2025年 6月 18日 コロナ以降からだろうか、予約をした方がベターということが多くなった。 こんなに暑くなるとは思っていなくて、デパートのお中元の予約をしていた。 本日12時半。 確かに、待ち時間0だった。 まあ、ネットでも買えるけど、他にも野暮用があった。 6月14日
父を看取り、現在は認知症の母と暮らす。 50代でリストラされて、漸く、年金受給者になった。 生涯独身者で子供も孫も無し。 さてこれからどうなることやら・・・
2024年 12月 31日 午後3時過ぎ、ぽっかり時間が空いた。 テレビをつけて、アマゾンプライムでジャック ライアンを見た。 CIAの諜報員ジャック ライアンは、ミャンマーに向かう。 悪玉の独りはラオス在住。 ラオスに行ったのは、いつだったろうか? ルアンパバーンのアマンのホテルは素晴らしくて夢のような日々だったことを覚えている。 帰国してから、英字新聞で ”ゴールデントライア…
2024年 12月 30日 高齢者虐待の9割が家族によるものだ、という報道がされていた。 私も母に声を荒げることがあった。 どうして今は、こんなにも和やかな関係になったのか、よくわからない。 今は、お互いがお互いに依存している状態と言って良いのかもしれない。 庭のパンジー
2024年 12月 29日 陽ざしで暖かい2階の自室から階下に降りると、冬の間、日当たりがないため、 ひんやりとした空気に、正月用に生けた百合の花の芳香が漂う。 今日は朝から生あくびが連発で、悪寒を感じた。 洗濯も掃除も休んで、横になって、目が覚めたら12時を回っていた。 階下では暖房をしていないこたつだけの部屋で、母がバナナを食べていた。 「お腹すいちゃったんだよ」 ごめん、ごめ…
2024年 12月 28日 とっくの昔に?大掃除を終えていたのに、なんだか忙しい。 母をデイサービスに送り出して、(母の)ベッドシーツなどを洗濯した。 今日は11時にお餅をピックアップしてきた。 和菓子屋さんは大混雑で、お餅はまだカットされていなくて、 しばらく店内で待つことになり、その間も客は途切れることがなかった。
2024年 12月 27日 久しぶりに農協へ出かけ、泥付きネギと白菜を買った。 帰りにふらりと寄った花屋さんで、つい先日までたくさん売られていたチューリップがすっかり売り切れになっていて、 すごく驚いた。 今年はチューリップが遅い、そして、日本水仙がひどく遅れている(裏庭の水仙は全く咲いていない)。 花屋さんには日本水仙の姿はなかった。 明日にしようと思ったが、店の中の花がなんとな…
2024年 12月 26日 今日は亡くなった父の祥月命日。 起床時に母にその旨を話した。 お母さんの分もお線香をあげたから、手を合わせてね。 こたつにどっかりと腰を下ろした母の最初の言葉は・・・ 今日は年金支給日だったね。 ちがうよ、お父さんが亡くなった日。 せんだんの実
2024年 12月 25日 はあ、終わったぁ・・・ 背中が痛む。 今日は今年最後の木彫りだった。 これ以降、年内はもう何も予定がない。 昨日
2024年 12月 24日 ちょっぴり解放された感じがする。 昨日月曜日、今年最後の母の看護師さんの診察が終わり、今日、在宅クリニックの医師による診察が終わった。 どちらも30分程度なのだが、訪問ということは、その時間帯には、何が何でも私自身の付き添いが必須なわけで、 とりあえず、来年1月6日までは、何もないのだから、安堵する。 チューリップ
2024年 12月 23日 松前漬けを仕込んだ。 市販の”松前漬けの素”が大の苦手。 どうしてあんなに甘いのか理解不能だが、まあ、好き好きなんでしょう。 我が家は、しょうゆ、みりん、酒のみ。 砂糖はいれない。 人参、折れ数の子、昆布、スルメイカ
2024年 12月 22日 有吉佐和子と言われて、思い出すのは、やらせだろうが、そうでなかろうが、ハイジャックならぬテレビジャックだ。 昔、タモリの「笑っていいとも!」と言う番組があった。 出演した有吉佐和子が、番組を乗っ取って?延々としゃべり続けた。 タモリの困惑した顔。 今話題の「青い壷」は昨日届いた。 ストリーテラーだけはあって読ませる。 読むことを中断することが困難だ。 …
2024年 12月 21日 本日冬至。 今日を過ぎれば、寒さは厳しくなるも、少しづつ昼間の時間が延びるのだと思うと安堵する。 寒いのは仕方がないが、暗いというのが苦手。 …
2024年 12月 20日 ♪恋人がサンタクロース、本当はサンタクロース つむじ風を追い越して♪ 乳がん専門クリニックの待合室は、ユーミンのBGMが流れていた。 「辛い治療を終えて頑張りましたね、おかえりなさい」って言われて、 複雑な心持で、どう答えてよいかわからなかった。 最後に、気になることはありますか? と問われて、 4か月前の肺炎後の再々検査でも左肺の影が消えないことを話した…
2024年 12月 19日 雪がすごく舞っていたよね。 えっ、本当に? 私は、小雨というより微雨ぐらいの雨が降っているのは気が付いたけど。 美容院でそういわれるまで、雪が降ったなんて全然知らなかった。 通りすがりの花屋さん
2024年 12月 18日 母と一緒に家を出た。 「今日はお出かけですか?」デイサービスのスタッフさんに尋ねられて、 大丈夫です、午後4時前には帰宅します、と答えた私。 …
2024年 12月 17日 お花屋さんの店先が紅い。 ポインセチア 街の中がクリスマス一色。 私自身は関係ないけど。 …
2024年 12月 16日 カラスが何か四角い大きな物をくちばしにくわえて飛んでいる。 キラキラ光る四角いものはなんだろう、とぼんやり眺めた。 と・・・ パサッと落とした。 カラスは急降下、道路に降りて、くちばしでつかもうともがく。 そこへトラック急接近。カラス驚いて急上昇。 真向いのビルの上に飛び移った。 何を落としたんだろう、急いで見に行かなくちゃ。 再び、別のトラック接近…
2024年 12月 15日 今がちょうど紅葉の見ごろだ。
2024年 12月 14日 こんなふうにモヤモヤとした気分で年を越すとは思わなかった。 私の左肺は、残念ながら、以前の場所ではなくて、別の影ができていた。 最初、医師は3月の再受診を検討していたが、キーをカチャカチャ打ちながら、ふいに、 やはり、再検査は来月にしましょうと言った。 気の小さな?私は、まさか肺がんではないですよね、と言う言葉を何度か飲み込んだ。
2024年 12月 13日 母の居ない(デイサービス)土曜日に丁寧な掃除をしている。 でも、明日は何もできない。 朝8時過ぎには家を出て、大学病院にチェックインしなければならない。 ボローニャ旅行の前に肺炎後の検査をしたが、左肺の影が消えていなかった。 そのフォローアップ。 すでにデイサービスさんには連絡してあり、私は母のピックアップ時に不在なので、鍵をかけて母を連れて行ってくださる…
2024年 12月 12日 昨日のこと。 包丁研ぎサービスが駅前で開かれていて、木彫りに行くときに包丁を預けていった。 午後5時ごろ取りに来ます、と伝えたら、 「お客さん、今日はもう終わりそうにないんだ。 (引き取りは)明日の午前中にしてくれないか?」 時間は午前11時半過ぎ。 そんなにたくさん請け負ったんだ。 年の瀬が差し迫っているのだな・・・ 今日は午前11時に駅前に向かい、…
2024年 12月 11日 去年と同じものですが、と言われていただいたのが、トイレットペーパー。 在宅クリニックの医師が先月の母の診察の際にもってきてくれたもの。 去年…
2024年 12月 10日 母との毎日の寝る前の会話。 エアコン暖房は3時間後に切れるから、安心するように。 テレビも自動的に消えるようにしてくれ。 それって出来るのかしらん? 調べたらできるんですね。 試してみました。 知らなんだ・・・ 庭のバラ
2024年 12月 9日 病室の窓から海は見えない。 それでも、老漁師は(海を)想像できると答えた。 窓から見える景色は、なんとなく、昔、私が訪れたグリーンランドの風景を彷彿させた。 昨日のNHK海獣のいる海は、映像がとても美しく、目を見張った。
2024年 12月 8日 おそらく、すでに日本でもどこかで始まっているのかもしれない。 アメリカ ワシントン界隈では、公衆トイレの鍵がQRコードになっているという新聞記事を読んだ。 いやまあ、実際、切羽詰まっているときには大丈夫なんだろうか? 問題はそんなアホなことではなくて、スマホ普及率91%のアメリカでは、主義主張があってスマホを持たない人を除くほとんどの人が、 貧しいか、ホームレ…
2024年 12月 7日 シュレッダーの稼働音でデイサービスさんの訪問に気が付かなかった。 午前8時半過ぎから1時間ほどアルバム整理をしていた。 母はお迎えの車に乗り込みながら、ボソッと呟いた。 「もう死にたい」 私のためにもう少し生きてよ。 「十分生きたよ」 デイサービスのスタッフさんは、私の顔を見ながら、 こちらに来られると、ちゃんと楽しくやっていますよ、大丈夫です。 …
2024年 12月 6日 午後になってゴミ集積場所を見に行った。 私が出したたくさんのゴミはきれいさっぱり片付けられていた。 チューリップとビオラ
2024年 12月 5日 新聞を読んでいて、あれっ、と思い、うまいことを言うなと感心した。 「夜令朝改」 もともとは、朝令暮改が正しい。 くるくる変わって当てならないと言う意味だ。 韓国の戒厳令の話。 深夜に発動して、朝には取りやめた。
2024年 12月 4日 夕食後に湯たんぽを入れ替えて、暖かい部屋で母の下着を取り替え、褥そうの手当を済ませて、パジャマを着せる。 これが済むと、私は自室に引き上げる。 水曜日と土曜日は、デイサービスの看護師さんが、褥そうの手当をしてくださり、母は、入浴後にスタッフさんの手で下着を取り替えてもらうのである。 私は、母にパジャマを着せるだけだ。 今日は水曜日、本当にありがたいと思った。 …
2024年 12月 3日 今は外出する機会が少ないので、よくわからないが、一時、街頭のあちこちで、ポケットティッシュが配られていた。 最初はありがたく頂いたものだが、その後、私はほとんど受け取ることがなくなっていた。
2024年 12月 2日 洗濯物を干し終わった時点で、午前9時25分。 母は、特に、朝食を食べ終わるのにとても時間がかかるようになった。 私が早い時間に外出するときには、母の分だけ、食器を洗わずに出かけることも度々である。 見覚えのある車が駐車場に入ってくるのが見えた。 訪問看護師さんがいらした。 いつも通りの診察やら質問。 異常なし。
2024年 12月 1日 ヤッホー! 食べ放題だ! 冬眠なんかアホラシ! って、誰の話かって、秋田のスーパーに居座っているクマさんの話。 日本って平和だな・・・ 山並み…
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2025年 6月 18日 コロナ以降からだろうか、予約をした方がベターということが多くなった。 こんなに暑くなるとは思っていなくて、デパートのお中元の予約をしていた。 本日12時半。 確かに、待ち時間0だった。 まあ、ネットでも買えるけど、他にも野暮用があった。 6月14日
2025年 6月 17日 「エアコンを使うのを躊躇しないでください」って、アナウンサーが、ニュースで言っていたが、 だれも、ためらわないよ、こんなに暑いんだもの。 35度を超えていた。 庭のバラ
2025年 6月 16日 梅雨明け前からこんなに暑いと、ふっと、釧路の涼しさがうらやましいような気持ちになる。 地図で見ると、帯広とはそんなに離れていないのに、(帯広とは)対照的に寒い。 冷たい冬の空気がなかなか抜けない地形なのだと聞いた。
2025年 6月 15日 雨や風が静かになったのは、午前7時過ぎ。 その後は、日差しが出て、とても蒸し暑い1日になった。 昨日、床掃除を終えたばかりなのに、今日はすでに、歩くたびにべたべたする。 今日の庭
2025年 6月 14日 あともう少しで公園の入り口と言うところで、雨がぽつぽつと降り出した。 時刻は午前11時少し前。 まだ、大丈夫だろうとは思ったが、踵を返して自宅に戻ったしだい。 結局、霧雨のような雨になり、夕方までは本降りにならなかった。
2025年 6月 13日 住民税の支払いの帰り、スーパーに寄ったら、古米が売られていた。 税込み3780円の古米を両手で抱えて帰宅。 桔梗
2025年 6月 12日 税抜き3400円で買った古米をもうじき食べ終わる。 スーパーをのぞいてみるが、古古古米の姿を見たことがない。 置いてあるのは、5キロで4500円以上のお米だけ。 お米を買うことに悩まない日々が早く来てくれることを願う。 コスモス
2025年 6月 11日 つい少し前まで、一玉500円もしたキャベツが、今は98円で買える。 だから、今日の夕飯のメインはホイコーローにした。 せっせとキャベツを消費する。 本日木彫り。 朝食後は、キャベツとピーマンをカット。 ショウガ、ニンニクを刻む。 肉に下味をつけ、味噌、酒、豆板醤、醤油などの調味料を合わせて終わり。 毎度、電車に乗り込むと、くたびれ果てるが、こうしておけば、…
2025年 6月 10日 釧路3日間なんて、もったいない、釧路のホテルの浴場で二人連れの女性からそう言われた。 元気な二人組は、栃木からいらしたそうで、車を使って、北海道15日間の旅行をされていると言う。 私は車の免許を持っていないしね。 それにしても元気だなぁ・・・(私よりも少し年上だと見受けた) 昨日 ナナカマド、美容柳
2025年 6月 9日 羽田に向け搭乗し、座席について、離陸を待っていた。 窓からターマックを眺めていたら、何かが動く。はて、何だろうと目を凝らしたら、 ターマックのところどころにある芝生の上に、数羽のうさぎ。 まあ、うさぎちゃん。 みんな茶色で、足のところがソックスを履いたように白いウサ子達。 飛行場内で放し飼いもないから、多分、野生のうさこ達。 なんだか可笑しかった。 …
2025年 6月 8日 釧路の街は、丁度、八重桜が終盤で、道路にはたくさんのピンクの花びらが落ちていて、強い風が吹くと、花びらが舞った。 中心街では、街路樹のリラ(ライラック)の花も沢山咲いていた。 それでは、釧路湿原の続き。
2025年 6月 7日 偶然が重なり、釧路で写真展を2回(別の写真家)みることになった。 その話は、別の機会に書くことにして、旅の目的、釧路湿原の話。 「タクシー3時間でめぐる釧路湿原1周」(釧路日交)というのを予約した。 予約時にあらかじめ、歩ける場所は歩いてみたい、と、希望だけは連絡しておいた。
2025年 6月 6日 「明日の釧路の気温は、お住まいの横浜の気温の半分にも達しません、暖かい服装でいらしてください」 釧路日交から連絡があった通り、4日の午後1時過ぎ、釧路到着時の気温は、 11度だった。 6月5日 釧路湿原
2025年 6月 4日 釧路の今日は、1日中雨で、寒いらしい。 釧路は初めて訪れる。 予定を全く入れていないので、歩ける程度の雨ならば、釧路の街をぶらぶらしてもよいと思っている。 ホテル(ビジネスホテルクラス)にはサウナがあるので(当たり前だがプールは無い)、サウナの予約も済ませた。 5日は晴れの予報で、とはいっても、最高気温は16度ぐらいだと思う。 釧路湿原に向かう。 本当は…
2025年 6月 3日 釧路がとても寒いということを知らなかった。 帯広が20度以上でも、釧路は15度に届かない。 ちなみに明日は、最高気温が10度ぐらいらしい。 本日の庭の百合
2025年 6月 2日 やらなければならない事、終わらせなければいけない事があり、息切れしそうな気がした。 午後からは、疲労が目に集約した感じで、ショボショボする。 夕方4時過ぎ、気分転換がしたくて、庭の草むしりに1時間半ほど没頭した。 何も考えずに、ただひたすら草をむしり、無になった。 通りすがりの紫陽花 アナベルとゼラニウム
2025年 6月 1日 庭の紫陽花をお墓にそなえてもらえないね、朝、母が私に聞く。 そうねえ、紫陽花は水揚げがとても悪いので、お墓に着く前にしおれてしまうから、やめておく、 そう私は答えた。 車窓から濃緑の景色を見ながら、しおれようが、うなだれようが、母の言うとおりに、 墓前に庭の紫陽花を供えてやればよかった、と後悔した。 今日は、父の墓参に出かけた。
2025年 5月 31日 母を支えながら、傘をさしているデイサービスのスタッフさんの背中が雨でびしょ濡れになっていた。 車に乗り込む寸前、なんの前触れもなく、雷鳴がとどろいて、一瞬、時が止まってしまったような気がした。 本当に一瞬の出来事で、それ以降、まったく雷鳴は聞こえなかった。 裏庭 コボウズオトギリ
2025年 5月 30日 肌寒いのではなくて、今日は寒かった。 一昨日の日中は25度近くあり、今日は16度で、気温差は9度である。 メリハリがありすぎて、辛い。 母が何度も、今日は寒いね、と繰り返していた。 母のためにも自分のためにも、午後から暖房を入れた。 写真はすべて昨日のもの。 栗の花
2025年 5月 29日 散歩に出たのは午後になってからだ。 毎週月曜日の母の看護師さんの訪問が、私の人間ドックのために本日になった。 あの日は、とても疲れてしまって、(初めて)母のパジャマの着替えをスキップした。 なんであれほど草臥れたのか、よくわからない。 自分自身は洋服を着たままで眠れるとは思えないのに、ひどい話だ。 朝、母を見たら、ズボンだけはパジャマを着ていて、自分でなん…
2024年 6月 19日 楽しい時間はあっという間。 11時過ぎに車でピックアップしてもらい、おしゃべりの時間は瞬く間に過ぎた。 水田
2024年 6月 18日 本降りの1日 こんなに涼しい夏ならば、(暑がりの私は)どんなに良いだろう、と思うくらいのひんやりとした1日になった。 午前と午後に分けて、シュレッダー作業。 家庭用の電動シュレッダーで、結構な時間がかかる。 2度に分けて、45リットルのゴミ袋が一杯になった。 母とお昼を食べながら、ぼんやりと食器戸棚を眺めた。 捨てなかった母の代からある皿5枚組。 5枚なん…
2024年 6月 17日 人は必ず死ぬと知ってて、どうして生きてるのだろう・・・ と、本日のほぼ日の糸井重里さんの言葉。 ホテルのバスタブで、シャワーを調整しようとして、転倒。 出血も怪我もなかったが、そんなことを考えたそうだ。 ダリア
2024年 6月 16日 私の名前を呼んでいる。 自室のドアは開けられて、暗闇に母のシルエットが浮かび上がっていた。 お母さん、一体どうしたの? ものすごくびっくりした。 「○ちゃん(私)が背中が赤く腫れあがって、痛んで辛いって言うから」 ブラインドの隙間は、まだ真っ暗だった。 母は、寝ぼけているのだ、と思った。 ひまわり<…
2024年 6月 15日 今日は思わぬ反抗にあった。 どうやっても母はデイサービスに行かなかった。 スタッフの人も一緒に説得したが駄目だった。 予定していたことは何もできず。 でも、見方を変えると、母は反抗するぐらい、元気だということだ。 この暑さの中、次の水曜日まで、1週間、母をこのままにすることも出来ず、夕方、母にシャワー浴びさせた。 実際、毎日、ライフリーを取り替えるのだが…
2024年 6月 14日 太陽が頭のてっぺんにあるのだな、などと思った。 午前11時過ぎに、すでに31度になっていた。 昨日の夕方
2024年 6月 13日 午後4時過ぎ、よせばいいのに、西日がさんさんと注ぐ中、散歩に出かけた。 日差しが戻ったのは、午後3時過ぎだった。 ハマナス
2024年 6月 12日 時刻は午前9時30分。 30分だけがんばろう、そう思って、母のタンスの二さお分だけ整理した。 母が今後おそらく着ることはないだろう、と思われるものを処分した。 半夏生 2年前の昨日 6月11日
2024年 6月 11日 昨晩、何の番組だったか、テレビの画面にグランプラスの様子が映し出された。 ベルギー ブリュッセル グランプラスに立ったのは、40年ぐらい前のこと。 その時の記憶は、ただ単に、広場で花市のようなものが開かれていたことだけ。 正直あまり記憶に残っていない。 14日間だったか、友人と一緒に旅行して、帰国直前から高熱を出して、肺炎になって会社を1か月休んだせいか、 …
2024年 6月 10日 NHKの朝ドラを見ていた母が、「一億一心!」と半ば叫ぶように言う。 この4文字熟語は、戦時中のスローガン。 お母さん、落ち着いて、落ち着いて、ご飯食べましょうね・・・ テレビ画面に傷痍軍人が映し出されていた。 嘘みたいだが、私が多分5歳ぐらいのころだった、つまり、1962年ごろまで、横浜駅には、 傷痍軍人の物乞い?の方がいらした。 終戦が1945年だから…
2024年 6月 9日 庭に植えた花穂の出た半夏生の葉がまったく白くならない。 どうしたの? お化粧しないの? 少しがっかりして、散歩に出た。 代わりと言ったら変だが、クチナシの花が咲いていた。 クチナシ
2024年 6月 8日 メッセージの発信時間は午前7時26分。 私がそれを読んだ時刻は午前8時半過ぎ。 1時間ぐらい出てこられない、というメッセージに、いいよと答えた私。 まさか自宅最寄り駅に来られると思わなかった。 ラーメンでも食べない、と聞かれたので、冷やし中華なら自宅ですぐにできると即答した。 庭 パープルベルガモット
2024年 6月 7日 パチン、パチン。 母の爪を切りながら、水曜日の母の不機嫌を思った。 多分、私が岐阜から帰ってきて、すぐに翌日に会食の予定を入れて出かけたからに違いない。 母は、自分自身がないがしろにされていると思い込んだのかもしれない。 今日は、きっちり掃除を済ませて、午後からは、再び、もっさりとしてきた庭木を刈り上げ、草むしりに没頭した。 気を付けていないと、主観的にな…
2024年 6月 6日 スーパーの出入り口で、(比較的)近くに住んでいらっしゃる方とばったり会った。 離婚されて、お母さまと二人で暮らし、長らく介護を続けられている70代の女性。 挨拶したら、「母が亡くなりまして・・・」 えっ! 4月だったそうだ。 ずいぶんと憔悴されていて、びっくりした。 私の父が亡くなった後、わざわざ我が家を訪ねてきてくださったことがあった。 昼食後、花屋で…
2024年 6月 5日 タクシーに乗って30分過ぎたあたり、運転手さんから声をかけられた。 「お客さん、もうじきだからね、ここでメーター切るからね」 えっ? 「さっきさ、信号が赤で渡れなかった、だから、ほんの少し遠回りになるけど、別の道をすすんじゃったからさ」 メーターは7000円になっていた。 運転手さんは、私の表情を読んだのだと思い、つくづく自分が嫌になった。
2024年 6月 4日 新幹線ってこんなに早いんだ・・・ 10数年ぶりに新幹線に乗ったら、馬鹿みたいだけど、そう思った。 往復ともに、のぞみに乗車。 新横浜の次は、1時間で名古屋って、驚く。 名古屋乗り換えで、岐阜まで。 名古屋から快速に乗り、20分で岐阜駅というのも、地理に疎い私は、そうなんだ、と、びっくり。 飛行機のフライトは、必ず通路側席を予約するので、せっかくだから窓際の…
2024年 6月 3日 つい最近、みどりの窓口大幅削減が中止になったというニュースが流れた。 先日、横浜駅のJRみどりの窓口を訪れた。 いったい何年ぶりだろうか? いや、10年以上ぶりかもしれない。 前回は、えきねっとで購入したが、もう、パスワードすら忘れてしまった。 ホタルブクロ
2024年 6月 2日 昨晩、ホーホーと、大きな鳴き声が裏庭から響き渡った。 えっ、誰かが笛をふいているの、と思ったが、とても重厚な響きで、はっきりと2回聞こえた。 起床して、母に話すと、時々鳴いているとのこと。 ググったら、アオバズクらしい。 でも、横浜の住宅街にいらっしゃるのだろうか? シモツケ草 昨日
2024年 6月 1日 こんなところに百合の球根植えたっけ・・・ 庭の百合 庭の百合はピンクばっかり花開く。
2024年 5月 31日 母と私の午後3時の茶話会の話。 2月にお母さんひどく体調崩したでしょ? 覚えてる? たくさん出血して。 「なんであんなに血が出たのか、わからないんだよ」 子宮の血管がもろくなっているんだって。 あの時さ、私、お母さんに、死ぬんだったら、私の放射線治療が終わってからにしてよ、って言ったの覚えてる? ひどい娘だよね、でもね、本当に、何があっても自分の治療を優先さ…