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53歳10か月で逝ってしまった貴方と遺された私の軌跡 https://pomurinchan.hatenablog.com/

22歳で結婚、結婚30周年のその年に最愛の夫は旅立ちました。2019年の9月でした。4年3か月に渡るがんとの闘いと、夫亡き後、遺された私に起こった異変。治療の末、やっと自分を取り戻し歩き出した私。夫との闘病の回顧録と私の軌跡を綴っています。

ぽむりん
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2023/09/08

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  • 【続々と検査】

    夕べは遅くに帰宅。 二人ともぐったりで食事どころでは無かった。 この時、大学生だった次男は家で食べたり食べなかったりだったので食事の心配をしなくて良かったことは助かった部分でもあった。 その日、夫は全く食欲が無く。普段から食が細かったこともあるけれどこの事態が発覚してからは更に食べられなくなっていた。 精神的にやられてしまったのだろう。 しかし、相変わらず食べなくても飲酒だけはしていた。 それでも私は「お腹が空いた」というよりも、食べていないと病院の付き添いが出来ないという気持ちが強く、手当たり次第に冷蔵庫の中の物を食べた。 項垂れて飲んでいる夫を横目で見ながら。 その翌日はCT検査とMRI検…

  • 【こちらでは選べないけれど】

    数時間待たされた末に、遂に手元の番号が電光掲示板に映し出された。 やっと診察室に入り、こちらへと言われた場所に夫は座り私もその隣の席に座った。 持参した紹介状は封が開けられ、中身を読みながら質問をされた。 その質問の時点から、申し訳ないけれど「この先生で大丈夫かしら」と私は不安な気持ちで一杯になって。 研修医じゃないよな?この先生。話をしてもしっかり理解して貰えていない感じが伝わってくる。でも医者をこちらが選ぶことは出来ない。 そんな不信感を抱いていると、今後の検査を淡々と説明された。 血液検査に始まり、レントゲン、大腸内視鏡検査、CT検査、MRI検査、注腸造営検査・・・・・他にもあったような…

  • 【兎に角行くしかない】

    紹介状を受け取った私たちは家から車で15分の大学病院へ。とりあえず行ってみるしかなかった。 その病院は勿論総合病院で、様々な科があった。 それにこの病院は数日前、夜救急でお世話になった病院でもあったが、その時の対応もあまり良い印象ではなかったので気持ちは重かった。 そして、表現できないような嫌な予感が。そんな感覚が私にはあったのだ。 でもそんなことを考えてもいられず、初診窓口で手続きを始めた。 紹介状もあるし簡単だろうと思っていてが、数多くの書類を書かされうんざりした。 どの診療科にかかって良いのかも分からず、その辺りから説明も聞きながら書類は全て私が書き上げ何とか窓口に提出出来た。 夫は、手…

  • 【現実を知って】

    診察室へ呼ばれた。 医師の机の画面には、先ほど映し出されていた大きな腫瘍の映像があった。 私は「悪性腫瘍(がん)」なんだと理解していたものの、医師の口からは「がん」だとか「悪性腫瘍」という言葉は出ない。 「うちでは無理だから大きい病院を紹介します。ご自宅の近くが良いよね?どこが良いかな」 と仰られた。直腸がんに精通している病院なんて調べて来なかったし、近くでこの腫瘍を診てくれる大きな病院なんて知らない。 自宅から車で15分の所にある大学病院の名前を出してみると「では、そちら宛てに紹介状を書きますね」と淡々と仰った。 ここまで話が進んでも決して決定的な言葉は出て来なかった。 痺れを切らした私は「…

  • 【直ぐに検査】兆候-5

    診察室から呼ばれると、医師は問診票に目を通していた。 直ぐに検査をしようという事になり、夫は検査室に案内された。 勿論大腸検査だ。 ただ、大腸検査はご存じの通り本格的に行うのならば前日から食事制限をして、下剤服用も行い腸の中を空にしないと出来ない。 外来受診、そしてそれを初診で行うにはそれなりの問題があるのかと私はピンと来た。 下剤を飲用してだとかなり時間がかかるとの事から、浣腸での処置が施された。 これを何度か繰り返し、勿論腸内の便は全て排出されることは無くても検査は出来るようだ。 夫が長い事抱えていた違和感は出口付近。所謂、肛門から入って直ぐのところ辺りという事は分かっていたのでとりあえず…

  • 【嫌がる夫を説得】兆候-4

    心療内科からの帰りは、二人とも言葉少なめだった。 「先生から言われたことに心当たりはあるんでしょ」と私が夫に問いかけると黙っていた。 私は思い切って「ずっとここ何年もお尻が痛いって言っているじゃない、それって可笑しいと思わないの?週末だって、傷みで全く出かけられなくなっているし」と続けた。 夫は図星だった為、更に貝のように口を閉じていた。 「市販の整腸剤だって、ここ何年も買い続けているじゃない、状態が良くならないから飲み続けているんでしょ」と立て続けに質問を投げかけた。 助手席の夫は益々黙っていた。 車内はなんとも言えない重たい空気に包まれていた。 以前、顧問税理士先生が「痔」の手術をしたこと…

  • 【翌日に心療内科へ】兆候-3

    ランキング参加中健康 ランキング参加中ライフスタイル 昨晩の救急外来騒動から一夜明け、診察してくれた医師から「パニック発作」との診断結果を受け、家から近い心療内科はどこなのかとネットで検索した。 幸いにも近くに夫に合いそうな心療内科を見つけることができた。 その病院のHPに医師の紹介があり「防衛庁のメンタルヘルス対策に携わってきた」と書かれていた。その一文にピンときて、ココに連れて行こうと決めた。 何故ならば、女性医師ではなくて・・・と思っていたところ、男性医師をわりと簡単に探し当てることが出来たからだった。 早速予約をし、事前の問診票をプリントアウトして細かく書き込んでおいた。 夫はとても嫌…

  • 【突然の電話】兆候-2

    ランキング参加中健康 ランキング参加中ライフスタイル それは、2015年の5月に起こった。 夫は毎日同じような時間帯には帰宅していた。 そろそろ帰って来る頃だと考えていた時に、携帯電話がなった。 「出口から出られないから、直ぐに迎えに来てくれ」 夫が何を言っているのか理解出来なかった。 高速出口から5分の所に我が家はあった。 通勤は高速道路を使っていたので、直ぐにその出口だという事は理解出来たが 出口が分からない、出られないと電話口でパニックになっている夫の言葉を理解することは難しかった。 「ふざけているの?出口から出ればいいでしょ」と私が告げると、パニックの夫は更に怒って「いいから車で迎えに…

  • 【あれから4年 命日を前にブログを開設します】

    ランキング参加中健康 ランキング参加中ライフスタイル 2015年から「大腸がん(直腸がん)」で闘病を開始した夫。 その頃から、忘れない為にもブログに綴っておきたいと思っていたけれど。 現実はそんなに甘くなく。 ジェットコースターのような日々に、ブログなど書く余裕は無かった。 個人のFacebookページに、その時の気持ちを吐露するのが精一杯だった。 闘病生活4年3か月、でももっと前から闘いは始まっていた。 そして、夫死別後に待ち受けていた予想外の展開に翻弄される日々を送った。 気持ち的にやっと落ち着いてきた命日の約2週間前の今、ブログを開設します。 夫は確かに存在していた。そんな回顧録と夫を失…

  • 【ずっと体調が悪かった】兆候-1

    ランキング参加中健康 ランキング参加中ライフスタイル 休みの日は必ず二人で出かける事をライフスタイルとしていた私たち夫婦。 息子達二人も成長し、手が離れだしていた頃だったのでこれから二人で楽しめるとこの先の事を色々と計画し出していた。 夫48歳、私46歳の2014年の年が明けた頃。 夫の調子は何となく悪かったのか、休みの日でもご機嫌が良くない日が多くなってきた。 そんな夫を横目で見ながら、釈然としない休日を過ごしていた。 夫と言えば、この時代では珍しく亭主関白で土日に私が友人達と出かける事を嫌った。用事がある時はかなり前から相談し、許可を貰いやっと自由に出かけられるといった感じだった。それなの…

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