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コンクールが終わり、3年生は引退を迎える。短い夏休みを迎え、イキって初めて髪の毛を染めた夏。小心者なので、ちゃっかり始業式には染め直していたのだが。1、2年生のみの体制になり、初めての演奏機会は文化祭である。実のところ、自身のサックスパー
高1の夏が来た。130名部員のいる高校の場合、1軍と2軍に分かれてコンクールに出場することになる。1軍はAチームの50名の部、2軍はDチームの人数制限なしの部Aチームは地区大会から全国大会まであり、Dチームは地区大会1度のみの出場である。
前編はこちら演奏会当日会場入りし、楽器を出そうと楽器置き場に向かうと・・楽器がない・・何と私の使っていた楽器が積み忘れられてしまっていたのだ。パニックになりながらも3年生の先輩に報告する。先輩は男の先輩で、先輩とはいえ当時高校...
高校に入り、初めての演奏会。ここで事件が起こる。前述の通り、130名分の楽器運搬は本当に大変である。未だかつて部員が100人を超えたことはなかったようで、部員そして顧問の先生にとっても初めての経験だったようだ。そしてアルトサックス辺りの.
6月、高校に入り初めての演奏会があった。1年生から3年生まで全員で演奏する。部員130名ともなると、アルトサックスだけでも6名。1stが3人、2ndが3人。自身の中学では考えられないスケール。何もかもが新鮮で、何もかもが刺激的であった。.
私はがっつり一般入試で高校に合格したのであるが、当時は公立高校にも推薦入試があった。その推薦入試で合格できた強者は一体どんな人物たちなのだろう、そう疑問に思っていた。が、その答えは直ぐに出た。そう、部活推薦者が多数であり、吹奏楽部員にも相当
おっかないことに、その吹奏楽部の顧問は某日本最高峰の音楽大学のサックス科を卒業していたお方であった・・マジか・・そんな先生を前に独学でしか楽器を吹いてこなかった人間が楽器を吹いても良いものか。そんなことを思いつつも吹かないことには入れるかも
巨大吹奏楽部への仮入部を経て、本入部を迎えた。同期はなんと58名!考えられない人数・・一気に部員数130名の大所帯に。その当時創部史上最大部員数であった。たまたまサックスパートは先輩が少なく、3年生1名、2年生4名。私の中学とは雲泥の差.
8割方吹奏楽部に入部する心持ちであったが、高校には中学にはなかった剣道部があった。足の両小指の腱鞘炎と極度の冷え性持ちであったが、も既に初段を持っていたため、それを話すと剣道部の先輩が熱心に誘ってくれた。そして軽音楽部もあったのだが、帰宅部
春休みをはさみ、いよいよ高校生活が始まる。中学での経験からとにかくナメられないようにという心持ちであった。いじめられてたまるか。虚勢を張っていた。こう高校が中学から近かったこともあり、20人弱同じ中学から進学した同級生がいた。8クラスあった
高校に入学してからも冷え性は続いていた。自身の高校の制服はブレザー。女子の大半は劇的に短いスカート。1年生当時は第一次期絶滅寸前のルーズソックスというとにかく冷える服装であった。スカートはウエストで数回捲し上げ、スカートの下に履き込む体育着
いよいよ卒業式を迎える。例の3人組は同じクラス。学校では1人増え、4人組になる。一緒に過ごす友達はいたため学校生活は何とか通常通り過ごせていたが、塾ではあの様相。もちろん1人増えることもあり、学校でも全く何も言ってこないわけではなかった。と
2学期後半頃からであろうか。受験勉強真っ只中、塾内で2年次とはまた別の3人組からからかわれるという事象が起きていた。その3人組には2年次共に戦った友も含まれていた。昨日の友は今日の敵何故か偶発的に訪れたモテ期の副反応だったのだろうか。自分の
それなりに毛の生えた程度の受験勉強をし、私立の滑り止めを受け、公立入試を迎えた。例の冷え性からの腹痛は変わらずであった。受験期はとにかく寒い。模試等の会場も受験の会場もとにかく寒い。私のお供はもちろんホカロン。守り神であった。受験する本.
部活を引退し、いよいよ高校受験シーズンを迎える。変わらず塾には6年生から通い続けており、成績はほぼほぼオール4。偏差値でいうと60ちょいといったところであろうか。学年順位はおよそ160名中30〜50位。ギリギリ進学校と呼べる高校に入学でき
季節は巡り、3年生。1人ぼっちのアルトサックスにも1年生の後輩ができた。とはいえ1年生も初心者だったため、私は変わらず卒業まで1stパート。今考えると本当に贅沢なこと。丸2年1人で1stパートのみ。どこぞの首席奏者か。まあソプラノサック.
2年生になり、ゆるめな活動の日々。変わらずコンクールは参加賞。アンサンブルコンテストに至ってはエントリーせず。秋には文化祭からの体育祭。体育祭にて3年生が引退し、最高学年に。部活動以外の問題が多かった2年次であったが、サックス歴も1年を越
人生において誰しもモテ期が3回くるというが、私のモテ期は間違いなく中3であった。どんな風の吹き回しか、中3の2学期頃から受験期前までモテ期が来ていた。たまたまクラスのメンツがそうさせたのか、同じクラスの数人からアプローチをいただいた。そして
季節は夏。新顧問が赴任してはや3ヶ月。少しずつ顧問との関係も良くなってきていた。とにかくダジャレ好きな顧問。そんな先生の口癖は、解散!集合〜!毎日の部活開始のミーティングの最後に掛ける謎の掛け声。その心は、ミーティングを解散!...
中2シーズンが始まった。まだまだ顧問とのやり取りもぎこちない。新顧問になり、かろうじて部活自体は毎日あったが、部活終了時間になると即下校を促され、前顧問と比べ部活の時間は圧倒的に短くなった。そして合奏時以外はほぼ部員のみの活動。一応前顧
3月末にやってくるのが先生たちの転任。なんと、私たちの顧問が3月末で転任することになったのだ。それもなかなかの強豪校へ・・やはりなという気持ちの反面、悲しくもあり、いや、待てよ、次の顧問はどんな顧問になるんだ・・という何とも複雑な感情.
時は冬を経て春先。卒業の季節。卒業式での演奏も、吹奏楽部の務め。アルトサックスの3年生が引退してからというもの、アルト担当の部員は楽器歴半年ほどの私のみとなっていた。もちろん楽譜は全て1st。いかんせん吹奏楽においてアルトサックスという
小柄な私にも生理がきた。中2の冬。14歳。クラスでも1、2を争う遅さであったと思う。学校から帰宅後、母に告げると満面の笑みでお赤飯を炊いてくれた。何でもない日に急に食卓に並ぶ父の好物のお赤飯。さすがの父も勘付いたであろう。...
季節は秋。一応顧問が歴代強豪校の指導をしていたため、私たちもアンサンブルコンテストに出場することになった。しかし何せ10人以上の3年生が引退してしまい、2年生は5〜6名、1年生は12〜3名ほどというそもそもアンサンブルメンバーほどの部員
季節は夏。人生初のコンクールシーズン。とはいえ、私の学校は毎年地区大会ですら賞の取れない弱小校。部員も30人程のため、35人編成の部に出場していた。コンクールからは1年生も全員参加する。3年生にアルトサックスの先輩がいたため、私はアル.
そんなこんなで練習の日々を経て、何となく楽器も吹けるようになってきた初夏。1年生が入部後初めての演奏会の本番にのるには、顧問のGOをもらう必要があった。GOのサインは本番の曲目の譜面の配布。私たちの学年は、全員担当楽器初心者だったため、ス
いよいよ中学に入学後、仮入部を経て本入部となる。同じピアノ教室の先輩もおり、同期の部員も12〜3人と小規模な中学の割にはそこそこ人数も集まっていた。3年生も10人以上の部員がおり、30人程の吹奏楽部。入部したからには決めなければいけない
吹奏楽との出会いは、中学入学前にさかのぼる。ピアノ教室でいつも私の次にレッスンを受けていた1学年上の先輩が、一足早く吹奏楽部に入っていた。特に1つ上の学年の部員は少なく、とても熱心に私のことも吹奏楽部に誘ってくれた。もともと剣道も習って
もちろん中学の頃も冷えとの闘いであった。小学校と比べ、煙突付きのストーブは置き型のヒーターになり、制服やジャージ等も着込みたいだけ着込めるようになった。しかし、変わらず学校というところは何故あんなにも寒いのであろう。腹痛との闘いは続いて
何を隠そう私と同じく、我が父もなかなかの冷え性であった。中でも昔からトイレがとにかく近かったそうだ。その最たるエピソードが電車に乗るとすぐにトイレに行きたくなるそうで、山手線の駅のトイレの場所をほぼ把握していたとかしていなかったとか。確か
極度の冷え性ながら、剣道を自身の小学校の体育館で習っていた私。言わずもがな冬場は寒くて寒くて仕方がなかった。何せ裸足。何せフローリングの体育館の床。まるで氷の上を歩いている様な感覚。もちろん動けば寒くはなくなるのだが、身体が温まるまでは
ここから少しずつ病気にスポットを当てた記事を書いていこうと思う。自分が極度の冷え性だということを自覚したのが小学校高学年の頃。20年以上前の小学校では、真冬でも体育の時などは、強制的に半袖半ズボンにならなくてはならなかった。そして当時の私の
その①校内ヒエラルキーはこちらその②UZAはこちらその③限界突破はこちらその④エスケープはこちらその⑤遠吠えはこちらその⑥音楽室はこちらその⑦覚悟はこちらその⑧...
その①校内ヒエラルキーはこちらその②UZAはこちらその③限界突破はこちらその④エスケープはこちらその⑤遠吠えはこちらその⑥音楽室はこちらその⑦覚悟はこちらその⑧...
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