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2022/07/03

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  • 二度目のロンドン60 たっぷりゆったりナショナルギャラリー②

    写真はナショナルギャラリーの前のトラファルガー広場にそびえ立つネルソン像を上部にいただくネルソン記念柱。【ひそやかなるフェルメール】静かで小さく暗い部屋に、フェルメールの絵画が2点、置かれていました(16号室)。《ヴァージナル前に座る若い女性》と《ヴァージナル前に立つ女》でした。日本でフェルメール作品を見るには、たいてい人の頭の向こうを仰ぎみる感じなので実に贅沢な空間です。その人気のなさに軽い驚きすらありました(国立西洋美術館のフェルメール作品は真贋論争があるので、ひとまず除外。)この部屋が小さく、しかも迷路の袋小路のような場所にあるので、気付きにくいからかもしれません。もしかすると、そおっと見てほしい、という、ナショナルギャラリーの意図が反映されているのかもしれません。ほかにも充実したオランダ絵画には目...二度目のロンドン60たっぷりゆったりナショナルギャラリー②

  • 二度目のロンドン59 たっぷりゆったりナショナルギャラリー①

    ナショナルギャラリーにて。美術の教科書に出てくる名画と、その解説板がずらりと並んでいた。【行かなきゃ損のコレクション】ロンドンは一年中、雨が多いとあって、どしゃぶりの中、トラファルガー広場に降り立つと、すでにカラフルな雨具の人でいっぱいでした。まるで雨などないかのように雨具なしで歩く人もいるのは、ロンドンっ子あるある?広場の中心にそびえ立つネルソン提督の記念碑から東が高い丘、西が下町と街の色合いがくっきりと分かれている印象です。その東側にあるすり鉢状に広がりを見せる急な階段を登ったところがナショナルギャラリー(国立美術館)。ギャラリーは東側の富裕層が住むウェストエンドのヘリにあたっているのです。開館時間の10時ぴったりに荷物検査を済ませると、広びろとした天井に明るい照明があたるなか、整然と絵画が並ぶ展示空...二度目のロンドン59たっぷりゆったりナショナルギャラリー①

  • 二度目のロンドン58 ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)2

    写真は、アックラム・ビレッジ・マーケットのパエリア。6枚の大きなパエリア鍋に、少しずつ具材の異なったパエリアがぐつぐつと煮込まれていた。プロパンのガスボンベまで鮮やかな赤色をしていて、祭りと一体化していた。【国際ストリートフード】ポートベロー通りをさらに進むと、南欧や中東やアフリカからの人たちによる屋台市が出現しました。トマトベースでぐつぐつ煮込み中のパエリアから、中東系の各種サラダ、ビーガン料理、アフリカ系のにぎやかな色のついた木製の小物などなど。「アックラム・ビレッジ・マーケット(AcklamVillageMarket)インターナショナル・ストリート・フード」(国際屋台めし)と銘打たれていて、飛び入り参加も可能なライブパフォーマンスも繰り広げられています。まるで日本の昔なつかしい神社のお祭りのような既...二度目のロンドン58ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)2

  • 二度目のロンドン57 ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)1

    写真はノッティングヒルの高級住宅地の人だけが入れる共有庭園に貼られていたポートベローサマーフェステバルについての張り紙。大勢の人が訪れることを警戒して「あなたの安全のために抜き打ちで荷物検査を行うことがあります」と書かれている。祭りのにぎわいと治安とのバランスは高級住宅地ならより一層、悩ましい問題なのだろう。【ポートベロー通りのマーケット】「二度目のイギリス⑦」の回で触れていたhttps://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/c850579c776c2263ddaa186d73212631でポスターにあったノッティングヒルの青空マーケットに行きました。ガイドブックによると、ロンドン各所で行われている青空マーケットのなかでも最大クラス。とくに骨董市が立つ土曜日は2000以上の店がひしめ...二度目のロンドン57ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)1

  • 二度目のロンドン56 おもむきのあるソールズベリー大聖堂④

    【世界最古の現役時計】もう一つの目玉が現役で時を刻む世界最古の機械式時計です。1386年に製作され、いつの間にか放置されました。復活したのは20世紀になってから。1928年に「時計学」マニアのT.R.ロビンソンに発見され、1956年に修理されて再稼働しました。高さ1.24m、幅は1.29m、奥行は1.06mと大きなもの。現代人が思い描く、時計盤があって、時間が即座にわかるものというものではなく、、時間が来たら鐘がなる、という仕組みのものです。だから、大聖堂の片隅にあるこの時計の前に来た人は、たいてい、ふわーっとみて写真をとって、それから首をかしげて、スーッと立ち去る、という動き方が続いていて、廊下でぼーっとみていて、ちょっとおかしかったです。http://asait.world.coocan.jp/kui...二度目のロンドン56おもむきのあるソールズベリー大聖堂④

  • 二度目のロンドン55 おもむきのあるソールズベリー大聖堂③

    写真はソールズベリー大聖堂にあるマグナカルタが置かれた小部屋。大英図書館で「原本」をみた知人は、ソールズベリー大聖堂にあるのはレプリカか、それに準じたものだと勘違いしていた。【4つの原本】ソールズベリー大聖堂の目玉の一つが、「マグナカルタ」の原本の展示です。現在、4つの原本があるなかでもっとも保存状態がいいもの、とのこと。現物を見ながら口々に「これがマグナカルタね」と興奮気味に話している金髪の方々を見たので、つい私も「これが世界に存在している唯一の原本なんだ」と感激していたのですが、よく考えると原本が4つ、というのは、不思議です。調べてみるとマグナカルタはラテン語の「文書」で、1215年、1216、1217、1225年の4回にわたって、少しずつ内容が変更されながら写本されイングランド各州に配布されました。...二度目のロンドン55おもむきのあるソールズベリー大聖堂③

  • 二度目のロンドン54 おもむきのあるソールズベリー大聖堂②

    ソールズベリー大聖堂では、不思議な彫刻がそこかしこに見られる。リアリティあふれる苦悶の表情を浮かべる男は何者?少なくとも彫刻家の身近にモデルはいただろう。それが何を模していたのか…。【大聖堂のお引越し】ソールズベリー大聖堂には、聖堂の歴史が丁寧に解説されたパネルが展示されていました。それを読むと、「オールドセーラム」にあった大聖堂がこの地に移転した理由の一つには王と教会との対立があったようです。展示をヒントに歴史を調べるとおおよそは以下の通り。プランタジネット朝のジョン王(在位1199年~1216年)はフランスとの戦に負け続け、さらに1209年には教皇から破門され(1213年には教皇からの要求を呑む形で破門を解かれる)弱り目に祟り目状態。さらに戦費調達を貴族らに強いたことから、貴族らが自らの権利を守るため...二度目のロンドン54おもむきのあるソールズベリー大聖堂②

  • 二度目のロンドン53 おもむきのあるソールズベリー大聖堂①

    写真はソールズベリー大聖堂の外観。遠くからみると、さっぱりとした古風な教会に見えるが、近づくとさまざまな彫刻に彩られていた。【『日の名残り』の象徴にも】さて、オールドセーラムをへた先は、まるで中世。緑したたる世界の中央には現在のイギリスの教会建築では最も高い123メートルの石造りの塔がそびえるソールズベリー大聖堂があります。ゴシック建築らしく、こってりとした聖人の像が彫りこまれた正面、側面には軽やかな植物が生えたようなアーチ型回廊が続いていて荘厳そのもの。広々として薄暗い聖堂内の床は、この聖堂に限った話ではないのですが、多くの方々の墓石がはめ込まれていて、踏まないように歩こうとするのが困難なほど。まあ床なのですから当然、踏んでもいいのですが、日本で育った私の身体が自然に忌避してしまう。欧米の観光客は普通に...二度目のロンドン53おもむきのあるソールズベリー大聖堂①

  • 二度目のロンドン52 昔は立派な街だったオールドセーラム

    写真はオールドセーラムの空堀。周囲は草原が広がり、たくさんの羊たちが草をはんでいた。【オールドセーラム】ソールズベリー駅から行く、もう一つ有名な場所にソールズベリー大聖堂があります。その前にストーンヘンジから「オールドセーラム」へ途中下車しました。オールドセーラムの「セーラム(Sarum))」は「ソールズベリー(Salisbury)」の略語で、「昔のソールズベリー」を指します。旧市街ということです。よく考えると「r」が「l」になっていて略語としては違和感があるなあ、と調べてみました。一番わかりやすいのが英語のウイキペディアの「オールドセーラム」の項。だいたい要約すると次のように書かれていました。≪古英語、つまり中世ラテン語はたまた当時のノルマン語の表記がSearoburh,Searobyrig,Seare...二度目のロンドン52昔は立派な街だったオールドセーラム

  • 二度目のロンドン51 神秘の巨石ストーンヘンジ⑤

    写真右側がストーンヘンジビジターセンター。左側の入口にあるのが「ストーン60」と名付けられたストーンヘンジの石のレプリカ。本物同様28トンある。わざわざレプリカの石をつくり、大勢の人を集めて動かすイベントを行った写真パネルと説明がビジターセンター内には展示してあった。丸木を敷いて動かしたのでは、とか、エジプトのピラミッドの石の比較などのパネルもあった。この石は誰でも自由に触ったり、押したり引いたりすることができる。ちょうど少年が果敢にも紐を持ってチャレンジしていた。【ビジターセンターのおみやげもの】ストーンサークルを見学したころに雨もやみ、霧もすっかり晴れました。すると近くには高速道路がありました。人里離れた、孤高の遺跡ではなかったのか、と拍子抜けしてしまいました。(ロンドンからイングランド南西部までを貫...二度目のロンドン51神秘の巨石ストーンヘンジ⑤

  • 二度目のロンドン50 神秘の巨石ストーンヘンジ⑤

    写真は直立した石の上部にある接合部の突起。ここに横たわるように棚石が乗る。棚となる石には凹型の溝が彫られていて、突起とかみ合うことで安定した形となる。これをウン千年前に造っていたのだ。何トンもの巨石を使って。ただ、長い年月でそれが崩れた部分もあり、この目の前の石のように形を現したものもあるのだ。この構造は30メートルの円周となっていてサーセン石サークルとも呼ばれている。【科学の知識がてんこもり】じつはストーンヘンジはたんに巨石が円形に置かれているだけではなく、人によってはエジプトのピラミッドをしのぐ「古代遺跡の中で最高傑作」という声もあるほど(※)緻密な計算に基づいて形作られた遺跡なのです。今なお、どうやって巨石を運び、どうやってそれを持ちあげ、くみ上げたのか論議が続いています。何しろ石の重さは一つ4トン...二度目のロンドン50神秘の巨石ストーンヘンジ⑤

  • 二度目のロンドン49 神秘の巨石ストーンヘンジ③

    写真はストーンヘンジ。強風のため、視界近くは開けてきたときに撮影。周囲は白いままだった。【奇妙な感覚】ほどなくしてバスは停車。降りると、サーッと霧が晴れて目の前にストーンヘンジが現れた、というか立っていました。とはいえ円環に組み合わさった巨石の間を抜けたり、近づいたりすることはできず、5メートルほど先から眺めるだけ。周囲はロープで仕切られているのです。さらに周りには比べるための木々すらないので、本当の大きさが実感できません。ただ夏至の日だけ開放されるそうです。ひとまず相変わらずの雨風に前傾姿勢をとりながら、巨石群を一周しました。目を必死で開けてなんとか見た、といった感じで、いろいろと感じる余裕はありません。ただ、風よけに使っているのでしょうか?一匹の真っ黒なカラスが、ストーンヘンジの巨石の横にちょこんとい...二度目のロンドン49神秘の巨石ストーンヘンジ③

  • 二度目のロンドン47 神秘の巨石ストーンヘンジ②

    ストーンヘンジのある丘とその周辺。霧が晴れるとどこまでもなだらかで牧歌的な光景が続いていた。【旅は移動の距離なのか】小麦畑や自然の森などいろいろな緑が重なり合った色と広がり。都会ではない、未知の場所へ向かっているわくわく感。霧にけぶる景色をみているだけで、うれしさがこみ上げてきます。日々ロンドンを旅行している、と思っていたのに、毎日を同じ住まいで狭い範囲で動いているだけだと、旅のわくわくが薄れていくものなのかもしれません。しかも、ただ動いているだけのではなく博物館や図書館、テニス観戦、演劇鑑賞すべてが超一流のものばかりに触れているというのに。遠出というのは「別腹」、まったく別の感情が沸くもののようです。これは贅沢病?ソールズベリー駅からバスに乗り換えストーンヘンジへ向かいます。駅前のロータリーにはストーン...二度目のロンドン47神秘の巨石ストーンヘンジ②

  • 二度目のロンドン46 神秘の巨石 ストーーヘンジ①

    ロンドン最大規模の駅から特急で1時間23分でソールズベリー駅に到着。こじんまりとしたごくごく普通の駅だった。【ソールズベリーへ】ロンドンに来て10日目。私の顔は今朝も赤い、ザリサリします(原因は先週まで書いた通り)。今朝は6時半に起床し、手早く朝食を済ませて、7時20分に家を出ました。目指すはストーンヘンジ。なんだかよくわからない、巨石の丸い連なり(「環状列石」と呼ばれています)。日本のマンガやSFでもたびたび登場する神秘の土地。1986年には世界遺産にも登録されています。小ぬか雨のなか、ロンドンの複雑な地下鉄を乗り継いでウォータールー駅へ。イギリス最大規模の駅で乗降客数も最大、とウィキペディアにありますが、今まで訪れたロンドンの各駅とは一線を画した都会的で先進的な雰囲気の漂う落ち着いた駅でした。「ハロッ...二度目のロンドン46神秘の巨石ストーーヘンジ①

  • 二度目のロンドン45 水が問題⁉⑤

    クイーンズウェイ近くのシェアハウスの窓から見えるお隣の景色。表通りに面した部分はきれいに補修されていても裏から見ると、19世紀の香り漂う古風さが漂う。19世紀のシャーロックホームズも、現代のBBCテレビでヒットした『シャーロック』も同じマンションで暮らしていてもなんも違和感もないのがロンドン。古さに比重を置きつつも補修でつなぐ文化がすばらしくもあるが、基本的なインフラ部分の更新が難しくなる面もあるようだ。【問題を先送りした結果】1989年サッチャー政権下での民営化後、若干の水質が改善したものの、老朽化していく水道管などへの投資がほぼ行われないまま、今にいたってしまった。250個分プールの漏水もテムズウオーター一社だけの話で民間会社は10社あるので、もっと多いことでしょう。日本もいずれ訪れる他人事とは思えな...二度目のロンドン45水が問題⁉⑤

  • 二度目のロンドン44 水が問題⁈④

    写真はテムズ河河畔のヴォクソール(Vauxhall)駅周辺の再開発地区にある高級マンションの一つセントジョージワーフ(St.George'sWharfdevelopment)。このあたりから下流域にかけて、不思議なデザインの新しい建造物が並ぶ。有名なところではウェストミンスター寺院の対岸には建築当時の2000年当時は世界最大の高さ(約135メートル)を誇ったロンドン・アイ(観覧車)など。19世紀には世界の物産が集積した船着き場であるドックランドなど、再開発しやすいロンドンの東側地域、つまりテムズ下流域地区の水道事情は新しいだけによいらしい。ちなみにシャーロックホームズが活躍した19世紀末にアヘン窟など治安の悪さで事件が起こる地区はロンドンの東側地域。ベーカー街は当時、水道などの近代設備が整った地域のちょう...二度目のロンドン44水が問題⁈④

  • 二度目のロンドン 水が問題⁈③

    写真はケンジントン・ガーデンズにて。ロンドンは水の都でもある。公園には湖が、そして街には水路や暗渠も多くある。【硬度や溶け込む物質についての規定がない】次に日本の水道をより細かく見てみます。公益社団法人日本水道協会ホームページでは全国の浄水場の詳細な水質検査データを公表していて、50項目に及ぶデータが列挙されています。たとえば東京都武蔵野市の境浄水所だと最高値のphは8.0で若干の弱アルカリ性ですが、ほとんど中性、ナトリウムやカルシウムは10mg/ℓ以下で基準値の200mg/ℓ以下よりはるかに低い数字となっています。(近年、発がん性の疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が流入していた、と新たに外部調査から指摘されてはじめて明らかになる事実もあり、すべての物質が検査項目に入っているわけではありません。)※2...二度目のロンドン水が問題⁈③

  • 二度目のロンドン42 水が問題⁉②

    キュー王立植物園近くのテムズ河。ボートを一人、漕いでいる人もいた。汚泥もしくは砂利などを取る作業船も出ていた。水質は澄んではいないが、とくに悪臭もなかった。【日本の4倍以上の硬度】そもそも水が問題だと断定はできないのですが、どうやらロンドンの水に苦しんでいる日本人はけっこう多いようす。日本語で検索すると英国在住の日本人による手荒れしないハンドクリームの紹介や軟水へと変えるシャワーヘッドの紹介がたくさん見つかりました。枕詞のように冒頭には必ず「まず手荒れ、やがて乾燥がひどくなる」というロンドン生活の現状が書かれています。日本はほとんどの地域が軟水ですが、それは世界的にみても珍しいことで、ユーラシア大陸の過半が硬水です。ロンドンも例外ではありません。中国の雲南も硬水で、しかもかなり石灰岩質の水道で、飲用すると...二度目のロンドン42水が問題⁉②

  • 二度目のロンドン41 水が問題⁈ ①

    ロンドンの老舗ハンドクリーム「アストラル(Astral)」。【ちりめんのお肌】ロンドンで過ごして一週間。明らかにお肌の調子がおかしい。そもそも日本の「れんげ」化粧水を愛用していて、どこを旅するときも、たとえ国内の温泉旅館で一泊するときでもかかせないお肌のお手入れはこれ一本でした。それと手には、オリヂナル社の「ももの花」。祖母、母と我が家三代で愛用しているハンドクリームです。この二つさえあれば、お肌は万全で、他の化粧品は一切なしで過ごせます。日本で愛用しているハンドクリーム「ももの花」。オリーブオイルとスクワランオイルが入っていて、最初はべたつくが肌なじみが私にはよい。ところが、ロンドンで予想以上のスピードで使ってしまうのです。原因はロンドンの水だと、考えました。明らかに風呂に入るたびに肌の乾燥が進行してい...二度目のロンドン41水が問題⁈①

  • 二度目のロンドン40 真夏の夜の夢2

    【真夏の夜の夢】リージェンツパークを下見した5日後、いよいよパーク内の野外劇場へ観劇する日となりました。日中は大英図書館で過ごして、いったん、シェアハウスに帰宅。昼寝をして体調を万全にしてから劇場へ向かいます。劇の開始は午後7時45分ですが、午後6時半にいくと開場されていて、人もずいぶんと集っていました。写真は野外劇場のあるクイーン・メアリーズ・ガーデンズ(QueenMary'sGardens)の入口にあるジュビリー・ゲート(JubileeGates)入場ゲートから劇場に行くまでの空間はツタの楽園で緑の植栽もほどこされていて、とってもおしゃれです。さすが元王立植物園予定地。雰囲気のいいバーや食事処もありました。持参したサンドウィッチとバナナにバーで生ビールをプラスして、このおしゃれ空間の木の机に広げて、ゆ...二度目のロンドン40真夏の夜の夢2

  • 二度目のロンドン39 真夏の夜の夢1

    写真はリージェンツパークのインナーサークルの植栽。どれも植物園かとみまがうような美しさだった。【リージェンツパークと野外劇場】今回、ロンドンについて最初に行った場所はベイカー街のシャーロックホームズ博物館でした。それは、すぐ近くのリージェンツパークにも行っておきたかったからでもありました。リージェンツパークは166ヘクタールの面積をもつ王立公園で、だれでも無料で散策できます。もともとヘンリー8世(1491年~1547年)が離婚問題に端を発して、修道院から接収し、以後、長らく王室のお狩場だったところ。1811年に摂政王太子だったころのジョージ4世(1762年~1830年)が当時貴族の土地だったこの地を買い戻して、お抱え建築家のジョージ・ナッシュによって周辺の都市計画も含めて設計し、1845年に公園として整備...二度目のロンドン39真夏の夜の夢1

  • 二度目のロンドン38 『不思議の国のアリス』は不思議じゃなかった

    ロンドン大学近くのスクエア公園で見かけたハトをまとった男の人。このあとハトが輪を描き出し、不思議な空間になっていた。【「不思議の国」のイギリス人】しばらくロンドンをうろついていると、いかにも『不思議の国のアリス』や『くまのプーさん』『ミスタービーン』に登場しそうな人たちにかなりの頻度で出会うことに気づきました。見た目は大人、だけど心に子供っぽいいたずら心をひそませる人たちが一定の割合でいらっしゃる。それはひそませるだけでは飽き足らず、ついその遊び心が湧き出してしまう瞬間が。誰に誇示するでもなく、あくまで個人的なひそかな楽しみなのです。だから声も、場合によっては音すら出しません。そんな様子は私に、気持ちがほぐれるようなあたたかい気持ちをもたらしてくれました。伝統的なイギリス児童文学の世界に連なるような、ちょ...二度目のロンドン38『不思議の国のアリス』は不思議じゃなかった

  • 二度目のロンドン37 憧れのキューガーデン⑦

    写真上はキューガーデン前のテムズ河。手漕ぎのカヌーがゆっくりと通っていった。【テムズ河下り】やがてテムズ河を横断する橋のある大きな通りに出ました。河を渡った左には現代の街並みがみえ、目の前にはバス停、右に行けば、やがて地下鉄駅があるはずです。ほっとすると視界も開けてくるもの。道路を渡った先に当初目指していた船着き場の標識が見えるではありませんか?重くなった足をやっと動かして河沿いに進むと河に突き出た古風な船着き場がちゃんとありました。落ち葉が降り積もり、誰もいません。この船着き場は果たして現役なのかと不安に駆られて、観察すると、船着き場にやや汚れ気味の時刻表が貼ってあります。見ると20分後にロンドン市内行の運行があるようです。落ち着かない気分で夕暮れの寂しい船着き場に立っていると10分ほど経った頃に我々以...二度目のロンドン37憧れのキューガーデン⑦

  • 二度目のロンドン36 憧れのキューガーデン⑥ 歴史の古いエリア

    メジャーなヴィクトリアゲートの反対側にあるブレントフォードゲート近くは古風な建物が散見するエリア。写真はその近くの竹林内にある「ミンカハウス」。日本から移築された建物である。ほかにも古風な建築物が点在するエリアとなっていた。【帰りはテムズ河のゲートから】キューガーデンのすごいところは、広大な敷地なのに隙間なく、惜しみなく手入れがなされているところです。よくぞ荒れるところもなく行き届いた空間を保ち続けていると、日本の交通の便の悪いところで時折みる、代替わりしたお屋敷の庭のどうにもならなさを想い浮かべて尊敬の念すら沸いてきました。大英帝国の栄光への誇りは粘り強い。さて、帰りは行きとは違う出口から帰ろうと、中心部へのアクセスの容易なヴィクトリアゲートやメイン(ライオン)ゲートとは反対側にあるブレントフォードゲー...二度目のロンドン36憧れのキューガーデン⑥歴史の古いエリア

  • 二度目のロンドン35 憧れのキューガーデン⑤

    写真はマリアンヌ・ノースギャラリーの内部。寒い日でも温かく、座るためのベンチもあり、人々を十分にいやしてくれる。【マリアンヌ・ノース・ギャラリー】広大な園内に点在する温室や建物には、日本の江戸から昭和初期の農家の家を再現したと思われる「ミンカハウス(MinkaHouse)」といった笹の生い茂る緑の小道の中間に突如現れる不思議な建物もありましたが、一番、建物の展示でインパクトがあったのが「マリアンヌ・ノース・ギャラリー(MarianneNorthGallery)」でした。古風なイギリスの貴族のお屋敷のような建物を入ると、ヴィクトリア朝時代に世界を旅した女性が描いたボタニカルアート832点が壁を覆わんばかりに飾られていました。マリアン・ノースは貴族の家系の子女で1830年生まれ。父の仕事の関係で、家族で世界を...二度目のロンドン35憧れのキューガーデン⑤

  • 二度目のロンドン34 憧れのキューガーデン④

    キューガーデン内の森の小道など各所にプリムラの花が咲いていた。野生種を中心にずいぶん集めているのがわかる。【サクラソウ、プリムラもたくさん】午後は私の大好きな日本古来のサクラソウを探すことにしました。ある論文にキューガーデンには19世紀のプラントハンターが中国や日本で採集したサクラソウの類が集められていた、との情報があり、それを確かめたかったのです。かつてオランダのライデン大学はじめ、シーボルト関係の植物園を見て回った時、多少の痕跡はあったものの、総本山はイギリスでは、との思いが募っていました。植物がどこに植えられているかのマップが見当たらなかったので、ひとまず植えられていそうな場所を地図で推測して探すことにしました。とはいえ前に書いたとおりキューガーデンは広大なので、慎重に見極めないと、今日中に出会う確...二度目のロンドン34憧れのキューガーデン④

  • 二度目のロンドン33 憧れのキューガーデン③

    写真はテンペレートハウス。ちょうどキューガーデン内をめぐるツアーの人々が到着。歩くのが苦手は人は、ツアーなどを利用するのもおすすめ。【160年前からあるテンペレートハウス】パームハウスから道にそって南西へ進むとまたもやガラス張りの巨大な温室がありました。先ほどの丸みを帯びた温室と違って、こちらはカクカクとした宮殿風です。テンペレートハウスです。テンペレートは温帯を指すので、文字通り温帯植物の温室です。一般公開が始まったのがやはりヴィクトリア朝の1863年。その後36年かけて今の形となりました。設計者パームハウスと同じデジマス・バートン。なかでは野生種の稲や赤米などが見事に実っていました。ガラスがきらりと光っていて白亜の宮殿のようだ、とその美しさに感嘆していたのですが、私が行った2019年7月14日は大規模...二度目のロンドン33憧れのキューガーデン③

  • 二度目のロンドン32 憧れのキューガーデン②

    パームツリーハウスに隣接する建物ウオーターリリーハウス。各種スイレンが咲き乱れ、甘い香りがただよっていた。【途方もない広さ】朝方の雨ですっかり冷えた空気。宿舎を出たときに寒い、と思って部屋に上着を取りに行こうとしたら、家人に「これからあたたかくなるんじゃないの?」といわれて断念したのが悔やまれます。日中のど真ん中以外は、本当に寒かった。歩いていると広さが桁外れすぎて、先に進んでいる気がしなくて、なんとなく、絶望、という感じがしました。1日歩き回っても、半分も見れません。さすが大英帝国!4万エーカー(132ヘクタール)という広さはどれくらいなのかと考えたのですが、先ほど新聞を見てぴったりな数字を見つけました。不謹慎なたとえで申し訳ないのですが2024年5月4日に山形県南陽市で山林火災が発生し、鎮火までに4日...二度目のロンドン32憧れのキューガーデン②

  • 二度目のロンドン31 あこがれのキューガーデン①

    写真はキューガーデン駅からキューガーデンへ続く一本道に建つ家々。やや厳格な、ゆるがせにしない雰囲気をたたえていた。それぞれの庭が美しい。【キューガーデンへ】朝6時に起床。運動して6時半に朝食。いつもはクーラーのない西日の部屋で片側にしか窓がないため、寝苦しくて汗びっしょりで起きたり、寝られなかったりといろいろですが、今日はさわやかでよい目覚めです。と思っていたら7時半からやわらかいシャワーのような雨が降りそそぎはじめました。イギリスで初めての雨です。レンガがしっとりと濡れたらさぞやきれいに、地面の石畳はどんな感じになるのかな、とワクワクしていると、石につやが出る間もなく晴れました。雨だったら大英博物館か図書館と決めていたのですが、せっかく晴れたので、行きたかった、キューガーデンを目指すことに。キューガーデ...二度目のロンドン31あこがれのキューガーデン①

  • 二度目のロンドン30 大英図書館の閲覧室

    写真は大英図書館の蔵書がモニュメントのように置かれているロビー。集う人々は熱心に本を読んだり、勉強をしていた。しかし、ここで100年前に名誉会員として毎日を過ごしていた南方熊楠。この蔵書を使って自然科学雑誌「ネイチャー」に投稿しては何本も掲載されて、イギリス人にも一目置かれていた唯一無二の日本人。だのに閲覧室で、注意されたときに、カッとなって相手を殴ったために出入り禁止になった熊楠。やっぱり乱闘は、日本以上にダメな場所なことは明白だ。【蔵書を手に取る】話は再び大英図書館へ。図書館カードを作って、見たい本の申し込みをした2日後、本が閲覧室に届いたとのメールが届きました。意外と早い。さっそく出かけて、いくつもある閲覧室から自分で指定した部屋へ。どの部屋でも指定すれば閲覧可能なのですが、私はアジア関係の辞書など...二度目のロンドン30大英図書館の閲覧室

  • 二度目のロンドン29 気軽に行ける大英博物館⑤

    写真はギリシャのパルテノン神殿の彫刻群。テレビで見慣れていたパルテノン神殿は1801年当時は今の神殿の柱だけが立っているというほど荒れ果てた状態ではなかったらしい。大英博物館に登録されたのが1802年、フランスの博物館(ルーブル?)に登録されたのが1803年、との説明が部屋の廊下に掲げられていた。【パルテノン神殿の顔も】そして「メレイデス・モニュメント」の横にこれまた超一級品の白大理石の彫刻群が並んでいました。これぞ、かの有名なギリシャのパルテノン神殿の一部。しかも、彫像を一つ持ってきたというものではないのです。たとえば日本の神社だと一番重要な拝殿の屋根瓦の下側にゴージャスに彫り込まれた龍や牡丹の花などの木彫群がありますが、その部分。パルテノン神殿の顔である、一番目立つところの彫刻をはぎ取ってきたのです。...二度目のロンドン29気軽に行ける大英博物館⑤

  • 二度目のロンドン28 気軽に行ける大英博物館④

    写真はギリシャ・ヘレニズム文化の間に鎮座する「メレイデス・モニュメント」。長い年月に耐えた独特のギリシャ文化の空気感を醸し出していた。だが客は意外と注目せず、神殿を見るために設置されたベンチで休みながら、スマホの画面を見ている人が多かった。大英博物館の深部にあるので疲れを癒したい欲求に勝てないようだ。【メソポタミアの間】メソポタミア関連では楔形文字が刻まれた石板が重々しく展示されていました。解説を読むと「まったく最近の若者は・・」今も昔も変わらぬ言葉に笑えます。アッシリアの彫像群は大きくて迫力満点。特に印象的だったのが、前回、写真で紹介した守護獣神像。どこかでみた、と思ったらドイツ・ベルリンのペルガモン博物館でした。きっと、このような像が神社の狛犬レベルでたくさんあるだろう、と軽く考えて通り過ぎたのですが...二度目のロンドン28気軽に行ける大英博物館④

  • 二度目のロンドン27 気軽に行ける大英博物館③

    写真はメソポタミアの間の入口。メソポタミア関連ははぎ取った石像が中心。今回の主題の古代エジプトの間はすべてが私の感覚と相いれなかったので、写真を撮ることが、私にはできなかった(写真を撮っていいことになっていました)その後、何回かに分けていった大英博物館で印象的だったものをご紹介しましょう。大英博物館の常設展示でやはり、すごいのがエジプトや中東、そしてギリシャ・ヘレニズム文化です。19世紀はギリシャの遺跡の多い地域のほとんどがトルコ(オスマン帝国)の版図だったので中東の領域ともいえるのです。大英博物館の収蔵物の多くは侵略の歴史と軌を一にしているので、経緯からいってもそうなります。では、エジプトから。【古代エジプトの間】4大文明の発祥の一つ、古代エジプトの展覧会は日本で大人気。私も上野の博物館に古代エジプトの...二度目のロンドン27気軽に行ける大英博物館③

  • 二度目のロンドン26 気軽にいける大英博物館②

    大英博物館近くのお店。大英博物館の「マンガ展」のポスターや萩尾望都が描く表紙の「月刊flowers」、「となりのトトロ」のトトロと「千と千尋の神隠し」のカオナシが一つの絵になった原画風のものなどが浮世絵とともに売られていた。【日本ギャラリー】中国や日本のものの展示には目を見張るような展示はありません。日本だとやはり浮世絵などの紙が中心となるのか退色を心配してるのでしょうか。せいぜい漆器や陶器が目を引く程度です。しかもアジアの一部としてざっくりと。軽い失望を感じつつ日本などの展示の上階に向かって古めかしい石の階段で上がると、「三菱商事日本ギャラリー」というポスターが目に入りました。やはり無料の展示室で、三菱商事が出資している部屋とのこと。ずいぶんと落とした照明のなか、戦国時代の甲冑や喜多川歌麿の遊女をモチー...二度目のロンドン26気軽にいける大英博物館②

  • 二度目のロンドン25 大英博物館①

    大英博物館の入り口では、厳格な荷物検査が行われていた。大英図書館でもあったが、入場者数が多いので入るまでに時間がかかる。【寄付で運営される博物館】かつて(30年ほど前)ロンドンに寄った時のこと。地下鉄を降りて、予備知識もなくふらりと寄った大英博物館。するといきなり目の前に、かの有名なロゼッタストーンが。そのほか、中東の石像の数々が高い天井が特徴的な建物の一階に、ずらりと並んでいました。解説はほとんどなく、開放的な空間に戸惑う私。これら本物の風情を醸す物体を横目に、チケット売り場を探したのですが、どこにも見当たりません。日本では一流美術品はとにかくチケット買わないとみられないという常識に完全に毒されていて、まさか無料とは考えもつきませんでした。そのため、本物を探し求めて大英博物館の一角だけをさまよって、立ち...二度目のロンドン25大英博物館①

  • 二度目のロンドン24 ウインブルドン選手権へ④

    写真は主要コート下の休みどころ。ここの草花をバックに国営放送BBCは中継を行い、今日の天気予報のバックなどにも使われていた。私もリポーターになりきって記念撮影をして楽しんだ。【ウインブルドン点景】今回、センターコートなどには入れなかったものの十分楽しむことができました。テレビで見ていた光景が目の前にあったことに興奮したり、スター選手に会えたり。ほか、書ききれなかった数々の楽しかったポイントを挙げてみます。1.美しい草花また、会場にとりどりの花で飾られていたのがいかにもイングリッシュガーデンの国らしくてなごみました。青系統が基調なのがいかにも高緯度で光の淡い国らしくて異国情緒を感じます。2.警備員有料会場の要所要所の非常階段口では警備員が目を光られていたのも印象深いものがありました。女性警備員も多く、仁王立...二度目のロンドン24ウインブルドン選手権へ④

  • 二度目のロンドン23 ウインブルドン選手権へ③

    写真はウインブルドンにて。国枝選手とオルソン選手の試合開始の光景。ここからはシャッターを切らずに静かに観戦した。【車いすテニス】ちょっと時間を巻き戻します。大型コートから聞こえる歓声を聞きながら、知っている選手で私のチケットで見られる試合はないかな?と対戦ボードを見ていると、国枝慎吾選手の試合が17番コートで11時からあると書かれていました。対戦相手はスウェーデンのステファン・オルソン選手。世界ランキング2位の選手です。つまり世界ランキング1,2位が激突です。さっそく行ってみると緑色のビニールシートで周囲の通路から仕切られただけの独立した一面のコートがありました。これが17番コートです。コートの横に固定式の座席が数列並んでいます。試合開始の10分前なのに席は選び放題。一番前だとボールが飛んできそうなので、...二度目のロンドン23ウインブルドン選手権へ③

  • 二度目のロンドン22 ウインブルドン選手権へ②

    写真はウインブルドン名物のストロベリー&クリーム。冷たくてさっぱりしていて、おいしい紅茶にあいそう。【スタジアムの中心とクラブの一角】いったい、どんな会場なのか、と行ってみるとセンターコートはまるで今の千駄ヶ谷のオリンピックスタジアム並みの立派な建物、次に№1、№2、№3コートがそれぞれ散らばってスタジアムで囲われたりしていて、おいそれとは中をうかがうことができません。それらのコートを見学するには人気チケットを入手する必要があります。でもそれ以外にもコートはたくさんありました(正確には15)。そして、それらは見放題。たとえばセンターコートの横に8面コートが2×4列でならんでいて、一見するとどこかのテニスクラブの練習場のよう。ですが、いずれも真剣勝負で鋭い玉の応酬が続いていました。こういう様子を観客も通る通...二度目のロンドン22ウインブルドン選手権へ②

  • 二度目のロンドン22 ウインブルドン選手権へ②

    写真はウインブルドン選手権会場入り口ゲートの開場を待つ人々。この右斜め前に子供たちのファンファーレ鼓笛隊がいた。【やりがい搾取ではないボランティア】道の途中のところどころに協賛企業のブースがあり、ウインブルドンマークのついた参加者が喜びそうなものを無料で配っていました。会場図とか、スマホが落ちないようにつけるストラップとか、スマホの後ろにリングを付けて固定するもの、とか、いろいろです。各企業のロゴは控えめで、とにかく大会を盛り上げたい、という気概あふれるおしゃれものばかり。さらに、うれしいのが配る人々が、営業スマイルではなく、自然とこぼれるような笑顔なことでした。ふと思い立ってきただけだったのに、歩くごとに、すごくワクワクして、何かの一員になったような心構えが沸いてきました。歩道を指し示すかのように地面や...二度目のロンドン22ウインブルドン選手権へ②

  • 二度目のロンドン21 ウインブルドン選手権へ①

    写真は、テニスの四大国際大会の一つとして有名ウィンブルドン選手権の行われる会場に一番近い列車の駅・サウスフィールズ(Southfieids)駅前の住宅街。客を乗せるための三輪自転車が走っていた。【街はウインブルドン一色に】朝、起きると、すがすがしいほどの青空。あまりに天気がいいので、もうすぐ終わってしまう全英オープンテニス(ウインブルドン選手権・TheChampionships,Wimbledon)に行くことにしました。そもそもシェアハウスの住人には、この観戦のために会期中は毎年、ロンドンのこのハウスを借りている人がいて、その生き生きとした話しぶりに興味が募っていました。また、夕方になると、いつも最寄りのベイズウオーター(Bayswater)駅から降りてくる人々の手にはウインブルトンの白地に紫と濃い緑が美...二度目のロンドン21ウインブルドン選手権へ①

  • 二度目のロンドン20 大英図書館④

    ロンドンのパブにて。フィッシュアンドチップスはボリュームたっぷり。このあと、気に入っていろいろなパブでこれを注文したが、間違いないおいしさ。タラのフワフワ感と塩味、それにサクサクのフライドポテトがおつまみ?(にしてはボリューミーだが)にぴったり。【閲覧室へ】さていよいよ許可証を持って、許可書を審査した部屋の隣にある中央閲覧室へ。あこがれの大英図書館の蔵書が手に取れる、と胸が高鳴ります。まず閲覧室のパソコンで書籍の在庫を確認。私の目当てはシーボルト。彼は江戸末期に日本にオランダからの医師として長崎の平戸にやってきて、その後、ヨーロッパで日本の園芸植物を広めた人でもあります。彼が指示して日本の植物について本にまとめた『日本植物誌(フローラ・ヤポニカFlolaJaponica)』や、日本で集めた園芸をはるばるオ...二度目のロンドン20大英図書館④

  • 二度目のロンドン19 大英図書館③

    写真は大英図書館1階(日本の感覚だと2階)のロビー。この階に大英図書館の会員証を発行手続きをする登録審査室がある。【蔵書を手に取りたい場合に必要な許可証】大英図書館は、観光でふらりと入っても利用できる施設がたくさんあるすばらしいところですが、ただ一か所、閲覧室に入るには許可証が必要です。許可証の発行は無料。大英図書館のサイトには、「簡単にできます」といかにも簡単そうに手順が記されているのですが、実際に行ってみると、事務作業が苦手な私にとっては、なかなか高いハードルでした。億単位の蔵書、なかには博物館のケース越しにしか見られない貴重書までもを手に取れる資格なのですから、当たり前なのかもしれませんが。サイトの説明が少し足りていないようで、疲れました。まず、必要なものは英語で書かれた身分証明書。私が2019年7...二度目のロンドン19大英図書館③

  • 二度目のロンドン18 大英図書館②

    大英図書館内のショップには、オリジナルグッズが豊富に売られている。上の写真のものはその一つ。「BRITHISHLIBLARY」(大英図書館)と焼き印が押されたUSBメモリ。8ギガバイトで12.75ユーロ(当時のレートで約1555円)だった。外側の木質は高級家具によく使われいるメープル材。滑らかでやわらかな手触りだ。高級感もある。蓋にはひもがつけられる金属の輪が付いており、しかも強力な磁石が内臓されている。蓋が簡単に閉められ、なめらかに開けられるように工夫されているようだが、磁力を帯びていると、いろいろと不都合も出そうで若干不安。今のところピン止めがくっついているくらいで実害はない。【貴重な展示が無料・バッハからビートルズまで】半地下の入口で荷物検査を受けた後、入館。なかは吹き抜けで明るい。日本の国立国会図...二度目のロンドン18大英図書館②

  • 二度目のロンドン17 大英図書館①

    写真はセント・パンクラス駅を横からみたところ。正面とその右隣りに接したキングスクロス駅は混んでいるが、それ以外の面はとても静かだった。ちなみにキングスクロス駅といえば、ハリーポッターの「9¾番線」。実際にはないホームだが、無料の撮影スポットが用意されているので、ハリーポッターファンはいく価値大である。【ヴィクトリア朝の駅舎でタイムスリップ】住まいにも慣れてきたところで、いよいよ大英図書館へ。憧れの場所です。私の高校の時からの夢は「ライブラリアン」つまり図書館司書でした。まだインターネットがない時代に、ここでは他に先駆けて、ちゃんと手続きを踏めば、所蔵図書の貸し出しや複写の送付をほぼ実費で請け負っていました。それこそ正確な知は書籍に集約されていた時代に、いつでもどこでもだれでもが平等に情報にアクセスできるた...二度目のロンドン17大英図書館①

  • 二度目のロンドン16 ケンジントン宮殿のなかへ 下

    サンクンガーデンを囲むイングリッシュガーデンに欠かせないバラアーチの木立の隙間から見える景色。宮殿や広大やハイドパークに連なるケンジントンガーデンズのさらに端っこの意外と目立たない位置にあるサンクンガーデンからは、見慣れた公園(ケンジントンガーデンズ)が不思議とおもしろく見えてくる。宮殿前の木々の刈り取り方もまるで、京都の銀閣寺の砂の形のように、気取っていた(写真①)前回と同じ写真で恐縮だが、ケンジントン宮殿(北東)前のサンクンガーデン(写真②)。1908年に造られた一角で17世紀ハノーバー朝の庭園を模したものだという。ダイアナ元妃がよく散歩した庭として、大切にされている。宮殿の前から写真左上の緑の盛り上がりがバラのアーチ。写真①はその隙間からケンジントンガーデンズのほうを見たもの。【プライベート空間がな...二度目のロンドン16ケンジントン宮殿のなかへ下

  • 二度目のロンドン15 ケンジントン宮殿のなかへ 上

    写真上はケンジントン宮殿。【ケンジントン宮殿】ケンジントンガーデンズには、わかる人にはあたりまえでしょ、といわれそうですが、ケンジントン宮殿があります。朝10時から一部区画が開放されていて、入場券を購入すれば、誰でも予約なしで見ることができるのです。私も朝10時に宮殿見学に行ってみました。切符を買って10分ほどで中に入ることができました。ベルギーの王宮などの白地に金の装飾といったキラキラとした派手さとは違う、いかにも住まい、といった感じの木目を大切にした暗めの内装。天井は高いものの、気が遠くなるほど広い、といった感じではなく、人の気配を感じる空間です。とはいえ、写真を見返すとやはり王家の住まい。入口を入って階段を上がってすぐの踊り場的空間。冬場は寒く、日がすぐに落ちるせいなのか、宮殿の内部は自然採光に頼ら...二度目のロンドン15ケンジントン宮殿のなかへ上

  • 二度目のロンドン14 ケンジントンガーデンズ 散歩するひとたち

    写真上はケンジントンガーデンズ内にて。英国の芸術家ジョージフレデリックワッツが作成した「物理的エネルギー」という名の銅像。歩いて楽しい不思議な公園だ。【ピーターパンから電話が】雑木林の一角のような、雑然としたケンジントンガーデンズ内のロングウオーター池の西側に角笛をふいて自由に戯れるピーターパンの銅像がありました。スマホをかざすと、なんと、ピーターパンが電話で折り返してくれます。こんなにすごいのに、付近に解説すらは見当たりません。帰ってから調べると、原作でピーターパンはケンジントン公園で乳母車から転落し、乳母に見つけられないまま、そこで育って永遠の少年となったのだとか。いま、私たちがよく知っている原作の「ピーターパンとウェンディ」の話の以前に「ケンジントン公園のピーターパン」という物語が出版されていたので...二度目のロンドン14ケンジントンガーデンズ散歩するひとたち

  • 二度目のロンドン13 ハイドパーク&ケンジントンパーク

    写真はハイドパートとケンジントンガーデンズに設置されている犬のもの以外は容れられないゴミ箱。とにかく飼い犬に手厚い公園である。野生の動物もあふれんばかり。【ロンドンで一番の広さ】ロンドンで日課になったのが早朝のハイドパーク散歩です。厳密にはケンジントンガーデンズなのですが、ハイドパークと地続きで間に池が挟まっているだけで一体化しているので、シェアハウスの住民は「ハイドパーク」と言っていました。公園の敷地はその二つを合わせると253ヘクタールもあり、東京ドーム54個分の広さ。ロンドンで一番大きな王立公園です。公園の脇道に入ると大木に囲まれるので、ずーっと緑の空間が続いていると錯覚してしまうほど贅沢な空間です。ここが都会であることを忘れてしまいそう。シェアハウスから徒歩5分、人と自転車しか入れない入口を通ると...二度目のロンドン13ハイドパーク&ケンジントンパーク

  • 2度目のロンドン12 憧れのリバティへ 下

    写真上はリバティ百貨店の階段の手すり。カメの彫り物がいかにもアジア風。創建当時から店内を見つめ続けているのだろう。リバティの創業は1875年。【アジアンテイストな内装】リバティでは純粋に買い物が目的だったので家人とは公園で別れるつもりでした。ところが「リバティ社は東洋関連だから興味がある」といわれ、二人で行くことに。1924年に建てられたリバティの建物は、まるごと日本でいうところの重要文化財に指定されています。しかも当時、流行のものではなく、それ以前にはやった「テューダーリバイバル」と呼ばれる様式を採用していました。テューダー様式はエリザベス1世の治世に発展した様式なので、まさに「大航海時代」がテーマの家人には外せないスポット。さらに建物の材木には当時のイギリス海軍の2隻の軍艦を使用したのだとか。ますます...2度目のロンドン12憧れのリバティへ下

  • 2度目のロンドン11 憧れの「リバティ」 上

    写真はリバティ百貨店(LIBERTY)の正面玄関。建物は、1924年に建てられた当時のものを使用しており、イギリスの第2種重要建造物に指定されている。【目抜き通りのリバティ百貨店へ】さてリージェンツパークをポートランドプレイス側から出ると、すぐロンドンの有名なショッピング街・リージェントストリートに入ります。ぶらぶら20分ほど歩くと、人通りの多い街の中心、という場所にたどり着きます。そこでひときわ目を引く雰囲気のある建物が「リバティ(Libaty)」です。ここは、前にロンドンに来た時に買ったときの印象がよかった百貨店でした。当時、地下へ続くなめらかな木製の階段を降りると、昼だというのもオレンジ色の間接照明が異世界へといざなってくれました。そこにはつば広で縁がやや下降したレモン色の固めに編まれた麦わら帽子が...2度目のロンドン11憧れの「リバティ」上

  • 2度目のロンドン10 広大なリージェンツパーク

    写真はリージェンツパークの一角。広大すぎて撮る写真ごとに雰囲気の違う絵になる景色になっている。歴史は国王の所有になったり、貴族のものになったりと、非常に複雑。もとはお狩場でもあった。現在は自然公園。【やわらかなパステルカラーの緑の群れ】シャーロックホームズ博物館から大通りを北に100メートル進むと、緑滴るリージェンツパークに吸い込まれます。166へククタークの一角には世界最古(1828年)の、科学目的とされた動物園があるのですが、広すぎて片鱗すら見えません。草花が細やかに一株一株植えられ、様々なタイプのイングリッシュガーデンを見て楽しんでいると、突如、厳粛な雰囲気の碑が見えました。「1982年7月20日にここで起きたテロ事件の犠牲者への追悼」と書かれていました。ロンドンはテロ事件の記憶が数年おきに更新され...2度目のロンドン10広大なリージェンツパーク

  • 二度目のロンドン⑨ シャーロックホームズ博物館

    写真はシャーロックホームズ博物館の2階。ホームズらの居間。実験器具やヴァイオリンなど、本に描写されたもののほか、当時の家具などが細かにしつらえられてあった。【シャーロックホームズ博物館】シャーロックホームズ博物館脇のショップでチケットを購入し、列に並ぶこと20分。ビクトリア朝の従者スタイルの係員(ビクトリア朝の警官の立っている時間もあるらしい。)の誘導と名調子を聞いているといつの間にか入口です。地上4階地下1階の建物に入ると、目の前に雰囲気のいい階段がありました。階段を上がるところからビクトリア朝の調度類やランプなど細かな配慮にいつの間にかタイムスリップ。2階はホームズの部屋です。おおよそ6畳の客間に4畳半の寝室、それにトイレ。シャワーなどの設備はなし。思った以上に天井が低いせいか、想像より狭い感じを受け...二度目のロンドン⑨シャーロックホームズ博物館

  • 2度目のロンドン⑧ ベイカー街へ

    写真は「ベイカーストリート」駅の地上を出たところに立っているシャーロックホームズ像。たくさんの観光客がツーショット写真を撮っていた。【ベイカー街へ】次に地下鉄「ノッティングヒルゲート」駅から「ベイカーストリート」駅へ。改札から地上に出ると、等身大の「シャーロックホームズ」像がお出迎え。ベイカー街といえば、シャーロックホームズなのです。その横に大行列がありました。行列の先はマダムタッソー館。蝋人形をみるためにこんなに並ぶんだ、と驚くとともに、学生時代の記憶がよみがえってきました。30年ほど前、予備知識なしで迷い込んだベイカー街。そのときもマダムタッソー館はたしかにありました。けれども行列はなく、ひっそりとしていて不気味さ倍増。近くには2階のオフィスから通りに突き出るように横顔にパイプをくゆらせたシャーロック...2度目のロンドン⑧ベイカー街へ

  • 2度目のロンドン⑦ ノッティングヒルの古本屋

    写真はポートベロー通りにあるノッティングヒルの商店街。この通りの後ろの道にはまた違った風情の住宅街が広がり、そぞろ歩きの楽しい街だった。【古書に古着になんでもござれ】しずかな住宅街の道路を抜けると、ノッティングヒルの中心をゆるく南北に走る商店街に出ました。商店街という庶民的な感じではなく、ところどころ古びた、歴史を感じるブティック街です。映画に出てきたような古本屋も一軒だけですが、たしかにありました。日本のガイドブックがあったので、手に取ると、東京タワーの項目はあっても、スカイツリーはありません。私もロンドン行の準備として、日本で最新版のガイドブックを買ったところ、食べ歩きの項目は増しているのに、歴史的部分や特集のページがだいぶ割愛されていたので、結局、古本で古い版も買ったのですが、このガイドブックも何ら...2度目のロンドン⑦ノッティングヒルの古本屋

  • 2度目のロンドン⑥ ノッティングヒルの森

    写真はシェアハウスの裏通りの住宅街に咲くアジサイ。どの家も小さなスペースに見事に緑を茂らせていた。【日本渡りのお花たち】まず周辺を散策しました。シェアハウスの裏手の道には緑の庭を持つ戸建てが並び、昔からのレンガ造りの煙突があり、静かで落ち着いています。玄関の小さなスペースにはアジサイや藤の花がちょうど先誇り、元日本産の植物が見事にマッチしていて、19世紀にはやったという、シーボルトの影響も感じました。写真はフジの花が咲き誇るお宅の入口。アジサイの家の並びのおうちである。さらに西に歩いていくと2階建ての白壁にレンガの半円階段の玄関がついたテラスハウスが並ぶ一角があり、ザ・ヨーロピアン。映画やミュージカルのようなしつらえ、と思ってしまう浅はかさ。こちらが本物なのに。【ノッティングヒルの住宅地】地名を見ると、ノ...2度目のロンドン⑥ノッティングヒルの森

  • 2度目のロンドン⑤ シェアハウスで暮らす 下

    シェアハウスの台所。写真には写っていないが、手前にテーブルがあり、食事をしたり、いろいろとすることができる。【シェアハウスの住人たち】翌朝7時、共同キッチンで家人の作ったスライストマトとベーコンの目玉焼きにパンと牛乳で朝食をとっていると(日本では忙しすぎて家人が私に朝食を作ることは、まずなかった。ありがたい。)はじめて別の部屋の住人と出会いました。見た感じ40~50代の女性。ふんわりとした麻っぽい浅黄色のワンピースをきています。2週間、ここに滞在されていたとか。彼女は手早くオムレツを作りながら「系列のシェハウスの中で、ここは格段にいいですよ」ら話しかけてきました。「どこがですか?」と聞くと「交通の便が最高だし、設備面もすごくいいです。はじめてのシェアハウスがここなんてラッキーですね。」と話しだしました。ず...2度目のロンドン⑤シェアハウスで暮らす下

  • 2度目のロンドン④ シェアハウスで暮らす上

    シェアハウスの共有スペース。左奥がマンションの入口のドアで、その右の少し扉の空いたスペースがトイレ、その右手前がキッチンとダイニングテーブル、そのさらに手前右の空間を入るとお風呂場など。目の前にあるのが共有スペースのソファ。これらの共有スペースをはさんで、個人のスペースとなる部屋がある。ちなみにこのソファでくつろいでいる人は、私が見たところ皆無だった。みなにとっての廊下にあたるので、遠慮しあった結果と思われる。【お風呂に入る】ハウスの入口すぐの中央にはキッチンやお風呂場などの共有スペースがありました。皆で気を使いあって暮らしているためか、とてもきれいです。でも私にとって、しっかりとプライベートが確保された居住スペースは西の一部屋のみ。6畳もなさそう。その部屋にはダブルベッドが一つ。ほかに物を入れる小さなワ...2度目のロンドン④シェアハウスで暮らす上

  • 2度目のロンドン③ ベイズウオーター駅近くの住まいへ

    今後、2週間、暮らす部屋から見える景色。ザ・ロンドンという美しい家並みがみえ、ほんとうのイングリッシュガーデンが目の前にあった。【ベイズウオーター駅の多民族感】空港から地下鉄に乗って、降り立ったベイズウオーター駅は、世界最古の地下鉄・メトロポリタン鉄道(1868年10月開業)がパディントン駅から西に延伸した際に開業しました。現在、サークルラインなど2路線が通るロンドン中心部の西部側にあります。南に200メートル離れたところに上記以外の3路線が通るクイーンズウェイ駅もあり、交通至便。駅前を南北に走るクイーンズウェイ沿いには、7階建て程度の高さのレンガ造りの建物が連なっています。それらの建物の1階にはインド料理や東南アジア、中東料理、中華料理店やスーパーが入居し、その前を歩いている人の顔も、様々。多民族の街の...2度目のロンドン③ベイズウオーター駅近くの住まいへ

  • 2度目のロンドン②

    写真は地下鉄パディントン駅。地下から地上に出るところ。世界最古の地下鉄だけに、たくさんのケーブルがむき身で出ていて、まるで、地下鉄が五線譜の上を踊っているようにみえた。【首都は古風なレンガの街並み】乗り換え駅のポスターは、BBCの大人気ドラマ・ベネディクト・カンバーバッチ主演の「シャーロック」。地下鉄車両に爆破装置を取り付けるテロの話がありましたが、日本とは違う、この空間なんだ!とか思ったりして、すでに(ドラマの)聖地巡礼の気持ちです。さて、車内で耳に入ってくるのは、カクカクと喉の奥で詰まったように一単語一単語発するクイーンズイングリッシュです。小さな子もおじいさんもみんな、です。アメリカンイングリッシュを学ぶ日本の英語教育だと聞くことのない発音。正直、新鮮でした。日本で聞くのは英国王室や議員の方々のニュ...2度目のロンドン②

  • 2度目のロンドン① 世界最古の地下鉄

    地下鉄のピカデリーラインの列車内。車内は丸くて狭いので、座席の間に人が立つ空間はなかった。【違っていた2度目の景色】2019年7月9日火曜日17時半、飛行機の降下とともに映画みたいなモクモクと沸きあがるような白い雲がみえてきました。その下に深い緑と陰鬱な黒味を帯びたレンガの建物がみえ、18時3分にヒースロー空港に到着しました。ロンドンは二回目です。一度目は1990年の8月末で、わずかに4日間の滞在でした。今回は13日間ずっとロンドンです。大英図書館が主な目的ですが、もちろん、ちょくちょく回る予定。前回は30日かけたヨーロッパ学生ツアーの最終地でした。湾岸危機で帰りの飛行機(イラク航空でした)がなくなってしまったので、ツアー会社が見つけたロンドン発の別会社の飛行機に乗るために急遽、決まった目的地。本来の予定...2度目のロンドン①世界最古の地下鉄

  • ポルトガルとスペイン113 帰国する② マドリード空港もラビリンス!

    写真はマドリード空港の駐機場よりマドリード空港乗り場をのぞむ。右に見える搭乗口はキャセイパシフィック空港。コロナ禍前の2019年時点では、料理も見た目は華やかではないが、味がよく、サービスもほどよい距離感だが、必要な点は抑えられていて、好みの航空会社だった。【満員電車で出会った親切な人々】こうしてマドリード駅ホームに到着した空港行の電車は、なんと通勤客でぎゅう詰めのごく普通の通勤電車でした。荷物があるので、申し訳なく思いながらもじりじりと乗り込みます。スリに会わないようにバックを前に抱え、スーツケースを横に置くと、カーブごとにスーツケースや私が倒れそうに。びっくりしたのですが、そのたびごとに3人ぐらいの手が横、ななめ、といろいろな方向から伸びて支えてくれるのです。嫌がる風情も、せきばらいでけん制、とかも一...ポルトガルとスペイン113帰国する②マドリード空港もラビリンス!

  • ポルトガルとスペイン112 トレドから帰国する①

    トレドのセルコテル・アルフォンソ6世(HotelSercotelAlfonsoVI)ホテルの朝食会場。早朝のため、食事をとる人はほとんどいなかった。【マドリード空港へ】いよいよ、トレドから帰国の日を迎えました。朝6時に起床して、ホテルの朝食をいただいていると、「シティトレイン」を教えてくれたおじいさんが隅のテーブルで食事をしていました。お礼をいうと、ホテルのセルフサービスのレモン水を継いでくれました。やさしい。中世の騎士の武具などが、置かれていた。このホテルのあちらこちらに、さまざまな種類の甲冑があり、こわい、というより、おかしみのある、人形のような存在感を放っていた。さて気分よくホテルを後にして7時半にタクシーでトレド駅へ向かいます。あらかじめスマホで調べておいたマドリード空港直行便は、便そのものがなぜ...ポルトガルとスペイン112トレドから帰国する①

  • スペインとポルトガル111 トレドのレストラン

    写真はレストラン・ラ・オレザのアーティチョークのグリル。上には生にいくらが添えられている。イカなどの魚介類の風味がなんだか懐かしい味がした。栄枯盛衰が激しいので、お役に立つかわかりませんが、トレドでよかったレストランを紹介します。【レストランラ・オルザ(LAORZA)】エル・グレコ美術館の近くにあり、テラス席からかつてのユダヤ人地区が一望できる。ミシュランガイド掲載店。ランチの時間に20分以上並んで案内されたテラス席は眺望抜群でしたが、アンダルシアの3月の日差しはすでに鋼のような強さなのに、太陽の角度は低いので店のパラソルは役にたたず、帽子を外すことはできませんでした。メニューは郷土料理を主体としながらも、新たな料理の技術を取り入れた華やかで珍しい取り合わせが目につきました。ワサビやからしを効かせた「TA...スペインとポルトガル111トレドのレストラン

  • 新刊紹介『戦国日本を見た中国人』 海の物語『日本一鑑』を読む

    スペインの話の途中ですが、今回は新刊のご紹介です。じつはスペインが日本にも触手を伸ばした大航海時代ともかかわっておりまして・・。(長文ですので、小見出しをご覧くださってもよろしいかと。)【倭寇前夜】戦国時代の日本といえば、織田信長ほか戦国武将が有名です。彼らの必須アイテムは鉄砲。そのためには火薬がかかせません。火薬は硫黄、硝石、炭粉でできています。硝石は日本で産出しなかったので、輸入が必要でした。一方、硫黄は輸出するほどありました。ところが貿易をしようにも、お隣の中国は明(ミン)朝の時代で海を閉ざす海禁のまっただなか。そのため正式には10年に一度、国の盟主同士がものを贈りあう朝貢しかありませんでした。あとは全部、密貿易になってしまうのです。本書では、これらが本格化する前段からはじまります。日本では室町幕府...新刊紹介『戦国日本を見た中国人』海の物語『日本一鑑』を読む

  • スペインとポルトガル110 サービスって難しい!?

    トレドで宿泊したセルコテル・アルフォンソ6世(HotelSercotelAlfonsoVI)。トレドの世界遺産の地区のど真ん中にあり、アルカサル(軍事博物館)も近い。4つ星だが、プランを選べば、宿泊料も抑えられる上、部屋も整っていて空間にも余裕があった。【ふらりと入った店で】トレドの見どころの次は、食事処についてご紹介しましょう。ミシュランのシールもいたるところに貼られていて、味よし、サービスよしの店にも行ったのですが(値段は観光地ど真ん中だけあって、ややお高め)、トレドの初日は、疲れのせいか、立て続けに不思議な店に当たってしまったので、まずはその話から。トレドが最終目的地だと思うと、疲れがどっと出てしまい、食事をとる店を考えることも面倒くさくなりました。そこでふらりとホテルを出てすぐに看板がみえたレスト...スペインとポルトガル110サービスって難しい!?

  • スペインとポルトガル109 エル・グレコの最高傑作といわれる絵を見る

    トレドの夜の街角。日中、大勢いた観光客が夜にはほとんどいなくなる。(マドリードから一日観光で訪れる人が多いためだろう。)夕食をとろうとレストランに入ると、いかにも、な観光客向けの店以外は、地元の人が集うディープな空間になっていた。スペインにしては店が閉まるのも早めだ。【サント・トメ教会(IglesiadeSantoTomé)】トレド最終日の月曜朝。何度もポルトガルとスペインを訪れている研究者のKさんから「とにかく混むので、朝いちに行ってください!」とアドバイスされていたサント・トメ教会に行きました。開場前の朝9時50分だというのにすでに行列ができています。ここにはエル・グレコの最高傑作のひとつ『オルガス伯爵の埋葬』があります。教会のためではなく、その絵1枚のための列なのです。この教会はイスラム勢力からトレ...スペインとポルトガル109エル・グレコの最高傑作といわれる絵を見る

  • スペインとポルトガル108 ユダヤ教の教会と博物館(トレド)

    写真はトランシト教会とセファルディ博物館の外観。エル・グレコ博物館の前にある。【トランシト教会(SinagogadelTránsito)】14世紀に建てられたユダヤ教会です。トレドにはかつてセルビアと並ぶユダヤ人街があり、その中心に建てられていました。エル・グレコはその一角に住んでいたのですね。街のあちこちにはめ込まれたユダヤ人街(1492)と書かれたタイル。1492年のユダヤ人追放令以降キリスト教の騎士団の教会となり、現在はセファルディ博物館というユダヤ教に関する関連物を集めた博物館が併設されています。中に入ると、薄暗く、イスラム建築の色濃い影響を受けたムデハル様式で建てられた建物に、大勢の人が見学に訪れていました。トランシト教会の内部。細やかな装飾が美しい。教会を出て隣接の博物館へ向かうときに地下に不...スペインとポルトガル108ユダヤ教の教会と博物館(トレド)

  • スペインとポルトガル107 エル・グレコ美術館(トレド)

    写真はエル・グレコ美術館の外観。美術館というより、私邸を開放したという雰囲気だ。【エル・グレコ美術館(MuseodelGreco)】トレドのトラベルガイドに必ず登場するエル・グレコ(1541-1614)。彼が描いた対岸からみたトレドの景色は、今も変わらないと言われます。トレド・トレイン・ビジョンの時に、このブログでアップした、あの景色です。エル・グレコは「ギリシャ人」という意味のイタリア語にスペイン語の定冠詞「エル」がついたあだ名です。本人は絵にサインを入れる時はギリシャ文字で本名ドメニコス・テオトコプーロスと入れていました。ヴェネチア領クレタ島に生まれ、後半生をトレドで暮らしました。エル・グレコの絵は、一度、見るとけっして忘れることができないインパクトがあります。気迫でしょうか?傑作と呼び声の高い絵ほど...スペインとポルトガル107エル・グレコ美術館(トレド)

  • スペインとポルトガル106 モーロ博物館(トレド)

    モーロ博物館内に展示されていたイスラム式水道管の一部。一見、青銅製かと思ったが、焼成煉瓦の上に釉薬をかけて仕上げた、と解説がついていた。【モーロ博物館(MUSEOTALLERDELMORO)】トレドでもっとも混むサント・トメ教会の近くにあり、14世紀のムデハル様式の建物がよく保存されています。当時のイスラム由来の水道管の一部、装飾された井戸の縁石などが一つ一つ丁寧にガラスケースに納められ、詳細な解説が英語でもついています。博物館内に掲げられていた19世紀半ばにこの建物を描いリトグラフを見ると、当時、建物の立派さは知られていたものの、人が住んだり、寺院になっていたりというこてはすでになかったようで、馬でそのまま通過したり、倉庫に使われていたような、荒れ果てた様子。「なんか昔はたいした建物だったらしいぜ」「へ...スペインとポルトガル106モーロ博物館(トレド)

  • スペインとポルトガル105 西ゴート博物館・下 設立のわけは?

    写真はトレドで最も有名な名所であるサントトメ教会とカテドラルをつなぐ道沿いの小さな教会エル・サルバドール教会(IglesiadelSalvador)。古代ローマ時代の遺跡の上に建っていて、壁はローマ後期から西ゴート時代に建てられたままのもの。建物全体は9世紀のイスラームのモスクで、その後、塔を建てて教会とした。教会に設置された解説文には「初期キリスト教会もしくは西ゴート時代の教会の形態を残すユニークなピラスター(壁の一部を張り出した柱形)などが見て取れる」と書かれている。見落としがちだが、ローマ時代の生の遺構を見ることもでき、トレドの複雑な歴史を体感できる。【フランコの後継指名の時期に開館】スペインの人にとってはどうやら常識らしいのですが、私自身が西ゴートをあまりにも知らなすぎると思ったので、もう少し調べ...スペインとポルトガル105西ゴート博物館・下設立のわけは?

  • スペインとポルトガル104 トレドの博物館① 西ゴート博物館・上

    西ゴート博物館にあった展示物の一つ。龍の首が長くて胴体があり、首の先にはあわれ、人が飲み込まれようとしている。【博物館めぐり】トレドについた翌日は日曜日。日曜は驚くべきことに博物館、美術館の多くが無料開放になっていました(場所によっては午後だけといった時間指定あり。)いずれも無料だというのにまったく混んでいませんでした。トレドは星の数ほど博物館、美術館があるので、あまりサイトで紹介されていなかったり、見るコツが必要だったりしたところから紹介します。)西ゴート博物館の入口。【西ゴート博物館】まず西ゴート博物館。「西ゴート」という単語は私の人生で記憶にあるのは高校時代の世界史の教科書のなかの数行のみ。たしかアジアからフン族が移動したことによって、ゲルマン民族の大移動がおこり、「西ゴート」が5世紀初頭、ローマ帝...スペインとポルトガル104トレドの博物館①西ゴート博物館・上

  • スペインとポルトガル103 トレドみやげ

    写真はトレド旧市街の刃物店。店の看板はとくにない。ここで買った1000円ほどのアーミーナイフは、その後、私のお気に入りに。【土産もの】先週、クレジットカードの決済に苦労した話をしたので、ついでにみやげものの話を続けます。旅の最終地だったので、どうしても買い物に力点がいってしまいます。トレドは、小さいながらも老舗も多く、魅力的な掘り出し物もありました。昔から鉄製品の加工や刀鍛冶職人で有名な土地柄だと聞きましたが、刃物の店は本当に魅力的。小さな通りにいっけん、ぽつんとあった角の名もなき刃物屋で見つけたアーミーナイフ。日本円で1000円ほどのものなのですが、これがすぐれものでした。ナイフはもちろんのこと、分解するとフォークとスプーンにもなり、当然ながら缶切りも栓抜きも付いていて、いうことなし。切れ味も抜群で今で...スペインとポルトガル103トレドみやげ

  • スペインとポルトガル102 トレド・変わらぬ街と迷子

    写真はトレド旧市街の街並み。道は建物を間を縫うように幅が狭く、曲がりくねってついている。モンブランケーキのクリームの中を縫って歩いているような気持ちになった。【カンも地図アプリもダメ】三方向をタホ川に囲まれ標高500メートルの山に築かれたトレドは古くから要塞都市として、ローマ人、イスラム勢力、キリスト教徒と次々と為政者が交代していきました。そして1561年に首都がマドリードに移るまで、スペインの事実上の首都として君臨。その後の首都の移転によって、その時代が冷凍保存されたように街並みがそのまま残りました。今とほとんど変わることのない風景を、1584年には戦国時代に九州の大友宗麟らが派遣した天正遣欧使節団が、1614年には奥州の伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団がトレドに宿泊し眺めています。当時、すでに首都はマ...スペインとポルトガル102トレド・変わらぬ街と迷子

  • スペインとポルトガル101 天空の城ラピュタのようなトレド

    写真は、トレドの街の対岸の展望台よりみたトレド。湾曲したタホ川に囲まれた要塞都市だということがよくわかる。マドリードに首都が移転するまで、長らく首都として君臨していた。【ごきげんなトレド・トレイン・ビジョン】世界遺産に登録されているトレドの旧市街は湾曲するタホ川に囲まれた天然の要塞都市です。その全貌を自分の足で歩き回らなくても、最高のロケーションで見られるツアーがありました。トレドトレインビジョン(TOLEDOTORAINVISION)です。宿泊したホテルの真ん前、アルカサル(軍事博物館)の横に真っ赤なトロッコ列車のような形を模したミニバスが停まっていました。すでに何人か人が乗っていて、看板には一人6.5ユーロ(2023年現在は7ユーロ)でトレド旧市街を通って、外周まで遊覧できるツアーだと書かれています。...スペインとポルトガル101天空の城ラピュタのようなトレド

  • スペインとポルトガル100 スペインの古都・トレド

    写真上と下はトレド駅駅舎の内部。ここがトレドの外と駅のホームをつなぐ待合室なのだ。【荘厳でレトロなトレド駅】ようやく着いたトレド駅。古都だ、最終地だ、と気が楽になり、ウキウキ。じつに立派な駅舎です。トレドに鉄路が引かれた1916年に建造され、2005年AVE(スペインの高速鉄道)延伸に伴い、改修された駅舎は、まるで荘厳な教会のよう。細かな装飾が施された黒塗り木製のおしゃれな格天井。石やタイル、ステンドグラスが組み合わされた新ムーア様式の建物は、落ち着きと特別感があふれていて、列車から降りてくる観光客はのきなみ、振り返っては写真を撮っていました。マドリードと違って人も多くないので、写真を撮っていても誰の迷惑にもなりません。私もベンチに腰を下ろし、ほの暗く、落ち着いた空間に浸った後、駅の構内を抜けてタクシー乗...スペインとポルトガル100スペインの古都・トレド

  • スペインとポルトガル99 コルドバからマドリードへ(下)

    写真はマドリードからトレドに着いたばかりの車両。「renfe」はスペインの国鉄の名前だ。車体に「JR」と書かれているようなものである。清潔で快適。マドリードを出発する時間はゆっくりだったが、到着時間はなぜか、規定の時間より早かった。運行に余裕をもったダイヤ編成なのだと感心していたら、列車の到着時刻が15分以上、遅れたら、払い戻しをする規定があるのだそうだ。【はじっこにあったトレド行きホーム】ところが家人も何事かを察したらしく、1か月の旅で買いためた異常な量の荷物を押して必死にやってきてくれました。こんなときに、スマホがあれば、ここまでハラハラしなかったことでしょう。こうして集合し、みなで「トレド行き」と表示された14番線に行くことに。ところがまたもや難関が出現。案内図をいくらみても、プラットフォームは1~...スペインとポルトガル99コルドバからマドリードへ(下)

  • スペインとポルトガル98 コルドバからマドリードへ(上)

    写真はコルドバからマドリード行の高速鉄道AVEの車内。スペインではマドリードに通ずるように全土に高速鉄道を張り巡らせるている。【マドリード駅ラビリンス】グラナダでスマホをなしくて、3日目の朝。アルハンブラ宮殿の遺失物センターから「スマホのお届けはありませんでした」というシンプルなメールが届きました。日本の、JRの遺失物センターはあった時のみの連絡なので、見つからなかったにせよ、この連絡はじつにありがたい。でも、となると、やっぱりスられたのかも。なくなったのは、そうとう使い込んだHUAWEIでした。いろいろあったスペインですが、今日は、この旅の最終目的地のトレドを目指します。9時にコルドバのホテルを出発。タクシーの運転手に「鉄道のコルドバ駅へ」と告げると、「ウナ。ソロ(うん、一つだよ)」グラナダと同様にここ...スペインとポルトガル98コルドバからマドリードへ(上)

  • スペインとポルトガル96 下町感あふれるコルドバ

    写真はアルカサールの庭園にて。白い妖精のような女の子が水を飲んでいるだけなのだが、昔はイスパニアの宮殿、その前はアラブの城でもあった重層感が、不思議と女の子の雰囲気とマッチして不思議世界にいざなわれてしまった。おそらく彼女の父母の様子からみるとごく普通の観光客の女の子だろう(2019年3月8日撮影)【コルドバにもローマ神殿】コルドバは、世界遺産のある都市のわりには人通りが少なく、そぞろ歩きにぴったり。セビリヤにも旧ユダヤ人街がありましたが、ここにもあり、特徴は白壁。花咲く青い小鉢が壁掛けされていてよく映えます。さらに2階の窓に植物のツルで編んだ独特な模様の浮き上がった簾がかかり、風情もひとしお。バルコニーでは気取りのない雰囲気でコルドバの人たちが窓越しに話しこんていて、普段の生活を垣間見せています。このリ...スペインとポルトガル96下町感あふれるコルドバ

  • 愛すべきコルドバ気質②とメスキータ

    写真はコルドバ中心街のレストラン「タベルナ・サンミゲル(TabernaSanmigel)」。コルドバは闘牛の本場としても有名だ。1939年夏にデビューしたコルドバ出身のマタドール(闘牛士)マノレテことマヌエル・ロドリゲスは、スペイン内戦終結時のデビューであり、悲し気な黒い目と憂鬱なイケメンの顔と戦闘スタイルはスペイン国民の心をさしづかみにしたという。文豪ヘミングウェイの『日はまた昇る』にも、そのような宿命を背負った闘牛士が陰影を与えている。コルドバには店主が闘牛にぞっこんで、歴代のポスターやスター闘牛士のイラストや写真が飾られた店も少なくない。この店もその一つ。【コルドバ気質②】ただコルドバの人は長考が好きみたい。たとえばメニューを頼むのにとても時間がかかります。昼時のサラリーマンですら、飲みものも頼まず...愛すべきコルドバ気質②とメスキータ

  • スペインとポルトガル95 愛すべきコルドバ気質

    写真はコルドバ初日に偶然入ったレストラン「エル・カパール・ロホ」の中庭入口。店内には有名人が来店した写真が掲げられていた。若かりし頃の現天皇や現上皇、さらに首相だったころの海部氏がそれぞれ来店された時の写真もあった。【グラナダからコルドバへ】昼にグラナダをあとにし、バスでコルドバへ。とはいえグラナダ駅ではバスの到着が遅れ、中学生ぐらいの女の子は不安でついには泣き出してしまったものの、そのほか乗客は、ひたすら静かにおだやかに待っていたのが印象的でした。3月7日の話です。2時間40分の道中、道路が荷馬車一台分ほどの狭さで、車窓からは羊の群れと低めのオリーブ林しか見えません。畑すら一度も見ることはなく、大地は乾ききっていました。それだけに3時ごろコルドバに近づくと街がみえ、たっぷりと水の流れる川もあり、それが斜...スペインとポルトガル95愛すべきコルドバ気質

  • スペインとポルトガル94 もてなしのグラナダ

    アルハンブラ宮殿を囲む森の急坂を降りると街にでる。途中、日本のガイドブックを見ても出てこないビバランブラ門がどこにも接続することなく、静かにたたずんでいた。(グラナダ門でもワイン門でもザクロ門でも裁きの門でもなかった。)スペインのホームページによると、1933年に紆余曲折を経て再建された門のようだが、歴史も深さを否が応でも感じてしまう。https://www.alhambra-patronato.es/la-puerta-de-bibarrambla2【アルハンブラを囲む森】山の上にあるアルハンブラ宮殿の周囲は手入れされた森でした。急な下り坂を速足で降りていると、ところどころに門があり、まったく人通りがないのがもったいないほど気持ちのいい一本道です。宮殿周辺の森の中にはリスもいた。『旅名人ブックスアルハン...スペインとポルトガル94もてなしのグラナダ

  • スペインとポルトガル93 アルハンブラ宮殿の思い出

    写真はアルハンブラ宮殿の壁面。白大理石に彫り込まれた模様が尊い。【美しさ、の代償】グラナダの目玉はなんといってもアルハンブラ宮殿です。外観は少しの装飾をのぞけばのっぺりとした土の壁ですが、中に入ると、彫りこんだ凸凹装飾の美しさに心を奪われてボー。人混みに押される感じで進んでいると、「ライオンの中庭」で日本人の小集団に解説する日本語が聞こえてきました。「12頭の白大理石で作られたライオンの背に乗る12角形の水盤。端正でしょう?ここでくり広げられた血なまぐさい歴史をお話ししますと・・」白髪にジーンズ姿の初老の日本人男性ガイドの話はおもしろく、久々に聞く日本語解説に聞きほれました。(ただ聞きはご迷惑だったことでしょう。ご勘弁を。)それから、庭を中心にした回廊や部屋の空いている場所でしゃがんでみました。すると景色...スペインとポルトガル93アルハンブラ宮殿の思い出

  • スペインとポルトガル92 グラナダのプチホテルと王立礼拝堂

    プチホテル前の石畳とタロ川。夕方のせいか歩いているのは観光客が過半であった。【上質なプチホテル】グラナダ駅前でバスを降り、タロ川沿いの石畳の道を登ると、17世紀の館を改装したプチホテル「マリアナ・ピネダ宮(PalacioMarianaPineda)」に着きます。写真はプチホテル・マリアナ・ピネダ宮の入口。外観からだとたくさんある建物の一つにしか見えないのですが、じつは元貴族の館。なかに入るとおしゃれでゆとりもあり、部屋も黒味がかった木の柱や木彫家具が素敵です。古い館にありがちな階段と段差ばかりで、スーツケースの移動は難儀しましたが、ヨーロッパでは珍しく出かける際に見送ってくれる温かいもてなしがありました。プチホテルの中庭。【王立礼拝堂】宿のカフェで一息つき、さっそく王立礼拝堂へ。中は凍るほどの寒さにもかか...スペインとポルトガル92グラナダのプチホテルと王立礼拝堂

  • スペインとポルトガル91 眠る街グラナダ

    写真はアンダルシアの交通の要衝アンテケラ駅。駅の周囲には街らしい風景はなく、乾燥した平原と、形のいいとんがり帽子のような切り立った山が見えるばかり。というのも、高速鉄道の乗換駅として高速道からも乗り入れできる駅として街の中心から17キロ離れた場所に2006年に作られた、ジャンクション駅だからだ。そこに突然、列車やバスから降ろされた人々は各々のやり方で情報収集に追われた。駅の案内掲示も混乱(アンテケラ駅にて)。【眠る街・グラナダ】アンテケラ駅(ANTEQUERA-SANTAANA)は、清潔感ある石とガラス張りの駅でした。その傍らで我々はバスを降ろされ、運転手も「わからない」といって困惑するのみ。客も皆、いらだつことなく「困ったな」という感じで首をすくめて様子待ち。駅には別の便に乗っていた日本人の若いカップル...スペインとポルトガル91眠る街グラナダ

  • スペインとポルトガル90 アルヘシラスからグラナダへ①

    写真はアルヘシラスから乗り込んだグラナダ行きのバス。本来の列車の代行輸送として用意されたバスなので、表示に「RENFE」(レンフェ)の文字が見える。レンフェはスペインの国鉄のこと。外装は攻めた感じだが、内装は落ち着いていて豪華だった。【あんまりなホテル】アルヘシラスの滞在はさすがに疲れました。なんといっても、たった2日間でジブラルタルとモロッコにまで行ったのですから。そして拠点としたアルヘシラスのホテルが難物で。バスターミナルからほど近いのは利点なのですが、何よりまいったのがサービスの朝食でした。ビュッフェ会場にいくとパンとジュースとヨーグルトときゅうり、トマト、チーズの薄切りがシンプルに並んでいるのですが、宿泊客はいるはずなのに会場はガラガラ。そして取り皿にきゅうりを載せると、なぜか粘りが。ンン?これは...スペインとポルトガル90アルヘシラスからグラナダへ①

  • スペインとポルトガル89 モロッコ⑤ お菓子屋と干しプルーンの煮込み

    写真は、タンジェの地元好みのレストランで出会ったプルーンと鶏肉の煮込み。料理も料理人も見るからに中東系だったが、お皿には「华国酒店」「RESTAURANTE」「JARDINCHINO」の文字が。中国語のほうは花園レストラン、アルファベットはスペイン語でレストランチャイニーズガーデンの意味。つまり同じこと。中国料理店のロゴ入り皿を、気にせず購入し、店用に使っているようだ。安さの秘密なのだろうか?【大きな店より小さな名店】すぐ近くの裏通りにある穴蔵のような小さなお店。白壁に小さく「スナック」とかかれた赤い看板のみが住居でないことを示しています。階段を降りると、床に撒かれた木のチップがよい香りを放ち、意外と清潔そう。床に撒かれたチップ。雲南にも床に松葉を散らして、すがすがしさを出すレストランがあったことを思い出...スペインとポルトガル89モロッコ⑤お菓子屋と干しプルーンの煮込み

  • スペインとポルトガル88 モロッコ④ タンジェのお菓子屋「

    写真上も写真下もモロッコの「PatisserieAlafrah」のショーウインドーにて。モロッコのお菓子には、雲南でも見かけたお菓子がけっこうあった。その一つが「絲窩糖」(またの名を「窩絲糖」「龍髭糖」りゅうのひげ飴)に似たお菓子。もともと新疆ウイグル自治区から広まったといわれているので、こちらが本場。https://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/6ff1371ff843b1cdafc3fd81a62e9bc7【タンジェの銘菓】食後はフリータイムと言われたのですが、「お楽しみください」といわれても途方にくれるばかり。というのも先ほど歩いただけでも小道が多く、怪しげな雰囲気の街なのですから。ツアーの人たちは三々五々、レストランから見える範囲でお茶をしたり、買い物したり。そんな時、ベ...スペインとポルトガル88モロッコ④タンジェのお菓子屋「

  • スペインとポルトガル87 モロッコ③

    写真は、スークの入口付近。スマホとともに旧型の携帯電話も売られていた。ここまではカメラを向けても大丈夫な雰囲気だった。【スーク(市場)】城壁の中の街は迷路のよう。城門を入ったすぐのところにある市場は人、人、人。ここでようやくスペインとの違いがくっきりとわかりました。服装が違う。ラシードさんと同じような1970年代封切のスターウオーズのオビ・ワン・ケノービがたくさんいます。フード付きの丈の長いコートのような民族衣装・ジェラバ。売り物も食料品から雑貨品、服地、パン、なかには10年以上前の中国・雲南で使っていた旧型の携帯電話も売られていました。いかにもやばい人が暗躍していそうな雑多な雰囲気がかもされています。ここでラシードさんはにこやかだった顔を引き締めて「買いたいそぶりを見せてはダメです」といって、すぐに客引...スペインとポルトガル87モロッコ③

  • スペインとポルトガル86 モロッコ② スパルテル岬とヘラクレスの洞窟

    写真の奥に見えるのは大西洋と地中海。強風が吹いていて、海も荒れているが、ラクダは、どっしりと構えていて強風にもびくともしなかった。【ラクダに乗って地中海と大西洋を一望する】陽気なラシードさんと10人ほどの団体を載せて、すぐにミニバンは出発しました。私が日本人だとわかると、「JTBの添乗もよくしていますよ」とウインク。勘で選んだツアーで心配していたのですが、審査が厳しいと聞いているJTBのツアーもされていると聞き、すっかり気が楽になりました。さてタンジェの港から車での移動中に見えるのは、抜けるような青空と風化した白い岩、アスファルト道路に豪邸らしき家の白い壁のみ。あんまりスペインと変わらないなあ、と思っていると、スパルテル岬に到着しました。眼下に拡がるのは地中海と大西洋。強風が吹いていて、緑の海を走るように...スペインとポルトガル86モロッコ②スパルテル岬とヘラクレスの洞窟

  • スペインとポルトガル85 モロッコ① アフリカ大陸へ移動する

    写真上はタリファの船の待合所。この周囲はぐるりと700年代からのモーロ人らの要塞に囲まれている。昔の重要拠点だったことがうかがえる。こうした立派な歴史的建造物があちこちにあるのに、それを気に掛ける人はほとんどいないように見えた。【まずタリファだった!】唯一、呼び込みのなかったブースで購入したチケットを握りしめ、朝7時20分にフェリー乗り場へ。私たちのツアーデスクに、私たち以外に人影はなし。あれ、大丈夫かな、と思っていたら、15分後に金髪の浅黒いおじさんがきて「こっちこっち!」と合図してくれました。着いていくと、そこには大型バスが。あれ、海を越えるのにバス?と思って聞くと、「タリファ⤴」と、腹から持ち上げるような発声で一言。アルヘシラスから20キロ南西にある、ジブラルタル海峡に面したタリファは、たしかにイベ...スペインとポルトガル85モロッコ①アフリカ大陸へ移動する

  • スペインとポルトガル84 ジブラルタル② いろいろと濃い植物園

    写真はジブラルタル植物園(またの名をアラメダ庭園)の入口にあるジョージ・ドン門。広さ6ヘクタールあり、無料で開放されている。【ジブラルタル植物園】山を下り、街へ。まるでディズニーランドのように、風土と関係なく作られてそこにある、といった感じの緑と白のペンキを基調にした古風な英国スタイルの街並み。日曜のためか、人影はなく、パブも雑貨店も郵便局もお休み。ジブラルタル博物館も閉まっています。車の通らないつるりと舗装された黒いアスファルトのヨーロッパロードを進むと、クラシカルな文字が鋳込まれた門がそびえ、その向こうにアジアっぽい植物が生い茂った空間がありました。「ジブラルタル植物園GIBRALTARBOTANICGARDENS」と書かれています(https://www.spottinghistory.com/vi...スペインとポルトガル84ジブラルタル②いろいろと濃い植物園

  • スペインとポルトガル83 ジブラルタル①

    上の写真ジブラルタル、ターリウ山頂のサル。娘のホカロンを器用に剥いていく。このあと、わらっちゃうほど、まずそうな顔をした。【近くて遠いジブラルタル】モロッコ行のチケットは取ったので、次にもう一つの目的、ジブラルタルを目指します。アルヘシラスに日中、空いている食べ物屋がなかったので(ホテルの従業員までウーバーで食事を届けてもらっていた・・。)ホテルに戻ってカディスで買ったパエリアと焼きイベリコ豚とポテトで昼食を済ませ、2時50分発のジブラルタル行のバスに飛び乗りました。毎時2本程度出ているバスは、街の人で混雑気味。窓の外をみると、ちょっと気取ったナポレオン帽のような白い岩の塊ジブラルタルの山が海に浮かんでいました。それは目の前なのに、じれったいほど近づかないのです。深く湾曲したジブラルタル湾をCの形に移動す...スペインとポルトガル83ジブラルタル①

  • スペインとポルトガル82 アルヘシラス到着!①

    カディスからアルヘシラスへとのびる幹線道路にて。湿地帯、丸刈りの松のような林の続く樹林帯、牧草地(白牛、赤牛が放牧されている)と風景が目まぐるしく変わっていく。ショッピングセンターやドライブインなどにも細かく立ち寄り、客を拾う公共バス。やがて風が強くなり風力発電12基やカウボーイや牛の看板が見えるころ、アルヘシラスに到着した。【西部劇の舞台のよう】狂乱のカーニバルと思いきや、意外や地元密着型のおだやかさだった大西洋側のカディスからイベリア半島の地中海側に立地するアルヘシラスへ。10時15分にカディス駅をたったバスは順調に2時間で到着しました。地図で見ると半島の下の部分をほんのちょっと、たった80キロ移動しただけなのに湿気のあったカディスとはうって変って、西部劇の舞台かと思うような乾燥した草原と赤い砂ぼこり...スペインとポルトガル82アルヘシラス到着!①

  • ポルトガルとスペイン81 カディスの見どころを散策する

    カディス(ELSARDINERO)の小魚(きびなご?)の唐揚げ。日本で食べる小魚の唐揚げと変わりない味。ほっとするおいしさ。【カーニバルの中、カディスを歩く】カディスを島と考えると全長が1キロほどなので、散歩に最適です。街並みもよく保存されていて、カディス大学では石造りの古式ゆかしい建物からジーンズの若人がドーナツをほおばりながら歩いていたり、中からブラスバンドの練習の音が響いていたりと、寒さの厳しい中でもゆったりとした気持ちになりました。カディス博物館の正面。カディス博物館は、状態から見ると、カディス沖の海底から引き揚げたものが多いようです。ローマ時代以前のフェニキア人の顔を写した焼き物のレベルの高さよ。いまでも中東のサッカー選手で見かける顔が等身大の石像で残っているのです。鼻筋がしっかりと通って、目が...ポルトガルとスペイン81カディスの見どころを散策する

  • スペインとポルトガル80 カディスで食べる肉料理

    写真はメソン・コンブレス・マヨレスの入口にあるカウンター。カーニバルの服装のままお昼をとる人もいる。【カディスでお勧めの店・メソン・コンブレス・マヨレスMESONCUMBRESMAYORES】駅に近いごちゃごちゃした通りから旧市街中心部に向かって小さな路地をぐるぐると歩いていると、ひときわ活気に満ちた古風なバルがありました。入口に扉はなく、ただ洞窟のような中に入るだけ。外にも丸テーブルがあり、ビール片手にほぐした肉をムシャムシャとほおばる人々が。中に入ると天井からはしっかりと燻製された豚の太ももの形をしたハムがずらりと吊り下げられ、合間にニンニクもぶらさがっています。ヒヨコ豆のスープにはたっぷりと臓物がはいっていてうま味たっぷり。肉よし、味よしで、身体が芯から温まります。豚の各部位のバーベキュー(Paai...スペインとポルトガル80カディスで食べる肉料理

  • スペインとポルトガル79 カディスのカーニバル

    カディスのカーニバルの人々。宿泊先のペントハウス。【本場の、ほのぼのカーニバル】ペントハウスの眺望はたぶん、街で最高レベル。だけど、その分、一度、降りて、また4階まで上がる際、足が上がらなくなることも。段差がとにかく急なのです。ただキッチンと洗濯機があるのはうれしい。早速、洗剤を買って、たまった洗濯ものを回しました。さて外は昨日とは打って変わってカーニバル一色に。大人は白塗りの不思議ないでたち、それも集団で。一方、子供はスーパーマリオとスパイダーマンの恰好をよく見かけました。マリオは日本発だと知ってるのかしら?わがことのように誇りたくなる勝手な私。中心広場は、バルーンや電飾できらびやかに飾り付けられ、真ん中に小さな舞台も設置されていました。そこのイベントの一番の目玉が仮装を競う大会です。大勢、もしくは数人...スペインとポルトガル79カディスのカーニバル

  • スペインとポルトガル78 カディスは小島?

    写真はカディスから見える夕日。大西洋へと沈んでいった。【カディス到着】14時45分発カディス行きの列車は、やはり満席でした。セビリアからの一時間半、見える景色は平坦な黄色い大地と薄い緑ばかり。ところがカディスに近づくと一変。乾いた大地から水っぽい湿地帯。やがて大西洋がキラリと輝いてみえます。カディス周辺の湿地帯。カディスの歴史は古く、紀元前10世紀ごろフェニキア人によって築かれたヨーロッパ最古の都市の一つです。スペインの大西洋岸では最も突き出た半島で幅2キロメートルほどの四角い地形なのは地図でわかってはいたのですが、足場の悪い湿地帯が続いたところから、じつは江の島のように陸地とつながった小島なのだとわかりました。江の島の幅5倍強ある都市島。ここから新大陸へとコロンブスが出発し(2回目と4回目)、1717年...スペインとポルトガル78カディスは小島?

  • スペインとポルトガル77 セビリア美術館周辺と救済病院

    写真はセビリアの救済病院内にある付属の教会。清貧な元病院の雰囲気とそのうちにある教会の豪華さにクラクラ。有名絵画が、飾り立てることなく壁にかけられていた。【セビリア美術館周辺】セビリア発カディス行きの列車を目指して、街の東北部にあるセビリア・サンタフスタ駅へ。30分後の10時20分発のチケットを購入しようとすると、カディス行きは臨時列車の14時45分発まで、すべて満席でした。そんなに混んでるの?と驚きましたが、その日は3月1日で、カディスは年に一回のカーニバルのシーズン。面倒でも事前予約をしておくべきだったのです。参考https://goripachi.com/spain-train-renfe/サンタ・フスタ駅の外観は平べったいが中は深い。ここは気持ちを切り替えて、午後までの空いた時間を街の西北部にある...スペインとポルトガル77セビリア美術館周辺と救済病院

  • スペインとポルトガル76 フラメンコショー② ロスガリョスLos Gallosにて

    写真はロスガリョスにて。夜更けに三々五々、帰っていく観客たち。治安はよく、不安なくホテルに戻ることができた。【さて本番!】夜7時40分。夕食をスペイン駐在員のブログなどで評判の店「EnriqueBecerraエンリケベセラ」へ。さすがにお客の半分は日本人でしたが、接客の女性店員のテキパキとした明るく、誇り高い様子が気持ちいい。味も。少し相場より高めの値段設定なので、他の店は観光客でいっぱいなのに、少なめでした。夜10時半に満を持して、予約したタブラオへ。ワンドリンクを注文して、席に着きます。70人くらい入れる客席に客は20人、いや10人もいません。だのにショーにはプロのダンサーが8人、裏方が10人くらい。経営は大丈夫か、と心配になります(今もこのタブラオは毎日、ショーをしているようなので、大丈夫だったよう...スペインとポルトガル76フラメンコショー②ロスガリョスLosGallosにて

  • スペインとポルトガル75 フラメンコショー① チケットを取る

    写真はサンタクルス街のパティオの一つ。一つ一つの中庭ごとに趣きが異なる。いずれも、人に見られることを意識したかのような美しさ。【サンタクルス街の迷宮】セビリア最後の夜は、アンダルシアの華であるフラメンコをみてみたい。ポルトガルでファドに連れて行ってくださった方から「力量のある人はマドリードに行くけど、層の厚さはなんといってもセビリアですよ」と、言われていたのです。まずは、今夜のチケットを取らねば。調べたすえ、セビリアで一番の老舗タブラオ(フラメンコのショーを行っているところ)1960年代創業の「ロス・ガリョスLosGallos」に狙いを定めました。ここは事前予約制なのに、チケットのネット販売が見当たりません。直接、行くしかない。(今はネット予約も可能なようです。http://www.tablaolosga...スペインとポルトガル75フラメンコショー①チケットを取る

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