いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日道と日郷の間に起こった大石寺坊地の所有権問題について、誰でもわかるようにわかりやすく書いて紹介してみたいと思います。 多くの人がご存知のように、大石寺の坊地は東坊と西坊に分かれています。日興と日目の死はともに正慶2年(1333年)ですが、これをきっかけとして日仙と日代の間で方便品読不読の問答が起こります。問題はこれに止まらず、大石寺の東西の坊地をめぐり、所有権争いが起こったのです。 この遠因がどこにあるかというと、大石寺の寄進者でもある南条家の相続上の問題から、大石寺の東西坊地を東西に分割し、それぞれを別々に寄進させてしまったことにあるのです…