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古代東海道更級日記の道 https://hen-un.hatenablog.com/

1020年菅原孝標女が上総(千葉県市原市)から京へ向かった旅をたどります。「点」ではなく全行程を「線」で進みたいと思います。しかし江戸時代の東海道と違いルートは不明で半ば考古学の範疇。参考となる古墳、遺跡等調査探求の旅となりつつあります。

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2023/01/24

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  • 更級日記東京の道⓭ 高輪から大井町駅へ(その3) 居木橋から大井町駅へ

    御殿山の坂を下った居木橋界隈から先、延喜式東海道の大井駅と比定されるJR大井町駅付近へのルートが問題だ。 道路技術者で古代道研究家の武部健一氏は著書で(進路は逆になるが)、「多摩川を渡り、中原街道の中延付近で東に折れ、大井駅で90度左折し、直進する」とする(古代の道(吉川弘文館))。 しかし、線路ばかりで歩く道筋が見えない。居木橋界隈はこう。 川の左岸Aを下って三獄橋で渡るしかないと考え、そうした。 への道が しかしあとで航空写真を見ると御殿山の坂道はDへの道につながっているようにも見えてくる。 明治初期の迅速測図との比較を見るとこうだ。 ☆のところで二股に分かれている。 が、Dの先にはっきり…

  • 更級日記・東京の道⑫ 高輪から大井町駅へ(その2) 御殿山から居木橋へ

    御殿山交番前で八ツ山通を渡るが向こう側に3本の道があって、迷う。 進行左からAとB2本は御成門通り、道灌通りと名がついている。 真正面だし、「お成道」の立て看板もあるしと御成門通りAに入り、そのままミャンマー大使館前まで歩いたが、後で考えると違ったかもしれないと思うに至った。 右端の道Cだと目黒川にかかる居木橋までほぼまっすぐだし、北品川の4丁目と5丁目の境になっているし、一方通行の道だしと。 では古い地図との比較を見て見よう。 交番直前までまっすぐの道はなかった。 どう見ても右の一本Cに限られよう。 このまっすぐな道は途中吉川英治旧居邸もある今の散歩道としても好雰囲気だ。 彫刻の庭園 このま…

  • ⑪ 高輪から大井町駅へ その1 伊皿子交差点、二本榎通、柘榴坂、高輪4丁目

    聖坂から続く道を進み、伊皿子交差点を過ぎて高輪に入いる。 とまもなく右手にこんもりした森を持つ邸宅が見えてきた。 おや、その広大な邸宅前スペースには警官が立っている。なんで? 後でわかった。仙洞御所建設中のため、上皇夫妻が仮住まいしていた高輪皇族邸だった(歩いたのは2022年3月)。 もし、孝標らが千年の未来にタイムマシーンでやってきたら帰路途中で最高位上司とこの地で遭遇していたかも。 尾根道は「二本榎通り」の名称を持ち、周りには多くの寺院、大使館、学校、マンションが並び立つ高級住宅地となっている。 旧宮家邸跡地に立つプリンス系ホテル街の脇(グランドプリンス新高輪)まではほぼ直行し、そこで直角…

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