曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
一、道元禪師の實相自覚まことに眞實の相に於いては、光明遍照する久遠不滅・金剛不壊なる實相世界のみが今ここに獨在しているのであります。「生命は生を知って死を知らず」(『甘露の法雨』)といふ「實相の生」の
現在、同志の読書会で道元研鑽中でございます。メンバーの一人に、駒澤大學大學院で専門に『正法眼蔵』を研鑽され、生長の家でのすぐれた道元禪の理解者であられる方からその蔵書の多くをお借りしてこれを渉猟(沢山
即ち、先生の道元批判のお言葉の内にひそむ實相獨在の眼で當觀する時、悉く有るものみな佛性なるが故に、衆生は渾て凡夫にあらず巧まずしてただそのままに如来であります。凡ての衆生は常此處の世界にあって、ただあ
率直に申し上げて、一切の前提を外し實相獨在の見地から觀れば、道元禪師の生死に關する道得は、實相まる出し、生は實相全機現死は實相全機現(全機の巻)、現象流轉の生死なしの眞實の表白であり、先生のご本心も當
さて、『神 真理を告げ給う』で、先生ご啓示の道元禪師の眞實の世界を、上述の如く「實相の生」獨在、現象生死なしと見得させていただきますと、「漸源弔慰」文中“生死の巻”に關する、前述「……生死の分析、人間の分
すなはち道元禪師は、ここで、現象の世界なし、物質の世界なし、無常の現象世界に於ける一時的顕現としての肉體の我とその生死なし、獨在するは、全虚空を越えて悉く皆久遠佛性なる實相實有の光明遍照世界のみとの、
ここで、「一切衆生悉有佛性」とは「一切衆生、悉有佛性(しつうぶっしょう)、如来常住、無有變易(むうへんやく)」なる涅槃経に於ける釋迦の説法であり、同時に「山川草木國土悉皆成仏、有情非情同時成道」なる釋迦初
先生の「漸源弔慰」御解釋全文は、もとよりこれ悉く佛言であり、神の言葉であり、圓満完全であり、金剛不壊であり、實相の悟の威力に満ちみちて、下化衆生、衆生濟度に於いて十全であり、ただ感謝合掌し拝受禮拝させ
先生は同誌七四頁に於いて「實相の生」のお立場から、「凡夫が“生死”と言ふ場合には」とのご前提の続きの上で「(前略)しかし、道元禪師は夾山和尚の『生死のなかに佛あれば生死なし』の方に勝ち點を與へて、『もし人
まことに言々句々“如来の説法”であります。題は假に私がつけたのであります。“實相獨在”を禮拝して合掌 ありがたうございます。風薫る初夏の候、尊師谷口雅春先生、輝子御奥様には益々ご健勝にて私供をお導き賜りま
「漸源弔慰」餘滴「生長の家」誌に連載中の本稿のうち、その本年四月號の第五十五則「漸源弔慰」の解釋の中に、わたしが『正法眼蔵』“生死の巻”に於いて道元禪師の説かれたる語句の表現について、多少批判めいた事を
現象世界がいくら變轉きはまり無く白浪天に滔る如き大怒濤で存在の船着き場が無いやうにあれていようとも、實は金輪際そんな世界はないのである。そして實相常在の浄土は「わが浄土は安穏にして天人常に充満す」(『
【頌】頌に云く、兎馬(とめ)に角あり、牛羊に角無し。毫(がう)を絶し、氂(り)を絶す、山の如く嶽の如し。黄金の靈骨今猶ほ在り。白浪滔天何の處にか著けん、著くるに處なし。隻履西に歸って曾て失却す。【解釋】兎に
生死相對の世界の此の土に於いて、現象の生死を超えた、常在無限壽命の如来の靈骨を鍬で掘り起さうなどと求めても駄目である。吾々は「常此處(つねここ)の世界」(われ常に此處にあって滅せずの實相世界)に心の眼を轉
石霜和尚はこの時、鍬で掘り出せるやうな現象の世界に先師の靈骨を探しもとめても駄目だといふ意味を次のやうに言はれたのである。「洪波浩渺(こうはかうべう)、白浪滔天(はくろうたうてん)、什麼(なん)の先師の靈骨
道吾禪師や石霜禪師が「道はじ、道はじ」と繰返して言はれたのは、“生死即涅槃”とか「生死の中に佛あり」とか軽々しい言句を發しても却って相手を惑はす事になると知っていられたからであろうと思ふ。ところが、ある
生死は無常の姿であり、變化の相であり、“一時のくらい”であり、變化するものは本来無いのである。生死もとより無く、佛のみ常住であるがゆえに、到る處、今此處が極楽にして涼風吹き來るのである。無常變轉の世界に
わたしは青年時代「生死のなかに佛あれば生死なし」といふ『正法眼蔵』生死の巻の句がたいへん好きであって、それを心の中で唱へると気分がスッキリして爽快になったものである。わたしは「生死のなかに佛あれば」と
しかし道元禪師は、夾山和尚の「生死のなかに佛あれば、生死なし」の方に“勝ち點”を與へて、「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえを北にして越に向ひ、おもてを南にして北斗を見んとするが如し……ただ生
禪の未熟な修行者の中には、生きている面のみを強く觀ることが少なく、“抜け殻”“眞物(ほんもの)”とを分析せず、“生死”を一緒につないで「有耶無耶」にしてしまふ。有耶無耶佛教といふものを私は好まないし、悟の邪魔
しかし當時の漸源はまだ勉強中の修行僧だったから、棺中の遺體に面してその遺體を「人間」そのものと思ひ間違へ、「生か死か」と両極の間を行きつ戻りつして迷ふのも無理からぬことだったのかも知れない。遺體などは
石霜和尚も道吾禪師のやうに、「生とも道はじ、死とも道はじ」と答へる。「什麼としてか道はざるか」と漸源はまた詰めよるのである。その時石霜和尚、再び聲を勤まして、「道はじ、道はじ」と言ふ。その時、漸源「言
しばらく二人は黙っていたが、路の途中で漸源は、また、「和尚、はやく私の悟のために話して下さい」と迫る、そして「若し、話して下さらなかったら、わたしはあなたを打って往ってしまひまするぞ」と言ふ。「打ちた
【解釈】道吾和尚は潭州、道吾山の圓智禪師のことである。逹磨大師第十世の法孫に當たり、後に修一大師と諡号を賜ったほどの傑僧である。漸源は道吾禪師の法を嗣いで、後に同じく潭州にある漸源山に住せられた仲興禪
【本則】擧す。道吾、漸源と與に、一家に至りて弔慰す。源、棺を拍って曰く“生か死か”。吾曰く“生とも也た道はじ、死とも也た道はじ”。源曰く什麼としてか道はざる。吾曰く“道はじ、道はじ”。かへって中路に至って、
ここでは猛烈な業障を猛虎にたとへてそれを鎮静せしめることを「虎頭に據り」(虎の頭に乗って急所を押へ)「虎尾を収め」(虎が尾を揮って人間をたたき落して反撃して来ないやうに、虎の尻尾の根元を掴んで)業障の
『觀普賢菩薩行法経』には「無量の勝方便は實相を思ふより得、一切の業障は妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば端坐して實相を念へ。衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。」と示されているのである。“懺悔”といふのは
「撃石火閃電光中に向かって(こうか)を坐断し、」といふのは燧石(ひうちいし)を火打鐡をもって撃てば發止と火花を發して周囲が明るくなるやうに、また暗中に稲妻が走れば、その閃電光中に事物を見ればどんな佶屈聱
第五十五則 (斬)源弔慰【垂示】垂示に曰く。穩密全眞。當頭に取證し、渉流轉物(しょうるてんもつ)直下に承當す。撃石火閃電光中に向かって(こうか)を坐断し、虎頭に據って虎尾を収むる處に於て、壁立千尋なる
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの