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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

実績・寄稿記事一覧: https://www.chinorandom.com/archive/category/%E5%A4%96%E9%83%A8%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B

千野
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2022/01/28

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  • 平成橋を渡ったら「アンティック喫茶 ともしび」がある|高知県・高知市

    // JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…

  • 何度でもまた、どこかへ

    昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。

  • 海をグラスに1杯 - 金沢八景の喫茶店オリビエ|神奈川県・横浜市

    でんわ☎でんわ 楕円形の看板を一瞥して中に入る。日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。ソーダ水にしよう。店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれが炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。

  • P・A・マキリップ《茨文字の魔法》時間にも世界にも隔てられず蔓延る、その棘の蔓は……

    ページを開いて眼で文字をひとつひとつ飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、図書館のそばで拾われた孤児で、今は書記として働くネペンテスが捕らえられた魔力というのは、実は単なる例えとは種類を異にする、ある特定の魔法らしかった。茨のような形をした、文字。綴られているのは、かつて世界を征服したとされる伝説上の人物「アクシスとケイン」の物語。

  • 純喫茶 バウハウス - 窓と草木の隙間から零れる明かり|神奈川県・横浜市

    扉を開けて外に出た瞬間、よかった、やっぱり来てよかった、といつも思える喫茶店。今年の晩春に訪れていたJR中山駅前の喫茶店、バウハウス。ふたたび足を運んだら、前はあったあれが無いな、と思っていた緑のカーテンが復活していて喜んだ。何とも言えない薄く軽やかな素材のカーテン。ワッフルのような格子状の網目によって生み出される奥行きと、深みのある色合い。

  • 赤い服を着て白く長いひげを生やしたおじいさん

    大きな窓の上に穴を開け、そこに紐が通されたような商品を1つ買った。紐は赤、白、交互にねじられて、ステッキ型のキャンディを彷彿とさせる趣。口に入れたら甘いかも。深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側では、たっぷりとした赤い布の服をまとうおじいさんが大きな布袋(革袋、かもしれない)を両手で逆さにし、明かりが漏れる建物の中へと大量の小箱を注いでいる。翼を持つふたりの天使たちがその傍らで果物を抱え、もうひとりは地面に落とした幾つかを拾いながら、順番を待っている。右下に金で記されたA Joyful Yuletideの文字。少し、古めかしい語句だ。ア・ジョイフル・ユールタイド。

  • 黄金色をしたワームスプアーの模造品:P・A・マキリップ《ホアズブレスの龍追い人》

    先日クラフトコーラの原液を買ってきて、炭酸水で割ったら、きれいな金色になった。少しもアルコールの含まれていない、炭酸と各種香辛料だけがぱちぱちと刺激的な甘い飲み物だけれど、想像力を駆使して杯を傾ければちゃんとワームスプアーの模造品になる。精神を研ぎ澄まして、確かに黄金色のお酒なのだと念じて。勢いよく飲むとむせてしまうところなどは結構似ているのだから。100円ショップのグラスに、同じ100円ショップで見つけた、柄の末尾の方に水晶を思わせる飾りがついているスプーンをマドラー代わりに添えても、氷と鉱山の島ホアズブレスを連想させられるようになって楽しかった。

  • 切り分けた心を奪われる(または巧妙に、自分から差し出すように仕向けられる)ような

    もっとも厄介なのは、相手から要求されることではない。そう思う。厄介で恐ろしいのは、自発的に、心の一部ならすすんで差し出してもいいと思わされてしまうこと。加えて、そう思わされる状況に置かれることの方。だから、広義の恋は劇物なのだ。毒どころの話ではなく、文字通りに劇的に甚だしく、生物の息の根を止めてしまう。

  • 茉莉花茶とアイスクリーム

    私は熱いものを食べたり飲んだりするのが非常に苦手なのだけれど、思えば、いつもそのことを半分くらい忘れている。ぐらぐら煮立ったお湯から抽出したばかりのお茶を前にしている時であっても。今の季節のように室温が低いとなおさら油断が生じるのかもしれない。さっきも少し勢いよく液体を吸い込んでしまって、口内の上顎の方が腫れた。夜のあいだ何かを読むための用意として、でも一般的には眠る前に推奨されるようなノンカフェインの飲み物が全く好きではないので、用意したのはシンガポールのお茶屋TWG Teaのジャスミンクイーン。

  • 手に入れた瞬間、もうそれに意味はなくなる - ハガード王への哀歌|ピーター・S・ビーグル《最後のユニコーン》そして《旅立ちのスーズ》より

    ハガード王が治める街ハグスゲイトの住民たちも、彼と同じく「何物も永遠には続かぬ」を理由として何にも愛着を持てずにいる。魔女が城にかけた呪いの予言によって、いかなる事物もどうせ未来に失われることが分かってしまっているから、幸福な状態になることができないのだ。手に入れた喜びが、いつか確実に消えてしまう、と判明している状態で、どうしてそれに心を傾けることができるだろう? 確実なのは、ハガードがいる限り、現在いるハグスゲイトの民たちは他と違って何不自由なく良い暮らしができ、富むことができるというだけ。予言が成就する前ならば。

  • 喫茶店「珈琲 琵琶湖」梅の屋敷から広大な湖面を想像する11時|東京都・大田区

    滋賀から遠く離れた東京都にも「琵琶湖」があるらしい。それは喫茶店の姿をしていて、建物のように装っていながら、あの静かで広大な湖面に宿る心を内に秘めている。扉を開ければいつでも、あの場所の空気に包まれる……かもしれない。また近江八幡に行きたくなってきた。大田区、蒲田。

  • 黒い獣・魔法の系譜・姿を変える者たちの変奏 - パトリシア・A・マキリップの小説から

    先日読み終わった3部作「イルスの竪琴 (The Riddle-Master trilogy)」の余韻に浸りながら、さらにこれまで読んだ作品との関連も含めて、パトリシア・マキリップの描く物語に繰り返し登場するいくつかの要素を考えていた。特に「妖女サイベルの呼び声」と「オドの魔法学校」を並べてみながら……。私はマキリップの作品を読んでいて(もちろん、彼女の作品に限った話ではないのだけれど)複数の共通点を持つモチーフや登場人物、出来事などに出会うたび、それは「とあるひとつの物語が枝分かれした結果として生まれたもの」であるように感じる瞬間がよくあった。もしくは、同じ世界を舞台にした異なる時代の話が語られているのであったり、特定の場所で起こったはずのことや起らなかったはずのことが、別の作品として描かれていたりするのではないか……というような。

  • マキリップの小説《イルスの竪琴》3部作で描かれる、時に過酷な旅と美しい情景

    「そなたが、私がこれほどまでに愛した者でなければよかったのに」……人間が抱きうる欲望のうち、知を求める気持ちは私がとりわけ愛おしいと感じるもので、けれど同時に「知りたい」というのはとても危険な願いの発露でもあると分かっている。ある問いにうっかり手を伸ばした瞬間、その勇気ある頼りない腕は恐ろしいほどの力で何かに引っ張られてしまい、身体ごと容易にはこちらの世界に戻ってこられなくなる。おそらくはモルゴンがそうだったように、彼を見ていた私もそうなってしまった。

  • 生活それ自体の哀しさ / そこに本が存在する喜び

    人間が存在して、寝たり、起きたり、働いたりしてまた眠り、目覚める、その繰り返しにこれといった意味を見出せない。だから、単純に生活するだけではいくら頑張っても精神面の充足が得られず、あまり熱心に取り組む気になれないしときどき疲れてしまう。

  • 仮面の幻惑に隠された本物の魔法。そして古き力の根源に出会う北の果て《オドの魔法学校》P・A・マキリップの小説

    原文「Od Magic」から、日本語版「オドの魔法学校」原島文世訳の方に切り替えて再読した。故郷であるヌミス王国北方の辺境で、植物や動物などの声を聴き暮らしていたブレンダンは、ある日〈オド〉と名乗る女巨人に魔法の才を見出され都のケリオールへと赴く。庭師の仕事がある、と言われて。なかなか都の暮らしに慣れない彼は、ある日、学校の庭で不思議なものを見つけた……。

  • 猛犬注意

    宿屋か雑貨屋か、飲食店か分からないけれど、とにかくもう営業をしているようではなく、ただ奥の方が引き続き住居として使われているみたいな印象を受けた。ガラスの内側、手前には段ボールが置かれていたり、簡易的な椅子や机が見えたり。そこに1匹の犬がいた。床に身体を伏せた状態から首をもたげて、通りがかった私の影に反応するように顔を上げていた。体長は、丸まった状態で抱え上げられるかどうか判断に迷うくらい、いわば中型の成犬、毛は短くて真白い色。尻尾は細長くもふんわりと。耳はぴんとした三角形で、鼻は桃色だった。表面がわずかに濡れて陽に当たり、光っていた。

  • 西加奈子「通天閣」名も知らぬ他人には取るに足らない自己という物語|ほぼ500文字の感想

    マストドン上の読書タグの投稿を見て、そういえばこちらのタイトル、確か自分の本棚にも(かなーり前から)放置してあったのでは……と積読していたのを出してきた。表紙が真っ赤。西加奈子「通天閣」は、果たしてどこで買ったのか覚えていない。

  • 小川洋子「密やかな結晶」失われる、とはどういうことか|ほぼ500文字の感想

    作中で「消失」と称される現象。これは一部の例外を除いた人々から、特定の物事に対する感慨を取り去る。そして「秘密警察」なる組織はそれを推し進める……。例えば香水が消失を迎えれば皆、香水を前にして何の香りも思い出も喚起できなくなり、さらには香水そのものを持ち続けることも秘密警察によって阻まれる。同著者「薬指の標本」も以前手に取っていたから、「密やかな結晶」の作中作(小説)は変奏のよう。

  • 鎌田共済会 郷土博物館 - 大正時代に建てられた旧図書館|香川県・坂出市の近代建築

    電車の窓からこの建物が見え、それで気になったのがきっかけで、わざわざ足を運ぶ人の数も多いのだと職員さんが言っていた。私達も岡山から快速マリンライナーに乗って来た。方角からすると、坂出駅に停車する直前で気が付く機会があったはずで、けれども白い外壁がまったく視界に入らなかったのは反対側の座席に座っていたからだ。土地全体から見たある場所、位置、という点では変わりがないのに、その一点が線路と車両によって分断されると、片側がすっかり見えなくなる瞬間というのが存在する。

  • 週間日記・2023 10/2㈪~10/8㈰

    2023年10/2㈪~10/8㈰の日記(順次追加)

  • レイ・ブラッドベリ「塵よりよみがえり」魔族の館と人間の子供|ほぼ500文字の感想

    同じ著者の「何かが道をやってくる」でも描かれていた〈秋の民〉。邪悪な存在と推測され、魔力を持ち、死なず永遠に存在し続ける闇の住民たち。どうやら「塵よりよみがえり」の方では、この秋の民の一族から見た情景や、さらにその屋敷に置き去りにされた『普通の人間』……魔族に育てられたティモシーの物語が描かれていると分かる。

  • レイ・ブラッドベリ「何かが道をやってくる」怪しい移動遊園地、幼少期の転機|ほぼ500文字の感想

    ブラッドベリは幼少期から、遊園地や道化師がもたらすイメージを恐れつつ、心の一部を囚われてきた。怪しげな存在に翻弄される2人の少年・ジムとウィルはある意味で著者の分身ともいえる。原題にある"Something Wicked"……何か邪悪なもの、というのはシェイクスピアの作品「マクベス」からの引用。では、作中で移動遊園地と共にやってきたそれらは、その邪悪さで一体何をおびやかし、害をなすのか?

  • 喫茶店 サザンクロス - 南十字星の山盛りクリームソーダ|香川県・坂出市

    この北半球にいて、南十字星(Southern Cross)を拝める場所というのはさほど多くない。首都圏から南西の方角に下った四国も例外ではなく、けれどそこには、実際見えるはずのないサザンクロスが存在して人間を招いているのだった。道路際で、きちんと光を放つ。暗くなると赤く発行する看板の文字に、ガラスケースの中の食品サンプル、レンガ風の細めの階段……ダートコーヒーのマーク。屋根付きの商店街にあってその店舗部分は2階になる。

  • 週間日記・2023 9/18㈪~9/24㈰

    2023年9月18日㈪~9月24日㈰の日記(順次追加)

  • 四谷シモン人形館 淡翁荘 - 昭和初期の洋館、旧鎌田勝太郎邸が内包する幻想世界|香川県・坂出市

    現在「四谷シモン人形館」として門戸を開いている建物は、かつて鎌田醤油の4代目、勝太郎が坂出に建設した居宅。彼の号にちなんで「淡翁荘」と呼ばれていた。戦前の昭和11年に竣工した洋館で、現在は広い駐車場となっている横の土地から見ると実に四角く簡素な趣、道路の側に面した窓の数も少ないからまるで箱……のようにも思え、果たして本当にこれは家だったのだろうかとはじめは訝しむ。人形館として開館するにあたり、管理に必要な棟として増築された部分も一部ある。アーケード商店街から入場するときは、讃岐醤油画資料館の建物を通って、ようやく玄関へと至れた。なるほど実際、玄関の前に立ってみるとそこは確かに洋風の邸宅だった。入口がある。扉の前、訪問者の頭上に張り出したポーチの屋根はまた四角い。上を仰ぎ見ると、やはりこちら側の2階にも窓はなく、北側の正面や庭の方に回らないとない。そのまっさらな壁の、適度に閉ざされた感じは不思議と安心を誘う。

  • 小川洋子の短編集「薬指の標本」「海」とサイダー的官能|ほぼ500文字の感想

    2冊のどちらもいくつかの話に(「薬指の標本」表題作では特に印象に残る存在として)『サイダー』『ソーダ』など炭酸水が登場する。炭酸飲料は性質からして官能的な気がする。サイダー類の液体がたとえば、あの大小の泡で上唇や口内、舌の先や表面、歯茎、喉をぷつぷつ刺激する感覚や、栓を開けた瞬間の独特の香り、さらにしばらく時間が経って半ば気が抜けた後のごく淡い風味も、甘さも味のなさも、すべてが身体的な神経に作用する。

  • F・ボーム《オズの魔法使い》エメラルド・シティの着想源 - 白の都(White City)と緑のゴーグル(Green Goggles)

    単色に輝く建造物によって構成された壮麗な「白の都(White City)」。また、現実を変容させる道具としての「緑色をしたゴーグル(Green Goggles)」。ボームがこれらを目撃したことは、世界で長く読み継がれている《オズの魔法使い》の根本に今も息づいている。彼もまた、自分自身の過去の経験や、シカゴで目撃した万博の様相を組み合わせてイメージを膨らませ、物語世界に彩りを与えた作家のひとりだった。

  • 週間日記・2023 9/4㈪~9/10㈰

    2023年9月4日㈪~9月10日㈰の日記(順次追加)

  • ホテルニューグランド「ラ・テラス」の緑色・黄色・酸味が爽やかなサマーアフタヌーンティー|神奈川県・横浜市

    8月31日㈭まで。なみに17時以降に予約をすると「スイカのカクテル」が無料で付いてくるため、都合が合うなら断然夕方に行くのがおすすめだった。陽が傾いてからの方が少しだけ涼しいし、それから徐々に薄暗くなっていく中庭を窓から眺めるのもわりと好き。今回のサマーアフタヌーンティーで提供されたセイボリーやお菓子はけっこう酸味の強いものが多くて、爽やかさを前面に押し出しているのだと感じた。夏らしく、暑くても食欲をそそる……。

  • 夏目漱石《夢十夜》第二夜 より:和尚(宗教)と時計(文明・学問)のあわいに座して悟りを求めた意識

    なぜ、和尚なのか。なぜ、時計なのか。なぜ「何か」がそれらの姿をとって現れなければならなかったのだろうか……侍(さむらい)も夏目漱石自身も、宗教と文明というふたつの要素に引き裂かれていた。それらを象徴する「和尚」と「時計」のイメージ。

  • なだらかな眉山の曲線や、旧百十四銀行徳島支店が持つ直線|四国・徳島県ひとり旅(6)

    まゆのやま……。その「形状」から眉山と名付けられた山だと聞き、新町橋の側に立って、泰然とした姿を見上げた。手前にあるビルの「探偵社」や「カメラ高価買取」などという文字列につい気を取られてしまうが、違う違うそっちじゃないよと自分に言い聞かせる。道路はほとんど真っ直ぐに、麓の阿波おどり会館まで伸びている。四国は瀬戸内海に面したひとつの陸地で、名前を挙げられれば真っ先に浮かぶのは海原なのに、実際に地図で地形を表示してみると「山地」の印象がより強くなる。日本列島のほとんどの地域と同じだ。ここも山地の面積がかなり大きくて、わずかに、比較的平らかな部分を中心に街ができている。海の香りと山の香りが同時にしてくる贅沢なところ。

  • 最近出会った塩味がきいているもの……

    SEA GLASS CANDY、しおサイダー、スイカのカクテル。最近出会った「塩味」がきいているもの。

  • 高田大介「図書館の魔女」言葉、に溺れて見る夢の一幕のような|ほぼ500文字の感想

    耳は聞こえるが声を発することができぬ唖者のため、手話を用いて意思の疎通を行う《図書館の魔女》、名をマツリカ。そして、常人よりはるかに鋭敏な感覚を持っているものの、文字の読み書きができない少年キリヒト。1の言葉で100を想像させる表現があるとするなら、まさにこれはその対極に位置している……と思った。描写、描写、描写、とにかく描写、描写が延々と続く中に、確かな悦楽がある。

  • 【初心者向け】Mastodonという窓から分散型SNSの連合に触れる - 好きな投稿やユーザーの見つけ方を模索中

    分散型、時に連合型とも呼ばれるSNSのなかでも、ActivityPubという通信プロトコルを使用している「Mastodon(マストドン)」に触り始めて数か月が経った。初めは「分散型? ううむ……中央集権型の対極に位置するのは分かるけれど、具体的な『感じ』は一体どうなのかな」と戸惑っていたが、しばらく弄ってみるととても面白いし、趣味や生活の話題を軽く共有したい気持ちを良い形で昇華できる、楽しいツールだと思っている。

  • アゴタ・クリストフ「悪童日記」面白かったからこそ続きを読みたくない稀有な1冊|ほぼ500文字の感想

    時代や地域を特定させる固有名詞が意図して省かれているにもかかわらず、読んでいれば、舞台が第二次世界大戦中のヨーロッパのどこかであることはすぐ明らかになるだろう。アゴタ・クリストフ「悪童日記 (Le grand cahier)」は、3部作を構成するうちの初めの作品。なので続きがあるといえばあるし、気にもなるけれど、正直先の物語に触れるよりもここで終わりにしたいと願ってしまう。完成されている……。

  • 【閉店】構築された目眩く世界、カド - 季節の生ジュースとくるみパンの店|東京都・墨田区

    言問団子の店舗から桜橋方面に向かって3分くらい歩くと、交差点に面した位置に、文字通り「カド」という飲食店があった。季節の生ジュースとくるみパンの店。この、盾のような看板には思わず足を止めてしまう。お店の公式Instagramを参照すると制作者の方々について詳しく書かれている。木枠の意匠を考案したのが志賀直三さん(小説家・志賀直哉の異母弟)で、実際に形作ったのが彫刻家の小畠廣志さんとのこと。店主氏の先代(お父様)が創業してから2023年で65年目、当時から外壁を飾る看板は生物ではないけれど時代の証人のようで、口が利けるものならその声に耳を傾けてみたいと思わされた。

  • 週間日記・2023 8/14㈪~8/20㈰

    2023年8月14日㈪~8月20日㈰の日記(順次追加)

  • エッセイを寄稿します:文学フリマ大阪11 2023年9月10日㈰ - 批評誌『Silence』Vol.2《病いとともに。》へ(試し読みあり)

    「批評誌『Silence』Vol.2 ~病いとともに。~」にエッセイを寄稿しました。タイトルは「記憶 - 病と病院、本にまつわる六つの章 -」になります。来月開催の文学フリマ大阪11、会場のK-53ブースにて頒布される予定です。

  • 【はじめての繭期 2023SUMMER】感想 - 舞台TRUMPシリーズ初見(&漫画版)

    はじめての繭期とは、脚本家の末満健一氏が手掛けるオリジナルの舞台「TRUMPシリーズ」から、数作品が不定期に無料配信される企画。まだ作品を知らない人への入口として、気軽に内容に触れる機会を設けてくれているのは大変ありがたい……! 私は友達に「好きそう」とすすめられたことで今回視聴する運びになったのだけれど、そういったきっかけがなければ突然DVDやBlu-rayなどを購入する勇気もなかなか湧かないので、やはりお試しというのは効果的で偉大な宣伝方法だと感じた次第。

  • かなり緑茶がおいしい向島「言問団子」の都鳥 - お皿に可愛い絵柄|東京都・墨田区

    向島の和菓子の店「言問団子」は店内に椅子と机が置かれていて、団子か最中(もなか)を注文したら座ってすぐ食べることができる。峠の茶屋みたいな趣、壁の2面が硝子戸で明るく、春先に訪れた際は吹き込む風も心地よかった。でも季節柄なのか相当に強い風で、うっかり伝票が飛んで行ってしまわないようにしっかり皿で押さえておかなければならなかったけれど。席に座るとすぐ「お団子?」と聞かれるので、それでよければそのまま。あるいは最中の方が欲しければ、最中、と言えば持ってきてもらえるはず。次に行ったら食べてみましょう。

  • 記録されなければ、痕跡が残らなければ、それは「無かったこと」になってしまうから

    あるものが、確かにそこにあったと示すもの。仮に失われれば、確かに存在していたという証拠が揺らいでしまうもの。この場合の「痕跡」というのはなんと表現すればよいだろうか。文字や図画などはほとんど記録そのものだといえそうだけれど、例えば目に見える形で書き下されることのない口伝や、歌の旋律も、地形も、滅びてから土に埋まった生物の化石だって、おそらくはすべて痕跡だと表現して差し支えない。

  • 月の印(しるし)の喫茶店 - café & antiques, 店内での写真撮影禁止|神奈川県・横須賀市

    つめたいカフェ・アマレットは、炎天下の砂浜に3時間もかがみ込んで、無心でガラスの欠片を拾っていた身体によく沁みた。爽やかでほんのりと甘い。表面のクリームを落としてかき混ぜると、よりまろやかになる。その大きなグラスに浮かぶ砕氷が奇しくもシーグラスの形によく似ていた。お酒の入ったコーヒーといえば、冬場に飲んだカフェ・コアントローが身体を温めてくれて美味しかったのを思い出す。先日はこうして夏場に摂取するアマレットの良さを知ったので、次は寒い時期にでも、ホットコーヒーへ投入して楽しんでみたいもの。

  • ひと粒のオリーブ、串焼き羊肉、朝食トレーに乗ったドライフルーツ:P・A・マキリップ《オドの魔法学校 (Od Magic)》

    絶版の日本語版は手に入らなかったので、原著の電子書籍を購入して読む。「オドの魔法学校」は何より、ヌミス王国の都ケリオールに存在する区画のひとつ、トワイライト・クォーター(Twilight Quarter, 原島文世氏訳だと「歓楽街《黄昏区》」となっている)の描かれ方が最高に魅力的だった。

  • 【乗車記録】寝台列車〈サンライズ瀬戸〉で瀬戸大橋を渡った夜のこと|半夏生の四国・香川県散策(1)

    地上に張りついたレールを基盤として、暁を待つのではなく、そこへ向かってひたむきに走るのが夜行列車だ。そう、真面目かつ「ひたむき」に、自らに与えられた職務に忠実に、両脇から迫る闇を振り切っていく。それは夜に属し揺蕩うものというよりかは、夜を通過していくものだと感じ、それゆえにサンライズ(Sunrise/日の出)の呼称は尚更ふさわしいもののように思われた。2023年7月現在、日本国内で毎日定期運行する寝台特急というものは、サンライズ出雲とサンライズ瀬戸の2種類にまで減少している。そんな「最後の寝台列車」に乗るため、早朝の対極に位置する宵の口をだいぶ過ぎて鉄道駅へ向かった関係で、何とも言えず新鮮な気分に……。行動の様式がいつもと全然違うから、果たして出発するのだか帰郷するのだか、判然としなくなる。心身ともにこんがらかる。そう、多分そのせいで、こうして旅行記を最終日の回想から始めているのかもしれない。

  • 脊髄反射的な「定型文」に対して感じる、半ば脊髄反射的な憤りとしての火炎

    私が嫌いなのは、web上で特定の語句を入力して検索を行うと、結果の一番上にまるで広告のように厚生労働省の「自殺対策 - 電話相談」というページが自動的に出現する現象。タイトルからページの内容に飛ぶと、そこにはなんとかSOSとかなんとかホットラインとかこころの健康なんとか……など、いわば「つらいときに相談する場所」として「用意」された連絡先が羅列されている。こちらへどうぞ、と「誘導」するような形で。まるで、こちらに来さえすれば助けてあげますよ、と言わんばかりに。私がそれを求めているのではなくて、ある語句(しかも希死念慮とはそこまで関係のなさそうな言葉)の検索結果に、勝手に登場しただけなのに。内容自体も別に優れたものではない。

  • 魔法のソーダ水

    スーパーマーケットの、お菓子作りの材料が置いてある一角で見かける、「ケーキマジック」という商品を眺めるのが幼い頃から好きだった。特別な存在だった。それは製菓用に売られているお酒で、楕円形をし、底だけが平たくなった取手付きのガラス瓶に、エプロンを着用したうさぎの絵のラベルが貼られている商品。中央上部に注ぎ口がある。ラムダーク、オレンジキュラソー、ブランデーにキルシュヴァッサー……数々の単語をまだ知らない子供の耳には、まるで呪文みたいに響く、魔法薬じみた名称に惹かれていた。

  • 猟奇パッション、果物の甘い香り|ほぼ500文字の回想

    「なんと、うまそうなつらだ」鹿児島県産のパッションフルーツ3個入りを買って以来、毎日彼らを眺めてこう考えている。情熱、ではなくて「受難(パッション)」の果実というのもなかなか面白い名前で、それが「磔刑」の十字を連想させる花の形状に由来する(トケイソウ属の仲間なのだ)……と知ってはいても、どうしてもプラ容器に収められた3つの実が、身を寄せ合って何らかの苦難に耐えているように思えてきてしまう。

  • 【宿泊記録】ビジネスホテルマツカ - JR穴吹駅周辺の宿泊施設、朝食付き|四国・徳島県ひとり旅(5)

    脇町の重伝建保存地区を見学するにあたり、宿泊したのはビジネスホテルマツカ。JR穴吹駅から徒歩で約15分、オデオン座までは約20分といった立地で、このあたりは特に路線バスなども通っていないため、散策気分でぶらぶら歩いてみるのが吉。面白いものが沢山ある。歩くのがあまり好きではない人には面倒かもしれないけれど……。個人的に嬉しかったのは、ホテルのすぐ近くにスーパーマーケット「マルナカ」が存在していたこと。

  • JR徳島線を利用して城下の脇町「うだつの町並み」を訪う - 阿波藍のふるさと吉野川|四国・徳島県ひとり旅(4)

    JR四国のコーポレートカラー(と、言うらしい)は明るい水色で、私はこれがとても好きだった。駅名の看板に使われているロゴや、車体を彩るラインにもしばしば使用されている、爽やかな色。詳細を調べれば「澄んだ空の青」のライトブルー、と出てきて深く納得するとともに、自分が抱いている印象の方はさらにその空を映した海の色や、風、大気の色の複合なのだとも思う。どれかひとつに留まらず……。高校生時代に四国を訪れた時と、これは全然変わらない。特定のものではなくその土地の印象自体に何らかの色を見出すのは、ある数字を眺めて、そこから色を連想するのと少しだけ似ている気がする。

  • 茱萸の実、桑の実、幻の烏瓜の実

    古い監獄の敷地内にグミ(茱萸)の実が落っこちていた。 もちろん忽然と出現したわけではなく、通路近くの茂みには元となる樹が生えていて、枝から地面に落下してきたのだろう。実の、張り詰めたうすい皮は光を透かして、同じように半透明の果肉を輝かせ、磨いた宝石そっくりの姿を見せていた。ぷるぷる、つやつや。

  • 誇り高き魔術師と人を信じられなくなった王様《The Forgotten Beasts of Eld(妖女サイベルの呼び声)》P・A・マキリップの小説

    来年で原著の出版から50年を迎える作品、パトリシア・A・マキリップの《The Forgotten Beasts of Eld》を読んだ。第一回世界幻想文学大賞の、大賞受賞作。タイトルは安直に訳すると、「エルドの忘れられた獣たち」……に、なるだろうか。その通りに、作中にはとてもとても魅力的な、不思議な魔力と伝説を背景に持った賢い幻獣たちが登場するのだった。

  • 昼、ひっそりと開いては閉まるお蕎麦屋さん|神奈川県・横浜市

    この店は基本、土日も営業しているが不定休で、昼間の1時間半しか開けていない。営業しているかどうかは、のれんの有無が目印。入店すると「うちは『おまかせ蕎麦3種』のコースひとつしかメニューがございませんがよろしいですか」と聞かれ、はい、と答える。また「温かいお蕎麦は鰊と鴨が選べますがどちらになさいますか」と聞かれるので、鴨、と答える。季節によって変わる冷蕎麦(5月)は茶蕎麦だった。そば茶の提供のあと、最初に出てくる。

  • 夏目漱石と〈莞爾 vs 苦笑〉のフォトグラフ:随筆「硝子戸の中」より

    夏目漱石は大正4年に「ニコニコ倶楽部」という雑誌社からの取材を受けていた。とはいっても写真を1枚提供しただけのことだが、それが疑惑の1枚となった。この「ニコニコ倶楽部」は「ニコニコ主義」なるものを提唱していたらしく、発行していた月刊雑誌の名前も、案の定『ニコニコ』という。

  • 火の国・火の山

    「あづま菊いけて置きけり火の国に住みける君の帰りくるかね」上の手紙と同じ明治三十三年の6月中旬、子規が漱石に寄せた書簡に記されていたもの。差出人の住所は下谷区上根岸町(現在の東京都台東区)。そして、受取人の住所は熊本市北千反畑、旧文学精舎跡になっている。明治29年から熊本大学第五高等学校に勤務していた漱石が、現地で住んだいくつかの家のひとつがそこだった。彼は勤務期間の4年間で何度も引越しをしており、旧文学精舎跡は6つあった居宅のうちの5つ目である。私がじっと見ていたのは、子規の句に使われている「火の国」という言葉。

  • アンナ・カヴァン「氷」極寒の世界の裏側でインドリ達が奏でる無垢な歌|ほぼ500文字の感想

    アンナ・カヴァンの《氷》(山田和子訳)を読んでいた。白い魔にほぼ閉ざされた世界の物語といえば、カヴァンと同じ英国出身の作家・セローの「極北」が私には身近だけれど、その趣は全然違う。いや、そもそも……と《氷》の内容を回想した。原題も"Ice"なので言葉から受ける印象は邦訳でも変わらず、それなのに読後の胸に残ったものといえば、雪原や氷山ではなく「赤道地帯のジャングルとインドリ」なのだから面白い。

  • ローカル鉄道・上信電鉄~上州富岡で降車し製糸場へ|ほぼ500文字の回想

    どうやら上信電鉄、かつては実際に下仁田から長野(現在の佐久市あたり)まで延線を行う計画が存在していたようだった。そのため電化へと舵を切った際、明治期には「上野(こうずけ)鉄道」だった社名が、大正10年に「上信電気鉄道」へと変更されている。現在の「上信電鉄」は、昭和39年の社名変更時から使われている名前。それにしても、高崎も上州富岡も暑かった。かなり。比較的慣れていそうな現地の方々も同じように暑がっていた。私はここから富岡製糸場に向かう。

  • 太宰治《津軽》をきっかけに津軽半島を縦断した秋の記憶、龍飛崎をめざして|青森県旅行・回想(1)

    昨年の秋、ふと太宰治の「津軽」を手に取ってから、実際の津軽地方に足を運んでみたい気持ちが強まった。それで間を置かず(つまり衝動の熱が変質してしまう前)に行ってみた。羽田から青森へ飛ぶとなんと1時間半程度で着いてしまう。青森空港のガラス壁に、黒石市の名産品、こけし(同市に「津軽こけし館」も存在する)をモチーフにした図柄が装飾として採用されていた。「津軽」は紀行文のような体裁を取っているが、読んでみると虚実入り交じる内容と、かなり大幅に手を加え再構成されているのであろう、旅行自体や途中の出来事の流れに意識が向く(にもかかわらず、本文の最後「私は虚飾を行わなかった」とわざわざ書かれているのもそれらしい)。作家が手掛けるものならむしろそうあってほしいと私は思っていて、反対に何か、より現実に即したものを読みたいのならば、情報ができるだけ正確に記された別の資料を当たるべきなのだ。

  • 運命が決定される前の抽象的なケーキについて|ほぼ500文字の回想

    先週の話。9月の京都文フリで出る合同誌へ寄稿する文章、その提出期限がジリジリ迫っていて、しかしこれは確実に終わるだろう……と目途は立った。ような、気がした。気がしたから退勤後に、最寄り駅から少し離れた洋菓子店へと足を延ばした。珍しくケーキが食べたかったので。すると店は臨時休業していた。残念だけれどケーキは食べられなかった。魂の半分抜けた目で張り紙を読んでいると、雨水が沁みたのか、靴下が妙に冷たく感じられた気がする。

  • 【本紹介】「明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記」著者が当時の “はみ出し者” たちへと向ける敬愛

    「日本の新聞黎明期。女だからと侮られ、回ってくるのは雑用ばかり。婦人記者たちは己の体一つで、変装潜入ルポ〈化け込み記事〉へと向かっていった——」明日発売される書籍で、自分が日頃抱いている関心と重なるものをお送りいただいたため、ここで紹介する。

  • 揚輝荘北園に建つ「伴華楼」の再訪記録 - 設計・鈴木禎次は夏目漱石と相婿の関係にあたる|名古屋の近代建築

    // 前に来たときと同じく季節は冬。けれど、当時の名古屋は雨だった。 確か小雨で、歩きながら傘は差していなかったような気がする。そこかしこに小さな屋根はあっても全身が湿るから、広い庭園に長居するのは憚られて、早々に南園の聴松閣内部へ避難してしまっていたのを思い出した。だから、こうして気の済むまで伴華楼の周囲をうろうろしていられたのは新鮮。1月下旬のとある日はよく晴れていた。 伴華楼(ばんがろう/bungalow)は、揚輝荘の敷地内にある建物のひとつ。大正15年に起工し、昭和4年に完成した。 現存しているのはこれと「聴松閣」「座敷(聴松閣横)」「白雲橋」また敷地内に最初に建造された茶室である「三…

  • 喫茶店随想(3) みどり色したカーテンの幻

    昔は窓の内側に、ごくうすい緑のカーテンがかかっていたはずで、でも先日行ったら取り外されていたようだった。懐かしく思い出す。木漏れ日を思わせるとても綺麗な、透ける緑色のカーテンを。そう、私が小さい頃にどこかの霊園の隅で見つけた、小さな雨蛙にそっくりな色の……。最近、窓際に座っているとかなりの頻度で、彼方よりカエルの鳴き声が聞こえてくる。この喫茶店に私がいた時は周囲にいないようだったが、家に帰ってぼんやりしていると、忘れた頃に外から響くのだ。

  • H・C・アンデルセンとヘンリエッテ・ウルフの友情 - 燃え盛る炎にも、逆巻く海にも、隔てられない場所で

    アンデルセンはアメリカに行かなかった。1858年、ニューヨークへ渡るはずだった親友・ヘンリエッテの乗っていた蒸気船が大西洋で炎上し、乗客の大半が命を落としたことをきっかけに、恐怖をおぼえた彼はコツコツと練っていたアメリカ旅行の構想を全て反故にする。同年10月、アンデルセンは亡きヘンリエッテに追悼詩を捧げた。

  • かつて脳裏に描いた姿でなくても

    大人になった私は、幼少期の脳裏に描いていた「ふつう」の人生も、あるとき憧れていた神話や伝説の人物のような、理想の人生も送っていない。必要に応じて必要なことをし、取り組めるときに好きなことをしている。……そもそもこの世界では、大人、をどのように定義できるだろう。単純に社会的な意味、ある共同体が定める成人年齢を迎えているという意味であれば、私もそれに当てはまる。心情的にどれほど抵抗感を抱いていたとしても、社会の集団は自分を大人であるとみなし、そのように扱う。

  • 針のむしろ地蔵(誤)

    東京都は豊島区、巣鴨にある「とげぬき地蔵」。この名前をすっかり忘れてしまい、どうしてもどうしても思い出すことができなかったのだが、記憶の中の丘にはそれが「何か先端が鋭いもの、尖ったもの」に関係しているのだという確信だけが碑のようにそびえていた。おそらく、「とげぬき」の「とげ」から連想された要素だったのだろう、と思う。とげはちくちくするものだから。

  • 鮨喫茶すすす - 薔薇庭園を通って神奈川近代文学館、喫茶室まで|横浜市・中区山手町

    神奈川近代文学館の喫茶室として、2023年4月20日から新しいお店がオープンしたと聞いた。お知らせを読むと店名は「鮨喫茶すすす」というらしい。鮨(すし)喫茶……つまり、文学館内で「おすし」が食べられる、ということ……!? さっそくメニューの紙に視線を落とすと、まずは「文学作品から着想を得たお鮨」が2品、視界に入った。

  • 圧倒的な「『無意味』という虚無のベーグル」を調理する方法は? - 映画《エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス》他

    友達にすすめられて、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートが監督を務めた映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(Everything Everywhere All at Once)」を観てきた。略してエブエブと呼ばれている。同時に、その直前に手に取っていた本「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」の内容と映画には自分の中で重なる部分がいくらかあると思い、帰ってきてからあれこれ考えた。

  • 永世の繭の眠り・シルク博物館・純喫茶「田園」

    落ち着いたうす緑色のソファと、深緑色のテーブルが、店名の通り「田園」のある風景と共に桑の葉が茂る様子を思い起こさせた。蚕は桑を食む。七十二候のうち、夏の項目の中にも「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)」がある。5月の21日頃から数日間がそう言われるようになるので、時期はもう近い。目覚めたと思ったら、あっという間に永劫の眠りに落ちる、蚕の一生と私達の一生にはそこまで大きな差異があるだろうか。気が遠くなるほど長く紡がれてきた万象の歴史、すべてを俯瞰する観点からすれば、瞬く間に生まれては消えてしまうという点でどちらも変わらないものである。

  • 百合の花の香で思い出すこと / 夏目漱石「夢十夜」第一夜

    百合といって、根ではなく花の方から真っ先に連想させられるものといえば、私にとっては夏目漱石の小説《夢十夜》の第一夜に登場する一文かもしれない。作中の「自分」によって、「真白な百合」が「鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。」と述べられる部分。骨にこたえるほど……。

  • 紹介されました:東駒形の喫茶店「フローラ」さんを訪問した記事、店頭にて

    ゲームをプレイしてその聖地巡礼に赴き、舞台の墨田区で巡り合った喫茶店の建物と、そこに集う人も含めた場の雰囲気にすっかり惚れ込んでしまったので、ブログに記録をつけた。実際に伺ったお話の詳細を回想しながら、写真も添付して。そうしたら該当記事を検索から発見してもらえただけでなく、驚いたことに記事全体を印刷&ファイリングまでしていただけたようで、現在では店頭で読めるようになっている。

  • 【宿泊記録】はやし別館 - 滲み出る古さ・渋さ・緩さの中に「地味な良さ」を感じる老舗旅館|四国・徳島県ひとり旅(3)

    とても……良い。照明器具も、ソファの色も布地も。客室に関してはいずれも普通の和室で、ひとり部屋でも8畳程度の面積があって広そう。もとより扉にきちんと鍵がかかりさえすれば(かなり重要、私はどうしても施錠可能な場所以外では眠れない)多少のことは気にならない性質なので、詳細を再確認し、予約をしてみたのだった。メインの客層はビジネス、観光、お遍路などであるらしい。レビューを見ると何組か家族連れもいる。JR徳島駅から、徒歩約6分の距離。散歩しているとあっという間。

  • 山裾に広がる街で喫茶店を巡ってみる - JR徳島駅から半径1km圏内|四国・徳島県ひとり旅(2)

    最近、自分だけでも喫茶店の空間や、そこで過ごす時間を楽しめるようになってきた。とても良いことである。誰のことも気にしない気儘な喫茶店巡りは本当に楽しい。特に長く続いている、それなりに古いお店は。まず場所というものがあって、周辺に人間がいて、それぞれの辿ってきた歴史が背景に流れている。実際に行ってみて、他に気を取られずじっくり味わってみないと、触れられないものが確かに存在している……。今回の徳島駅近くで巡った5つの喫茶店も、いずれも素敵なところだった。

  • ギャラリー喫茶「グレイス」の出来たてで美味しいピザトースト|徳島県・徳島市

    JR徳島駅から徒歩約12分。駅出口から南に進んで新町川を越えた先、「銀座商店街」周辺にあるギャラリーの、2階部分に趣ある喫茶店が存在しているのだった。ちなみに前回紹介した「喫茶びざん」からも近い距離にあり、いずれも両国橋を渡ってすぐの場所。このあたりは居酒屋、寿司屋、ラーメン屋と、夕方以降に賑わいそうな多種多様な飲食店がひしめいている。商店街のアーケードから逸れて少し歩くと、お目当ての建物があった。正面右側に細い階段が伸びていて、そこを上がると喫茶店の入り口。足を掛ける前に庇の上を仰ぐと大きなガラス張りの窓が見える。

  • 創業昭和63年、JR徳島駅前の森珈琲店 - 2段のクリームソーダとモーニングセット|徳島県・徳島市

    駅前に、朝の比較的早い時間(8時台)から営業している喫茶店があるか、ないか。この意外と重要な問いに「ある」と返してくれる徳島駅はとても良いところだ。ただし、今回足を運んだ「森珈琲店」は2023年時点で水曜が定休日となっていたので、もしも街頭の曜日に当たってしまった場合は他を探すか、チェーン店のお世話になろう。バスロータリーの西側。JR徳島駅前ターミナルビルの1階。少し奥まった位置にある入口の扉を開けて入店すると、細長い店内が視界に飛び込んでくる。机が並び、座席が一直線になっていて、椅子の反対側は隙間なく横並びになったソファなのが面白く興味を惹かれた。まるで、路面電車の座席みたいだ。このままどこへ運ばれていくのか。

  • 喫茶 びざん - 前身は昭和2年創業の西洋料理店、同12年に改称して受け継がれてきた老舗|徳島県・徳島市

    両国橋……と聞いて何を脳裏に浮かべるかは、その人が日本のどの地域に住んでいるかによってかなり異なるのではないだろうか? 有名なのは東京都・墨田区で隅田川にかかる、袂の不思議な球体飾りが特徴的な両国橋だが、ここ徳島市にも同じ名前の橋がある。欄干に立っているのは女性と男性の銅像、いずれも阿波踊りの衣装に身を包んでいるものだった。無論、そのポーズも阿波踊り。周辺は祭の時期に非常に賑わうのだという。喫茶店「びざん」は橋の南に伸びる通り、歩道に屋根がある商店街の一角で営業していた。

  • 創業昭和30年、いかりや珈琲店 - 山盛りアイスクリームのコーヒーゼリー|徳島県・徳島市

    落ち着いたテールベルトのタイルが敷かれた床。席の片側、ガラス張りになっている壁の向こうには、謎の中庭みたいな空間がある。平日の午後は空いていた。少し前にお昼を食べたので、うーんどうしよう……と迷い、ホットコーヒー(ブレンド)とコーヒーゼリーを注文してみることに。温かいものと冷たいもの、特に後者は看板に書かれていた名物らしいので、かなり楽しみにしながら。机を挟んで見える赤い革張りの椅子に視線を向けたり、本を読んだりしながら待っていると、来た。

  • 伝説の純喫茶ブラジリアへ|徳島県・徳島市

    入口の前に差し掛かると、出されていた看板の上にある、黄色いランプが点灯していた。導きのようにくるくる回る光……ドアの前で耳を澄ますと音楽か人の話し声か、何らかの音が聞こえてくる。これはもしかしたら営業しているかもしれないと一気に期待が湧き上がってくる。果たして、ドアは施錠されてはいなかった。チリンチリン、と大きな風鈴の音が響く。店内は心地よい程度の薄暗さで、外の明るさから目が慣れるまでに数秒の時間を要した。手前のテーブルに碁盤を挟んだ2人客。カウンターで(おそらくは)店主ママさんと話している人が1人。後者はやがて支払いを済ませて、もうひとつのドアから退店した。店主さんに会釈して、空いているところに着席。

  • 暮れの春にはオーシャン東九フェリーに乗って - 真夜中の海の虚を果敢に揺蕩う船|四国・徳島県ひとり旅(1)

    オーシャン東九フェリーのうち一隻「しまんと」を利用した感想を綴る。こうしている今も凪いだ海原の上で穏やかに揺られる感覚が残っていて、夜、布団に入ってからそれを思い浮かべると、陸地でもよく眠れた。波の音はもう遠いけれど、瞼を閉じれば耳朶の奥に蘇ってくる。低く。夜は空よりも暗く黒い、あの太平洋のうねりと一緒に。

  • エッセイ集「一杯のおいしい紅茶」は当時のイギリス情勢が生々しく伝わる灰色の味 - ジョージ・オーウェルの本

    ふと思ったのが、これと同著者の小説「1984年」を並べてみた時にどちらが好みだと思うかは、読者によって真っ二つに割れるだろうということだった。もしも選ぶとしたら私は随筆が断然好きで。彼が自分の実体験をもとに撚り合わせた糸で紡いだ『お話』より、新聞や雑誌の仕事で書いていた『思想』そのものの方が、ずっと高濃度で興味深いと感じさせられた。でも……。

  • 60年以上続く「純喫茶 若松」- 家紋風の装飾があやしく光るレトロ喫茶店|千葉県・松戸市

    本当にここに喫茶店があるのだろうか?というのが第一の印象で、地図が示す建物の前へと足を運ぶと、真っ先に目に入る言葉は「不動産」とか「豚串」なのだった。しかし落ち着いてビル全体を視界に収めると、確かに右のところから細く階段が伸びているし、ぼやけてはいても「純喫茶 若松」と書いてある。2階の壁には舵輪を思わせる何かと、くすんだ赤色のオーニング。確かに若松は存在していた。階段の上の照明も灯されていて、どうやら普通に営業しているようだった。ならば行くしかない……入店。そのためにわざわざ松戸まで来たのだから。1961年か1962年、そのあたりの頃に創業した老舗だと聞いている。

  • 旧秋田銀行本店本館(赤れんが郷土館)を見学 - 塔の天辺のベレー帽|秋田県・秋田市の近代建築

    明治45(1912)年に竣工した近代建築。クリームチーズやスポンジで構成された断面を連想させる、層の重なり。灰色の部分を縞模様に露出して、それ以外の部分に白い磁器タイルを張って覆った、1階の外壁。なめらかなババロア。対比となる鮮やかな2階部分は化粧赤煉瓦によるもので、こんがりと焼いたビスケットのようだった。正面玄関のある側から見ると綺麗な四角に収まっている印象を受けるが、角度を変えて眺めてみると、また異なる表情を見せてくれる。あの塔。横に立つと建物の両端に2本(写真だともう1本は隠れている)、上へ突き出た塔があると分かる。

  • それなりに可哀想なヒンドリーと「もういないはずの者」の名を持つ魔物 - エミリー・ブロンテ《嵐が丘》Ⅱ|19世紀イギリスの文学

    ヒンドリー・アーンショウ。キャサリンの兄であり、フランセスと結婚してヘアトンの父となった人物……。妻が亡くなってから、すっかり飲んだくれになってしまった暴力男。実のところ、ヒンドリーに対する自分の感覚にはずっと疑問を抱いていた。普段なら多分、私は「嵐が丘」という作品に描かれた彼の姿を、「かなり同情されるべき存在」として捉えていたと思う。不運で不遇な者、かつ悲劇に巻き込まれた側であると認識して。

  • 旧本所の喫茶店にて|ほぼ500文字の回想

    東京、墨田の旧本所で「豆板」というお菓子を作っている会社の、周囲から会長と呼ばれていたおじいさんと話した。初めて訪れた喫茶店の常連さんだった。会長……とは何をする役職なのだろう、私はよく知らない。その人のお父様が昭和2(1927)年に創業した製菓会社だと仰っていたので、もしかしたら2代目社長で、今は席を後継の3代目に譲って会長を務めているのかもしれない。

  • 【墨田区】ゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」ロケ地の散策メモ

    今年の4月は、昭和後期×オカルトブーム要素が取り入れられたゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」のおかげで趣味の散歩がさらに楽しくなった。ありがたい。東京都墨田区内でゆかりの地をぶらぶら巡り、記録しました。公式からロケ地として公表されている場所もあればそうでない場所(作中の背景グラフィックから個人的に予想・特定した)もあり、後者の場合は実際の施設名や場所名を伏せ、詳細が分からないよう番地部分などをモザイク処理した写真を掲載します。

  • 喫茶店 フローラ - 豊穣の女神のサロンに並ぶしましまの椅子|東京都・墨田区

    フローラ(Flora)。聞くと、梶井基次郎の小説「城のある町にて」の一節が頭に浮かぶ言葉。これは春の季節と豊穣を司る女神の名前で、さらに、墨田区東駒形に存在している小さな喫茶店の店名でもあるのだった。開業する時お店の繁栄を願いつつ、占いの結果をもとにして選ばれたという「フローラ」のカタカナ4文字は、女神の纏う衣がなびくような曲線を描いて外の看板に刻まれている。

  • 無題

    // 風に散らされた花びらの滞空時間は意外と長い。 無為に眺めていると、いつまでも地面につかずに漂っている。ひとつに視線を注ぐのに飽きる暇もなく、今度は別の一枚が、また斜め上から降ってきて………そんな風に延々と絶えることがなかった。 遊歩道と言ってよいのか分からないが、近隣の住宅地の裏にある、舗装された一角に沿って桜の樹が植えられている。 歩行するための狭い道なので、敷物を広げられるような面積はなく、ゆえに昼間は花見目的の人間が集まらない区画。そこを誰もが通り過ぎていく。わずかに湾曲して屋根のようになった枝の、花を溢れるほどに抱えた腕の下を。 周辺の様相が変化し始めるのは、陽が落ちてしばらくし…

  • 洋燈の花、旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」- 不可視の渡り廊下を歩いて|青森県・五所川原市の近代遺産

    // 家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われて来るものです、と答えた。 (新潮文庫「津軽」(2022) 太宰治 p.158) この照明器具は後から見学展示室の方に取り付けられたものであって、別に昔からあるものではないのだけれど、佇まいが好きだった。 燭台を象った光源部分をガラスの板が囲み、何かの儀式みたいな様相を見せている。全部で12枚、焚き火の周りに人が集っているような。そうして下からよく観察してみると、ひとつひとつの板の真ん中には星の意匠が施されていた。 植…

  • 宇田和子「ブロンテ姉妹の食生活:生涯、作品、社会をもとに」プディング、は料理かデザートか?|ほぼ500文字の感想

    イギリス文学に頻繁に登場するプディング(pudding)とは一体何なのか。物語の舞台や年代によって、それは肉料理であったり、デザートであったりする。基本的に「蒸した料理の総称」であるプディングはどちらの姿でもあり得る。私が現地で食べたヨークシャー・プディングはローストビーフの付け合わせで、まるで、ふわふわしたパンのようだった様子を思い出せる。

  • 角を曲がればネッスルコーヒーに当たる

    もう営業されていない商店の建物だった。道路に面したファサードの上部が平たくなっていて、大きく店名が書いてある典型的な造り、これは誰が見てもそうと分かる「らしい」佇まい。つやのある、たばこ小賣所と書かれたホーロー看板(琺瑯風の看板)。周辺は全体的にあまり古い建物が残っている場所ではないので、野生のものをこうして見られる機会は少なく、かなり珍しい。

  • 昭和後期×オカルトブームADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」感想

    ホラーミステリーADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」をプレイした。いつもは明治・大正時代から昭和"初期"にかけて生まれた近代遺産を巡ったり、当時の文化に思いを馳せたり、関連する文学作品などを楽しんだりしているこのブログの管理人。パラノマサイトの舞台は昭和後期の東京で、作中に「高度経済成長期に発展」した企業〈ヒハク石鹸〉などが登場するところを見ると、西暦1970年代でも特に73年以降の設定なのだと思われる。いわゆるオカルトブームの渦中にあった世の中。なので、だいぶ日頃の興味の範囲よりは後の時代だ。

  • 鉄道、辨當、食堂車|ほぼ500文字の回想

    お弁当に限らず、旅客を乗せ中距離以上を走る鉄道と食事とは不可分で、現在と異なり20世紀までは多くの路線で「食堂車」を有した列車が運行していた。在来線の特急でも。まるっきり私の記憶にはない時代。夏目漱石の小説「虞美人草」にも食堂車の「ハムエクス」が登場する。車内食、というだけで美味しそうに聞こえるのは、一体なぜなのだろう……。

  • 身不知(みしらず)の柿を食べた夜 - 居酒屋《ぼろ蔵》福島県・会津若松

    明かりの灯った小さな店舗。古い蔵を改装し営業している居酒屋で、名前もそのまま「ぼろ蔵」という。飲みながら食べたものは揚げ餃子、ほっけの塩焼き、そして玄米おこげのチーズ焼き。どれも日本酒に合う美味しい料理だった。玄米おこげのチーズ焼きに関しては私がいちばん好きだと思ったもので、爆速で平らげてしまったため、残念ながら紹介できる写真がない。笑うところ。パリパリになった香ばしいお米のおこげの上に、味に深みを与える黒い海苔が敷かれていて、最後にとろけたチーズが全体を包括してくれる感じだった。おすすめできる。

  • 小説作品が「不快なもの」という言葉で紹介され、出版社側のKADOKAWA公式がそれを特に是正せず引用していたこと

    「限られた人生の時間を、わざわざ不快なものを見て消費したい方にオススメ」……この言葉が組み込まれた投稿を引用し、それに便乗する形で、公式アカウント「KADOKAWAさん@本の情報」により6つの作品が紹介された。これといった語句の訂正などが行われることなく。作品タイトルが挙げられているランキングが実際「最悪なランキング」と称されている部分にも触れられず、この言葉に関しても特に否定されていない。

  • あまいは砂糖の甘さに非ず

    芳春が過ぎゆくと、徐々に桜の枝先から萌す新しい青い芽。それは、この時期に見られる中でも「あまい」ものの筆頭である。確かな光沢があるのに、どこかしっとりとした風貌。ごく細かい産毛でも生えているかのような表面。ある程度面積が増えると葉の表と裏でも質感、色が変化してくる。指で折り曲げてみても離せばすぐ元の形に戻る姿は、単純に伸びようとする意志を感じさせるから好ましい。新芽を前にして「おいしそうだねぇ」と、いつか誰かに言われたことを思い出す。

  • 月の女神と街路樹

    彼らの孤独について教えてくれたのは、本だった。ドイツに生まれ、営林署での勤務経験があるペーター・ヴォールレーベンの著した『樹木たちの知られざる生活:森林管理官が聴いた森の声』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)では、森林の樹木たちがどれだけ社会形成を重んじるのかと、それに比べて、市街地に植樹で連れてこられた木がいかに孤独に存在しているのかが述べられている。

  • 【宿泊記録】窓に障子、中町フジグランドホテル - 七日町や栄町散策の拠点として|福島県・会津若松

    11月の会津若松では、夜の空気は刺さるような冷たさだった。文字通りに痛いくらいの。過ごしやすかった昼間の日差しが嘘のように、みるみるうちに天が青く、暗くなり、やがて思わず首を引っ込めてしまう程の容赦ない風が顔に吹きつけるようになる。宿泊したフジグランドホテルには、立地の異なるふたつの建物がある。ひとつは駅前で、もうひとつは鶴ヶ城方面の七日町に近い方。今回利用したのは後者だった。

  • 夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学

    武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に侮られたり、立場が下だと認識されたり、あるいは取るに足らない存在だとして無視されたりするもの。たとえ気が付かなくても。だから誇りを失わないため、身を守るために誰もが(無意識にも)武装しているのが、実に疲れることだなと思う。

  • 【宿泊記録】デュークスホテル博多にて - 和・洋・粥から選べる朝食、駅西側から徒歩2分|九州・福岡ひとり旅

    羽田を出、博多空港に到着してから筑豊の新飯塚に向かった日、旧伊藤伝衛門邸を見学してから夜にまた博多駅まで戻ってきた。翌日朝に小倉へ移動して、今度は田川伊田の三井炭鉱跡まで行くために。デュークスホテル博多は、予約サイトで見たロビーの写真がなんとなく気に入っただけの理由で選んだ。赤いカーペットの上にアンティーク家具などが並べられている。

  • 文明と「非人情」とつやつやの羊羹 - 夏目漱石《草枕》日本の近代文学

    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」この作品の冒頭は至るところで引用されている。……が、せっかく「草枕」が全体を通して大変にキレッキレで面白い文章の集積であることを考えると、冒頭だけが切り取られて流布し、肝心の内容が知られていないのは、かなり惜しい。

  • 水の町・大垣に建つ城と、謎多き関ケ原ウォーランドへ……|岐阜県南部旅行(4)

    外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名残だ。流れを覗き込めば底に生える草が光を反射して色鮮やか。密集したそれらが水の軌道に沿って葉を揺らす様子は、まるで巨大な動物の背か、その美麗なたてがみを眺めているようだと思わされる。あるいは竜でも沈んでいるのだろうか。そこまでとは言わずとも、以前は城を守る堀でもあった水路の数々だから、敵襲に際しては兵の道を阻む存在として目覚め立ちはだかったのだと考えれば面白いし、妄想が捗った。城へ向かう道の角に面した地点で木の橋を渡って、浮足立つままに靴音を鳴らす。

  • 体感するモダンアート《養老天命反転地》と大正時代の擬洋風駅舎|岐阜県南部旅行(3)

    目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた。 名前を《養老天命反転地》という。 、 思い返せば、小中学校の美術の教科書のどれかには確かにその写真が載っていたし、設計を手掛けた荒川修作は芸術界の超有名人。調べると、かなり大規模な体感型の作品…… というよりかアスレチックのような施設に見えた。また、共に制作に携わった米国の詩人、マドリン・ギンズがそこにどんな要素を加えたのかも見逃せない。

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