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気楽に語らう⭐︎創価学会非活のブログ⭐︎ https://watabeshinjun.hatenablog.com/

元創価学会活動家から非活になり、現在は退会した信徒が、創価学会や日蓮正宗、また顕正会等の大石寺系教団の問題点を語ります。

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2022/08/06

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  • 大石寺内における敬台院派と日精・三鳥派との対立について。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は大石寺18世の了玄日精が起こした三鳥派や、敬台院との対立について考えてみたいと思います。 ところで、このブログで何度か指摘していますが、実は日精は大石寺の17世ではなく18世であるということです。 「日精は大石寺の17世か、18世か。」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/06/18/000000 「大石寺を隠居した18世日精」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/06/23/000000 日精の『富士門家中見聞』(『家中抄』…

  • 次代の教団指導者としての谷川佳樹氏の位置付け。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて少し前の記事で谷川佳樹氏が創価学会において、SGI(創価学会インターナショナル)理事長に就任したことを書きました。この中で私は「谷川氏が次期会長候補になる可能性が高まった」「会内の信徒が谷川氏を新しい次代のリーダーとして認識」という趣旨を述べています。 「谷川佳樹氏のSGI理事長就任」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2024/11/23/000000 これは2024年11月18日に行われた創価学会・第5回本部幹部会・SGI総会で原田稔会長から発表されました。 この時の原田稔氏の話(要旨)が聖教新…

  • 創価学会と大石寺の対立と分裂。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は前々回の記事「大石寺の本来の教義」の続きで、創価学会と日蓮正宗宗門との対立、そして主導権の奪い合いが歴史的にどう生まれたのか、個人的な推察も踏まえて書いてみようかと思います。メインとして大石寺66世細井日達から67世阿部日顕の頃、併せて創価学会の池田大作が第3代会長から退き、名誉会長になる頃までを簡単に書いてみます。 今回の記事はこれまで書いたブログの記事、個人的な聞き取りや証言等を総合して書いてみたものです。あくまで参考として読んでみて頂けたら幸甚です。 「大石寺の本来の教義」 https://watabeshinjun.hatenablog…

  • 谷川佳樹氏のSGI理事長就任。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて先日の聖教新聞で(2024.11.19付)、SGI(創価インターナショナル)理事長に新しく谷川佳樹氏が就任したことが報道されました。 これは創価学会の次期会長候補として、原田稔氏から谷川佳樹氏になる可能性が高まったと個人的には考えます。 と言うのも、SGI理事長の前任は大場好孝氏です。彼は主任副会長の一人であり、会長候補の一人ではありますが、今年82歳になる高齢です。大場氏がSGI理事長になる際、今回のような大々的な一面を飾る聖教新聞報道がなされた記憶は私にはありません。しかも大場氏と谷川氏とでは知名度に格段の差があります。 「創価学会の次の会長は」…

  • 大石寺の本来の教義。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて以前にも書いたことなのですが、大石寺という宗派は本来、他宗派を否定するようなカルト的宗旨ではありませんでした。歴史的に見れば、かつて大石寺は浅間神社に本尊を奉納もしていて、法華経が天下一同に広まると本化垂迹天照大神宮に神が宿るという教義を採用もしていました。 大石寺の三門にはかつて「順逆ともに来たれ」と書かれていたことはよく知られているのです。 「順逆ともに来たれ」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/10/27/000000 上記の記事で書いたところですが、かつての大石寺旧信徒(伝統講)さ…

  • 弘安5年〜弘安7年10月前後まで日興は身延山にはいなかった。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日興が日蓮の死後に2年近く身延を離れていたという史実についてです。 以下の記事でも以前書いたように、『美作房御返事』によるなら、日興は弘安6年1月以降、身延を離れていた可能性が高いことになります。 「日興は日蓮滅後、2年近く身延を離れていた」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/09/10/075104 ここからも戒壇本尊が当時身延に存在したことなどあり得ないことになるでしょう。仮に弘安2年に作られたとすると弘安5年から日興は戒壇本尊を放置して身延を離れ、身延を荒廃させたままにしたこと…

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