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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

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千野
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2022/01/28

  • エッセイ集「一杯のおいしい紅茶」は当時のイギリス情勢が生々しく伝わる灰色の味 - ジョージ・オーウェルの本

    ふと思ったのが、これと同著者の小説「1984年」を並べてみた時にどちらが好みだと思うかは、読者によって真っ二つに割れるだろうということだった。もしも選ぶとしたら私は随筆が断然好きで。彼が自分の実体験をもとに撚り合わせた糸で紡いだ『お話』より、新聞や雑誌の仕事で書いていた『思想』そのものの方が、ずっと高濃度で興味深いと感じさせられた。でも……。

  • 60年以上続く「純喫茶 若松」- 家紋風の装飾があやしく光るレトロ喫茶店|千葉県・松戸市

    本当にここに喫茶店があるのだろうか?というのが第一の印象で、地図が示す建物の前へと足を運ぶと、真っ先に目に入る言葉は「不動産」とか「豚串」なのだった。しかし落ち着いてビル全体を視界に収めると、確かに右のところから細く階段が伸びているし、ぼやけてはいても「純喫茶 若松」と書いてある。2階の壁には舵輪を思わせる何かと、くすんだ赤色のオーニング。確かに若松は存在していた。階段の上の照明も灯されていて、どうやら普通に営業しているようだった。ならば行くしかない……入店。そのためにわざわざ松戸まで来たのだから。1961年か1962年、そのあたりの頃に創業した老舗だと聞いている。

  • 旧秋田銀行本店本館(赤れんが郷土館)を見学 - 塔の天辺のベレー帽|秋田県・秋田市の近代建築

    明治45(1912)年に竣工した近代建築。クリームチーズやスポンジで構成された断面を連想させる、層の重なり。灰色の部分を縞模様に露出して、それ以外の部分に白い磁器タイルを張って覆った、1階の外壁。なめらかなババロア。対比となる鮮やかな2階部分は化粧赤煉瓦によるもので、こんがりと焼いたビスケットのようだった。正面玄関のある側から見ると綺麗な四角に収まっている印象を受けるが、角度を変えて眺めてみると、また異なる表情を見せてくれる。あの塔。横に立つと建物の両端に2本(写真だともう1本は隠れている)、上へ突き出た塔があると分かる。

  • それなりに可哀想なヒンドリーと「もういないはずの者」の名を持つ魔物 - エミリー・ブロンテ《嵐が丘》Ⅱ|19世紀イギリスの文学

    ヒンドリー・アーンショウ。キャサリンの兄であり、フランセスと結婚してヘアトンの父となった人物……。妻が亡くなってから、すっかり飲んだくれになってしまった暴力男。実のところ、ヒンドリーに対する自分の感覚にはずっと疑問を抱いていた。普段なら多分、私は「嵐が丘」という作品に描かれた彼の姿を、「かなり同情されるべき存在」として捉えていたと思う。不運で不遇な者、かつ悲劇に巻き込まれた側であると認識して。

  • 旧本所の喫茶店にて|ほぼ500文字の回想

    東京、墨田の旧本所で「豆板」というお菓子を作っている会社の、周囲から会長と呼ばれていたおじいさんと話した。初めて訪れた喫茶店の常連さんだった。会長……とは何をする役職なのだろう、私はよく知らない。その人のお父様が昭和2(1927)年に創業した製菓会社だと仰っていたので、もしかしたら2代目社長で、今は席を後継の3代目に譲って会長を務めているのかもしれない。

  • 【墨田区】ゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」ロケ地の散策メモ

    今年の4月は、昭和後期×オカルトブーム要素が取り入れられたゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」のおかげで趣味の散歩がさらに楽しくなった。ありがたい。東京都墨田区内でゆかりの地をぶらぶら巡り、記録しました。公式からロケ地として公表されている場所もあればそうでない場所(作中の背景グラフィックから個人的に予想・特定した)もあり、後者の場合は実際の施設名や場所名を伏せ、詳細が分からないよう番地部分などをモザイク処理した写真を掲載します。

  • 喫茶店 フローラ - 豊穣の女神のサロンに並ぶしましまの椅子|東京都・墨田区

    フローラ(Flora)。聞くと、梶井基次郎の小説「城のある町にて」の一節が頭に浮かぶ言葉。これは春の季節と豊穣を司る女神の名前で、さらに、墨田区東駒形に存在している小さな喫茶店の店名でもあるのだった。開業する時お店の繁栄を願いつつ、占いの結果をもとにして選ばれたという「フローラ」のカタカナ4文字は、女神の纏う衣がなびくような曲線を描いて外の看板に刻まれている。

  • 無題

    // 風に散らされた花びらの滞空時間は意外と長い。 無為に眺めていると、いつまでも地面につかずに漂っている。ひとつに視線を注ぐのに飽きる暇もなく、今度は別の一枚が、また斜め上から降ってきて………そんな風に延々と絶えることがなかった。 遊歩道と言ってよいのか分からないが、近隣の住宅地の裏にある、舗装された一角に沿って桜の樹が植えられている。 歩行するための狭い道なので、敷物を広げられるような面積はなく、ゆえに昼間は花見目的の人間が集まらない区画。そこを誰もが通り過ぎていく。わずかに湾曲して屋根のようになった枝の、花を溢れるほどに抱えた腕の下を。 周辺の様相が変化し始めるのは、陽が落ちてしばらくし…

  • 洋燈の花、旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」- 不可視の渡り廊下を歩いて|青森県・五所川原市の近代遺産

    // 家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われて来るものです、と答えた。 (新潮文庫「津軽」(2022) 太宰治 p.158) この照明器具は後から見学展示室の方に取り付けられたものであって、別に昔からあるものではないのだけれど、佇まいが好きだった。 燭台を象った光源部分をガラスの板が囲み、何かの儀式みたいな様相を見せている。全部で12枚、焚き火の周りに人が集っているような。そうして下からよく観察してみると、ひとつひとつの板の真ん中には星の意匠が施されていた。 植…

  • 宇田和子「ブロンテ姉妹の食生活:生涯、作品、社会をもとに」プディング、は料理かデザートか?|ほぼ500文字の感想

    イギリス文学に頻繁に登場するプディング(pudding)とは一体何なのか。物語の舞台や年代によって、それは肉料理であったり、デザートであったりする。基本的に「蒸した料理の総称」であるプディングはどちらの姿でもあり得る。私が現地で食べたヨークシャー・プディングはローストビーフの付け合わせで、まるで、ふわふわしたパンのようだった様子を思い出せる。

  • 角を曲がればネッスルコーヒーに当たる

    もう営業されていない商店の建物だった。道路に面したファサードの上部が平たくなっていて、大きく店名が書いてある典型的な造り、これは誰が見てもそうと分かる「らしい」佇まい。つやのある、たばこ小賣所と書かれたホーロー看板(琺瑯風の看板)。周辺は全体的にあまり古い建物が残っている場所ではないので、野生のものをこうして見られる機会は少なく、かなり珍しい。

  • 昭和後期×オカルトブームADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」感想

    ホラーミステリーADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」をプレイした。いつもは明治・大正時代から昭和"初期"にかけて生まれた近代遺産を巡ったり、当時の文化に思いを馳せたり、関連する文学作品などを楽しんだりしているこのブログの管理人。パラノマサイトの舞台は昭和後期の東京で、作中に「高度経済成長期に発展」した企業〈ヒハク石鹸〉などが登場するところを見ると、西暦1970年代でも特に73年以降の設定なのだと思われる。いわゆるオカルトブームの渦中にあった世の中。なので、だいぶ日頃の興味の範囲よりは後の時代だ。

  • 鉄道、辨當、食堂車|ほぼ500文字の回想

    お弁当に限らず、旅客を乗せ中距離以上を走る鉄道と食事とは不可分で、現在と異なり20世紀までは多くの路線で「食堂車」を有した列車が運行していた。在来線の特急でも。まるっきり私の記憶にはない時代。夏目漱石の小説「虞美人草」にも食堂車の「ハムエクス」が登場する。車内食、というだけで美味しそうに聞こえるのは、一体なぜなのだろう……。

  • 身不知(みしらず)の柿を食べた夜 - 居酒屋《ぼろ蔵》福島県・会津若松

    明かりの灯った小さな店舗。古い蔵を改装し営業している居酒屋で、名前もそのまま「ぼろ蔵」という。飲みながら食べたものは揚げ餃子、ほっけの塩焼き、そして玄米おこげのチーズ焼き。どれも日本酒に合う美味しい料理だった。玄米おこげのチーズ焼きに関しては私がいちばん好きだと思ったもので、爆速で平らげてしまったため、残念ながら紹介できる写真がない。笑うところ。パリパリになった香ばしいお米のおこげの上に、味に深みを与える黒い海苔が敷かれていて、最後にとろけたチーズが全体を包括してくれる感じだった。おすすめできる。

  • 小説作品が「不快なもの」という言葉で紹介され、出版社側のKADOKAWA公式がそれを特に是正せず引用していたこと

    「限られた人生の時間を、わざわざ不快なものを見て消費したい方にオススメ」……この言葉が組み込まれた投稿を引用し、それに便乗する形で、公式アカウント「KADOKAWAさん@本の情報」により6つの作品が紹介された。これといった語句の訂正などが行われることなく。作品タイトルが挙げられているランキングが実際「最悪なランキング」と称されている部分にも触れられず、この言葉に関しても特に否定されていない。

  • あまいは砂糖の甘さに非ず

    芳春が過ぎゆくと、徐々に桜の枝先から萌す新しい青い芽。それは、この時期に見られる中でも「あまい」ものの筆頭である。確かな光沢があるのに、どこかしっとりとした風貌。ごく細かい産毛でも生えているかのような表面。ある程度面積が増えると葉の表と裏でも質感、色が変化してくる。指で折り曲げてみても離せばすぐ元の形に戻る姿は、単純に伸びようとする意志を感じさせるから好ましい。新芽を前にして「おいしそうだねぇ」と、いつか誰かに言われたことを思い出す。

  • 月の女神と街路樹

    彼らの孤独について教えてくれたのは、本だった。ドイツに生まれ、営林署での勤務経験があるペーター・ヴォールレーベンの著した『樹木たちの知られざる生活:森林管理官が聴いた森の声』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)では、森林の樹木たちがどれだけ社会形成を重んじるのかと、それに比べて、市街地に植樹で連れてこられた木がいかに孤独に存在しているのかが述べられている。

  • 【宿泊記録】窓に障子、中町フジグランドホテル - 七日町や栄町散策の拠点として|福島県・会津若松

    11月の会津若松では、夜の空気は刺さるような冷たさだった。文字通りに痛いくらいの。過ごしやすかった昼間の日差しが嘘のように、みるみるうちに天が青く、暗くなり、やがて思わず首を引っ込めてしまう程の容赦ない風が顔に吹きつけるようになる。宿泊したフジグランドホテルには、立地の異なるふたつの建物がある。ひとつは駅前で、もうひとつは鶴ヶ城方面の七日町に近い方。今回利用したのは後者だった。

  • 夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学

    武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に侮られたり、立場が下だと認識されたり、あるいは取るに足らない存在だとして無視されたりするもの。たとえ気が付かなくても。だから誇りを失わないため、身を守るために誰もが(無意識にも)武装しているのが、実に疲れることだなと思う。

  • 【宿泊記録】デュークスホテル博多にて - 和・洋・粥から選べる朝食、駅西側から徒歩2分|九州・福岡ひとり旅

    羽田を出、博多空港に到着してから筑豊の新飯塚に向かった日、旧伊藤伝衛門邸を見学してから夜にまた博多駅まで戻ってきた。翌日朝に小倉へ移動して、今度は田川伊田の三井炭鉱跡まで行くために。デュークスホテル博多は、予約サイトで見たロビーの写真がなんとなく気に入っただけの理由で選んだ。赤いカーペットの上にアンティーク家具などが並べられている。

  • 文明と「非人情」とつやつやの羊羹 - 夏目漱石《草枕》日本の近代文学

    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」この作品の冒頭は至るところで引用されている。……が、せっかく「草枕」が全体を通して大変にキレッキレで面白い文章の集積であることを考えると、冒頭だけが切り取られて流布し、肝心の内容が知られていないのは、かなり惜しい。

  • 水の町・大垣に建つ城と、謎多き関ケ原ウォーランドへ……|岐阜県南部旅行(4)

    外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名残だ。流れを覗き込めば底に生える草が光を反射して色鮮やか。密集したそれらが水の軌道に沿って葉を揺らす様子は、まるで巨大な動物の背か、その美麗なたてがみを眺めているようだと思わされる。あるいは竜でも沈んでいるのだろうか。そこまでとは言わずとも、以前は城を守る堀でもあった水路の数々だから、敵襲に際しては兵の道を阻む存在として目覚め立ちはだかったのだと考えれば面白いし、妄想が捗った。城へ向かう道の角に面した地点で木の橋を渡って、浮足立つままに靴音を鳴らす。

  • 体感するモダンアート《養老天命反転地》と大正時代の擬洋風駅舎|岐阜県南部旅行(3)

    目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた。 名前を《養老天命反転地》という。 、 思い返せば、小中学校の美術の教科書のどれかには確かにその写真が載っていたし、設計を手掛けた荒川修作は芸術界の超有名人。調べると、かなり大規模な体感型の作品…… というよりかアスレチックのような施設に見えた。また、共に制作に携わった米国の詩人、マドリン・ギンズがそこにどんな要素を加えたのかも見逃せない。

  • 記事を寄稿しました:以前は名の知れた歓楽街、柳ヶ瀬。その隆盛を偲びつつ商店街の小路を歩く - WEBメディア〈すごいお雑煮〉へ

    久しぶりに外部で執筆した記事の紹介です。先日、webメディア〈すごいお雑煮 - 地味に役立つニュースサイト〉さんにて、岐阜旅行中に見つけた一角「柳ヶ瀬商店街」を紹介したものを掲載していただきました。以下が記事へのリンクになります。まず、念願だった街歩きのジャンルで記名記事を執筆できて非常に嬉しいです! それもあまり一般には受けなさそうな、地味で少し怪しい着眼点の散策記録なのですが、快く掲載を承諾してくれたメディアと運営者の方には頭が上がりません。感謝感激、雨あられ。

  • 金華山に鎮座する岐阜城、正法寺の籠大仏、伊奈波神社めぐり|岐阜県南部旅行(2)

    特に斎藤道三と織田信長にゆかりあるこの山と城は、名を変えたり焼失したりしながらも、戦国の時代から続くこの岐阜の地を俯瞰し続けてきた。しかし、美濃を制す者が天下を制す――とまで言われた難攻不落の城といえど、決して不滅ではない。現在の天守は昭和中期に再建されたものであり、真新しくも町のシンボルらしい姿を衆目の前に示している。まさに象徴としての城という感じだ。当時のまま残っているものは石垣以外にほとんどないが、人々はそれらしいアイコンを視界に入れることで、歴史や武将たちの軌跡に意識の中で触れられる。

  • 川原町の情緒ある風景と喫茶店、そして近代の洋風建築を見に|岐阜県南部旅行(1)

    日本三大河川の一つに数えられる美しい長良川は、毎年5月から10月頃にかけて、伝統的な鵜飼(うかい)の行事が行われる舞台でもある。その静かな流れと深い青緑色には用が無くても足を止めざるを得ない。豪雨が降れば水位は増し、古来から災害を恐れてきた人々に牙を剥くこともあるのだろうが、昼の晴れた空の下では眠っている竜よりも穏やかだ。陽射しが眩しい。かかる橋の下、木製の灯台から伸びる通りの一角に、町並み保存地区があったので覗いてみた。

  • 熱海銀座で"1mmモンブラン"が食べられるお店《和栗菓子 kiito-生糸-》に遭遇する|静岡県・熱海市

    たしか雨宿りをするのにちょうどいい店を探していて、この「和栗菓子 kiito-生糸-(きいと)」というモンブランのお店に出会ったのだった。テーブルにつくと、想像以上にきちんとした感じに驚き、同時にわくわくする。全然何も知らずに入ったのでなおさら。基本的にメインとなるモンブラン(や、モンブランパフェ等)と飲み物とのペアリングで提供される形になっており、私は名取園の抹茶を選んでみた。

  • 筑豊のローカル鉄道・日田彦山線に乗車して「田川伊田駅」へ - かつて石炭を運んだ路線|ほぼ500文字の回想

    筑前と豊前の間に位置し、それらの頭文字を取って筑豊(ちくほう)と称されるようになった地域。明治28(1895)年に開業した豊州鉄道をはじめ、筑豊周辺の鉄道路線は「炭鉱」の隆盛と共に発展したのだと調べるほどに実感する。石炭を船に積んで川を下った頃から、蒸気機関車の出現を経て、現在まで路線が受け継がれてきている……。今回、田川市石炭・歴史博物館へ行くのに利用した「日田彦山線」もそのうちのひとつ。

  • 起雲閣の目の前、小さな甘味処《福屋》でティーフロートとお蕎麦を|静岡県・熱海市

    起雲閣の玄関に続く薬師門を出たところ、道路を挟んだ向かいに甘味処があるのは以前から知っていて、けれど実際に入ってみたのは初めてだった。付近を通るたび視界に入っていたのは、スピルバーグ監督の映画「E.T.」に登場する宇宙人を象った人形の存在。そう、入口脇に和服の大きな宇宙人がいるのが特徴で分かりやすい。印象的なバシバシのつけまつげをしている……。店舗の前には、起雲閣への入館を証明(領収書の提示)すると50円引き、とあった。なるほど。入店するととてもこぢんまりとした店内にいくつかのテーブルが置かれており、一部販売されている民芸品や、旅の本などが壁際に並べられていた。カウンターにも数席。道路に面した側の窓のところには植物の鉢が置いてあって、透けて射しこむ冬の光が柔らかい。

  • 自分の人生を送るのに、何かの許可をもらったり、誰かを納得させたりする必要はなかった

    私に何の関係もない人達が、口々に「人の話はためになるから聞いておいた方が良い」などと言いながら、私の等身大の在り方に横槍を入れてくる。その言葉をありがたがって聞いて、何かが変わった結果、不利益を被っても誰一人として責任など取りはしない。妙な現象ではないだろうか?すべてをちゃんと聞かなきゃ、と念じていた他人の言葉には、意外にも、熱心に耳を傾ける値打ちのあるものはそこまで多くなさそうだった。一部を除いて。とりわけ、自分との精神的な距離が遠い人間から、勝手に投げつけられるものは。

  • 旧津島家住宅「斜陽館」の迷宮じみた邸内、欅の大階段 - 太宰治が生家に抱く複雑な思い|青森県・五所川原市の近代遺産

    // 没落した元華族のとある家庭と、そこにいた母、娘、息子それぞれの軌跡を描いた小説に「斜陽」がある。 終わるひとつの時代に、かず子の恋と革命と、直治の遺書。 昭和22(1947)年に新潮社から出版された。 これにちなんで太宰治の生家——旧津島家住宅は斜陽館と呼ばれている。かつては旅館だった時期もあるが、経営悪化後に売却されてからは自治体に所有権が移り、NPO法人の運営で文学記念館として一般公開されるようになった。 太宰は太平洋戦争の折、昭和20(1945)年に東京からここへ疎開して新座敷の方に住まい、後に書かれる「斜陽」の着想元であったチェーホフの戯曲「桜の園」をたびたび脳裏に浮かべていたと…

  • エジプト・カイロ周辺旅行(5) ギザ平原の大ピラミッドと悠久の時を超えて佇むスフィンクス

    カイロからおよそ20キロ、ナイル川を挟んで西側に位置するネクロポリスが、今回の旅行で最後に訪れた都市ギザ(ギーザ)だ。古代エジプトの王族や神官たちが多く眠るこの場所は、今ではエジプトの代表的な観光地。遺跡の残る位置から少し離れた市街地に立っていても、近代的なビルの隙間からピラミッドが覗く様子に、月並みな言い方しか選べないがとてもわくわくしたのをはっきりと思い出せる。昔から訪れたいと願い、時には夢にまで見た遺跡が、自分の目の前にあった。遥か4000年以上もの時を超えて、風化に耐えながら、砂漠の平原に聳え立つ金字塔。眉唾な伝説から興味深い考古学的発見に至るまで、その石の集積からは、幾億もの物語が尽きることなく紡がれ続けている。その一端を覗いてみよう。

  • エジプト・カイロ周辺旅行(4) 王家の埋葬地 - サッカラとダハシュールの墳墓・ピラミッド郡を訪ねて

    多くの謎に包まれた、古代エジプトのピラミッド郡。なかでも有名なのはクフ王の大ピラミッドだと思うが、それが聳え立つギザの平原を背にして不思議な生き物・スフィンクスがじっと前を見据えている光景は、今も昔も変わらずエジプトを象徴するものとなっている。この国に対して抱いているイメージを訪ねれば、きっと多くの人が似たものを想像するだろう。その際に、1863年に日本から派遣された、遣欧使節団の写真を連想する人は意外といるのではないだろうか。中学や高校の歴史の授業でよく取り上げられる一枚だ。もちろん彼らは旅行に行ったわけではなく、当時開かれたばかりだった日本の港を再び閉ざし、鎖国をするための交渉に遠方はるばる出かけたわけなのだが――巨大な古代の石像を目の前にして、一体どのようなことを考えたのだろう。それがとても気になる。言うまでもなく、現代に生きる私達と彼らとでは色々な感覚が異なっていたと思う。それでも途方もなく長い時間ずっと、エジプトを砂塵越しに見守ってきた存在から受ける迫力は、この頃から変わらなかったはずだ。

  • エジプト・カイロ周辺旅行(3) 歴史ある雑多なハーン・ハリーリ市場とマニアル宮殿の散策

    砂漠の国の、雰囲気ある市場に憧れたことのある子供はきっと多い。幼い頃の私もそうだった。不思議な幾何学模様が描かれた布、きらめく装身具、布袋から覗く果物がひしめく通り。人々が行き交う活気ある場所で、自分の国では見たこともないような品物を眺めて歩くのは、どんなに面白いだろうか――と。地上のどこかにそんな場所があるなんて、行動範囲の狭い子供の身では到底信じられなかった。カイロにあるハーン・ハリーリ(Khan El Khalili)は、細い路地がまるで迷路のように入り組んでいる市場だ。

  • エジプト・カイロ周辺旅行(2) 広大な考古学博物館を興奮しながら駆け回った記録

    私達の心をいつの時代も惹きつけてやまない、古代文明の遺産。エジプト、という言葉の響きから多くの人々が反射的に連想するのは、ピラミッドの丘や王家の谷の葬祭殿、墓荒らしの手を逃れて生き残った副葬品をはじめとする、数多くの史跡・宝物だろう。現地に眠るものたちは今も悠久の時を超えて、訪れる者との邂逅を待っている。無論、死後の復活を信じて遺体のミイラを大切に葬った古代エジプト人にとって、考古学者や調査隊も等しく、墓を暴く不届き物であるという事実に変わりはない。そして私のような一介の観光客は、ただ敬意と共に頭を低くして敷地に立ち入り、感慨にふけったり写真を撮ったりする他になすすべはないのだ。かなりの出土品がイギリスやフランス等の国へと持ち去られているとはいえ、カイロのタハリール広場前にあるエジプト考古学博物館では、他では決して見ることのできない貴重な展示品の数々を贅沢に拝むことができた。ここでは撮影禁止エリア以外で撮った写真に感想をつけて、いくつかのものを紹介しようと思う。

  • エジプト・カイロ周辺旅行(1) 絢爛なムハンマド・アリー・モスクは街の小高い丘の上

    古代文明のロマンと中世以降のイスラーム文化が交差する国、エジプト――。先月末、私は現地の都市カイロとギザを訪れる機会を得て、嬉々として成田空港から飛行機に乗り込み旅立ったのだった。そもそもイギリスから帰ってきて以来、半年以上の間を開けた国外行きということもあり、気分は高揚していた。当時は抑圧された暗い気持ちでヒースロー空港を出発し、帰路についていたけれど、今回は全く違う。そのことも単純にうれしかったのだと思う。このエジプト旅行はほとんど衝動的に決めたものだった。そして、その発端となった理由の大部分を占めているのが、高橋和希氏の漫画「遊☆戯☆王」の存在だったということは一応書いておかなければならない気がする。某所に投稿されていた動画《遊戯vs.遊戯with海馬(まるで実写)》のせいでうっかり再熱してしまい、気が付いたときにはもう、web上のツアー予約ボタンをポチっと押してしまっていたのだ。罪深い。カードゲーム・バトル漫画の枠を超えた非常にアツい物語なので、皆さんもぜひ原作漫画を読んでみてください。......閑話休題、ここからエジプト観光の記録を始めます。

  • ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「牢の中の貴婦人」私達も格子の内側から世界を見ている|ほぼ500文字の感想

    突然、ここではない別の世界、いわゆる異世界に迷い込む。そこでは誰も自分を知らず、特に誰かから呼び出されたわけでもない身の上は、周囲の何にとっても些細な存在として扱われる。何かの「役割」もなければ、特殊な「能力」もない。近現代(と想定される)イギリスから、言葉も文化も奇妙に異なる国へ入り込んでしまったエミリーは、不運にも「貴族の女性の身代わり」にされ収監されてしまうのだった。彼女は囚人となり、獄中で与えられたペンを使い、様々な事柄を紙に書き綴る……

  • 夢野久作《鉄鎚》など彼の作品に「電話」が与えた影響と魅力と - 門司電気通信レトロ館(旧逓信省の建物)|日本の近代文学

    ……リンリン、リリリン……リンリン、リリリン……リンリン、リリリリリリリリ……。電話という道具、通信の手段は、100年前に比べれば随分と身近になった。電波の届く場所でならほとんど、いつでも誰とでも会話できる便利な状況が、むしろ煩わしく感じられる程度には。現代に存在する電話を嫌いな人の数は少なくない。会社にいるとき頻繁に利用する私も、別に好きではない。けれど改めてこの「奇妙な道具」自体の性質について深く考えてみると、面白い要素を沢山挙げることができるのだった。特に電話開通から間もない頃、まだそれがどちらかというと「特別な存在」であった時代の文学作品を通して見れば、なおさら。

  • ギザの偉大な人面獅子像 - 旅先の風景は、ただそこにある現実|エジプト・カイロ紀行

    特にどこへも行かず過ごしている期間、ギザの大スフィンクスは、いわゆる現実から遠く離れた存在の筆頭だったと思う。幼少期に学習漫画を読んで以来、数々の考古学、文明の本や番組に触れて以来、長らく心の一角に住み続けていた空想世界の住民。地球上にあることにはなっているけれど、自分の実感からすると、確実でも本当でもないもの。箱の中にあって、みんなが「ある」と証言する。しかし箱を実際に開けてみるまでは、きちんと見てみるまでは、そこに入っているのかどうかすら分からない存在……。

  • 人を喰う城郭 - 静寂の町・イムディーナ|マルタ共和国紀行

    音を吸う存在としてよく話題に上るのは雪だが、実際のところ、石も似たようなものだと思う。特に、柔らかいもの。表面が磨かれておらず微細な穴が開いていたり、経年による風化で、少なからず傷が付いていたりするものが。それに気付かされたのが多分この場所だった。地面だけならまだしも、左右も十メートルに匹敵する高さの石壁に挟まれて歩く経験は、今までになく自分を高揚させ、不安にもさせた。空が細く、狭い。太陽の位置が分からないから現在時刻が曖昧になる。けれど市街地で、近代的な大都市のビル群に圧迫されて道を行く際には、まずこんな気持ちにはならないだろう。単純な高さだけでいえばずっと上のはずなのに。ここは例えるなら、水の中にいるのに何故か息ができているような……そんな、不思議でおさまりの悪い感じを心に抱かせる。だが奇妙なことに、それが嫌だと思えない。大気の振動によって音は鼓膜に届く。この町の空気は張り詰めていて、響きによって撓(たわ)むことを許さない。石壁が音を吸うから。立てたそばからフッと掻き消えて、僅かな余韻しか残さないのだ。郭内に足を踏み入れた瞬間から、耳殻のまわりには紗の覆いがかかっている。

  • ひるまの電飾がたたえた光は不自然で妖しい|イングランド北部・リーズ (Leeds)

    曇った空の下では、ものの姿が必要以上に強調されて、やけに「はっきり」と見える。色も形も。単純な光量の点では、雲が太陽を隠していない時よりも劣るはずなのに、ずっと明瞭に。とても不思議なことだった。暗闇とまた、全然違う。誤解を招くのを承知で言えば、よく見える、という意味においてのみ、たぶん鮮やかになるのだ。いろいろなものが。曇天それ自体に対して抱く印象とは、ほとんど反対に。だから曇りの日に外を出歩くのが苦手なのかもしれない。別段求めていないところまで、事物の表面が見え過ぎる点で。

  • 柘榴・サマルカンド - ウズベキスタン紀行

    人生を通して、私がはじめて柘榴(ざくろ)という果物を口にしたのが、中央アジアに位置するウズベキスタン旅行の最中だった。場所はたしか、古都サマルカンドの片隅に建つふつうの民家の離れを利用して、ささやかに営まれているレストランだったと記憶している。玄関の門から実際に現地の方のおうちに上がり込み、それこそ単なる旅行者というよりも、日頃から親交のある客人のような丁寧な扱いを受けた。

  • これまでの【海外旅行・散策】記事まとめ

    掲載している国はイギリス、ノルウェー、エジプト、マルタ、ウズベキスタン。一部、イギリス留学期間中(2016~2018)の散策を後に記録したブログも含みます。ここにあるのはすべてが読まれてほしい記事、大切な思い出の証明。まだここにまとめられていないものはパリ、ベルリンとミュンヘン、ニューヨーク訪問時の回想です。

  • 合法的邸宅立入は罪にならない - 千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)大正初期|稲毛区の近代建築

    // 家宅への、正当性なき侵入は違法な行為。 加えて侵入後の住民への加害……具体的には殺傷や、金品の窃盗、果ては覗きに至るまで「勝手に他人の家に上がり込んで何かする行為」は法律で明確に罪と定められており、そのような犯罪を犯したことが露呈すれば当然、刑に処される。 さて。 私は自分のものではない建物、大規模な公共施設などもさることながら、とりわけ個人が所有していた古い邸宅や別荘の内部を「合法的に」ウロウロと歩き回るのが好きである。住民のいない家の中を、とてもお行儀よく、でも好奇心に満ちた眼をくまなく細部にまで向けて探検する。もちろん何もいけないことをするつもりなどなく。 これが可能になるのが「見…

  • 柳広司「トーキョー・プリズン」人間の《本質》という儚い幻想への憧憬|ほぼ500文字の感想

    状況が変われば、人はあらゆることを実行できてしまう。「狂気」という言葉は便宜的に使われるが、では「正気」とは? 何がそれを定義できるというのだろう。100人のうち1人だけが正気であるとするならば、その1人はなんと、狂っていることになるのである。

  • 例えば赤い貝殻や、角が取れて氷砂糖じみたガラス、陶磁器類の欠片とか - 嗜好の標本づくり

    // 風速が5メートル程度ある晴れた日に、沖から寄せる波が砂浜を噛む音は、少し離れたところに居る人間の声を簡単にかき消すくらい大きいのだと知った。 威嚇をされている。 わざわざ干潮の時間に合わせて行った背景もきちんと見抜かれていたはずで、ざざん、と白く泡立つ海水が飛沫となって顔に触れ、髪や服に染み込むのを砂の上に立ち感じていた。 海に行くのはすなわち、想像も及ばぬほど大きな相手からの無遠慮な侵食を、否応なしに受け入れること。 私は海にあまり好かれておらず、そして浜というのはどうしても自分と潮との距離が近すぎるから、あまりすすんで訪れることはない。人に連れ出されなければ特に赴くきっかけもなく、用…

  • 旭川遊歩の回想、とめがき【2】零雨の平らな街と古い銭湯

    // 羽田空港を出発し、津軽海峡上空を通過したあたりで眼下、飛行機の窓一杯に見える北海道は、視界の及ぶ限り山々のうねりで構成されている。 季節にもよるのだろうけれど夏だとかなり濃い緑で、むしろ黒い、と言ってしまっても間違いではないような深い色。さらに冬になると葉を落とした樹木の集積が、白い雪との対比も相まって本当に黒々とした様子になる。眺めているだけで呑み込まれそうな大波に。土地の激しい起伏が、対峙する側にそう思わせる。 だからだろうか。 空港から旭川市街地の中心部、JR駅周辺に到着すると、その平坦さと、あまりに整然とした様子に面食らう。滑走路のように長く真っ直ぐ伸びる道路。河川の上空にひらけ…

  • 旭川遊歩の回想、とめがき【1】出来秋の紅輪蒲公英

    晩夏も過ぎた頃の旭川に4日間、いた。合計で3度の夜を越したと書こうとして、辞書を引いたら「夜越(し)」なる言葉が存在していたのを知る。その意味のひとつに「夜中に山河を越すこと」というものがあったので、ぼんやり光景を想像し、可能ならぜひともそうしたかったものだと短い滞在を振り返った。北海道にある幅の広い川や大きな山を、陽の沈み切った後に黙々と越えていく。鞄ひとつだけを携えて。それは魅力的な行為であり、瞼に浮かぶのは憧憬を誘う一幅の画であった。

  • COFFEE SHOP FUJI(喫茶富士)- 薄水色をしたクリームソーダ、しなやかな猫の気配があるレトロ喫茶店|千葉県・松戸市

    JR松戸駅の西口を出たら、歩行者デッキの階段を下りて、線路沿いに道路を北へ。2分程度歩くと左側、角を曲がってすぐの場所に見えてくる。通りに面した大きな四角い窓に植物の葉が茂り、レンガ風の壁の上には、青と橙の細いしましまで彩られた庇がある店舗が。FUJI (富士) という喫茶店で、サイフォンのイラストが描かれた看板の下には洒落た手書きのロゴもある。よーく見ると文字に影がついているのと、コーヒーカップと豆の存在がポイント。ここは1980年代に創業、「喫茶富士」として開店してからすでに40年以上が経過しており、現在も変わらず地域に愛されているようだった。平日の夕方頃に入店してみると、常連さんらしき面々が多い。昔の広告写真(白黒)にはなかった大きなテレビが設置されていて、その前の開いていた席に座った。

  • J・P・ホーガン「星を継ぐもの」かつては現実に思えた夢の名残り|ほぼ500文字の感想

    本棚から創元SF文庫「星を継ぐもの」が出てきた。J・P・ホーガンの著作で日本語訳は池央耿。《巨人たちの星シリーズ》3部作の、第1部だった(しかし、かなり後になって新しく第4部が発行されている。さらにそれ以降の続刊は日本語に訳されていない)。読むと、この作品が「SF」であり「推理・ミステリ」でもあると評されている理由が分かった。同時に、なんて地味なんだろう……としみじみ思い、考えるほどに嬉しくなる。扱われる問題は壮大なのに、物語の仕掛けとして使われている叙述の手法自体はすごく、ものすごく地味、なのが実に良かった。読者は中盤で気付きを得て、最後の結論に至り、またプロローグに戻って納得する。あの流れ。基本的な筋書き以外の部分では、ハント博士の述懐が印象に残る。

  • JUL7ME(ジュライミー)のフレグランスハンドクリーム使用感

    昨年の秋頃に人からもらったハンドクリームのギフトセット、しばらく使い続けてみたのでその感想を置いておく。JUL7ME(ジュライミー)のフレグランスハンドクリームという商品。それぞれ匂いの違う楽しみがあり、いわゆる香水とはまた違うものなので、その時の気分や服装によって簡単に纏う雰囲気を変えられるのが長所だろうか。手軽で良い。

  • 椿の絵ろうそく:福島県・会津若松土産

    透明な袋に包装されていた状態から本体を取り出し、少し顔を近付けてみると、意外にもはっきりとした匂いが認識できた。香りのつけられていない、素の蝋燭の匂い。独特で、どこか懐かしく、他の何にも似ていないと思う。手に持って矯めつ眇めつ、触りながら目と指先でその形を確かめた。根本から上に行くに従って胴がわずかに膨らみ、最後はすっぱりと水平面になった天辺の円の中央から、お灸みたいな芯の三角頭が覗くさま。それが、単なる円柱の蝋燭よりも堂々とした姿に見えて、高貴だった。

  • 妹背牛町をぶらぶら散策 - にわか雨・天然温泉・函館本線|北海道一人旅・妹背牛編(2)

    郷土館の見学を終えたら大通りに出て、北へ向かって歩いてみる。道道(どうどう。他の地域で言う「県道」や「府道」にあたる)94号線が描くゆるやかな曲線を、車とは違う、亀の速度で進む自分の足跡でなぞった。道路の幅に沿い、一定の間隔で頭上に矢印が掲げられているのは、人々から時に「矢羽根」とも呼ばれる標識。正式名称は「固定式視線誘導柱」になる。北海道や東北の一部地域に設置されているもので、路肩の線が積雪で隠されたり、吹雪で視界が不明瞭になったりした際など、ドライバーが自身の走行位置を見定めるのに役立つ。私の居住地域ではまず確認できない存在なので、興味深かった。特別なところにしか生息していない希少な動物を発見できたような気分になる。

  • 夢野久作《女坑主》口先で弄する虚無より遥かな深淵を覗いたら|日本の近代文学

    いかにも気弱そうな青年と凄艶な女坑主とが、シャンデリアの明かりも絢爛な応接間で向かい合い、会話をしている。紙上に展開する空間は、冒頭から余剰を感じさせるほどにきらびやかで、それでいて、どこかうす暗い雰囲気にも包まれているのだった。昭和初期に発表された夢野久作の「女坑主」は、文庫にして約二十数ページという短さに収まる。その中ではじめに場面が切り替わり、意表を突く要素が描かれたかと思えば、今度は重ねるようにして一気に力の関係が転換させられる。出し抜く方と出し抜かれた方……2人の人物が収められた画の構図。

  • 会津名物「ソースカツ丼」とカツを模したお菓子 - 近代から現代に受け継がれてきた味|福島県・会津若松

    福島県は会津。先日に初訪問を果たした会津若松では、ソースカツ丼が地元の名物として紹介されていた。ここでは昭和5(1930)年に「若松食堂」が提供を開始したのがその起こりとされ、15年後の昭和20(1945)年には続いて「白孔雀」食堂が、丼の直径よりも大きなカツを白飯にのせるという盛り方で名前を知られるようになる。肝心のソースには塩気と甘さがあり、さらに深い部分で色々なものが溶け込んでいるのを感じる。とろみがあって味も濃い。ケチャップや酒、みりん、あるいは果物が配合されているとも耳にしたが、実際に材料の詳細を知りたくなる。もちろん店舗によって使われている材料は異なるのだろうが……。

  • 精霊馬を思いつつ茄子を育てる

    お盆の風習のひとつに精霊馬(しょうりょうま)というものがある。キュウリやナスに木の棒の足を刺して、動物の牛と馬をかたどった、一種の供物。私の住んでいる場所では比較的多く見られ、幼い頃から自然とその存在を認識していたからか、日本国内でも地域や宗派によって作ったり作らなかったりするのだと最近知り、ずいぶん驚いた。精霊馬は仏壇や専用の棚に飾るのが一般的であるらしいのだが、お盆の時期に近所を歩いていると、外の玄関先や家の角、門の前のところへ出している家によく遭遇し、精霊馬のある風景が見る者に季節を感じさせる。これも、習俗の地域差だと捉えてもいいのだろうか。真偽は分からないがいずれにせよ面白いものである。

  • 山の歴史館 - 明治時代の木造洋風建築、御料局妻籠出張所庁舎|長野県・木曽郡南木曽町(2)

    これが「山の歴史館」の建物。もとは1900(明治33)年に建てられた木造建築で、御料局(ごりょうきょく)妻籠出張所庁舎、といった。御料局とは明治18(1885)年に宮内庁に設置された、皇室の領地を管轄するための部署のこと。のちに帝室林野管理局、また帝室林野局……と二度の改称を経て、現在では廃止されて存在していない。かつては妻籠宿の旧本陣跡地に建っていたものを移築し、こうして山の歴史館として利用し一般公開されている。

  • 文章を寄稿しました:白昼の歓楽街、取り残された街 - 青春ヘラver.6〈情緒終末旅行〉へ|文学フリマ京都7

    この度どういうご縁があったのか、大阪大学感傷マゾ研究会さんからお声掛けくださり、そちらの会誌「青春ヘラver.6 〈情緒終末旅行〉」に文章を寄稿することとなりました。2023年1月15日に文学フリマ京都7で頒布する同人誌で、ver.1から順に刊行されているものの6番目です。寄稿した会誌のテーマは「情緒終末旅行」ということで、終末や旅行にまつわるエッセイ、小説、評論などが色々な方から寄せられています。

  • 天鏡閣 - 窓が多く塔屋が印象的な白い明治の洋館、湖の傍に建つ旧別邸|福島県・猪苗代

    令和5年現在、天鏡閣は年末年始であろうと関係なく「無休」で公開されているのがかなり意外だった。本当に年中無休。ここは会津若松に隣接する地域で、寒いとすっかり雪に閉ざされてしまう地域の印象があったため……。それでも、辿り着ける人は辿り着くのだろう。ちなみに館内に暖房設備はない(玄関口に石油ストーブがあるだけ)ので、冬季の訪問には上着が欠かせない。建物に近寄りながら抱いていたのは、別荘ではなくてむしろ何かの観測施設に見える、という印象だった。天文台みたいな。多分、望遠鏡を設置して星を見るのに良さそうな8角形の塔屋部分が、それらしい雰囲気を醸し出している。塔屋に加えて気が付いた。下見板張りの白い外壁は、百葉箱にそっくり。外気温を計る温度計などを納めていた箱。だからなおさら、この建物に観測施設の面影を投影してしまう。靴を脱いで、あの見張り台に上っていきたい。上、空に近い方。

  • 病的な飽き性による驚嘆すべき「ブログ継続5年目」の感慨

    「昨日はあれほど欲しかったものが、今日になってみると、もう欲しくなくなる」そういう難儀な性質を人格に内包しているみたいで、もっとひどい場合では、例えばほんの10分前に死ぬほど実行したかったことをいざやろうとすると、もう考えるのも嫌になってしまう。ちなみに理由はない。この側面のせいで、自分自身と仲良くするのがあまりにも大変なのが、本当に滑稽でおかしい。異常。異常で、病的で、厄介な、どうしようもない飽き性。10分どころか下手を打つと30秒で何かに飽きる。たまに旅行をするのだが、それで困ることも多いのだった。

  • 生命に優先順位をつけるのは「愛」その差別的側面を浮き彫りにした社会契約制度|吟鳥子《きみを死なせないための物語》

    元日に漫画「きみを死なせないための物語(ストーリア)」を読んでいた。作者は吟鳥子氏で、作画協力は中澤泉汰氏、また宇宙考証協力に首都大学東京の佐原宏典氏が迎えられているSF作品。表面上の分類は少女漫画になる。秋田書店のサイトSouffleにて、2023年1月31日まで開催されているキャンペーンの一環で1~2巻の内容が無料公開されており、実際に読んでみてから全9巻の電子版を買った。それもあってか、冒頭から「電子化されていないご本は秘密のご本なの」という台詞を目にしてなんだか落ち着かなくなった。作中社会の設定では禁忌とされた、紙の書籍で買ってもよかったかもしれない。

  • 帰省をはじめとする世間の年末年始文化

    帰省というもの、大晦日の挨拶、年賀状の歴史など。 ◇ ◇ ◇ 高校時代にいわゆる満員電車で通学していた記憶はかなりの悪夢として若年期の記憶に刻まれており、その影響もあるのか、ラッシュという言葉(もちろん、入浴剤や化粧品を販売している会社の名前ではない)を聞くと反射的に神経の糸が張り詰める。糸が弦になり、なんともいえない不安を煽る感じの音が鳴る。だから年末年始に「帰省ラッシュ」と世間の混雑状況が話題にのぼるとき、まっさきに考えるのはそれをいかにして回避するか、だった。だから縁遠い。単純に駅でも空港でも、混んでいるところや混みそうなところには基本的に行かない。まぁ大きな楽しみとか……何らかの見返りがない限りは。

  • 【文学聖地&近代遺産】ごく個人的な物語を往来するための巡礼記録:2022年

    これまで1度も歩いたことのなかった土地の数々へ、2022年も足を運んだ。「足を運んだ」というよりか「足を使って自分の身体をせっせと遠方へ運んだ」とも表現できる。各種公共交通機関や、乗用車の力を借りながら。まぁ別にどちらでも意味は変わらない。いつもの虚無感はそのまま、でも、知的好奇心を満たせるように動けたのは有意義だった。いわば巡礼の記録。広義の推し活。

  • 深川駅のウロコダンゴ - 国鉄留萠線(留萌本線)の開通を記念し、大正2(1913)年から売られている和菓子|北海道一人旅・深川編

    外箱を裏返してこのお菓子の来歴を読んだ。どうやら、明治に開通した留萌(るもい)線がウロコダンゴの誕生する契機となったらしい。残念ながら赤字により、今後2023年から2026年にかけての段階的な廃線が決定している留萌本線だが、その始まりは明治43(1910)年の頃。現在の留萌本線と同じく、この深川駅を起点として、北西の果ての留萌まで鉄道が引かれていた。当時の漢字表記は「留萠線」。

  • 恩田陸「私の家では何も起こらない」古の聖なる丘のその上に|ほぼ500文字の感想

    先史時代からあるらしい丘の上に建つ、2階建ての館。この物語に登場した。そこで、土地に蓄積された過去の全ての記憶がデジャ・ビュとして現れ、「幽霊」に似た姿で観測される現象。聖地か墓地か不明だが、とにかく特別な場所だったのだろう、と作中で語られる丘の描写から私が連想したのは、先日訪れた青森県の小牧野遺跡だった。大規模な工事で作られた丘の上に、縄文時代の環状列石が残っている。偶然にも小説の著者の恩田陸は青森生まれの作家である。

  • ウクラン ポロンノ ウパシ アシ(ukuran poronno upas as)

    2022年12月中旬、15日からだいたい1週間程度の期間。この時期には珍しい、異例の寒波と大雪に見舞われていたのが北海道南部の函館だった。現地は通常なら師走半ばの降雪量が少ないとされる地域で、それにもかかわらず、平年の3倍を超えるほどの積雪が観測された。函館における異常な雪は、動きの遅い低気圧や、西高東低の冬型気圧配置、風の向き、いろいろな要因で引き起こされる可能性のある天候らしい。珍しいが、過去の記録を見てみると、実はここでの大雪観測記録は12月に集中しているのだと分かった。

  • 吸血鬼の館 - 東京都・台東区

    あるとき東京上野を適当に散策していて、それは面白い洋館の前を通りかかった。黒っぽい下見板張りの外壁、欄干がある古風な上げ下げ窓の白く塗られた窓枠、破風のところにあるもうひとつの気になる窓。屋根裏部屋でもあるのだろうか。そして入口上部、まるで林檎のように赤く魅惑的なランプ。夕方にこんなものがぼんやり点灯していたら蛾のごとく引き寄せられてしまう。

  • 赤屋根の「駅舎」- かつて太宰治も訪れた鉄道駅の建物、現在はレトロな喫茶店|青森県・五所川原市

    津軽五所川原から津軽中里までは、乗用車以外の貴重な移動手段として、津軽鉄道線が走っている。その芦野公園の駅舎に、昭和5(1930)年開業当時から残る貴重な建物が今でも使われているのだった。2014(平成26)年12月には国の有形文化財にも登録されるに至る。昭和19年、執筆のために改めて自身の出身地(金木)に近いこの土地を訪れた太宰治も、後の作品「津軽」の中で芦野公園駅に言及していた。「東京・上野の駅員が青森の芦野公園駅を知らず、30分ほど調べさせた末、金木町長がようやく切符を買えた」という逸話の紹介とともに……。

  • 【宿泊記録】潮と湯の香る浅虫温泉、辰巳館 - 半宵に星の流れる音を聞く|青森県・青森市

    浅虫温泉で泊まっていた旅館が、辰巳館。夕闇に輪郭を溶かす姿は、まるで海の生き物が住んでいるお城みたいだった。字の書かれた看板だけがあやしく魅力的に光って。また不思議と、払暁を迎えてから明るい場所で眺めてみても、同じようにそういう印象を抱く。要因は屋根の色だと思った。例えば私にとって赤銅寄りの赤や茶は、海と海辺の町を強く連想させる色彩で、一般に連想される青でも灰でもなかった。きっと水底にお城があるなら屋根はこの色に違いない。ちなみに、水中の深い場所へ行くほど、赤は視認しにくくなる。

  • 西行法師の人造人間と反魂の秘術

    西行は平安時代末期に生まれて鎌倉時代後期に没した武士、かつ著名な歌人であり、出家してからは僧侶でもあった。彼が親しかった友との別れを嘆いていたとき、偶然にも「鬼が人間の骨を集めて人を造った」旨の噂を耳にし、それで自分も真似をしてみたのだとか。人造人間を制作する方法は当然ながら奇怪なものだった。死人の骨を基礎として、砒霜という薬を塗ったり、藤の若葉の糸で骨をからげて洗ったり、色々な植物の葉を揉みこんだり灰にしてつけたり。その締めくくりが沈と香を焚く「反魂の秘術」だった。

  • ひるまの電飾がたたえた光は不自然で妖しい|イングランド北部・リーズ (Leeds)

    曇った空の下では、ものの姿が必要以上に強調されて、やけに「はっきり」と見える。色も形も。単純な光量の点では、雲が太陽を隠していない時よりも劣るはずなのに、ずっと明瞭に。とても不思議なことだった。暗闇とまた、全然違う。誤解を招くのを承知で言えば、よく見える、という意味においてのみ、たぶん鮮やかになるのだ。いろいろなものが。曇天それ自体に対して抱く印象とは、ほとんど反対に。だから曇りの日に外を出歩くのが苦手なのかもしれない。別段求めていないところまで、事物の表面が見え過ぎる点で。

  • ぼんやり米粒の骨を思った - 末廣酒造と蔵喫茶「杏」|会津若松・福島県

    実際の酒蔵で、本醸造酒と吟醸酒、大吟醸酒の違いについてなど、きちんと解説を聞いたのは初めてだった。これらは製法の他、精米歩合……という「磨き」の割合で呼称が定められている。特に大吟醸酒ともなると、場合により、それが40%以下になることもあるのだとか。40%以下だと要するに、元の形から6割以上が削られている状態を意味する。そんな風に磨かれて、表面がどこまでも平滑になった米粒を見せられたとき、なんとなく何かの骨を連想した。

  • 【万年筆インク】明治のいろ《新橋色》&大正浪漫《ノスタルジックハニー》|文房具で近代に思いを馳せる

    あるとき、好きな「近代の文化」を題材にしたインクが世の中にはあると知ってしまった。ブログに上のようなカテゴリーを設けている部分からも分かるように、私は明治・大正期の洋館をはじめとした建築物を訪問したり、近代化産業遺産が生まれた背景や、それらに関係する文化を調べたりするのが趣味の一環だった。

  • 山形日帰り一人旅(3) 夏は蒸し暑く、澄んだ緑の山寺 - 宝珠山立石寺

    山形県の宝珠山立石寺、通称「山寺」。これは蜃気楼みたいに細部が曖昧な姿をとり、過去の体験の主役ではなく背景として、自分の記憶に残っている。面白いことに、現地で邂逅した山寺の存在自体も、当時の私にとっては蜃気楼によく似たものだったと言える。訝しげに理由を問われれば、「見えているのに一向に辿り着けないところ」……だと返すほかない。文字通りに、そうだったから。

  • 皆、単純に忙しい、という事実 - 選ぶことと選ばれること

    成人したり、働き始めたりしてから新しく人と友達になるのは難しいと一般に言われる理由について、実際に成人してから親しくなった友達と話しながら考えていた。みんな、いつも自分のことで忙しい。あるいは「他の何かのために動く自分」のことで、忙しくしている。そういう世界に生きていると、たとえ名前が付けられなくても、誰かにとって大切な存在であれることは、価値という言葉では語れないほど奇跡じみていると思う。すなわち誰かの心の中の、重要な位置を自分が占める……ということ。もしかするとそこに元からあったかもしれないものを、自覚的に、あるいは無自覚のうちにも押しのけて。

  • 旅は「いつか静かにまどろむ時のため」だと認識した瞬間

    あとで回想をするために外に出る……というのは、要するにいちど触れたもの・見たこと・聞いたことを、その先いつになっても好きなときに脳裏へ呼び出せるようにする行為の基礎部分。記憶が薄れても、記録が消えない限りは細部を補足して、幻想のように喚起できる。映写機になれる。ただ、元より知らないものは目の前に顕現できないから、材料がいるのだ。色も、音も、味も、匂いも……1度は知らなければわからない。それが実際の体験により得られるから、体験としての旅行をする動機が、この材料集め。

  • デイルマーク王国史4部作〈1〉Cart and Cwidder 感想|ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品 - イギリス文学

    ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著《Dalemark Quartet》4部作。先日、その第1巻である〈Cart and Cwidder (1975)〉の原著、電子版を買って読んだ。過去に創元推理文庫から「デイルマーク王国史」として日本語訳が刊行されていたのだが、残念ながら現在は絶版で手に入らなかったので。この巻は田村美佐子氏によって「詩人(うたびと)たちの旅」と翻訳されている。デイルマークにおける詩人(singer)とは、馬に引かせた荷車に乗って各領地を渡り歩く、吟遊詩人の呼称だった。

  • 小野不由美「緑の我が家 Home, Green Home」家という空間に入り込んでくるもの|ほぼ500文字の感想

    かつてはある種の聖域のようであったが、もはや安全の象徴ではなくなった、家という場所。それは18世紀、エティエンヌ・ロベールソンが幻灯機 [ラテルナ・マギカ] を用いて行った公演の、広告に書かれた文言を思わせる。彼は持ち運べる機械で室内の壁に亡霊(主に故人となった政界の著名人など)の姿を映し出すパフォーマンスを行っていた。まさに、幽霊は「いついかなるときにも、誰の家にも」現れるようになったのだ。しかし、それは機械によって壁に映し出される像の話。小説「緑の我が家」の中で切実に家を求める少年、浩志にとって、彼の現実に侵入しそれを脅かす存在は幻などではありえない。

  • 《落下の王国 / The Fall (2006)》- 録画して何度も鑑賞している映画

    2020年12月8日に地上波の番組「映画天国」内で放送された、落下の王国(2006)。原題はThe Fallといい、ターセム・シン氏を監督に据えて制作された、インド・イギリス・アメリカの合作映画だ。 これを放映時に録画して以来、休みの日になると飽かずに繰り返し鑑賞している。何度みてもよい。石岡瑛子氏の手がけたすばらしい衣装デザイン、CGではなく実際にふさわしいロケ地を探し出して画面に収めた労力、構図に演出など、落下の王国の「映像美」や「芸術性」を賞賛する紹介文が巷には溢れている。私の通っていた高校の、造形概論の授業でも取り上げられていた。使用されていた音楽の数々も耳に残り、特にベートーヴェンの「交響曲 第7番 イ長調 作品92/第2楽章」は、しばらく頭から離れなくなるだろう。そんな上記の点も卓越していて印象的だったのだが、個人的には全編をまっすぐに貫く純度の高いストーリーにこそ心を打たれたし、メインの登場人物2人が交わす眼差しの温度が終盤にかけて徐々に変わっていくのを見守っていると涙が止まらない。とても美しい映画なのだ。決して、その視覚的な美のみにとどまらず。

  • 【宿泊記録】街道を往く旅人の幻影と馬籠宿、但馬屋 - 囲炉裏がある明治30年築の建物|岐阜県・中津川市

    入ってすぐに迎えられるのが囲炉裏のある場所で、受付の脇には昔の電話、奥の壁の方には振り子のついた時計も掛けられていた。ここは明治28年の大火のあと、同30年に再建された建物。床板も柱も、壁も、うすく茶色い飴を刷いたみたいに艶があった。光っているのに、眩しいような感じがしない。不思議な落ち着きがある。日々の煙で燻され、加えて人の手で丁寧に磨かれ、そうして時代を重ねてきた故の深みなのだとこの日の道中で教えてもらったのを思い出す。

  • ジャック・ロンドン「白い牙 (White Fang)」環境は性格に影響する、認めたくなくても|ほぼ500文字の感想

    環境によって生物の性格が形成されることに、反感のような念を抱いていた時期があったのを思い出した。例えば「あんな風に育ったのは周りが良くなかった」という言説が、とても嫌いだったのだ。そのものが持っているはずの本性、また本質、とでも呼べる何かの存在を、ずいぶん信捧していた気がする……高潔なものはいつ、いかなるときでも高潔で、その反対も然り……と、信じたかったのかもしれない。今はもう、そう考えてはいない。

  • 冬、早朝の格技場の床はとても冷たい

    // 寒い時期に朝、目を覚ますと、掛け布団に覆われていない首から上が冷え切っている。 耳とか、鼻とか、とにかく顔の周辺だけが柔らかな石のように冷たい。これから向かう学校の、美術室に置いてあるゲーテの石膏デスマスクをぼんやり脳裏に浮かべた。思慮深そうで、どこかしょんぼりしているような印象も受ける、あの死に顔を。 厚いカーテンを引き開けてみても部屋の暗さは変わらない。深夜ではなく、早朝に見る街灯の光は、もう間もなく消えると分かっているものだから殊更に寂しい気もした。 夜が明けてしまうのは寂しい。昔はあまり、そう考えてはいなかったけれど。 中学生時代、剣道部に所属していた。 もともと、小学4年生から…

  • 「夏目漱石が "I love you" を『月が綺麗ですね』と訳した」という伝説には典拠となるものがない - 曖昧なまま広まらないでほしい文豪エピソード

    「夏目漱石が、英語における "I love you" を『月が綺麗ですね』と日本語に訳した」という言説には、出典がない。現時点でどこにも見つかっていない。どこにも証拠がない事柄を、さも「真実」であるかのように吹聴するのは、果たしてよいことだろうか。私は漱石先生とその作品が好きな側の人間であり、ことの真偽がどうでもいいとは欠片も思わないため、いい加減にしてくださいと言いたくなる場面が多々ある。

  • ベンの家(旧フェレ邸)- 家、は身近にある最も奇妙な博物館|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。その内容自体は憶えていないのに、妙にはっきりした「奇怪だった」という感想だけが何日か経っても胸に残っている。印象だけを取り上げればこの邸宅内部の展示物がまさにそういう雰囲気で、剝製という、もとは生物だったものがずらりと並んでいる異様さの他、脈絡があるようでないような展示の形態が上の夢と似ている気もした。

  • 辻仁成「海峡の光」と青函連絡船|ほぼ500文字の感想

    昔、青函連絡船として運行していた八甲田丸。青森旅行の際、現在はメモリアルシップとして保存されているその船内を見学することができたので、小説「海峡の光」を読み返した。作中では、八甲田丸と同じ連絡船だった羊蹄丸の様子が、連絡船すべての終航の象徴として描かれていた。

  • ラインの館(旧ドレウェル邸)- 燐寸の火と硝子の向こうの家|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    ブレーメンを目指した動物達のうち、ロバが覗き込んだ強盗の家を思い出す。外と内の差異を、他の時期よりもずっと強く意識する。冬はとても寒いので。自分がヨーロッパの隅で過ごした幾度かのクリスマスも脳裏に浮かんだ。だいたいは家族のいる場所に帰ってその夜を過ごすのが習わしだから、人が出払ってがらんとした寮は実に静かなものだった。自分以外にも残っている何人かの学生と集まって、食べるものを作ったり、談話室で映画を鑑賞したりしたのは面白い時間だった。

  • 新幹線に紐付けられたお弁当とお酒|ほぼ500文字の回想

    先日に秋田新幹線の車内で食べたのは、大館の株式会社 花膳が提供している弁当『鶏めし』。お酒は由利本荘、齋彌酒造店が製造元の『雪の茅舎 奥伝山廃』だった。マストドン(Masodon)に掲載した文章です。

  • 英国館(旧フデセック邸)- 気狂い茶会、言葉遊びと単なる徘徊|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さな階段をいくつか上り下りしなければならなかったとしても。道の舗装が甘くても。坂の上からラインの館の横を通り抜けると、おそらくこの界隈で最も行き交う人間の数が多い道路に出る。山麓線、北野通り。向かいの集合住宅だった洋館長屋(仏蘭西館)の横に、クリーム色の壁をした英国館(旧フデセック邸)が建っていて、首を伸ばしながら近付くと開け放たれたままにしてある扉が目に入った。入館料を払う。

  • 緑色のミルクセーキ、甘いコーヒー、氷入りのオレンジエード:D・W・ジョーンズ《九年目の魔法 (Fire and Hemlock)》

    物語の中には単に美味しそうなだけではなく、妙に気になる、あるいは場面や状況も含めて印象的に描かれた食べ物や飲み物がよくある。周囲からすすめられて原著と日本語訳両方を手に取った、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「九年目の魔法(Fire and Hemlock)」にも、数々の心に残る飲食物が登場していた。刻々と近付く万聖節の、あるいはケルトのサウィン(万霊節)の前夜祭であるハロウィーンは「こちらの世界」と「向こうの世界」を繋ぐ門が開く日だと言われている。

  • 綺麗なガラスのドアノブは、なぜ20世紀前半に多く製造されたのか|大正~昭和初期の建築内で宝石採掘

    飴玉。氷。寒天。それらに似ていて食欲をそそる、異常に美味しそうなもの。食欲というか「触欲」かもしれない。触りたくもなるので。国内に残る大正~昭和初期に建てられた邸宅などの建築物を巡っていて、ときどき出会うガラスのドアノブは、だいたい透明だった。その形状は多様だが、宝石のカットに例えるとファセットが6か、8か、12の切子面になっていたり、オーバルのように角がなくなめらかな円形か楕円形をしていたりするものもある。前者が多く、後者は結構稀な気がした。

  • 姿をくらます主体《円環の廃墟》J・L・ボルヘス、合わせ鏡の無限回廊《木乃伊》中島敦|小説メモ

    最近ボルヘスの「円環の廃墟」を読み返したら、去年に上のブログに感想を書いた、中島敦の「木乃伊」を思い出した。共通点を感じたのは、連綿と続く何かと対峙したときに覚える閉塞感。卵が鶏になり、その鶏が生んだ卵がまた鶏になり卵を産んで、その卵もまた鶏になる、無限の連鎖。最初にあったのが本当に卵なのか、実は明らかではない。どこが始まりであって、どの地点が終わりになるのか。そもそも起源と終焉という概念はそこに存在しうるのだろうか?分からない。途方もない、自分の持つ時間や意識の感覚を超越するものの前に立って感じる、奇妙な空虚さ……。

  • 「自己肯定感至上主義」には馴染めない(なぜ、自分をわざわざ肯定しなければ駄目なのだろう?)

    世間的に支持される考えや言葉には支持されるだけの理由があるはず。だから一応考えておいた方が己のためになりそうだと思いつつ、じっくり突き詰めて考えたが、とりあえず自分とは合わないと判明した。自己肯定感至上主義には馴染めない。そもそも常に前向きであれ、みたいな、誰かや何かにとって都合の良さそうな主張が苦手というのは確実にある。前だけを向いて、真横や背後で起こっている事柄に無頓着な人間は、さぞかし御しやすいことだろう。生憎そうなる予定はない。

  • 宮沢賢治《貝の火》のまんまるのオパール - 音もなく、氷のように燃える宝珠|近代文学と自分の話

    10月の誕生石には2種類あるらしい。トルマリンと、オパール。1990年代後半から2000年にかけて、特にトルマリンの方は「ピンクトルマリン」と色を限定して語られる場合が(なぜか)多かった記憶があり、幼少期はそれが不満だった。あのごく薄い赤紫色が、そこまで好きになれなかったからである。加えてトルマリンが持つ「電気石」の異称はいっそ嫌いだった。当時は電気よりも別の魔法の方が心を躍らせるものだったから。その誕生石のイメージが持つ影響で、10月生まれの人に、と書かれている贈り物の多くがうっすらピンク色を帯びているのは、ひどく退屈な現象でしかなかった。その頃から20年程度の時が流れ、いつのまにか上のような風潮はほとんど忘れられたらしい。私にとってはかなり嬉しいこと。

  • 銀のトレーは「特別」の象徴 喫茶チロル - 名鉄インが目の前のレトロ喫茶店|愛知県・名古屋市

    何年も前のストリートビュー写真では「TOBACCO」となっていた右手の看板が、2022年に行ってみると「切手・印紙」に変わっていた。些細なところで確かな時代の流れを感じさせる。そして、明朝体を少し弄ったような字体がレトロで可愛い。赤と朱の中間みたいな色合いもそう思わせられる要因かもしれない。ひさしに洋瓦風の飾りが並んでいる下、入り口は左側の扉だった。名古屋のチロルという喫茶店。カウンター席の上部に氷砂糖みたいな照明器具が並んで、洋風の椅子は赤色で統一されていて、明るい印象のこぢんまりとした内装だった。

  • F・H・バーネット自伝「わたしの一番よく知っている子ども」英国から米国へ渡った作家の想像力の源泉

    語り手である子どもの視点が巧みに活かされた「小公女」や「秘密の花園」など、国境を越えて愛される名作を生み出した作家、フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット。彼女は自分自身を振り返る文章を残している。この、自伝である。自伝、と一口に言っても色々な種類があるように、彼女の自伝にもある大きな特徴があった。副題に書かれた「わたしの一番よく知っている子ども」……原語でもほとんどそのまま "The one I knew the best of all" と表現されている、「その子 (The one)」こそはバーネット本人。この自伝は、彼女が「おぼえている限り最初の記憶」から、あるとき報酬が目的で出版社に送った原稿が採用され、作家としての1歩を踏み出すまでの軌跡を振り返るもの。最も近くでその動向を見守っていた子どもについて、まるで第三者の視点から俯瞰するように、幼少期の思い出が紐解かれていく。

  • 10月9日

    朝、久しぶりに薄手のトレンチコートをハンガーから下ろした時の喜びを思い出す。今は椅子の背中にかけている上着。防寒具があるかぎり、寒さは常に私に味方する。なんて動きやすい季節だろうか。あらゆる魔法が適切にとどこおりなく機能する。狂ったような暑さが鳴りを潜めて、適切に呼吸のできる日がようやくってきた。1年で最も美しいこの時期。10月は完全に私の領域だし、今日、9日は私の誕生日でもあるのだった。

  • 【宿泊記録】ドーミーイン秋田 - 大浴場の内風呂が天然温泉のホテル、無料の夜ラーメン付き|秋田駅

    9月末に初めて訪れた秋田県。1泊2日の短い旅程で、田沢湖周辺散策と秋田市の近代建築見学を目的に、新幹線に乗った。そういえば秋田新幹線は今年で開通25周年を迎えるらしい。水面に落ちた紅葉の葉を連想させる、にじむような赤い色をした車体が印象的だった。これはいわゆる2代目なのだそうだ。鮮やかなE6系「こまち」の外観は、奥山清行氏の監修したデザインによる。秋田では交通の便がある駅から徒歩すぐのホテルに泊まり、ついでに温泉と、現地の郷土料理を簡単に楽しんで帰りたかった。あと、ゆっくりする以外に特別何かしたいことはなかったので、宿泊してみたドーミーイン。選択したプランは朝食付き。

  • 魔神と英雄神、アイヌの伝承の地、神居古潭 (Kamuykotan) - 国鉄時代の旧駅舎は明治の疑洋風建築|北海道一人旅・旭川編

    神居古潭駅は明治34(1901)年、北海道官設鉄道の簡易停車場(貫井停車場)として始まった。数年後に停車場へ、そして明治44(1911)年には一般駅に昇格して、貨物の取り扱いも開始される。やがて昭和44(1969)年9月に営業が終了するまで、無数の機関車がそのプラットフォームに停車し、ふたたび旭川方面や滝川方面へと出発する光景が見られた。現在、プラットフォームの片方は安全上の理由で立ち入りができないが、案内板のある反対側には実際に立つことができ、延々と来ない機関車を待つこともできる。いいや、本当に来ないのかどうかは、朝から晩までここで待ち続けてみないと分からないではないか。無論、人間には乗車ができない車両かもしれないが。

  • 月の女神と羊飼い

    一説によると、美男子エンデュミオーンも羊の群れを飼っていた。ギリシア神話で月の女神に見初められ、人間である彼の有限の命を惜しんだ彼女(あるいは、その嘆願を受けたゼウス)によって、ラトモス山の岩陰で永遠の眠りにつくこととなった人物。手元にある、トマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話」(野上弥生子訳)には、こんな記述があった。ちなみに序文は夏目金之助(漱石)のものである。この本文中では、エンデュミオーンに恋した月の女神の名前はアルテミス、ということになっていた。

  • 中島敦の《狼疾記》- 人生の執拗低音として常に鳴り響く虚無感、不安と「臆病な自尊心」|日本の近代文学

    山中を、1匹の野生のオオカミが全力で疾走している……。足音と激しい息遣いを周囲に響かせて、森の藪の奥を目指し。私が以前「狼疾記」という題名を目にして、すぐ頭に浮かんだのはそんな情景だったが、実際の意味は異なっている。狼疾、の熟語は心が乱れているさまや、ものが乱雑になっている状態をあらわす。また、自らを省みることができない人間を指してそう形容する場合もある。一説には病んだオオカミの振る舞いが由来だとされている(学研漢和大字典)らしい。中島敦の短編「狼疾記」は、それにまつわる孟子の言葉の引用から始まっていた。

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