今日から岩手山神社のお祭り
母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。
2025年7月
今日から岩手山神社のお祭り
評価4東京の下町に住む源と政は幼なじみの70代老人。源は妻に先立たれて、若手後継者一人と伝統工芸を守るつまみ簪職人。政は銀行退職後、妻が娘のところへ身を寄せてしまい何度説得しても戻って来てくれないのでやむなく一人暮らしをしている。仕事以外は大雑把な源といろいろと気働きはするが全て裏目に出てしまう政の老人パワー炸裂!痛快で心温まる人情ドラマ!政が奥さんを連れ戻そうとして画策。最後の最後で奥さんが政に徐々に心を開いて行くシーンがとても良い。もう遅いかもしれないが、反省すべきは反省して老後を楽しく過ごして欲しいとつくづく思ったとても良い作品でした。政と源ー三浦しをん
(2009年7月4日)5月2日:花北青雲戦以来の盛岡一高グラウンド、春の県大会出場校(2回戦で花巻東に4-11で敗退)江南義塾盛岡戦はバックネット裏が満杯につき、想定外の左中間外野席で観戦とあいなった試合は投手戦、序盤、終盤に得点を奪ったわが校が2-0と完封勝利、順調な仕上がりを見せた。さて、今日の白堊な人だぢ須川選手:お母さん思いがけぬ外野観戦双眼鏡で戦況を見つめる小生に折りたたみ椅子と傘をお貸し頂き、まっことありがとうございました盛岡二高のバレー部は娘在学中から応援しています娘の友達がバレー部のエースとリベロでした。また球場、バレー会場でお会いしましょう千葉主将:お父さんチーム状況を教えていただきありがとうございました。まずは、伊保内高校に勝つことですよね!今までサボってた分、目一杯公式戦で取り戻しま...一高グラウンド復帰~16年前の今日の出来事。
今朝は、今年で50周年をむかえた東中野にある沢田浄水場に行って来た。いつも沢田橋までは行っていたが、その先に浄水場があるなんで実は知らなかった。X情報のおかげである。簗川の表流水を水源としているらしい。沢田橋のむこう高台に見えて来た。早朝ゆえ中には入れない。川目方面の山々を見ながら下って簗川左岸を行く。中ノ橋→盛岡バスセンター→茶畑交差点→スターレーン→片岡橋→沢田橋→沢田浄水場→片岡橋→葛西橋→土手道→簗川橋→南大橋→遊歩道→明治橋→御厩橋→川原橋→遊歩道→北上川公園→不来方橋→開運橋→境田製作所→旭橋→材木町→夕顔瀬橋→駅前イオン→旭橋【20,490歩13.7㌔】今朝は沢田浄水場に行って来た。
評価5再読(前回2018年10月28日)。事件当時、山荘南側から実況中継を担当した日本テレビアナウンサーだった著者による報道側から見たドキュメント。中盤以降の浅見アナ、芦沢アナ、倉持アナとを結んでの4地点からの実況がまざまざと当時を蘇らせてくれる。坂口弘の書からの引用もあり、多角的に事件をとらえることができる。隠しマイクで拾った人質となった牟田泰子さんと医師との会話を元に、でっち上げ記事(と、泰子さん本人は言っている)を書いたX日新聞に怒りを覚える。その後の、泰子さんに対する世間のバッシングも腹立たしい。事件から28年後に著者の取材を受けてくれた牟田さんご夫婦には頭が下がる。森恒夫と永田洋子の総括理論、クソくらえ!である。浅間山荘事件の真実ー久能靖
時はくだって平成11年、この年、盛岡一高野球部は創部100周年を迎えた。一高野球部の歴史はすなわち岩手野球の歴史でもある。記念試合として一高OBVS盛商OBが企画され、5月2日、岩手県営球場に往年の名選手が集った。監督は一高が杉田清彦、盛商が佐々木宏、まさにあの昭和50年夏の再現である。森雄一(S24,25甲子園出場)、小笠原敬二(S43甲子園出場)、駒木進(同)、森常記(S53甲子園出場)、、、その中に混じって金野健の姿もあった。解説者としてアナウンサー席についたのは、一高から金野、盛商からは「44イニング無失点」の滝村正彦だった。アナウンサーの「あの夏以来ですが、その後会うのは初めてですか」との呼び水に滝村:「はいそうです、24年ぶりです」金野:「そうです、あまり会いたくない相手です(笑)」金野のいつ...昭和50年白堊野球物語7作:佐藤泰久(S42)
センバツでも夏でもあと一歩のところで甲子園への夢を断たれたエース林とキャプテン金野は、各々東京六大学の立教、明治に進学する。すなわち林は城南小→下橋中→盛岡一→立教、金野は大船渡小→大船渡中→盛岡一→明治の球歴となる。林は野手に転向、一年秋から代打で出場し活躍、江川とも対決した。金野は当時東京六大学最強の明治・島岡監督のもとで3年春の早明戦から出場、初打席初ホームランという快挙をやってのけた。そして昭和54年秋のシーズが終わると、各々、立教大学野球部主将、明治大学野球部主将に推挙された。そして昭和55年10月26日、両教え子が対決する秋のリーグ戦立明2回戦に小山野球部長はバックネット裏観戦に駆けつけたという。春のリーグ戦優勝校・明治への立教の挑戦、延長にもつれこんだ熱戦は10回裏二死、立教キャプテン・林の...昭和50年白堊野球物語6作:佐藤泰久(S42)
決勝は一高・林、盛商・滝村の投げ合いとなった。一関商工にコールド勝ちした一高打線もこの日は沈黙、終盤8回2点を許し、「44イニング無失点」の滝村の前に一高は敗れ去った。盛岡商0000000202盛岡一0000000000私はこのとき会社(東京)にいて仕事の合間を見つけて盛岡の友人の職場に電話をした。替わりに出た女子事務員の「2対0で負げました」という盛岡イントネーションが今も耳を離れない。「そんなはずは...」、多くの白堊同窓生も信じられない敗戦に呆然としただろう。負けるはずの無い戦い、しかしこれが野球なのだ。7年ぶりの甲子園は掌中から逃げていったのである。その日、林、金野ら3年生は、小山卓也野球部長宅に集い、3年間の思い出と将来の夢を語り夜を明かした。そして早朝、前日決勝の熱気さめやらぬ岩手県営球場で校...昭和50年白堊野球物語5作:佐藤泰久(S42)
夏は「大本命」らしく、2回戦○盛岡一10-0一関一(5回コールド)とコールド勝ちで好発進した。3回戦○盛岡一6-4花北商(現花北青雲)。そして準々決勝で専大北上とあい間見えた。スコアを見ていこう。専大北上1000001002盛岡一00000023x5専大北上村上投手の好投の前に一高は6回まで外野飛球わずか1本に押さえられていた。この日母校の応援に駆けつけた平館氏は、7回表でもはやこれまでとスタンドを後にした。しかし、ここから一高の大反撃が始まった。7回裏からセーフティバント、盗塁で揺さぶりをかける攻撃で一気に逆転、一高バンカラ大応援団の「ピッチャーお代わり来い」の大コールがスタンドを揺さぶった。そして準決勝は前年優勝の一関商工(現一関学院)を10-0(6回コールド)で撃破し決勝に駒を進めた。決勝は宿敵・強...昭和50年白堊野球物語4作:佐藤泰久(S42)
こうしてセンバツまであと一歩の実力を持った一高の前に、春の盛岡に敵は無かった。春の盛岡市大会:○16-0盛岡北、○4-3龍澤、○9-4盛岡商、○7-1盛岡四またしても準決勝では盛商と激突したが、文句なく打ち破った。唯一の接戦が龍澤(現盛岡中央)であるところが現在の岩手県の球勢を暗示している。しかしさしもの我が一高、春の県大会では一関一を四番金野のホームランで4-1と下したが、宿敵黒沢尻工の前に1-4で敗れ2回戦敗退となった。(平舘氏は、秋の大会決勝・対高田戦で金野がホームランを打ったのでは、とのことだったが、高田戦でホームランを打ったのは林のほうで、金野は一関一戦でホームランを打ったというのが私の手元の記録である)かくして前哨戦は終了した。春の県大会で惜しくも敗れはしたものの、夏に強い我が一高、自他ともに...昭和50年白堊野球物語3作:佐藤泰久(S42)
秋季大会の優勝は8年ぶり2度目であった。夏の甲子園出場8回(当時)を誇る一高が秋の優勝が2度目というのが意外であるが、これが「夏の一高」と言われる所以(ゆえん)でもあるのだろう。東北大会では1回戦○4-1山形電波準決勝●1-6日大山形惜しくもあと一歩のところでで日大山形にセンバツ出場を阻まれたが、東北大会ベスト4、当時21世紀枠があれば選考対象になったであろう活躍だった。さて秋季大会では県大会の一高vs盛商を詳しく見ていこう。盛岡商業0010000102盛岡一高00110001x3スコアから見ても抜きつ抜かれつの白熱ゲームであることがわかる。8回の決勝打は一死二塁に走者を置いて大黒柱・金野の三塁ベース上をぬく二塁打であった。宿敵・盛商との死闘はこれを皮切りに昭和50年春の大会、夏の大会へと引き継がれるので...昭和50年白堊野球物語2作:佐藤泰久(S42)
では物語風にいきます。まずは昭和50年から、パンハ゜ハ゜ンパーン。昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季...昭和50年白堊野球物語1作:佐藤泰久(S42)
(2009年9月10日)今日は(仕事以外で)忙しい一日だった。■その1:耳鼻科へ一昨日から喉の調子が悪く、今朝は声がガラガラ大声を出したのは夏の高校野球だし、熱もなくインフルエンザでないことは確実だが念のため、紺屋町の耳鼻咽喉科へ急行しばらくして診察。年の頃は40台前半の若い先生に名前を呼ばれて診察室へ。「だいぶ赤くなっています。念のためファイバースコープで見てみましょう」とのこと。鼻に麻酔をして、診察台に戻ると・・・「ブログをやってる平舘さんですよねっ」「は・・・い・・・・(かすれ声)」「じゃ~先輩ですね」「そ・・・う・・・で・・したか(かすれ声)」「今日、秋の県大会抽選会ですよね!」「そく・・・ほう・・・します(かすれ声)」「ところで・・・い・・たいのすか(かすれ声)」「鼻を通る時に違和感があるかもし...いろいろあった一日
思い出の場所=岩手県予防医学協会(北飯岡)会社員時代の人間ドックの場所。歩いても1時間もかからないのに当時はバスで行っていたことが今では信じられない。ま~でも汗だくで着いてもシャワーが使えるわけでもないだろうから正解だったんだろう。胃のレントゲンで飲むバリウムが苦手な私がその旨を係の人に伝えたら「薄くしておきましたから」と言ってくれたことを思い出す。本当だったんだろうか!?(笑)甲子園へ通じる場所(飯岡新田)シード校の盛岡一高は2回戦から出場。決勝まで行くとすれば、15日の初戦を含めて4試合はこの道を通ることになる!「甲子園へのビクトリーロードとなるように!」と祈るしかない!旭橋→陸橋→アイーナ→杜の大橋→南イオン→亀ちゃん食堂→赤武酒造→岩手県工業技術センター→ぽちかち飯岡公園→岩手県予防医学協会→飯岡...思い出の場所と甲子園へ通じる場所
花北青雲時代の秋の大会で翌年夏に4強入りした母校の盛岡一高を破ったり、平舘高校を県大会に導いたりと十分な戦績を引っさげて2018年秋から盛岡一高の監督に就任。就任後初采配の2019年は3回戦敗退も2020年8強2021年8強2022年4強2023年4強2024年4強夏通算19勝6敗で勝率7割6分。申し分のない実績です!名将と言っていいでしょう。いよいよこの夏、大輪の花を咲かせる時です!川又監督の采配に期待しています。頑張ってください!盛岡一高硬式野球部・川又範明監督の夏の実績が凄い
評価3「イヤミス」の女王湊なかえらしからぬ、陸上への夢を断ち切って高校の放送部員としてラジオドラマ作りに取り組む青海学院高校の1年生・町田圭祐を主人公に展開する文化部青春小説。なんせ湊かなえだけに、「どこかで大どんでん返しがあるのでは!?」と期待半分、不安半分で読み進むも・・・普通の青春物だった(笑)。私の子どもも文化部だったが、文化部の中でも「あの学校は強い。あそこは弱い。」などという強弱の評価を普通につけていることに不思議な思いをしたことがある。コンテストなどの評価によって順位が決まるのだからスポーツ同様「勝ち負け」にこだわって活動している文化部も当然あるわけだ。以後、文化部を軽く見る見方は捨てたと言って良い。さて本作だが、もう少し波乱万丈さが欲しかった。例えばケガの傷も癒えた圭祐が陸上部と放送部の二...ブロードキャストー湊かなえ
(2009年5月13日)5月13日恒例の盛岡一高大運動会に白堊芋蔓特派員kikさんが行って来た。以下、その画像報告。「行ってきました。」「天気のわりに風が強くて寒かったです。」■Mアーチ■M門■開会式での校歌■一高式玉入れ■棒倒し■猛者踊り持つべき者は芋蔓仲間kikさん、ありがとうございました!根子ちゃんからは在仙白堊会の模様を伝えていただきました。白堊スポーツの話題が出たとのこと。うれし恥ずかし2009年盛岡一高大運動会
評価5今から53年前の2月19日午後3時6分、軽井沢のレイクニュータウン付近で鳴った銃声からこの事件が始まった。そして、218時間を経過した2月28日午後6時14分、犯人5人の検挙で終わったこの事件はその後判明した凄惨な殺人事件へのプロローグでもあったのだ。この事件での死者は3名、重軽傷者は27名。視聴率89.7%。警察側現場責任者の書だけに、警察内部の微妙な動きや長野県警と警視庁との縄張り争い、事件解決に向けての表に出なかった作戦の数々、マスコミとの緊張関係、人知れない苦労話が満載で手に汗握る臨場感たっぷりの力作。巻末に連合赤軍及び学生運動関連の年表があり、関連本を読む際の参考になると思う。時系列に事件の経過を記しておく。1972年(昭和47年)2月【19日】15:06レイクニュータウン付近(さつき山荘...連合赤軍「あさま山荘」事件ー佐々淳行
(2009年4月8日)今日は、盛岡一高の入学式白堊帽子の解体ショー「口頭指導」のお父さんからのお便りです。■校門の様子:1■校門の様子:2■新入生入場前の会場の様子■新入生入場までのひとときは、吹奏楽部のおもてなし■応援団による校歌紹介新入生諸君!がんばれっ!!【追伸】桜雲台さん宛ての画像も1枚ありました(笑)こちらは「芋蔓会掲示板」でっ2009年盛岡一高入学式
評価5支倉常長の遣欧使節をベースに組織としてのキリスト教のあり方と藩の捨て石にされた侍の悲哀を語る力作。1613年藩命により藩主の書状を届けるべくメキシコに渡った長谷倉は、なかなかその目的を果たせず、スペインを経てローマまで旅する。そして7年後に彼を待ち受けていた運命は・・・メキシコ(当時のノベスパニヤ)に辿り着くまでの洋上の苦難、アカプルコへ上陸後も長谷倉たちを悩ませる日本の切支丹をめぐるお国事情とキリスト教二会派の対立、そして、思い余っての切支丹への改宗。散々な目にあった後に王、法王(現教皇)への謁見を求めてスペイン(当時のエスパニヤ)、ローマへ行くも会ってもらえず(教皇は最後にお義理で会ってくれた)。こんな悲惨な状況だからこそキリストのことが理解できるようになった長谷倉だったのに(物語ではそこまで語...侍ー遠藤周作
この後、盛岡三高から箱清水、三馬橋を経由して岩手県営運動公園へ。一本木小学校や滝沢第二小学校の児童たちが続々貸切バスで到着。なんだろうと思って調べてみたら「滝沢市小学校陸上競技記録会」だそうです。出でよ!阿部飛雄馬二世!福田パン→長町踏切→中央病院→正覚寺→赤ちゃん子ども歯科→盛岡ガス→つつみ幼稚園→高松の池→高松公園→三高→箱清水→三馬橋→県営アパート→運動公園東→岩手県営運動公園→ヤマダ電機→青山駅→厨川中学校→青山小学校→盛岡医療センター→西青山→大館町→西松屋→ツルハ→厨川稲荷神社→稲荷町交差点→イオンタウン中屋敷→境田川原踏切→橋市道場→駅前イオン→旭橋【22,635歩15.2㌔】今朝の高松の池と岩手山
2025年7月
「ブログリーダー」を活用して、新・白堊スポーツさんをフォローしませんか?
今日から岩手山神社のお祭り
評価4東京の下町に住む源と政は幼なじみの70代老人。源は妻に先立たれて、若手後継者一人と伝統工芸を守るつまみ簪職人。政は銀行退職後、妻が娘のところへ身を寄せてしまい何度説得しても戻って来てくれないのでやむなく一人暮らしをしている。仕事以外は大雑把な源といろいろと気働きはするが全て裏目に出てしまう政の老人パワー炸裂!痛快で心温まる人情ドラマ!政が奥さんを連れ戻そうとして画策。最後の最後で奥さんが政に徐々に心を開いて行くシーンがとても良い。もう遅いかもしれないが、反省すべきは反省して老後を楽しく過ごして欲しいとつくづく思ったとても良い作品でした。政と源ー三浦しをん
(2009年7月4日)5月2日:花北青雲戦以来の盛岡一高グラウンド、春の県大会出場校(2回戦で花巻東に4-11で敗退)江南義塾盛岡戦はバックネット裏が満杯につき、想定外の左中間外野席で観戦とあいなった試合は投手戦、序盤、終盤に得点を奪ったわが校が2-0と完封勝利、順調な仕上がりを見せた。さて、今日の白堊な人だぢ須川選手:お母さん思いがけぬ外野観戦双眼鏡で戦況を見つめる小生に折りたたみ椅子と傘をお貸し頂き、まっことありがとうございました盛岡二高のバレー部は娘在学中から応援しています娘の友達がバレー部のエースとリベロでした。また球場、バレー会場でお会いしましょう千葉主将:お父さんチーム状況を教えていただきありがとうございました。まずは、伊保内高校に勝つことですよね!今までサボってた分、目一杯公式戦で取り戻しま...一高グラウンド復帰~16年前の今日の出来事。
今朝は、今年で50周年をむかえた東中野にある沢田浄水場に行って来た。いつも沢田橋までは行っていたが、その先に浄水場があるなんで実は知らなかった。X情報のおかげである。簗川の表流水を水源としているらしい。沢田橋のむこう高台に見えて来た。早朝ゆえ中には入れない。川目方面の山々を見ながら下って簗川左岸を行く。中ノ橋→盛岡バスセンター→茶畑交差点→スターレーン→片岡橋→沢田橋→沢田浄水場→片岡橋→葛西橋→土手道→簗川橋→南大橋→遊歩道→明治橋→御厩橋→川原橋→遊歩道→北上川公園→不来方橋→開運橋→境田製作所→旭橋→材木町→夕顔瀬橋→駅前イオン→旭橋【20,490歩13.7㌔】今朝は沢田浄水場に行って来た。
評価5再読(前回2018年10月28日)。事件当時、山荘南側から実況中継を担当した日本テレビアナウンサーだった著者による報道側から見たドキュメント。中盤以降の浅見アナ、芦沢アナ、倉持アナとを結んでの4地点からの実況がまざまざと当時を蘇らせてくれる。坂口弘の書からの引用もあり、多角的に事件をとらえることができる。隠しマイクで拾った人質となった牟田泰子さんと医師との会話を元に、でっち上げ記事(と、泰子さん本人は言っている)を書いたX日新聞に怒りを覚える。その後の、泰子さんに対する世間のバッシングも腹立たしい。事件から28年後に著者の取材を受けてくれた牟田さんご夫婦には頭が下がる。森恒夫と永田洋子の総括理論、クソくらえ!である。浅間山荘事件の真実ー久能靖
時はくだって平成11年、この年、盛岡一高野球部は創部100周年を迎えた。一高野球部の歴史はすなわち岩手野球の歴史でもある。記念試合として一高OBVS盛商OBが企画され、5月2日、岩手県営球場に往年の名選手が集った。監督は一高が杉田清彦、盛商が佐々木宏、まさにあの昭和50年夏の再現である。森雄一(S24,25甲子園出場)、小笠原敬二(S43甲子園出場)、駒木進(同)、森常記(S53甲子園出場)、、、その中に混じって金野健の姿もあった。解説者としてアナウンサー席についたのは、一高から金野、盛商からは「44イニング無失点」の滝村正彦だった。アナウンサーの「あの夏以来ですが、その後会うのは初めてですか」との呼び水に滝村:「はいそうです、24年ぶりです」金野:「そうです、あまり会いたくない相手です(笑)」金野のいつ...昭和50年白堊野球物語7作:佐藤泰久(S42)
センバツでも夏でもあと一歩のところで甲子園への夢を断たれたエース林とキャプテン金野は、各々東京六大学の立教、明治に進学する。すなわち林は城南小→下橋中→盛岡一→立教、金野は大船渡小→大船渡中→盛岡一→明治の球歴となる。林は野手に転向、一年秋から代打で出場し活躍、江川とも対決した。金野は当時東京六大学最強の明治・島岡監督のもとで3年春の早明戦から出場、初打席初ホームランという快挙をやってのけた。そして昭和54年秋のシーズが終わると、各々、立教大学野球部主将、明治大学野球部主将に推挙された。そして昭和55年10月26日、両教え子が対決する秋のリーグ戦立明2回戦に小山野球部長はバックネット裏観戦に駆けつけたという。春のリーグ戦優勝校・明治への立教の挑戦、延長にもつれこんだ熱戦は10回裏二死、立教キャプテン・林の...昭和50年白堊野球物語6作:佐藤泰久(S42)
決勝は一高・林、盛商・滝村の投げ合いとなった。一関商工にコールド勝ちした一高打線もこの日は沈黙、終盤8回2点を許し、「44イニング無失点」の滝村の前に一高は敗れ去った。盛岡商0000000202盛岡一0000000000私はこのとき会社(東京)にいて仕事の合間を見つけて盛岡の友人の職場に電話をした。替わりに出た女子事務員の「2対0で負げました」という盛岡イントネーションが今も耳を離れない。「そんなはずは...」、多くの白堊同窓生も信じられない敗戦に呆然としただろう。負けるはずの無い戦い、しかしこれが野球なのだ。7年ぶりの甲子園は掌中から逃げていったのである。その日、林、金野ら3年生は、小山卓也野球部長宅に集い、3年間の思い出と将来の夢を語り夜を明かした。そして早朝、前日決勝の熱気さめやらぬ岩手県営球場で校...昭和50年白堊野球物語5作:佐藤泰久(S42)
夏は「大本命」らしく、2回戦○盛岡一10-0一関一(5回コールド)とコールド勝ちで好発進した。3回戦○盛岡一6-4花北商(現花北青雲)。そして準々決勝で専大北上とあい間見えた。スコアを見ていこう。専大北上1000001002盛岡一00000023x5専大北上村上投手の好投の前に一高は6回まで外野飛球わずか1本に押さえられていた。この日母校の応援に駆けつけた平館氏は、7回表でもはやこれまでとスタンドを後にした。しかし、ここから一高の大反撃が始まった。7回裏からセーフティバント、盗塁で揺さぶりをかける攻撃で一気に逆転、一高バンカラ大応援団の「ピッチャーお代わり来い」の大コールがスタンドを揺さぶった。そして準決勝は前年優勝の一関商工(現一関学院)を10-0(6回コールド)で撃破し決勝に駒を進めた。決勝は宿敵・強...昭和50年白堊野球物語4作:佐藤泰久(S42)
こうしてセンバツまであと一歩の実力を持った一高の前に、春の盛岡に敵は無かった。春の盛岡市大会:○16-0盛岡北、○4-3龍澤、○9-4盛岡商、○7-1盛岡四またしても準決勝では盛商と激突したが、文句なく打ち破った。唯一の接戦が龍澤(現盛岡中央)であるところが現在の岩手県の球勢を暗示している。しかしさしもの我が一高、春の県大会では一関一を四番金野のホームランで4-1と下したが、宿敵黒沢尻工の前に1-4で敗れ2回戦敗退となった。(平舘氏は、秋の大会決勝・対高田戦で金野がホームランを打ったのでは、とのことだったが、高田戦でホームランを打ったのは林のほうで、金野は一関一戦でホームランを打ったというのが私の手元の記録である)かくして前哨戦は終了した。春の県大会で惜しくも敗れはしたものの、夏に強い我が一高、自他ともに...昭和50年白堊野球物語3作:佐藤泰久(S42)
秋季大会の優勝は8年ぶり2度目であった。夏の甲子園出場8回(当時)を誇る一高が秋の優勝が2度目というのが意外であるが、これが「夏の一高」と言われる所以(ゆえん)でもあるのだろう。東北大会では1回戦○4-1山形電波準決勝●1-6日大山形惜しくもあと一歩のところでで日大山形にセンバツ出場を阻まれたが、東北大会ベスト4、当時21世紀枠があれば選考対象になったであろう活躍だった。さて秋季大会では県大会の一高vs盛商を詳しく見ていこう。盛岡商業0010000102盛岡一高00110001x3スコアから見ても抜きつ抜かれつの白熱ゲームであることがわかる。8回の決勝打は一死二塁に走者を置いて大黒柱・金野の三塁ベース上をぬく二塁打であった。宿敵・盛商との死闘はこれを皮切りに昭和50年春の大会、夏の大会へと引き継がれるので...昭和50年白堊野球物語2作:佐藤泰久(S42)
では物語風にいきます。まずは昭和50年から、パンハ゜ハ゜ンパーン。昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季...昭和50年白堊野球物語1作:佐藤泰久(S42)
(2009年9月10日)今日は(仕事以外で)忙しい一日だった。■その1:耳鼻科へ一昨日から喉の調子が悪く、今朝は声がガラガラ大声を出したのは夏の高校野球だし、熱もなくインフルエンザでないことは確実だが念のため、紺屋町の耳鼻咽喉科へ急行しばらくして診察。年の頃は40台前半の若い先生に名前を呼ばれて診察室へ。「だいぶ赤くなっています。念のためファイバースコープで見てみましょう」とのこと。鼻に麻酔をして、診察台に戻ると・・・「ブログをやってる平舘さんですよねっ」「は・・・い・・・・(かすれ声)」「じゃ~先輩ですね」「そ・・・う・・・で・・したか(かすれ声)」「今日、秋の県大会抽選会ですよね!」「そく・・・ほう・・・します(かすれ声)」「ところで・・・い・・たいのすか(かすれ声)」「鼻を通る時に違和感があるかもし...いろいろあった一日
思い出の場所=岩手県予防医学協会(北飯岡)会社員時代の人間ドックの場所。歩いても1時間もかからないのに当時はバスで行っていたことが今では信じられない。ま~でも汗だくで着いてもシャワーが使えるわけでもないだろうから正解だったんだろう。胃のレントゲンで飲むバリウムが苦手な私がその旨を係の人に伝えたら「薄くしておきましたから」と言ってくれたことを思い出す。本当だったんだろうか!?(笑)甲子園へ通じる場所(飯岡新田)シード校の盛岡一高は2回戦から出場。決勝まで行くとすれば、15日の初戦を含めて4試合はこの道を通ることになる!「甲子園へのビクトリーロードとなるように!」と祈るしかない!旭橋→陸橋→アイーナ→杜の大橋→南イオン→亀ちゃん食堂→赤武酒造→岩手県工業技術センター→ぽちかち飯岡公園→岩手県予防医学協会→飯岡...思い出の場所と甲子園へ通じる場所
花北青雲時代の秋の大会で翌年夏に4強入りした母校の盛岡一高を破ったり、平舘高校を県大会に導いたりと十分な戦績を引っさげて2018年秋から盛岡一高の監督に就任。就任後初采配の2019年は3回戦敗退も2020年8強2021年8強2022年4強2023年4強2024年4強夏通算19勝6敗で勝率7割6分。申し分のない実績です!名将と言っていいでしょう。いよいよこの夏、大輪の花を咲かせる時です!川又監督の采配に期待しています。頑張ってください!盛岡一高硬式野球部・川又範明監督の夏の実績が凄い
評価3「イヤミス」の女王湊なかえらしからぬ、陸上への夢を断ち切って高校の放送部員としてラジオドラマ作りに取り組む青海学院高校の1年生・町田圭祐を主人公に展開する文化部青春小説。なんせ湊かなえだけに、「どこかで大どんでん返しがあるのでは!?」と期待半分、不安半分で読み進むも・・・普通の青春物だった(笑)。私の子どもも文化部だったが、文化部の中でも「あの学校は強い。あそこは弱い。」などという強弱の評価を普通につけていることに不思議な思いをしたことがある。コンテストなどの評価によって順位が決まるのだからスポーツ同様「勝ち負け」にこだわって活動している文化部も当然あるわけだ。以後、文化部を軽く見る見方は捨てたと言って良い。さて本作だが、もう少し波乱万丈さが欲しかった。例えばケガの傷も癒えた圭祐が陸上部と放送部の二...ブロードキャストー湊かなえ
(2009年5月13日)5月13日恒例の盛岡一高大運動会に白堊芋蔓特派員kikさんが行って来た。以下、その画像報告。「行ってきました。」「天気のわりに風が強くて寒かったです。」■Mアーチ■M門■開会式での校歌■一高式玉入れ■棒倒し■猛者踊り持つべき者は芋蔓仲間kikさん、ありがとうございました!根子ちゃんからは在仙白堊会の模様を伝えていただきました。白堊スポーツの話題が出たとのこと。うれし恥ずかし2009年盛岡一高大運動会
評価5今から53年前の2月19日午後3時6分、軽井沢のレイクニュータウン付近で鳴った銃声からこの事件が始まった。そして、218時間を経過した2月28日午後6時14分、犯人5人の検挙で終わったこの事件はその後判明した凄惨な殺人事件へのプロローグでもあったのだ。この事件での死者は3名、重軽傷者は27名。視聴率89.7%。警察側現場責任者の書だけに、警察内部の微妙な動きや長野県警と警視庁との縄張り争い、事件解決に向けての表に出なかった作戦の数々、マスコミとの緊張関係、人知れない苦労話が満載で手に汗握る臨場感たっぷりの力作。巻末に連合赤軍及び学生運動関連の年表があり、関連本を読む際の参考になると思う。時系列に事件の経過を記しておく。1972年(昭和47年)2月【19日】15:06レイクニュータウン付近(さつき山荘...連合赤軍「あさま山荘」事件ー佐々淳行
(2009年4月8日)今日は、盛岡一高の入学式白堊帽子の解体ショー「口頭指導」のお父さんからのお便りです。■校門の様子:1■校門の様子:2■新入生入場前の会場の様子■新入生入場までのひとときは、吹奏楽部のおもてなし■応援団による校歌紹介新入生諸君!がんばれっ!!【追伸】桜雲台さん宛ての画像も1枚ありました(笑)こちらは「芋蔓会掲示板」でっ2009年盛岡一高入学式
評価5支倉常長の遣欧使節をベースに組織としてのキリスト教のあり方と藩の捨て石にされた侍の悲哀を語る力作。1613年藩命により藩主の書状を届けるべくメキシコに渡った長谷倉は、なかなかその目的を果たせず、スペインを経てローマまで旅する。そして7年後に彼を待ち受けていた運命は・・・メキシコ(当時のノベスパニヤ)に辿り着くまでの洋上の苦難、アカプルコへ上陸後も長谷倉たちを悩ませる日本の切支丹をめぐるお国事情とキリスト教二会派の対立、そして、思い余っての切支丹への改宗。散々な目にあった後に王、法王(現教皇)への謁見を求めてスペイン(当時のエスパニヤ)、ローマへ行くも会ってもらえず(教皇は最後にお義理で会ってくれた)。こんな悲惨な状況だからこそキリストのことが理解できるようになった長谷倉だったのに(物語ではそこまで語...侍ー遠藤周作
もう秋祭りの準備が始まっています。@盛岡八幡宮南大橋上流の北上川明治橋下流で見つけた雉さん長町踏切→岩銀上田支店→梨木町踏切→河北小学校→じゃじゃおいけん→桜城小学校→大通→中ノ橋→平金商店→ホットライン肴町→生姜町→茶畑交差点→河南中脇道→神子田朝市→南大橋北→遊歩道→明治橋下→御厩橋下→川原橋→岩手女子高校【14,558歩12.2㌔】今朝の盛岡(秋祭りの準備、北上川、雉)
明治橋へ向かう土手道から望む東安庭方面7月1日に中央通から向中野へ引っ越ししていたらしい青森銀行。ちなみに支店名は盛岡支店ではなく「盛岡中央支店」昨日も雨だったのでなかなか清流が戻らない雫石川(杜の大橋から)少し濁りが薄まった気がする北上川(旭橋から)御厩橋→土手道→明治橋→仙北町→小鷹橋→喜盛の湯→鶴子アンダー→しゃぶしゃぶ温野菜→ダイワハウス→トライアル→飯岡新田→予防医学協会→ぽちかち飯岡公園→県工業技術センター→赤武酒造→亀ちゃん食堂→南イオン→杜の大橋→陸橋→旭橋【16,099歩13.3㌔】今朝の東安庭、青森銀行、雫石川、北上川
評価5再読(前回2022年11月14日)。最近、名作(古典?)や小川ワールドにどっぷり浸かっていたので、気分転換に視点を宇宙に変えてみた。宇宙に関する50の謎に著者が答えており初心者でもわかりやすい解説書。著者が掲げる今だ不明な宇宙の謎は以下の通り。①宇宙は有限なのか無限なのか②通常物質の5倍もあるダークマターの正体は何か③宇宙の7割を占めるダークエネルギーとはいったい何か④宇宙はどうして始まったのか⑤量子力学と一般相対性理論を統合する理論はどのようなものか先日、ILC(国際リニアコライダー)に関する講演でカリフォルニア大バークレー校の村山斉教授が盛岡にお越しになったらしい。村山先生のお話を直にお聞きしたかったな~♪♪♪村山先生や野本麻紀さんのYouTubeで宇宙の謎を探る旅に出かけよう!私は「重力」が不...知れば知るほど面白い宇宙の謎ー小谷太郎
北上川雫石川合流点では流れが二色になってる。手前は中津川の流れが混じっているので比較的きれい。明治橋下の濁流見石から日蔭山方面へ登ります。峠の頂で振り返れば志和三山リンゴ畑の中を下ります。向こうに見えるのは川目の里山。簗川の土手。向こうに薄っすらと岩手山。沢田橋が見えてきました。ここで茶畑交差点方面へ折り返します。御厩橋→土手道→明治橋→遊歩道→南大橋→簗川橋→遊歩道→東安庭二丁目→ad.max→中野地区活動センター→見石→リンゴ畑→片岡→簗川土手→沢田橋→東山→中野→茶畑交差点→盛岡バスセンター→生姜町→ホットライン肴町→中ノ橋【15,875歩13.5㌔】今朝の盛岡(北上川→明治橋→東安庭→簗川)
川原農園からの岩手山【拡大版】川原農園からの岩手山上田中学校前からの岩手山長町踏切→中央病院→北山トンネル→県営球場→高松小学校→高松公園→緑が丘交差点→三高→高松神社→高松の池→上田二丁目歩道橋→上田通り→中央病院→上田踏切→三戸町→仁王小学校→四ツ家教会→映画館通り交差点【13,092歩11.1㌔】今朝の岩手山(川原農園からと上田中学校前から)
評価4再読(前回2022年10月4日)。以下の10編からなる連作短編集。①衣装係さん②百科事典少女③兎夫人④輪っか屋⑤紙店シスター⑥ノブさん⑦勲章店の未亡人⑧遺髪レース⑨人さらいの時計⑩フォークダンス発表会「そこは世界で一番小さなアーケードだった。そもそもアーケードと名付けていいのかどうか、迷うほどであった。」こんな書き出しで始まるアーケード商店街に暮らした少女と愛犬べべと父親との物語。ひっそりたたずむアーケードは、愛するものを失った人々が思い出に巡り合える場所だった。どれを読んでも小川さんの幼い頃とダブって見えてしまうのはエッセーの読み過ぎだろうか(笑)?編み物、図書室、百科事典、愛犬・・・小川ワールドに欠かせない物で溢れている。ふっと幼い頃を思い出させてくれる情景に快く身を委ねページをめくっていたが、...最果てアーケードー小川洋子
昨日午後からの雨が小降りになったので軽めのウォーキング。中津川はそれほどでもありませんが、北上川と雫石川は川幅がかなり広がっていました。中ノ橋からの中津川明治橋からの北上川盛南大橋からの雫石川中ノ橋→ホットライン肴町→清水町→南大通→明治橋→仙北一丁目歩道橋→本宮→盛南大橋→不来方橋【7,790歩6.1㌔】今朝の中津川、北上川、雫石川
宮城・不忘山で行われた東北大会で男女とも優勝(2年連続)!8月2日から始まる北部九州インターハイ(福岡・英彦山山系)での男女全国制覇も視野に入って来ました。ガンバレ盛岡一高登山部!インターハイでの成績<女子>2023年:5位2022年:4位2021年:3位2020年:開催なし2019年:3位2018年:7位2017年:優勝2016年:3位2015年:優勝<男子>2023年:6位2022年:9位東北高校登山~盛岡一高男女同時優勝!
・486,781歩(一日平均:16,2226歩)・404.8㌔(一日平均:13.5㌔)※地球一周(40,000㌔)まで、あと27,241㌔・読書=17冊雨に当たることが少なかったので皆勤賞+3ヵ月連続400㌔オーバーとなりました。と言っても2月の398.7㌔をちょっと越えただけ・・・いつもなら最厳寒期なはずの2月が「2024年はウォーキングに最適な季節だった」という証と言えるでしょう(笑)。これから暑さも増しますし、高校野球も始まってウォーキング三昧とは行かなくなりますが、歩ける時にはしっかり歩いて体力作りに努めたいと思います!私の6月の記録(30日間)
夏の大会前の練習試合も今日と来週末と残り少なくなり、本番へ向けての仕上げの段階に入りました。大会直前につき内容を詳しくお伝えすることができないのですが、今日の試合、わが盛岡一高は攻守ともに順調な仕上がりを見せてくれました。何個か死球を受けましたが、くれぐれもケガのないように万全の状態で本番をむかえることができるようにと願うばかりです。ガンバレ盛岡一高!!夏の組み合わせも決まり本番モードへ!
今日は盛岡一高グランドで硬式野球部の練習試合があるので歩きは軽め。不来方橋→盛南大橋→土手道→雫石川水管橋→仙北一丁目歩道橋→明治橋→南大通→有坂輪業→ホットライン肴町→中ノ橋【7,810歩6.6㌔】今朝の岩手山@明治橋
楽しかったです!子どもが高校生だった頃以来の吹奏楽鑑賞だったかも・・・盛岡一高吹奏楽部のサマーコンサートに行って来ました。
評価4再読(前回2017年4月24日)。私が高校生の時によく読んだ作家・武者小路実篤。当時の読書ノートによれば、「愛欲・その妹」「友情・愛と死」「若き人々」「お目出たき人」を読んでいたようだ。「友情」は7歳下の杉子を好きになった主人公の野島青年がなかなか告白ができなくて悶々と過ごす日々の描写とその悩みを聴く友人・大宮との交流で構成されているのだが、やがて、杉子と大宮が結ばれてしまって野島は大失恋という結末。一時は友人のことを考えて身を引こうとした大宮だったが、野島を嫌っている杉子の本心を知ってあっさり寝返った大宮なのであった。ま~しようがないですね~杉子さんに「どうしても野島さんのわきには、1時間以上はいたくないのです。」「野島さまが私を愛して下さったことを私は正直に申しますと、ありがた迷惑に思っておりま...友情・初恋ー武者小路実篤
福田パン→山田線上田跨線橋→一高→盛岡体育館→高松交差点→三高→アネックスカワトク→富士見台緑地→四十四田ダム→富士見台緑地→緑が丘小学校→緑が丘三丁目→松内商店→高松公園→高松の池→つつみこども園→上田二丁目歩道橋→正覚寺→中央病院→上田踏切→三戸町【16,822歩14.1㌔】今朝は四十四田ダムで折り返して16,822歩
岩手山イオン!
旭橋からの岩手山太田橋からの岩手山榊(太田)からの岩手山八卦(太田)からの岩手山夕顔瀬橋からの岩手山太田橋からの志和三山西大橋からの雫石川旭橋→陸橋→杜の大橋→盛岡中央消防署→太田橋→岩手缶詰→八卦→西大橋→前潟イオン→長橋→中堤町→西警察署→県営体育館→青山駅→馬頭踏切→なでしここども園→福祉バンク→前九年郵便局→館坂交差点→片原→山田線北上川橋梁→夕顔瀬橋【17,332歩14.5㌔】今朝の岩手山と志和三山と光り輝く雫石川
評価5再読(前回2022年10月14日)。芸術家が集う創作の家の管理人の青年が、サンスクリット語で謎の意味を持つ名前をつけられた短い4本の脚、水かき、ひげ、胴の1.2倍の尻尾、牙、フック状の爪、すぼまった口先を持ち、二本の前歯でひまわりの種を食べる動物「ブラフマン」と過ごしたひと夏の物語。小川さんのエッセーにも出て来る南仏の村を訪問した時の印象を土台に作られた物語であるらしい。その際のエピソードである泉泥棒の話が出て来るし、南仏を彷彿とさせる風光明媚な佇まいが物語を一掃際立たせている。私的には「ブラフマン」の振る舞いは小川さんの愛犬ラブの印象。ブラフマンの最後が悲しい。ブラフマンの埋葬ー小川洋子
・初戦1回戦花北青雲(きたぎんボールパーク)・初戦勝てば(2回戦)、大東=春16強vs一関高専の勝者(花巻球場)3回戦以降には春の3位大船渡や春16強の水沢が待ち構え、そこに勝っても春8強の専大北上が立ちふさがるブロックです。で、おそらく準決勝に勝ち上がると思われるのは盛岡大附属。なかなか楽に勝ち上がれない組み合わせですが、昨年までの4大会連続8強以上・2大会連続4強の「夏に強い盛岡一高」はこれから本番までの間にきっちり仕上げてくれるに違いありません!川又監督を始めとする指導陣の手腕に期待しています!ガンバレ盛岡一高!盛岡一高の対戦校~夏の高校野球組み合わせ
夕顔瀬橋下の遊歩道から旭橋から開運橋花壇から不来方橋から明治橋から都南大橋から門の土手(北上川左岸)から南大橋から夕顔瀬橋→遊歩道→旭橋→境田製作所→遊歩道→開運橋下→不来方橋下→御厩橋→土手道→明治橋→遊歩道→南大橋下→土手道→新川橋→旧ヒノヤコート→都南大橋→土手道→門一丁目→東安庭二丁目→遊歩道→簗川橋→南大橋→遊歩道→明治橋→南大通→清水町→ホットライン肴町→中ノ橋【20,267歩17.3㌔】今朝の岩手山と北上川(夕顔瀬橋スタート都南大橋折り返し)
今日は明日に合わせて、某高校のレギュラー選手に血族を持つ知人と会談。丁寧な字で綴られた試合データを見せられて驚愕。「対戦することになったら笑っちゃうね。」と言いつつ、お互いの健闘を誓い合ったのだった。すでに我々の夏の戦いは始まっている!明日は夏の高校野球組み合わせ抽選!