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  • 理解と言うもの

    SF作家の小松左京さんは言う。「理解と言うものは、しばしば勇気に与えられる」。確かに理解は勇気になる。自分の味方が居ると思うだけでも勇気が沸くものだ。なのでこの名言。とても的を得ていると思うのだが如何なものだろう?さて話は変わるが、まだAmazonに発注した部品等は届いていない。明日にでも届けば良いのだが、なかなか上手くは行かないものだ。ヤフオクで落札したLo-Dのカセットデッキについては入金を終えたものの、まだ先方からは連絡は来ない。落札をする前に「素性を調べておけば良かったかな?」とは思ったが、注意事項に「あまり早急な対応は出来ない」と断りがあり、「そう言うものか?」と。焦らず待つ事にしよう。今週は上砂川町の墓地で墓のメンテだ。心配なのが熊で、昨年に行った時には「鹿注意」から「熊注意!」に変わっていた...理解と言うもの

  • 完全主義者

    SF作家の小松左京さんは言う。「完全犯罪と言うのは、一種の芸術―それも、完全主義者のみにゆるされる芸術でね」と。つまりそんなに簡単なものではないと言う事。なのでその綻びを拡げていくと、事件の真相に辿り着くだろう。そんなものだと思う。さて昨日一昨日と休みだったが、家の用事だとは言え、その2日間は出掛けていたので疲れてしまった。そこでAmazonに発注したカセットデッキの修理部品でも届けば良かったのだが、たぶん来週だろう。その前に、またヤフオクで落札したカセットデッキがある。どちらが先に届くかだ。今年中には愛知の電気屋(音響関係)に修理を依頼したTEAC「A-450」なる、同社の高級機がまた復帰するのだが、それまでに使ってみたい物はあり、ヤフオクで懲りずに落札してしまった。それはLo-D「D-600」なるカセ...完全主義者

  • 夢見る事。

    「“夢見る事”は、他の動物にない、人間の特権なのかも知れないな?」。こちらもSF作家の小松左京さんの名言だが、その「夢」に関して敢えて言えば、それは睡眠時の「夢」であり、将来の希望でもある。小生としては後者の方が関心がある。そんな小生も今年の誕生日で干支が一巡するので、これこそ人生の節目だろう。厄年に辺るので厄払いをしなければならない。妹もなかなかキツイので、一緒に厄を払った方が良いのかも知れない。さて今日も休みだ。今日も用事があり、落ち着かない。その合間でもしている事はカセットデッキの調整だが、Amazonに発注した部品が届いた時に、単に部品を交換するだけで終わらせたいので、そんな作業をしている。昨日にしたのはキャプスタン周りのグリス交換だ。最初に充填したグリスの粘度が緩かったので、強い物に変えてみた。...夢見る事。

  • 日常性と言うやつ

    「日常性と言うやつは、誠に偉大なるドブ側であって、大抵の事は洗い流してしまう」。こちらもSF作家の小松左京さんの名言だ。確かに日常と言うものは流れであって、どんなに大きな事があっても、次の日は過去になってしまう。時は止まらないのだ。映画「風と共に去りぬ」でもないが「時を浪費するなかれ人生は時にて成ればなり」である。さて今日は休みだが、午前中は用事で出掛ける。まだAmazonに発注した部品は届かない。だからその間に調整なりが出来るものは終わらせておこう。来週はお墓のある上砂川に行って墓の手入れである。それに伴う道具も揃えておこう。「何しておこう」ばかりだが、物事に準備は必要である。そろそろビデオプロジェクターで映画でも観たいものだ。今日も大してネタはない。取り敢えず更新しておこう。また「おこう」である。首相...日常性と言うやつ

  • 過渡期

    「人類は、いつも過渡期にある」。こちらは、小松左京さんの名言だが、そんな処が「SF作家の感覚なのかな?」と思う。確かに抜ければ発展だ。頭打ちをするから、その状況から脱出したいと思うのだ。それは小生の趣味にも言える。作業を終えないと部屋が片つかないのだ。そこで部品待ちのものも在るが、今の処は、TRIOのカセットデッキを常用機にする為にコツコツやっている。DCモーターの電磁ノイズを拾いやすいので、アース処理の必要があるが、回転ムラの方はモーター交換で改善されれば言う事なしだ。アンプは問題ない。その「KX-7000」なる機種だが、1978年製造の製品ながら、機械部分は頑丈だ。昨日、フライホイール等のキャプスタン周りにグリスを塗り直し、試聴をしてみたが、まだ粘度の濃いグリス(黄色いグリス)にでも塗り替えてみよう。...過渡期

  • 折れない柔軟性。

    SF作家の小松左京氏は言う。「とにかく、男は一見強そうに見えているがポキッと折れやすい。男は生理的にたいへん無理して生まれてきているみたいなところがある。それに比べて女は生理的にはうんと安定しているんだ。そのうえ女はなかなか折れない柔軟性を持っている」と。"女は子供は産むと変わる"とは、よく言ったものだが、男はいつまで経っても子供だと言われるように、やはり女性との精神面での成長の差もある。つまりあらゆる面で女性は大人なのだ。そうした事を言っている。女は強い。ちなみに三行半も女性から見た言葉だ。さてそろそろ愛知の業者に修理の依頼をしたカセットデッキ、TEAC「A-450」の経過なりの連絡も来る頃だ。なかなか手強い作業だとは聞いたが、そんな事もあり、こちらもそんな姿勢で構えていた方が良いだろう。気長に待てば良...折れない柔軟性。

  • 行為の根底

    SF作家の小松左京さんの名言に「「学ぶ」という行為の根底には、自分が大きく育って行くことを感ずる「喜び」がある」と言うものがある。それは言えてる。知識は人を豊かにする。そこで小松左京さんをWikipediaで振り返ると「小松左京(こまつさきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日- 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松実(こまつみのる)」。「星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった」。「1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。宇宙開発の振興を目的とした啓発活動にも力を入れ、宇宙作家クラブの提唱者で顧問も務める」と。あの...行為の根底

  • 掴む手と放す手

    「手には、物を掴む手と放す手がある」。こちらもフランスの戯曲家のジャン・コクトー氏の名言。「それで何か出来るか?」と考えるとコクトー氏が言わんとした事が解るだろう。それは緊張と緩和でもある。さていつも通勤前にしている事は、修理やメンテナンス後のカセットデッキ等の経過観察だ。今日もTRIO「KX-7000」なるカセットデッキのチェックだ。と言っても、単にテープを再生しているだけだが、あんなに在ったピッチの変動は昨夜からなし。不思議なものだ。しかしながらカウンターベルトのマッチングはイマイチで、発注したゴムベルトを待つしかない。太さの違う物も、また発注する事にもなるとは思うが、モーターも発注済みなので、それまでにやれる事をやるだけだ。フラッターは、やはり出やすい。そろそろビデオプロジェクターで映画でも観たいの...掴む手と放す手

  • 人がその糸を?

    「運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない」。こちらもフランスの戯曲家のジャン・コクトー氏の名言。これは私見だが、運命と言う物は、人が生まれる前には(寿命も含め)決まっており、イレギュラーな事もあろうが長い目で見れば「想定内なんだろうな?」と思ってしまう。例でもないが、我が一存の平均寿命は大体同じ。だから享年は決まった年齢。それで位牌を見ても、平均が取れる程気味悪く、同じ享年だ。病死もあまり居ないが、その年齢が近づくと「昨年までは元気だったのに?」と思う程に急に弱る。つまりそれが当家の寿命なのだ。なので母の年齢には、時にギクリとするのだが、割と長生きな家系なので、終活もゆっくりと計画が立てられそうである。そこで先祖の供養でもないが、自身の現状から出家をして、「寿命に備えた方が良いのかな?」なんて事を真面...人がその糸を?

  • 詩人は未来を回想する。

    「詩人は未来を回想する」。フランスの詩人、ジャン・コクトー氏ぼ名言だ。私見だが、詩人はインスピレーションだと思う。更に言えば、芸術もインスピレーションだ。そんな事を言うのは、小生の本職が映像関連の仕事だからだが、感覚がとても重要だ。その上で、それに伴う技術が必要だ。そんなように思うのだが如何なものだろう?さて今日も休みだが、例のTRIOのカセットデッキに取り付けているモーターは、急にピッチが上がったり、下がったりで落ち着かない。どうしようもないので新調するが、こんな時に優秀な国産品が無いのは不幸なものだ。だが無い物ねだりもしてられないので、またもやAmazonでのお買い物だ。このblogを打ち込みながらもそのカセットデッキの試聴をしているが、昨日はカウンターベルトとして使う0.7mm角のゴムベルトも頼んだ...詩人は未来を回想する。

  • 度が過ぎない程度

    「大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知る事である」。こちらもフランスの戯曲家であるジャン・コクトー氏の名言だ。つまり何事にも加減があると言う事だ。頃合いとでも言っとこうか?さて今日は休みである。だが午前中は病院に行かねばならず、午後は母の買い物の付き合いだ。プリンターのインクも在庫が無いので買わねばならない。それとTRIOのカセットデッキのカウンターベルトにするゴムの角ベルトだ。取り敢えず太さは、0,7mmにしてみる。その「KX-7000」なる機種だが、結構追い込んでいて、ピアノに関しても、ようやく点数を付けても60点位にはなった。しかしながら、やはり非力なのはモーターだ。トルクが弱いので外的な影響を受けやすく、ピッチも時に不安定になる。ちなみにフライホイールの軸受けはゴムに交換。結...度が過ぎない程度

  • 愚の骨頂

    「ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ」。こちらもフランスの作家(戯曲家)のジャン・コクトー氏の名言。氏はストラビンスキーの作品にも関わっているが、脚本を担当した「エディプス王」や「兵士の物語」のナレーションを聴いていると、コクトー氏ならではのユーモアは感じる。だが品良く、風刺が利いていて、「そんなオチもあるのね?」てな感じ。だからコクトーの言うべき事は解る。「兵士の物語」はストコフスキー指揮のレコードを愛聽しているが、日本語訳の戸川純さんのナレーションも面白い。ちなみにその盤では、悪魔をデーモン小暮さんが演じており、こちらも隠れた名盤だ。斉藤ネコさん率いる演奏者のアンサンブルもとても良い。さて例のTRIOのカセットデッキは、相変わらずの「割れ鍋に綴じ蓋」だ。だがそれなりに保持して...愚の骨頂

  • 時間に遅れた者?

    「未来は誰のものでもない。先駆者と言う者はおらず、時間に遅れた者しか居ないのだ」。こちらもフランスの詩人であるジャン・コクトー氏の名言だ。そうだ未來は自ら築くものだ。だから「ちょっとの努力」が、後から響く事もある。人生とは摩可不思議なものだ。人間、何処に人生の分岐点があるかは解らないが、その時に気づくかどうかだろう。今月は父他界してから丸2年で納骨からは1年だ。田舎の墓地なので熊が心配だが、その時の状況次第だろう。20日には、その掃除も兼ねて、様子を見に行く。墓石の再コーキングも然りだ。今月は忙しいのだ。昨年は、父の一周忌に合わせて作った記録映像作品があったが、その「第2部」は制作中だ。もうすぐで完成だが、コンテも描かずに思いつきで編集をしているので、大変だが面白い。ラストカットを「どうするか?」と思案中...時間に遅れた者?

  • 生き方の基準?

    「生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである」。こちらもフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言。【生き様】と言う言葉がある。小学館のデジタル大辞泉によると、「「死に様(ざま)」からの連想でできた語とされる》その人が生きていく態度・ありさま。生き方」と。【生き様】も人それぞれである。それは「死ぬ時に解るのかな?」と。父の「死に様」は在宅介護だったので目にしているが、その最期に至り、「まだ何か出来た事はなかったかな?」と、時折思う。そうした事は、後から悔やむものだ。小生も、自身の最期を考える歳になっている。さて話は変わるが、例のTRIOのカセットデッキは、フラッターと言うよりは、まだ細かいヴィブラート状態。ピッチの変動も極端に減ったが、カウンターベルトを輪ゴムで代用しているせいか不安定...生き方の基準?

  • と言うよりも?

    「私は今、生きようと努めている。と言うよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている」。これはフランスの詩人であるジャン・コクトー氏が、何かの折りにインタビューでも受けた時にでも言った事だろう。「人は最期にどう思うか?」だが、その為の覚悟は、誰しも(何となく)頭の隅にはあるものだ。その言葉、とても響く。さてまだTRIO「KX-7000」なるカセットデッキに苦戦している。あれから何度かカウンターベルトを既製品と輪ゴムを交互に試したが、結局は輪ゴムの方が相性が良いようだ。こちらも色々な長さで試しているが、それと同じテンションのカウンターベルトを探さねばならない。輪ゴムではテンションが弱い分、耐久性が不安だからだ。取り敢えず太さは、0.7mmと0.5mm辺りを揃えてみて合わせてみよう。サッサと終わ...と言うよりも?

  • 作ってはならぬ。

    「芸術に従って芸術を作ってはならぬ」。こちらもフランスの戯曲家(詩人)のジャン・コクトー氏の名言だ。「本末転倒」と言う言葉がある。広辞苑(第7版)では「根本的な事柄と些細な事柄を取り違える事」とある。補足も引用すると「目的と手段を取り違えたり、優先順位を間違えたりすることや、枝葉末節にこだわり過ぎて本質を置き去りにすることだ」と。即ち「何処に目的があるのか?」だ。それは表現でもある。「何を表現したいのか?」と問うた方が解りやすいだろう。つまりはそう言う事である。例を上げると韓国では「ノーベル賞」を取る為の研究を政府規模でしているそうだが、賞と言うのは結果であり、成果である。なので韓国でしている事は、如何に本末転倒な事かが解るだろう。だからコクトー氏の言う「芸術」とて、説明をする事自体が野暮と言うものだ。こ...作ってはならぬ。

  • とどのつまり

    「とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである」。とどのつまり、即ち「物事の果て」とか「結局の処」てなものなのだが、この用語、近年のアニメでは、矢鱈と聴かれた言葉だ。そこでフランスの詩人のジャン・コクトー氏が【歴史】に関し、それは「伝説であり、ウソなのだ」と評している。つまり古い歴史は伝説であり、新しい歴史はウソなのだ。即ち「勝てば官軍負ければ賊軍」だ。だが伝説も思い返せば、その繰り返しだ。世界史にも怪しい空白がある。日本史にも同様の空白がある。そこには政治力があり、その時代の都合がある。これからも記憶違いのような歴史の誤差が整理をされずに残るものもあるのだろうが、直せるものは直したい。「第二次世界大戦」の代償は連合国が作った歴史観である。権力とは愚かなものであ...とどのつまり

  • 本物の涙

    「本物の涙は、悲しい一頁からではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される」。こちらはフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言だが、「何だか解るな」と言うのが正直な感想だ。しかし「時が解決してくれる」とも言え、だからこその一頁である。さて家庭の記録映像による編集作品は「第二部」だが、ラストスパートだ。その為に構想を練ってはいるのだが、幾つかのパターンもあるので、取り敢えず編集をしてから決めよう。見落とした動画も写真も在るので、まづデータ化をしてから再構成だ。そうかと思えば北朝鮮がミサイル発射だ。だがその狙いが解らない。既に何処かに着弾でもしないと周りは動きようがない。建前上では「衛星」としているが、もうどうでもいい状態になっている。正式に目的を表明した方が早いとは思うが、対面上の事もあるのだろうか?や...本物の涙

  • 天使の保護者?

    「我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない」。こちらもフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言。つまりそれが"良心"てな事か?そんな解釈で良いと思う。それが残っていれば、何かあってもフィードバックは出来る。話は変わるが、結局昨夜で完結させたのが、TRIO「KX-7000」なるカセットデッキのカウンターベルトだ。1mm角のゴムベルトでややキツめだ。馴染むまで様子をみよう。太いゴムベルトは最初のうちは良いのだが、何故かズレやすい。更に細く、0.7mm位の物でも良いかも知れない。早くこのblogでボヤかないようにしたい。とにかくひとつずつ順番に仕上げて片つけたいのだ。折角、ヤフオクで修理と整備が済んだカセットデッキを落札したのに部品の寿命で使えなくなった物もある。取り敢えず...天使の保護者?

  • 詩人は賞賛など?

    フランスの詩人、ジャン・コクトー氏は言う。「詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ」と。詩も感覚だ。それは気持ちでもある。だから"信じてもらいたい"と言うのは解る。さて昨日もTRIO「KX-7000」なるカセットデッキに悪戦苦闘をしていた訳だが、キャプスタンベルトは決まりだが、カウンターベルトに苦心していた。そこでこのカセットデッキの癖だが、カウンターベルトは、細くした場合はキツく、太めにした場合は緩めにしないとフラッターが出てしまう。それだけテンションの張りも微妙で、そのゴムベルトの硬度も問題だ。結構、その辺も選ぶカセットデッキだ。取り敢えず、太さは1.5mmで緩めにしたが、何となく安定をしているようなので、そのままにしようと思う。心配なのはピッチだが、馴染んできたのか変な変動はあまりない...詩人は賞賛など?

  • 運を信じる。

    「運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ」。こちらもフランスの戯曲家で詩人のジャン・コクトー氏の名言だ。私見だが「運」はタイミングだと思う。つまりその時の状況が奇跡的に合致した時に起きる。「偶然」といっても良い位だ。だから成功も"時の運"だ。だがあやかりたいのも「運」である。しかしそれに嫉妬しても始まらない。だから「神頼み」なんて言葉も「あるのかな?」と思う。さて今日は休みである。母と共に妹と会う日だったが、予定は小生の次の休みの日にズレた。その妹の処と言えば、旦那の父上が92歳で亡くなり、葬儀も済んだがバタバタしている。初七日も終わったが、その余波で落ち着かない。事情が事情だけに仕方ない。そんな小生は、もう調整が終わった筈のカセットデッキを「また」調整してい...運を信じる。

  • 意識と無意識の融合

    「芸術は、意識と無意識の融合である」。こちらもフランスの戯曲家で詩人のジャン・コクトー氏の名言。確かに芸術家自体が感覚人間だ。なので拗らせて、社会性のない人も居るものだ。早い話が変わり者も多い。なので芸術家のエピソードを取り上げると枚挙に暇がない。小生の場合はサルバトール・ダリが即座に浮かぶ。しかし当人は、敢えてそれを狙っていた処もあり、ある意味、エンターテイナーだった。セルフプロデュースが得意な芸術家には岡本太郎さんも居るが、この人も感覚人間で、何処までがパフォーマンスなのかが解らなかった。漫画家の水木しげるさんも似たような処があった。芸術肌の人は、そう言う処があるのかも知れない。小生の本職は写真の技師だが、だからこそ理解が出来る。確かにそう言うものだ。さてカセットデッキだが、例のTRIO「KX-700...意識と無意識の融合

  • 【神童】等と言う言葉。

    「【神童】等と言う言葉は、家族のつくったものだ」。巷には「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」なんて諺があるが、フランスの詩人、ジャン・コクトー氏も同じ事を考えていたようで、「家族のつくったものだ」と言う。そう言うものだと思う。さて相変わらずカセットデッキだが、最近になって、ビブラートのような細かいフラッターが気になる。何かが擦れているような感じで、気にすれば気になる。しかしながら耳につく、変な回転ムラは(あまり)無い。それがTRIOの「KX-7000」だが、一時は動作不良になった事もあり、手間の掛かったカセットデッキなので愛着もある。じっくりと仕上げたい。通勤前にラックから降ろした。今日はピンチローラー周りの調整だ。外して取り付けを初めからやり直そう。(それこそバラしたり、組み立てたりの繰り返し...【神童】等と言う言葉。

  • 悪魔は悪しか?

    「悪魔は悪しか行なう事が出来ない故に純粋である」。こちらもフランスの作家のジャン・コクトー氏の名言だ。これぞ信念。確かに純粋だ。そう言う事なのだと思う。話は変わるが、何だか近年、各業界の象徴的存在の老舗的な法人や団体がガタガタで、凋落振りも酷く、「本当にどうした事か?」と。池田理代子の漫画に「ベルサイユのばら」と言う作品がある。フランス革命を背景に繰り広げられる愛憎劇だが、それが宝塚歌劇団で舞台化されたのが、1974年だった。所謂「フェルゼン篇」から上演されたが、その演出を歌舞伎の女形上がりの映画スタアだった長谷川一夫氏が演出を担当し、そこも話題になった。前振りが長いが、その初演が「月組」で、題名にあるフェルゼンを演じた役者が資金詐欺で逮捕された。勿論、OBだが、とても特殊な業界で、その容疑者は、「スポン...悪魔は悪しか?

  • 常に時と共に、

    「芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時と共に美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時と共に醜くなる」。これはフランスの戯曲家(で芸術家の)ジャン・コクトー氏の名言だが、ピカソに影響を受けた岡本太郎氏も似たような事を言っていた。コクトー氏が現在の行き過ぎたポリコレをどう思うか、もし生きていたら聞いてみたいものだ。さて俳優の中尾彬さんが亡くなった。その存在感、全てが個性になっている。中尾さんも元は日活俳優だ。映画斜陽期の1964年にデビューした。第5期のニューフェイスとはなっているが、所属は半年前なので、後から編入された。当初は二枚目俳優で、恰幅が良くなってから悪役が多くなった印象がある。しかしながら「本陣殺人事件」(1975ATG)では金田一耕助を演じており、その頃が「転換期だっ...常に時と共に、

  • 富は一つの才能。

    「富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」。こちらもフランスの作家であり、芸術家でもあったジャン・コクトー氏の名言だ。これこそ「貧乏人に金を持たすな!」だが、身の丈に合わない事は、やはり馴染まないものである。「相応」こそが、如何に大事な言葉かが解る。その方がバランスも良く、無理もないだろう。そんなものだと思う。さて昨日は休みだったので、その前日に仕上げたTRIOのカセットデッキのチェックをしていたが、特に問題は無いようだ。それと使うテープにもよるが、細かいフラッターを感じたので、ピンチローラーの端を軽くヤスリ掛けをしてみた。すると擦れていたのか、症状が軽くなったので、帰宅後にもう少しやってみよう。400番位の紙ヤスリが使いやすい。ハブ...富は一つの才能。

  • その歩み

    「私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐ事もなく、死は私に向かって歩いている」。こちらはフランスの詩人で戯曲家のジャン・コクトー氏の名言だが、表現芸術には幅広く関わっており、やらなかったのは作曲位のものではなかったか?器用な人だ。結局、これはコクトー流の「ゆりかごから墓場まで」だろう。気がついたら小生も赤いちゃんちゃんこでも着なければならない年齢だ。さて今日も休みである。昨日にした事は、相変らずのカセットデッキ、TRIOの「KX-7000」のカウンターベルトの交換によるテンションの調整だ。前日に交換した物が、徐々にズレ始めたからだ。そこで夕食を取るまで「嗚呼でもない、こうでもない」とやっていた訳だ。(キャプスタンベルトのマッチングは問題がない。)この手の事はキリがないのだ。なのでこのblogを閲...その歩み

  • 3日目。

    「如何なる革命も、3日目から堕落が始まる」。こちらはフランスの詩人、ジャン・コクトーの名言だが、その前にコクトーとは、如何なる人物だったかをWikipediaで振り返ってみよう。曰く「ジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー(JeanMauriceEugèneClémentCocteauフランス語:[ʒɑ̃moʁisøʒɛnklemɑ̃kɔkto],1889年7月5日-1963年10月11日)は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対...3日目。

  • ピアノにも?

    「あなたに伝えた事をピアノにも伝えます」。こちらもポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言にあったものだが、たぶん恋仲のジョルジュ・サンドに宛てた手紙か何かだろう。つまりショパンは「サンドもピアノも大好き」状態。全てが順風満帆だった時代の言葉だ。そんな時期は(人それぞれではあるが)誰しもあるものだ。話は変わるが、家庭の記録映像による編集作品の作業は、ようやく再開をしてからと言うもの、どんどん進んでいる。それが「第2部」で、「どう終わらせようか?」てな状態。使う写真や動画は、1970年までだ。そこが一区切りで、「第3部」は、8ミリフィルムが中心になると思う。これから画質の点で、再テレシネをするものもある。写真も勿論だ。(こちらも膨大である。)そんな作業が出来るのも、カセットデッキの修...ピアノにも?

  • 音楽の都

    (ポーランド出身のピアニストで作曲家の)フレデリック・ショパンは言った。「ウィーンはハンサムで活気のある街。私を最高に楽しませてくれる」と。ウィーンと言えば"音楽の都"だが、同じ音楽家でもブラームスは「ウィーンは田舎だ」と。つまりショパンにとってはインスピレーションを刺激する街だが、ブラームスには癒される田舎だ。確かにそんな野暮ったさはある。しかしながらそれは時代によりけりだろう。例えばウインナワルツの演奏でも、今時の洗練されたものよりは、1950年代や戦前のレコードで聴ける演奏が、ウィーン情緒が濃くて、のんびりした演奏だが、こちらの方が魅力的だと思う。小生の場合は、古いレコードばかりを聴いているので尚更だが、良いものは良いのだ。旧友にもウインナワルツに填まった者が居るが、やはり古い演奏を選んでいた。これ...音楽の都

  • 僅かな間

    「人は決していつも幸せではない。幸せは大抵ほんの僅かな間だけもたらされる。この貴重な幸せをしっかり堪能しようではないか」。さていつもの(ポーランド出身のピアニストで作曲家の)フレデリック・ショパンは斯く語りきである。"運勢のバイオリズム"とでも言っておこうか?同じような事を思ったりする。ようやくオーディオラックの上にTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」が鎮座した。昨夜にまぐれでゴムベルト(キャプスタンベルトとカウンターベルト)が一致したからだ。その前日に接続した安定回路も効いているようで、急速なピッチの変動はない。ピアノもまづまづだ。なのでそろそろテープの整理も再開、アンプ自体にも余裕があるので、量感がたっぷりした音が楽しめる。勿論高音質だ。しかしながらモーター自体は心許なく、取り敢えずは取り付け...僅かな間

  • それすら?

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「このジョルジュ・サンドはなんという嫌な人間だろう!彼女は本当に女なのだろうか?それすら疑いたいくらいだ」と。こちらは駆け落ちまでした作家のジョルジュ・サンドに対する愚痴である。男女の関係と言うのは、表面的なつきあいをしているうちは、それこそ「夢のよう」だが、一緒に住むようになると、互いの襤褸を見るものだ。精々一週間が華だ。だからショパンとサンドの関係とてこんなものである。話は変わるが、相変わらずの苦労は、TRIOのカセットデッキである。ピッチの変動があるので安定回路を入れてみた。これから経過の観察をしながら策を決めるが、精度はテレコ並なので、人によってはそれでも良いレベルだ。帰宅したら、また交換してみよう。ピアノ...それすら?

  • 最初の医者

    これはポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った事だが、不思議な状況だ。何せこうだ。「最初の医者は、私が死にかけていると言った。2人目の医者は、私の呼吸はもう止まっていると言った。3人目の医者は、もう私が死んでいると言った」と。晩年なのか、相当加減が悪い時に見た幻覚だろうか?感覚として解るものはある。さて昨日は休みだったので、前日に届いたリードスイッチをTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」に、ようやく取り付けた。すると簡単に直ってしまった。そこで「そう言うものだ」と思った。斯くしてオートストップ機能は問題なし、動作も正確で、前より調子が良い位だ。だがやはり難しいのは走行系だ。キャプスタンベルトとカウンターベルトのテンション次第で回転ムラが出るのだ。つまりフライホイールの精度...最初の医者

  • ベッリーニのアリア

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「私が死ぬとき、ベッリーニのアリアを弾いてくれ」と。そのヴィンチェンツォ・ベッリーニだが、ショパンはベッリーニの歌劇「夢遊病の女」が特にお気に入りだった事は調べると割と出てくる。ベッリーニがパリ入りをした時から意気投合をして友人関係でもあったらしい。そこで死の床が近い時期の言葉にもベッリーニの名が示される位なので、余程の事だったのだろう。さて今日は休みだが、今月は休みも少なく、故に時間も貴重だ。今日は、このblogの打ち込みが終わったらTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」のリードスイッチの交換とタイミングの調整をしようと思っている。そこで懸念をしていた回転精度だが、何とかメイン機としても「使っていいかな?」レベルだ。それで(そのカ...ベッリーニのアリア

  • 健康で強い体。

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「健康で強い体があれば毎日喜んで働く」と。ショパンの健康状態について触れると、虚弱体質だの、不健康な印象しかないので、何だか納得する。何事も体は資本なのだ。さて家庭の記録映像による編集作品だが、その手のものはインスピレーションが大事だ。なのでその都度のカットを作り、色々なパターンから選ぶのだが、大変な作業ながら、それも楽しい。更に8ミリフィルムで、高画質が必要ならば、大きめの画面でテレシネをしてみよう。その手の作業は惜しむ事はないのだ。その為には映写機の整備だが、色々とやっていると手が足りなくなる。昨日、リードスイッチが届いた。TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)の電磁ソレノイドの操作に必要なスイッチだが、走行系の調整は、試行錯...健康で強い体。

  • 人間の心と魂。

    いつものポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「バッハは、天文学者で最高に素晴らしい星々を発見した。ベートーベンは宇宙に挑戦した。私はただ人間の心と魂を表現しようとするだけです」と。なるほど、「ショパンの音楽に対するポリシーとは、そうしたものだったのか?」と思わず納得。確かにその楽曲にも影響がある。ショパンならではの宇宙だ。人間の心と魂とは言いながらも、それはどんな楽曲にも聴き取れる。前奏曲でも聴いてみるが良い。人間の心と魂すら超越した世界観がある。話は変わるが、そろそろラストスパートなのが、家庭の記録映像作品の「第二部」だ。昔の写真ばかりだが、アルバムの整理にもなる。予定としては「第五部」で完結させるので、その素材探しが大変なのだ。これぞ家族の歴史だが、編集を...人間の心と魂。

  • ゆっくりのテンポ?

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言った。「毎朝、非常にゆっくりのテンポで練習し、指をしなやかにしなさい」と。これぞピアノが上手くなる極意と言うものか?ショパンはピアニストとしては技巧派としても知られていたが、こちらは新聞記者からの質問に対する答えだろう。ライバルのリストならば、どう答えたか気になる処だ。さて今週の頭に旧友に一年半振りに会ってから、次の予定も組めるようになった。それで動きも変わってきた。映像の方は、家庭の記録映像作品の編集の最中だが、その「第二部」も、ようやく完成の一歩手間だ。そこで悩むのが「どう終わらせるか?」だ。父親の声が残っているので、それを使う予定ではあるが、何となくだが構想はある。幾つかのパターンで作って、それから選ぼう。そろそろリードスイッチが届く頃だ...ゆっくりのテンポ?

  • 嘆き苦しい時。

    「嘆き苦しい時は、私の絶望をピアノ演奏に注ぎ込む!」と言ったのは、他ならぬポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンである。"音楽は、全てを忘れさせてくれる"と言う事か?確かに音楽には、そんな作用がある。この処、割とレコードを聴く機会が増えたが、(修理中のカセットデッキは在るものの)特にお気に入りのレコードを聴くと、そんな気持ちにはなるものだ。小生推しのレコードは、地味で古いものばかりだが、それがなかなか癒される。この前から家庭の記録映像作品の編集を再開したので、そのレコードが良いBGMになるのだ。編集作業も手間が掛かるが、そんな時のレコードは、インスピレーションが沸く。すると楽曲の雰囲気が、自然にその作品に反映するものだ。手掛けているのは「第二部」に辺る作品だが、さっさと仕上げよう。途中...嘆き苦しい時。

  • 絶対なる完璧

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家、フレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「ただ「完璧」と言うだけでは人々は満足しないのです。成功に必要なのは「絶対なる完璧」なのです。だから極端にまで研究し尽くされたものは、更に評価されるのです」と。つまり+αの部分だが、それは言えてると思う。だからこそ注目をされるのであって、当たり前に出来る事は、出来ての前提なので、これ以上のコメントは要らないだろう。昨日一昨日と休みだったが、その2日間でしていた事は、家庭の記録映像作品の編集作業の再開であり、その「第二部」も、それなりに進んだ。先に仕上げた第一部で改訂が必要なカットが在ったからだ。機材も一新した故の作業だ。その「第二部」も、もう少しで完成なのだ。全体の尺としては、45分を予定しているが、残す処、15分...絶対なる完璧

  • 本心を共有?

    さて今日も休みだ。相変わらず(ポーランド出身のピアニストで作曲家)のフレデリック・ショパンは斯く語りきだが、こんな一文がある。曰く「嗚呼、あなたの悲しみと喜びを分かち合う人が誰にもない事、あなたの心が重苦しい時、あなたの本心を共有出来ない事は惨めな事です」。これは誰を対象にした言葉だろうか?ショパンに近い人にはパリ社交界では、大した存在感だった、(男装の麗人としても知られる)作家のジョルジュ・サンドが居るが、この人しか思いつかない。生前のショパンを知る人なんぞ、この時代には居ないので、想像でしかないが、音楽については内向的だったショパンなれば、こんなに思い詰めた気持ちになるのも解らないでもない。それでショパンの純真さを知るのだが、此処が人柄と言うべきか?話は変わるが、趣味の現状だ。旧友にNECのカセットデ...本心を共有?

  • 新しい世界?

    「私は自分の為の新しい世界を創造する」。こちらもポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言だ。この名言もショパンの音楽理念みたいなものだが、別に音楽でなくとも「言えるのかな?」とも思う。さて今日は休みだが、やはりTRIOの「KX-7000」なるカセットデッキはさっさと復帰させたい欲求が高まり、我慢も出来なくなったので、Auto-stop機能の故障の原因たるリードスイッチでも買おうと思う。問題は何処から買うかだが、Amazonは中国製ばかりで不安だ。そこで法人相手ではない、通販をしているパーツ屋から買った方が安全だろう。そのカセットデッキだが、Auto-stop機能が使えないだけなので、取り敢えずは不完全ではあるが使うとしよう。周辺環境は戻りつつある。例の旧友関連の事も片付いた。なので...新しい世界?

  • 一人の人。

    さて今日もポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは斯く語りきである。曰く「彼は何千人もの人に聴かせるように弾くが、私はただ一人の人に聴かせる為に弾く」と。彼とは誰だろう?フランツ・リストの事だろうか?リストも技巧派で名を馳せたピアニストだが、同様に作曲家としても知られており、その楽曲もなかなかだ。それで演奏姿勢だが、リストはエンターティナーであり、ショパンは内向的だったと言う事だ。確かにノクターンを聴いているとそう思う。「楽曲は名を語る」てなものか?さて一昨日に父の葬儀以来、一年半振りに会った旧友には、その約束通りにカセットデッキを上げたのだが、その見返りはBlu-rayDiscの映画ソフトで、それは「フラッシュゴードン」「未知との遭遇」だった。共に通常盤は在ったが、Blu-rayとは...一人の人。

  • 最終的な目標。

    ポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンは言う。「シンプルさは最終的な目標です。とてつもない膨大な量の曲を演奏したのち、その報酬としてシンプルさを手に入れる事が出来る」と。これは演奏者の合理性だが、思わず「そりゃそうだ」だ。つまりリスクの見返りだ。しかしながら報酬も様々だ。だが報われれば、その甲斐もあるだろう。是非そうあって欲しいものだ。さて父の葬儀以来、パタリと会う機会が無くなった旧友とやっと会えた。趣味繋がりなので話の間にレコードやら映像やらである。だから当然長居になる。そこで昨日も興味の上に興味を重ねるような状態になった。話も尽きないがそれも良い。次回はその旧友宅に行く事になっている。ビデオプロジェクターをハイヴィジョン化したそうなので楽しみだ。約束のカセットデッキを渡した。なので...最終的な目標。

  • 小さな要素?

    「常識と言うが、これは非常に小さな要素に違いない。と言うのは、常識がぼくの頭から全ての他の考えを引き出す程、強力なものではないのだから」。こちらはポーランド出身のピアニストで作曲家のフレデリック・ショパンの名言。確かに常識は、人それぞれだ。但し社会常識を越えた常識は、常識と言えるかどうかは疑問だ。さてGWは後半に入ったが、こちらは仕事上、休むのは、その後である。しかし只々残念でならないのは、メイン機で使う筈だったカセットデッキ、Victor「KD-950」が沈没した事。また!繋ぎの機種を探さねばならない。今年も物が壊れやすい年だ。とは言え何等かの意味があるのだろう。色々と「更新をする年なのだろう。占いのサイトで検索すると、電化製品が続いて壊れるのは意味があるらしい?だが古い物を扱うリスク故に仕方がない。ア...小さな要素?

  • 耳が許す音。

    「自分の耳が許す音だけが音楽である」。こちらは技巧派のピアニストで作曲家のショパンの名言。この名言は好きだ。音楽好きな人は、同じ気持ちではなかろうか?お気に入りのレコードを聴いている時は正にそれだろう。改めてショパンとは、如何なる人物かだが、Wikipediaで振り返ると「フレデリック・フランソワ・ショパン(仏: FrédéricFrançoisChopin 、ポーランド語: FryderykFranciszekChopin、生年未詳(1810年3月1日または2月22日、1809年説もあり)- 1849年10月17日)は、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ば...耳が許す音。

  • なんとかなる。

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる」と。落ち込んでいる時は利く言葉だ。これ程までに光が見える言葉もあるまい。さて趣味の方だが、ヤフオクで落としてメイン機として使っていたカセットデッキ(「Victor「KD-950」)の電子パーツの劣化が始まり、到頭交換が必要になった。そのカセットデッキで使っているDCモーターの定格は12vだが、改めてテスターで測ってみたら不安定だった。やはり電解コンデンサの劣化だ。必要な物は、50v330μf、16v470μf×2、25v100μf、25v220μf、6.3μ470μf等だが、音響系の回路の方は、前のオーナーさんが手掛けていたので問題はなかった。来月までに各種のパーツをリストUpし、それからの交換を始めよう。ELMOの8ミリ映写...なんとかなる。

  • 花はみよしの

    「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」。これは臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の句だ。こちらのblogには珍しく、季節感のあるネタだが、下手なコメントは不要だろう。ほのぼのとする句だ。さてGW真っ只中だが、小生の職種は、そんな時は忙しく、連休は明けてからだ。取り敢えず2連休を明けに取った。カセットテープの整理を再開した。まだ20本程だが、毎日の作業でどんどん進んでいる。そんな時にヤフオクで落札し、メイン機として使い始めたVictorのカセットデッキ(「KD-950」)が不調なのが残念だ。テスターで測ると正常なので、恐らくはモーターの寿命だろう。(モーター側の可変抵抗を回していたらピッチが戻った。だが不安定。)外し方を調べてから交換しよう。それとヘッドのアジマス(角度)も、いつの...花はみよしの

  • 釈迦も達磨も?

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「女をば、法の御蔵と云うぞ実に釈迦も達磨もひょいひょいと生む」と。これは真髄と言えるだろう。それに関しては「何を言わんや」である。さて昨日は休みだったので、カセットテープのIndexやらラベルを作っていた。BGMには、ヤフオクで落札したVictorのカセットデッキ(「KD-950」)でテープを掛けた。しかしピッチが落ちたり不安定だった。そろそろモーターが寿命かキャプスタンベルトが緩んでいるだろうか?早速、再点検だ。今朝、試しに掛けてみたが、ピッチは更に落ちていたのでラックから降ろした。場合によってはモーターの交換だ。電気系をチェックしてから考えよう。機械物は、やはり仕方がない面がある。特にそれは製造から40年は過ぎているので、その辺のリスクがある。尚、出品者とは趣...釈迦も達磨も?

  • 在家の他力本願?

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願」だと。これ、何となく解る。まあ頼りたいものには、常に特別意識を持っていると言う事だ。さて今日は休みだったので、朝からカセットテープのindexカードとラベルの打ち込みをしていた。ラベルは、20本程で、indexカードは10本程だが終わった。意外と効率良くは行かなかった。間に思い付いた事もしていたので、その分の時間がロスしたようだ。それと以前は、そんな作業も頻繁にしていたので、それなりのノウハウもあったのだが、今やすっかりと御無沙汰だったので、その要領も忘れたようだ。しかしながら仕方あるまい。一昨年に他界した父の介護が大変になって以来はしていないのだから尚更なのだ。なので、そんな作業を久々にしていると母が反応。「お父さんが...在家の他力本願?

  • この世とあの世の間。

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。「自分はこの世とあの世の間で、一休みしているだけなのだから、何があろうと我が道を行く」と。確かに、この世とあの世の間が現世なれば、そう言う事になる。なればその間位は楽しく暮らしたい。その「楽しく」が趣味だが、レコード鑑賞が高じてオーディオに走り、大した装置は無いが、だからこそ工夫に懲り、益々レコードの収集にのめり込んだ。SP盤の収集を始めたのも、そもそもは、元の音が聴きたかったからだ。正確なプロセスを経て再生された、その音は生録特有のゴリゴリした質感で魅了された。テープがマスターになる前のカッティングとは質感が違うのだ。その後は磁気録音を見直し、カセットデッキの修理(整備)をするようになった。こちらのblogで報告するような現状だ。此処、最近は、必要に迫られたので...この世とあの世の間。

  • 自分への執着

    臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は言った。いわく「私が詩づくりに励むのは自分への執着が強く、自分を偉そうに見せようとする煩悩があるからだ。注意しなければいけない」と。名誉欲とは、そう言うものだ。人は誰しも長けたものに対しての優越感位は持ちたいものだ。後はそれについて、アピールをするかどうかだけだ。斯く言う小生は、元は技術職だが、業界内では「在って然るべきもの」なので自慢にもならず、上には上がある業界なので、下手な事は言えない。職人とは、そう言うもの。地道に磨けば良かろう。現在、している事は、カセットテープのIndexカードとか、ラベル作りだ。カセットデッキや8ミリ映写機等のハードに於いては部品待ちだ。御蔵入りをさせてから原因が解った物もあり、様々だ。そんな趣味だが、ネットを通じ、知り合いが増えた。技術面で...自分への執着

  • 一切の煩悩?

    さて臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純は斯く語りきである。曰く「私の怒りや恨みや欲情も、出家する20年前と同じく今でもなくならない。汚れた俗世間から超越し一切の煩悩を断ち切ったはずなのだが、美人を見れば胸が高鳴ってどうしようもない」と。そんなものだ。寧ろ本物の聖人が居たら会いたいものだ。昨日は休みだったが、再開した作業もあり、元のリズムに(今更ながら)「ようやく戻ってきたのかな?」と思う。それがカセットテープの整理で、ラベルやらIndexカード等を作り始めた。今頃そんな事をしているが、こちらではカセットテープは、まだ生きたフォーマットであり、デジタルとは何とか上手く融合をさせている。それが住み分けで、互いの技術の使い道はあるものだ。映像や音響関係の趣味で繋がった旧知の友は、今年は会えるか解らないが、保留にな...一切の煩悩?

  • 危ぶめば道は無し

    「この道を行けばどうなる者か、危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し、踏み出せばその一歩が道となる、迷わず行けよ、行けば解る」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。人生には分岐点があるものだが、そこに気がつくか、気がつかないとでは、その先の人生の歩みなんぞは、当然変わるだろうが、それとて選ばないと前進も後進もない。そんなものだと思う。斯く言う小生は、早いもので干支が一巡する。分岐点は、幾つもあったと思う。現在の日常とて、その分岐点を乗り越えた結果だ。節目なんて言い方の方が解りやすいのかも知れない。さて今日は休みだが、外出をしていたので、更新がこんな時間になった。なので今日、取り上げようとしていた時事等の記事へのコメントは、明日に回そう。取り敢えず、それでも進んでいる作業はあり、家庭の記録映像の編集に...危ぶめば道は無し

  • 世の中は?

    「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ」。この考え方なのだが、漫画家の水木しげるさんも同様な事を言っていた。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。正にその通り。これが世の摂理と言うものだ。さて趣味の方も相変わらずだが、主に修理等なので、掛かるのは部品代だ。コンデンサとかスイッチ類ばかりだが、割と痛みやすいので仕方がない。そこで(現在、御蔵入りをしている)TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)だが、リードスイッチの破損が原因でメイン機として使う事が出来なかった。(後からその原因に気がついた。)それと家庭の記録映像の編集作業は、元になる8ミリフィルムのテレシネ画質に納得がいかず、更にハイクオリティーなものを求めている。(次なる課題は発色。)この手のものはキリがない...世の中は?

  • 有露地より無露地へ

    「有露地より無露地へ帰る一休み。風吹けば吹け、雨降らば降れ」。さてこちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。まあ状況の悪い時には無理して動く事もない。一休み、一休みだ。実際、無理が祟ると碌な事もなかろう。無理は禁物である。昨日は休みだったので、ヤフオクで落札したカセットデッキ、Victor「KD-950」の最終チェックだ。そこで測定をすると、やはりピッチが8分の1音程高く、それで調整をしたのだが、50/60Hz兼用機でも、周波数が違えば、僅かなズレが起きるのだろうか?変換はされてる筈なのに不思議なものだ。先方は、440Hzでピッチの調整をしていたので、小生手持ちのチェックテープの315Hzでも数値はそのままの筈だが、実際に測ってみると、332Hzもあった。そりゃ高く、違和感があるのも当たり前だ。そ...有露地より無露地へ

  • 泣くも笑うも?

    「今日褒めて、明日悪く言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。思わず「まるでマスコミじゃないか?」だ。正に諸行無常の世の中である。話題も移り行く。さて今日は休みなので、この前に落札したカセットデッキ(Victor「KD-950」)をメインの装置で聴きながらチェックをしている。そこで気になったのがピッチで、どうも8分の1音程高い感じがする。現に届いてからピッチの測定はしていないのだ。小生は絶対音感はないが音楽耳なので、相対音感はある筈だ。これとて長年、レコードを聴き込んだが故の能力だが、一応は備わっているようだ。気になるので後で測定してみよう。音自体は大変良い。ラックスマンのソリッドステイトアンプとテクニクスのブックシェルフ型のモニタースピーカーの組み合わせだ...泣くも笑うも?

  • 独死独来

    「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。これぞ誰しも悟る人生の境地である。全くその通りだ。これについては加える言葉はない。政治の事を語ると辛くなるので、あまり語りたくはないので話の枕は趣味から始まる場合が殆どだが、世知辛い世の中故に仕方がない。趣味のある人は救いになる。例のヤフオクで落札したカセットデッキは調子が良い。しかしながらまだ録音のテストはしていないので、今日は帰宅後にしてみようと思う。現在は小さい装置で手軽に聴いているが、そろそろメインの装置で聴いてみよう。またいつものレコードだが、テープの整理もしなければならず、久々にIndexカードやらラベル打ちを再開しよう。そうしなければテープも片付かない。古いテープで傷んだものは、パソコン...独死独来

  • どうじゃこうじゃ?

    「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃどうじゃこうじゃと言うが愚かじゃ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だが、つまり「そんな概念は下らない」と。それでなくとも諸行無常の世である。一喜一憂の度に状況もそれぞれだ。こちらもそんな感じで、日々移り変わる毎日を過ごしている。一昨日、ヤフオクで落札した年代物のVictorのカセットデッキ(「KD-950」)だが、とても調子が良く、出品者が修理や念入りにメンテナンスをした成果の恩恵を受けている。元電気屋さんらしいが、相当な技術もあり、是非、御教授願いたいと思ったので、これを機会に何かと御知恵を拝借出来るような状況にしていくつもりだ。先方の反応も良かった。趣味関連のお付き合いではあるが、人の繋がりは大切なものだ。ではこちらのカセットデッキだが、御蔵入...どうじゃこうじゃ?

  • 後は死ぬを待つばかり。

    「世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり」。いつも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言を取り上げているが、こちらもそうだ。漫画家の水木しげるさんも同じ事を言っていた。これぞ逃れられない世の性である。さて小生、早くも今年で干支が一巡するが、その後に「どんな生涯を終える事になるのか?」と思うと不安でしかない。それは国家の経済体勢に於いても、そもそもは【小泉構造改革】での総理の言葉、(昭和天皇の終戦時の玉音を模した)「耐えがたきを耐え」に騙され、労働者が弱体化してからは、天でお金は廻りっぱなし、あのアベノミクスに於いても、その状況は変わらなかった。労働者よりも、経営者が優遇されるのだから当たり前なのだ。そこを牛耳るのが、政府お気に入りの経済学者である竹中平蔵氏の業が原因だ。だから東証株価指数...後は死ぬを待つばかり。

  • 煩悩の根本?

    いつも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言を取り上げているが、こちらも思う処がある。曰く「むさぼりと怒り・恨みの煩悩の根本は、言ってもしょうがない事を言って嘆く事にある」と。世は無情だが、根っ子の部分は案外、そんなものである。然れど煩悩、然りとて煩悩だ。その煩悩だが、昨日届いたカセットデッキ(「Victor「KD-950」」)は良好で、一度にオーディオラック周りも片付いた感じがする。気持ちの整理もついたのだろう。取り敢えずはメインとして使えるカセットデッキが鎮座した。ヤフオクで出品されていた。その出品者は元電気屋さん。技術を落とさないようにカセットデッキの修理をしているようだ。手職のある人は、引退をしても、(技術の)活かし方があるものだ。(尚、TRIOは御蔵入り。)小生がしている家庭の記録映像の編集も、...煩悩の根本?

  • 一筋の縄

    「災いと言うものは、元々福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎないと信じる」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だが、これぞバイオリズムで、そりゃあ運気の浮き沈みもあろう。そんなものだが、沈んでいる時は辛いものだ。しかしながら小生の運気は、今年は更新の時期にあるようで、昨年は身の回りの物が故障をしたりはしたが、今年は順番に、それが更新をされている。修理で使えるようになった物ばかりだが、頓挫していた事が解決したり、正に更新の歳である。(小生とて還暦で、干支が一巡する。)尚、今年中にはレストアを専門業者に依頼をしたカセットデッキもあり、完成が楽しみである。これぞTEACの名機、「A-450」である。ピアノも難なく再生出来る。何せオープンテープデッキ並の回転精度なのだ。試聴には、先月に亡くなった...一筋の縄

  • 名利求むる人

    「世の中に我れぞ悟ると自慢して名利求むる人の多さよ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純だが、そうは言いながらも名誉欲は誰しもあるものである。度合いは兎も角だ。これとて煩悩だが、若いうちは野心があるので仕方がない(場合もある)。さて今日も休みだが、午前中はパソコン周りの配線を整理してたら大掃除になってしまった。それで午後からblogの打ち込みをしているのだが、幾らかではあるが、部屋は片付き、精神衛生上は良い。この更新が終わったら、結局、オートストップ機能が効かないTRIOのカセットデッキ(「「KX-7000」」)は取り敢えず諦めて、ピッチを調整して使おうと思う。そのうちに修理の方法も突き止めるだろう。そんな能天気な気持ちでやるが良い。(しかしながらその原因は、単純なものだと思われる。)作業用のBGM...名利求むる人

  • 釈迦も達磨も

    「生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。これぞ悟りだと思う。どんなに足掻いても、人の一生は知れている。それに区別はない。小生も父が他界した時に同じ事が浮かんだ。さて今日は休みである。しかしながら用事があり、母の手伝いで出掛けねばならない。なのでいつもの作業は帰宅後である。久々にヤフオクを利用し、またカセットデッキが増えた。だが整理をする為の購入であり、これで部屋もスッキリする。それは、Victor「KD-950」なる機種だが、1975年頃発売で68,000円だった。妙なデザインだが、そこが(如何にも)Victorらしい。性能もまづまづだ。時代からして中級機だが、随所にVictorならではの拘りを感じる。人間工学に合わせた配置もそうだが、一度、...釈迦も達磨も

  • 自分一代

    「自分の人生は、自分一代のものだ」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。確かに人生とは自身のものでしかない。だからこそぞんざいには扱えず唯一無二のものだ。小生も残った人生で、一度は華を咲かせたいものだ。話は変わるが、父の一周忌に合わせて昨年に制作した家庭の記録映像を元にした編集作品の改訂を始めた。機材が変わり、画質が向上したからだ。画質は8ミリフィルムのテレシネに於いては格段の差がある。加工しても、妙なノイズが浮かないのが良い。流石にハイヴィジョンは違う。それと頓挫していた「第二部」の制作も再開したが、目下の処、TRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)の摩訶不思議な誤動作の原因を突き止めねばならず、やはりそこが引っ掛かる。案外単純なものだとは思うが、その単純が難しい。観察を続けよう。後...自分一代

  • 心中の賊?

    「日々なすべき正しい事は、弓を引いて「心中の賊」を射落とす事。今の世は仏と魔物が混ざり合っている」。こちらは臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。その名言については、無駄なコメントは要るまい。全くその通りだと思う。どんな上手く行っている時にも「魔」は潜み、苦境のドン底にあっても「仏」は潜んでいるものだ。なので油断はならん。さて話は変わるが、昨日から電磁ソレノイドの動作が逆になっているカセットデッキ、TRIO「KX-7000」の原因解明を始めた。まだ解明は出来てはいないが、発想の転換が必要か?その症状は検出スイッチがONなのに電磁ソレノイドが作動せず、再生レバーを押すと停止になる。なので早送りも巻き返しレバーを押しても停止になる。そこで単純に考えれば、回路を逆にすれば良いのだが、その考えも短絡的だ。と言...心中の賊?

  • 悟りなどない。

    「悟りなどないと言う事を悟った」。と言ったのは、臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純(明徳5年1月1日 - 文明13年11月21日(1394年2月1日 - 1481年12月12日))だが、その御尊影は、長渕剛氏に似ており、何かと思う処がある。室町時代の詩人で、説話のモデルとしても知られる。それがテレビアニメの『一休さん』で、成人をしてからの説話も交えていた。その「悟り」だが、なかなかその境地に達する事は難しかろう。悟りは幻だ。何せ煩悩は、108つも在るのだ。除夜の鐘も、全部終えるまでに寝てしまう。だから越えられない。そんなものだと思う。さて小生にとっての煩悩は趣味である。検出スイッチに難があるTRIOのカセットデッキに苦戦をしているが、不具合のきっかけは何となく解るものの、原因はまだ不明だ。それと政治家こそが...悟りなどない。

  • 最低の者のレベル?

    「出来る者ではなく、最低の者のレベルを上げる事こそ教える者の技である」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言。今日で終わりだ。その名言だが、レベルを上げると言うのは、そう言う事なのだ。小生は曾ての本職が技術職だったので、その点は共感出来る。つまり目先のものだけで型を作るのは間違いなのだ。現在は、前職で得た技術なるものは、結局、趣味では役立っているが、それこそ杵柄か?さて、その最たるものが映像だったり、音響だったりするのだが、それが度々取り上げるカセットデッキの修理だ。元々細かい事が好きな小生ではあったが、コロナ禍の自粛期間に暇な事もあり、御蔵入りをしていたTEACのカセットデッキに手をつけたのが、思えば事の始まりだ。それが今に至る。今の処、NECの方は(交換したコンデンサが)安定したようだが、検出スイッチの...最低の者のレベル?

  • 本当の音楽

    「本当の音楽をしていれば、絶対に報われないと言う事はない」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言だ。昨日、久々にレコードを聴いた。そのレコードが、ストラヴィンスキーのオラトリオ「エディプス王」。自作自演盤(1951,独ケルン)なのだが、「これぞ原典」と納得する名演で、演奏者も作曲家の意図を忠実に再現しており、とにかく見事だった。なのでこの小澤征爾さんの名言には思う処もある。「素晴らしい音楽とは、そう言うものだ」と。さて今日も休みである。昨日は、その後、8ミリフィルムのテレシネ作業で追われてしまったが、今日はその補足と編集作業だけなので、その作業用BGMとして、長丁場、思う存分、聴く事が出来る。(作業にアクシデンントも付き物である。ELMOのオプチカル側の再生は、相変わらず不安定である。(その原因は、切り替え...本当の音楽

  • 公約数的なもの?

    「音楽の本質は公約数的なものではなく、非常に個人的なもので成り立っていると思う」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言だが、巨匠の若き日の姿が印象に強い世代の音楽ファンは「まだ亡くなった実感もないのでは?」とも思う。それだけエネルギッシュに活躍されていたので尚更だが、自身の音楽に対する理念と言おうか、その集中力は凄いものだった。巨匠の圧倒的な演奏は、NHK-FMの実況録音の放送で聴き、しばらく音楽が聴けなくなる程のショックを受けた事も多々あり、これぞ「本物の音楽家だ。」と認めざるを得ない巨匠だ。勿論、その全部を賛同はしないが、此処までの日本人の指揮者は、近年は居ない。改めて凄い指揮者だった。1992年、第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本でのストラヴィンスキーのオラトリオ「エディプス王」は、作曲家の最...公約数的なもの?

  • 西欧音楽?

    「日本人がどこまで西欧音楽を理解出来るかと言う壮大な実験をしてきた」。こちらも小澤征爾さんは斯く語りきである。小澤征爾さんの時代でさえそうだった。現在でも格差はある。その根本となるのがリズム感だろう。あるJAZZミュージシャンは言った。「日本人のリズム感は「エンヤートット」だ。」と。それって凄く解る。確かにそうだろう。野暮ったさがあるのだ。その最たる音楽家が、作曲家の伊福部昭さんだったり、弟子の芥川也寸志さんだ、(意外ながら黛敏郎さんも伊福部さんの弟子だ。)特に伊福部さんの場合は、神楽が基調にあるようだ。ちなみに例に上げると、1954年の「ゴジラ」第1作に、それが聴き取れる。大映映画「大魔神」も、その傾向が強い。純音楽作品も然りである。「日本狂詩曲」をよく聴くが、映画音楽意外で伊福部昭さんを聴くなら、こち...西欧音楽?

  • わかんない訳?

    「これまで生きて、悲しみを味わった経験。悲しみは、人から教われないからね。自分でわかんなきゃ、わかんない訳だから」。今日も指揮者の小澤征爾さんは、斯く語りきである。確かにそう言う事は当人でないと経験出来ない訳だし、場合によってはトラウマになるような事まであれば尚更である。これ以上の事はなかろう。さて父の葬儀以来は会ってはいない旧友からメールが来た。それで早速、会う段取りをしようとしたのだが、また予定が合わず、やはりやれやれである。何とか今年中には会いたいが、こちらも「どうなるやら?」である。今回もその旧友の希望だ。先方に用事がある筈だが、その割には合わせようとはせず、何だか不思議だ。それ程の用事ではないのだろう。その旧友とは元々趣味繋がりなので、意外と薄い関係なのかも知れない。そんな事を思ったりする。さて...わかんない訳?

  • ニュアンスの差?

    「言葉よりも音楽の場合はね、本当にニュアンスの差がちょっとで違うから、幅と言うか高さなのか知らないけど、奥深いんですよ。それを指揮者の場合は、意識してやっておかないと、味が出ないっていうかね」。さて今日も指揮者の「小澤征爾さんは、斯く語りき」だ。この名言に対し下手なコメントは不要だろう。そこは音楽が好きな人は、誰しも思う処だ。この前の休みに久々にレコード鑑賞をした。検聴ではなく鑑賞だ。するとまた新たな発見もあるものだ。アナログオーディオは奥深い。そのアナログだが、そろそろ「片つかないかな?」と思っているのがカセットデッキだ。早く片つけたい。それが、TRIOの「KX-7000」と、NECの「AUK-5100」だが、一時期は双方、普通に使えていたが、何分古く、TRIOは何故か検出スイッチの誤動作で、反応が全て...ニュアンスの差?

  • 規則に合った事?

    指揮者の小澤征爾さんは言う。「楽譜に書いてある通り、非常に几帳面にやって、規則に合った事をやって、「はい、これで終わり」の演奏会をされたら、みんなバカバカしくなって、音楽会に来なくなっちゃいますよ」と。曾ての新即物主義はそうだった。それで指揮者のヘルベルト・V・カラヤン氏には、アンチも居たのだが、それも昔話だ。それに対するはカール・ベーム博士(実際に法学博士だった。)だがベーム博士も新即物主義者だった。そんなオチがある。確かに浪漫主義は19世紀を代表する表現方だ。なのは20世紀は、その反動だったと言う訳だ。しかしながら譜面の音を正確に再現するには、それに似合う技巧が必要だ。だからこそ基盤にある音楽性がものを言うのだろう。その点では、小澤征爾さんは新表現主義と言える。実際、譜面の裏の音に対する拘りは素晴らし...規則に合った事?

  • 集中力って言うのは?

    いつも指揮者の小澤征爾さんの名言を取り上げているが、こちらは思わず納得。曰く「集中力って言うのは、天才のものじゃないんだ。訓練だ」と。それは言えてるだろう。特に好きなものは覚える為には、やはり自然と集中をするもので、結局は訓練になっている。だからこそ「好きこそものの上手なれ」なのだ。そう言うものだと思う。さて昨日は、朝から沖縄と台湾では地震があり、特に台湾東部は大地震で、災害も深刻だ。勿論、日本政府は、その対応もするだろうから、これからの政府の動きも気に掛かる。その台湾だが、【中華人民共和国】政府が言う「ひとつの中国」はデタラメだ。共産党政府が台湾省としている台湾は【中華民国】であり、別な国なのだ。更に領有権に関して言えば、1952年のサンフランシスコ講和条約に於いて、日本が朝鮮の独立を承認し、台湾・澎湖...集中力って言うのは?

  • 一人一人の経験?

    「音楽は、非常に「個」の強いものです。一人一人の経験の中から、じわじわっと出てくる」。こちらは指揮者の小澤征爾さんの名言だが、現在のようなグローバル化は、音楽については邪魔なだけだ。つまり無個性化なので、「個」と言おうか「我」がないと、音楽家の個性もなく、そんな演奏を聴いても、印象には残らないだろう。だからそんな音楽家の演奏なんて、金を払って聴く事自体が無駄だろう。だから昨今のレコード業界が振るわないのも「そんな処かな?」と思う。さて今日は休みだ。午後からは母の付き合い(荷物持ち等の手助け)で外出(買い物)するが、エアダスターが切れたので、ついでに買おうと思う。それが今日の日課だ。さて趣味の方も相変わらずだ。昨夜、NECのカセットデッキ、「AUK-5100」のDolbyユニットのコンデンサを交換した。動作...一人一人の経験?

  • と思っては?

    指揮者の小澤征爾さんは言う。「僕が思うこの悲しみは、この人たちとは違うんだ、と思ってはやってはいないんですよ」と。これはどう言うシュチュエーションでの発言かは知れぬが、NHK交響楽団とは初っぱなから色々とあり、当初は頼られたのに結局は追い出されたので「なんじゃこりゃ?」だっただろう。それがキャリアの初めの20代の話なので、これも「あの時の事かな?」てな想像は出来る。まあ悲しい出来事は、誰でも悲しい。さてハイヴィジョン収録に切り替えた8ミリフィルムのテレシネだが、マスタリングをした段階で、まだ可能性があるので、何回かマスターを作っている。色も解像度も良く、「流石にデジタルだな?」と感心するが、だからこそ上を目指すのも良かろう。補整は最低限で済ませたい。後はカセットデッキだが、苦戦をしているTRIOの方は、電...と思っては?

  • 東洋人と西洋人

    指揮者の小澤征爾さんは語る。「僕は「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。だけど、どっかではつながっているんだと思う。世界共通、人間の感情は」と。確かに感情の部分では、そうだろう。但し民度は各国様々だ。しかし民度云々で言うと、"他人様には迷惑を掛けない"と幼少より、家庭で徹底して教育をするのが日本だ。なのでイザと言う時に高潔さが評価されるのだろう。とは言え昨今は、リベラル勢力による、良からぬグローバル化の為に荒れ果てた。それは戦後のGHQ政策に端を発するが、とにかく連合国にとっては、高潔な日本人が邪魔だったと言う訳だ。斯くして「半世紀を掛けて、GHQ政策は達成された」と言っても過言ではなかろう。それ程までに「本当に日本人のする事かいな?」と呆れる事が多々あるのだ。(中には偽装もあるが、)「どうして...東洋人と西洋人

  • 得る事。

    「親の方が子供から得る事がよっぽど多いですよ。それと同じで、教えると言う事はとても勉強になる」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの名言だが、言わば子育て論だ。内容も納得だ。「子育て」とは、子に育てられると言う意味があるのだ。そんなものだと思う。さて些か唐突だが、【国会議員】をWikipediaで検索すると、「国会議員(こっかいぎいん)は、国家の最高議決機関(立法府)の一般的な呼称である「国会」を構成する議員。投票した有権者によって選出された代表者である例が多いが、必ずしも、そうでない例もある。両院制の場合、上院議員と下院議員とに呼び分けられる例が多い。ほとんどの国会議員は、何らかの政党に所属する」と、その意味が解る。そして【政治家】を字引くと「政治家(せいじか、英:politician)とは、職業として政治に...得る事。

  • 地球儀を眺めると?

    指揮者の小澤征爾さんは言う。「日本製の地球儀を眺めると、日本が赤く塗られていますでしょ。世界全体から見ると、日本語圏はあれっぽっちです。そこだけの価値観で一生を過ごすのは、もったいないですよ」と。世界的視野と言うのはそう言うものだ。昨今は「インターネットで世界が狭くなった」とは言われているが、生の情報には敵うまい。小生もオーストラリアに言った事があるが、やはり直接、自身の目で見たり、耳にしたものは違うものだ。さて現在でもレコードを聴いている小生だが、「アナログレコードブーム再燃」てな記事を読んだりすると、どうせなら、型だけでソレを捉えないで、マトモなレコードの音を体感してほしいと思う。昔のSP盤でもあるまいし、「針音が~」なんて一文を読むと、そのSP盤を改善したLP盤を聴いてる筈なのに、今更「針音もあるま...地球儀を眺めると?

  • 海の向こう。

    最近、指揮者の小澤征爾さんの名言を取り上げているが、改めて、どんな人かが解り、その音楽性にも感心する事になった。こちらは恐らく晩年だろうが、思わず「"言われてみれば?"」だ。曰く「テレビで見たり、インターネットで調べたりで世界を知った気持ちになってしまう。確かに私たちが若い頃よりもはるかに海の向こうの情報は入ります。でも、それは他の誰かの体験であって、自分自身の経験ではありません」と。確かにそうだ。生の情報には敵うまい。最近の媒体も、インターネットのおかげで益々「講釈師、見てきたように嘘を言い」状態だ。特にテレビは、その傾向が酷く、所謂「衝撃映像番組」のように簡単にインターネット動画から二次使用をしているのだから、そりゃあ視聴率も下がる。視聴者は、そんなものは既にインターネットで視聴済みだ。民放のスポンサ...海の向こう。

  • 音楽も生活と

    「建築はもちろんですけれど、音楽も生活と結びついています。だから、(外国で)暮らさないと、本当の音はわからない」。こちらも指揮者の小澤征爾さんの言葉だ。なので言ってる事も理解が出来る。日常に於いて、音楽のない社会もあり得ないからだ。放送媒体は、特に解りやすいだろう。さて今日も休みだ。今日は早朝からblogの打ち込みだ。東宝の「怪獣大戦争」を観ながらだ。その後に8ミリフィルムのテレシネ作業をする予定だ。それでそのテレシネで使う映写機(ELMO「ST-800」)だが、昨日にはサイレントフィルムもサウンドフィルムの駒速度の調整も終わっているので、残るはテレシネ作業だけなのだ。(ちなみにサイレントフィルムの駒速度は18駒、サウンドフィルムの24駒が標準だ。)今日はサウンドフィルムのテレシネもしてみよう。TRIOの...音楽も生活と

  • 堪能?

    「言葉が出来ないと不自由ばかりですけれど、一つ良かったのは、海外で指揮する時に私は喋らないんです。喋れないから。言葉が堪能だと、説明し過ぎてしまうでしょ。説明の多い指揮者は良くないんですよ」。と言ったのは指揮者の小澤征爾さんだ。これは若き日に武者修行でもないが、渡米をした際の体験を後から語ったものだ。確かにそうだと思う。曾てのオランダの大指揮者にウィレム・メンゲルベルクと言う名匠が居たが、この人、リハーサルの前には一時間程の名(迷)演説をしていた。楽曲解説やら自身の解釈、更には世間話だが、楽団員はどう思った事か?正直、「サッサと始めろよ!」だろう。ちなみに英国のサー・トマス・ビーチャム卿は楽員とは和気藹藹で、残っている映像を観ても和む。小澤征爾さんも、どちらかと言えば後者だ。でなければ、ボストン交響楽団の...堪能?

  • 此処の事。

    「音をただ並べるだけでは音楽にならない訳で、どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、此処の事ですよね」。と言ったのは指揮者の小澤征爾さんだ。小生は、レコード鑑賞を趣味としてるが、最近は、そのレコードが単なる試聴用のソースになっているので、巨匠の言葉は響く。暫くは譜面の裏の音を聴いていない。意味する処は同じだ。さてその試聴をしながら作業をしているのがカセットデッキだ。管ヒューズが届いたので、その作業を再開したのが、相変わらずのTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」である。今朝も通勤前に軽く整えたが、検出スイッチの接点が色々と狂ったようで、正常動作をしない。そのスイッチは小さく、少しの狂いでも不具合が起きる。初期のロジックメカ故に加減次第なのだが、こんな事になると、とても厄介なものだ。それと昨...此処の事。

  • やるべき事。

    「心配は要らぬ。もはや悪事を働く事はない。仕事は殆ど終わった」。「この生涯を全うし、やるべき事をやり終えるには、おまえはもちろん、もう誰の死も必要ではないのだ」。しばらく続いた「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」(メアリー・シェリー原作)から取り上げた名言や台詞は、今日で終わりだ。最後も青年探検家のウォルトンが、姉に宛てた手紙だ。これは怪物が、フランケンシュタインに語った言葉である。つまり怪物が、自身を創造したフランケンシュタインと共に自死を覚悟した言葉である。そこで多くを語るのは野暮だ。さて昨日に寿命を迎えたパソコンの音響用に使っていた、ONKYOのサラウンドシステムだが、どうしようもないので、やはり旧友から貰ったMarantzの「NR1605」なるAVアンプに積み替えた。まだ接続はしていな...やるべき事。

  • 惨めな生も。

    「こいつも俺の犠牲者なのだ」。「こいつが死んで、俺の犯罪は完成した。俺の惨めな生もこれで終わりだ!」。そろそろ「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」(メアリー・シェリー原作)から取り上げている名言や台詞も終盤を迎えるが、こちらも青年探検家のウォルトンが、姉に宛てた手紙で、フランケンシュタインの怪物が、ウォルトンに語った言葉である。つまり怪物はフランケンシュタインの影であり、怪物の影がフランケンシュタインである。なのでそんな事を言った。これぞ浄化だ。話は変わるが、今朝、カセットデッキのテストで兼用で使っているアンプが鳴らなかった。思えば、もう13年も使っている。ローコストなサラウンドシステムの音響装置をまるごと旧友から貰った。それからそんな歳月を重ねた。またローコストなアンプでも探そう。一時期流行...惨めな生も。

  • 自分の目標?

    「それなら(イングランドに)戻りなさい。しかし私は戻らない」。「あなたは自分の目標を捨てても構わないが、私の場合は天が与えた目的ですから、捨てるわけにはいかないのです」。さて相変わらず、英国の女流作家、メアリー・シェリー氏の代表作「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から名言や台詞を紹介しているが、これは青年探検家のウォルトンが、姉に宛てた手紙で、フランケンシュタインが、ウォルトンに語った言葉だ。目的とは、その怪物に纏わる事だが、そこは幾度となく、こちらで取り上げているので野暮だろう。だからこそ、「現代のプロメテウス」が意味を成すのだ。話は変わるが、まだ捜索中のフィルムは見当たらない。しかし思い当たる事もあるので、そこからである。それとカセットデッキの修理の方も相変わらずだ。そろそろ切れたTRI...自分の目標?

  • それが終われば?

    さて相変わらず、英国の女流作家、メアリー・シェリー氏の代表作「フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス」から名言や台詞を紹介しているが、これは青年探検家のウォルトンが、姉に宛てた手紙だ。そこにはウォルトンが、フランケンシュタインが語った事が書かれてある。曰く「私がやらなければならないのは、自分が生み出した怪物を追いかけ、それを破滅に追いやる事」。「それが終われば、この地上での私の運命は果たされて、死ぬ事がで出来るでしょう」と。つまり怪物は、フランケンシュタインを【善】とするならば【悪】の部分だと言えるだろう。だからこそ消し去りたい。と言う事である。そうした負の部分は誰しもあるものである。話は変わるが、昨日から、家庭の記録である8ミリフィルムのテレシネを始めたが、見つからないフィルムがある。いつも同じ...それが終われば?

  • 悪魔のような策謀?

    「奴は言葉巧みに人をたぶらかすのです。私も一度はそれに乗せられた事も在る。しかし信じてはいけません」。「あいつの魂はその身体と同じく腐っています。裏切りと悪魔のような策謀で満ち溢れているのです」。いつもの「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」(メアリー・シェリー原作)から登場人物の台詞だが、こちらは怪物の創造者であるフランケンシュタインの言葉だ。誠に言葉と言うものは都合が良く、巧みな者は調子が良いものである。さて今日は休みだが、早朝は、昨日にAmazonに発注した管ヒューズの代金をコンビニ決済し、それからNECんぉカセットデッキの接点のメンテナンスだ。作業は簡単だが、意外と効果も大きい。音量が少し大きくなり、明瞭度も増した。やはり汚れていたようだ。その後は、なかなか作業が進まなかった、8ミリフィ...悪魔のような策謀?

  • 生きる事。

    「哀れな奴め!生きる事を決めたのだな。こちらはそれで満足だ」。いつもの「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」(メアリー・シェリー原作)から登場人物の台詞だが、怪物曰くである。これから見えてくるのが、フランケンシュタインと、彼が造り上げた怪物との位置関係だ。互いが対等なので張り合っているからこそ、追われ、追いかけられる関係となった。それにしても不幸な物語だ。その不幸が、映画ではひとつも表現されていないのが残念だ。これから趣味の話になるのもパターンだが、メインにすべく、調整をしているカセットデッキが不安定なので、なかなか落ち着かないのだ。電磁ソレノイドの調子が悪く、テープのオートストップ機能が作動をしなかった事もあり、その手の愚痴ばかりが続いた。それがTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」であ...生きる事。

  • 放浪の旅

    いつも英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から登場人物の台詞等を取り上げているが、そろそろ終盤に差し掛かった。今日もフランケンシュタインの言葉を取り上げる。こちらは自ら造り上げた怪物を処分し、過ちを正す為に、その怪物を探す決心を宣言した時の言葉だ。曰く、「放浪の旅が始まりました。この旅が終わるのは、私の命が果てる時です」と。まあ人生も"放浪の旅"のようなものだ。それは「自分探し」でもあるが、そこに悟りを開く人も、どれだけ居るものか?小生も、その何かをぼんやりと見つめているが、結論には至らない。既に折り返しは終わり、誕生年の干支(十干十二支)も一巡したが、まだ見えない。さて趣味は相変わらずだ。一昨日から電磁ソレノイドの調子が悪い。テープのオートストップ機能...放浪の旅

  • 要求を拒否?

    いつも英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から登場人物の台詞等を取り上げているが、そろそろ終盤に差し掛かった。それで如何に映画の方は脚色が過ぎるのかを改めて見直す事が出来たのだが、これでメアリー・シェリー女史が、この物語で求めたテーマも解ろうてなものだ。さてフランケンシュタインの台詞だ。曰く。「こちらの正当な要求を拒否すると言うなら、残る手は一つです。生きようと死のうと、この命をかけてあいつを滅ぼすしかない」と。だからこそ「プロメテウス」がタイトルにある。その神は、ギリシャ神話に於いては人間を創造した神である。それをフランケンシュタインに重ねる事で、【命】を見つめ直した壮大な物語となった。だからこそフランケンシュタインの、この台詞が響く。そう思うのだが如...要求を拒否?

  • 何の利益も?

    「理性に目覚めると同時に、復讐にも目覚めなければ、自由になった事も何の利益ももたらさなかったでしょう」。こちらも英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」からフランケンシュタインの台詞だが、全部は取り上げられないので抜粋して紹介している。さて理性とは客観的なものだ。つまりこれは自ら造り上げた怪物が理性に目覚めた時の事を言っている。子供が大人になる時もそれが言えるだろう。話は変わるが、「人形は顔が命」と言う言葉がある。あの人形屋のテレビコマーシャルで御馴染みだが、要になるものは必ず在るものだ。政界が揺れている。しかし政治家の裏金が「どうした?」だの「こうした?」だのと言う事は、冷めた事を言うと、国民の生活には何の関係もないのだ。それこそ「そんな事、よそでやってく...何の利益も?

  • とてつもなく?

    「とてつもなく恐ろしい運命がぼくに降りかかっているのです。だからその運命が終わるまでは生きなければならない」。こちらも英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」からだ。登場人物の台詞等を紹介しているが、早くも中盤を越えた。その概念はキリスト教ならではの"受難"が根底にあるが、日本では八百万の神の幅広い概念があり、とても寛大だと思う。その辺の事を認識していないと、この物語は難解かも知れない。さて昨日一昨日と連休を取ったが、している事は相変わらずだ。ようやくグルーガンを買った。樹脂を電気で溶かして接着をする物だが、これで作業能率が上がる。と言うのも、小生がする作業は、そのどれもが細かいので、どうしても強度の問題があり、グルーガンによる樹脂での接着は最適なのだ。早速...とてつもなく?

  • には無駄?

    「ありがとうございます。でも結構です。どんなに慰められても、わたしには無駄なのです」。昨日も取り上げているが、英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から、登場人物の台詞も中盤を越えた。こちらもアノ怪物を造ったフランケンシュタインの台詞だが、辛い時に慰められても、心情は「そんなものじゃない!」なんて思う事はあるものだ。「辛いからこそ」だが、そこは仕方がない。さて今日も休みだ。この前のスペースワンの小型ロケット爆発は残念だったが、発射直後に急に方向が不自然なズレ方をしたので「やっぱり?」と思った。確かに失敗して、あの村に落ちたら大変だ。だから自爆は正解。まだ初号機だし、これからの可能性の方が大きいだろう。それと発射する物には軍兵器もあるのだが、こんな記事があっ...には無駄?

  • おまえの仕事。

    「悪魔よ、おまえの仕事はすでに終わった」。いつも英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から、登場人物の台詞を取り上げているが、今日もフランケンシュタインの台詞だ。確かにフランケンシュタインが成し遂げた事は、悪魔に命を売った者ではないと出来ない所業だろう。さて今日は休みだが、午前は病院へ、帰宅後は、やはりイマイチ納得がいかないTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」の調整。ゴムベルト(キャプスタンベルト、カウンターベルト)が馴染んでトルクが落ちたからだ。おまけにそれが原因で、また回転ムラが発生した。そこでフライホイールの軸受けの細工をして、解放の一歩手前辺りで受けた。するとようやくワウを感じなくなったので、「こんなものかな~?」と終わりにした。それでテス...おまえの仕事。

  • 最低の行為

    「既に心の中では、在れと同じ怪物をもう一つ作るのは自己満足以外の何物でもなく、恥ずべき最低の行為だと思っていました」。「これ以外の結論に至る考えは、すべて排除していたのです」。こちらは英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から、フランケンシュタインの台詞だ。正に"フランケンシュタインの花嫁(原題:BrideofFrankenstein)"だが、タイトルには些かの疑問がある。これは1935年のユニバーサル映画だが、フランケンシュタインの造った怪物に花嫁を造り上げる話なのに、何故か意味合いが違う事だ。それで後世に「フランケンシュタイン=怪物」との印象を定着させる事になった。さてその台詞だが、これは原作の方だ。確かに自己満足だろう。しかし怪物の存在を悔やんだ筈な...最低の行為

  • 食べ物よりも大事なもの?

    「復讐、それこそがこれからは光よりも、食べ物よりも大事なものだ」。さていつもの英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から、その怪物の台詞だ。憎悪を凄まじさを感じるが、何事も「喉元過ぎれば」てな言葉があるように、時が解決してくれるものだ。単に忘れるだけだが、それでも本当に酷い体験をすると、時にフラッシュバックがあり、それで社会での身の振り方に影響をしている事を自覚するものだ。今日は仕事だが、明日行って、また休みだ。いつも懸念材料となっていたTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」は、回転系の不備が解決し、時間が空いた。なので、そのカセットデッキでの録音も普通に出来るようになった。ヤフオクで落札してから整備に約4ヶ月掛かった。試聴も兼ねて、かなり以前にNH...食べ物よりも大事なもの?

  • 飛散のどん底

    さていつもの英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」から、その怪物の台詞である。曰く「俺が飛散のどん底を這いつくばっている時、お前が幸せになるなどありえないのだ」と。凄まじいフランケンシュタインに対する憎悪を感じるが、その感情は、人が一生のうちに幾度か感じるものだろう。しかしながら、その念も時と共に忘れるものだ。今日は休みだが、している事は相変わらずだ。TRIOのカセットデッキのカウンターベルトが馴染み、ピッチが上がったので、その調整だ。少し細くしてみよう。blogの打ち込みをしながらでも出来る事はあるので、やる事はやるが、時間は当速度でしか出来ないので、当たり前ながら仕方がない。チェックソースはピアノだ。妙な付帯音が鳴らなければ良い。そんな感じで、とにかく...飛散のどん底

  • 最低の感覚

    「苦労と言うものは、人間の最低の感覚すら鈍らせてしまうのです」。これはいつもの英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」からだが、今回はフランケンシュタインの台詞だ。確かに苦労が過ぎるとそうだろう。それだけで手一杯になるからだ。それは仕方ない。話は変わるが、趣味の方は手が空いてきた。難問だったTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」の走行系の不備が解決したからだ。なので家庭の記録映像の編集作品の手直しやらの編集作業が再開出来る。そこで早速、手に掛けているが、その間に得たノウハウが有るので、以前よりは能率は上がっている。父の一周忌に間に合わせて作った「第一部」の手直しを始めた。機材が変わったからだ。テレシネに関しては、映写機もカメラも一新した。映像の安定性が...最低の感覚

  • 大きな苦痛

    「旅から旅への生活には、楽しいなかにも大きな苦痛がある事を彼は理解しました」。「気持ちはいつも張りつめたままで、少し休んだと思っても、そこを去って新しい楽しみを見つけなければならず、そうなればまたしても神経を張りつめる事になる」。「それが延々と続くのです」。これはいつもの英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス」からだが、今回はフランケンシュタインの台詞だ。フランケンシュタインが自ら造り上げた怪物に失望し、その存在を認められずに当初は逃げ回り、怪物に追い詰められると、その怪物を自らの手で殺めようと追い掛けまわす。そこで体験した事を語っているのだが、旅を通して自身を見詰め直す事はあろう。「自分探し」なんて言葉もあるが、フランケンシュタインは何処までそれが出来たの...大きな苦痛

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