chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
みゅー
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2023/03/21

arrow_drop_down
  • 優しい世界がそこにはあった 2 − ペイフォワード −

    T witterに闘病用アカウントをつくり、 みんなのツイートを見始めると、知らない単語のオンパレードだった。 ケモ・タモ AC・EC・DC・dd・ddAC・ddEC ドセ・パクリ・Wパクリ・DHP・ドセハーパー みんなが共通言語のように、一度も聞いたことのない言葉を使っていた。...

  • 優しい世界がそこにはあった 1 − 戦友たちとの出会い −

    no teを投稿することを決めたタイミング で、もうひとつ決めたことがあった。 友達は精神面ではサポートしてくれるけれど、病気とたたかっていくのはわたし自身だ。しっかり情報を得て、必要な準備をして、立ち向かわなければ。そして、乗り越えなければ。 きっとTwitt...

  • 病気の公表するかしないか問題

    大病を患っていることが分かったとき、 それを、いつ、誰に、どこまで話すかは、正解がないだけに難しい。 2022年9月5日の月曜日に乳がんの告知をうけ、その3日後の木曜日に彼とも別れることになって、精神的にぼろぼろになった。夜になるとこれから...

  • 告知後の一週間 − 生まれてはじめて消えたいと思った −

    しんどかった。この一週間が本当に一番しんどかった。 一番といっても、今この文章を書いているのは告知から2ヶ月経ったところで、まだ手術や治療は行う前だから身体のしんどさはこれから経験していくことになるのだけれど、とにかくこの告知後の最初の一週間は心が壊れそうだった。 告知翌日の9/...

  • 告知の日 3 − 自分のために泣いた日 −

    告知後、お会計を待つ間、検査結果を誰に伝えようかと考えていた。 でも今ここで誰かに連絡をして、そしてすぐにLINEの返信がきたら、ましてや電話でも来てしまったら、その通知を見るだけで、涙があふれだしてしまいそうな気がした。せめてそれは、クリニックを出てからにしたかった。 お会計を...

  • 告知の日 1 − 9月5日、人のいない待合室 −

    9月5日を迎えるまで、なぜか大丈夫な気がすると思っていた。 だって4割くらいの確率で悪性だろうって言われて検査したけど大丈夫だったもん。それと同じ場所の組織を取ったんだから。だからきっと大丈夫。前よりもごつごつ感が増したから、念のための検査だったんだと思う。 そう思っていた。 思...

  • 告知の日 2 − 受容のプロセス −

    告知を受け、待合室に戻った。数年前の記憶がよみがえった。 当時在籍していた会社で同僚ががんに罹患した。わたしは人事の仕事をしていて、産業医との面談の調整や休職の手続きをするかたちで関わっていたのだが、段々とその同僚の様子が変わっていった。 具体的に言うと、もとも...

  • 告知されるまで 2 − お決まりのルーチンの終焉 −

    こうして、わたしは8年前の検査で「悪性所見なし」の結果を勝ち取ったのだが、診断を受けた乳腺症も乳がんと同じくマンモグラフィーで白っぽく見えること、さらにわたしの場合はそれがだいぶ広く白くうつっていて、万一乳がんになったときに見つかりづらいということで、その後定期的に検査を受...

  • 告知されるまで 1 − 8年前のできごと −

    実は今回、乳 がんの告知を受ける8年前、2016年にも乳がんの疑いがあった 。 当時 、 わたしは31歳。 在籍 していた会社の健康診断でマンモグラフィーを受けてみたところひっかかったのだ。「石灰化」という言葉を初めて知り 、検索をしてみると「石灰化の多くは良性」と書かれていた。...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、みゅーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
みゅーさん
ブログタイトル
生まれてはじめて消えたいと思った。
フォロー
生まれてはじめて消えたいと思った。

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用