保存された街並みです。火の見櫓が見えます。保存された街並みには、火は厳禁です。世界遺産白川郷などでも、消火栓などの設備が完備されています。ここが、一の鳥居です。通りを左に折れるように、位置しています。木製の大きな鳥居です。注連縄が、取り付けられています。折角ですので、行ってみることにします。ここも未舗装の道路です。雨や雪の日には、大変な気がします。昨日も少し降りましたので、少しぬかるみがありました。結構な距離があります。二つ目の鳥居が見えてきました。鳥居の奥には、杜が見えます。鎮守の森といった感じでしょうか。明るい時間帯は問題ありませんが、夜は全くといって明かりが無い感じです。夜に来ることはないのでしょうが、横溝正史の世界みたいな感じでしょうか。懐中電灯などが無いと、無理な環境です。夜に来ることはないでし...22初夏会津43
大内宿。この街を、スカウティングしていた中で見つけました。残念ながら、今まで全く知らない場所でした。予定を変更して、早朝から訪れました。江戸時代の街並みが、続いています。道路も、舗装されていない感じです。来る途中にタクシーの運転手さんから、囲炉裏がなくなり茅葺の持ちが短くなったそうです。燻す煙がなくなり、虫による痛みが進むそうです。同じような家々が、並んでいます。茅葺屋根は、きれいに手入れされています。国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。ずっとこの景色が保存されるように、住民によって保護されています。時代劇に、そのまま使えそうな風景です。ここを参勤交代で、行列が行き交っていたのでしょう。生活する人のスタイルは、変わっては来ているはずです。特にインフラは以前のままでは、難しく感じます。道の左...22初夏会津42
朝から、ハードワークです。スカウティングして、見つけた場所です。少し無理はありましたが、来てみたくなった場所です。駅舎は、茅葺のようです。目的地へのバスが走っていますが、時間的に無理なようです。駅の方に、タクシーについて伺うと、こんなカードをいただきました。一台しか走っていないようで、しばらく待つことになりました。湯野上温泉駅。こんな、趣のある駅舎です。現在は、改修中のようです。維持管理も大変に感じます。タクシーを待つこと、10分ほどです。そこから山道を進んできました。ここが目的地です。といいますか、ここから先は車は入れないようです。そこから、山道を歩いてきました。降りた場所の近くには、駐車場がありましたが、まだ停まっている車はありませんでした。進んできた場所は、こんなところです。大内宿。ここが、今日見て...22初夏会津41
国の天然記念物塔のへつり。ここは、以前読んだ本で知りました。今日行きたかった場所の、近くに位置していました。ですので、思い切った短時間での観光を計画しました。駆け足で、駅まで戻ってきました。ここから次の場所まで、タクシー移動も検討しました。ですが、短い時間の観光ですので避けることにしました。やはり、駅前にはタクシーがいる感じではありませんでした。本来の観光時間より早くきましたので、仕方ないのかもしれません。こんな構内です。時間的に、ここから乗る人はいないようです。私が乗ってきた列車の次は、10時台の列車です。その時間帯なら、もっと人がいたのではないでしょうか。観光時間帯の前に、見てきました。ここから、一駅戻ります。そこが、今日の目的地です。”八重のふるさと”会津と、駅には書かれています。ピンクの車両が、入...22初夏会津40
橋を渡ってきました。200mに渡る、奇岩群。屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などの名前が付けられています。こんなコンクリートで、固められた通路があります。浸食された通路があります。経年による浸食により、渡り切った先の辺りしか、見学できないようです。かなり深くまで、浸食されているようです。天然記念物と書かれた碑が見えます。ここに色々なものが、置いていかれているようです。灯篭なども見えます。奉納されているのでしょうか。たくさんの石が、置かれています。何かの祈願でしょうか。かなり奥まで、置かれています。朝一番の移動ですので、他には誰もいませんでした。こんな通路を、移動します。明らかに色の違う石が上下に分かれています。硬度が違うのでしょうが、ここでは同じように浸食されているようです。...22初夏会津39
塔のへつり。ここが、今日最初の目的地です。南会津の大川が形成した、河食地形の奇形です。ここは国の天然記念物に指定されています。川の対岸が、見えています。ここを移動を含めて、18分間で観光します。観光バスの駐車場がありました。お土産物屋さんも、閉まっています。本来なら、もう少し時間を取って観光する場所です。遊歩道を、下っていきます。少し駆け足での移動です。川の流れは、穏やかに見えます。浸食がすすむような感じには、見えない感じです。長い時間をかけて、この地形を形成したのでしょう。こんな感じです。川面より少し上がった場所が、浸食されています。凝灰岩、凝塊角礫岩、頁岩などが互い違いになっています。それぞれの硬さなどの違いにより、浸食具合が異なっているようです。比較的新しい、吊り橋のようです。ここを超えて、奇岩の方...22初夏会津38
まだ書けていませんが、この夏、東北を訪れました。結果、47都道府県で訪れたことがない県が、秋田県と群馬県の2つになりました。そのうち一つを、仕事で東京に行った際に、行ってみることにしました。無理していこうと、計画しましたので、かなりタイトなスケジュールに、なってしまいました。東京駅から、上越新幹線に乗りました。初めて乗る、上越新幹線です。約50分ほどで、高崎駅に到着です。乗車時間的には、新大阪と名古屋間ぐらいの時間です。ですが、大宮まではゆっくりと走っていましたので、距離は違う感じがします。駅構内にこんなものがありました。高崎近辺に点在する、”上野三碑”です。山上碑・多胡碑・金井沢碑の3つです。実物大のレプリカです。2016年に、ここに設置されています。上信電鉄を、利用します。1895年に、上野鉄道として...群馬へ
二日目の観光スタートです。早起きして、駅へと向かいます。この時間帯には、あかべぇは走っていません。タクシーで、駅へと向かいます。気温が高いせいか、霧が出ています。会津若松駅です。今日は少し朝から無理な行程で、観光します。交通系カードで入ったのですが、実際に乗る会津鉄道では使えませんでした。朝一番の列車を利用します。こんな車両です。右側は、JR東日本の車両です。会津鉄道が、ここまで乗り入れています。AIZUマウントエクスプレスという列車です。こんな車内です。日光とも書かれています。栃木県まで、このまま行けるのでしょうか。横並びの快適そうな、4列座席です。朝から訪れるのは、2カ所の観光地です。最初の観光は、駅から近い場所です。そこをまず、駆け足で観光します。時間配分を、ホテルで検討してきました。ここから約40...22初夏会津37
前もって、調べてきたお店です。日本酒もよく、いいお店です。二品目も貝をいただきます。会津盆地ですが、新鮮なものがいただけます。ウニです。どうしても、いただきたくなる一品です。教えていただいた、日本酒をいただきます。お米良いと、どうしてもお酒が甘くなるようです。おすすめの日本酒をいただきます。会津には、いい酒蔵がたくさんあるようです。カンパチです。左横に見えているのが、にんにく味噌です。これは馬肉につけて、いただくものです。会津は馬肉の有名な場所です。私はいただいていませんが、お味噌だけ出していただきました。まぐろ2種です。脂ののった、おいしいお寿司です。天山広吉さん好きのオーナーです。このお店は正解でした。また来たくなる、いいお店でした。歩いて、ホテルへと戻ります。少し雨が、強くなり出していました。駆け足...’22初夏会津36
観光を終えて、チェックインしました。前もってスカウティングしてきたお店へ向かいます。予約は済ませてありました。ホテルから、徒歩でやってきました。こんな店内です。予約してきて、正解でした。COVID-19のなか、現在は予約しか受けていないそうです。今は、オーナー一人で切り盛りされているようです。いずれはそんなお店にされたかったようで、想定外に早く実現したそうです。まずは、これからでしょうか。瓶でいただきます。今日は朝からずっと移動してきました。時間的に、ランチもいただいていませんでした。急遽決めた明日の予定があり、会津の街を駆け足で観光してきました。付け出しです。生シラスです。大好きな一品です。横浜在住時には、よくいただいていました。これだけで、注文したい一品です。お刺身を、オーダーしました。ここで日本酒に...’22初夏会津35
会津盆地に囲まれた、鶴ヶ城。南北に約34km、東西に13kmの楕円の形状です。内部は”あいずだいら”と呼ばれる平坦地です。盆地状になった平坦地は、自然の要塞のようです。北に飯森山地、南には会津高原。東には、磐梯山や猪苗代湖を含む奥羽山脈。西は越後山脈に囲まれています。その景色を、最上層から見ることができます。鉄門と干飯櫓が見えます。干飯櫓は、城内で最大級の二階建て隅櫓です。干飯など食糧の保管庫として使用されていました。鉄門は”くろがねもん”と読む、この城の正門です。5層目の展望フロアから、降りてきました。途中のフロアには、代々変わってきた城主のフロア、戊辰戦争の歴史、会津ゆかりの人々のフロアがありました。降りてくると下には、お土産門のフロアがありました。色々のものがありましたが、最終のバスの時間もありスル...’22初夏会津34
鶴ヶ城は、若松城とも呼ばれます。会津戦争の際、籠城戦になっています。圧倒的な重火器による攻撃を受けます。1668年9月22日に、降伏開城しています。この際の新政府軍総督は、板垣退助です。板垣によって守られた、藩主松平容保。戊辰の戦いは、まだ函館へと続いていきます。まだここでは、歴史の変換は終わりにはなっていませんでした。ここが、天守閣の入り口です。振り返ると、こんな感じです。新しく感じます。石垣も改めて積み直されたように見えます。入り口の部分は、鉄筋コンクリート造です。こんな、旧い石垣も見えます。元あった基盤の上に建てられているようです。その上には、鉄筋コンクリート造の足元が見えています。1965年に再興された、現在の天守です。貯蔵庫のような空間です。これは米ではなく、塩のようです。ここは、塩蔵のようです...’22初夏会津33
歴史のある茶室。伝統のある牡丹や、蹲踞も残されています。きれいに整備されています。ここで茶会なども、開かれるのでしょうか。上ってみたい空間です。ここで、一服いただくことができます。”薯蕷饅頭”がそえられます。すりおろしたつくねいもと、米粉の皮でつくられているそうです。残念ながら、時間的にいただくことはできません。ここには麟閣の南側、表門上、脇門上の3ヶ所に、三千家の家元による扁額がかけられています。使用される材料も、字体も違う感じです。少庵の月命日当たる7日には、お茶会が催されているようです。御三階跡と書かれています。本丸内唯一の高楼建築、御三階がここに建っていました。戊辰戦争でも残っていましたが、その後、会津市内の阿弥陀寺へ移されています。スカウティング不足で知りませんでしたが、ぜひ見てみたかった建物で...’22初夏会津32
鶴ヶ城の前に建つ茶室、麟閣。秀吉の怒りをかい、死を命じられた”千利休”その息子”少庵”は、会津若松でかくまわれています。この茶室はその省庵によって、建てられたそうです。塀によって囲まれた、切り取られたような空間です。茅葺屋根の茶室です。草庵風の茶室は、東日本では珍しいそうです。躙り口です。竹の格子が、窓にはめ込まれています。幕末の難を逃れるために、個人宅に移されています。その後平成になって、ここへ戻されています。2度移設されていますが、きれいな姿が保たれています。こんな内部です。入ることはできませんが、廻りこんで見ることができます。太鼓貼りのふすまが、見えています。その奥には、℞の付いた入り口が造り込まれています。少庵によって削り出された、赤松の床柱。茶釜なども置かれています。会津藩によって守られた、千利...’22初夏会津31
今日の観光の最後の場所。あかべぇで鶴ヶ城三の丸口まで、移動してきました。ずっと天気が持ってくれていましたが、少し怪しくなってきた感じです。ここから城内へと、入っていきます。こんな石垣が続きます。会津28万石。その居城、鶴ヶ城へ向かいます。防御の為か、通路は曲げられています。城内に入ってきました。赤い鳥居が見えます。築城は1384年、時代のあるお城です。色々と城主が変わり、幕末には、会津松平家の居城となっています。天守閣です。5層の平山城です。再建された城郭ですが、美しいお城です。ここも、前もって予約してありました。チケット売り場で、荷物を預かっていただきました。受付の方から時間的に、先に茶室から見るように言われました。茶室麟閣です。正門があり、塀に囲まれた立派な茶室に見えます。丸窓のある建物が見えます。作...’22初夏会津30
池を超える橋が、架けられています。変化のある庭です。ここには、与謝野晶子の歌碑もありました。秋風に荷葉うらがれ香を放つおん薬園の池をめぐれば1936年に二度目に、会津若松へ訪れた際に詠まれた歌です。鴨も寛いでいます。慣れているのか、逃げるそぶりのない感じです。水もあり、きっと快適なんでしょう。池には、大きな鯉もたくさんいました。御茶屋御殿です。上ノ間・次ノ間・控ノ間などの部屋があり、藩主などの休憩の場所として利用されていました。戊辰戦争の際には、西軍の診療所として利用されています。その後、松平容保がここに住まいを移しています。池泉式回遊式大庭園。想像以上に、立派な庭園でした。高麗人参なども栽培された、薬草園です。荷物を受け取り、次へと向かいます。バス停まで、戻ってきました。あかべぇの時刻表に従い、移動しま...’22初夏会津29
1932年に、国の名勝に指定されています。1696年に、大改修を受け現在能な庭園に作庭されています。遠州流の流れをくむ、回遊式の庭園です。池の中央部にある中島には、茶室が建てられています。池を、廻りこんでいます。水が少し少なくなっている感じです。杉や松の大きな木が植えこまれています。ここは、会津三名園の一つです。池を、時計廻りに進んできました。中島の部分へ、向かいます。石畳の通路が続いています。奥に建つ、茶室へ向かいます。亀島とも呼ばれる、池の中央部の島です。数寄屋風片葺き平屋の茶室です。楽寿亭です。池の中央に建つ茶室は、落ち着いた空間に見ます。ここは、藩主や重鎮が憩いの場として使用していたそうです。また外交などの場所としても、使用されています。涼しい風の通る、いい場所に建てられています。廻りの欄干もいい...’22初夏会津28
逆方向へ向かいます。今度の目的地は、近くのバス停から少し歩きます。チケットは、前もってネット上から予約してありました。【アソビュー!】休日の便利でお得な遊び予約サイト(asoview.com)送られてきたメールから、入場できます。割引もあります。ここでも受付で、荷物を預かっていただけました。身軽に観光ができます。すのこのしかれっ通路を奥へと進みます。雪の対策なのでしょうか。会津松平氏庭園御楽園。1432年蘆名盛久によって、建てられた別荘が起源です。1670年に会津藩主によって、疫病に対する薬草園が造られています。その後、ここで朝鮮人参が栽培され、広く普及したことから、御楽園と名付けられています。重陽閣初の民間から後続に嫁いだ、松平容保の娘秩父宮勢津子妃殿下。会津滞在時、婚儀の前に家族と宿泊した、東山温泉の...’22初夏会津27
参拝を終えて、先へ向かいます。ほとんど人気のないゾーンです。奥にも立派な建築物がありました。そこを見てみようと思います。こんな案内がありました。心の美術館青龍と刻まれています。会津出身の室井東志生の作品が、展示されるゾーンのようです。仏像が画がたくさん、展示されていました。展示の仕方に、もう一工夫あってもいいような展示施設でした。撮影は禁止されていました。ここが最後の施設のようです。もう一つのゾーンの向こうが、エントランスのゾーンのです。郷工房古今と書かれています。お土産物屋さんと、ダイニングのようです。修学旅行の中学生が、お土産物を見ているようです。会津の名産品や、お菓子などが並んでいます。今買うと荷物になりますので、見学だけにします。手荷物をチケット売り場に預けていますので、取りに戻ります。ロッカーは...’22初夏会津26
広い敷地に建つ、歴史のテーマパーク。まだもう少し先があるようです。弓道場がありました。会津らしい場所に見えます。現在は、COVID-19の影響もあり使用を停止しています。鑑真の像がありました。唐招提寺を開いた、中国の僧です。なぜここにあるのでしょう。ここの館長が中国との関係が深く、日中国交正常化10年を記念して、設置されたそうです。こんな売店がありました。会津名物”天ぷらまんじゅう”と書かれています。ご当地グルメのようです。お土産物の饅頭と、本当に揚げて天つゆで食べるものがあるそうです。しばらく歩くと、こんな参道がありました。会津天満宮です。ここを上がっていきます。時期的に、アジサイがきれいに咲いていました。カエルがいました。”撫で蛙”と書かれています。無事に帰るという祈願のようです。私も旅の無事を、祈願...’22初夏会津25
チェックインをすまし、ディナーへ向かいます。前もって予約していたお店です。ランチを食べていませんでしたので、楽しみに来ました。NAVIで調べると、徒歩13分と出ていました。ですが、想定外に距離があり20分ぐらいかかりました。やはり、これからでしょうか。少し距離を歩いてきましたので、いい感じです。地ビールなども置いてありました。国内だとこの夏休みの時期に来るのには、予約しておかないと心配な感じです。付け出しです。3品ありました。私的に、生モズクはいい感じです。いい感じの前菜は、この後の料理に期待させてくれます。金華さばです。刺身でいただけるのは、海が近い場所のみです。大阪では、なかなか生でいただくことはできない感じです。焼き物と悩みましたが、刺身で正解でした。少し、焼き物に未練がありましたが....生ウニで...’22夏東北5
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