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2023/06/10

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  • 城とよばれた山科本願寺の寺内町を歩く② 内寺内・外寺内・南殿エリア

    京都市山科区には、遠く戦国の時代に、要塞化された山科本願寺がありました。 前回はその寺内町のうち、城で言うと本丸にあたる「御本寺」エリアで、当時の痕跡をたどりました。 norajirushi.hatenablog.com 今回は、その周囲にあった「内寺内(うちじない)」、「外寺内」と、蓮如の隠居所があった「南殿」エリアを歩きます。 二の丸にあたる「内寺内」エリアの北東角に、今は山科中央公園があります。 内寺内は、法主の家族や坊官の屋敷が並んでいた場所らしい。 この公園には、内寺内と外寺内を隔てた、大きな土塁がよく残っています。 土塁は、登れるように道が整備されていて、高さは7mほどもある。 土…

  • 城とよばれた山科本願寺の寺内町を歩く① 御本寺エリア

    京都市山科区には、戦国時代に「城」とよばれた山科本願寺がありました。 今回は、公家の日記にも「荘厳ただ仏国のごとし」と記録されながら、焼き討ちにより一夜にして消滅した寺内町の跡を歩きます。 渋谷西野道のT字路に、古い道標が立っています。 「右 蓮如上人御往生舊地」とあり、側面を見ると1797(寛政9)年に建てられたことが分かります。 山科では、このような蓮如関係の旧跡が、いたる所で見られます。 衰微していた浄土真宗本願寺教団を大教団にしたのが、本願寺8世で「中興の祖」と言われる蓮如。 延暦寺により大谷本願寺を破却されたため、近江・北陸での布教に転じた蓮如ですが、1483(文明15)年、山科に壮…

  • 雑喉場魚市跡と戦災の傷跡が残る堂島大橋・大阪市

    大阪メトロ中央線の阿波座駅から少し西へ歩くと、木津川の手前に「舊大阪府廳」の石柱が立っています。 ここは、1874(明治7)年に2代目大阪府庁舎がおかれた江之子島。 当時の庁舎は、中央にドームのある壮麗な洋風建築で、「江之子島政府」と呼ばれていたようです。 庁舎の大手前への移転後、建物は大阪府工業奨励館として利用されていましたが、戦災により焼失してしまいました。 石柱の後ろに建っているのは、庁舎移転後に建てられた大阪府工業奨励館附属棟。 1938(昭和13)年に竣工した、昭和初期のモダニズム建築です。 エントランス上部の照明。 道路を挟んで、大正期に建てられた大阪府官舎の木村家住宅主屋。 玄関…

  • 日本最古の「つるのはし」跡から鶴橋商店街の迷宮へ・大阪市生野区

    古代より渡来人との関りが深い、大阪市生野区へ来ました。 降りた駅は、JR大阪環状線の「桃谷」。 今日の目的地である「鶴橋」の、1つ南の駅になります。 桃谷駅前からは、東へアーケード商店街が続いています。 右手には串カツ屋さん、左手にはたこ焼き屋さん。 大阪らしい商店街です。 脇道には、「温泉通商店街」などという、魅力的な看板も。 途中で、猫間川筋と交差。 現在は暗渠化されていますが、かつては名前に猫がつく珍しい川が流れていました。 「高麗(こま)川」が訛って、猫間川になったようです。 約600m歩いて4つの商店街を過ぎると、やはりたこ焼き屋さんのあるアーケード東口へ。 すぐに出会うのが、大戦中…

  • 旧陸軍火薬製造所分工場跡と奈良街道・宇治市木幡周辺

    前回は、京都府宇治市の黄檗周辺にある、旧陸軍の火薬庫や火薬製造所跡を訪ねました。 今回は、北隣の木幡周辺を歩いてみます。 JR木幡駅です。 駅周辺には、宇治陵と呼ばれる、平安期に栄華を極めた藤原北家の陵墓が点在しています。 写真は、その総遥拝所でもある1号墳。 石碑には「藤原氏塋域(えいいき)」と書かれ、藤原道長の名前もあります。 大きな製茶場や、 長屋門の奥に洋館が残る旧家もありました。 そんな木幡駅のすぐ北側には、今は「木幡緑道」と呼ばれていますが、旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場への引込線跡が残されています。 説明板にある、地図に加筆してみました。 青く印をつけた2つの宇治火薬製造所のうち…

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