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2022/01/28

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  • 山形日帰り一人旅(3) 夏は蒸し暑く、澄んだ緑の山寺 - 宝珠山立石寺

    山形県の宝珠山立石寺、通称「山寺」。これは蜃気楼みたいに細部が曖昧な姿をとり、過去の体験の主役ではなく背景として、自分の記憶に残っている。面白いことに、現地で邂逅した山寺の存在自体も、当時の私にとっては蜃気楼によく似たものだったと言える。訝しげに理由を問われれば、「見えているのに一向に辿り着けないところ」……だと返すほかない。文字通りに、そうだったから。

  • 皆、単純に忙しい、という事実 - 選ぶことと選ばれること

    成人したり、働き始めたりしてから新しく人と友達になるのは難しいと一般に言われる理由について、実際に成人してから親しくなった友達と話しながら考えていた。みんな、いつも自分のことで忙しい。あるいは「他の何かのために動く自分」のことで、忙しくしている。そういう世界に生きていると、たとえ名前が付けられなくても、誰かにとって大切な存在であれることは、価値という言葉では語れないほど奇跡じみていると思う。すなわち誰かの心の中の、重要な位置を自分が占める……ということ。もしかするとそこに元からあったかもしれないものを、自覚的に、あるいは無自覚のうちにも押しのけて。

  • 旅は「いつか静かにまどろむ時のため」だと認識した瞬間

    あとで回想をするために外に出る……というのは、要するにいちど触れたもの・見たこと・聞いたことを、その先いつになっても好きなときに脳裏へ呼び出せるようにする行為の基礎部分。記憶が薄れても、記録が消えない限りは細部を補足して、幻想のように喚起できる。映写機になれる。ただ、元より知らないものは目の前に顕現できないから、材料がいるのだ。色も、音も、味も、匂いも……1度は知らなければわからない。それが実際の体験により得られるから、体験としての旅行をする動機が、この材料集め。

  • デイルマーク王国史4部作〈1〉Cart and Cwidder 感想|ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品 - イギリス文学

    ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著《Dalemark Quartet》4部作。先日、その第1巻である〈Cart and Cwidder (1975)〉の原著、電子版を買って読んだ。過去に創元推理文庫から「デイルマーク王国史」として日本語訳が刊行されていたのだが、残念ながら現在は絶版で手に入らなかったので。この巻は田村美佐子氏によって「詩人(うたびと)たちの旅」と翻訳されている。デイルマークにおける詩人(singer)とは、馬に引かせた荷車に乗って各領地を渡り歩く、吟遊詩人の呼称だった。

  • 小野不由美「緑の我が家 Home, Green Home」家という空間に入り込んでくるもの|ほぼ500文字の感想

    かつてはある種の聖域のようであったが、もはや安全の象徴ではなくなった、家という場所。それは18世紀、エティエンヌ・ロベールソンが幻灯機 [ラテルナ・マギカ] を用いて行った公演の、広告に書かれた文言を思わせる。彼は持ち運べる機械で室内の壁に亡霊(主に故人となった政界の著名人など)の姿を映し出すパフォーマンスを行っていた。まさに、幽霊は「いついかなるときにも、誰の家にも」現れるようになったのだ。しかし、それは機械によって壁に映し出される像の話。小説「緑の我が家」の中で切実に家を求める少年、浩志にとって、彼の現実に侵入しそれを脅かす存在は幻などではありえない。

  • 《落下の王国 / The Fall (2006)》- 録画して何度も鑑賞している映画

    2020年12月8日に地上波の番組「映画天国」内で放送された、落下の王国(2006)。原題はThe Fallといい、ターセム・シン氏を監督に据えて制作された、インド・イギリス・アメリカの合作映画だ。 これを放映時に録画して以来、休みの日になると飽かずに繰り返し鑑賞している。何度みてもよい。石岡瑛子氏の手がけたすばらしい衣装デザイン、CGではなく実際にふさわしいロケ地を探し出して画面に収めた労力、構図に演出など、落下の王国の「映像美」や「芸術性」を賞賛する紹介文が巷には溢れている。私の通っていた高校の、造形概論の授業でも取り上げられていた。使用されていた音楽の数々も耳に残り、特にベートーヴェンの「交響曲 第7番 イ長調 作品92/第2楽章」は、しばらく頭から離れなくなるだろう。そんな上記の点も卓越していて印象的だったのだが、個人的には全編をまっすぐに貫く純度の高いストーリーにこそ心を打たれたし、メインの登場人物2人が交わす眼差しの温度が終盤にかけて徐々に変わっていくのを見守っていると涙が止まらない。とても美しい映画なのだ。決して、その視覚的な美のみにとどまらず。

  • 【宿泊記録】街道を往く旅人の幻影と馬籠宿、但馬屋 - 囲炉裏がある明治30年築の建物|岐阜県・中津川市

    入ってすぐに迎えられるのが囲炉裏のある場所で、受付の脇には昔の電話、奥の壁の方には振り子のついた時計も掛けられていた。ここは明治28年の大火のあと、同30年に再建された建物。床板も柱も、壁も、うすく茶色い飴を刷いたみたいに艶があった。光っているのに、眩しいような感じがしない。不思議な落ち着きがある。日々の煙で燻され、加えて人の手で丁寧に磨かれ、そうして時代を重ねてきた故の深みなのだとこの日の道中で教えてもらったのを思い出す。

  • ジャック・ロンドン「白い牙 (White Fang)」環境は性格に影響する、認めたくなくても|ほぼ500文字の感想

    環境によって生物の性格が形成されることに、反感のような念を抱いていた時期があったのを思い出した。例えば「あんな風に育ったのは周りが良くなかった」という言説が、とても嫌いだったのだ。そのものが持っているはずの本性、また本質、とでも呼べる何かの存在を、ずいぶん信捧していた気がする……高潔なものはいつ、いかなるときでも高潔で、その反対も然り……と、信じたかったのかもしれない。今はもう、そう考えてはいない。

  • 冬、早朝の格技場の床はとても冷たい

    // 寒い時期に朝、目を覚ますと、掛け布団に覆われていない首から上が冷え切っている。 耳とか、鼻とか、とにかく顔の周辺だけが柔らかな石のように冷たい。これから向かう学校の、美術室に置いてあるゲーテの石膏デスマスクをぼんやり脳裏に浮かべた。思慮深そうで、どこかしょんぼりしているような印象も受ける、あの死に顔を。 厚いカーテンを引き開けてみても部屋の暗さは変わらない。深夜ではなく、早朝に見る街灯の光は、もう間もなく消えると分かっているものだから殊更に寂しい気もした。 夜が明けてしまうのは寂しい。昔はあまり、そう考えてはいなかったけれど。 中学生時代、剣道部に所属していた。 もともと、小学4年生から…

  • 「夏目漱石が "I love you" を『月が綺麗ですね』と訳した」という伝説には典拠となるものがない - 曖昧なまま広まらないでほしい文豪エピソード

    「夏目漱石が、英語における "I love you" を『月が綺麗ですね』と日本語に訳した」という言説には、出典がない。現時点でどこにも見つかっていない。どこにも証拠がない事柄を、さも「真実」であるかのように吹聴するのは、果たしてよいことだろうか。私は漱石先生とその作品が好きな側の人間であり、ことの真偽がどうでもいいとは欠片も思わないため、いい加減にしてくださいと言いたくなる場面が多々ある。

  • ベンの家(旧フェレ邸)- 家、は身近にある最も奇妙な博物館|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。その内容自体は憶えていないのに、妙にはっきりした「奇怪だった」という感想だけが何日か経っても胸に残っている。印象だけを取り上げればこの邸宅内部の展示物がまさにそういう雰囲気で、剝製という、もとは生物だったものがずらりと並んでいる異様さの他、脈絡があるようでないような展示の形態が上の夢と似ている気もした。

  • 辻仁成「海峡の光」と青函連絡船|ほぼ500文字の感想

    昔、青函連絡船として運行していた八甲田丸。青森旅行の際、現在はメモリアルシップとして保存されているその船内を見学することができたので、小説「海峡の光」を読み返した。作中では、八甲田丸と同じ連絡船だった羊蹄丸の様子が、連絡船すべての終航の象徴として描かれていた。

  • ラインの館(旧ドレウェル邸)- 燐寸の火と硝子の向こうの家|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    ブレーメンを目指した動物達のうち、ロバが覗き込んだ強盗の家を思い出す。外と内の差異を、他の時期よりもずっと強く意識する。冬はとても寒いので。自分がヨーロッパの隅で過ごした幾度かのクリスマスも脳裏に浮かんだ。だいたいは家族のいる場所に帰ってその夜を過ごすのが習わしだから、人が出払ってがらんとした寮は実に静かなものだった。自分以外にも残っている何人かの学生と集まって、食べるものを作ったり、談話室で映画を鑑賞したりしたのは面白い時間だった。

  • 新幹線に紐付けられたお弁当とお酒|ほぼ500文字の回想

    先日に秋田新幹線の車内で食べたのは、大館の株式会社 花膳が提供している弁当『鶏めし』。お酒は由利本荘、齋彌酒造店が製造元の『雪の茅舎 奥伝山廃』だった。マストドン(Masodon)に掲載した文章です。

  • 英国館(旧フデセック邸)- 気狂い茶会、言葉遊びと単なる徘徊|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さな階段をいくつか上り下りしなければならなかったとしても。道の舗装が甘くても。坂の上からラインの館の横を通り抜けると、おそらくこの界隈で最も行き交う人間の数が多い道路に出る。山麓線、北野通り。向かいの集合住宅だった洋館長屋(仏蘭西館)の横に、クリーム色の壁をした英国館(旧フデセック邸)が建っていて、首を伸ばしながら近付くと開け放たれたままにしてある扉が目に入った。入館料を払う。

  • 緑色のミルクセーキ、甘いコーヒー、氷入りのオレンジエード:D・W・ジョーンズ《九年目の魔法 (Fire and Hemlock)》

    物語の中には単に美味しそうなだけではなく、妙に気になる、あるいは場面や状況も含めて印象的に描かれた食べ物や飲み物がよくある。周囲からすすめられて原著と日本語訳両方を手に取った、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「九年目の魔法(Fire and Hemlock)」にも、数々の心に残る飲食物が登場していた。刻々と近付く万聖節の、あるいはケルトのサウィン(万霊節)の前夜祭であるハロウィーンは「こちらの世界」と「向こうの世界」を繋ぐ門が開く日だと言われている。

  • 綺麗なガラスのドアノブは、なぜ20世紀前半に多く製造されたのか|大正~昭和初期の建築内で宝石採掘

    飴玉。氷。寒天。それらに似ていて食欲をそそる、異常に美味しそうなもの。食欲というか「触欲」かもしれない。触りたくもなるので。国内に残る大正~昭和初期に建てられた邸宅などの建築物を巡っていて、ときどき出会うガラスのドアノブは、だいたい透明だった。その形状は多様だが、宝石のカットに例えるとファセットが6か、8か、12の切子面になっていたり、オーバルのように角がなくなめらかな円形か楕円形をしていたりするものもある。前者が多く、後者は結構稀な気がした。

  • 姿をくらます主体《円環の廃墟》J・L・ボルヘス、合わせ鏡の無限回廊《木乃伊》中島敦|小説メモ

    最近ボルヘスの「円環の廃墟」を読み返したら、去年に上のブログに感想を書いた、中島敦の「木乃伊」を思い出した。共通点を感じたのは、連綿と続く何かと対峙したときに覚える閉塞感。卵が鶏になり、その鶏が生んだ卵がまた鶏になり卵を産んで、その卵もまた鶏になる、無限の連鎖。最初にあったのが本当に卵なのか、実は明らかではない。どこが始まりであって、どの地点が終わりになるのか。そもそも起源と終焉という概念はそこに存在しうるのだろうか?分からない。途方もない、自分の持つ時間や意識の感覚を超越するものの前に立って感じる、奇妙な空虚さ……。

  • 「自己肯定感至上主義」には馴染めない(なぜ、自分をわざわざ肯定しなければ駄目なのだろう?)

    世間的に支持される考えや言葉には支持されるだけの理由があるはず。だから一応考えておいた方が己のためになりそうだと思いつつ、じっくり突き詰めて考えたが、とりあえず自分とは合わないと判明した。自己肯定感至上主義には馴染めない。そもそも常に前向きであれ、みたいな、誰かや何かにとって都合の良さそうな主張が苦手というのは確実にある。前だけを向いて、真横や背後で起こっている事柄に無頓着な人間は、さぞかし御しやすいことだろう。生憎そうなる予定はない。

  • 宮沢賢治《貝の火》のまんまるのオパール - 音もなく、氷のように燃える宝珠|近代文学と自分の話

    10月の誕生石には2種類あるらしい。トルマリンと、オパール。1990年代後半から2000年にかけて、特にトルマリンの方は「ピンクトルマリン」と色を限定して語られる場合が(なぜか)多かった記憶があり、幼少期はそれが不満だった。あのごく薄い赤紫色が、そこまで好きになれなかったからである。加えてトルマリンが持つ「電気石」の異称はいっそ嫌いだった。当時は電気よりも別の魔法の方が心を躍らせるものだったから。その誕生石のイメージが持つ影響で、10月生まれの人に、と書かれている贈り物の多くがうっすらピンク色を帯びているのは、ひどく退屈な現象でしかなかった。その頃から20年程度の時が流れ、いつのまにか上のような風潮はほとんど忘れられたらしい。私にとってはかなり嬉しいこと。

  • 銀のトレーは「特別」の象徴 喫茶チロル - 名鉄インが目の前のレトロ喫茶店|愛知県・名古屋市

    何年も前のストリートビュー写真では「TOBACCO」となっていた右手の看板が、2022年に行ってみると「切手・印紙」に変わっていた。些細なところで確かな時代の流れを感じさせる。そして、明朝体を少し弄ったような字体がレトロで可愛い。赤と朱の中間みたいな色合いもそう思わせられる要因かもしれない。ひさしに洋瓦風の飾りが並んでいる下、入り口は左側の扉だった。名古屋のチロルという喫茶店。カウンター席の上部に氷砂糖みたいな照明器具が並んで、洋風の椅子は赤色で統一されていて、明るい印象のこぢんまりとした内装だった。

  • F・H・バーネット自伝「わたしの一番よく知っている子ども」英国から米国へ渡った作家の想像力の源泉

    語り手である子どもの視点が巧みに活かされた「小公女」や「秘密の花園」など、国境を越えて愛される名作を生み出した作家、フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット。彼女は自分自身を振り返る文章を残している。この、自伝である。自伝、と一口に言っても色々な種類があるように、彼女の自伝にもある大きな特徴があった。副題に書かれた「わたしの一番よく知っている子ども」……原語でもほとんどそのまま "The one I knew the best of all" と表現されている、「その子 (The one)」こそはバーネット本人。この自伝は、彼女が「おぼえている限り最初の記憶」から、あるとき報酬が目的で出版社に送った原稿が採用され、作家としての1歩を踏み出すまでの軌跡を振り返るもの。最も近くでその動向を見守っていた子どもについて、まるで第三者の視点から俯瞰するように、幼少期の思い出が紐解かれていく。

  • 10月9日

    朝、久しぶりに薄手のトレンチコートをハンガーから下ろした時の喜びを思い出す。今は椅子の背中にかけている上着。防寒具があるかぎり、寒さは常に私に味方する。なんて動きやすい季節だろうか。あらゆる魔法が適切にとどこおりなく機能する。狂ったような暑さが鳴りを潜めて、適切に呼吸のできる日がようやくってきた。1年で最も美しいこの時期。10月は完全に私の領域だし、今日、9日は私の誕生日でもあるのだった。

  • 【宿泊記録】ドーミーイン秋田 - 大浴場の内風呂が天然温泉のホテル、無料の夜ラーメン付き|秋田駅

    9月末に初めて訪れた秋田県。1泊2日の短い旅程で、田沢湖周辺散策と秋田市の近代建築見学を目的に、新幹線に乗った。そういえば秋田新幹線は今年で開通25周年を迎えるらしい。水面に落ちた紅葉の葉を連想させる、にじむような赤い色をした車体が印象的だった。これはいわゆる2代目なのだそうだ。鮮やかなE6系「こまち」の外観は、奥山清行氏の監修したデザインによる。秋田では交通の便がある駅から徒歩すぐのホテルに泊まり、ついでに温泉と、現地の郷土料理を簡単に楽しんで帰りたかった。あと、ゆっくりする以外に特別何かしたいことはなかったので、宿泊してみたドーミーイン。選択したプランは朝食付き。

  • 魔神と英雄神、アイヌの伝承の地、神居古潭 (Kamuykotan) - 国鉄時代の旧駅舎は明治の疑洋風建築|北海道一人旅・旭川編

    神居古潭駅は明治34(1901)年、北海道官設鉄道の簡易停車場(貫井停車場)として始まった。数年後に停車場へ、そして明治44(1911)年には一般駅に昇格して、貨物の取り扱いも開始される。やがて昭和44(1969)年9月に営業が終了するまで、無数の機関車がそのプラットフォームに停車し、ふたたび旭川方面や滝川方面へと出発する光景が見られた。現在、プラットフォームの片方は安全上の理由で立ち入りができないが、案内板のある反対側には実際に立つことができ、延々と来ない機関車を待つこともできる。いいや、本当に来ないのかどうかは、朝から晩までここで待ち続けてみないと分からないではないか。無論、人間には乗車ができない車両かもしれないが。

  • 月の女神と羊飼い

    一説によると、美男子エンデュミオーンも羊の群れを飼っていた。ギリシア神話で月の女神に見初められ、人間である彼の有限の命を惜しんだ彼女(あるいは、その嘆願を受けたゼウス)によって、ラトモス山の岩陰で永遠の眠りにつくこととなった人物。手元にある、トマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話」(野上弥生子訳)には、こんな記述があった。ちなみに序文は夏目金之助(漱石)のものである。この本文中では、エンデュミオーンに恋した月の女神の名前はアルテミス、ということになっていた。

  • 中島敦の《狼疾記》- 人生の執拗低音として常に鳴り響く虚無感、不安と「臆病な自尊心」|日本の近代文学

    山中を、1匹の野生のオオカミが全力で疾走している……。足音と激しい息遣いを周囲に響かせて、森の藪の奥を目指し。私が以前「狼疾記」という題名を目にして、すぐ頭に浮かんだのはそんな情景だったが、実際の意味は異なっている。狼疾、の熟語は心が乱れているさまや、ものが乱雑になっている状態をあらわす。また、自らを省みることができない人間を指してそう形容する場合もある。一説には病んだオオカミの振る舞いが由来だとされている(学研漢和大字典)らしい。中島敦の短編「狼疾記」は、それにまつわる孟子の言葉の引用から始まっていた。

  • 珈琲茶論 - クリームソーダとトーストがおいしい駅前のレトロ喫茶店、漫画も読める|山梨県・富士吉田市

    外出先で雨が降っていると、他に目的があっても屋内に留まって何か飲んでいたくなる傾向にある。とりわけ、もう少し時間が経てば晴れそうな気配がするときは。ずっと土砂降りなら早く自宅かホテルに帰りたいし、反対に快晴なら、大抵は歩いて回りたい場所の候補をいくつも持っているが故に。扉を押し開けると左手側に本棚があり、漫画が並んでいた。自由に手に取って読めそうだ。その向かいがカウンター席。

  • 旧旭川偕行社と竹村病院六角堂 - 明治時代の木造擬洋風建築、春光園前|北海道一人旅・旭川編

    この建物は旧旭川偕行社のもの。現在も偕行社という組織は存在するし、設立当時から地続きのものではあるが、第二次世界大戦以前と以後で性質は少々異なっている。「偕行」の語は、中国の古い詩篇「詩経」に登場する一節が由来とされているようだった。旧陸軍第七師団の旭川設営に合わせて、明治35(1901)年に竣工した疑洋風建築。

  • 9月21日(誰もがいて誰もいない、インターネット)

    何か目的のもとに発されている音を、虫たちの側が意図しているようには、人間の側は受け取れない。知らない言語だからだ。音として存在しているものを認識できるので、いるのは判る。おそらくはこうだろうと予想することもできる。少なくとも研究者は仮説を立てるし、それ以外の人間は彼らの説を信じたり、信じなかったりする。しかし虫とまったく同じ意識で虫の声を聞くことは、今のところ誰にもできない。窓の外で音はこんなにもはっきりと聞こえるのに、無数の虫たちが何を言っているのか、明確に把握することはできないのだった。なんだか孤独な感じがした。

  • 妹背牛町郷土館 - 旧村役場のフランス風近代建築、その内部にある約600点の資料|北海道一人旅・妹背牛編(1)

    拠点にしていた旭川駅から妹背牛町まで来たのは、この「郷土館」に寄るためだった。茶色い板張りの壁、なめらかな緑色の屋根、そんな建物の入り口に掲げられているのは校章のような丸いもの。円と星に囲まれた「妹」の字は、妹背牛町をあらわす1文字なのだろう。この辺りだけ、違う時代からそのまま切り取って移した空間が広がっているみたい。雨上がりの虹と同じで眼前に忽然と出現する。角を曲がって佇まいを目にした時は、存在を事前に知ってはいても、意外さに胸が高鳴った。郷土館のほかには、近代の洋風建築やそれを連想させるものは、特に周りには見当たらなかったため。

  • 抽斗の奥から、昔の手帳を取り出して中身を読む

    抽斗の片付けをしていて、異なる段を開けるごとに「手帳」が出てくると気が付いた。手帳。何かを書き込むための冊子であり、高校入学から現在に至るまで、年度ごとに新調しながら私がいつも欠かさず持ち歩いているもの。基本、カレンダーの欄には予定が、自由欄にはそこにおさまらない雑多な事柄が記されている、単なるメモ帳とは少し性質の異なる紙の束。使用後の手帳をひとつところにまとめておく習慣、というよりか取っておく習慣がもともとなかったため、抽斗から出てこなかった年の分は、きっと過去の自分がすでに処分してしまったのだろう。ここ以外の他の場所に仕舞いこんでいるとも思えない。発掘したのは合計で5冊。

  • 焚き火のそばに物語はあった

    小さな火種から炎が徐々に立ち上がり、ゆるやかに(かつ、時にはこちらが考えるよりもずっと速く)縦横に広がって、揺らめく姿。火は半透明に見える。幾重のごく薄い布でできた、衣服にも。それに包まれて燃える薪が小さく爆ぜる音。生まれる高い温度と、煙の匂い。私が焚き火に惹かれるようになったのは、幼い頃から少なくとも1年に1度、必ずキャンプに連れて行かれていた経験とけっして無縁ではない。

  • 9月15日(言葉の寿命は人より長い / 魔法や知識を受け継ぐこと)

    数十年、数百年、あるいは千年以上前に書かれたものの一部が、現代を生きる自分にも難なく読める形式で周囲に存在していることを考えると、本当に途方もない。書き手がいなくなり、やがてその声や、眼差しや姿が忘れられても、書物は焼き捨てらたり引き裂かれたりしれない限り、残る。石板に刻まれた文字は、砕かれるまで。電子の海に流された文字は、データが消えるまで。

  • 「道ありき」を片手に作家ゆかりの地を訪ねて - 見本林の文学館と塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)|北海道一人旅・塩狩&旭川編

    その著書を読んで、またそこに記された、周囲の人々から見た三浦綾子の印象を参考にして、頭に浮かべるのは魅力的な人物像だった。考え深く、しかし静的というよりはかなり激しいものを瞳や胸に抱いている、気の強い女性。はっきりとした物言いに、ややもすれば誤解を招きそうだと思うのだが、本人にもきちんとその自覚がある。それでも多くを惹きつけるのは、彼女の発する言葉は他人に対してだけでなく、彼女自身にも常に向けられていたからではなかっただろうか。

  • ル・クルーゼの鍋の伝説

    旭川空港で黙々と腹ごしらえをしていたとき、不意にそれと邂逅する瞬間があった。羽田を発ってからおおよそ1時間半。首都圏から北海道の中心部まで、航路の発達により、どれほど体感距離が近くなったことか。到着後、2階にカレー屋があると聞いた私は喜び勇んでエスカレーターに乗って、レジで流れるように注文をし、差し出された呼び出し番号の札をわし掴んだ。カレーが好きなのだ。基本、客が給仕される形式の飲食店にはまず一人で入れないのだけれど、空港や高速道路のSAにあるフードコートはセルフサービスだから、気楽でいい。あの名状しがたい心細さを感じる必要がない。

  • 山形日帰り一人旅(2) 静かな峯の浦・垂水遺跡、山寺千住院の境内には電車が通っている

    振り返ってみると、山形行はほんの2カ月ほど前の出来事なのに、すでに思い出せなくなった要素がいくつもある。例えば、このとき山寺の周辺を歩いていて、蝉の声を聞いたかどうか、とか……。蝉は鳴いていたような気がするし、鳴いていなかったような気もする。注意して眺めていたわけでもない花の色とか、鞄のひもが肩に食い込んで少し痛かったこと、道路で何台の車に追い越されたかなどは不思議と記憶しているのに、聴覚にまつわる思い出だけが抜け落ちていた。歩道の脇に並ぶ柵から足下を覗き込むと、川があった。そこにも確かに音はあったはず。しかし穏やかなせせらぎだったのか、あるいは轟音と共に水が流れていたのか、今となっては曖昧だ。駅から垂水遺跡へ向かう途中、どんなことを考えていただろう。

  • 夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学

    武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に侮られたり、立場が下だと認識されたり、あるいは取るに足らない存在だとして無視されたりするもの。たとえ気が付かなくても。だから誇りを失わないため、身を守るために誰もが(無意識にも)武装しているのが、実に疲れることだなと思う。

  • ベロア生地の、よそゆきの服

    2022年の北海道では、特に内陸部の空知や上川方面などを中心に、晩夏の8月末から9月頭にかけて、とある「蛾」が大量発生していた。成虫が翅を広げると、最大で10センチ程度にもなる大きな蛾。ヤママユガ科に属しており、名前をクスサン、というらしい。何らかの要因が複数重ならなければ、ここまで大量に姿をあらわすことはないのだとか。今年の大量発生の原因はいまだはっきりしていない。

  • 山形日帰り一人旅(1) 思い立ったが吉日、まずは時間に燻された旧山寺ホテル(やまがたレトロ館)へ

    日帰りで、山形県の山寺、という場所に行ってきた。実は一緒に行こうと話していた友人がいたのだが、急遽、かなり面白い理由で当分先の予定まで隙間なく埋まってしまったとのことなので、いつも一人旅ばかりしている私は今回も変わらず、単独で目的地に足を延ばしたのだった。面白い理由……というのは、その子が某3次元アイドルの深い沼に突然(本当に突然)落ちたこと。供給され続ける情報の収集や、ライブチケットを取るのにも難儀する超人気のグループらしく、結果として時間と金銭の双方がすべてそちらへ吸い込まれているらしい。俗にいう推し活。楽しめているようでなにより。

  • 心的抑止力を弱める虚無感の効能について:「どうでもいい」って思えるから動けるとき、がある

    試みが全部裏目に出てうまくいかないことが多く、自分自身の未来や世の行く末に対して、希望などの明るい展望をこれといって見出せないでいるとき。暗い気分というより、まったくの空白、虚無。そういう、どちらかというと諦念を抱いて投げやりな意識を持っている状態の方が、満たされて元気なときよりもずっと捨て身になれるというか、「どうせなら色々やってみようかな」と動く気になれる傾向がある。いつかはやろう、とぼんやり想定していたことを、次の日にいきなりやってみるとか。

  • レストラン ベルテンポ (bel tempo) - 東陽町 南砂2丁目商店会、団地の1階にある小さなお店|東京都・江東区

    この日は友人のご両親が経営されているレストランに集って、昔の級友とご飯を食べていた。東京都江東区、南砂2丁目商店会に店舗を構える、ベルテンポ (bel tempo)。地元の方々に愛されている、こぢんまりとした可愛いレストラン。団地や、その1階部分が商店街になっている場所が身近にあまりないため、このあたりを訪れるたび新鮮に面白いと思っている。まるで町の中に、また別の小さな町が設けられているみたい。地下鉄東西線の東陽町駅から徒歩数分で辿り着く。ベルテンポでは平日お昼の時間、数種の日替わりランチが提供されている。内容は主にスパゲッティやハンバーグ……メニューによってサラダかライスが付き、飲み物はコーヒーか紅茶から選べて、2022年8月現在それで税込950円。食べに行きたい……。実はまだ、白昼に伺ったことがないのである。

  • 「雪の女王」と「氷姫」- アンデルセンの持つ多面性の一端、冷たく美しい世界の描写|近代の創作童話

    デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの手がけた物語の中で、とりわけ印象に残るのが「雪の女王 (Snedronningen)」と「氷姫 (Iisjomfruen)」であり、同時にそのタイトルが示すふたりの登場人物でもあった。いや、登場人物というか、あるいは何というべきか。二者ともそれぞれ別の概念を体現する、いうなれば要素が擬人化された像として存在しているから、はっきり人物と言い切ってしまうのも不自然(ヒトではないため)なのだけれど……ここでは便宜上そうさせてもらう。そして、数々のモチーフや再解釈作品の元ネタとして採用されている「雪の女王」に比べ、「氷姫」の方は世間的な知名度がだいぶ低い。

  • 旧島津家本邸 - 見学ツアーでのみ内部を歩ける大正時代の洋館|東京都・品川区の重要文化財

    大正4(1915)年に竣工、その2年後の同6(1917)年に内装も含めて落成した、旧島津家本邸。現在の清泉女子学院大学本館。年に数回のツアーによって内部を見学でき、この時も現役の学生の方が丁寧に案内して下さった。ジョサイア・コンドルの設計した建物は、彼がその少し前に手掛けていた三重の旧諸戸清六邸(東諸戸邸)、六華苑の洋館部分にも佇まいが似ているような気がする。ただし東諸戸邸の方はヴィクトリア朝住宅の様式を採用しており、こちらの島津家に関しては、イタリア・ルネサンス様式となっている。

  • 抽斗の奥から、昔の手帳を取り出して中身を読む

    抽斗の片付けをしていて、異なる段を開けるごとに「手帳」が出てくると気が付いた。手帳。何かを書き込むための冊子であり、高校入学から現在に至るまで、年度ごとに新調しながら私がいつも欠かさず持ち歩いているもの。基本、カレンダーの欄には予定が、自由欄にはそこにおさまらない雑多な事柄が記されている、単なるメモ帳とは少し性質の異なる紙の束。使用後の手帳をひとつところにまとめておく習慣、というよりか取っておく習慣がもともとなかったため、抽斗から出てこなかった年の分は、きっと過去の自分がすでに処分してしまったのだろう。ここ以外の他の場所に仕舞いこんでいるとも思えない。発掘したのは合計で5冊。

  • 抽斗の奥から出てきた身に覚えのない万年筆が、驚くほど手に馴染む(なぜ?)

    いにしえの時代から仕舞いっぱなしのものと、比較的新しい世になってから仲間に加わった文房具の交々が、時には整然と、またある時には雑多に横たわり、私が手に取るまで黙って行儀よくまどろんでいる。いや、むしろ爆睡している。肩を掴んでゆすぶっても、全然目覚めないくらい。久しぶりにその片付けを始めて上から2段目に差し掛かったとき、奥の方から1本の黒い万年筆が出てきた。それも不可解なことに、まったく私には身に覚えのない万年筆。買った記憶も、使った記憶も、ここに仕舞った記憶もない。

  • 【後編】石段街を下って巡る復路、路地の枝や建築物 - 伊香保温泉逍遥 1泊2日|群馬県・渋川市

    ふたつの記事の続き。朝早く起床して、旅館の部屋から外に意識を向ければ、それはもう見事としか言いようのない美しい空模様。昨日のものとは大違いで、まさに「こういうやつ」が見たかったのだと頷いた。あの感じはあの感じでまた違った良さと風情ある雰囲気を醸し出していたから、別に初日の曇天が残念だと思っていたわけではなく、どうせ2日間を過ごすのならそれぞれ異なる伊香保の表情を見られた方が得だ、となんとなく考えていただけ。果たして、願いは叶えられたのだった。

  • 【前編】石段街より上方を歩く往路、閑散とした良さ - 伊香保温泉逍遥 1泊2日|群馬県・渋川市

    群馬県中央のあたりに位置する、伊香保の地。3月の末頃に泊まっていた。実はそれが最初に話題に上ったきっかけも、では行ってみましょうか、と最終的に決定させられた要素が何だったのかも、今年の春はさほど遠い過去ではないのにはっきりと思い出せない。そういうことってあるのだろうか。まあ、あるのかもしれない。実際にそうなので。ちなみに伊香保のある渋川市は、しげの秀一氏の漫画「頭文字D」の聖地らしい。首都圏からの交通アクセスの選択肢は多い。今回の往路で利用したのは、JRの在来線と路線バスを組み合わせる方法。

  • 過去記事セレクション(あまり読まれていないけれど結構好きなもの)

    こんにちは、当ブログの運営をしている千野と申します。最近Twitterのプロフィール画像(アイコン)を比較的まともな写真に変えたので、よかったら見てみて下さいね。とりあえず人畜無害そうな、明るい感じのやつにしてみました。たまに喫茶店巡りや散策にお付き合いいただける方、また、新しくお友達になってくれる方を探しています。さて、本題。ブログを運営するうえで今後の参考にするため、ときどきアクセス解析を覗いてみるのですが、意外な記事が読まれていて気に入っている記事はそうでもない……という現象を頻繁に観測しており興味深いです。やはり個人的な思い入れと世間的な需要はぜんぜん異なるのだな、という気持ちと、あ、思ったよりも皆これを読みたがっているんだ、という発見に対するワクワク、その両方を抱いて訪問者の推移を見ていました。ちなみにダントツでアクセス数が多いのはホテルニューアカオの記事。

  • 白いタオル地のぬいぐるみ

    布団や、洋服や、人間に共通する点といえば、どれも「洗って乾かしたばかりの状態がいちばん好ましい」というところだ。多分。洗濯物を乾かすには太陽が要る。別に好きではないけれど、あれが空にいてくれなければ濡れたものを干せず、満足のいくまで乾かせないわけなので、憎たらしくもその顔を見られると安心するのが常だった。いましばらく、そこにいて。雲なんかの後ろには隠れてくれるな。と、バルコニーから空を眺めて強く願う。おそらくはいつかの時代、どこかの地域で、連日の豪雨に悩まされていた太古の人間も同じ祈りを捧げていたように。

  • 石畳、みどりの水、ゲイエレット姫のこと 土蔵にて - 馬籠宿の米蔵を改装したレトロ喫茶店|岐阜県・中津川市

    中山道六十九次の宿場のひとつ、馬籠宿は坂の上にあって、中心はきれいな石畳の道に貫かれている。けれどその色は黄ではなく、陽を受けると明るく輝く灰白色だった。石畳をどこまで辿ってもエメラルドの都には辿り着かない。でも、忍耐強く歩を進めて妻籠宿を越え、南木曽の方まで出れば、それこそ深い緑色をした宝石を思わせる水の流れや、磨き上げたような岩石の群れを目にすることができると、実際に行った後だから知っている。「オズの魔法使い」冒頭でカンザスから大竜巻で飛ばされ、マンチキンたちの住む東の国で銀の靴を手に入れたドロシー。都への旅を始めたばかりの彼女は、途中、長距離の移動に疲れて大きな館に身を寄せるのだった。いかに危険を退けてくれる魔女の加護があっても、疲労と空腹ばかりは如何ともしがたい。だから人間の使う街道の脇には、必ず旅籠屋や料理店、休憩所なんかが軒を連ねる場所が、一定の間隔をあけて点在している。物語の中ではなく、こちらの世界の話。

  • 明治に廃止されるまで存在した妻籠宿本陣の復元、島崎藤村の母の生家 - 南木曽町博物館|長野県・木曽郡南木曽町(6)

    本陣とはそもそも宿場の中にあって、大名をはじめとした藩の重役を主に逗留させた施設で、宿場や村の有力者の家などが使われることが多かった。それより一段階、格式の下がる脇本陣とは異なり、よほどのことがない限りは一般の宿泊者に提供されることもなかった。現在、妻籠宿で見学できる本陣は明治時代にいちど取り壊されている。というのも、本陣はいわゆる旅館業を営んでいた家ではなく、大きな規模とはいえあくまでも「普通の住居」を利用して大名に食事や寝床を提供していたため。それで参勤交代制度が廃止されれば必然的に、誰かを泊めることもなくなった。本陣の廃止が正式に通達されたのは明治3年のこと。

  • 【優秀賞に選ばれました】特別お題キャンペーン「好きだった給食メニュー」に投稿したチリコンカンについての文章

    2022年初夏に開催されていたOisix(オイシックス)×はてなブログの特別お題キャンペーン。ふたつお題があるうちの「好きだった給食メニュー」に私が投稿した記事を、今回の「優秀賞」10作品のひとつに選んでいただき、5,000円分のAmazonギフト券もいただくことになりました。ありがとうございます!以下が該当記事になりますので、公開時に読まれなかった方々がおられましたら、ぜひお時間ある時にでも読んでみて下さい。小学校給食で幾度も味わった「チリコンカン」という料理の話をしています。

  • 「死んだ方がいいんじゃない?」は誰の声なのか、という個人的な問題

    公正世界誤謬。公正世界仮説、ともいう。正しい人が必ず報われる。だから報われなかった人は、すべからく正しくなかったのだ、という非常に特殊なはずの考え方。これが人間の集団においては、なぜか、いとも簡単に幅を利かせる。いっそ不気味なくらいに。常に、不可視の存在と「人生という競技」で勝敗を争うような価値観を、ほとんど無意識のうちに内在化させる世界の構造。個人的には義務教育の影響が大きかった。そこに身を置いていた自分は、その都度発生する問題に自身の考えひとつを持って対峙してきたようでいて、実は、どれほど植え付けられた方の思想に引きずられていたことだろうか。

  • 芒種の妻籠宿を歩き、太陽に灼かれ、かじる五平餅 - 中山道における42番目の宿場|長野県・木曽郡南木曽町(5)

    長野県、南木曽の周辺を巡る一連の記事の続きです。福沢桃介記念館を出てから妻籠宿に立ち寄ったのは、島崎藤村の生誕地である馬籠宿をたずねる際、馬籠峠の手前でちょうど経由することになる場所だから。この周辺は日本国内でも最初に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、景観保護による地域振興が行われた例としても興味深く、世界各地から多くの観光客が訪れている。しかしながら6月頭、熱さの厳しい平日に、目的もなく道を歩く人の数はとても少なかった。比例して、開いているお店もごくわずか。それでも散策は面白かった。本当に初めて訪れる、これまでは全くなじみのなかった地域だから、目に見えるもの、耳に聞こえる音のひとつひとつも新鮮に感じられて。けっして大袈裟な表現ではなく。

  • そのライ麦畑にて、私も存在を惜しまれたかった(と嘘をついてみるのだった)|サリンジャーの小説

    一方、反対側の崖に腰を下ろして緩慢に足をぶらぶらさせている私は、短い間に何度も背後を振り返って、その美しい光景を眺めるのだった。もちろん、心底彼らを羨みながら。あんな風に気にかけられ、存在を惜しまれることで、どれほどに満たされるだろうかと考える。ひょっとしたら初めて、生まれてきて良かったと思えるかもしれない。崖から落ちそうになっている自分を心配してくれる誰かがいる、甘美な場所だ、多分そういう世界にこそ行きたかった。

  • べに色のあまく爽やかな水 モック - 太閤通の脇道に立つレトロ喫茶店|愛知県・名古屋市

    立派に葉の茂った大樹が描かれた看板。その根の下にじっと目を凝らしてみると、モック、というカタカナの文字を構成しているパーツも、実は丸太なのだとすぐに気が付いた。まず、それだけでどきどきして楽しくなってしまう。頭の中で呟く。文字が、丸太でできている。文字が丸太でできている……。建物1階、縦に細長く並んだ窓はすべて角が取れ、玄関前を囲う壁の部分も丸くアーチ状にくり抜かれて、かまくらの入口に似た趣があった。ざらついたクリーム色の外壁。窓ガラスの仕様か、あるいはカーテンの効果なのか、内部の様子は外からではちょっと伺えない。

  • 「どのドアもがっしりした木の、ノブはカットグラスだった」- 田辺聖子《夜あけのさよなら》より|近代建築に恋する曲がり角

    数日前に古本屋で買った小説のうち一冊に、田辺聖子の「夜あけのさよなら」があった。今から45年以上前に刊行し文庫化された本。そしてその途中、上の引用にあるような、カットグラスのドアノブが颯爽と登場したのである。まるでどこかの角を勢いよく曲がって衝突するみたいな、あまりに突然の出会いだった。開いたページを前にしばらく唖然としてしまったくらい。

  • 7月18日(海の日と、物語の話、貝と人間)

    私の場合、港湾都市に生まれたので昔から海は身近にあった。けれどどちらかというと苦手な場所で、その理由は、海に対して感じるものの多くが「癒し」よりも「畏怖の念」に基づくからかもしれない。不用意に生身で近づきたくないのだ、どうしても、油断していると不意に侵食されるような気がしてしまう。特に波打ちぎわ、柔らかな砂浜では、足元から着々と。故郷の港町は、わりと早い段階から埋め立てを行い、特に19世紀から大きく発展した都市である。そういう場所で育ったので、地図上の暴力的な直線で構成された海岸の形を見ると、不思議と安心してしまうのだった。海は強く、恐ろしい。容赦なく地を削り呑み込むものだから。人工の地形の方が、私には馴染みがある。

  • 手打ち蕎麦処 桃介亭 - 記念館と橋の近くにある休憩所|長野県・木曽郡南木曽町

    南木曽駅の出口から徒歩で5分くらいの距離、福沢桃介記念館と桃介橋からもすぐの場所に、「桃介亭」というお蕎麦屋さんがある。金曜日、土曜日、日曜日……と、週のうち3日間だけ開店しているのだった。首都圏から移住してきた親切なおじさんがおひとりで回されている店で、付近は閑散としている印象だったけれど、お昼時(金曜日)には私達のほかにもう一組のお客があったのを覚えている。休日なら、これよりもう少し忙しくなるのだろう。提供されている蕎麦の種類はざるそばとかけそばの2種類。

  • 福沢桃介記念館 - 大正時代の洋館で暮らした「電力王」桃介と「女優」貞奴の面影|長野県・木曽郡南木曽町

    水色に塗られた木の柱が交差する点を飾る、錆びた金属の持ち送り。組み合わされた図形のうち、円の部分をじっと見て、それが等間隔に並んでいるのを眺めていた。前の記事で述べた山の歴史館からこの渡り廊下を使って移動すると、そのまま大正8年に竣工した、福沢桃介の別荘へと入ることができる。彼に関しては過去、名古屋にある文化のみち二葉館を訪れた際の記事でも言及しているので、興味のある方はそちらも参照されたい。

  • まあるいもの 珈琲王城 - 上野にあるレトロ喫茶店|東京都・台東区

    上野の喫茶店、王城で提供されるメロンクリームソーダを構成する要素のうち、本体のソーダ水の部分……丸みを帯びたグラスの、輪郭の内側を見ていた。つるりとした曲線と色合いがカボションカットの翡翠を連想させるのだが、同時に水中で浮かぶいくつもの角ばった氷が光を屈折させて、ファセットの面のような趣を加えている。例えるのならオーバルカット。名前は卵、を意味しているのだそう。

  • 熱海クエスト 昼夜編|散策の記録

    それほど長く間を空けず、だいたい年に1度くらいは繰り返し訪れている場所でも、足を運ぶたび新鮮な感想を抱くことは可能であるらしかった。これまでくまなく色々な通りを歩いてきたつもりなのに、意外と決まりきった場所にしか関心を注いでいなかったり、たとえ同じ場所であっても、昼と夜の時間帯とで表情や雰囲気が大きく変わる事実に無頓着であったりするもの。少なくとも、私はそれをよく実感する。JR東海道線に乗って、熱海の駅で下車。何度も来ているところだから、駅舎を出ると、懐かしさにも似た奇妙な安心感を誘われるくらい。この街をあてどなく散策するのが、本当に好きだ。

  • E・ヘミングウェイ《老人と海》単なる比喩や象徴にとどまらない描写、その水面自体の広がりと深さ

    1953年にピューリッツァー賞、1954年にノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイ。彼がこの受賞に至る大きな足掛かりとなったのが、1952年に発表され、生前における唯一のベストセラーとなった小説「老人と海」だった。長い不漁にめげず、舟を出す老人。ある日ついに大物を捕らえて勝利を掴んだかと思えば、体長が大きすぎるが故に舟の側面にくくりつけた獲物は、陸までの帰路でみるみるうちにサメに喰われていく……。そう、はじめは、実に気の滅入るあらすじだと感じた。それゆえ家に昔からあった本なのに、個人的に余裕がなかったしばらくの間、ずっと本棚にしまったままで紐解くのはやめていた。しかし……最近ふと思い立って手に取ったところ、これがまあ相当に面白く、読んで良かったとしみじみ内心で頷いたのだった。

  • ほとんど肉体的な行為としての読書について、雑感交々

    食事みたいに、または運動みたいに、「直接身体に影響する行為である」という意味において本を読むのは肉体的な行為である。一般によく考えられている風に頭の中だけでは終わらないし、完結もさせてくれない。その内容が(無論、時には不完全に)消化され、各要素が血管のすみずみにも巡り、果ては骨の髄へと至るまで。綴られた文字に紡がれた言葉は、人に満腹や空腹を、高揚や疲労を、そして恐ろしく強力な酩酊感ももたらす。だからこそ読書は危険な行為でもあるのだと、過去記事でも書いた。

  • コーヒースタンド - 中津川駅の待合室から入れるレトロ喫茶店|岐阜県・中津川市

    南木曽散策からの帰りに立ち寄った中津川駅、そこで偶然発見した喫茶店。単純にそのあたりのベンチで電車を待つつもりが、待合室の奥に何かがあると思わなかったので驚いた。白い壁に埋め込まれたような木とガラスの引き戸、昭和感溢れるCoffeeの看板の文字、果ては「コーヒースタンド」のシンプルな店名まで色々と完璧に見える。その隣に暖簾を掲げる「根の上そば」とは経営が同じ梅信亭らしく、厨房も繋がっている。

  • 7月1日(心的避暑地がプラネタリウム)

    「私がここに存在しなければならない正当な理由」は無い。私でなければできないことなど何もない。全てに代替がきく、本当によくできた世界だ。何があるのかではなく、観測する人間がそれをどう解釈するのかがすべて。生まれてくることや生きることの意味など、所詮は後付けに過ぎない。古代人が、単に星と星を線で結んだだけの形を別の何かに見立て、神話を語ったように。地上では解釈こそが事実に成り代わる。何があったか・何をしたかではなく、どう認識され、どう記録されたかが真実になる。それを踏まえたうえで、たとえ力を尽くしてもどうにもできないことがある事実を認め、不本意な結果に対して「もっと努力をすれば変えられたはずだ」と脅迫的に思い込むのをやめたかった。

  • 山の歴史館 - 明治時代の木造洋風建築、御料局妻籠出張所庁舎|長野県・木曽郡南木曽町

    これが「山の歴史館」の建物。もとは1900(明治33)年に建てられた木造建築で、御料局(ごりょうきょく)妻籠出張所庁舎、といった。御料局とは明治18(1885)年に宮内庁に設置された、皇室の領地を管轄するための部署のこと。のちに帝室林野管理局、また帝室林野局……と二度の改称を経て、現在では廃止されて存在していない。かつては妻籠宿の旧本陣跡地に建っていたものを移築し、こうして山の歴史館として利用し一般公開されている。

  • とても端正な近代化産業遺産、桃介橋の尊顔 - 大正時代に竣工した美しい吊橋と木曽川|長野県・木曽郡南木曽町

    整っている。あまりにも、顔が良い。これが第一の感想。そもそも南木曽に来た理由の筆頭は、付近にある福沢桃介記念館を訪問することであり、この橋の方はそのおまけくらいに考えていた。ところがどっこい。桃介橋、素晴らしいじゃん。こん……っなに造形が整っているなんて聞いてない。顔が良い。最高……本当に悔しいんだけれど、これは膝を折る。きちんと認める。木曽川にかかる君が、美しいってこと。桃介橋は大正10(1921)~12(1922)年の間に建造された、主塔部分が鉄筋コンクリート造りの木造吊橋。橋長は247.762mと、国内に現存する木橋のなかでもかなり大きなもので、老朽化によって使用取りやめとなった後の平成5(1993)年に復元された。今では近代化遺産として、国の重要文化財に指定されている。

  • 「古書店街の橋姫々×秋葉原和堂 コラボカフェ」で遊んだ記録|漫画喫茶・ネットカフェ

    コラボカフェ企画が開始されてから約1週間が経ち、先日、退勤後に秋葉原和堂さんへ足を運んだ際の記録。橋姫をすすめてくれた友達と遊びに行ってみた。最寄りの地下鉄駅、東京メトロ銀座線4番出口の階段から出ると、すぐ店舗に至る看板が見つかる。まずは受付でコラボカフェ利用の旨を伝えて案内してもらおう。ちなみにこの日は、夜にカフェスペースでイベントが開催されていたため、例外的にカフェのみの利用でも個室へ案内されることになっていた。

  • 刻んだ玉ねぎとひき肉を炒め、数種類の豆と一緒にトマトの汁で煮込み、甘辛いスパイスを加えた料理。傍らには必ずうす茶色の食パンがあった。

    その源流を辿ればメキシコに至ると推測される、現在はアメリカのテキサス州でよく食されている料理、チリコンカン。主に豆とひき肉とトマトで構成された、夏に食べても冬に食べても箸が……いいや、この場合は「匙」がすすむ、給食で出てくると嬉しい品目だった。煮込まれた白と赤茶、2種類の豆にはトマトの汁が染み込み絡んでいて、よく噛むほどに口の中で潰れ、最後にはなめらかになるのが堪らない。おそらくは裏に隠れているのであろう、細かく刻まれてしっかり炒められた、にんにくと甘い玉ねぎの風味もきちんとある。ひき肉の質量がそこに確かな満足感を加えていた。また適度な粘性。あまりサラッとしていてもいけないし、極端に固まっているとそれはそれで重たすぎる。母校の給食で提供されていたチリコンカンは、スプーンですくうのに不便を感じないくらいの、中間のとろみ。何よりその名前にも冠している、いわゆるチリパウダーと呼ばれる類のスパイスの数々が味の決め手だった。

  • 庭園美術館の建物公開2022《アール・デコの貴重書》展 - 旧朝香宮邸・再訪の記録|東京都目黒区の洋館

    目黒にある東京都庭園美術館では、毎年「建物公開展」が開催されている。美術館と名付けられ、通常は展示物を引き立てる空間として機能しているこの旧朝香宮邸の、建築様式や内装といった建物自体に着目するための企画。作品保護のために閉め切られていた窓も開かれており、新鮮な風の吹き込む館内を歩くことができるのが良い。今回は、2022年の再訪の記録と写真。

  • 英国が舞台の児童文学《秘密の花園》より - 鍵が扉を開き、孤立していた心は庭園の再生と重なる|F・H・バーネットの小説

    そこに入る扉を固く閉ざされ、錠の鍵は地中に埋められ、すっかり誰も立ち入らなくなってしまった庭園がある。周りを囲む垣根の上からは日毎に太陽の光が射し、雨も降り注いではいるのだろうが、閉鎖されているから当然風通しはすこぶる悪い。手入れのされない木や草花はどことなく灰色のかった茶色で、まだ、かろうじて息をしているのかどうかも判然としない。そんな顧みられなくなった庭園がひとつあり、同時にそれに似た、すっかり自分だけの世界で完結してしまっている「孤立した心」の持ち主が、ひとりのみならずいた。

  • スイートハウスわかば - 中央商店街アーケード内のレトロ喫茶店|静岡県・伊東市

    お店の側面、緑のひさしが並んでいるのを見るとまさに若葉の葉を連想させられる。白いタイルの壁から生え、茂った工業的な草。なかなか魅力的だった。公式サイトによれば、創業は昭和23(1948)年とのことで結構な古さだ。アイスキャンディーやアイスまんじゅうを手作りする喫茶店を経て、現在あるソフトクリームの店へと発展した旨が書かれており、大部分のメニューが今も手作りで生産され提供されているのだそう。

  • さながら陸上の船舶、川辺の東海館 - 木造の旧旅館に混交する意匠|静岡県・伊東市

    東海館は昭和3(1928)年、稲葉安太郎という人物によって創業された温泉旅館であった。彼は伊東の材木商。それもあってか、館内の各所に使われている木やその加工には確かなこだわりを感じるし、増築時にはわざわざ各階の意匠を評判のよい棟梁へ依頼しているようだった。創業当初に比べて、増築が必要になるほど宿泊客が大幅に増加した背景には、鉄道の存在がある。昭和13(1938)年に全通した国鉄伊東線、現在でも名を継承しJR伊東線として運行している電車が多くの人々を乗せて、この地へと運んだ。

  • 言葉がヒトを残酷にする

    言葉はいつも「本来であれば到底できるはずのないこと」を、いとも簡単に人にさせようとする。そして、結局できてしまう。なぜなら言葉の上でのことだから。残酷な話だ。だから私は毎日のように、言葉さえあれば、と、言葉さえなければ、の狭間でもがきながら、終わりを知らずに揺れ続けている。無為な振り子、単純に脈拍を刻んでいるだけの怠惰な心臓みたいに。どうしようもない。

  • The PERFUME OIL FACTORY(パフュームオイルファクトリー)の香水《The ORIGINAL 22》と《The PREMIUM 04》の感想

    オイル香水専門店・The PERFUME OIL FACTORY(パフュームオイルファクトリー)の商品のうち、オリジナル22番とプレミアム4番ふたつの感想です。参考になるようなら過去の関連記事もぜひ。

  • 屈折しながら上へ伸びる建築器官、昭和の竜宮城、百段階段の7部屋 - ホテル雅叙園東京|目黒区にある都指定有形文化財

    目黒駅より徒歩数分。ホテル雅叙園の「百段階段」は昭和10(1935)年に完成した、敷地内に現存する中では最も古い、唯一の木造建築。正式には、ホテルの前身である「目黒雅叙園3号館」のことを指す。料亭の明朗会計を売りにした雅叙園は、細川力蔵とその相棒、酒井久五郎が築き上げた牙城だった。百段階段は常に一般公開されているわけではなく、美術展など何らかの企画の開催時のみ内部を自由に見学できる、主にギャラリースペースとして利用されている近代遺産。先日の訪問時には「大正ロマン×百段階段」展が開催されていた。

  • 光で動いてくれる腕時計

    個人的に、食事、宿泊、それから航空券や電車の切符などの交通費……つまり性質として体験に直結するものに対しては、買い物という言葉をあまり積極的に使わない。それゆえ人生を通して「一番高い買い物」を思い浮かべるとするなら、文字通りの物品から選ぶことになり、一度に使った金額、を基準にして考えれば「腕時計」が適切な答えになる。

  • 台東区池之端「岩田邸」の洋館特別公開 - 改修工事前の様子と例の透明なドアノブ|大正期の文化住宅・東京都

    大正期に建造された洋館付きの日本家屋は、時に文化住宅と呼ばれる。近代の文明開化期において、「文化」という言葉が最新だとか、あるいは先進的だとかいう意味も兼ねて使われていた頃の影響で。東京は台東区上野、池之端の三段坂に面する岩田邸は、和館部分が明治末、洋館部分は大正9年の竣工と推定される個人宅。曲がり角に面した下見板張りの白い洋館外壁がまず目を引き、そこから1歩下がった灌木の奥に和館の方の玄関がある。正面から眺めてみると、それぞれ独立した建物のようにも見えるから興味深かった。また後述するが、内部を歩くとふたつの棟は驚くほど自然に繋がっている。風の通り道を作るように……複雑だけれど、必ずどこかがどこかに接続している空間。

  • 洋菓子店 えの木てい - 西洋館2階の個室でアフタヌーンティー|横浜・山手の丘

    えの木ていは近代の西洋館を利用した洋菓子店で、予約すれば2階の個室を貸し切りにでき、何にも気兼ねすることのない空間でアフタヌーンティーが楽しめる稀有な場所。ふつうに西洋館の一角でティータイムを、というのももちろん良いが、部屋自体を貸し切るとなるとまた別のときめきが湧き上がってくる。部屋の利用料金も、食事代を別にすると2時間で2200円、しかも同時に6人まで収容可能という手頃さだから恐れ入る。

  • 愛なんて見たことも聞いたこともない、という顔をしていたい、のだが

    人や物、その他を好きになることは、程度はともかくその対象に対して膝を折ること。他の誰かがどこでどう定義していようと、私の世界の内ではそれが敗北であるのだと、はっきり認められている。でも、いとも自然に捧げてしまう。心を砕くなり、燃やすなりして供物を捧げようとしてしまう。生まれた時から——むしろ、生まれる前から——適切なやり方を知っていたみたいに、感情は、外から与えたのではない姿を形作る。とても抗えない、驚くほどの強さをもって。

  • お姫様ごっこ

    私達はよく「お姫様ごっこ」をしていた。登場人物はお姫様、王子様、城の兵隊(複数人いてよい)、そしておばあさん。それぞれに割り当てられる役はじゃんけんで決められる。だいたい勝った人間から順にお姫様、王子様、兵隊……と決まっていき、最後に残った者がおばあさん、を担当することになっていた。一応、簡易的なシナリオのようなものがある。遊具の上層、塔の2階で暮らしていたお姫様を、おばあさんが下の層(厳密には地上なのだが、私達は地下と呼んでいた)に無理やり連れて行って閉じ込める。すると王子様が助けに来ようとするので、兵隊がその邪魔をする。兵隊ならば一介のおばあさんなんかよりも王族の命令に従いそうなものだが、まあ、城は残念ながら乗っ取られてしまったのだろう。謀反か簒奪か、はたまた別の種類の陰謀か。もとよりこのごっこ遊びにそこまで細かな設定があったとは思えない。暇つぶしとして、けれど飽きもせず、みな結構頻繁にやっていた。

  • 夏目漱石の楽しい邸宅見学《カーライル博物館》日本の近代文学

    夏目漱石が自らの留学体験をもとに著した、ほとんど随筆に近い短編小説。そのうちのひとつに「倫敦塔」があり、それと様々な点で対になるような位置づけの作品が、この「カーライル博物館」だった。わずかなページ数に彼独自の視点と文章表現の良さが凝縮されていて、さらに邸宅見学を好む読者としても、まるでお手本みたいだと感心する一編。ことあるごとに参考にしている。

  • 喫茶まりも - 新丸子駅にあるレトロ喫茶店|神奈川県・川崎市

    新丸子駅東口から徒歩1分、友達と雑談するのに利用した喫茶店。建物は大きな窓の外側に鯉の泳ぐ細い池があって、交差点に面した角の部分には煙草販売コーナーもある。少し古い感じの趣がそれらしくて癒し。お約束のようなかわいい食品サンプルの棚の横、扉から入店する。天井に実った果実を思わせるガラスの照明と、光の広がり方が魅力的。ゆったりとした臙脂色のソファはおさまりが良く座りやすかった。

  • 【宿泊記録】憧憬を抱いて横手館 本館西棟客室「あららぎ」へ - 大正浪漫の趣ある木造旅館|群馬・伊香保温泉

    今回は運良く、以前から入ってみたいと渇望していた客室、本館西棟の「あららぎ」に滞在することができた。横手館内でも最も格調高いとされている美しい部屋。値段は他の西棟の客室と特に変わらないため、偶然にも割り当てられたら、建物好きとしては実に嬉しい。回廊、広縁、副室を除いても10畳とゆったりしていて、2名くらいで泊まるのにはちょうどいい。古い木造建築の窓など元からあるものはそのまま、内側に新しい引き戸が重なるようにして防寒仕様になっていた。

  • 現実に不思議なことが起こるから

    他に陸の影などひとつも見えない沖で、摩訶不思議な島を見た。航海の最中、驚くほど大きな魚に飲み込まれて、けれども帰還できた。日頃から正直にそう語っているのに、誰にも信じてもらえない旅人の気持ちで歩いているような気がする。もちろん信じてくれと特段願っているわけでもないが、これは空想ではなくて現実の過去の話なのだと、受け入れてもらえた方が過ごしやすくはある。だって全部本当なのだもの。不可思議なこと、夢物語のようなことというのは現実に(それも以外に高い頻度で)起きる。妙な土地で思いもかけない人間に出会う。ただ生きて、ごく普通に過ごしているだけで、なぜか……。

  • 島薗家住宅 - 瀟洒な千駄木の個人邸|東京都・文京区内の登録有形文化財

    宮本百合子、高村光太郎、森鴎外。他にも数々の文化人にゆかりある千駄木の土地には、戦前に建てられ、空襲被害や倒壊を免れて今でも建っている住宅が多くある。そのうち島薗家住宅は昭和7(1932)年に竣工した個人邸であり、先の5月1日はその一部、和館の部分が解体され無くなる前の最後の公開日となっていた。

  • 当選したはてなブログのステッカー、届きました

    週刊はてなブログのキャンペーンで「オリジナルステッカー」のプレゼント抽選があり、なんとなくポチっと応募しましたら当選したとのことで、先日自宅のポストに投函されておりました。ありがとうございます! 具体的な用途と言われても正直思いつくものがないのですが、とりあえず手帳とか、アイデアを書き出しているノートに貼って遊ぼうかな。シール系の製品ってどういうわけか魅力的で、何かに使うか使わないかを問わず、つい買ってしまう機会も多いです。100円ショップで売っているのとか……。

  • パインツリー(PINE TREE) - 熱海銀座の商店街にあるレトロ喫茶店|静岡県・熱海市

    純喫茶パインツリーは、JR東海道線の熱海駅を出てからしばらく歩いて、銀座町の商店街に着いたらアーケードの中程に見つけられる。ガラスケースに並んだ魅力的なサンプルと、お店の正面上部にある緑色のリボンが目印。入口左側にはレトロなおもちゃを販売しているショップ。何かひとつ欲しい。昭和34(1959)年の創業で、観光案内サイトを見ると「テレフォン喫茶(電話喫茶、テレフォンカフェともいう)として開業」とある。テレフォン喫茶は各席に電話と交換台が用意された喫茶店で、各家庭に電話が普及しておらず、また携帯電話も身近でなかった時代に利用されていたのだとか。呼称がネットカフェみたいな響き。

  • 小笠原伯爵邸(旧小笠原邸)「おはなし会」の拝聴と館内見学:約27年の空白期間を経て復元されたスパニッシュ・コロニアル様式の近代建築

    黄昏の深く青い空を切り取って、大きな星を埋め込んだみたいな天井。等間隔に椅子が並んだ円形のシガールーム。どこだかもう憶えていない場所で写真を見たときから、ずっとこの部屋に入ってみたかった。先日その夢を叶えられたので嬉しい。4月26日に開催された「おはなし会」では総支配人の方によるレストラン開業までの道のりや、建物の復元においてどのような工夫がなされてきたか、また竣工当時の様子や小笠原伯爵自身について分かっていることなどのお話を実際に拝聴でき、理解を深めるよい機会になった。

  • 純喫茶マイアミ - 箱根湯本駅にあるレトロ喫茶店|神奈川県足柄下郡エリアのカフェ

    塔ノ沢で日帰り温泉に浸かった帰り、午後に利用した喫茶店。箱根湯本駅の改札を出てから歩道橋を渡って、階段を下りるとすぐの場所にある。表に出ている看板の上部に大きなコーヒーカップ(MIAMIと書かれている)のレプリカが載っており、中から白い湯気がもくもくと湧いている仕掛けが可愛らしかった。遊園地みたい。調べると昭和26(1951)年の創業だそうで長い歴史があり、湯本付近では最も古い喫茶店のひとつと言われている。店内は十分に明るいけれども雰囲気が落ち着いていて、まっ白いテーブルに、ベロア風の素材で背もたれのところが波打った形状の赤いソファが魅力的。そこに観葉植物の緑が彩りを添え、全体的な色の均衡がとれた感じになっている。天井中央の照明器具もよい。

  • いくつかの道具に見出せる誠実さ

    あなたのために。あなただけのために。そういった言葉がすっかり形骸化して久しい今、お子様ランチというものは本当に素晴らしい存在だな、とさっきから考えていた。子供だけが実際に注文し、子供だけが食べることのできるメニュー。それが体現する料理。まず、名前に「お子様」を冠している。この時点で対象が明白である。そして実際に、お子様という特定の存在にしか、基本的には提供されない(期間限定の企画などで大人も食べられる場合は除外しておく)。当然ながら、元来お子様以外のために作られたものではないから。それを一種の誠実さだと感じる。

  • 旧公衆衛生院(港区郷土歴史館)- 円形の吹き抜けホールに心も吸い上げられる、昭和初期の「内田ゴシック」建築|ゆかしの杜

    何度も訪れている地域だが、私がこの旧公衆衛生院の存在に気が付いたのはつい先日のことであり、こんなところに随分と大きな近代建築があったものだ、と感心して東側から正面入口の方に回った。昭和13年に竣工した鉄筋コンクリート造りの建物。設計は、かつて東京大学(旧帝国大学)の総長を務めたこともある内田祥三で、東大本郷キャンパスに存在する大講堂(安田講堂)も手掛けている。作品のうちいくつかは「内田ゴシック」の通称で呼ばれ、独自の様式の特徴を持っているのだった。

  • 近代建築系のみを記録する用のTwitterアカウントを作りました

    タイトルの通りです!雑多な記録や言葉による表現など、それらとは分離しておいた方が今まで訪れた近代遺産の見返しが楽だったので、既存アカウントとは別にもうひとつ作りました。建物の名称と建築年代、わかれば設計者、また簡単な特徴を添えて写真を投稿します。完全に記録用で、そちらには近代遺産の情報しか流しませんので、お好きな方がいらっしゃればぜひご覧ください。個人アカウントを追うよりは色々と見やすいはず……。

  • 大正ミステリーBLG「古書店街の橋姫」感想メモ・聖地関連

    ゲーム中に元ネタとして散りばめられている要素を見つけるのとか、今までに訪れた近代遺産が背景スチルのモデルとして登場するのに気が付くのとか、シナリオ以外の部分でもわりと楽しめた。公式サイトの「奥付」ページで読める後日談、実際にはもうほとんど本編の一部だよね……と思うなど。この作品の初出は2016年の夏コミ。私がプレイしたのはスマホブラウザ版で、他にもNintendo Switch版やPS Vita版など(こちらはいずれもR18シーンがカット)、2022年現在いろいろなバージョンが出ているようす。

  • 穏やかな地獄、イヴ・タンギーの絵画風、石のライオンを添えて|神戸北野異人館街

    番人じみた門柱に目を留めたらその奥にいたライオンにたぶらかされて、足がもつれ、はじめは行こうと思っていなかった場所に引っ張り込まれた。坂の中腹にある平坦な煉瓦敷きの道。脇の家は旧フリューガ邸とあるが、石像横にある肝心の玄関は固く閉ざされていたから、今日は休業しているのだろう。情勢の影響でもうしばらく開けていないのかも入れなかった。通路を抜けて、庭の側に出る。どういうわけか周囲にはしきりに風鈴を思わせる高い音が響いている。金属的で規則的、かつ淡々とした響きは、まるでささやかな意思の伝達を試みる信号のよう。数本先の通りの方から話し声が聞こえる。でもここに人間はひとりもいない。どうやらまた、この種の地獄に来てしまったみたいだ。

  • 草原(ある種の傷は癒えるほどかなしくなる)

    適切な薄さの白いティーカップを手のひらで撫でまわし、じっと眺めては、陶器に傷などひとつもない方がよいと考える。わずかなひびでも生じてしまったら最後、にわかに存在自体を受け入れがたくなるのが目に見えているし、食器棚にしまっておくだけでなく視界に収めるのすら嫌になるだろう。よほどの品でもないかぎりは、わざわざ欠けた部分を直して使い続けたいとも別に思えない。ゆえに捨てるしかない。見るたびさっさとどこかにやりたいなと思いわずらい、ゴミの日に回収されたのを確認して、ようやく胸をなでおろす。これで「新しいものが欲しい」と大手を振って言える。

  • 【宿泊記録】ホテルニューグランド本館ロビーと客室、それから美味しい氷菓子|昭和初期の近代化産業遺産・横浜市

    本館、正面入口から伸びる大階段。青いカーペットをできるだけ優しく踏んで上った先には、エレベーターの扉と、盤面の周囲に美しい石の彫刻が施された時計がある。壁の画は「天女奏楽之図」で、川島甚兵衛が製作した綴織だった。時計、といわれて私が真っ先に思い浮かべるのは銀座の旧服部時計店だが、実はこの建物もそれと同じ設計者の手によるもの。彼の名は渡辺仁という。ほかにも旧原邦造邸(原美術館)などすぐれた建築物を生み出しており、現在、その作品は全国でも半数ほどしか現存していないのが残念。ホテルニューグランドが開業したのは昭和2(1927)年のことだった。

  • 雪原(恐ろしいものが綺麗だとうれしくなる)

    雪原はあれほど恐ろしいのに人を惹きつける様相を見せるからいけない。しきりに誘惑されている、と感じる。昔から、よく考えていた。雪に埋まって眠りにつくことを。疲れた足を永劫に休める場所として雪原を選ぶことを。なにしろ、かの雪の女王がおわすのはスヴァールバルのスピッツベルゲン島なのだから、私が憧憬を抱かない方がおかしいといえる。

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