キャンディ中心部にある古い、英国植民地時代に建てられたコロニアルスタイルの宿泊施設はクイーンズホテルという。個人的に好きな「偽物の自然」の風情ある人工池の周辺を歩き回っていると大通り沿いに見えてきて、外壁が白く、規模も大きいのでよく目立った。有名なエサラ・ペラヘラ祭の時期などは特に予約で溢れ、行列が見える部屋の値段も高騰するのだろう。
躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。
実績・寄稿記事一覧: https://www.chinorandom.com/archive/category/%E5%A4%96%E9%83%A8%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B
マキリップ《アトリックス・ウルフの呪文書》土地を愛した老魔法使い、森の女王の娘、魔法を学ぶ王弟の歩む道はいかにして交わるのか
カルデスとペルシールの間に戦が起こった。放っておけば、美しき山々と魔法学院を擁する土地ショームナルド……山羊飼いやさすらい人たちの憩いの地も、間違いなく巻き込まれる戦だった。それを止めるため、通常であれば力のバランスを保つため人界にはかかわらない魔法使いの長老、アトリックス・ウルフはカルデスの陣地に赴いた。自ら王を説得するために。しかし彼の訴えはカルデス公から退けられる。ただ何かを得るための争いを正当だと思っている王に、それがどれほどの惨禍を生むのか説く、アトリックスの言葉は全く通じない。どころか「我々に手を貸してくれればショームナルドを荒らしはしない」と持ち掛けてきた王に対し、老魔法使いの怒りは爆発する。結果、雪の中に「闇の乗り手」が現れた。
// 前回「卵」の続き 風邪をひき始めた予感がする。普通の症状とは異なる頭痛がしていて、けれど発熱はない。 寝入りばなに私は特定の夢のことを思い出す。ビルの隅に産みつけられていた鳩の卵を見て思い出した、夢。それは、自分がかなり胴の太い大きな大きな蛇になって、ゆっくり鳥の卵を飲みこむというものだった。 世界には卵から生まれてくるものが無数にある中で、どうしてそれが鳥だと限定されているのかは分からない。けれど、鳥でなくてはならなかった。 夢のその卵には温かさがない。殻の内側にやがて雛となる材料を蓄えているとは思えないくらいに、重く、冷たい。土や石でできているみたいに。蛇は、巣の中にふたつ並んでいる…
2024年上半期のお茶紀行③ 緑茶・青茶・黒茶・ハーブティー編
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった青茶や緑茶など、中国および台湾で産出されるお茶や、緑茶をベースに香りが付けられたフレーバードティーおよびハーブティーの記録。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。紅茶以上に初心者の分野なので、手探りしながら道を進みつつ、またこれから新しいお茶に出会うのが楽しみ。
「ブログリーダー」を活用して、千野さんをフォローしませんか?
キャンディ中心部にある古い、英国植民地時代に建てられたコロニアルスタイルの宿泊施設はクイーンズホテルという。個人的に好きな「偽物の自然」の風情ある人工池の周辺を歩き回っていると大通り沿いに見えてきて、外壁が白く、規模も大きいのでよく目立った。有名なエサラ・ペラヘラ祭の時期などは特に予約で溢れ、行列が見える部屋の値段も高騰するのだろう。
以下の文章は2023年1月15日発行、大阪大学感傷マゾ研究会様の会誌『青春ヘラver.6 〈情緒終末旅行〉』に寄稿したものです。 個人ブログでの公開が可能と告知されましたのでこちらに掲載いたします。 《白昼の歓楽街、取り残された街》 特定の種類の場所に旅行で赴くと、必ず、脳裏に浮かぶ出来事がある。 「おい、ハチがいるぞ」 後部座席の方から低い声が発され、陽が落ちた田舎道を走る路線バスの車内に、困惑の一点が落とされた。 「ハチがいる」 二回目。今度はさっきよりも、明瞭に響く声量で。 バスの乗客たちが、にわかに緊迫した空気を醸し出す。どこか危機感のにじむ、擦り切れた畳の表面のように、ささくれ立った…
何の変哲もない飛行機内の紅茶から、すでに旅への期待が高まっていく。いわゆるコロナ禍の影響をずっと受けていたため、国外へ足を運ぶのすら数年ぶり、という驚きがある。それでもだんだん思い出してきた。こうした旅は、たとえ頻繁でなくても、確かに自分の日常と人生の一部であったことを。願わくは、今後もそのようにあれますよう。
今回、食事と入浴を合わせた3時間滞在のプランで利用したのは、明治35(1902)年創業の元湯玉川館。現代ではドラマ『相棒』の撮影で使われたり、過去には漫画『のらくろ』の著者である田河水泡や童謡『夕焼小焼』の作詞を行った中村雨紅が逗留していたりと、時代を超えて多くの人々に親しまれている旅館のよう。
しばらく前からこちらの方と一緒に暮らしています。関節部分が球体で、透き通るような美しい瞳は着脱可能な頭部のつくり。黒いドレスとヘッドドレスを本体とは別途で購入しました。合わせようと思ってもあまり目が合わないところが最大の魅力で、まさしく「ここ」ではなく、より洗練された世界の方をいつも眺めているのだろうと感じさせる表情には畏敬の念を抱くしかありません。
ハーディング作品で最初に手に取ったのは『カッコーの歌』だった。英国幻想文学大賞受賞、そしてカーネギー賞の最終候補作。あらすじに惹かれたのか、表紙が印象に残ったのか……もう覚えていないけれど、とにかく仕事帰りに書店で購入していて、しばらく本棚で寝かせていた。そうしたらBlueskyのフォロワーさんが感想を呟いており、内容に心を掴まれたのですぐ読み始めることにしたのだった。結果、本当に好きな物語であったので本当に嬉しい。世界から弾かれた者たちを見つめ、慈しむ眼差しがあり、さらにまぎれもなく児童書の系譜に属する要素を持ったおはなし。
カルデスとペルシールの間に戦が起こった。放っておけば、美しき山々と魔法学院を擁する土地ショームナルド……山羊飼いやさすらい人たちの憩いの地も、間違いなく巻き込まれる戦だった。それを止めるため、通常であれば力のバランスを保つため人界にはかかわらない魔法使いの長老、アトリックス・ウルフはカルデスの陣地に赴いた。自ら王を説得するために。しかし彼の訴えはカルデス公から退けられる。ただ何かを得るための争いを正当だと思っている王に、それがどれほどの惨禍を生むのか説く、アトリックスの言葉は全く通じない。どころか「我々に手を貸してくれればショームナルドを荒らしはしない」と持ち掛けてきた王に対し、老魔法使いの怒りは爆発する。結果、雪の中に「闇の乗り手」が現れた。
// 前回「卵」の続き 風邪をひき始めた予感がする。普通の症状とは異なる頭痛がしていて、けれど発熱はない。 寝入りばなに私は特定の夢のことを思い出す。ビルの隅に産みつけられていた鳩の卵を見て思い出した、夢。それは、自分がかなり胴の太い大きな大きな蛇になって、ゆっくり鳥の卵を飲みこむというものだった。 世界には卵から生まれてくるものが無数にある中で、どうしてそれが鳥だと限定されているのかは分からない。けれど、鳥でなくてはならなかった。 夢のその卵には温かさがない。殻の内側にやがて雛となる材料を蓄えているとは思えないくらいに、重く、冷たい。土や石でできているみたいに。蛇は、巣の中にふたつ並んでいる…
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった青茶や緑茶など、中国および台湾で産出されるお茶や、緑茶をベースに香りが付けられたフレーバードティーおよびハーブティーの記録。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。紅茶以上に初心者の分野なので、手探りしながら道を進みつつ、またこれから新しいお茶に出会うのが楽しみ。
①に引き続き、こちらは第2弾。各種フレーバードティーや、色々な販売元が取り扱っているブレンド系の紅茶の感想を格納します。緑茶ベースのものは含まれませんので次回記事の更新をお待ちください……。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも掲載。
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった紅茶の記録。各種フレーバードやブレンドを除く、単一農園(シングルオリジン)の感想を格納します。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。振り返ってみると意外にもブレンド系を多く飲んでいたようで、本当に単一茶園の葉のみで構成されているものは少なめ。今後も引き続き、また徐々に手を伸ばしていければ、と思います。
ヘッセの『デミアン』が本棚にあるはずだと思ってしばらく探し、見つけられず、そんなはずはないと念のためkindleを確認したら電子版で持っていた。実際に紙で所持している同著者の作品は『車輪の下』と『シッダールタ』で、それらと混同していたらしい。卵に関して言及された部分を引用したかったのは、外で実際に卵を見つけたから。さほど大きくはない鳥の卵。巣の中に、ふたつ。場所は外出先のビルの一角であった。
もう絵を描く機会などあるまい。全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。つまりはまた、絵を描き始めたということだ。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…
昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。
でんわ☎でんわ 楕円形の看板を一瞥して中に入る。日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。ソーダ水にしよう。店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれが炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。
ページを開いて眼で文字をひとつひとつ飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、図書館のそばで拾われた孤児で、今は書記として働くネペンテスが捕らえられた魔力というのは、実は単なる例えとは種類を異にする、ある特定の魔法らしかった。茨のような形をした、文字。綴られているのは、かつて世界を征服したとされる伝説上の人物「アクシスとケイン」の物語。
扉を開けて外に出た瞬間、よかった、やっぱり来てよかった、といつも思える喫茶店。今年の晩春に訪れていたJR中山駅前の喫茶店、バウハウス。ふたたび足を運んだら、前はあったあれが無いな、と思っていた緑のカーテンが復活していて喜んだ。何とも言えない薄く軽やかな素材のカーテン。ワッフルのような格子状の網目によって生み出される奥行きと、深みのある色合い。
大きな窓の上に穴を開け、そこに紐が通されたような商品を1つ買った。紐は赤、白、交互にねじられて、ステッキ型のキャンディを彷彿とさせる趣。口に入れたら甘いかも。深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側では、たっぷりとした赤い布の服をまとうおじいさんが大きな布袋(革袋、かもしれない)を両手で逆さにし、明かりが漏れる建物の中へと大量の小箱を注いでいる。翼を持つふたりの天使たちがその傍らで果物を抱え、もうひとりは地面に落とした幾つかを拾いながら、順番を待っている。右下に金で記されたA Joyful Yuletideの文字。少し、古めかしい語句だ。ア・ジョイフル・ユールタイド。
先日クラフトコーラの原液を買ってきて、炭酸水で割ったら、きれいな金色になった。少しもアルコールの含まれていない、炭酸と各種香辛料だけがぱちぱちと刺激的な甘い飲み物だけれど、想像力を駆使して杯を傾ければちゃんとワームスプアーの模造品になる。精神を研ぎ澄まして、確かに黄金色のお酒なのだと念じて。勢いよく飲むとむせてしまうところなどは結構似ているのだから。100円ショップのグラスに、同じ100円ショップで見つけた、柄の末尾の方に水晶を思わせる飾りがついているスプーンをマドラー代わりに添えても、氷と鉱山の島ホアズブレスを連想させられるようになって楽しかった。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…
昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。
でんわ☎でんわ 楕円形の看板を一瞥して中に入る。日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。ソーダ水にしよう。店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれが炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。
ページを開いて眼で文字をひとつひとつ飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、図書館のそばで拾われた孤児で、今は書記として働くネペンテスが捕らえられた魔力というのは、実は単なる例えとは種類を異にする、ある特定の魔法らしかった。茨のような形をした、文字。綴られているのは、かつて世界を征服したとされる伝説上の人物「アクシスとケイン」の物語。
扉を開けて外に出た瞬間、よかった、やっぱり来てよかった、といつも思える喫茶店。今年の晩春に訪れていたJR中山駅前の喫茶店、バウハウス。ふたたび足を運んだら、前はあったあれが無いな、と思っていた緑のカーテンが復活していて喜んだ。何とも言えない薄く軽やかな素材のカーテン。ワッフルのような格子状の網目によって生み出される奥行きと、深みのある色合い。
大きな窓の上に穴を開け、そこに紐が通されたような商品を1つ買った。紐は赤、白、交互にねじられて、ステッキ型のキャンディを彷彿とさせる趣。口に入れたら甘いかも。深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側では、たっぷりとした赤い布の服をまとうおじいさんが大きな布袋(革袋、かもしれない)を両手で逆さにし、明かりが漏れる建物の中へと大量の小箱を注いでいる。翼を持つふたりの天使たちがその傍らで果物を抱え、もうひとりは地面に落とした幾つかを拾いながら、順番を待っている。右下に金で記されたA Joyful Yuletideの文字。少し、古めかしい語句だ。ア・ジョイフル・ユールタイド。
先日クラフトコーラの原液を買ってきて、炭酸水で割ったら、きれいな金色になった。少しもアルコールの含まれていない、炭酸と各種香辛料だけがぱちぱちと刺激的な甘い飲み物だけれど、想像力を駆使して杯を傾ければちゃんとワームスプアーの模造品になる。精神を研ぎ澄まして、確かに黄金色のお酒なのだと念じて。勢いよく飲むとむせてしまうところなどは結構似ているのだから。100円ショップのグラスに、同じ100円ショップで見つけた、柄の末尾の方に水晶を思わせる飾りがついているスプーンをマドラー代わりに添えても、氷と鉱山の島ホアズブレスを連想させられるようになって楽しかった。
もっとも厄介なのは、相手から要求されることではない。そう思う。厄介で恐ろしいのは、自発的に、心の一部ならすすんで差し出してもいいと思わされてしまうこと。加えて、そう思わされる状況に置かれることの方。だから、広義の恋は劇物なのだ。毒どころの話ではなく、文字通りに劇的に甚だしく、生物の息の根を止めてしまう。
私は熱いものを食べたり飲んだりするのが非常に苦手なのだけれど、思えば、いつもそのことを半分くらい忘れている。ぐらぐら煮立ったお湯から抽出したばかりのお茶を前にしている時であっても。今の季節のように室温が低いとなおさら油断が生じるのかもしれない。さっきも少し勢いよく液体を吸い込んでしまって、口内の上顎の方が腫れた。夜のあいだ何かを読むための用意として、でも一般的には眠る前に推奨されるようなノンカフェインの飲み物が全く好きではないので、用意したのはシンガポールのお茶屋TWG Teaのジャスミンクイーン。
ハガード王が治める街ハグスゲイトの住民たちも、彼と同じく「何物も永遠には続かぬ」を理由として何にも愛着を持てずにいる。魔女が城にかけた呪いの予言によって、いかなる事物もどうせ未来に失われることが分かってしまっているから、幸福な状態になることができないのだ。手に入れた喜びが、いつか確実に消えてしまう、と判明している状態で、どうしてそれに心を傾けることができるだろう? 確実なのは、ハガードがいる限り、現在いるハグスゲイトの民たちは他と違って何不自由なく良い暮らしができ、富むことができるというだけ。予言が成就する前ならば。
滋賀から遠く離れた東京都にも「琵琶湖」があるらしい。それは喫茶店の姿をしていて、建物のように装っていながら、あの静かで広大な湖面に宿る心を内に秘めている。扉を開ければいつでも、あの場所の空気に包まれる……かもしれない。また近江八幡に行きたくなってきた。大田区、蒲田。
先日読み終わった3部作「イルスの竪琴 (The Riddle-Master trilogy)」の余韻に浸りながら、さらにこれまで読んだ作品との関連も含めて、パトリシア・マキリップの描く物語に繰り返し登場するいくつかの要素を考えていた。特に「妖女サイベルの呼び声」と「オドの魔法学校」を並べてみながら……。私はマキリップの作品を読んでいて(もちろん、彼女の作品に限った話ではないのだけれど)複数の共通点を持つモチーフや登場人物、出来事などに出会うたび、それは「とあるひとつの物語が枝分かれした結果として生まれたもの」であるように感じる瞬間がよくあった。もしくは、同じ世界を舞台にした異なる時代の話が語られているのであったり、特定の場所で起こったはずのことや起らなかったはずのことが、別の作品として描かれていたりするのではないか……というような。
「そなたが、私がこれほどまでに愛した者でなければよかったのに」……人間が抱きうる欲望のうち、知を求める気持ちは私がとりわけ愛おしいと感じるもので、けれど同時に「知りたい」というのはとても危険な願いの発露でもあると分かっている。ある問いにうっかり手を伸ばした瞬間、その勇気ある頼りない腕は恐ろしいほどの力で何かに引っ張られてしまい、身体ごと容易にはこちらの世界に戻ってこられなくなる。おそらくはモルゴンがそうだったように、彼を見ていた私もそうなってしまった。
人間が存在して、寝たり、起きたり、働いたりしてまた眠り、目覚める、その繰り返しにこれといった意味を見出せない。だから、単純に生活するだけではいくら頑張っても精神面の充足が得られず、あまり熱心に取り組む気になれないしときどき疲れてしまう。
原文「Od Magic」から、日本語版「オドの魔法学校」原島文世訳の方に切り替えて再読した。故郷であるヌミス王国北方の辺境で、植物や動物などの声を聴き暮らしていたブレンダンは、ある日〈オド〉と名乗る女巨人に魔法の才を見出され都のケリオールへと赴く。庭師の仕事がある、と言われて。なかなか都の暮らしに慣れない彼は、ある日、学校の庭で不思議なものを見つけた……。
宿屋か雑貨屋か、飲食店か分からないけれど、とにかくもう営業をしているようではなく、ただ奥の方が引き続き住居として使われているみたいな印象を受けた。ガラスの内側、手前には段ボールが置かれていたり、簡易的な椅子や机が見えたり。そこに1匹の犬がいた。床に身体を伏せた状態から首をもたげて、通りがかった私の影に反応するように顔を上げていた。体長は、丸まった状態で抱え上げられるかどうか判断に迷うくらい、いわば中型の成犬、毛は短くて真白い色。尻尾は細長くもふんわりと。耳はぴんとした三角形で、鼻は桃色だった。表面がわずかに濡れて陽に当たり、光っていた。
マストドン上の読書タグの投稿を見て、そういえばこちらのタイトル、確か自分の本棚にも(かなーり前から)放置してあったのでは……と積読していたのを出してきた。表紙が真っ赤。西加奈子「通天閣」は、果たしてどこで買ったのか覚えていない。
作中で「消失」と称される現象。これは一部の例外を除いた人々から、特定の物事に対する感慨を取り去る。そして「秘密警察」なる組織はそれを推し進める……。例えば香水が消失を迎えれば皆、香水を前にして何の香りも思い出も喚起できなくなり、さらには香水そのものを持ち続けることも秘密警察によって阻まれる。同著者「薬指の標本」も以前手に取っていたから、「密やかな結晶」の作中作(小説)は変奏のよう。
電車の窓からこの建物が見え、それで気になったのがきっかけで、わざわざ足を運ぶ人の数も多いのだと職員さんが言っていた。私達も岡山から快速マリンライナーに乗って来た。方角からすると、坂出駅に停車する直前で気が付く機会があったはずで、けれども白い外壁がまったく視界に入らなかったのは反対側の座席に座っていたからだ。土地全体から見たある場所、位置、という点では変わりがないのに、その一点が線路と車両によって分断されると、片側がすっかり見えなくなる瞬間というのが存在する。
2023年10/2㈪~10/8㈰の日記(順次追加)