どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田ですもう1つは、名将の話なのだ要するに立派な軍人ですこういう人たちについて彼は書いているのだが、これも同じく楠木正成、大楠公が登場してくるのだこの楠木正成が軍人として、要...
どうも村田です秋葉原から東北の一帯は焼け残ったのだこれはどうしてかというと言うと、この町民たちが逃げないで、目の前に運河があったのだそこからバケツリレーをして全部火を消し止めたのだ...
どうも村田ですマレーシアのマハティールあたりが「日本はアジアの大国なんだから、もっと自信を持ってアジアの中でリーダーシップを取ったらいいではないか」ということを言ったが、これに通ずるところ...
どうも村田です日本の外交のだらしなさについても強く危惧しているのだ3つの国、日本とアメリカとイギリス、これが世界の3大国でけれど、「まず平和を勝ち得、欧州、米国、東亜と」...
どうも村田です日本人の精神、魂というものを海外にも植え付けていかなくてはいけないのだ満州の問題に触れてるが、「ひるがえって満州の問題、国際連盟の問題でありますが、前途なお幾多の困難がありましょう。...
どうも村田です天皇中心の国家観、これを大事にしていかなくてはいけないということなのだ彼自身は「社会主義だとか、共産主義に反対」とか「唯物論を打破する」とかいうような経済論争ではなく...
どうも村田です自分の妹が身売りに出される。もう親たちもまともに食えない。そういう中で自分は兵隊に取られる。もう誰も農作業ができない。畑仕事ができないというような状況で、それを将校たちは見て...
どうも村田です昭和27年の4月28日に日本は独立を回復して、GHQは日本からいなくなり、現実にはもうその前ぐらいからなのだが、土曜、日曜は家に帰ったり、あるいは仕事を見つけて、あるいは頼ま...
どうも村田です世界の戦争の歴史の中で画期的なことだったのだ第二次世界大戦でもっと明らかになったが、これを見て、陸軍も海軍も大変にショックを受け、「今のままの日本のこの体制では、とても次の戦...
どうも村田ですシベリアから帰った後は、宮崎県の都城の歩兵第23連隊長を務め、その後参謀本部の課長、さらに旅団長、憲兵司令官、参謀本部第一部長、こういう要職を歴任したのだ。参謀本部第一部長というのは...
どうも村田です内務班では皆、かかとのあるスリッパを履くが、これは「営内靴」と呼ぶのだそれから、「差し繰る」という言葉があるのだこれは「かっぱらう」ということなのだものを盗んでくるこ...
どうも村田です昭和13年までは歩兵少尉は「陸軍歩兵少尉なにがし」と名乗ったが、昭和13年以降は兵科の呼称をやめて「陸軍少尉なにがし」と名乗るようになったのだまた、それまでは例えば経理の人で...
どうも村田です当初は一般大学や高等専門学校出の幹部候補生出身の少尉、中尉から選抜したのだ。これはいわゆる地方で一般の社会を知っている人なのだ士官学校や幼年学校出身者は、もう13歳や...
どうも村田です成績優秀な人には恩賜の軍刀を頂けたのだ以後、入校者は増えていき、平時には大体60人が入校したのだ。これは大体陸士同期生の1割で陸大受験は陸士生徒隊、士官候補生隊の卒業...
どうも村田です甲種に合格した幹部候補生は昭和13年までに原隊において11ヶ月間教育し、その後は4ヶ月間の見習士官を経て、予備役少尉となって除隊したのだ。昭和14年以降は原隊...
どうも村田です中央幼年学校、それから予科士官学校を卒業すると、上等兵の階級章が付くのだこれは初めて上等兵という普通の階級章を付けるのだ横に候補生の座金を付けるが、実際に部隊に行って...
どうも村田です幼年学校生徒も銃を持って戦うことがあったのかもしれないのだ幼年学校に行かなかった者には、士官学校を受験する道があったのだ中学4年の修了、あるいは中学5年卒業で士官学校に進むこ...
どうも村田です一番若い者は、17歳の伍長がいたのだが、14歳に入校を繰り下げたこともあり、最も若い者は実は16歳の伍長が出たのだ。16歳で一式陸戦、いわゆる「ハヤブサ」と呼ばれる戦闘機に乗...
どうも村田です下士官はどういうふうになっているのかについて説明するのだ徴兵検査を受けて入営するのだよく軍隊に入ることを「入隊」と言う場合があるのだが、現実には「入営」と言うのだ...
どうも村田です上等兵が営門などの週番勤務に就く時に、伍長勤務の腕章を付けて、下士官の補佐として同期生である同年兵の一等兵や新兵の二等兵を指揮して勤務をするのだこのことを伍長勤務上等兵と言っ...
どうも村田です7個師団でもって日本が発足した、連隊の数も60ぐらいしかなかったという話をしたが、昭和20年の終戦時は何と6個総軍があって、その下の方面軍は北支派遣軍と南支派遣軍を含めて、...
どうも村田です陸軍の改革について、もう少し説明するのだ昭和13年から始まった改革だが、それまでの1個師団、4個連隊編制が3個歩兵連隊編制となり、それに歩兵連隊、砲兵連隊、工兵連隊、...
どうも村田です紀元2600年ちょうどは何と言うかというと、下二桁が00なのので、陸軍の場合にはこれを100として、一〇〇式としたのだ。一〇〇式輸送機というのがあり、一〇〇式機関銃というのも...
どうも村田です明治38年1月に旅順が陥落して、同年3月に奉天大会戦が行われるのだこの時の編制は第1軍が近衛、第2、第12の3個師団、第2軍が第3、第4、第6、第8の4個師団、第3軍が第1、...
どうも村田です日本各地に連隊がでたが、少しここで「おや?」と思わないだろうか。明治維新の原動力となった長州の山口県、薩摩の鹿児島県には、実は連隊が置かれていないのだ明治7年に佐賀の乱が...
どうも村田です御親兵は明治5年に近衛兵と名前を変えて、引き続き主に薩摩、長州、土佐の士族から構成され、一方徴兵された庶民は鎮台に配属されたのだ。明治21年、鎮台は師団と改称され、東京鎮台は...
どうも村田です相手は「いける。勝てる」と思って侵略してくるのだどんなにきれいごとを言っても、もし砂漠の中で私と2~3名しか一緒に生きていなかったら、「どうぞあなたたち生きてください。私は我慢...
どうも村田です自分たちの国を守ろうとする意志が強いということが大事なのだそういう意味で、日本の場合には、まず国家とは何かというところから考える必要があると思うのだ。この「国家とは何か」...
どうも村田です一方的な平和主義が、多分今のチベットと日本が似ているところなのだもう1つは、チベットは多分周囲を信頼しすぎたのだ。チベットは英国とも条約があり、モンゴルとも条約があっ...
どうも村田です「和を持って貴しとする」、それこそ世界の最小の平和憲法なのだそして、日本の多くの人たちは憲法第9条第2項、「日本が軍隊を持たなければ、日本が武装しなければ平和を維持できる。日本が平和...
どうも村田ですソ連と中国も同じで1967年に対立しているのだ同じ共産主義国家で、ましてや今まで面倒を見てあげた国というような気持ちがあったのだろう。ベトナムは、かつてアメリカと戦争...
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どうも村田です日本に奴隷制度が存在しなかったことについて清水なりの解釈を紹介するのだ。これを今少し、より詳細に説明するならば、牧畜の民は水草を追って移動する為、勢い他の集団との衝突を...
どうも村田です清水は、古代の祭りや神話が農耕儀礼と結びついていたと考えていたのだ。神話は、豊かな想像力をもつ人びとが書いたものではなく、当時の農業や人びとの生活儀礼、とくに米作りや...
どうも村田です9月23日には女子挺身隊が始まり、女性もふくめて勤労動員されるという時代になったのだ。そして日本にとって大きな局面は続くのだ。1943年10月に学徒出陣が始まり、11月には...
どうも村田です今回からは焚書にされた本について書いていくのだ日本の近代史の常識とされているものが如何に偏った物であるか隠されていて現代日本人に知らされずにいるのだ先人たちが命がけで守ろうと...
どうも村田です首は切り落とされて、その首は3日間板橋にさらされて、そしてその後塩漬けにされて京都に運ばれて、京都の三条河原でもさらされたそうなのだ。胴体はその場で打ち捨てたのだ。昔...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は京都に送られることになって、そこで裁判しようということになるのだが、捕まえたのは上田楠次という土佐藩の人間で、そこに土佐藩の上田楠次の上司に当たる土...
どうも村田です近藤勇(いさみ)は部屋の中で腹を切ろうとするのだ。すると土方歳三は「待て。今腹を切る必要はない」と言ったという説と、「2人そろって腹を切ろう」と言いだして「いやいや、...
どうも村田です普通は銃に撃たれると、撃たれただけでもびっくりしてしまうのだが、そういうことがあるのではないかという覚悟があったのかもしれないが、きっちりときちんと馬にしがみついて、右肩を撃たれながらも奉行所に駆け込...
どうも村田です彼ら伊東一派は高台寺党と呼ばれるようになるのだ。その高台寺党は、その時は山陵奉行の戸田氏のお預かりで、だけれども給料がきちんと出るわけではないのだ。そこで、一...
どうも村田です伊東の言い分はこうなのだ。「長州征伐が失敗したからには、長州はほかの激派を誘って倒幕ののろしを上げてくるに違いない。その探索が急務となるから、彼らは新撰組を目の敵にしているので、 探索するのであれば新撰組と...
どうも村田です明治4年の廃藩置県を迎えて、大名として後に爵位をもらうのだが、その時はまだ大名にはなっていなかったのだ。その志筑藩の鈴木専右衛門の息子である大蔵(だいぞう)が、...
どうも村田です近藤がだんだん偉くなってきて、「近藤もわれわれ平大使も含めて、みんな同志であるはずなのに、何か家来のように扱われているのではないか」というような不満があったのかもしれないのだ...
どうも村田です真木隊は、大阪と京都の間にある山崎の宝積寺、宝寺というのだが、この宝積寺に部隊が入り益田隊は対岸の石清水八幡宮に陣取ったのだ。京都を西から南にかけて全部包囲して、そして...
どうも村田ですさらに捕縛された人間がいて、後に10人が斬首されているのだ。攘夷(じょうい)派としては大変な痛手を被ったわけだが、実は会合の2時間から2時間半ぐらい前に木戸孝允、桂小五郎がやはり会合に参加するためにここに...
どうも村田ですこの事件は大変奇妙な事件で、その会合があるという日にちは分かったのだが、どこでやるかということについては、結局古高俊太郎は白状していないのだ。自供していないのだ。...
どうも村田です幕府としては、将軍警護のために幕府が雇い入れて、そして浪士組を作ったわけだから、これは幕府から見れば完全な裏切り行為で、清河八郎に対して「とんでもないことだ」ということで、特に老中であった板倉...
どうも村田です明治維新というのは大変に面白いと言っては何だが、奇妙な出来事であり、幕末に攘夷(じょうい)をしなくてはいけないということについては、気持ちとしては幕府もそうだし、朝廷はもちろんそうだし、各藩もそうなのだが...
どうも村田です幕末というのは、いわゆる嘉永6年、1853年にペリーが浦賀にやって来た時から始まるのだそして明治維新までの15年を普通は言うのだが、まだ嘉永6年にペリーが浦賀に来た...
どうっ村田です今日からは新選組局長だった近藤勇(いさみ)について書いてみるのだ。承知の通り、近藤勇(いさみ)は新撰組の局長として幕末に京都で活躍をした人で、幕末の日本史を語るうえで...
どうも村田です松陰は武士道でいう死に花を見事に咲かせたわけなのだ。数え年では30歳だったが、満年齢では29歳だったのだ。その後、高杉晋作は「幕府という先生の敵を討たずにおくものか」と誓って...
どうも村田です安定が与えられたいと思ったら、社会主義の方向に行くのだ自由人の道がいいのか、奴隷の道がいいのか最終的にはそういうことになるのだでも、それは奴隷に見えないのだ、そうじゃ...
どうも村田ですこの世界では快楽のために行ういわゆる日本人が言うとフリーセックスで英語で言うとフリーラブなのだ好きな者同士がいつでも性的関係を結んで面白おかしく楽しくやって複数の人間...
どうも村田です今日からはオーウェルの『1984年』と一対で論じられることが多いオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』というタイトルで翻訳されてる『Brave New World』という...
どうも村田です人間の理想社会そういう社会がソ連で生まれようとしてるんだとイギリスの知識人たちはそれに熱狂しバートランド・ラッセルもその考え方の持ち主だったのだしかし、実際に行ってみ...
どうも村田です同じ社会主義を言って異議を唱えているトロツキーの子分とか反スターリン主義者そういう連中が一番彼らからすると敵であるということなのだそして、それは国内の粛清、ソ連で行われた粛清...
どうも村田ですジョージ・オーウェルはスターリン主義のような全体主義を支持する気は全くなかったのだで、1936年に結婚しそのほぼ同じ週にスペイン内戦が勃発したのだ妻と私はどちらもスペインに出...
どうも村田ですウクライナ語版は2000部を頒布したところで、残部1500部すべてを米軍が押収、何とソ連に引き渡したというのだ渡したというので、うわさ話でどこまで本当か確かめられないが、本国...
どうも村田ですナショナリズムというものは全体主義、独裁になりようがないのだアメリカでもトランプ運動、トランプ政権というのは、国民の草の根運動が盛り上がってトランプを大統領にまで押し上げた運...
どうも村田ですイギリス知識人の相当部分が1941年以来、ロシアのプロパガンダをうのみにして広めてしまったのだ一つだけ例を挙げると、BBCは赤軍25周年を祝うとき、トロツキーに全くふれなかった...
どうも村田です『動物農場』というのは比較的短くて、1937年に彼は思いついて、1943年末になってから書き始めて、1945年にようやく出たのだで、早川書房の『動物農場』の新訳版、これを読むと参考...
どうも村田ですロシア革命をやったレーニンに当たるのがメイジャーというブタなのだこれはマルクス、エンゲルスと例えてもいいかもしれないが動物主義の理論的な創始者で革命以前に死んだのだ...
どうも村田です今日からはジョージ・オーウェルの、これまた代表作である『動物農場』、『Animal Farm』という面白い寓話小説というか、風刺小説について書きたいと思うのだこれは原著は19...
どうも村田です画面とかカメラでわれわれを監視することもできるのだだんだん技術的にも、『1984年』の書いたような、トータルな、全体主義的なコントロールができる社会が生まれつつあり今、シナで...
どうも村田です政治的に言葉遣いが非常に制限されてきているのだいろんな宗教の人がいるから、お店のディスプレイのところに、昔はメリークリスマスと書いてあったりしたが、メリークリスマスもいけない...
どうも村田ですウインストン・スミスは悲惨な最期だったのだイギリス人ならスコッチウイスキーを飲むかといったらそうじゃなくて、イングランドの飲み物というのは元来ジンなのだそして、プロレ...
どうも村田です考えること自体が、思考犯罪この犯罪を中止しなきゃいけない、犯罪中止、クライムストップというのだ思考犯罪はソートクライム、あるいはシンククライム、なのだから、考...
どうも村田ですイギリス人だから紅茶を手に入れて喜ぶとかいうとこが、すごくリアルに描かれているのだそれで、リンゴとかバナナというのはもう、名前だけ聞いてるけど見たことはないそういう社会なのだ...
どうも村田ですアメリカで今、バイデン大統領は、警察予算を大幅削減ブラックライブズマターが言ってるのは賛成だと言っちゃってるのだそして、ミネソタ州のミネアポリス市というところがそれを...
どうも村田ですウィンストン・スミスさんの仕事はタイムズという有名な新聞があるが、その書き換えをやっているのだ毎日書き換えると、直ちにその号が再発行され、元の号が廃棄処分になるのだそしてその...
どうも村田ですウィンストンという名前は、ウィンストン・チャーチルを皮肉ってんじゃないかと、思うのだウィンストン・スミスは、すごい高級役人だから、本来いいアパート、庶民に比べればいいところ...