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気楽に語らう⭐︎創価学会非活のブログ⭐︎ https://watabeshinjun.hatenablog.com/

元創価学会活動家から非活になり、現在は退会した信徒が、創価学会や日蓮正宗、また顕正会等の大石寺系教団の問題点を語ります。

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2022/08/06

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  • 九識説は真諦が起源であり、日蓮は九識本性説を唱えていない。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は唯識思想からの「九識」説について、また日蓮の思想中における九識説の位置についてです。 大乗仏教の系譜で、瑜伽行唯識学派は無著(アサンガ)と世親(ヴァスヴァンドゥ)ですが、通常大乗における唯識思想は第八識までを指します。すなわち眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識があり、その奥に末那識という潜在意識が想定され、さらに深奥に阿頼耶識という第八識があるというのが通常考えられる唯識思想です。 ところが、この上に第九識としての阿摩羅識を想定し、九識説を唱える系譜が存在します。 そしてこの九識説は天台智顗にも流入することになります。 そもそもこの九識説…

  • 『立正観抄』では「妙法の一言」以外の血脈相承は否定されている。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて私は日蓮が真蹟遺文中から「血脈」という言葉を使ったことがないという事実を以前ブログで紹介しました。血脈という語が真蹟で語られておらず、偽書の疑いの残る文献ばかりで語られるので、「血脈」は本来日蓮の教義ではない可能性が高いのです。 「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である。」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/02/25/120527 さて、それでは真蹟が存在しなくても、古写本等で「血脈」が語られた、比較的信頼し得る日蓮遺文の例は存在しないのでしょうか。 今回紹介したいのは『立正観抄』です。…

  • 日蓮が密教を自身の教義中に取り込んだ例を列記してみる。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて日蓮は法華経を根本として、後年真言を批判しながらも、真言密教の思想を自身の思想中に摂取し、自身の教理の中に取り込んでしまった人です。 今回はそれらの例を列挙してみましょう。日蓮は法華経を根本とするなら密教の教えを包摂させ、それらの教理が自身の教学に備わるとしていたのです。 ・日蓮は本尊を「曼荼羅」(日蓮は「漫荼羅」と書く)とするが、そもそも「曼荼羅」は真言密教の用語である。 ・日蓮はほとんどの本尊で、首題の左右に不動明王と愛染明王とを梵字で書くが、不動明王も愛染明王も法華経には出てこない密教の諸尊である。また不動明王は大日如来の化身として知られている…

  • 本尊書写とは受持の因分における化他行である。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて現在の日蓮正宗では「本尊書写」に対して、随分と神秘的な説明を行なっています。 例えば日蓮正宗の説明では「御本尊の御書写とは、本門戒壇の大御本尊の御内証を、時の御法主上人が唯授一人血脈相伝をもって、お写しあそばされることであり、大御本尊にそなわる御本仏の「たましい」と、一切衆生を利益される御本仏の功徳を、そのままお写し申し上げること」(『大白法』908号、平成27年5月1日)とされています。また実際、多くの法華講信者や日蓮正宗僧俗に聞いても同様の答えを返すでしょう。 ところが、大石寺26世堅樹院日寛の文段によるなら、少し事情が違ってきます。日寛はここで…

  • 台密は円仁・円珍らによって完成された。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さてこのブログでは日蓮が真言から影響を受けていることを何度となく指摘しています。 「『不動愛染感見記』は日興から日目に付属された」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/08/24/223933 「不動明王と愛染明王を真言の梵字で書いた日蓮」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/01/29/000000 「日蓮の真言に対する態度」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/01/21/…

  • 日興は日蓮滅後、2年近く身延を離れていた。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は『美作房御返事』から判断すると、日興は日蓮滅後、弘安7年後半まで長らく身延には在住していなかったことを書いてみたいと思います。 日蓮が弘安5年(1282年)10月13日に亡くなり、日興により『宗祖御遷化次第』が同年10月16日に書かれます。 翌年の弘安6年(1283年)正月1日に日興らによって身延の『墓所可守番帳事』が制定され、墓の輪番制が制定されます。この書にも六老僧の花押が紙の継ぎ目に記されていますので、この輪番制は当初、正しく六老僧共通の認識だったことは間違いないかと思います。以下の画像は日興『墓所可守番帳事』で、本文及び日興真蹟画像は『…

  • 大阪支部の布教数「11,111世帯」は事実の改竄である。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は昭和31年(1956年)、当時大阪支部の責任者として池田大作氏が就任し、その年の5月度の折伏(布教)成果数を「11,111世帯」としていることへの検証です。 このことは小説『人間革命』でも語られ、また創価学会の公式な記録としてホームページでも紹介されています。 https://www.sokagakkai.jp/daisakuikeda/life-story/disciple.html ところが、当時の記録を見ると、この布教数は事実と異なるようなのです。 聖教新聞・昭和31年(1965年)6月3日付の1面記事を見ると確かにここにはこの年の5月度…

  • 『園城寺申状』と『下文』のこと。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日興の弟子、日目らが書いたとされる『日興上人御遺跡事』について、そこで触れられている『園城寺申状』についてです。 まず日目の『日興上人御遺跡事』を紹介しましょう。これは日興の滅後、日目ら弟子たちが、広宣流布の暁の「本門寺建立の時」に本堂に納めるべき重要なものを書き留めた文書です。正本は大石寺に現存する(大石寺説)としています(『日蓮正宗歴代法主全書』1-213ページ)。 さてこれを見ると、日目らが「本門寺建立の時に本堂に納め奉る可し」としているのは二つのみです。「日蓮聖人御影」そして「園城寺申状と下文」と書かれています。 ここのどこにも「弘安二…

  • 形木本尊の開眼供養は存在しなかった。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて現在の日蓮正宗、大石寺宗門では曼荼羅本尊を信徒に授与する際、「開眼供養」がされているかどうかを問題とするようです。というのは創価学会が現在信徒に頒布している大石寺26世日寛書写カラーコピー本尊を「法主の開眼がない故に偽本尊である」として、日蓮正宗側は批判しているからです。 現在の大石寺の授与本尊も同様に現68世早瀬日如氏書写のカラーコピー本尊を信徒に頒布しているのですが、それは印刷であっても「開眼供養がなされたから偽物ではない」という理屈のようです。 ところで本来、近代大石寺宗門における形木本尊(印刷による本尊)というのは、実はまだ信仰が不安定な新入…

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