田城の戦。1554年 新宮党の変で、新宮党が滅亡。1561年 尼子晴久死没。1566年 毛利元就、第二次月山富田城の戦で尼子家を降伏させ、中
河越衆の筆頭として北条三代に仕えた(だいどうじまさしげ)●誕生:1533年(天文2年)●生誕地: ●父:大道寺資親(異説あり)●母:北条為昌の娘●名:孫九郎(幼名)、政繁●官名:駿河守●正妻:遠山綱景の娘●子:大道寺直繁、大道寺直次など●養子:大
千畳敷と三城からなる名和家の居城(うとこじょう)●場所:熊本県宇土市神馬町663付近●旧国郡名:肥後国 宇土郡●別名:宇土城、中世宇土城●種別:平山城●築城時期:1048年(永承3年)●築城背景:菊池一族の宇土家が築城●名城:●主な城主:宇土家、城
小早川水軍の総大将も務めた(のみむねかつ)●誕生:1527年(大永7年)●生誕地:安芸国●父:乃美賢勝(浦)●母: ●名:万菊丸(幼名)、浦宗勝、浦兵部、助四郎、新四郎、兵部丞●官名:備前守、兵部丞●子:乃美盛勝、乃美景継など●ゆかりの地: 安芸
(するがのくに)●場所静岡県(中部)●戦国年表1487年 今川氏親、家督を相続。この頃、北条早雲が興国寺城を築城し城主に。1519年 今川義元誕生。1536年 花倉の乱で今川義元が勝利。1554年 武田晴信(信玄)、北条氏康、今川義元による甲相駿三国同盟成立。
戦国年表(まとめ)天文9年(1540年)~慶長20年(1615年)【天文9年/1540年】【5月】■足利義晴、死没(近江)(12代将軍。生涯の大部分を近江で過ごす)【天文10年/1541年】【1月】■吉田郡山城の戦(安芸)(尼子家が毛利家攻めで大敗、没落の原因に)【6月
秀吉の寵愛を淀殿と競った名門出(きょうごくたつこ)●誕生:????年(????年)●生誕地:近江国 ●父:京極高吉●母:マリア(浅井久政の娘)●名:京極竜子、京極殿、西の丸殿、松の丸殿、寿芳院●夫:武田元明、豊臣秀吉●子:不詳●弟:京極高次、京極高知な
阿波一宮神社の神職も務めた小笠原家の山城(いちのみやじょう)●場所:徳島県徳島市一宮町西丁244付近(登城口)●旧国郡名:阿波国 名東郡●別名:阿波一宮城●種別:山城●築城時期:1338年(延元3年・暦応元年)●築城背景:阿波国守護、小笠原長房の四男、
蒲生騒動により大封を失った会津領主(がもうひでゆき)●誕生:1583年(天正11年)●生誕地:近江国●父:蒲生氏郷●母:相応院(織田信長の娘)●名:鶴千代(幼名)、藤三郎、秀隆、羽柴秀隆、秀行●官名:飛騨守、従四位下、侍従●正妻:振姫(徳川家康の娘)
(とさのくに)●場所現在の高知県●戦国年表1574年 長宗我部元親、土佐国西部の一条兼定を追放。1575年 長宗我部元親、四万十川の戦で一条兼定に勝利し土佐国を平定。1585年 長宗我部元親、四国をほぼ平定。豊臣秀吉の四国征伐。長宗我部元親は土佐のみを安堵さ
三増峠の奮戦により松山城主に返り咲いた(うえだともなお)●誕生:1494年(享禄4年)●生誕地: ●父:上田政広●母:難波田憲重の姉(または妹)●名:又次郎、左近大夫、暗礫斎、安独斎宗調●官名:能登守●正妻:遠山藤九郎の娘●子:成田長季、成田泰家、
竹中半兵衛の義弟、重利が拡張した(たかだじょう)●場所:大分県豊後高田市玉津1053●旧国郡名:豊後国 国東郡●別名:柴崎城、豊後高田城、豊洲陣屋●種別:平山城●築城時期:1196年(建久7年)●築城背景:大友家家臣、高田重定が居城とすべく築城(推定
2万石を拝領し白石城主を務めた(あまかすかげつぐ)●誕生:1550年(天文19年)●生誕地:越後国 上田●父:登坂清高●母: ●名:登坂藤右衛門、甘糟清長、景継●官名: ●子:甘糟信綱など●ゆかりの地: 越後国 護摩堂城 越後国 五泉城 出羽国羽
(かずさのくに)●場所現在の千葉県中部●戦国年表1518年 真里谷信勝、房総管領を名乗る。1534年 真里谷家の家督争い。1535年 里見家が上総国に進出し、武田家から奪った久留里城を本拠に。1538年 国府台合戦(第一次)で北条家に敗北した里見義堯が、一時上総
宗麟のあとを継いだ22代目当主(おおともよしむね)●誕生:1558年(永禄元年)●生誕地:豊後国 大友氏館●父:大友宗麟(義鎮)●母:奈多夫人(奈多鑑基の娘)●名:長寿丸(幼名)、コンスタンチノ(受洗名)、大友吉統(秀吉から一字を受け改名)●官名:従
近世城郭以前の小田原城の主郭(おだわらこじょう)●場所:神奈川県小田原市城内 ●旧国郡名:相模国 足柄下郡 ●別名:小峰城、小早川城 ●種別:平山城 ●築城時期:1417年頃(応永24年) ●築城背景: 扇谷上杉家に従っていた大森頼春が相模国足柄郡を拝領
甲州法度を草案した信玄のブレーン(こまいこうはくさい)●誕生:????年●生誕地:甲斐国巨摩郡●父:駒井政時●母: ●名:昌頼、政武、高白斎など●官名: ●兄:駒井信為●子:駒井政直など●ゆかりの地: 甲斐国 躑躅ヶ崎館●略歴: ●甲斐????
(やましろのくに)●場所現在の京都府南部●戦国年表1537年 細川晴元、畿内を掌握。1553年 三好長慶、畿内を平定。1565年 松永久秀と三好三人衆、将軍足利義輝を殺害。(永禄の変)1568年 織田信長上洛を果たす。(信長の上洛戦)足利義昭、15代室町将軍に。
叔父を継ぎ但馬守護となった築城名人(やまなすけとよ)●誕生:1511年(永正8年)●生誕地:但馬国●父:実父:山名致豊、養父:山名誠豊●母: ●名:紹熙、継熙、祐豊、宗詮●官名:右衛門督●幕職:但馬守護●弟:山名豊定、山名豊弘(東揚)●正妻:一
豊臣水軍に対する北条の向かい城(しもだじょう)●場所:静岡県下田市3丁目●旧国郡名:伊豆国 加茂郡●別名:鵜嶋城 ●種別:平山城●築城時期:1588年(天正16年)●築城背景:来寇が予想された豊臣秀吉の水軍に対抗するために、北条氏政が家臣の清水康英
真田家に嫁いだ本多忠勝の娘(こまつひめ)●誕生:1573年(天正元年)●生誕地: ●父:実父:本多忠勝、養父:徳川家康、義父:真田昌幸●母:乙女(本多忠勝の側室)●名:稲姫または於小亥(幼名)、小松姫、小松殿●夫:真田信之●弟:本多忠政、本多忠朝
松永弾正の讒言により兄から自害を命じられた(あたぎふゆやす)●誕生:1528年?(享禄元年?)●生誕地: ●父:実父:三好元長、養父:安宅治興●母: ●名:千々世(幼名)、神太郎、安宅冬康、鴨冬、宗繁、一舟軒●官名:摂津守●兄:三好長慶、三好実休(
(かがのくに)●場所現在の石川県南部●戦国年表1546年 尾山御坊が建設され、一向一揆の拠点に。1555年 一向一揆が越前国の朝倉家と対立。1570年 一向一揆が越後国の上杉家と対立。一向一揆が織田信長と対立。1577年 手取川の戦で、上杉謙信が柴田勝家に勝利
大和中納言と呼ばれた秀次の弟(とよとみひでやす)●誕生:1579年(天正7年)●生誕地:尾張国 中村●父:実父:三好吉房(木下弥助)、養父:豊臣秀長●母:日秀(豊臣秀吉の姉)●名:辰千代(幼名)、羽柴秀保、豊臣秀保、大和中納言、郡山中納言●官名:従四
因幡街道と引原川を見下ろす山城(はがじょう)●場所:兵庫県宍粟市波賀町上野2-71付近(登城口)●旧国郡名:播磨国 宍粟郡●別名: ●種別:山城●築城時期:1261年頃(弘長元年)●築城背景:地域の有力者である芳賀七郎が築城(通説)●名城:●主な城
上田長尾家へ嫁いだ謙信の姉、景勝の母(せんとういん)●誕生:1524年(大永4年)異説あり●生誕地:越後国●父:長尾為景●母:青岩院●名:綾、綾御前、仙洞院、仙桃院●官名: ●夫:長尾政景●子:長尾義景、華姫(清円院・上杉景虎の継室)、上杉景勝、桂
(ひぜんのくに)●場所現在の佐賀県・長崎県(壱岐・対馬は除く)●戦国年表1529年 龍造寺隆信、誕生。1530年 田手畷の戦。1559年 龍造寺隆信が肥前国4郡を支配下に。1570年 今山の戦。1581年 龍造寺隆信、九州の北五州を制覇。1582年 天正遣欧使節がロー
口封じのため政宗に暗殺されたと言われる(わがただちか)●誕生:1576年(天正4年)●生誕地:陸奥国陸中 和賀郡●父:和賀義忠(和賀義治説も)●母:●正妻:小原忠秀の娘●子:和賀義弘、小原忠弘 ●名:忠親 ●官名:●ゆかりの地:陸奥国陸中 飛勢
大仏ヶ鼻城の異名もある南部家津軽経営の拠点(いしかわじょう)●場所:青森県弘前市石川大仏下1-2付近●旧国郡名:陸奥国陸奥 津軽郡●別名:大仏ヶ鼻城、大渕ヶ鼻城、石川館、石川楯、岩館●種別:平山城●築城時期:1334年?(建武元年)●築城背景:不明●