ドライブ後、逃げる手もあることを知ったぼんご。相変わらず学校はなぞの発作の原因の中心にあった。それでも、本当に耐えられなくなったら逃げればいいからそれまでは頑張ってみようと自分の人生にすこしだけ建設的になってきた矢先の入院だった。 ぼんごは
腎炎うん10年、パニック障害うん10年と人知れず戦ってきた「ぼんごさん」の争いの記録を綴っています ぼんごさんが腎炎を患ったこと、パニック障害を患ったこと、それでも楽しく過ごしている最近のこと、を中心に日々の様子を書いています
頭はぼさぼさ、服装は適当、目は半開き。遅刻が多い、欠席が多い、早退が多い。身体の中では謎の体調不良が今か今かと出番を待ち構えており、ぼんごもそれに意識的になって、どうにか大人しくしていてくれと願うばかりで他にできることもなく、学校に行けるか
パニック障害を発症しているということを全く知らずに高校生活を謎の体調不良とともに過ごすぼんごさん。体調不良のために友達の誘いに付き合えないとか、授業を受け続けられないとか、学校に行けないとか、そういった悔しい日々が日常と化していた。心配「来
「物語」について、また最近知った「ナラティブ・アプローチ」について思うことを。物語の役割物語とは身の回りの混沌に秩序を与える考え方が形になったものだ、と、若い頃に習ったことがある。このときの混沌というのは、身の回り何気ない生活様式の安定を妨
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ドライブ後、逃げる手もあることを知ったぼんご。相変わらず学校はなぞの発作の原因の中心にあった。それでも、本当に耐えられなくなったら逃げればいいからそれまでは頑張ってみようと自分の人生にすこしだけ建設的になってきた矢先の入院だった。 ぼんごは
2024年に入ってから、ぼくの転職騒動でいそがしくてぼんごぶろぐの更新が滞っていました。でも落ち着いてきたのでぼちぼち再開します。いつも読んでくださる方、どうもありがとうございます。 0.5のおばさん さてぼんごさんの最近の話。 ぼんごさん
2023年夏。友人ががんで亡くなった。44歳。一番辛くて一番視野が狭くてどうしようもない高校時代に、一緒にいてくれた人の死。年齢にしては身近な死を多めに経験している自分でも、どうしようもない喪失感に襲われた。悲しみは心の底からいつでも湧きあ
高3の冬が来て、ぼんごの人生にも受験シーズンというものが訪れていた。その、受験シーズン真っ盛りの12月の半ばの平日のこと。ぼんごはひとり、人もまばらな午前のデパートで寝間着を買っていた。これから入院するのだ。 ドクターストップ ぎりぎりでい
腎炎が寛解となってから、なんでも好きな事をしていいと言われていた。親からも医者からもそう言われた。 しかし、何でもやっていいと言われても、できそうなイメージを持てることが何ひとつ無いのが現実だった。何をやるにも体力がいる。 いくつか試してみ
高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。原因のわからない悩み高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩ま
私にはなりたい職業があって、行きたい学部があったけど、結局体やお金の都合もあってパスをした。職業とは無関係の三流大学の文系学部に入って、卒業する時にきちんと就活もしなかったので、その後ずっと事務系の仕事を非正規ですることになった。そのことを
高校生活も大半が過ぎた。この頃、ぼんごが何か異変を抱えていることは家族の間では公然の秘密のようになっていた。でも、なぜそうなっているのか誰にもわからないし、ぼんごも言おうとしないので、得体の知れない不安は募るばかりで、いつかは破裂するのがわ
前回の続き。どこでもないどこかへ平日の昼間、人気のない記念公園の公衆便所の個室に、ぼんごはいた。なんでこんなことになっているのだろう。なんで自分はこうなんだろう。なんで世の中は自分を突き放して回るのだろう。昔は、病室や看護師さん、お医者さん
謎の体調不良が頻発するようになってから、ぼんごはすっかり保健室の常連になっていた。教室で気持ちが悪くなると、先生に断って教室を出てゆくことが常態化していた。自分に視線が集まっているような気がして、いつも背中が重かった。一緒3年生のいつかのこ
学校に行っていないことについて、事情聴取をうけることになったぼんご。お父さんとお母さんを前に、がちがちに緊張していた。(前編はこちら)過呼吸おこる「学校から連絡があって、あんたが学校に行っていないって言われたんだけど」みたいなことを皮切りに
高校2年と3年はぼんごの人生にとってどん底の日々で、どれくらいどん底かというと辛すぎて記憶が曖昧になるくらいどん底だった。この記事と次の記事を書くときも曖昧な記憶を手がかりに辛い事を思い出してもらっていて、それは今現在のぼんごにとっても全く
頭はぼさぼさ、服装は適当、目は半開き。遅刻が多い、欠席が多い、早退が多い。身体の中では謎の体調不良が今か今かと出番を待ち構えており、ぼんごもそれに意識的になって、どうにか大人しくしていてくれと願うばかりで他にできることもなく、学校に行けるか
パニック障害を発症しているということを全く知らずに高校生活を謎の体調不良とともに過ごすぼんごさん。体調不良のために友達の誘いに付き合えないとか、授業を受け続けられないとか、学校に行けないとか、そういった悔しい日々が日常と化していた。心配「来
「物語」について、また最近知った「ナラティブ・アプローチ」について思うことを。物語の役割物語とは身の回りの混沌に秩序を与える考え方が形になったものだ、と、若い頃に習ったことがある。このときの混沌というのは、身の回り何気ない生活様式の安定を妨
2022年も高速で過ぎていった。体調面で言えば相変わらずという面もあり胃腸を壊したり、年末歯軋りで歯根膜炎になったり。腎炎は去年とそう変わらないが、良くはならない。パニック障害に関しては既に治療のフェーズは過ぎ、今は減薬。ベンゾの減薬はなか
ある教科の小テストを通じて、先生に異変を感じ取られたぼんごさん。先生に呼ばれて、謎の体調不良のことを自分の言葉で語りはじめたのだった。遮ることなく、先生はぼんごの話を飲み込んだようだった。この時の会話に関してぼんごが覚えているのは「自分が自
高2のころのこと。その日は授業を受けられていたぼんご。ある科目で小テストがあった。そのテストでぼんごは、解答欄のほかに自由欄があるのを見つけた。勉強のことで先生に質問したりする欄だとわかっていたが、そのわずか15センチくらいの自由欄はどうも
ぼんごさんのIgA腎症は2022年12月現在も寛解の状態である。十年くらい前に蛋白尿が増え地域でそれなりの大学病院の腎臓内科に通ってステロイドパルスの治療をしたが、その後は大きな変化はなくて、数年その大学病院に通ったあと、通っていても積極的
高校の頃も腎炎は寛解を保っていた。とはいえ激しい運動は制限されていて、水泳とか持久走とか、体力的に消耗する運動は禁止されていた。病院から診断書をもらって学校にもそれは連絡されていたということだった。体育の先生しかし、高校の体育の授業では種目
高3の冬が来て、ぼんごの人生にも受験シーズンというものが訪れていた。その、受験シーズン真っ盛りの12月の半ばの平日のこと。ぼんごはひとり、人もまばらな午前のデパートで寝間着を買っていた。これから入院するのだ。 ドクターストップ ぎりぎりでい
腎炎が寛解となってから、なんでも好きな事をしていいと言われていた。親からも医者からもそう言われた。 しかし、何でもやっていいと言われても、できそうなイメージを持てることが何ひとつ無いのが現実だった。何をやるにも体力がいる。 いくつか試してみ
高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。原因のわからない悩み高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩ま