選挙権、そして社会の中で発言する資格、公に教育を受ける権利など、私達がかつて持ち得なかったものが今この手にはある。それは例えばハーディングの小説『嘘の木』の舞台19世紀に、知的好奇心を胸に抱いた行動力ある聡明な少女が「わたしは悪い例になりたいの」と宣言したことや、それを支えた他の人々の延長線上に存在するもの。
躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。
実績・寄稿記事一覧: https://www.chinorandom.com/archive/category/%E5%A4%96%E9%83%A8%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B
もう営業されていない商店の建物だった。道路に面したファサードの上部が平たくなっていて、大きく店名が書いてある典型的な造り、これは誰が見てもそうと分かる「らしい」佇まい。つやのある、たばこ小賣所と書かれたホーロー看板(琺瑯風の看板)。周辺は全体的にあまり古い建物が残っている場所ではないので、野生のものをこうして見られる機会は少なく、かなり珍しい。
昭和後期×オカルトブームADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」感想
ホラーミステリーADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」をプレイした。いつもは明治・大正時代から昭和"初期"にかけて生まれた近代遺産を巡ったり、当時の文化に思いを馳せたり、関連する文学作品などを楽しんだりしているこのブログの管理人。パラノマサイトの舞台は昭和後期の東京で、作中に「高度経済成長期に発展」した企業〈ヒハク石鹸〉などが登場するところを見ると、西暦1970年代でも特に73年以降の設定なのだと思われる。いわゆるオカルトブームの渦中にあった世の中。なので、だいぶ日頃の興味の範囲よりは後の時代だ。
お弁当に限らず、旅客を乗せ中距離以上を走る鉄道と食事とは不可分で、現在と異なり20世紀までは多くの路線で「食堂車」を有した列車が運行していた。在来線の特急でも。まるっきり私の記憶にはない時代。夏目漱石の小説「虞美人草」にも食堂車の「ハムエクス」が登場する。車内食、というだけで美味しそうに聞こえるのは、一体なぜなのだろう……。
身不知(みしらず)の柿を食べた夜 - 居酒屋《ぼろ蔵》福島県・会津若松
明かりの灯った小さな店舗。古い蔵を改装し営業している居酒屋で、名前もそのまま「ぼろ蔵」という。飲みながら食べたものは揚げ餃子、ほっけの塩焼き、そして玄米おこげのチーズ焼き。どれも日本酒に合う美味しい料理だった。玄米おこげのチーズ焼きに関しては私がいちばん好きだと思ったもので、爆速で平らげてしまったため、残念ながら紹介できる写真がない。笑うところ。パリパリになった香ばしいお米のおこげの上に、味に深みを与える黒い海苔が敷かれていて、最後にとろけたチーズが全体を包括してくれる感じだった。おすすめできる。
小説作品が「不快なもの」という言葉で紹介され、出版社側のKADOKAWA公式がそれを特に是正せず引用していたこと
「限られた人生の時間を、わざわざ不快なものを見て消費したい方にオススメ」……この言葉が組み込まれた投稿を引用し、それに便乗する形で、公式アカウント「KADOKAWAさん@本の情報」により6つの作品が紹介された。これといった語句の訂正などが行われることなく。作品タイトルが挙げられているランキングが実際「最悪なランキング」と称されている部分にも触れられず、この言葉に関しても特に否定されていない。
芳春が過ぎゆくと、徐々に桜の枝先から萌す新しい青い芽。それは、この時期に見られる中でも「あまい」ものの筆頭である。確かな光沢があるのに、どこかしっとりとした風貌。ごく細かい産毛でも生えているかのような表面。ある程度面積が増えると葉の表と裏でも質感、色が変化してくる。指で折り曲げてみても離せばすぐ元の形に戻る姿は、単純に伸びようとする意志を感じさせるから好ましい。新芽を前にして「おいしそうだねぇ」と、いつか誰かに言われたことを思い出す。
彼らの孤独について教えてくれたのは、本だった。ドイツに生まれ、営林署での勤務経験があるペーター・ヴォールレーベンの著した『樹木たちの知られざる生活:森林管理官が聴いた森の声』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)では、森林の樹木たちがどれだけ社会形成を重んじるのかと、それに比べて、市街地に植樹で連れてこられた木がいかに孤独に存在しているのかが述べられている。
【宿泊記録】窓に障子、中町フジグランドホテル - 七日町や栄町散策の拠点として|福島県・会津若松
11月の会津若松では、夜の空気は刺さるような冷たさだった。文字通りに痛いくらいの。過ごしやすかった昼間の日差しが嘘のように、みるみるうちに天が青く、暗くなり、やがて思わず首を引っ込めてしまう程の容赦ない風が顔に吹きつけるようになる。宿泊したフジグランドホテルには、立地の異なるふたつの建物がある。ひとつは駅前で、もうひとつは鶴ヶ城方面の七日町に近い方。今回利用したのは後者だった。
夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学
武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に侮られたり、立場が下だと認識されたり、あるいは取るに足らない存在だとして無視されたりするもの。たとえ気が付かなくても。だから誇りを失わないため、身を守るために誰もが(無意識にも)武装しているのが、実に疲れることだなと思う。
【宿泊記録】デュークスホテル博多にて - 和・洋・粥から選べる朝食、駅西側から徒歩2分|九州・福岡ひとり旅
羽田を出、博多空港に到着してから筑豊の新飯塚に向かった日、旧伊藤伝衛門邸を見学してから夜にまた博多駅まで戻ってきた。翌日朝に小倉へ移動して、今度は田川伊田の三井炭鉱跡まで行くために。デュークスホテル博多は、予約サイトで見たロビーの写真がなんとなく気に入っただけの理由で選んだ。赤いカーペットの上にアンティーク家具などが並べられている。
文明と「非人情」とつやつやの羊羹 - 夏目漱石《草枕》日本の近代文学
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」この作品の冒頭は至るところで引用されている。……が、せっかく「草枕」が全体を通して大変にキレッキレで面白い文章の集積であることを考えると、冒頭だけが切り取られて流布し、肝心の内容が知られていないのは、かなり惜しい。
水の町・大垣に建つ城と、謎多き関ケ原ウォーランドへ……|岐阜県南部旅行(4)
外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名残だ。流れを覗き込めば底に生える草が光を反射して色鮮やか。密集したそれらが水の軌道に沿って葉を揺らす様子は、まるで巨大な動物の背か、その美麗なたてがみを眺めているようだと思わされる。あるいは竜でも沈んでいるのだろうか。そこまでとは言わずとも、以前は城を守る堀でもあった水路の数々だから、敵襲に際しては兵の道を阻む存在として目覚め立ちはだかったのだと考えれば面白いし、妄想が捗った。城へ向かう道の角に面した地点で木の橋を渡って、浮足立つままに靴音を鳴らす。
体感するモダンアート《養老天命反転地》と大正時代の擬洋風駅舎|岐阜県南部旅行(3)
目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた。 名前を《養老天命反転地》という。 、 思い返せば、小中学校の美術の教科書のどれかには確かにその写真が載っていたし、設計を手掛けた荒川修作は芸術界の超有名人。調べると、かなり大規模な体感型の作品…… というよりかアスレチックのような施設に見えた。また、共に制作に携わった米国の詩人、マドリン・ギンズがそこにどんな要素を加えたのかも見逃せない。
記事を寄稿しました:以前は名の知れた歓楽街、柳ヶ瀬。その隆盛を偲びつつ商店街の小路を歩く - WEBメディア〈すごいお雑煮〉へ
久しぶりに外部で執筆した記事の紹介です。先日、webメディア〈すごいお雑煮 - 地味に役立つニュースサイト〉さんにて、岐阜旅行中に見つけた一角「柳ヶ瀬商店街」を紹介したものを掲載していただきました。以下が記事へのリンクになります。まず、念願だった街歩きのジャンルで記名記事を執筆できて非常に嬉しいです! それもあまり一般には受けなさそうな、地味で少し怪しい着眼点の散策記録なのですが、快く掲載を承諾してくれたメディアと運営者の方には頭が上がりません。感謝感激、雨あられ。
金華山に鎮座する岐阜城、正法寺の籠大仏、伊奈波神社めぐり|岐阜県南部旅行(2)
特に斎藤道三と織田信長にゆかりあるこの山と城は、名を変えたり焼失したりしながらも、戦国の時代から続くこの岐阜の地を俯瞰し続けてきた。しかし、美濃を制す者が天下を制す――とまで言われた難攻不落の城といえど、決して不滅ではない。現在の天守は昭和中期に再建されたものであり、真新しくも町のシンボルらしい姿を衆目の前に示している。まさに象徴としての城という感じだ。当時のまま残っているものは石垣以外にほとんどないが、人々はそれらしいアイコンを視界に入れることで、歴史や武将たちの軌跡に意識の中で触れられる。
川原町の情緒ある風景と喫茶店、そして近代の洋風建築を見に|岐阜県南部旅行(1)
日本三大河川の一つに数えられる美しい長良川は、毎年5月から10月頃にかけて、伝統的な鵜飼(うかい)の行事が行われる舞台でもある。その静かな流れと深い青緑色には用が無くても足を止めざるを得ない。豪雨が降れば水位は増し、古来から災害を恐れてきた人々に牙を剥くこともあるのだろうが、昼の晴れた空の下では眠っている竜よりも穏やかだ。陽射しが眩しい。かかる橋の下、木製の灯台から伸びる通りの一角に、町並み保存地区があったので覗いてみた。
熱海銀座で"1mmモンブラン"が食べられるお店《和栗菓子 kiito-生糸-》に遭遇する|静岡県・熱海市
たしか雨宿りをするのにちょうどいい店を探していて、この「和栗菓子 kiito-生糸-(きいと)」というモンブランのお店に出会ったのだった。テーブルにつくと、想像以上にきちんとした感じに驚き、同時にわくわくする。全然何も知らずに入ったのでなおさら。基本的にメインとなるモンブラン(や、モンブランパフェ等)と飲み物とのペアリングで提供される形になっており、私は名取園の抹茶を選んでみた。
筑豊のローカル鉄道・日田彦山線に乗車して「田川伊田駅」へ - かつて石炭を運んだ路線|ほぼ500文字の回想
筑前と豊前の間に位置し、それらの頭文字を取って筑豊(ちくほう)と称されるようになった地域。明治28(1895)年に開業した豊州鉄道をはじめ、筑豊周辺の鉄道路線は「炭鉱」の隆盛と共に発展したのだと調べるほどに実感する。石炭を船に積んで川を下った頃から、蒸気機関車の出現を経て、現在まで路線が受け継がれてきている……。今回、田川市石炭・歴史博物館へ行くのに利用した「日田彦山線」もそのうちのひとつ。
起雲閣の目の前、小さな甘味処《福屋》でティーフロートとお蕎麦を|静岡県・熱海市
起雲閣の玄関に続く薬師門を出たところ、道路を挟んだ向かいに甘味処があるのは以前から知っていて、けれど実際に入ってみたのは初めてだった。付近を通るたび視界に入っていたのは、スピルバーグ監督の映画「E.T.」に登場する宇宙人を象った人形の存在。そう、入口脇に和服の大きな宇宙人がいるのが特徴で分かりやすい。印象的なバシバシのつけまつげをしている……。店舗の前には、起雲閣への入館を証明(領収書の提示)すると50円引き、とあった。なるほど。入店するととてもこぢんまりとした店内にいくつかのテーブルが置かれており、一部販売されている民芸品や、旅の本などが壁際に並べられていた。カウンターにも数席。道路に面した側の窓のところには植物の鉢が置いてあって、透けて射しこむ冬の光が柔らかい。
自分の人生を送るのに、何かの許可をもらったり、誰かを納得させたりする必要はなかった
私に何の関係もない人達が、口々に「人の話はためになるから聞いておいた方が良い」などと言いながら、私の等身大の在り方に横槍を入れてくる。その言葉をありがたがって聞いて、何かが変わった結果、不利益を被っても誰一人として責任など取りはしない。妙な現象ではないだろうか?すべてをちゃんと聞かなきゃ、と念じていた他人の言葉には、意外にも、熱心に耳を傾ける値打ちのあるものはそこまで多くなさそうだった。一部を除いて。とりわけ、自分との精神的な距離が遠い人間から、勝手に投げつけられるものは。
旧津島家住宅「斜陽館」の迷宮じみた邸内、欅の大階段 - 太宰治が生家に抱く複雑な思い|青森県・五所川原市の近代遺産
// 没落した元華族のとある家庭と、そこにいた母、娘、息子それぞれの軌跡を描いた小説に「斜陽」がある。 終わるひとつの時代に、かず子の恋と革命と、直治の遺書。 昭和22(1947)年に新潮社から出版された。 これにちなんで太宰治の生家——旧津島家住宅は斜陽館と呼ばれている。かつては旅館だった時期もあるが、経営悪化後に売却されてからは自治体に所有権が移り、NPO法人の運営で文学記念館として一般公開されるようになった。 太宰は太平洋戦争の折、昭和20(1945)年に東京からここへ疎開して新座敷の方に住まい、後に書かれる「斜陽」の着想元であったチェーホフの戯曲「桜の園」をたびたび脳裏に浮かべていたと…
エジプト・カイロ周辺旅行(5) ギザ平原の大ピラミッドと悠久の時を超えて佇むスフィンクス
カイロからおよそ20キロ、ナイル川を挟んで西側に位置するネクロポリスが、今回の旅行で最後に訪れた都市ギザ(ギーザ)だ。古代エジプトの王族や神官たちが多く眠るこの場所は、今ではエジプトの代表的な観光地。遺跡の残る位置から少し離れた市街地に立っていても、近代的なビルの隙間からピラミッドが覗く様子に、月並みな言い方しか選べないがとてもわくわくしたのをはっきりと思い出せる。昔から訪れたいと願い、時には夢にまで見た遺跡が、自分の目の前にあった。遥か4000年以上もの時を超えて、風化に耐えながら、砂漠の平原に聳え立つ金字塔。眉唾な伝説から興味深い考古学的発見に至るまで、その石の集積からは、幾億もの物語が尽きることなく紡がれ続けている。その一端を覗いてみよう。
エジプト・カイロ周辺旅行(4) 王家の埋葬地 - サッカラとダハシュールの墳墓・ピラミッド郡を訪ねて
多くの謎に包まれた、古代エジプトのピラミッド郡。なかでも有名なのはクフ王の大ピラミッドだと思うが、それが聳え立つギザの平原を背にして不思議な生き物・スフィンクスがじっと前を見据えている光景は、今も昔も変わらずエジプトを象徴するものとなっている。この国に対して抱いているイメージを訪ねれば、きっと多くの人が似たものを想像するだろう。その際に、1863年に日本から派遣された、遣欧使節団の写真を連想する人は意外といるのではないだろうか。中学や高校の歴史の授業でよく取り上げられる一枚だ。もちろん彼らは旅行に行ったわけではなく、当時開かれたばかりだった日本の港を再び閉ざし、鎖国をするための交渉に遠方はるばる出かけたわけなのだが――巨大な古代の石像を目の前にして、一体どのようなことを考えたのだろう。それがとても気になる。言うまでもなく、現代に生きる私達と彼らとでは色々な感覚が異なっていたと思う。それでも途方もなく長い時間ずっと、エジプトを砂塵越しに見守ってきた存在から受ける迫力は、この頃から変わらなかったはずだ。
エジプト・カイロ周辺旅行(3) 歴史ある雑多なハーン・ハリーリ市場とマニアル宮殿の散策
砂漠の国の、雰囲気ある市場に憧れたことのある子供はきっと多い。幼い頃の私もそうだった。不思議な幾何学模様が描かれた布、きらめく装身具、布袋から覗く果物がひしめく通り。人々が行き交う活気ある場所で、自分の国では見たこともないような品物を眺めて歩くのは、どんなに面白いだろうか――と。地上のどこかにそんな場所があるなんて、行動範囲の狭い子供の身では到底信じられなかった。カイロにあるハーン・ハリーリ(Khan El Khalili)は、細い路地がまるで迷路のように入り組んでいる市場だ。
エジプト・カイロ周辺旅行(2) 広大な考古学博物館を興奮しながら駆け回った記録
私達の心をいつの時代も惹きつけてやまない、古代文明の遺産。エジプト、という言葉の響きから多くの人々が反射的に連想するのは、ピラミッドの丘や王家の谷の葬祭殿、墓荒らしの手を逃れて生き残った副葬品をはじめとする、数多くの史跡・宝物だろう。現地に眠るものたちは今も悠久の時を超えて、訪れる者との邂逅を待っている。無論、死後の復活を信じて遺体のミイラを大切に葬った古代エジプト人にとって、考古学者や調査隊も等しく、墓を暴く不届き物であるという事実に変わりはない。そして私のような一介の観光客は、ただ敬意と共に頭を低くして敷地に立ち入り、感慨にふけったり写真を撮ったりする他になすすべはないのだ。かなりの出土品がイギリスやフランス等の国へと持ち去られているとはいえ、カイロのタハリール広場前にあるエジプト考古学博物館では、他では決して見ることのできない貴重な展示品の数々を贅沢に拝むことができた。ここでは撮影禁止エリア以外で撮った写真に感想をつけて、いくつかのものを紹介しようと思う。
エジプト・カイロ周辺旅行(1) 絢爛なムハンマド・アリー・モスクは街の小高い丘の上
古代文明のロマンと中世以降のイスラーム文化が交差する国、エジプト――。先月末、私は現地の都市カイロとギザを訪れる機会を得て、嬉々として成田空港から飛行機に乗り込み旅立ったのだった。そもそもイギリスから帰ってきて以来、半年以上の間を開けた国外行きということもあり、気分は高揚していた。当時は抑圧された暗い気持ちでヒースロー空港を出発し、帰路についていたけれど、今回は全く違う。そのことも単純にうれしかったのだと思う。このエジプト旅行はほとんど衝動的に決めたものだった。そして、その発端となった理由の大部分を占めているのが、高橋和希氏の漫画「遊☆戯☆王」の存在だったということは一応書いておかなければならない気がする。某所に投稿されていた動画《遊戯vs.遊戯with海馬(まるで実写)》のせいでうっかり再熱してしまい、気が付いたときにはもう、web上のツアー予約ボタンをポチっと押してしまっていたのだ。罪深い。カードゲーム・バトル漫画の枠を超えた非常にアツい物語なので、皆さんもぜひ原作漫画を読んでみてください。......閑話休題、ここからエジプト観光の記録を始めます。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「牢の中の貴婦人」私達も格子の内側から世界を見ている|ほぼ500文字の感想
突然、ここではない別の世界、いわゆる異世界に迷い込む。そこでは誰も自分を知らず、特に誰かから呼び出されたわけでもない身の上は、周囲の何にとっても些細な存在として扱われる。何かの「役割」もなければ、特殊な「能力」もない。近現代(と想定される)イギリスから、言葉も文化も奇妙に異なる国へ入り込んでしまったエミリーは、不運にも「貴族の女性の身代わり」にされ収監されてしまうのだった。彼女は囚人となり、獄中で与えられたペンを使い、様々な事柄を紙に書き綴る……
夢野久作《鉄鎚》など彼の作品に「電話」が与えた影響と魅力と - 門司電気通信レトロ館(旧逓信省の建物)|日本の近代文学
……リンリン、リリリン……リンリン、リリリン……リンリン、リリリリリリリリ……。電話という道具、通信の手段は、100年前に比べれば随分と身近になった。電波の届く場所でならほとんど、いつでも誰とでも会話できる便利な状況が、むしろ煩わしく感じられる程度には。現代に存在する電話を嫌いな人の数は少なくない。会社にいるとき頻繁に利用する私も、別に好きではない。けれど改めてこの「奇妙な道具」自体の性質について深く考えてみると、面白い要素を沢山挙げることができるのだった。特に電話開通から間もない頃、まだそれがどちらかというと「特別な存在」であった時代の文学作品を通して見れば、なおさら。
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選挙権、そして社会の中で発言する資格、公に教育を受ける権利など、私達がかつて持ち得なかったものが今この手にはある。それは例えばハーディングの小説『嘘の木』の舞台19世紀に、知的好奇心を胸に抱いた行動力ある聡明な少女が「わたしは悪い例になりたいの」と宣言したことや、それを支えた他の人々の延長線上に存在するもの。
友達のひとりにSnow Manの熱心なファンがいる。なかでも目黒蓮さんがとても好きらしく、それなら絶対にお土産を買って行かなければ……! と私は胸に誓っていた。なぜなら彼が午後ティーのCMで訪れた場所にはスリランカのヌワラエリヤが含まれ、【午後の紅茶「紅茶の聖地」篇 60秒】を視聴してペドロ茶園を訪れていたと判明したから。
物語の比較研究は「こんな遠く離れた場所にも共通点を持つものが……!」という驚きをいつも与えてくれるので楽しい。もちろんこの視点に拘泥しすぎると見えなくなる箇所が多くあり、学生時代に講師から指摘された文化への眼差しを念頭に置きつつ、ここではその話はしない。今回は特にマケドニアのおはなし〈テンテリナとおおかみ〉の終盤にも "(逃走時に)背後へ投げた粘土が沼地に、くしがいばらの藪に、石鹸が高い山になる" ……という描写があると知れて面白かった。民話〈三枚のお札〉や、『古事記』ではイザナギの逃走時にもみられるその展開を。
2024年6月~12月までのおおよそ半年間で触れる機会があった紅茶の記録。各種フレーバードやブレンドを除く、単一農園(シングルオリジン)の感想を格納します。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。
キャンディ中心部にある古い、英国植民地時代に建てられたコロニアルスタイルの宿泊施設はクイーンズホテルという。個人的に好きな「偽物の自然」の風情ある人工池の周辺を歩き回っていると大通り沿いに見えてきて、外壁が白く、規模も大きいのでよく目立った。有名なエサラ・ペラヘラ祭の時期などは特に予約で溢れ、行列が見える部屋の値段も高騰するのだろう。
以下の文章は2023年1月15日発行、大阪大学感傷マゾ研究会様の会誌『青春ヘラver.6 〈情緒終末旅行〉』に寄稿したものです。 個人ブログでの公開が可能と告知されましたのでこちらに掲載いたします。 《白昼の歓楽街、取り残された街》 特定の種類の場所に旅行で赴くと、必ず、脳裏に浮かぶ出来事がある。 「おい、ハチがいるぞ」 後部座席の方から低い声が発され、陽が落ちた田舎道を走る路線バスの車内に、困惑の一点が落とされた。 「ハチがいる」 二回目。今度はさっきよりも、明瞭に響く声量で。 バスの乗客たちが、にわかに緊迫した空気を醸し出す。どこか危機感のにじむ、擦り切れた畳の表面のように、ささくれ立った…
何の変哲もない飛行機内の紅茶から、すでに旅への期待が高まっていく。いわゆるコロナ禍の影響をずっと受けていたため、国外へ足を運ぶのすら数年ぶり、という驚きがある。それでもだんだん思い出してきた。こうした旅は、たとえ頻繁でなくても、確かに自分の日常と人生の一部であったことを。願わくは、今後もそのようにあれますよう。
今回、食事と入浴を合わせた3時間滞在のプランで利用したのは、明治35(1902)年創業の元湯玉川館。現代ではドラマ『相棒』の撮影で使われたり、過去には漫画『のらくろ』の著者である田河水泡や童謡『夕焼小焼』の作詞を行った中村雨紅が逗留していたりと、時代を超えて多くの人々に親しまれている旅館のよう。
しばらく前からこちらの方と一緒に暮らしています。関節部分が球体で、透き通るような美しい瞳は着脱可能な頭部のつくり。黒いドレスとヘッドドレスを本体とは別途で購入しました。合わせようと思ってもあまり目が合わないところが最大の魅力で、まさしく「ここ」ではなく、より洗練された世界の方をいつも眺めているのだろうと感じさせる表情には畏敬の念を抱くしかありません。
ハーディング作品で最初に手に取ったのは『カッコーの歌』だった。英国幻想文学大賞受賞、そしてカーネギー賞の最終候補作。あらすじに惹かれたのか、表紙が印象に残ったのか……もう覚えていないけれど、とにかく仕事帰りに書店で購入していて、しばらく本棚で寝かせていた。そうしたらBlueskyのフォロワーさんが感想を呟いており、内容に心を掴まれたのですぐ読み始めることにしたのだった。結果、本当に好きな物語であったので本当に嬉しい。世界から弾かれた者たちを見つめ、慈しむ眼差しがあり、さらにまぎれもなく児童書の系譜に属する要素を持ったおはなし。
カルデスとペルシールの間に戦が起こった。放っておけば、美しき山々と魔法学院を擁する土地ショームナルド……山羊飼いやさすらい人たちの憩いの地も、間違いなく巻き込まれる戦だった。それを止めるため、通常であれば力のバランスを保つため人界にはかかわらない魔法使いの長老、アトリックス・ウルフはカルデスの陣地に赴いた。自ら王を説得するために。しかし彼の訴えはカルデス公から退けられる。ただ何かを得るための争いを正当だと思っている王に、それがどれほどの惨禍を生むのか説く、アトリックスの言葉は全く通じない。どころか「我々に手を貸してくれればショームナルドを荒らしはしない」と持ち掛けてきた王に対し、老魔法使いの怒りは爆発する。結果、雪の中に「闇の乗り手」が現れた。
// 前回「卵」の続き 風邪をひき始めた予感がする。普通の症状とは異なる頭痛がしていて、けれど発熱はない。 寝入りばなに私は特定の夢のことを思い出す。ビルの隅に産みつけられていた鳩の卵を見て思い出した、夢。それは、自分がかなり胴の太い大きな大きな蛇になって、ゆっくり鳥の卵を飲みこむというものだった。 世界には卵から生まれてくるものが無数にある中で、どうしてそれが鳥だと限定されているのかは分からない。けれど、鳥でなくてはならなかった。 夢のその卵には温かさがない。殻の内側にやがて雛となる材料を蓄えているとは思えないくらいに、重く、冷たい。土や石でできているみたいに。蛇は、巣の中にふたつ並んでいる…
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった青茶や緑茶など、中国および台湾で産出されるお茶や、緑茶をベースに香りが付けられたフレーバードティーおよびハーブティーの記録。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。紅茶以上に初心者の分野なので、手探りしながら道を進みつつ、またこれから新しいお茶に出会うのが楽しみ。
①に引き続き、こちらは第2弾。各種フレーバードティーや、色々な販売元が取り扱っているブレンド系の紅茶の感想を格納します。緑茶ベースのものは含まれませんので次回記事の更新をお待ちください……。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも掲載。
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった紅茶の記録。各種フレーバードやブレンドを除く、単一農園(シングルオリジン)の感想を格納します。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。振り返ってみると意外にもブレンド系を多く飲んでいたようで、本当に単一茶園の葉のみで構成されているものは少なめ。今後も引き続き、また徐々に手を伸ばしていければ、と思います。
ヘッセの『デミアン』が本棚にあるはずだと思ってしばらく探し、見つけられず、そんなはずはないと念のためkindleを確認したら電子版で持っていた。実際に紙で所持している同著者の作品は『車輪の下』と『シッダールタ』で、それらと混同していたらしい。卵に関して言及された部分を引用したかったのは、外で実際に卵を見つけたから。さほど大きくはない鳥の卵。巣の中に、ふたつ。場所は外出先のビルの一角であった。
もう絵を描く機会などあるまい。全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。つまりはまた、絵を描き始めたということだ。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…
昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。
でんわ☎でんわ 楕円形の看板を一瞥して中に入る。日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。ソーダ水にしよう。店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれが炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。
ヘッセの『デミアン』が本棚にあるはずだと思ってしばらく探し、見つけられず、そんなはずはないと念のためkindleを確認したら電子版で持っていた。実際に紙で所持している同著者の作品は『車輪の下』と『シッダールタ』で、それらと混同していたらしい。卵に関して言及された部分を引用したかったのは、外で実際に卵を見つけたから。さほど大きくはない鳥の卵。巣の中に、ふたつ。場所は外出先のビルの一角であった。
もう絵を描く機会などあるまい。全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。つまりはまた、絵を描き始めたということだ。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…