人の健幸、健康の促進に努めてきました。自身もこのメソッドで心身共に健幸に過ごしてきました。ところが、ある日突然「がん宣告」を受けました。がんだということがわかり、ステージ3という事実があったとしても、人は幸せに生きることができます。
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クリニックにあるキャレモジの中に「何処 此処」という私の作品があります。 英語で綴ると No / where Now / here となります。 どこで切るかで、まったく反対の意味になります。 今、あなたが探しているものは何処にあるのか、いや、此処にあるとなります。 「何」と「此」と字を変えてだけで、日本語も一変します。 本当に大切なものは自分には見える外側にあるのではなく、自分の内側にあるのです。 いつも当たり前に日々生きている普段の時間の中に、実は人生の大きな宝物があるのです。かけがえのないいのちを今あなたは持ってい
私は60才の還暦までは働きづめでした。人生の余暇も考え、ようやく趣味を始めてみようと思いつきました。 そこで、様々なやりたい事をひとつひとつ試してみました。日本画、陶芸、料理など人から勧められたりしていました。 そして、私は私の最も苦手な料理を始めてみました。通い始めて2ヶ月経ち、家内から「一度、料理を家でしてみて」と言われ、食材を自分で購入、夕食を作りました。 まずくはなかったのですが、家内から「料理がいいんだけれど、やはり根本的なセンスがないのかなぁ」と言われました。どうも、私の食材や料理にこだわりがないことが大きな原因だったかもしれません。そして料理に3か月でギブアップしま
日野原重明先生に「年老いているということが、もし人が始めるという意味を忘却していなければ、本当に輝かしいことである」と言っています。 これは年齢的な問題ではありません。 癌でもその他の病気でも「始める」という言葉を再確認できます。 それも「始める」のではなく「創める」と言っています。 新しいいのちのを与えてもらった今と今まで生きて来た人生とは違います。だから「創める」なのです。 今までの人生でできなかったことを新しいいのちで「創める」のです。 人は2万2000個の遺伝子を両親からもらって生れて来ています。 でもその大部分はいままで使われてきていません。 今までできないと
患者さんに言葉をかけるとき「幸せになりなさい」とよく言っています。 患者さん達は「えっ、それはそうですが…」という答えが多いです。 「幸せになるために生きているのですよ。」 「では、今日から幸せになりましょう。人が喜ぶことをするといいです。家族や友人に。でもその前に、先ずは自分を幸せにしてあげてください。」 「先ず今日は、自分の食べたいもの、好きなものを食べてください。そして家族にも少しあげてください。そうすると、笑顔が生まれます。そして明日は朝から着たいと思う洋服を着てください。仕舞ってあった洋服でも、一張羅の洋服でも着てください。そうすれば、急に具合が悪くなって、病院に運ば
私は周りの人、家族、スタッフ、患者さん、知人から「よく疲れないですね」とたびたび言われます。私も不思議です。 次から次にやりたい事が出て来てしまうのです。やりたいことをしないと気が収まらないのです。 やりたい事をするためにトレーニングをします。でもそれもやりたい事なので、疲れません。 頭が疲れたり、身体が少し重いことはたまに感じます。 そんな時こそむしろ運動したり、ヨガレッスンを受けたりします。 周りの人から「少し休んだ方がいいです」「休んでください」「ゆっくりしてください」と言われますが、実は休んだりすると却って疲れてしまうことが多いです。 ただ癌の治療をしている時は少し
病院外来での患者さんと接し方が今の形になったのは、30年前の勤務医時代にさか上ります。 勤務医時代の病院は、外来が初診外来、再診外来、産科外来の3人の医師で担当していました。 私はその日は再診外来を担当で、初診と産科外来の2人の医師が両脇に並んでいました。 外来では、厳しい部長に患者さんと接する態度、言葉づかいを一言一句決められていました。その部長が退職した当時は、患者さんとは自由に話ができるようになりました。 その日も、2人の医師たちは患者さんと自由に話していて、患者さんも医師の言葉も納得して聞いていました。 しかし、どんなに丁寧な言葉、親切な言葉で話しても、その医師の普段
がんステージ3となり、今、改めていのちについて考えるようになりました。 医師になってからの勤務医時代に、一体何人の死亡診断書を書いて来たのだろうか。 何人のいのちの終わりを見てきたのだろうか。 そして、その人達の人生を見てこれたのだろうか。 今思うと、その多くは医学的に見た死への道筋しか見ていなかったのではないだろうか。 その人の人生と生き様を、どうして見れなかったのだろうか。 多分、十分に時間があり、十分に話していても、やはりうわべの事しか見られなかったと思います。 やり直せるものなら、死んだ方々の死亡診断書を改めて書いてみたいと思います。 そして、私の最後の脈を一体
クリニックでは、病気に罹って来院するのが普通です。 遊びに来る人はいません。 だからこそ、病気の話すのは当たり前です。 私の外来では、医療以外の世間話などに多くの時間を使いうことが多々あります。 ときに、私や患者さんの子供の頃こと、小学生の頃のこと、幼い頃の呼び名は〇〇ちゃんでしたかとか、話したり聞いたりします。 そうすると患者と医者の関係から人と人の関係に自然になっていきます。 そんな中で健幸の話もします。 何が健幸なのか? いつも言っていることはこちらです。 「健幸は人生の目的ではありません」 「長生きをすることが目的ではありません」 「今を生きることが目的です」
重要なのは、人が本当に喜びを感じるのは自分ではなく、人のためにいのちを使うときということです。 家族のため、友人、知人のため、自分の力の限りのいのちで寄り添うことで、これは本当の意味の自己中心です。 自分だけの幸福ではなく、周りも幸せにできるのが本当の意味での自己中心です。 自分だけの幸せは、心の底からの幸せではありません。 だからこそ、一番大切なのが自分となれば、周りも大切にしなくてはなりません。 簡単なことはバス、電車で人に席を譲る、その人も幸せです。 席を譲った自分も幸せになれます。 以前、私が年上の女性に席を譲ったとき女性から「ありがとうございます」と言われ、私は
日々の外来では、受診者の多くは、様々なストレスを抱えて来院します。 その方は真面目に正直で、一生懸命毎日を過ごしています。 そんな方ほどストレスを自分一人で抱えています。 そして私は、そんな方々に今一番大切にしていることを聞きます。 多くの人は家族です。 即ち、もっとも近しい人を大切に思っています。 そして次に仕事と答えてくれます。 でも私は受診者にこう話します。 「一番大切なのは自分です。何故、自分のことを第一に考えることできないのですか、何故自分を大切にできないのですか。実は、自分が幸せになれば、周囲も幸せになります。」 そこに自分のいのちを注ぐことができるのです。
茶道では、12月は茶室に「無事」という掛け軸をよく見かけます。 「1年間無事に過ごせた、終わった」という意味です。 しかし、誰しも1年間の間、何事もなく無事には終わっていないのが現実社会です。 ケガをしたり、病気になったり、大損をしたり、人と喧嘩したり、別れたり、身近にあった人が亡くなったり。 それでも無事に1年間生きてきたと思えるのは、小さな出来事も大きな出来事も、すべてを受け入れられる人が「無事」と思えるのです。 これを臨済録では「無事これ貴人なり」と言っています。 それは謙虚さと大きな清流のような心と、そして重要なのは燃えるようないのちを持った人です。
周りの医者から「先生は患者さんと毎日話していて疲れないですか」とよく言われます。 実は私は、本当に疲れないのです。 毎日クリニックに色々な患者さんが来てくれて、それだけで楽しい。 そして毎日話ができる。 そして患者さんが少しずつ元気になってくれる、そして患者さんの笑顔が見られるようになる。 こんな素晴らしい毎日を過ごせるのも、すべては患者さんのおかげです。 これが私のいのちの使い方です。 医療に携わって、50年してようやく気がつきました。 人生の後半、特にがんステージ3になり、こんなにも人生が面白いものとは気がつきませんでした。 与えられたいのちの使い方も長い間、気づ
産婦人科医として50年間、勤務医時代はお産に立ち会い、出生届を書いていました。 そして、子宮癌、卵巣癌の手術も日常業務でした。 そして、術後は完治する人もいれば、死に向かって進行する人もいました。 そして、死に立ち会い、死亡診断書も書いていました。 希望して産婦人科生となり、生と死が日常的に存在し、生まれた新生児はその時から死に向かって行くのです。 生まれた時に、誰が新生児の死を想像できるのでしょうか。 逆に死を目前にした時に、誰が生まれた時を想像できるのでしょうか。 医学的な生と死の生命にいのちを注ぐことこそ、いのちを与えることこそが、医療人の原点と思います。 そ
人との出会いは偶然か必然か。 これまでの運命的なめぐり逢いは、5分で決まっていました。 1時間でも決まらず、1年でも決まらず。ただ数秒で運命が決まることもあります。 たまに数年経ってから運命が決まることもあります。 やはりその人の生き方、生き様によって決まるような気がします。 さて、今日の出会いは1分1秒か、今日もクリニックに人がやって来ます。 治るのか、治らないのか、、いや、その人の生きる力を信じて寄り添って、私のいのちを使うしかありません。
私のクリニックには様々な患者さんが来ます。 何を求めて来るのでしょうか。 もちろん、病気を治したいという気持ちが一番だと思います。 でも毎日、患者さんと話していると、どうやらそれだけではないようです。 患者さんに、 「先生と話していると元気になれます。」 「ここにいると笑えるから。」 「先生の顔を見に来ました。」 などとよく言われます。 私も患者さんに 「あまり医療の話をしていませんでしたね。余計な話ばかりですいません。」 と話しますが、患者さんからは 「そこが他のクリニックとは違うんです。だから来てしまいます。」 と答えてくれます。 ある知人から 「横倉
私が茶道を始めたころ、師匠からこう言われました。 「茶道をしていると、横倉恒雄がますます恒雄らしくなります。」 私も、本当の自分が研ぎ澄まされて行くように感じがしています。 そして師匠はこうも言います。 「お茶を点てる人のその時の心情や生き方がそのままお茶の味として現れてきます。」 そして師匠は、稽古のあと毎回聞いてきます。 「今日はどうでしたか。」 私は先日、こう答えました。 「今日の宗風としてできる最高のお点前をしたと思います。そして最高のお茶をお出ししました。」 ようやく最近そんな心境になって来ました。 これも私が癌になり、いのちを意識
私は茶道を習い始めてまだ8年です。 ただ、師匠の他のお弟子さんの3倍以上はお稽古をしてもらっています。 何故、茶道を習っているのか? 趣味でも道楽でもなく、私の健幸概念の中には人が生きる美学が必要不可欠だからです。 ただもう一つの理由は、女性にもてたいからでもあります。 人の『健幸 《けんこう》』を実現するためには、「身体の健康」がまず必要になりますが、これは人が生きるための力(脳力)で、動物としての健康です。 私たちは『人の健幸』を実現しなければなりません。 それには動物的健康の上に、人として生きるための美学が必要となります。 そして、それを実現できる方法が唯一茶道だ
私の大親友は1年半前に突然尿閉が出現し、外来を救急外来を受診したところステージ4の前立腺癌と診断されました。 彼は根っからのscientist(サイエンティスト)で、すべてを科学的に分析して納得します。 そんな彼でもやはり最初のショックは大きかったようです。 私もそれを彼から告げられた時には動揺し、私一人の中に留めることができずに、私の最も信頼できる知人に話し、ようやく私も少し落ち着くことができました。 友人の癌の宣告ですら動揺してしまいます。ましてや自分だった相当動揺すると思います。 そしてその後1カ月余り経った頃、私の健幸外来サロン「無風庵」で、彼を招き一客一亭の茶会を開
私たち人間はほかの動物と違い、『いのち』を意識することができます。 他の動物は、生きるために本能だけで行動しているので、『いのち』を意識することができません。 しかし、私たちも日常の生活の中では、なかなか『いのち』を意識することがほとんどないです。 そんな日常で突然病気にかかり、特に癌などでは改めて自分の『いのち』を意識し始めます。 自分の病気と健康、さらに今までの生活から自分の余命までを考え、自分が死ぬまでの時間まで考え出します。 『いのち』とは、今自分が生きていることを意識できる時間です。 この時間こそ私たち人間は自由に使えます。 そしてその中で最も貴重な時間は、人と
入院中の病棟では、私はベッドに寝ていることがほとんどありませんでした。 病室の椅子に座って、クリニックのスタッフが登録してくれた映画を観るか、病棟のラウンジで本を読んでいるか、まじかに見える朝昼夕夜の東京タワーを見ているか。ブログの原稿書いているかでした。 時々、想い出にふけることもあったり、ラウンジに来る他の患者さんと話すこともありました。 そんな中の一人に、ラウンジではほとんど話したことのない私より年上の男性で、いつも窓際の椅子に座って外ばかり見て一日を過ごしている患者さんがいました。私と他の患者との話を聞いていたのでしょう。 私が毎朝、外来ロビーを10周回っているのを聞い
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