曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
そこで風穴和尚は「何ぞ進語せざる」(何故物言はぬのか)と、とがめる。「陂擬議す」で、陂長老は何か言ひたさうな格好で口をもぐもぐさせているのである。そこで風穴は拂子で長老を一つピシリと打って、「還って話
そのやうな時しもあれ、盧陂長老といふ人が、そこに進み出て、「それがし、鐡牛の機あり、(鐡牛の如き金剛重篤の堅信を得ました)されど師の印可の印形など押して貰はなくともよろしい、わたしは獨立獨歩、冷暖を自
自分は臨済の弟子ではない、別派を開くのだなどと言って、去って行かうと思っても、この鐡牛の心因は重く懸っていて誰々の弟子であることからは去ることが出來ない。それでは、師の住持するお寺にいつまでも自分も住
【解釈】風穴といふのは禪僧の名前である。臨濟禪師門下の秀逸である。彼は郢州の知事官舎にある禪堂にのぼって次のやうに説法したといふのである。曰く、「祖師の心印、状鐡牛の機に似たり」と。心印といふのは、「
【本則】擧す。風穴(ふうけつ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がない)に在って、上堂して云く、祖師の心印、状鐡牛(かたちてつぎゅう)の機に似たり、去れば即ち印住(いんじゅう)し、住すれば即ち印破(いんば)す。只(た)だ
そこで人を導くのに“漸”と“頓”とがあることが解ったが、“漸”も“頓”も立てずに人を教化する底の人は一體これはどうした人かといふ意味が「或は頓漸を立せずんば、又作麼生」である。そんな人は「快人の一言、快馬の一
これが、この垂示にある「漸(ぜん)を論ずる」ことであり、“實相の直視單傳(ぢきしたんでん)”を常道とする禪家の手法から見れば、それは「常に反している」やうだけれどもそれは「道に合(かな)って」いるのである。“
「あなたのその精神的ご苦労が肉體に影響して來るものですよ。そのご苦労が人相にもあらはれる。人相といふのは顔の皮膚にあらはれるのですけれども、内臓にも血管にも心の悩みがあらはれて、それが病気のもととなる
これを生長の家の教化の方法を例にひいて言へば、生長の家では“縦の眞理”と“横の眞理”とがある。“縦の眞理”は「人間の實相は神の子完全圓滿、病気不幸あること無し」の眞理の單傳である。これは禪家の“頓”又は眞理の
第三十八則 風穴鐡牛機 【垂示】垂示に云く。若しぜんを論ぜば、也(ま)た常に返して道に合す。ねう市裏に七縦八横。若し頓(とん)を論ぜば、也た朕迹(ちんせき)を留めず。千聖も亦模索不著(もさくふじゃく)。儻(
【解釈】人が行動を起こすにはこのやうに稲妻の如くあらはれて敵意を破砕するのでなければならないのである。禪師が學人を指導するにも、病者を癒すための一轉語を與へるのにもこの“掣電の機”を失っては効果は乏しい
第三十七旗を播げ、耳背後に雙劍(さうけん)を輪す。若し是、眼辨(まなこ)じ、手親しきにあらずんば、争(いか)でか能く構(かかは)り得んや。有る般底(はんてい)は低頭佇思(ていづちょし)し、意根下(いこんか)に卜度(
第三十七則 盤山三界無法 【垂示】垂示に云く。掣電の機、徒(いたず)らに佇思するに勞す。空に當る霹靂、耳を掩(おお)ふに諧ひ難し。脳門(なうもん)上に紅旗を播げ、耳背後に雙劍(さうけん)を輪す。若し是、眼辨
【頌】頌に云く、大地繊挨(せんあい)を絶す。何人か眼開かざる。始めは芳草に隨って去り、又落花を逐うてかへる。るい鶴寒木に翹(つまだ)ち、狂猿古臺(きょうえんこだい)に嘯(うそぶ)く。長沙限り無きの意。咄。【解
すると觀喜踊躍(かんきようやく)全身が顫へて、両膝がカチカチと互に接蠋する程にふるへた。圖書館を出て道を歩くと、今まで物質の家々や塀や電柱だと思っていたものが物質ではなく、靈光を放って、カゲロフの如く
彼女は眞宗王國といはれる名古屋で少女時代を過ごしたが、自分の家族も眞宗信者で「南無阿彌陀佛」と稱へれば、どんな罪人も罪あるままで、極楽浄土に救ひとられるといふことを常にきかされていた。併し彼女は成長し
芙きょといふのは蓮の葉のことである。ただ當り前に話しながら、實相の春風駘蕩(おおきくのびのびとしている様)の風光をめでる心がその語調にあらはれているのである。首座もさるもの、常に實相に住している長沙和
そこで本則に移るとするのである。大抵、禪問答といふものは、相手をやり込めるやうな意地悪な問答で、相手の悟境(ごきゃう)をためさうとするやうな一種の型にはまった窮屈さが感じられるものであるが、めづらしく
玄沙の岑和尚はある日、あやまって毒物を食したので全身に蕁麻疹が出來て、それが腫れあがり、化膿して膿が滴々と流れたのである。弟子の坊主がそれを見て、岑和尚に、「堅固法身いづこにありや」と禪問答をしかけた
わたしは玄沙の岑和尚のことを、『叡智の斷片』の中でとりあげたことがあるが、玄沙と長沙とでは名前は同じでも場所が異れば、別人だと思ふが、實相を直視した人の實例として悟りに同一のところがあるので茲に二人を
第三十六則 長沙一日遊山 【本則】擧す。長沙一日遊山して、歸って門首(もんしゅ)に至る。首座(しゅそ)問ふ、和尚什麼の處にか去來す、沙云く、遊山し來る。首座云く、什麼の處にか到り來る。沙云く、始めは芳草
此処にお詫びを申し上げたいと思います。小生、フェイスブックに“新編 生命の実相の世界を訪ねて”、ホームページ“あずさわたより”を発信させていただき、前者では現在(古事記と現代の預言)後者では、(碧巌録)を尊師
徳の大小の問題ではないし、眞理の聽聞者も多少の問題ではないのである。凡聖同居、龍蛇混雑の現象世界の中にあって、何が實相で何が假相で、何が眞實で、何が夢中の創作で、非實在であるかを見分ける肉眼以上の一隻
「其の時、文殊玻璃(はり)の盞子(さんす)を提起して言く“南方這箇(しゃこ)ありや”。著言く“尋常什麼を将てか茶を喫す”。無著無語、無著辭し去る。文殊、童子をして送らしむ。無著童子に問ふ“適來道(い)ふ前三三後三
しかし、その「前三三後三三」といふ風に三三・五五に散らばっている初期の少数の聴聞者こそ将来大切な“道の先達”となる人であってイエスの一二弟子とか釋迦の十大弟子とかになる人なのである。本則にあらはれた文殊
これで本則にある文面は終わっているのであるが、後世の禪人たちは、文殊の「前三三後三三」を問題にして「世間の数理では聞いたことのない数だ」とか、「数を超越している」とか、「文殊の答はシドロモドロで、文殊
その對話を日本の現代語に書き直してみたら次のやうになる。先づ文殊が問ふ。「近頃どこに居られましたかね」「南方にをりました」と無著は答へる。「南方では佛法はどんな具合に教化が維持されてをりますかな」「末
翌朝、無著禪師が暇乞いして出かけようとすると、一人の童子が門外まで見送ってくれたので、禪師は、「このお寺は何といふお寺で、院主は何といふ高僧であるか」と童子にたづねると、童子は門の左右に立っている仁王
【本則】擧す。文殊、無著に問ふ。近離什麼の處ぞ。無著云く、南方。殊云く、南方の佛法如何が住持す。著云く、末法の比丘少しk戒律を奉ず。殊云く、多少の衆ぞ。著云く、或は三百、或は五百。無著、文殊に問ふ、此
キリストは「眼は焔の如し」であったが、佛教では降魔の使命を有する明王にはその尊像を見ると、頂門に眼ある姿が往々彫刻されているのである。たとえば「胎蔵界曼荼羅」の金剛部院に配されている降魔の大黒天像は三
明眼をもって、直ちに黒白を明かにし、玉石を甄別(けんべつ)し、龍蛇いづれかを見別けなければならぬ。それだから、人を導く宗教人や、一國の政治外交を司る總理や閣僚の椅子に坐るやうな人間は「頂門上に眼ある」
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの