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多摩川の筏道 https://tamaikada.hateblo.jp/

「筏道」とは、江戸時代から大正まで続いた「多摩川の筏流し」の筏乗りたちが、歩いて帰った道のことで、その「筏道」を散策するための案内マップです。

たまいかだ
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2022/12/26

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  • 江戸の火事と多摩の木材

    古民謡のなかの江戸の火事 資料にある江戸の町の火事 資料1 江戸時代から明治時代の火事一覧 資料2 江戸の大火41件の一覧 まとめ 古民謡のなかの江戸の火事 東京都西多摩郡、檜原村(ひのはらむら)は、JR五日市線の武蔵五日市駅から先にある地域です。 次はこの村に伝わる古い民謡です。 お江戸が焼けて 山栄ゆ 杉丸太 ヤンソレ もみ 栗 角の値のよさ やれ もみ 栗 角の値のよさ あれみよ雲が 江戸へとぶ 雲にのり ヤンソレ わが身も 江戸へ 江戸へと やれ わが身も 江戸へ 江戸へと 檜原村の古い民謡にこのようなものがありますが、江戸の大火と地元林業との密接な関係を、「お江戸が焼けて山栄ゆ」と露…

  • 多摩川が蛇行した旧流路を資料で見る

    府中本町駅周辺の旧流路 資料で見る 資料の旧流路をトレースして見る 川崎駅周辺の旧流路 資料で見る 資料の旧流路をトレースして見る 別資料で見る旧流路図 かつて、多摩川は「暴れ川」と言われていました。 大きな台風が来ると、そのたびに多摩川には大水が出たのです。 昭和49年の洪水では、東京都狛江市の多摩川近くに被害が出て、いくつかの住宅が川に流されニュースになったことは記憶に新しいです。 そして、多摩川に近代的な堤防ができる前は、大水のたびに多摩川は蛇行したのです。 ここでは、多摩川の蛇行の跡になる「旧流路」について、いくつかの資料を見ることにします。 府中本町駅周辺の旧流路 資料で見る 資料の…

  • 長崎堤防の名前の由来

    北見方には長崎堤防がある 北見方には長崎山もある 地名辞典で長崎山の所在地は「北見方355」 「北見方355」を古い住宅地図で探す 新旧の地図で見る「長崎山」と「長崎堤防」 「北見方355」は、現在の地図ではどこなのか 「北見方355」の位置を、明治時代の地図で見る 北見方には長崎堤防がある ここで当サイトの別の記事、「右岸の筏道(3) 引用文献から明治期の地図に右岸順路を描く」の「平間〜諏訪の一本松」で使った引用文を確認します。 つぎの内容です。 その先は無堤防なので、丸子、小杉、宮内と府中街道を歩き、北見方の長崎堤防を通って、諏訪の一本松のところに出る 《引用文献》平野順治,2008,大田…

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