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前橋市山王金冠塚古墳の被葬者は、欽明紀の佐魯麻都か
金銅製冠(複製)・金銅製大帯 東京国立博物館展示。 群馬県の山王金冠塚(二子山)古墳は、6世紀後半の前方後円墳。大正4年に金銅製冠が金銅製大帯、馬具類、鉄製甲冑、刀装具類などと共に出土した。金銅製冠は、新羅系のいわゆる出字型金冠であり、これを由水常
2024/08/28 07:05
日本書紀の誤読だった「任那日本府」
写真は、群馬県前橋市大室古墳群の公園内大室はにわ館展示の個人の作品 任那日本府とは、加耶の王族らによる組織であって、けっして、日本の倭国の出先機関でもなければ、軍事組織でもない。日本府が登場するのは、日本書紀だけであり、しかもその中の欽明紀のわずか10
2024/08/24 07:56
田道間守の持ち帰った非時香菓、橘はナツメヤシのデーツだった
垂仁天皇は田道間守(タヂマモリ)を常世(とこよ)の国に遣わし,非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めさせた。しかし、手に入れて戻った時には天皇は亡くなっていた。田道間守は泣き叫んでその場で命を絶ったという。そしてこの非時香菓は古事記、日本書紀とも今の橘である
2024/08/22 07:36
人類進化に多大な影響を与えた「火」の使用 火打金とポシェット⑶
1.火の使用が決定的だった 人類にとって、火の利用が重要であったことを改めて認識させられる書がある。従来の農耕や初期国家についての定説を覆すような問題提議がなされた『反穀物の人類史』に、初期人類における火の使用が多大な自然環境への影響、食物利用の飛躍的拡大
2024/08/18 16:10
任那日本府は、日本国(倭国)の出先機関などではなく加耶の組織だった。
任那日本府については、一般的に思われているイメージと、唯一の出典でその根拠となる日本書紀の欽明紀の記述とに大きな隔たりがあるように思われる。 最近では次のような理解になっている。「日本書紀で半島南西部の『任那』を当然のように支配地と見る見方は、今日では
2024/08/14 07:56
シュメル神話と保食神(ウケモチノカミ)の語呂合わせ シュメルと記紀神話⑴
大いなる女神(左)に拝謁する若い植物女神(右) 山型の椅子に座るニンフルサグ女神は両肩から植物が芽生え、手に穀物の穂を持つ。(円筒印章印影図 アッカド王朝時代BC2334~2154) シュメル神話について書かれた『シュメル神話の世界』には、日本の神話との類似が見
2024/08/10 07:27
百済を敵視する日羅の歴史的背景 日本書紀のなかにある加耶
上図の韓半島の地図は5世紀後半から6世紀初めの加耶の範囲を示したもの。 古代の韓半島には、金官加耶、安羅、大加耶といった複数の国々をまとめて加耶と呼ばれる国がありました。百済と新羅の挟撃に遭い、6世紀半ばには新羅によって滅亡してしまいます。 日本書紀では
2024/08/04 09:31
「カチカチ山」に描かれた火打金と火打石 火打金とポシェット⑵
1.火打石どうしを打っても発火させるのは困難 まずは、用語の説明をさせていただく。一般的には、火打石を叩いて発火させるものだとされるのだが、これでは少し不正確なのである。火花が出るのは、火打金とされる鉄に焼き入れをして炭素を含ませた鋼が硬質の石との打撃で削
2024/08/01 07:08
2024年8月 (1件〜100件)
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