曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
【頌】 頌に去く、虎頭虎尾一時に収む。凛々たる威風四百州。却って問ふ、知らず、何ぞ太だ嶮なる。師曰く、一著を放過す。 【解釈】 この頌は、訪問僧を尊敬して、隙があれば咬みつかれて、こちらが傷つくほど
ところで、この訪問僧は雲門和尚にピシャリと掌で打たれたのを、怨みにも思はず、憤慨もせず、禪宗の儀式であるとでも思って、これから眞の問答の開幕ですといふ譯で、「某甲(それがし)話あり」(これから話させて頂
私はさう思ふが雲門和尚は、さうは思わなかったらしい。“こいつ返答に行き詰まった”と見たのか、“知った事は、言葉で表現できない事はあるまい”と反撃に出たのか、どちらか知らぬが、ぴしゃりと、訪問僧を一つ打った
それだから、そんな入試問題に對して、構へた哲学的又は宗教的な返答をするよりも、素直に正直に當り前のことを答へる方がよい譯だ。だからこの訪問僧は「西禪で修行していました」と答へたのであると思ふ。西禪とは
【本則】擧す。雲門、僧に問ふ。近離甚の處ぞ。僧曰く、西禪。門曰く、西禪近日何の言句か有りし。僧、両手を展ぶ。門、打つこと一掌す。僧曰く、某甲話在り。門、却って両手を展ぶ。僧無語、門、便ち打つ。【解釈】
今ここに歴史年表をもっていないので楠木正成公が楚俊禪師から「両頭を截断すれば一劍天に倚って寒し」の偈を授かったのは何年のことか不明であるが、「生死」の両頭を截ち切ってしまったならば、勝敗の両頭も夢幻で
兎も角、生死を超脱しているため自由自在の無礙の行動がとれ、それがみづからを救けることになるのである。この事をこの垂示では「機關を撥轉す」と書いているのである。その後、日本にも祖元の名聲が聞こえ、時の執
この眞理を近世の大哲学者ベルグソンは柱に懸けたる服は、釘が抜けたら落ちて視界から見えなくなるが、無くなったのではないといったそれと同じ眞理である。祖元禪師はのち、臺州眞如の住持となる。あたかも徳祐元年
ところで元寇の立役者北條時宗を育てた祖元禪師のことに移るが、禪師は諸方の禪寺にて修行し刻思参究するといへども大悟するに至らなかった。 後、郷里に帰り大慈寺の物初大觀和尚の門に入ったが、ある日、井楼にの
「それは無明の投影の世を觀て無常としたのである。眞の人間は無常の中にあらず、肉體の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、實相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄』にして不浄ではない。人間を指
「物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた減すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言ふ事もない。人間は本来『生』である。『滅』に對する『生』ではなく、本来『生』であるか
生れた者は滅しなければならない時が来る。しかし人間は母親の胎内から生れて来た時に“生”を得たやうなそんな相對的消滅の中にウロチョロしている儚い存在ではないのである。母親の胎内から生れる前からの久遠の存在
楠木正成公が湊川に足利尊氏の大軍を邀へ撃つにあたり、正成公は明極楚俊禪師(みんきそしゅん)を訪ひ、最後の覚悟について問ひ給うた。そのとき、楚俊禪師は偈を説いて申されるには「両頭を截断すれば一劍天に倚って
「わが内に神はあり給い、神の内にわれは在り、われは“初め”であり“終わり”であり、すべてである。われは“生”であり、“死”であり、生きることも自由であり、死すことも自由である。死するといっても無くなるのではな
第五十四則 雲門近離甚麼【垂示】垂示に云く。生死を透出し、機關を發轉す。等閑(なおざり)に截鐡斬釘(せってつざんてい)、隋處に蓋天蓋地、且く道へ、是れ什麼人の行履の處ぞ。試みに擧す看よ。【解釈】「生死を透
【頌】頌に曰く。野鴨子、知んぬ何許(いくばく)ぞ。馬祖見来って相共に語る。話り盡す山雲海月の情。依然として會せず、還って飛び去る。飛び去らんと欲す。却って把住(はじゅう)す。道へ道へ。【解釈】「野鴨子、野
野鴨は渡り鳥の一種であるが、北極近い奥地から、冬が来ると稍々暖い北海道や更に一層暖かい南方の地域まで飛過するのがある。先日、野鳥の研究家が野鴨の一種の脚に脚輪をはめて場所及び年月日を記録してから自由に
それではと、院長先生に診察していただくと、院長は首をひねって考へている様子なので、お尋ねすると、「森さん、不思議な事が、考へる事の出来ない事が起こって居るのです。あの重態なる病人が、しかも一晩のうちに
早速四男と両親とは、うがひと洗顔をして身を浄め、御先祖様にお光とお線香をたて、お祈りをして『甘露の法雨』を三人で體力の続く限り無制限に死にものぐるひで読誦して居たのであるが、三人とも疲れたと見え、知ら
父親は、「お前、そんな事いふけれど、此の原水爆の時代、原子力で、月へ行ける時代、而も科学の粋を盡して高度に発達せる医学時代に、なんで夢みたいな話に、お前が治す事が出来ようか」と、四男の言葉を信じないの
帰って来て父母の顔を見ると二人とも心配さうな青褪めた顔をしているので、彼はただ事ではないと察して、「お父さん、お母さん、何が一體起こったのですか。この世界は神が造った世界だから何一つ心配すべき事は起こ
しかし産婦は自分の産んだ赤ちゃんの血液をお臍から全部抜きとって、他の人の血液と入換へるなんて、そんな危険なことをさせてはならない。“これは私の愛児だ”とその赤ちゃんを抱きしめて、どうしても手放さない。産
これは“嬰児黄疸”といふ野鴨が飛んで行くのを見たとき、“あれは何ぢゃ”といふ問に對する答の一つなのである。嬰児黄疸は嬰児黄疸であり、野鴨は野鴨でである。医者は往々、脊椎湾曲症とか四等筋麻痺症とか、症状をあ
「觀世音菩薩は或いは父となり母となり、或いは良人となり妻となり、或いは兄弟姉妹となり小姑ともなり、或いは社長とも重役ともなり、同僚ともなり下役ともなりて、常に何かを語り給う。心に耳ある者は聴くべし、心
『聖経版 真理の吟唱』の四四頁には次の如く録されているのである。「觀世音菩薩は、あらゆる姿とあらはれて私たちに救いの説法を宣示したまうのである。 山々のたたずまい、雲の行きかい、風の韻き、水の流れーー
「ウウーン痛い」と忍痛の呻きを發したのは、肉體が痛いのであるか、“心”が痛いのであるか、肉體は物質であるから痛まない。“心”も五蘊皆空であるから痛まない。それでは何が痛むのであるか?そこに馬大師が、百丈を
馬大師の「是れ什麼ぞ」といふ最初の問は空を飛ぶ鳥の現象の名称を問うたのではない。その野鴨を飛ばしめている“生命の本軆”といふものは何であるかといふ含意を籠めて「是れ什麼ぞ」と問はれたのである。それなのに
ある日、この馬大師がその愛弟子の百丈を伴って戸外を散歩していられたが、その時ちゃうど、野鴨が空を飛び去って行くのを馬大師が見て、百丈に、「あれ何じゃの?」と問はれた。「あれは野鴨でございます」と百丈は
【本則】擧す。馬大師、百丈と行く次で、野鴨子の飛過するを見る。丈曰く、野鴨子。什麼の處にか去る。丈曰く、飛過し去る。大師遂に百丈の鼻頭をひねる。丈忍痛の聲を作す。大師曰く、何ぞ曾て飛び去らん【解釋】馬
“私”の考へがはいらないので“法則”そのままが學人又は相手の人を審くのである。人によって容赦することはない。かういふ“無私の人”の言葉は、法則そのままで、遠慮なく相手ひとりひとりの“迷い心”に致命傷を與へるの
【新天新地の神示】(昭和六年五月六日 神示) 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。 人々よ、眼の蔽ひをとれ、われは新しき智慧である。 新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの