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2022/07/27

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  • 奈良屋旅館のもてなし(3)

    「どんな時に幸せを感じる?」 ・ ・ ・ って問われたら、私の答えは、 他の人と「楽しく、心温まる交流が持てる」時ですね。 それで、私にとって茶の湯は、「楽しく、心温まる交流が持てる」場と言っていいでしょう。 さて、前回の続きですが、奈良屋旅館は私たち三人のために椿の間(十畳が二間続きで計二十畳)を用意して、しかも、チェックイン時刻前にもかかわらず、入室・利用させて下さいました 。 でも、野沢温泉から帰宅後、そのことはブログに「書かないようにしよう」と思いまして、そうこうするうちに日々が経過し、このブログの掲載が中断しちゃいました。 アノ、どうして「書かないようにしよう」と思いましたかって ・…

  • 奈良屋旅館のもてなし(2)

    「ゆるい茶の湯」をしてみたいと思うようになりました。気持の余裕無く汲汲と生きてきたような私ですから、そんなふうに内省したあげくの、新たな方向性です。以前、私の一番の失敗は、稽古始め(一応、初釜と言ってました)に大幅遅参したことですが、遅刻というのは、茶会ではキツイ戒め事項なんですよね。 さて、奈良屋旅館には、チェックイン時間よりも一時間以上前に到着しました。荷物だけ預かってもらい、身軽になって温泉街を散策しようというつもりだったのです。 イヤァ、実は思いがけないトラブルが発生してましたから、早い時間に旅館とコンタクトがとれたことが幸いして、事態の深刻化が回避できました。アノ、私たちは、某会社を…

  • 奈良屋旅館のもてなし

    去年の10月ですが、「野沢温泉に出かけますのでブログもちょっとお休みです」という情況になりました。 それなのに、信州、野沢温泉から帰宅後も、ブログ掲載が再開できないまま、今日に至ってしまいました。 あの、野沢温泉の奈良屋旅館に泊まったんですけど、私にとっては最も印象深く、感動した宿でした。 何がそんなに良かったのか ・ ・ ・ って言えば、「もてなし」がすばらしかったんです。 それで、茶の湯が大好きな私としては、大きな学びがありましたから、とっても感謝です。 私は、「いっしょに心和む心地良い交流のひととき」を過ごすためのツールとして、茶の湯が心底、好きなんです。 ところが、茶の湯の世界とは全く…

  • 武将と茶人の相性

    待庵のことを書くつもりでしたが、その前置きとして、武将と茶人の相性ということを考えてみたいと思います ・ ・ ・ が、以下は全く「根拠の無い」話でして、マア、私の勝手な推測や想像にすぎません。 でも、小説家や脚本家なんてのは、事実に基づかない空想も大胆に取り入れて物語を紡いでいくんだろうと思いまして、それなら私が好き勝手な妄説を吐いたって、たいして罪にはなるまいということで、以下は独善的な妄言です。 まず、信長のお気に入り茶頭(茶堂)は、第一に今井宗久でした。 なぜ気に入ったか? 私は、配下として「使いやすかった」からだと思います。 今井宗久は典型的な政商で、商売目的のためにはなりふり構わず権…

  • 待庵は三畳の変形?

    「主客同座」 ・ ・ ・ それは、ものすごい大変革だったと思います。 なにしろ、室町時代に貴人や賓客が座敷で茶を喫するようになった頃は、座敷外に設けられた茶湯所や茶立所で点てた茶が運び込まれたわけでして、それが、珠光の頃から次第に、貴人や賓客が座る座敷に台子を持ち込んで茶を点てるようになったんでしょうか? それで、そういう変遷のことは省略しますが、利休はその台子まで排し、囲い(今で言う茶室)をつくって信長の有力武将だった秀吉を迎えたわけで、まあ、山崎につくられた囲いは「秀吉一人のため」なんですけど、何より一番驚くのは、いくら「主客同座」を実現しようとするもくろみがあったにせよ、「狭すぎる」と思…

  • 待庵の「次の間」

    10月6日のブログに神谷宗湛のことをちょっと書きましたが、彼は秀吉を床の間に招じてるんですね、「床ニハ、錦の茵敷イテ、関白様、御座成サレ候テ、御膳上リ候」と書いてあります。 つまり、宗湛はあらかじめ錦のしとねを用意してたわけですから、秀吉を床の間に招じる計画だったわけで、秀吉は床の間で食事をしたんですけど、その後に続く記述を読みますと、お茶は貴人畳に下りて召し上がったということです。 なぜそんなことを書いたかと言いますと、待庵の床の間は、上段の間として使うことができない造りになってると思うからです。 アノ、利休以前には、床の間に人が座るってことが実際にあったということ、記録にあるようでして、利…

  • 筵天井

    「茶の湯の心と形」という表題が28回も続いちゃいまして、これじゃあ表題の意味が無いと思いましたから、その都度、別の表題をつけることにしました。 それで今日ですが、気持の上では台目構に共通するものがあると思いますので、落天井のことをちょっと書いてみたいです。 注目したいのは筵天井でして、まず、点前座の落天井そのものが、貴人、あるいは客に対してへりくだり、そこが下座であることを視覚化するものですが、その上さらに筵天井で、素材が蒲や真菰ですと、亭主が「身を低くして応接する」態度が強調されると思います。 イヤァ、真菰の天井なんて、モウ、素材だけのことを言えば、あばら家同様ですからね。 でも実際はものす…

  • 茶の湯の心と形(28)

    下の図ですが、利休は史上初の台目構を大坂城下(堺ではありません)の利休屋敷で試みたそうでして、私はその茶室が「床の間付近からはどう見えるか」という興味で、勝手に想像して描いてみました。 いつものように、正確さは保証しません。 手前の青い横線が床の間ですが、貴人畳に近い部分だけを描きました。 深三畳台目の茶室で、手前が貴人畳です。その奥に丸畳二畳と台目畳があります。 そして、図に緑色で示したのが中柱で、その手前に袖壁がありますから、点前座が「隠されてる」感じですね(利休時代の袖壁は天井から畳まで連なっていて、吹き放ちの部分がありません)。 そんなわけで、台目畳もまた、中柱と袖壁に阻まれて見えにく…

  • 茶の湯の心と形(26)

    利休が台目構を案出した心の内を想像してますうちに、「人の気持ち」ってことを考えちゃいまして、それで、台目構を作り出すに至る「心持ち」のことを考えることのほうが、台目構の構造云々を考えるより、もっと根源的に重要じゃないかと思いました。 さて、時代は秀吉が権勢を振るっていた絶頂期ですが、それまでの戦国の世というのは、まあ、鎌倉時代になる前からもそうでしたけど、現代の価値観では想像できない世界だったと思います。 「殺人は悪」みたいな考えなど皆無、「強いもの勝ち」の社会ですから、親子兄弟でさえ殺し合いが普通の世の中で、秀吉だって親族の豊臣秀次を殺し、秀次の家臣や家臣の妻子たちもたくさん死にましたし、秀…

  • 茶の湯の心と形(25)

    親密に、和やかに居られるひと時を、心を同じくする人といっしょに楽しみたい ・ ・ ・ っていうのが、茶の湯を好む私の気持ちです。 アノゥ、突き詰めれば、たったそれだけのことなんです。 ところが世の中、親密にできないとか、和やかに居られないことが多くて、マア、気を使わなければならない場なんかは特にそうですね。 ところで、織田信長は茶の湯を政治利用しましたし、豊臣秀吉は信長と違うスタイルで茶の湯に関わりましたが、両者とも、階層社会のトップを目指した人でして、まあ、ステータス至上主義と言えるような心情だったかなあと想像します。 それで、上下関係を重視しますからねェ、信長なんかは家臣の上昇志向を激しく…

  • 茶の湯の心と形(25)

    下の図は、宗旦が復元したという「利休一畳半」の、私が描いたおおよその図でして、正確さは保証しません(「一畳半」というのは今で言う「一畳台目」です)。 アノ、9日のブログで台目二畳の好日庵という茶室に触れましたが、それに比べれば面積的にはちょっと広いですけど、中柱が立っていて袖壁がありますから、好日庵より広いと感じるほどではないかも知れないなあと想像します。 また、図に描いたとおり、床はありません(壁床です)。 床の無い一畳台目の茶席には、「大本」に「花晨亭」というのがあるそうで、利休一畳半と同じく炉は向切ですが、図面を見ると中柱が無いので(当然袖壁もありません)、利休一畳半よりゆったり感がある…

  • 茶の湯の心と形(24)

    一畳台目や二畳の茶室に入った体験が無い私でして、いったい「どんな感じがするんだろうか?」という興味で、広間のうち二畳だけを使ってみたことがあります。 その部屋は京畳ではなく、実測してませんからわかりませんが、小さい畳なので、とても狭く感じるかと想像してました。 それで、私が点前で客は三人としましたから、二畳に四人というわけなんですけど、実際には「とっても感じ良くて」びっくりしたんですね、イヤア、ほんとに意外でした。 アノ、狭隘感を感じなかったというのが全く不思議でして、頭脳的に想像することと実際の感じでは「全く異なる」ことがあるんだなあって、つくづく思ったことです。 そして、主客が「近い」と感…

  • 茶の湯の心と形(23)

    茶室で最も狭いのは台目畳二枚だけのもので、好日庵という台目二畳の茶室は、炉が向切で床は壁床ですから、狭く感じると思いますね、写真も見たことないですけど。 それよりもちょっと広くなるのが一畳台目で、利休が好んでるし、何人もの茶人が作ってますね。 ところで、一畳台目ですとさすがに狭すぎて、貴人をお迎えするには不適切 ・ ・ ・ なんだけれども、本心は一畳台目の茶室がいいと思うってことになりますと、そこで編み出されたのが「上段付一畳台目」であろうかなんて、私の勝手な想像です。 なお、利休やその時代の茶人が「一畳半」と言ってるのは、今で言う「一畳台目」のことで、「太閤ノ御意」にはかなわなかったんですよ…

  • 茶の湯の心と形(22)

    秀吉が聚楽第をつくった時、利休の屋敷が葭屋町に建てられ、そこには四畳半の茶室や二畳の茶室もつくられたようですが、秀吉の御成をお迎えしてお茶を差し上げるための書院が特別につくられています(色付九間書院)。 その書院は上段(二畳)、中段(四畳)、下段の三つに分かれてまして、貴人をお迎えするためには、社会的に「当然そうあるべき」とされるセオリーに従った設えで、マア、私の感想ですが、当時の利休は世間の風潮に逆らえず、しかたなく「妥協して」、茶も点てられるようにしたんじゃないかと想像しまして、利休が茶の湯をしたい茶室というのは、そういうもんじゃなかったと思いますね。 上の図は私が勝手に描いたもので正確さ…

  • 茶の湯の心と形(21)

    前回、神谷宗湛と利休のことを書きましたが、社会的に当然の常識的行動をしてるのが宗湛で、利休は異端、いやさらに、異端どころか反逆性を内包してると感じますね、私は。 それで、びっくりするのは待庵ですが、待庵が妙喜庵境内に移されたのはどういういきさつだったか、説はいくつかあるようです。 移築前の原形は山崎城内につくられた茶室であるとか、利休屋敷にあったものが移築されたとか、いろんな説とは無関係に私が重視するのは、あんなにせせこましく、むさくるしい陋屋に秀吉を迎えったってことでして、宗易(利休)の度胸の据わり方がものすごいと思うことです。 さて、貴人や殿様の座が「上段」であることは、江戸時代が終わるま…

  • 茶の湯の心と形(20)

    前回、神谷宗湛のことにちょっと触れましたが、彼は今の言葉で言う政商で、同郷の先達には島井宗室がいるし、堺では今井宗久、津田宗及、千利休など、先輩の政商たちが大活躍してましたね。 政商たちは社交のために茶の湯を利用してましたから、それらの人々はみな茶人と言ってもいいのですが、利休は秀吉のブレーンとして政治に関わってまして、でもその一方で茶の道を極めようと志したところが、他の人々と異なると思います。 話は変わりまして、どうしたら人の機嫌をとることができるかってことですが、「自分がそう扱ってもらえたら嬉しいなあ」と思うことを相手に対して行うってことも、方策の一つかと思います。 それで神谷宗湛は、茶室…

  • 茶の湯の心と形(19)

    茶碗の色で「黒」というのは、私はどうも特別な感じがします。 で、外側がカラフルだから黒い茶碗じゃないんですけど、内黒のもありまして、そうしますと、感覚的に「あれっ!」と思っちゃいますね、私は、マア、持ってるから使ってる碗がありますけど。 黒と言っても漆器なら、総黒でも黒内朱でも「美しいなあ」と思うばかりで、茶碗の黒のようなドッキリ感はない私でして、ですから「茶碗の」黒っていうのは、私にとっては「普通でない」感じがするんですね、マア、保熱を理由に松楽窯、漆黒の筒茶碗は使ってますけど。 それで、漆器なら黒は普通というか、目が慣れてますけど、うちの食器棚には陶磁器の黒というのはありませんで、やっぱり…

  • 茶の湯の心と形(18)

    茶道具の色のこと、今まで意識したことありませんでしたけど、黒楽や黒高麗のことを書いていて、そう言えば茶道具には黒いものがいっぱいあるなあと思いました。 でも、気付かなかったですね、色のことには関心がなかったのかもしれません、今まで。 棗も中次も真塗のをよく使いますが、「そんなもんだ」ってくらいの気持ちで、色のことには無関心でしたし、同じように炉縁も四方盆も天目台も黒が多いですけど、「そういうものだ」って感覚だったし、長板や台子なんかも同じで、「黒でない」場合のほうが、かえって目立つというか、注意が引きつけられますね、私の場合。 「そういう色なんだ」と、すっかりなじんじゃってるんだなあと、「気持…

  • 茶の湯の心と形(17)

    黒高麗の器にはいろんな種類がありますけど、真っ黒な梅瓶の写真を見た時、青磁梅瓶のイメージしかなかった私には心臓ビックンでした。 もちろん、黒高麗の茶碗も、映像を見ただけで衝撃ですね、ます、その「色」です ・ ・ ・ 何といったらいいかわかりません、「特別」って感じがします。 インパクトの大きさが茶碗よりも梅瓶のほうが勝っているのは、(1)梅瓶のほうが茶碗よりも大きいことと、(2)黒い茶碗は黒楽その他、見る機会があるから目になじんでるってことですけど、それにしても、「黒い色」って特別だなあと思いますね、感覚的に。 黒高麗のことを書きますのは、利休が黒い茶碗を好んだようなので、私は写真で黒高麗の茶…

  • 茶の湯の心と形(16)

    前回は茶碗のことから着物に話が飛んじゃいましたから、今日は着物のことをちょっと。 「木綿の着物」が心になじむとか書いちゃいまして、まあ、それはホントで、実際、着心地がいいんですけどね、建水を持って立ち上がりますと、膝の部分がポコッと・・・と言うか、見た目にもハッキリなんですが、丸々とプックリ膨らんでますね、単衣でもそうですが、袷の場合はさらに目立つんです。 アノ、それ、「事実を言ってる」だけでして、「善悪」の評価や感想ではありません。 そして、木綿の着物を茶の湯で着てますと、膝の部分が擦れて、誰が見てもハッキリ、明瞭に色落ちが目立ちますし、擦れることによって生地が薄くなり、弱まってきます。 傷…

  • 茶の湯の心と形(15)

    前回、十三代三輪休雪の「エル・キャピタン」の話になっちゃいましたから続けますが、放送番組の中で小野正嗣キャスターと柴田祐規子アナウンサーが、エル・キャピタンを見せてもらうシーンがあります。 そのテレビ画面を撮影したのが以下の写真で、小野キャスターがエル・キャピタンを手に取っています。 ご覧いただけたらわかると思いますが、どこから飲もうか? ・ ・ ・ って迷うと思いますね、口縁の形が複雑で。 それで、飲むのもたいへんだと思いますけど、もしその茶碗でお茶を点てるとしたら、さらに容易でなかろうと想像します。 とにかく、十字型みたいに見える口縁と見込みですし、そのうえ、丈が高くて「深い」んですよね。…

  • 茶の湯の心と形(14)

    長次郎の黒茶碗について、他と比較して感想を書こうと思いまして、格好の材料が十三代三輪休雪の茶碗「エル・キャピタン」シリーズだと思ったんですけど、アノ、私はテレビで制作する様子を見ただけでして、本物は見てないんですけどね、でも、その茶碗をはじめ、テレビ番組で紹介されていた花入にも衝撃を受けまして、だから今日のところは、長次郎との比較どころではありません、もう、十三代三輪休雪の作品に圧倒されちゃいまして、だから、その感想だけ、ちょこっと書きたいと思ったんですけど、あまりにも強烈に心が揺さぶられましたから、感想すら書けない状態です。 そのテレビ番組に、一つのエル・キャピタン茶碗が写ってましたので、テ…

  • 茶の湯の心と形(13)

    利休の時代、井戸茶碗は評価が高かったようですが、利休は井戸茶碗が茶の湯に最適とは考えず、長次郎の黒茶碗を愛用したんでしょうけど、そういう利休の気持って、まあ、想像するしかないし、その想像も当たってるかどうか・・・というより、「ほとんど的外れ」とか「とんでもない誤解」の可能性大ですが、そうであったとしても、想像をめぐらすことはおもしろいかと思います。 私は井戸茶碗を写真で見ることくらいしかできませんが、現代の井戸茶碗「写し」をいくつか使ってみますと、とってもいい感じですし、心が和む器だと感じます。 でも、長次郎の黒茶碗を見ますと、利休は「心和む」茶碗を求めたのでは「ない」と、(根拠の無い)確信を…

  • 茶の湯の心と形(12)

    茶碗を写真で見るとかテレビで見ても、どの程度知ることができるか疑問です。 展示されているのを見たらもっとわかるかと言えば、例えばガラス越しに見たくらいでは、よくわかるとは言えないなあと感じます。 たとえば、長次郎の黒茶碗が展示されているのを見たことがありますけど、「存在感」が感じられていいんですけど、「ガラス越しに」見ますから、よく見たという感じではありませんでした。 さて、写真やテレビで見ることには長所もありまして、いろんな角度から撮影されている場合は、各部分が見えていいですね。 展示では見えにくい高台の周辺とか、畳付や高台裏が見えるのも、写真やテレビの良い点だと思います。 さて、長次郎の黒…

  • 変化してきた茶の湯(12)

    前回、三島、刷毛目、粉引(韓国が日本統治下だった昭和の時代に、それらの器は「粉粧灰青沙器」と学術名がつけられました)について書きましたけど、技術の面では高麗青磁や李朝白磁に比べて低レベルです。 でも、製造技術の優劣とは関係なく、茶人はそれらの器にすばらしい「美」を見出したんですね。 次に楽焼なんですけど、「わざと」ですね、轆轤を使わないで成形してますね、進歩した作陶技術が世の中にあったにも関わらずです。 私はそこのところ、あまりにも軽く考え過ぎていたと省察しています。 実は楽茶碗の制作技法って、「心理的には」革新どころか前衛でして、革新も前衛も「今のものを変えていく」ことでしょうが、「轆轤を使…

  • 変化してきた茶の湯(11)

    高麗青磁から李朝白磁に代わる過渡期に、白色の装飾を施したり、「白く見えるように」工夫された器がつくられ、室町時代末から桃山時代にたくさん輸入されたと言います。 三島、刷毛目、粉引などで、白い化粧土の使い方がそれぞれ異なるんですけど、高麗青磁と同じ高度な技術で念入りにつくったというわけではありませんから、使っているうちに染みや汚れ、剥離などが生じるのはやむをえないことですね。 特に粉引は、器の形にした粘土の素地が生乾きのうちに、白化粧土の液に浸して白くしますけど、長く使ううちに、表面を覆う釉薬の小穴などから液体が染み込み、いわゆる「雨漏り」となって汚くなるわけでして、でも、そういう「雨漏り」の汚…

  • 変化してきた茶の湯(10)

    前回書いた珠光茶碗ですけど、今に伝わるものの一つに「初花」があって、テレビで見たことがあります。 「端正」とはまるで反対、作者が楽しく遊んでつくってるような雰囲気があると思いました。 しかしそれ、「青磁としては粗末」だからこそ、遊んでつくれるのかなあと思いますけど、そういうところを珠光は気に入ったのかも知れませんね。 さて、利休も珠光茶碗の一つを持ってたんですが、今の貨幣価値で言えば5千万円程度で、三好家の武将に譲ったということです。 その話で私が言いたいのは、茶道具の工芸的価値、美術的価値とは異なる「茶の湯における価値」が成立してるということです。 ところで、葉茶壷のことですが、納屋助左衛門…

  • 変化してきた茶の湯(9)

    「道具をそろえる」ことが茶の湯の必須条件ではない・・・みたいなこと、前回書きましたけど、もっと言えば、「立派な道具」でなければ「楽しめない」ということでもないってことでしょうね。 それで、楽焼はまさに「前衛」だったと思うんですが、でも、そういう流れって、利休から百年前、珠光の時から始まっていたかなあと思います。 室町将軍の頃、茶碗は天目と青磁で、天目なら曜変、油滴、青磁なら龍泉窯のが珍重されたのは当然ですけど、同じ天目にしても、珠光は評価の劣る灰被天目や黄天目を好んだと言いますし、今に伝えられているいくつかの珠光青磁茶碗は、龍泉窯のある浙江省ではなく、今の福建省あたりで焼かれた「青磁としては粗…

  • 茶の湯の心と形(11)

    お茶をするなら、ちゃんと道具を整えなくっちゃ ・ ・ ・ と思ってた私ですが、その考えに疑問符がついちゃいました。 あの、全く道具類がそろってないんですけど、すばらしく良い雰囲気で茶の湯が行われている写真を見ちゃったからでして、その写真の一部だけ下に載せます。 亭主の左側に写っている家具の名称を知らないんですけど、「壁に寄せて設置するようにつくられた」長火鉢みたいに、私からは見えます。 そこに鉄瓶がかけられてます。 亭主の前に茶碗が二つありまして、その向こうに蓋置、鉄瓶の蓋、茶巾が一塊で置いてあります。 そして、茶器と茶筅がくっつくくらい近づけて置かれてますけど、その茶器、もしかしたら抹茶が入…

  • 茶の湯の心と形(10)

    びっくりするくらい雰囲気がすばらしい茶の湯の場面を写真で見ました。 「いいなあ!」って思いましたね、心から。 ああ、そんなふうにできたらなあ ・ ・ ・ と、思わず憧憬の気持ちが起こりました。 ところがです、それは「茶の湯の場」ではありますけど、茶室ではなく普通の和室なんです。 ガラス戸の外に緑が見えまして、風炉の季節だということがわかるんですけど、風炉も釜も見当たりません。 風炉先屏風もありません。 そればかりではなく、茶を点てている人の前には、水指も見当たりません。 これ、情況がすごいんです。 私が「必要だ」と「思い込んでいた」道具類が無いんです。 それなのに、というか、それにもかかわらず…

  • 変化してきた茶の湯(8)

    茶の湯は食事や茶を飲む日常的な行為を儀式化したものと考えることができるかもしれませんね。 でもその「儀式」ってのは「たいへんなもの」で、つまり、「気苦労が伴う」ってことです。 あの、食事とかお茶って「楽しめる」のが一番なのに、それが「儀式」となったら、「楽しむどころではない」ことになっちゃうと思いますが、昔京都においでになった頃の天皇は、とにかく食事そのものが「儀式」なんですから、その苦労はいかばかりかと想像します。 天皇は日本の国を統べる立場ですから、「全国の食材」が調理されて並んだそうですが、盛り付けがまた「食欲をそそる」のとは正反対だと感じられますネ、私の感覚では。 とにかく、食事を楽し…

  • 変化してきた茶の湯(7)

    「安心して」茶を楽しめるなんて、戦国時代の武将などにとっては得難いひと時だったのかなあ ・ ・ ・ なんて想像します。 なにしろ政治の世界では、要人が常に身の危険にさらされてるって、今も昔も全世界で変わらないことですし、特に飲食物には「毒が仕込まれてる」可能性がありますからね。 ところで、話題にしてきた古流の本格的な台子点前ってどんなのか、想像もできないんですけど、まあ、一種の「儀式」だったろうと想像します。 で、そういう儀式は「必要性があった」からこそ成立したと思うんですが、その必要性って? まずは別の話から始めますが、無料有料に関わらず「誰でも参加できる」茶会には、私は「安心して」参加でき…

  • 変化してきた茶の湯(6)

    天目台の羽に湯を一滴こぼした ・ ・ ・ という今井宗久の失策は「世間の評判」になったと桑田忠親が書いています。 それで、宗久の「弟子がぐっと減っちゃった」というんです。 「それまで宗久の所へお茶を習いに行った者が、みんな利休のほうへ行っちゃった」と付け加えています。 それで、私の感想ですが、11日に書きましたように、秀吉は利休の台子点前をインチキだというふうに言ったわけで、でも、それにもかかわらずですね、その「インチキ点前」を許してるわけです。 利休のほうも、「略してござる」などと、「秀吉の求めには応じていない」ことを明言してるんですね、「古流の本格的な台子点前」を見せるように仰せつけられて…

  • 変化してきた茶の湯(5)

    今井宗久の台子点前の話を9月12日に書くはずだったんですが、都合で今日になってしまいました。 古流の本格的な台子点前を、秀吉の前で始めた宗久ですが、「手に震えがきた」と桑田忠親の本に書いてあります。 「釜から汲みあげた柄杓の湯を天目茶碗に注ぎ入れようとしたとたんに、ひとしずく、ぽたっと、熱湯がこぼれた。 それが、漆塗りの天目台の縁に落ちた。」 さて、それでどうなったかは次回に書きますが、「たったそればっかりのこと」なんですけどねえ。 私が思いますに、古流の本格的な台子点前というようなものが行われなくなるのには、それ相応の理由があるだろうってことです。 ちなみに、石州流奥義書というのをちょっと見…

  • 茶の湯の心と形(9)

    茶の湯にとって、「外面だけ見て」の是非善悪ジャッジや優劣評価は有害だと思いまして、そういうことは書きたい内容ではありますが、長文を要しますし、今回書きたいのは点前中に起きたアクシデントへの対応策ですから、今日はそのことについて続きを書きます。 どんなアクシデントだったかは何度も書きましたから省略しまして、当事者のお嬢さんの「冷静な」態度と比較して、家元は「あわてふためいている」ように「見える」んですね、一見。 あの、そこのところが肝要でして、実は「そんなふうに見せている」神対応なんですね。 なぜ神対応かと言えば、主催者側の誰にも、そして客側の誰にも「気遣いさせずに」、「気兼ねなく」アクシデント…

  • 茶の湯の心と形(8)

    点前中に突然建水が壊れ、水が流れた ・ ・ ・ 時、最悪の対処法は、正客が泰然自若としていることだと思います。 そして、正客の社会的地位が高ければ高いほど、事態がさらに深刻化しますね。 なぜか? 正客が「ご立派な態度」ですと、次客以下はもちろん茶会の主催者側も、その「ご立派さ」に同調することになるでしょう、茶席における暗黙の了解事項としてですね。 蛇足ですが、上記「ご立派」と表現した意味は、「表面的には」立派と賛美しながら、「実は」けなす気持ちを伝えたかったンです。 お家元が正客でしたら、もう当然、その会に集う全員が「見習うべき範」そのものですからね、たとえば「茶の心」とか何とか言っても、その…

  • 茶の湯の心と形(7)

    親密な人ばかり二三人にお茶を差し上げる場合と違い、大勢の前で茶を点てるとか、特に社会的地位が高い方々にお茶を差し上げる場では、緊張するのも当然でしょうね、利休を客として上林竹庵が点前をした時、すっかり上がってしまい、茶杓を落としたり茶筅を倒したり、散々だったという話が残ってるくらいですから。 さて、前回に続き、点前中にアクシデントが起きたお嬢さんの話ですけど、父君から「今日のこの光栄は一生に一度と思い、命がけでせよ」と言われていたそうですし、その上、正客がお家元だったんですから、たいへんなプレッシャーだったと想像します。 私は ・ ・ ・ ですねェ、誰が何を言わなくても激しい緊張を伴うシチュエ…

  • 茶の湯の心と形(6)

    エリザベス女王に今の大宗匠が桂離宮で野点を行い、お茶を差し上げたのは昭和50年だったそうで、その映像も見ることができますね。 ところで、将軍足利義教は後花園天皇から病気見舞にお茶と(1)茶入、(2)茶碗、(3)水指を賜りましたので、義教の全快祝儀で後花園天皇が行幸の折、それを三種極真に飾ってお茶を献じた話、前に書きましたけど、今の言葉では「接待イベント」 ・ ・ ・ と言ったところでしょうかねェ? それで、「祝儀供応」と古書にありますが、そういうタイプの茶会って、室町時代からのものだと知りまして、それは、侘茶が個人的に行われるのとは全く異なり、「集団の力」で組織的に運営されるという特色があると…

  • 茶の湯の心と形(5)

    振袖のお嬢さんが点前中に、パンという音がして木地曲建水がはじけました。仙叟宗室250年忌茶会の時の話で、建水は一文字に伸び、水が流れたそうですが、「点前の令嬢は微動だもせず点前をつづけられた」ということです。 それで、「振袖姿のお点前は袖一つよけず茶を点てられた」というその姿に、次客の「前田旧侯爵も流石に茶道の修行の深さに感嘆の声を洩らされた」と濱本宗俊が書いてます。 「後で父君にいうと」と書いてあるのは、濱本宗俊が言ったのかどうかわかりませんが、「何も仕込んではおりませんが、ただ今日のこの光栄は一生に一度と思い命がけでせよと申しただけで、当然のことでございます。との言葉だった」と記してあるこ…

  • 変化してきた茶の湯(4)

    昭和23年4月に金沢で行われた仙叟宗室250年忌茶会のことが、濱本宗俊の本に書いてあります。 支部長席に回った時の正客は淡々斎家元、次客が加賀前田家17代当主、筆者の濱本宗俊はずっと末席だったそうです。 さて、旧ソ連からの引揚船が初めて舞鶴港に入ったのが昭和25年、「岸壁の母」の話はそれ以降のことですし、昭和23年といえば、東京には、空襲の焼け跡が原っぱとなって残ってた時代ですね。 金沢は米軍の空襲計画に入ってたんですけど、実行前に終戦となりましたので、茶会もできたんでしょうかね。 そういう戦後間もなくの時代ですが、点前は振袖のお嬢さんだったそうで、すばらしい「晴れ舞台」だったろうと思います。…

  • 変化してきた茶の湯(3)

    茶の湯は、一座の人々と、ただこのように「いっしょに居るだけで楽しい」という心境が一番だと思う私です。 ・ ・ ・ が、そのことはひとまず置いときまして、前回書いた将軍義政の台子点前にも関連しますけど、室町時代の台子点前はとにかくたいへんだったみたいですね。 「威厳」が演出されて、「キチンとした」点前が「キチンとした」服装で行われたのかなあと想像する私ですが、利休の逸話にはビックリするようなことがいろいろあります。 その一つですが、古流の本格的な台子点前をやってみせろと秀吉が命じまして、それを得意とする今井宗久と、手順を忘れちゃった利休が、秀吉の前で点前を披露することになったという話がありますけ…

  • 茶の湯の心と形(4)

    あるお家元の感想ですが、 「皆さんがあまりにお茶のことを堅く深刻に考え過ぎておられるように見える」 ・ ・ ・ んだそうです。 でも、「堅く」しなきゃいいとか、「深刻に」ならなきゃいいってことにはなりませんね。 なぜかと言いますと、「だらける」態度をされたり「のんき」に構えられたりでは、「おもしろみ」が減っちゃうからなんです。 アノ、例えは悪いですけど、「賭け」をするとゲームに「熱中」どころか「必死」になれて刺激的だというので、「おもしろみを増すため」にわざと「賭けて」ゲームをする人もいるようですけど、賭けは私の性分に合わないからしたことありませんが、そうですねえ「キチンとする」とか「大切にす…

  • 茶の湯の心と形(3)

    秀吉がある雪の夜、「今、釜を掛けている者がいるだろうか?」と利休に尋ねましたので、「針屋宗春が釜を掛けているでしょう」とお答えしましたら、秀吉は即刻針屋宗春のところに赴き、お茶を召し上がったという話があります。 (以下、参考まで ・ ・ ・ 「秀吉公或雪の夜、利休か侍座せしに、今よひ町に茶の湯すへきものハ誰そと御たつねあり、上立売に針屋か仕り侯ハんと申上る、左あらハ汝をつれて御成あらんとて、即剋御成ありし」。) その針屋宗春について書いた本には、「ろく」という言葉が何度も出てくるそうで、「ろく」というのは前回書きましたように、「楽にする」という意味ですから、利休の頃にも、茶席が「緊張の場」とし…

  • 茶の湯の心と形(2)

    「いっしょに心地良いひと時を過ごしたい」っていうのが、私の願いですね。 それで、居心地が悪くなるような要素は除きたいです。 さて私は、茶の湯がとっても好きですけど、足が痛くなることがあって困りものです。 そして、若い人や、もっと弱年の小中学生なんかは、「正座」が嫌だから茶の湯を避けちゃうってことも多いかなあと、心が痛みます。 ・ ・ ・ が、茶の湯でずっと座ってきた人でも、年齢を重ねて足が痛くなり、茶の湯ができないなんてことを聞きますと、もっと心が痛みますね。 それで、ある記事を見ましたので引用します。 ________________ 年を取って正座が難しくなっても茶の湯を楽しんでもらおうと…

  • 茶の湯の心と形(1)

    映画「日日是好日」の中に、ヒロインの典子が柄杓を蓋置に引いて礼をする場面があります。 お客の役をしている美智子も礼をします。 もちろん、「先生に言われたから」そのとおりにするんです。 「言われたからそのとおり」というのでは、「主体性がない」というような批判は、私はしません。 と言うより、茶の湯にはなぜそうするか「わからない」ことって、数多くあるんですよね。 でも、「なんだかわからない」けど、そうしてみると「気持ちいい」し、「心にかなう」ってことがいっぱいある私です。 例えば盃事の時、八寸盆の正面を客に向けてすすめますが、客は菜を取らず、盆の正面を亭主に向け直して返しちゃうという、見方によっては…

  • 変化してきた茶の湯(2)

    前回、総礼のことにちょっとだけ触れましたが、今日はもう少し書いてみます。 亭主が柄杓を蓋置に引いたら総礼 ・ ・ ・ という形が多く見られると思いますが、いくつかの流派では、薄茶でその総礼が行われませんね。 そういう流派の一つに属する浜本宗俊が、おおよそ次のように書いてるので、概要だけ紹介します。 玄々斎は画期的な改めをされた。 薄茶点前で、柄杓を引いて総礼するのを省略されたことである。 それでわかることですが、「元々は」柄杓を引いたら総礼ということだったんでしょうね。 だから納得いくことですが、その流派では花月を行う時、薄茶でも初花が柄杓を蓋置に引いた後、総礼になりますから、古態がそのまま残…

  • 変化してきた茶の湯(1)

    前回、「言葉で伝える」ことには、正確性において限界があることを書きましたけど、割稽古ばかりに終始すると、いつの間にかそのやり方が定着しちゃうこともあるかなあなんて思いましたから、ちょっと書きます。 濃茶や薄茶を「それだけ分離」して「割稽古」として行う場合、流儀によっては、濃茶の茶碗を運び出す時に「茶道口で一礼」、また、薄茶で水指を運び出す時、あるいは、水指が飾ってあるなら茶碗を運び出す時に「茶道口で一礼」が行われます。 しかしそういうスタイルは、一応、稽古としての「形をつける」ため、便宜的にしているだけのことでして、そういう「稽古専用の型」ばっかり繰り返していると、点前の始まりと終わりには茶道…

  • 言葉は不便で不十分

    高田好胤のことを書いた高田都耶子の本に、高田好胤が都耶子の母に初めて会った時の話が紹介されてます。 修学旅行で薬師寺に来ていた都耶子の母は、その時18歳、写真を撮っていた彼女に、高田好胤は声を掛けました。 「カメラを撮るような女は嫌いだ。人の影が薄くなる。」 後日、高田好胤は、修学旅行を引率した先生に宛てた手紙の中に、「田中雅子様」と、彼女宛のラブレターを入れたそうです。 だから、彼女のことを「嫌いだ」と言ったのは、全く彼の本心とは「正反対」の表現だったわけですね。 ・ ・ ・ 言葉は難しい。 「事実」が、言葉で表現されたとおりでないことがいっぱいあるし、そんなことはありふれていると思うからで…

  • その人間「丸出し」

    高田都耶子の本に、父、高田好胤が、定期的にテレビに出演するようになった時の姿が書いてあります。 とにかく、「マイペース」だったと言います。 進行を指示するフロアディレクターの言うことでも、「意に沿わないこと」は無視していたんだそうです。 また、「急いでください」の合図を受けた時でも、言い足りないことがあれば、「もう少しお話ししましょう」なんて、平気で実行してたそうです。 その話を読んで、私は感銘を受けました。 とにかくフロアディレクターってのは、軍隊だったら指揮官でしょうから、逆らうとか無視するなんて、とんでもないと思います。 でも、高田好胤の一念は、視聴者に「伝えたい」思い120%であって、…

  • 茶人さまざま(4)

    今回も松永耳庵の話題です。 十文字学園女子大学の池間里代子氏が、松永耳庵の「点前」に関することについて、おおよそ、次のように書いてますから紹介します。 耳庵は、点前について「一応」は習ったんだそうです。 でも「面倒だから」というわけで忘れてしまい、結局「自分流」に点てたそうです。 そのため、その時々で「点前の順序が変わる」ことにもなり、客から「無勝手流かい?」と問われると、「日々変わるから、毎日流さ」と言ったそうです。 古新聞の上に薬缶を置いたこともあるそうでして、その写真も掲載されてますが、畳の上に折りたたんだ新聞紙を敷き、その上に薬缶を載せ、耳庵が茶筅を振っている写真なんです。 それで、風…

  • 茶人さまざま(3)

    前回に続いて、今日は松永耳庵に関してです。 テレビ番組で、強羅公園元園長の田代道禰氏が、白雲洞茶苑を案内しながら次のように言ってました。 「その中で、お茶を習ったのは鈍翁だけなんです。 あとの二人はお茶ってのを習ったことがない。 それでいて大茶人ですけれど。」 なお、「その中で」と言ってるのは、益田孝(鈍翁)、原富太郎(三渓)、松永安左エ門(耳庵)の三人の中で ・ ・ ・ ということです。 そして、田代道禰氏が、原富太郎と松永安左エ門は点前を習ってないというような意味のことを言ってるのは、そのとおりだと思います。 ・ ・ ・ が、松永耳庵については次回に、仔細はどうだったのか、ちょっと触れてみ…

  • 茶人さまざま(2)

    前回の続きですが、桑田忠親は、松永安左エ門の別荘だった柳瀬荘の入り口にある番小屋に疎開していたそうでして、柳瀬荘には長屋門があるんですけど、その長屋門のことだろうかと疑問ではありますが、確かめてはいません。 それで、桑田忠親は松永安左エ門の茶事にしばしば招かれたということが、臼井史朗の本に書いてあります。 前回書きましたように、松永安左エ門は桑田忠親の本をちょっと批判したわけですけど、それは、桑田忠親を大いに認めていたからだと、私は思います。 さて、桑田忠親の回顧には、次のように書いてあるそうです。 「人間の世界には、人々が生存のために競争したり、戦争をしあったりする、いわゆるこの俗世界のほか…

  • 茶人さまざま(1)

    茶の湯について、桑田忠親の本に「最も重んぜられるのは、人と人との温かい心のかよいであり、なごやかな、静かな雰囲気」云々と書いてありまして、私は大いに賛成です。 でも、茶の湯に求めるものは人によって異なりますから、「茶道の玄旨」や「和敬清寂の法」を尊び、一期一会の心境を重視する方だと「私からは見える」久松真一には、叱られてしまいますね、私のような軟弱者は。 桑田忠親は昭和2年に東京帝国大学史料編纂所に「嘱託」として勤め始め、昭和17年に「千利休」を刊行したそうですが、松永安左エ門がその本を読み、批判したこともあったようです。 それで、以下は臼井史朗の本に紹介されている桑田忠親の回想です。 「利休…

  • 茶の湯は融和の実現

    数百年も茶の湯が続いてきたのは、「好む人」がいたからだろうと、私は思います。 でも、茶の湯が好きな理由って、人それぞれでしょうね。 私の場合、人に対する好意や敬意をストレートに表現できるツールが茶の湯だと考えています。 何しろ、自ら料理して給仕し、自ら茶を点てて召し上がっていただくのですから、それは、敬慕の心を「形として」表現することであり、それ以外の何ものでもないと思うのです。 また、客は、その好意や温情を嬉しく受容する感謝の気持ちを、態度によって表すわけでして、つまり、「心」を「形」に変換する装置が茶の湯であると、私は考えます。 そんなわけで、心を「形」として視覚化する関係上、「見た目」に…

  • 日常的に楽しめる作法

    「日常茶飯」という言葉がありますけど、食事をしたりお茶を飲むという日常生活の一部分を切り取って、「茶の湯」という「楽しみ」に仕立て上げたってことは、すばらしい工夫だと思います。 なにしろ、平凡な日常の一端を芸道に高めたのですから、すごいなあと感じます。 そして、茶の作法というのは、日常生活での「心地良いやり方」を定式化したもので、まあ、一種のルーチンワークみたいに考えることもできるんじゃないでしょうか。 それで、茶の湯の作法と日常の立ち居振る舞いって、オーバーラップする部分も多いと感じることでして、それを極論すれば、日常生活でも茶の湯でも、気持や所作が同じようであれば「心地良く、心にかなう」こ…

  • 権威に服従する利害得失

    山上宗二は打ち首にされ、 掃部頭瀬田正忠は豊臣秀次切腹時に処刑され、 利休は切腹、 古田重然も切腹、 ・ ・ ・ 権力者に仕えるのは命がけだった時代もありました。 戦国時代は人の命が重視されてませんでしたけど、戦中だってねェ。 さて、権力者というものは、する事やる事「すべてが正しい」んですよね。 なぜなら、仮に間違ったり失敗したとしても、(1)部下がミスったことにできるし、(2)居直って、そもそもミステイクではなく、新基軸であると、新たな規範にしちゃうことだってできるわけです。 「新しい試み」について言えば、「前衛」のように激烈なものだって、権威を背景に標準とされるようになったりするわけで、茶…

  • 「決められてる」から好い

    「制約を受ける」より「自由」が良いというのは、特定の場面にはあてはまりますけど、全面的にそうだとは言えないと思います 世の中には、「規制されてる」からこそ安心して生きられる情況もありまして、例えば刑法で犯罪を防ごうとする社会のほうが、無法地帯より安心できるようなものです。 茶の湯では客の作法が決まってますから、私の場合は客になった時、とても安心できますネ。 正客はともかく、連客は何もしゃべらず、型どおりのことをしてるだけで「楽しいひととき」を共に過ごすことができるからです。 「しゃべらなくていい」んだし、「決まった所作さえしてればいい」んですから、話題が途切れて気まずくなるとか、どういう態度を…

  • 映画「日日是好日」(1)

    夏目漱石が小説の中で「煩瑣な規則」と書いている茶の湯の「決まり事」ですが、映画「日日是好日」の中に、かわいそうなシーンがありました。 「典子さん、今日は竹の蓋置でいいですか?」 そんなふうに聞かれて、ヒロインの典子は答えます。 「いいと思います。」 すると、いっしょに水屋に居た人がびっくりします。 「エッ! 今日は棚に飾るんだから、蓋置は焼物じゃないの?」 あのゥ、うっかりするとか間違っちゃうって、誰にでもあることなんですよね。 私なんか、勘違いや不調法、粗相の類は日常茶飯です。 まあ、典子にすれば、ミスしちゃったのでちょっと動揺し、こんなふうに言います。 「ああ、そうでした。 ごめんなさい。…

  • TVドラマ「あんどーなつ」(7)

    今回もテレビドラマ「あんどーなつ」第11話に関してですが、町内の人々が集まってお月見が行われます。 お供えも立派なものでした。 ただ、ドラマでの供え方は、お月様に向けるべき正面を、人々が集う部屋のほうに向けてるんじゃないかなあ ・ ・ ・ と違和感は持ちましたけど、でも、どんな並べ方や向きにするかは、イヤァ、「昔の風俗」を再現展示している博物館等でも、実は、マチマチなのが実情でしょうからね。 それで一応、江戸の場合が描かれたものではどうなってるか、参考までに掲載してみます。 さて、雛人形の男雛、女雛の左右だって、明治以降一定しなくなりましたから、正誤の視点を離れて対応するのがいいかなあと思われ…

  • TVドラマ「あんどーなつ」(6)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第11話に、竹蔵が葛生地で餡を包むシーンがあります。 ヒロインの奈津は竹蔵の手子を務め、葛生地を渡すんですけど、受け渡しのタイミングが合いません。 それで、「息を合わせる」練習をするわけですが、その「息が合う」ってこと、茶の湯では一番大切かなあと、私は思います。 主客一同、息が合うって、私は一番すばらしいことだし、最高に楽しいことだと思っています。 息が合うんですから、当然、心が通ってるわけでして、まさにそういう人間関係を求めるからこそ、私は茶の湯をしていると言っても過言ではありません。

  • TVドラマ「あんどーなつ」(5)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第10話で、菓子職人の竹蔵がお茶の先生を訪問します。 注文を受けた稽古用の菓子を届けるのですが、先生にご挨拶も兼ねています。 その彼が袴姿でしたから、「あらら」と思いました。 ずいぶん気合が入ってますねェ。 そして、緊張もすごいようです。 「このたびは大役を仰せつかり、まことにありがとうございます」と深くお辞儀します。 先生から、稽古用の菓子づくりを任されたからです。 さらに、彼のつくった菓子を先生が褒めますと、竹蔵は後ずさりして平伏し、「ハハッ、かたじけのうございます。」 そのシーンを見て笑っちゃいましたね、私は。 ドラマの中では先生も笑ってまして、彼にこう言いま…

  • TVドラマ「あんどーなつ」(4)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第9話ですが、和菓子職人新人技能コンテストに出場する奈津が、ヘラ菊の技を練習します。 親方は、奈津が作ったのを見て「ダメ」だと言うんです。 そして、「こさえながら、ちゃんと食べる人の顔を思い浮かべたか?」と聞きます。 さらに、「コンテストの審査員に褒められてるとこ、想像してたんじゃねえか」って言うんです。 ・ ・ ・ まあ、フィクションの世界ですからそういうセリフで表現するんでしょうけど、脚本家が言いたいことは理解できますね。 そして、同じことは、茶の湯でも言えると思うことです。

  • TVドラマ「あんどーなつ」(3)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第3話で、ヒロイン奈津が、お茶の稽古を見学に行きます。 部屋に入ると、携帯電話で話してる人が居まして、先生はその人を叱り、稽古が始まる前でしたけど、帰してしまいました。 いきなりそのシーンを見ましたから、「何とおっかない先生だろう」と思いました。 ・・・が、その後、奈津とお話しする時の先生は優しかったです。 「あんどーなつ」は漫画をテレビドラマ化したものだからでしょうか、現実離れしたストーリー展開もありまして、でも実際、お茶の先生の中には、厳しかったり「おっかない」先生もいるみたいですね。 さて、日露戦争の講和(ポーツマス条約)翌年に書かれた小説に、茶人のことが書い…

  • 「食べ合わせ」で思うこと

    季節柄、スイカを「出されたら」食べますけど、食べたいと「求める気持ち」はない私です。 それよりも、スイカと聞いたら「食べ合わせ」を連想しちゃいますね。 昔は「食い合わせ」あるいは「食べ合わせ」ということが盛んに言われてまして、そんなことを話題にしない現代とは大違いだったと思います。 8月15日に書いた林利左衛門の本ですが、「茶の湯の料理は古来から言ひ伝へて居る喰ひ合せに注意します」と書いてあり、「ああ、昔だなア・・・」って感じました。 スイカに関して言えば、本では蕎麦との組み合わせが挙げられてましたけど、懐石料理の食材として使われるとすれば、奈良漬として香の物にはなりますけど、それ以外、懐石料…

  • 季節感が鈍い私

    昔は、「その季節でなければ得られない」食材がありましたけど、今は、保存の技術が進みましたから、一年中いつでも食べることができる食材がいろいろで、結果として、季節感は薄れると思う私です。 そうなりますと、季節に関係なく「おいしいものはおいしい」ということで、季節感のある食事ってことは、普段、「考えてない」私です。 食材ばかりでなく、「季節を楽しむ」ことに関しても、今の私は「夏を楽しむ」余裕なんかありませんで、「酷暑を乗り切る」だけで精一杯です。去年もひどい暑さでしたけど、今年は輪をかけて猛暑ですからね。 14日のブログに「蒸し茄子」のことを書きましたけど、その茄子は自家栽培ですから、旬と言えばま…

  • とても繊細な干菓子

    宮城県大河原町の「晒よし飴」をもらって食べたのは、何年も前のことです。何と「はかない」菓子なんだ!・ ・ ・ と、食べた時にビックリしました。また、その「儚さ」とは正反対に、強く印象に残った干菓子でした。食べたのはその一度きりですけど、「もう一度食べてみたい」です。 寒い季節につくるそうでして、衝撃を与えたり、高温、多湿の場所に置いてはダメみたいなことが書いてあったと思います。缶を開けてみると、緩衝材(食べられます)で保護されてまして、見た目が「霜を膜状に加工して巻いた」みたいな菓子でしたから、盛夏に食べたらおもしろいだろう ・ ・ ・ って空想しましたけど、夏は多湿でもあるし、どうなんでしょ…

  • 昔のフリーズドライ

    「全国の有名な和菓子」というWebサイトに「凍み餅」が出てまして、「和菓子」にもなってるのかという感想でした。 凍み餅は、「干し餅」などいろんな名称があり、自然凍結・自然乾燥の方法で、昔から東北地方や信越地方でつくられ、私は「保存食」としての凍み餅しか知りませんでした。それで、「保存食」としての凍み餅は食べたことがあるんですけど、おいしくなかったですね。 「菓子としての」凍み餅は、「厳寒期につくる」ものを酷暑の時に食べるってとこがいいんでしょうねェ。「生産できる時期と正反対の季節」に食べることで災厄を除くという考え方もあって、だから「冬至カボチャ」もそうだという説もありますね。 でも、「説」と…

  • 三番出汁

    林利左衛門の本に、出汁の引き方が書いてあります。昆布とかつお削り節の出汁なんですが、何と何と、「三番出汁」まで取るというのでビックリしました。 一番出汁を煮物、清汁に使うのは当然として、二番出汁は「煮つけ用とします」と書いてあります。で、三番出汁なんですけど、「味噌汁の材料とします」と書いてありました。 私は毎日飲む日常の清汁、味噌汁用に出汁を取りますが、「安価な」昆布とかつお削り節を使ってますから、二番出汁を取った後の昆布や削り節は、もう、味が「無いに等しい」ですね。ですから、私が使う材料では、三番出汁は不可能です。 その本、初版が昭和14年で、私が持ってるのは終戦1年後、昭和21年8月15…

  • 貧しいメニュー

    「食事は飢えぬほどにてたる事なり」が「利休の言葉かどうか」、真相はわかりませんが、そう「思いたい」人や「信じたい」人がいたってことは言えるでしょう。 今年も夏があんまり暑くて、火を使う調理はしたくないし、何より「手抜き」料理だと「手軽でいい」ので、例えば電子レンジでつくる「蒸し茄子」を味噌汁の具にしたり、酢味噌で食べたりしています。でも、長所もありまして、「味付けしない」で加熱するだけなので、「茄子本来の味」が楽しめるってことは言えますね。 ジャガイモも「味付け無し」でレンジ加熱し、味噌汁の具にしますけど、私は具材を煮込み、最後に味噌を入れる方法をとりませんで、具材を椀に入れ、そこに、今の季節…

  • TVドラマ「あんどーなつ」(2)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第四話に鰻屋が登場しました。鰻屋の主人は、自分の店で生涯、鰻を焼く人生でしょうね。一方、ヒロインが勤める和菓子店の親方は腕のいい職人で、彼も一生、和菓子づくりで生きていくと思います。 ところで、そういう生き方を、世間の人々はどう思うんでしょうか?人の価値観は千差万別ですから、中には、「つまんない人生」と感じる人も多いかと思います。 アノ、私の偏見では ・ ・ ・ って前置きは変ですけどネ、そんなふうにことわって書き始める理由は、以下、自論を正当化し、異論を批判する発言なので、私の発言に反発する方々にお詫びするためなんですけど、私が言いたいことは、他人の人生を「つまん…

  • TVドラマ「あんどーなつ」(1)

    テレビドラマ「あんどーなつ」第三話を見ました。大学茶道部からの注文を受け、菓子職人の竹蔵は茶会用の生菓子をつくることになりました。彼にとって「初めて」の新作菓子なんです。苦闘の末「彼独自の」、線香花火をモチーフにした菓子ができたんですけど、「彼独自の」というところがよかったです。 さて、隅田川の花火大会を見たことがない私ですけど、すばらしくみごとな花火があがるんでしょうねェ。ところが竹蔵の技量では、花火大会を彩る花火に例えられるような菓子は、つくることができません。 結局、彼が作ったのは上記の菓子だったんですが、私はたいへん好ましく思いました。まさに「彼自身」そのものと言える菓子だったからです…

  • 扇子は昔から? (2)

    扇子は茶の湯に「役立つ」道具だったからこそ、客の持ち物として定着してきたんだろうと想像した私でした。 他の例で言えば「正座」もですね、茶会で普通になってきたのは江戸時代後半以降かも知れませんけど、私は正座って、茶の湯にすごく適した面があると思ってまして、でも、そのことに触れると話が広がりすぎますから、今回は書くのを割愛します。 さて、扇子を使うようになった理由ですけど、私は、茶の湯の目的に「ぴったり」合致する性質があったからだろうと思っています。 何しろ、相手を尊重し、敬する心を「形で表現する」ためには、扇子がまさにうってつけの道具で、だからこそ、茶の湯以外でも、挨拶の場で使われるんだと思いま…

  • 扇子は昔から? (1)

    人には「思い込み」っていうものがあると、扇子のことで実感しました。茶を習い始めた時、扇子は「必須の道具」と言われ、それ以来、常に携帯して稽古してますから、扇子を持つのは「あたりまえ」だと、無意識のうちに思っちゃってたんですね。 ですから、江戸時代初め頃の話にビックリしてしました。ある宗匠の茶会で客は武士四人、濃茶の後で広間に移り、薄茶を飲みながら、ゆったりと茶の湯談議が行われたというんです。なお、「茶の湯談議」というのは、今で言う「茶の稽古」だったそうでして、現代の指導風景とは全く違うってことを知りました。 その場で一人の客が、宗匠にこんな質問をしたそうです(現代語訳)。「扇は、茶室に持って入…

  • 茶入の口を拭かなくても

    前回に続けて茶入の話ですが、拝見を乞われて茶入を出す時、茶入の口を「拭きます」けど、理由は「そう習ったから」なんですね、私の場合。もちろん、「なぜ拭くのか」は、言われなくてもわかっている「つもり」でした。 ところが、袱紗で茶入を拭いた後のことですけど、あるお家元によれば「蓋をとってみて、もし汚れていなければそのまま袱紗を下に置き、蓋をしてもよろしい」っていうんです。それで私は、とてもビックリしました。 そして、最初に茶入を清める時と、拝見を所望されて出す時とでは、「何がどんなふうに違うんだろう?」ってことを考えてみる必要があると思いました。また、薄茶だったら茶器の口を拭いて出しますけど、濃茶で…

  • 袋無しで茶入を使う

    茶道具にはランキングというか、格付けみたいのがあって、例えば茶入はランクによって違う扱いをしたり、茶器を濃茶に使う場合は袋に入れ、しかも、袋の扱いが茶入の時とは異なるとか、まあそんなわけで、濃茶に使う時は茶器ですら袋に入れる ・ ・ ・ わけですからねェ、当然、茶入を「袋無しで使う」なんて、思いもよりませんでした。 江戸時代の話ですけど、アノ、私は「江戸時代だから今と違う」という感覚がありませんで、何時代であれ、人の感性は同じと思ってますから、話を続けます。(1)夏に茶入を袋に入れずに使うことについて、「是ハ極暑ゆへ手前早くしまはむが為」と解説されているようです。 そ言ってる人が、次のようにも…

  • 見立てを躊躇したこと

    最上位の道具は茶壺だったそうですが、やがて茶入が取って代わるとか、掛物も重視される道具であるとか、まあ、時代により人により、扱いはさまざまでしょうけど、茶碗が茶入より下位というのは不変で、茶碗単独では床に上げることができないので、飾る場合は茶入を載せる下敷きの台として茶碗を使う ・ ・ ・ ことになるわけでしょうねえ。 でも、茶碗は「大切な道具」という意識が、稽古をしてるうちに自然と、無意識のうちにできちゃってるんでしょうか、無自覚だったけど、「茶碗を大事にする」感覚があった ・ ・ ・ と気づいた体験がありました。 江戸時代ですが、向付の器として「茶碗」を使った記録があり、「エーッ! 茶碗を…

  • 安心をめざしたい

    「鯛よりも目刺のうまさ知らざるや」 鈴木真砂女 駄洒落の表題ですみませんが、安心を「目刺し」「鯛」です。鈴木真砂女さんは著書に、「私は店では、一日中白い割烹着をつけている」と書いますけど、小料理屋経営でも一生懸命だったんですね。 真砂女さんの店で目刺を客に出していたかどうか知りませんが、たぶん、出してないからこそ、そんな句ができたのかなあ? ・ ・ ・ なんて想像しましたが、でも、目刺を出す飲食店や料理店って、ありますよね、「高価な」店であっても。 今日、目刺のことを書きますのは、江戸時代の茶会では、取肴に目刺が使われることがあったからです。江戸時代には、目刺はおかずとしても、また酒の肴として…

  • 居心地の良い空間

    今日は妙心寺の退蔵院に関してです。「かこい」と呼ばれているんでしょうか、手元の辞典(昭和50年発行)には「廊下の一部を囲って」と書かれてまして、人に知られないよう、「目立たない工夫をして」つくられた茶の湯の一角があるんですね。 「かこい」は、「高麗囲い」という語もあるように、「茶の湯の空間」を意味する言葉として古い時代から使われてるようですが、退蔵院の「かこい」を写真で見ますと、私の感覚では、茶の湯の空間として十分に満足できるように思われます。 そして私は、前回書いた「既白庵」よりも、この「かこい」のほうが好きなんですけど、なぜかということについては、今後書く機会があればと思います。 そしてさ…

  • 茶の湯は楽しい

    BS日テレの「春夏秋冬 ・・・ 京都物語 千年の都で禅を探す旅」を見ました。その番組で、妙心寺の桂春院に「既白庵茶室」があることを知りました。安楽島住職によりますと、妙心寺はとても修業が厳しくて、茶の湯、香、詩歌などは禁じられていた時代があったそうでして、その禁を破ると、ひどい時は入牢させられたという話も聞いていると、ご住職が語ってました。そのために既白庵は、その存在を「隠すように」建てられたんだそうです。 いやァ、すごいですねェ、茶室がいっぱいある茶面の大徳寺と比べますと、算盤面と言われた妙心寺って、まァ、だからこそ、日本最大の禅寺に発展することができたんでしょうか? 「そんなに茶道っていう…

  • 将来への夢と希望

    「折おりの茶趣」という本の中に、1月の席に「夢」の軸を掛ける取り合わせの例が出てました。具体的な取り合わせが示されてるんですけど、それの取り合わせ例は省略しまして、例示に先だって書かれている文章を、抜き書きで紹介します。 「若い人には明るい夢もふくらみます。 “大いなる夢” “ほのぼのとした夢” “将来にかける夢” と思われます。 それをテーマとしました。」と書いてあります。 「夢」が追善の茶会で使われていることを前提としながら、そういう風潮に束縛されない自由な発想 ・ ・ ・ というところがすばらしいと思いました。 最後に、「若い人の」明るい夢もあるでしょうけど、茶の湯って、年齢を重ねること…

  • 思考の飛躍と弊害

    「夢」の軸を掛けて亡くなった人を偲ぶことは、「ああ、なるほどなァ」ということで、範となるのも当然のことだろうと思います。 それで、「範を真似る」ところまでは、「良いことの伝播」であって、すばらしいことなんですけど、その後に問題が発生する事態に陥ったりすることも、あったりするかなァと思います。 たとえば思考の飛躍が生じて、そのうち、「夢」は「追悼の場で掛けられる」みたいに一般化されたり、さらに「追悼の場で掛けるのが決まり」みたいに定石化されちゃう ・ ・ ・ というところまでは、まだ害を生じないんですけど、先鋭化が進んで、追悼以外の場で「夢」を掛けたら「バカにされる」とか「そしりを受ける」レベル…

  • 「難しくない」茶の湯を

    「茶の湯を窮屈でむつかしいものにしてしまっているのは教授法の悪さであり、片寄りである。教授者の一人として反省している。」前回紹介した記事を締めくくっている言葉です。 いやァ、「誠心誠意」の先生だなあって感じがしまして、尊敬しちゃいますし、立派な先生だと思いました。 そして、前回紹介したように、「茶箱ででも人を招くことができる」ってのはほんとだと思いますし、実際、そうすべきだ思う私でして、道具を持ってない私にとっては、すごくありがたい言葉です。 さて前回、「~が良い」と聞くと、それ以外は「ダメ」みたいに誤解して、「縛られた思考」に陥る ・ ・ ・ なんてことを書きましたけど、関連して、私が想像す…

  • 四角四面に考えない

    「こうしたほうが良い」ってアドバイスは、ありがたいし、役立ちますね。今は暑いさ中ですけど、道具の取り合わせはどんなのがいいかという記事を目にしました。長々と引用するのはやめて、水指の部分だけ、おおよそのところを紹介します。(1)色で言えば赤や朱は暑さを感じさせるから、手桶水指の場合なら、朱ではなく黒を選ぶ。(2)塗物よりは焼物のほうが涼しさを演出するから、焼物の水指がよい。(3)水を含んだ木地は清楚な夏を表現するから、木地の釣瓶は好適である。(4)唐金、南鐐などの水指は表面に水滴を持ち、涼感があるので暑い時期に向く。(5)形の面では、深くて口が絞まったものより、満々と水を湛える湖のようなイメー…

  • 「無い」ことのサイン

    前回、「楊枝が添えられていた」ので「菓子の扱い」だったということを書きましたが、「古田織部茶書」には、菓子を出さない茶会について書いてあるそうです。菓子を出さない茶会では、最初に膳を出す時、「楊枝だけ付けておく」みたいで、そうすると客一同は、懐石終了時に膳が引かれたらサッと中立ちするように ・ ・ ・ と、心得が示されているそうです。 それで、似たようなことって、他にもあるなあと思いました。たとえば朝茶で一汁二菜の場合、「焼物を出さない」かわりに、漬物を早い段階で出すというやり方が興味深いです。漬物は湯の時に出されることも多いでしょうけど、焼物の時に「焼物とセット」で出されるのが本来でしょうか…

  • 場に合わせた立ち居振る舞い(3)

    7月27日に、型にはまったやり方「でない」例を書きましたけど、今回は、360年以上前の同じ茶会の記録から、初座における主客のやりとりについて紹介します。 懐石の膳が出たらすぐに、正客は「気を利かせたつもり」だったのでしょう、「どうぞ煮物椀もお出しください」と言ったそうです。でもゥ、煮物椀が必ず出されるなんて決まりはありませんからネ。何を出すか、あるいは出さないかは「亭主の裁量」だし、実際、「菓子を出さない」茶会もあったそうで。 さて、亭主がどう対応したかと言えば、「何も無いから」と言って、生魚を酒に浸した一品を、客の膳に据えたということでした。なお、その茶会では、焼物も出なかったそうです。 そ…

  • 心なごめる茶の湯

    7月26日に、心地よい「ぬるま湯の人間関係」なんて書きましたけど、ぬるま湯って刺激的なところがなく、穏やかで気持ちいいんですよね。 でも、人は欲張りですから、刺激を求めたり、心が高揚することを求めたりするんですけど、それは「心配がない環境」に居られる場合じゃないでしょうか。 さて、2000年まで刊行されていた「アサヒグラフ」ですけど、昭和19年6月21日号の表紙は、野点をしている飛行練習生の写真です。表紙全面を飾る写真には、「猛訓練の余暇に『野点』を嗜む海軍航空隊勇士 大津海軍航空隊にて 松尾英世撮影」という解説文が付されています。あのゥ、この年の10月には神風特別攻撃隊の初出撃があり、いわゆ…

  • 場に合わせた立ち居振る舞い(2)

    7月25日に掲載した茶会の記録について、今日はその続きを書きます。中立ちの様子から話を始めますが、腰掛は、茶室の外壁に接していたそうです。そんな近距離で待つわけですから、客には、亭主が室内を掃いてる音まで聞こえたそうです。そういう情況でしたら、亭主が銅鑼で後入りを知らせる必要なんて、ない・・・と言うか、掃く音まで聞こえてる客に対して、銅鑼の大音声を響かせるなんて、暴挙に近いですよね。ですから、亭主は障子を開け、客に直接声を掛けて後入りを願ったということでした。 それは全く納得できる話で、現代では、現実的に腰掛待合を設けるスペースも有るか無きか ・ ・ ・ という条件の露地も多々あるでしょうねェ…

  • 茶の湯における演出(1)

    歌舞伎では、最初に定式幕が開いても、浅葱幕によって舞台が「隠されている」 ・ ・ ・ という演出が行われる場合がありますね。定式幕が舞台上手まで引き終えられた後、数秒後に柝が入り、浅葱幕が振り落とされて舞台が露わになるわけですが、客からすれば、「突然、その場面が現れる」わけで、ワクワク感、高揚感が生れますから、その「心理的効果」をねらっての演出だと思いますが、何と手間ひまのかかることをすることか! ・ ・ ・ という感じもあったりして。でも、それこそ「特別なドラマ」の始まりを強烈に印象づけようという工夫の結果だと思いますから、金がかかってもいいという条件なら、そりゃあ、やりたいでしょう、演出担…

  • 場に合わせた立ち居振る舞い(1)

    今から360年以上前、場所は金沢ですが、茶室や露地が工事中というか、未完成段階での茶会記録がおもしろかったです。「寄付に相当」する仮設の場所に筵が敷かれていて、待っていると亭主が現れ、「まず御入り候へ」と「迎えつけ」が行われたというのです。 思いますに、現代でも「完全に亭主一人で行う」茶会だったら、寄付から露地に向かう刻限からして、亭主自らが知らせる以外に、客は知る方法がないと思います。まあ、客が腰掛待合に達して以降は、亭主が蹲踞に水を足す所作が合図になるなど、「客まかせ」で進行できるでしょうけど。 そんなわけで、中門において「無言のうちに初めて」主客が出会うという教科書的なスタンダードが「実…

  • 二畳では懐石が窮屈

    瑞峯院の安勝軒は写真でしか見たことない私ですが、茶道口からすぐ水屋に続くのではなく、茶席と水屋の間に「次の間」を介在させる間取りのようですね。 その「次の間」は三畳で、床を備え、炉が切ってあるんですけど、客口から入室する畳というのが、亭主から見れば「炉の先にある」畳一畳です。でも私は、床や炉、また客口の実際を写真や動画で見たことがありませんから、書かれているものからの想像です。 さて、そうだとすれば、安勝軒次の間って、「畳の敷き方と炉の切り方」だけに限って言えば、前回紹介したホテルニューアカオの茶室と同じということになります。でも、茶室をコミュニケーションの装置という「機能」の面から見れば、両…

  • 驚きの茶室

    昨年営業終了した「ホテルニューアカオ」の記事を見ました。今は現代アートの展示場に使われたりするそうで、茶室の写真を見て驚きました。三畳の茶室で隅炉なんですけど、何と何と、炉の前方に畳が一枚 ! ! あのゥ、水指を置く場所の向こう側に、さらに一枚、畳が敷いてあるなんて、全くびっくりでした。 茶室の写真から想像して平面図を描いてみたんですが、「道」は道具畳、「T」は床前に敷かれている畳とでも言いましょうか、「客」は客畳です。青で囲った部分は床、赤で囲ったのは炉、緑は茶道口、茶色は貴人口、バラ色は躙口です。 さて、気持を落ち着かせて考えてみますと、ミュンヘンにある閑松庵は道具畳の前に貴人畳があります…

  • 初めまして

    茶の湯が大好きです ・ ・ ・ けど、新型コロナウイルス感染対策優先の現状ですから、茶の湯関連のテレビ番組を見るくらいがせいぜいで、残念です。 しかたなく「積んどいた」本を見ましたら、ある文が目にとまりました。「手前の順序はその流の先人が研究しつくした鉄則で、その流に属する人々は万人同一であるべきだ」というのです。昭和13年1月とありまして、その記述から、戦前の茶の湯の状況、その一端を、わずかに垣間見ることができたかなあと思いました。 まあ、それはともかく、「先人が研究しつくした」という言葉に重みを感じまして、それに比べ、自分はずいぶん「ノホホンとしてた」と思います。つまり、茶の湯の「物まね」…

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