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与えられたいのちの使いかた https://note.com/kenkogairaisalon/n/n3f620c6524d0

人の健幸、健康の促進に努めてきました。自身もこのメソッドで心身共に健幸に過ごしてきました。ところが、ある日突然「がん宣告」を受けました。がんだということがわかり、ステージ3という事実があったとしても、人は幸せに生きることができます。

がんステージ3の医師の独り言
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2021/10/29

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  • 【#054】No/where Now/here

    クリニックにあるキャレモジの中に「何処 此処」という私の作品があります。 英語で綴ると No  /  where Now  /  here となります。 どこで切るかで、まったく反対の意味になります。 今、あなたが探しているものは何処にあるのか、いや、此処にあるとなります。 「何」と「此」と字を変えてだけで、日本語も一変します。 本当に大切なものは自分には見える外側にあるのではなく、自分の内側にあるのです。 いつも当たり前に日々生きている普段の時間の中に、実は人生の大きな宝物があるのです。かけがえのないいのちを今あなたは持ってい

  • 【#053】健幸づくりにもアート性を

    私は60才の還暦までは働きづめでした。人生の余暇も考え、ようやく趣味を始めてみようと思いつきました。 そこで、様々なやりたい事をひとつひとつ試してみました。日本画、陶芸、料理など人から勧められたりしていました。 そして、私は私の最も苦手な料理を始めてみました。通い始めて2ヶ月経ち、家内から「一度、料理を家でしてみて」と言われ、食材を自分で購入、夕食を作りました。 まずくはなかったのですが、家内から「料理がいいんだけれど、やはり根本的なセンスがないのかなぁ」と言われました。どうも、私の食材や料理にこだわりがないことが大きな原因だったかもしれません。そして料理に3か月でギブアップしま

  • 【#052】創める(はじめる)

    日野原重明先生に「年老いているということが、もし人が始めるという意味を忘却していなければ、本当に輝かしいことである」と言っています。 これは年齢的な問題ではありません。 癌でもその他の病気でも「始める」という言葉を再確認できます。 それも「始める」のではなく「創める」と言っています。 新しいいのちのを与えてもらった今と今まで生きて来た人生とは違います。だから「創める」なのです。 今までの人生でできなかったことを新しいいのちで「創める」のです。 人は2万2000個の遺伝子を両親からもらって生れて来ています。 でもその大部分はいままで使われてきていません。 今までできないと

  • 【#051】幸せになりなさい

    患者さんに言葉をかけるとき「幸せになりなさい」とよく言っています。 患者さん達は「えっ、それはそうですが…」という答えが多いです。 「幸せになるために生きているのですよ。」 「では、今日から幸せになりましょう。人が喜ぶことをするといいです。家族や友人に。でもその前に、先ずは自分を幸せにしてあげてください。」 「先ず今日は、自分の食べたいもの、好きなものを食べてください。そして家族にも少しあげてください。そうすると、笑顔が生まれます。そして明日は朝から着たいと思う洋服を着てください。仕舞ってあった洋服でも、一張羅の洋服でも着てください。そうすれば、急に具合が悪くなって、病院に運ば

  • 【#050】スーパー老人

    私は周りの人、家族、スタッフ、患者さん、知人から「よく疲れないですね」とたびたび言われます。私も不思議です。 次から次にやりたい事が出て来てしまうのです。やりたいことをしないと気が収まらないのです。 やりたい事をするためにトレーニングをします。でもそれもやりたい事なので、疲れません。 頭が疲れたり、身体が少し重いことはたまに感じます。 そんな時こそむしろ運動したり、ヨガレッスンを受けたりします。 周りの人から「少し休んだ方がいいです」「休んでください」「ゆっくりしてください」と言われますが、実は休んだりすると却って疲れてしまうことが多いです。 ただ癌の治療をしている時は少し

  • 【#049】横倉クリニックの始まり

    病院外来での患者さんと接し方が今の形になったのは、30年前の勤務医時代にさか上ります。 勤務医時代の病院は、外来が初診外来、再診外来、産科外来の3人の医師で担当していました。 私はその日は再診外来を担当で、初診と産科外来の2人の医師が両脇に並んでいました。 外来では、厳しい部長に患者さんと接する態度、言葉づかいを一言一句決められていました。その部長が退職した当時は、患者さんとは自由に話ができるようになりました。 その日も、2人の医師たちは患者さんと自由に話していて、患者さんも医師の言葉も納得して聞いていました。 しかし、どんなに丁寧な言葉、親切な言葉で話しても、その医師の普段

  • 【#048】がんを患った医師として、今思うこと

    がんステージ3となり、今、改めていのちについて考えるようになりました。 医師になってからの勤務医時代に、一体何人の死亡診断書を書いて来たのだろうか。 何人のいのちの終わりを見てきたのだろうか。 そして、その人達の人生を見てこれたのだろうか。 今思うと、その多くは医学的に見た死への道筋しか見ていなかったのではないだろうか。 その人の人生と生き様を、どうして見れなかったのだろうか。 多分、十分に時間があり、十分に話していても、やはりうわべの事しか見られなかったと思います。 やり直せるものなら、死んだ方々の死亡診断書を改めて書いてみたいと思います。 そして、私の最後の脈を一体

  • 【#047】今を生きること

    クリニックでは、病気に罹って来院するのが普通です。 遊びに来る人はいません。 だからこそ、病気の話すのは当たり前です。 私の外来では、医療以外の世間話などに多くの時間を使いうことが多々あります。 ときに、私や患者さんの子供の頃こと、小学生の頃のこと、幼い頃の呼び名は〇〇ちゃんでしたかとか、話したり聞いたりします。 そうすると患者と医者の関係から人と人の関係に自然になっていきます。 そんな中で健幸の話もします。 何が健幸なのか? いつも言っていることはこちらです。 「健幸は人生の目的ではありません」 「長生きをすることが目的ではありません」 「今を生きることが目的です」

  • 【#046】自己中心で、周りも幸せに

    重要なのは、人が本当に喜びを感じるのは自分ではなく、人のためにいのちを使うときということです。 家族のため、友人、知人のため、自分の力の限りのいのちで寄り添うことで、これは本当の意味の自己中心です。 自分だけの幸福ではなく、周りも幸せにできるのが本当の意味での自己中心です。 自分だけの幸せは、心の底からの幸せではありません。 だからこそ、一番大切なのが自分となれば、周りも大切にしなくてはなりません。 簡単なことはバス、電車で人に席を譲る、その人も幸せです。 席を譲った自分も幸せになれます。 以前、私が年上の女性に席を譲ったとき女性から「ありがとうございます」と言われ、私は

  • 【#045】「幸せ」が巡っている理由

    日々の外来では、受診者の多くは、様々なストレスを抱えて来院します。 その方は真面目に正直で、一生懸命毎日を過ごしています。 そんな方ほどストレスを自分一人で抱えています。 そして私は、そんな方々に今一番大切にしていることを聞きます。 多くの人は家族です。 即ち、もっとも近しい人を大切に思っています。 そして次に仕事と答えてくれます。 でも私は受診者にこう話します。 「一番大切なのは自分です。何故、自分のことを第一に考えることできないのですか、何故自分を大切にできないのですか。実は、自分が幸せになれば、周囲も幸せになります。」 そこに自分のいのちを注ぐことができるのです。

  • 【#044】「無事」に生きるには

    茶道では、12月は茶室に「無事」という掛け軸をよく見かけます。 「1年間無事に過ごせた、終わった」という意味です。 しかし、誰しも1年間の間、何事もなく無事には終わっていないのが現実社会です。 ケガをしたり、病気になったり、大損をしたり、人と喧嘩したり、別れたり、身近にあった人が亡くなったり。 それでも無事に1年間生きてきたと思えるのは、小さな出来事も大きな出来事も、すべてを受け入れられる人が「無事」と思えるのです。 これを臨済録では「無事これ貴人なり」と言っています。 それは謙虚さと大きな清流のような心と、そして重要なのは燃えるようないのちを持った人です。

  • 【#043】私のいのちの使い方

    周りの医者から「先生は患者さんと毎日話していて疲れないですか」とよく言われます。 実は私は、本当に疲れないのです。 毎日クリニックに色々な患者さんが来てくれて、それだけで楽しい。 そして毎日話ができる。 そして患者さんが少しずつ元気になってくれる、そして患者さんの笑顔が見られるようになる。 こんな素晴らしい毎日を過ごせるのも、すべては患者さんのおかげです。 これが私のいのちの使い方です。 医療に携わって、50年してようやく気がつきました。 人生の後半、特にがんステージ3になり、こんなにも人生が面白いものとは気がつきませんでした。 与えられたいのちの使い方も長い間、気づ

  • 【#042】生と死のいのちと向き合う

    産婦人科医として50年間、勤務医時代はお産に立ち会い、出生届を書いていました。 そして、子宮癌、卵巣癌の手術も日常業務でした。 そして、術後は完治する人もいれば、死に向かって進行する人もいました。 そして、死に立ち会い、死亡診断書も書いていました。 希望して産婦人科生となり、生と死が日常的に存在し、生まれた新生児はその時から死に向かって行くのです。 生まれた時に、誰が新生児の死を想像できるのでしょうか。 逆に死を目前にした時に、誰が生まれた時を想像できるのでしょうか。 医学的な生と死の生命にいのちを注ぐことこそ、いのちを与えることこそが、医療人の原点と思います。 そ

  • 【#041】人との出会い

    人との出会いは偶然か必然か。 これまでの運命的なめぐり逢いは、5分で決まっていました。 1時間でも決まらず、1年でも決まらず。ただ数秒で運命が決まることもあります。 たまに数年経ってから運命が決まることもあります。 やはりその人の生き方、生き様によって決まるような気がします。 さて、今日の出会いは1分1秒か、今日もクリニックに人がやって来ます。 治るのか、治らないのか、、いや、その人の生きる力を信じて寄り添って、私のいのちを使うしかありません。

  • 【#040】健幸のための茶道

    私のクリニックには様々な患者さんが来ます。 何を求めて来るのでしょうか。 もちろん、病気を治したいという気持ちが一番だと思います。 でも毎日、患者さんと話していると、どうやらそれだけではないようです。 患者さんに、 「先生と話していると元気になれます。」 「ここにいると笑えるから。」 「先生の顔を見に来ました。」 などとよく言われます。 私も患者さんに 「あまり医療の話をしていませんでしたね。余計な話ばかりですいません。」 と話しますが、患者さんからは 「そこが他のクリニックとは違うんです。だから来てしまいます。」 と答えてくれます。 ある知人から 「横倉

  • 【#039】健幸のための茶道

    私が茶道を始めたころ、師匠からこう言われました。 「茶道をしていると、横倉恒雄がますます恒雄らしくなります。」 私も、本当の自分が研ぎ澄まされて行くように感じがしています。 そして師匠はこうも言います。 「お茶を点てる人のその時の心情や生き方がそのままお茶の味として現れてきます。」 そして師匠は、稽古のあと毎回聞いてきます。 「今日はどうでしたか。」 私は先日、こう答えました。 「今日の宗風としてできる最高のお点前をしたと思います。そして最高のお茶をお出ししました。」 ようやく最近そんな心境になって来ました。 これも私が癌になり、いのちを意識

  • 【#038】健幸のために茶道?

    私は茶道を習い始めてまだ8年です。 ただ、師匠の他のお弟子さんの3倍以上はお稽古をしてもらっています。 何故、茶道を習っているのか? 趣味でも道楽でもなく、私の健幸概念の中には人が生きる美学が必要不可欠だからです。 ただもう一つの理由は、女性にもてたいからでもあります。 人の『健幸 《けんこう》』を実現するためには、「身体の健康」がまず必要になりますが、これは人が生きるための力(脳力)で、動物としての健康です。 私たちは『人の健幸』を実現しなければなりません。 それには動物的健康の上に、人として生きるための美学が必要となります。 そして、それを実現できる方法が唯一茶道だ

  • 【#037】癌告知からの『いのち』

    私の大親友は1年半前に突然尿閉が出現し、外来を救急外来を受診したところステージ4の前立腺癌と診断されました。 彼は根っからのscientist(サイエンティスト)で、すべてを科学的に分析して納得します。 そんな彼でもやはり最初のショックは大きかったようです。 私もそれを彼から告げられた時には動揺し、私一人の中に留めることができずに、私の最も信頼できる知人に話し、ようやく私も少し落ち着くことができました。 友人の癌の宣告ですら動揺してしまいます。ましてや自分だった相当動揺すると思います。 そしてその後1カ月余り経った頃、私の健幸外来サロン「無風庵」で、彼を招き一客一亭の茶会を開

  • 【#036】『いのち』を意識する

    私たち人間はほかの動物と違い、『いのち』を意識することができます。 他の動物は、生きるために本能だけで行動しているので、『いのち』を意識することができません。 しかし、私たちも日常の生活の中では、なかなか『いのち』を意識することがほとんどないです。 そんな日常で突然病気にかかり、特に癌などでは改めて自分の『いのち』を意識し始めます。 自分の病気と健康、さらに今までの生活から自分の余命までを考え、自分が死ぬまでの時間まで考え出します。 『いのち』とは、今自分が生きていることを意識できる時間です。 この時間こそ私たち人間は自由に使えます。 そしてその中で最も貴重な時間は、人と

  • 【#035】人の心が動くとき

    入院中の病棟では、私はベッドに寝ていることがほとんどありませんでした。 病室の椅子に座って、クリニックのスタッフが登録してくれた映画を観るか、病棟のラウンジで本を読んでいるか、まじかに見える朝昼夕夜の東京タワーを見ているか。ブログの原稿書いているかでした。 時々、想い出にふけることもあったり、ラウンジに来る他の患者さんと話すこともありました。 そんな中の一人に、ラウンジではほとんど話したことのない私より年上の男性で、いつも窓際の椅子に座って外ばかり見て一日を過ごしている患者さんがいました。私と他の患者との話を聞いていたのでしょう。 私が毎朝、外来ロビーを10周回っているのを聞い

  • 【#034】不安から前に進むためのこと

    癌患者さんは、一人で考えると何もかも不安に陥りやすく、病気、健康、経済面、人間関係、家族関係までも不安が限りなく出て来ます。 不安を感じ出したら切りがなく、なかなか前に進めません。 不安の状態になっても、まずは今の自分を肯定することから全てが始まります。 ここで重要なことは、今までの健康だった自分を捨てることです。 場合によっては、これまで達成してきたことも捨てる、培ってきた自分の環境も一度捨ててみることです。 過去から今までの自分を肯定することで、捨てることができます。 長生きをしたい。では私たちはあと50年も長生きできるでしょうか。 過去の歴史を見ても、どんな運動

  • 【#033 】身体の声、心の声

    以前、私は鼠径ヘルニアの手術を受けたことがありました。 2泊3日の入院で済みましたが、入院時、担当医師から「先生、10日は運動しないでください」と指導を受けました。 しかし私は退院後、1週間目でスポーツジムに復帰しました。自分の身体と手術部位の声を聞きながらトレーニングを始めたのです。 もし縫ったキズが開いたら、その時は医者に謝ってまた縫合してもらえばいいと考えていました。 実は手術の縫合は少し動いて血行を良くした方がつきも良いし、膿みにくいのです。 外来でも、自分の身体の声や、心の声を聴かない患者さんが多いです。 身体は様々な症状で、声を出して警告しています。 その声を

  • 【#032 】受け入れるということ

    私ががんステージ3を告げられた時も、私は肯定から入りました。 そうか、今までの悪玉がすべて癌になったんだと。 それなら悪い所は手術で摘出してしまおうと考えました。 そしてもし抗癌剤が必要の場合でも、以前は抗がん剤投与はしないと決めていました。手術後に抗癌剤投与を追加と言われても、その時はしないつもりでした。 しかし、思い改めて、抗がん剤で体を全てを浄化できると考えました。 これは考え方を変えたのではなく、自然に現われた結果でした。 私が幼い頃から一人前として扱われ、すべて両親から私を肯定されて育てられ、私の外来の肯定そのものなのです。 誰でも長所もあれば短所もある。 そ

  • 【#031 】私の性格③

    ここで私が幼い頃から一人前に扱ってもらったことは、重要な要素があります。 実は、今の医療は初めは否定することから始まります。 さらに自分を、周りの人を、社会まで全てを否定することから始まります。 たとえば私のクリニックの外来ではストレスからの肥満、生活習慣病、自律神経失調症、更年期障害など来院されて来ます。 患者さん「私はすぐに涙が出てしまい、感情失禁みたいです。」 私「涙が出るんですね、いいではないですか。感情豊かな証拠です。私も感激するとすぐに目頭が熱くなりますよ。涙が出てこない方が、むしろ怖いんですよ。」 とお話をします。 患者さん「私すぐにイライラして誰構わず

  • 【#030】私の性格②

    今でも記憶にある、私の幼稚園時代の話です。 私は仲間を連れてお菓子屋さんから万引きを繰り返していました。 お菓子が欲しい訳ではなく、スリルが欲しかったのだと思います。それを見つけた父親が「お菓子を盗んだだろう」と私に問い詰めました。 私は「盗んでいない」と答えたところ、父親は「親に嘘をつくとは何事か」と強い口調で言ったかと思うと、私が一番大事にしていたオモチャをすべて壊して庭に放り投げてしまいました。もちろんいつものように風呂場にも閉じ込められました。 でも、お菓子を盗んだことは一言も叱りませんでした。 この位、父親は嘘をつくことが大嫌いでした。 今思えば幼稚園児の私を一人

  • 【#029】私の性格①

    私と姉は2人姉弟です。 姉は学業成績優秀、悪さもしない、それこそ優等生で、皆の憧れの的な存在で親しまれていました。 一方、私は末っ子の甘えん坊の上に悪戯っ子。幼い頃は背丈も大きい方で、何をやっても目立ってしまうタイプでした。 そして小学校2年の時は5mの崖の一番上から下の歩道を通る人に向けて唾をかけていたところ、その崖の上から歩道に落下してしまい意識不明、さらに大腿骨複雑骨折という大怪我をしてしまいました。 でも両親は私を叱ることはありませんでした。 母親から叱られた思い出はなく、ただ、口を開けていたり姿勢が悪いと「カッコ悪いから」とだけはいつも口うるさく言われていました。

  • 【#028】今を大切に生きる

    父親が60才で他界した時、私の母はまだ55才でした。 母はそれから93才まで長生きすることができました。母親が亡くなった時は私が葬儀委員長を務めて、葬儀中はいつものように明るく振舞っていましたが、最後の委員長挨拶の際に突然涙が溢れ出し嗚咽して、一切挨拶ができませんでした。 私の5才年上の姉が「最後まで甘えん坊なんだから」としめてくれました。 父親が60才で亡くなった時、一体私に何を話したかったのだろう。もっと父親とはたっぷりと話がしたかったと思います。 父親が60才で亡くなり私も14年長く生き、74才でがんステージ3となりました。 もうすでに父親の友人は皆他界し、今では父親の

  • 【#027】病気であっても「健幸」になれる

    私は病気も健幸の一部があると以前に健幸概念の中で書いたことがあります。 世の中の人達は多かれ少なかれ病気を持っています。たとえどんな病気を持っていても、生き生きとして生きている人こそ健幸なのです。 一時は病気で気が弱くなったり落ち込んだり失望したり急に不安にもなることも多いです。 でもそこで、単に生きているだけの寿命ではなく、自分が日々生きているいのちを考え直してみてください。自分の本当の姿、それはどんな型か、良い型も悪い型もあるかもしれない。 でもそのありのままの型がいのちなのです。 そのありのままのいのちを自分の限られた寿命に注ぎ込むことこそが日々生きていることなのです。

  • 【#026】いのちを意識するとき②

    先月、私が在学していた大学の新聞に、医学部関連病院の院長を務めていて私の同級生の訃報が掲載されており驚きました。 昨年まで元気で産婦人科医局同窓会帳をしていました。真面目でおとなしく、同級生からも皆からも頼りにされていました。 その同級生が何の症状もなく亡くなったのです。 あとで同級生の状況が分かって来ました。 彼が院内のどこにも見当たらなかったので、医局をのぞくと彼はテーブルの上にうつぶせで寝ていたようだったので、そっとしておいたところ、実は心肺停止の状態だったそうです。 急いで院内の救急救命センターに運びましたが、蘇生できずそのまま亡くなってしまいました。死は突然、私たち

  • 【#025】いのちを意識するとき

    地球上に生きている動物も植物も寿命があります。 どんな生き物も生きていられる期間は限られています。 人が他の生物と違うのは、生きて死ぬまで寿命やいのちを意識することができる唯一の生き物であることです。 日々の日常生活な中では自分のいのちを意識することはとても難しいです。 しかし、つい200年位前まで、人は日常の中でいのちを感じる機会がいっぱいありました。 戦国時代はいつ殺されるかもしれない時代から、最近は事故、災害まで、まるで戦国時代と同じ状態です。 そんな現代社会で唯一、自分のいのちを意識できる時があります。 それは病気です。 ことに癌は自分のいのちを意識せざるを得な

  • 【#024】たとえ末期癌でも

    健幸外来を始めた頃、突然、受診して来たご夫妻がいます。 どこで私の外来を知ったか分かりません。健幸外来がメディアで報道されることもありました。 ご主人はステージ4の末期癌で、主治医から「余命半年」と言われていました。セカンドオピニオンでも他の医師からも同じ診断を受けたようです。 一体どうして末期がんの患者さんが健幸外来を訪れたのか、未だに不明です。多分、他に相談できる所がなかったでしょう。 ご夫妻の顔は本当に弱り切って明るさが微塵もありませんでした。ご主人の首はうなだれ、奥さんはそれを見ることすらできないほど疲れた状態でした。 私がご夫妻に言った最初の言葉は 「病気が癌で良か

  • 【#023】「新しいいのち」が始まった

    健幸だった私が突然、癌と診断を受けたときに覚悟をしました。しかしそれは血尿を見た瞬間にできていたかもしれません。 その時、何をしたか。 もちろん家族やクリニックのこれからの事を考えました。 そうすると意外にも生き生きとして来たのです。 絶対に生きてやろう、死ぬまで生きて生きて、生き抜いてやろうという気持ちになりました。 何も知らない知人達は私がいつものように元気、いや、いつも以上に元気になっていると思っていたようです。 どうやら私は私自身の寿命に「いのち」を与えたようです。 それも「新しいいのち」が始まった実感でした。 がん 人気ブログランキング - 病気ブログ

  • 【#021】健幸で一番大切なこと

    外来では健幸についても話します。 健幸で一番大切なことは、 「1秒後に死んでもいい状態にいつもいることです。このクリニックを出て、もしかしたら自動車が飛び込んで来たらおしまいでしょう。1秒後に何が起こるか分かりません。貴方はその時に満足して死ねますか。」 という話をすることもあります。 実はこれが健幸の極意なのです。 これは健幸なるための極意中の極意です。 たまにはちょっと思い出してみるのもいいです。 私の友人にそんな話をしていると、友人が「明日死んでもいいように生きなさい。ただ死ぬまでは生きることを考えなさい」と言っている人がいると教えてくれました。 私が「誰なの」と

  • 【#020】あなたが1番大切にしていること

    外来では、ご主人の話、子供の話、仕事の話、世間話、何から何まで話します。実は私の事も話すことが多いです。 ストレスで来院するする方も多いです。仕事、家族、会社、学校など本当に皆さん多かれ少なかれストレスを抱えています。 そんな時、私は患者さんに聞くことがあります。一番大切なものは何ですか。 皆さん、色々なものを挙げますが、私がいつも言う事は 「最も大切なのは、家族、子供でもなく、まずは自分なのですよ。先ずは自分が幸せになること、そうすれば家族も周りの人も幸せになるのです」と。 私自身、家内にはよく言われるのは 「貴方は自分が一番したい事をしているから、絶対に長生きしますよ」と。

  • 【#019】診療で向き合っているのは人です

    私のクリニックでは毎日の外来では患者さんとどんな話をしているかというと、医療関係以外の話が多くて、スタッフにはいつも叱られています。 待っている患者さんの人数が多くなると、スタッフのカルテの置き方が次第に勢いが増して行くのが分かります。 患者さんが気を遣って「先生、待っている人が多いから」と言います。 私は「外来をこなすのは簡単です。でも、治療をするのは私の趣味ですから」と。医療では医学的な話をするのが基本です。 でもそれ以上に大切なのは、私が診察しているのは病気でなく、病気に罹っている人です。 だから医療以外の雑談も大切なのです。 がん 人気ブログランキング - 病

  • 【#018】がんの告知を受けたときの心境

    今回の私への癌告知は、最初に症状が出現して初診でCTスキャンまで検査したその日でした。 癌は明らかにあるようでした。 その日医師から私に告げられたのは 「明らかに癌です。浸潤しています。手術して、抗癌剤治療をします。」と宣告されました。 初めは驚きましたが、私の父が60才で膵臓癌で亡くなり、叔父達もほとんど癌で亡くなっていましたので、やはりと思いました。 それにしても、90才まで何もないと思っていた私にとっては、ちょっと早く来たなという気持ちになりました。 この段階で私がしっかりと覚悟できたのは、やはり医師として客観的に自分の症状を理解できたからだと思います。 一般の方なら

  • 【#017】がんの告知をするということ

    癌の告知問題、近年癌の告知が普段の診療で行われるのが当たり前になって来ました。 私が健幸外来を始めた30年前は、患者さんへの癌の告知はほぼ皆無でした。最近は患者さんの人としての尊厳を重視することから、癌の告知がされるようになりました。 医師が癌の告知をするようになり、治療方針も説明しやすく、一般的にも癌の情報も世間にあふれ、患者側も情報を得ることができるようになりました。 情報も何もない時代の癌の告知は、むしろ死への恐怖心を煽ることもありました。 医師が癌の告知を患者さんにした時に何が必要か、最も重要ことは、患者さんからどんな考えや恐怖心を聞いても、対応していく覚悟が医師にある

  • 【#016】 健幸の定義とは

    では私が健幸の考え方に迷い始めて何をしたか。 先ず始めたのは様々な本を読み始めました。 それも実は健幸の科学的本ではなく、哲学、宗教学、歴史学など「生と死」についてあらゆるジャンルの本を読みました。 私の健幸外来を認めてくれた最初の医師の聖路加国際病院院長 日野原重明先生の「生き方上手」も、その頃出版されて読みました。 また私が高校時代に読破した私が最も尊敬する慶応義塾大学元塾長の小泉信三全集も再読しました。 こうして私の健幸外来としての健幸概念を迷いながら構築して行きました。 そしてようやく学会論文を発表することができましたが、当初はやれ哲学的、宗教的と言われ、横倉教とま

  • 【#016】 健幸のカギとは

    40年前、私は異常な高値1250(通常の10倍)の中性脂肪と80㎏肥満解消を、薬の内服も食事制限もなく、最初は運動だけである程度改善することができました。 実は運動で改善したのではなく、運動が元々好きで、運動することが私にとって「快」だったのです。 痩せるための運動、中性脂肪を下げるための運動では、なかなか改善しません。それは私の専門の脳科学からの発想です。 それに気が付いたのは、私が健幸外来を始めて少したってからでした。 始めた当初は私も予防医学的発想から、適度な運動と栄養バランス、腹八分の食事、規則正しい生活の指導をしていました。 ところがその指導では受診者の成果がなかな

  • 【#015】  健幸とは

    実は私の健幸の捉え方は、病気も健幸の一部として考えます。 今までの健幸観は病気と対比した健康しか考えていません。 世間では病気がないのが健幸、病気予防が健康づくりとして、予防医学ではその考え方が基本です。 では病気を持っていない人、例えば癌、高血圧、脂質異常、肥満、糖尿病など、さらに何らかの症状例えば肩こり、腰痛、頭痛など皆なんらしかの身体の不調を持っています。 何も症状も病気もない人は地球上にはいません。 病気と対比したような健康人は皆無です。 様々な病気を抱えながらでも、日常を元気で生き生きと過ごしていることこそが、健幸の証と私は思います。 検診で異常がなければ健幸と

  • 【#014】2021.8.27 がんステージ3「手術後3」

    私が学会論文で発表した論文の健幸の考え方理論は健幸外来サロンのホームページに掲載しています。 人の健幸づくりには何が必要か。 先ずは動物としての生きる脳力です。 そして人の健幸で最後に最も重要なのが、生きるための美学です。 決して運動や栄養や生活習慣ではありません。 ヒトは自ずから生まれた時から生きるための脳力を持っています。 それが自然体です。 しかしこれはあくまで動物的な生きるための脳力です。私 たちは「人」です。 生きる脳力を持った人です。 そこに生きるための美学が備わって初めて人健幸が実現できます。 サロンのこと 健幸外来サロンサロンのこ

  • 【#013】2021.8.27 がんステージ3「手術後3」

    術後3日目の夜、突然私の人生で初めて強い不安感に駆られました。 心落ち着かせるため病院に持ち込んでいた日野原重明先生の本を改めて手に取って読み返しましたところ、まさに私がいつも私のクリニックの外来でしていたことが、先生の『いのちの使い方』なんだと確信しました。 これからの私の与えられた人生の中でいのち使おうと覚悟が出来て来ました。私について来てくれる人達の力を借りて、これからの残された人生を思い切り生きたいと思いました。人に寄り添うことこそが、私がしなければならないことと思いました。 ところが、2日後再び強い不安に駆られました。 胃痛まで併発し胃薬を処方してもらい導眠剤で眠るこ

  • 【#012】がんステージ3「用心して検査をしていたのに」

    私の父は私がまだ医学部6年の学生時代に膵臓がんで60才で亡くなりました。 そのため私も癌には相当気を付けて、毎年私の誕生月には胃カメラ、大腸ファイバーをはじめ腹部MRI、喉頭鏡検査、胸部CT、血液検査全てを実施していました。 ところが、4月には大した所見がなかった腎盂に3カ月後に癌が見つかったのです。 医師からは「経過が早い症例です」と宣告されました。 健幸で何もない私は家族から周りの人たちまで「人生100年生きそうですね」と言われていました。私自身もひょっとして100才まで生きると思っていました。それがたった1回の血尿という症状だけ、私の人生が180度転換したのです。

  • 著書紹介

    ▼ 2008年 『メタボ体質は脳疲労が原因だった』  徳間書店より出版 メタボ体質は「脳疲労」が原因だった amzn.to 111円 (2021年10月29日 11:35時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 『脳疲労に克つ』  角川SSコミュニケーションより新書刊行 脳疲労に克つ ストレスを感じない脳が健康をつくる (角川SSC新書) amzn.to 311円 (2021年10月29日 11:36時点 詳しくはこちら)

  • 【#011】2021.9.2 がんステージ3「入院中に考えていたこと」

    さて入院中私が一体何を考えていたか。 実は30年前、自分の体験から日本初の健康外来を、私が勤務していた病院で始めました。 そしてその健康外来を唯一認めてくれたのが聖路加国際病院院長だった日野原重明先生でした。 23年前に健康外来のコンセプトを基本としたクリニックを開院しました。 開院以来23年間毎朝「今朝の院長の独り言」をクリニックの入り口に書き、最近はFacebookなどにも投稿するようになりました。 それをヒントに癌である医者しか書けないブログを投稿することを想いつき、「がんステージ3の医者の独り言」と書くことにしました。

  • 【#010】2021.9.1 がんステージ3「退院」

    そしていよいよ退院日、無性にカレーライスが食べたくていつもの行きつけのレストランに行き、美味しいカレーライスを完食しました。 帰宅途中でクリニックに寄り、10日間の雑務を済ませて一人で帰宅しました。(実は家内は私が入院する1カ月前に転倒して大腿骨頸部骨折して長距離は歩けない状態でした。) 退院日家内が用意してくれて夕食のすき焼きが、こんなにも美味しいものかと感激して、これも完食しました。 健康とは食べることから始まることを実感しました。 退院翌日からクリニックは通常の診療を開始し休み明けのせいか、通常の受診者数より相当数来院してくれました。 がん 人気ブロ

  • 【#009】2021.8.26 がんステージ3「手術後2」

    お陰で術後の経過はすこぶる良好で、点滴は3日目に終了、排液の管も5日後に抜去できました。 ただ膀胱カテーテルの挿入は膀胱の傷がつくまで1週間続きました。 実はこの膀胱カテーテルが私を相当苦しめることになりました。 尿はビニール袋に流れていますが、時々膀胱が収縮して立っていられない位の不快感で、深呼吸をしてリラックスして耐えました。 そして膀胱カテーテルが取れた時の解放感、それは嬉しかったです。 術後は1日目に病室内を歩き、翌日は病棟内1回100mを3回歩き、徐々に回数を増やし10回まで増やし、1㎞を歩くことにしました。 そして1週間目には病院のホールを朝と夜に人がいない時間

  • 【#008】2021.8.25 がんステージ3「手術後1」

    私は産婦人科医として、勤務医時代は多くの手術をしていました。 そのため術後は何が一番良いのかという知識がありました。 まずは手術の経過を良くすることで大切なのは身体を出来るだけ動かすことです。 傷の回復も早くなり、体力も衰えにくく、すべての回復力に結びつきます。 ドレーンいう排液するため管がお腹に2本と膀胱カテーテルがあり、3本の管と点滴をしながら帰室した術後翌日の午後には、管をぶら下げまま病室内を10周歩きました。 夕方の回診で担当医が言うには「この手術で翌日に歩いている人はいませんよ」と言われました。 がん 人気ブログランキング - 病気ブログ

  • 【#007】2021.8.24 がんステージ3「手術〜ICU」

    ICU入室は術後午後6時過ぎで、それから翌朝までここで過ごすこととなりました。 もっとも辛かったのは、仰向けで自分では何もできないことでした。 そして眠れない! どう翌朝まで我慢できるのかと不安にかられました。 時々医師と看護師は診に来てくれますが、あとは暗い部屋で一人ぼっちです。 眠れるように痛みを訴えて、注射をしてもらい、1-2時間は眠れましたが、とうとう午前3時に強めの鎮痛剤を注射してもらいました。夜中あたりから少しだけ身体を傾けることがゆるされ、ようやく少しホッとしました。 朝8時だったか、医師がが来てくれ「先生、何もすることがないからスマホを持ってきましょうか」と

  • 【#006】2021.8.23 がんステージ3「入院〜手術〜」

    そして手術前日に入院。 まだまだ元気でした。 楽しい入院生活を送るためクリニックのスタッフにiPadに映画を数本入れてもらい、本も数冊持ち込みました。 病棟の看護師も親切で、これは理想的入院になると思いました。 そして手術当日に家族とはコロナ禍のため面会できませんでしたが、スムーズにすべてが過ぎ、5時間の腹腔鏡と開腹手術を受けました。 そして手術が終わり目が覚めると、 何と極度の悪寒と胃がしめつけられるような痛み、 そしてそのままICUに運ばれました。 ところがこのICUが、私にとって入院生活最大の苦痛となりました。 がん 人気ブログラン

  • 【#005】2021.8.9 がんステージ3と告知され、すぐに取り組んだこと

    やはり自分が医師と思うのは、自分のステージ、治療をすべて冷静に受け止めることができたということです。 主治医の話を冷静に聞くことができ、初診から2週間で入院、手術予定となりました。 まず何をしたか、 ▶体力と免疫力のアップため、 ・40年通っているスポーツジムでのトレーニング ・ヨガレッスン を続けました。 ▶免疫力アップのため、 ・乳酸菌エキスを飲む ・美味しく食事をいっぱい食べる ・コロナ禍でも楽しむ こととしました。 がん 人気ブログランキング - 病気ブログ がんブログの人気ブログランキングは数多くの人気ブログが集まるブログランキング

  • 【#004】病気知らずの74才医者が突然知らされた「ステージ3腎盂がん」

    学生時代は運動部で理想的な身体でした。 ところが医師になり10年、たまたまホルモンの実験をした際に自分の血液検査をしたところ、通常の中性脂肪値の上限149ですが、私の中性脂肪は1250と通常の10倍でした。 その時の体重約80kg、ウエスト92㎝でした。学生時代に比べ20㎏増加しウェストも20㎝太くなっていました。 即座に運動を始め、10年目で中性脂肪を80に戻し、体重も60kg、ウエスト75㎝のなりました。 その後は全く病気知らずで74才になりました。 ところがある日、何の症状もなく突然、血尿が出て、慌てて病院で検査したところ、ステージ3の腎盂癌と判明しました。 そ

  • 【#003】健康外来開設のきっかけ

    私の学生時代は運動部に所属し、体力的にも体型的にも理想的でした(体重は65kg、身長172cm)。勉学と医学を十分に両立させていました。 幼い頃から身長は高く、いたずら好きで小学校2年のときに意識不明の大ケガはありましたが、ケガ以外病気も知らず成長しました。 そして大学医学部入学と同時に運動部に入り、充実した日々を過ごしていました。 ただ、大学医学部6年目、父を膵臓癌で亡くしました。 父親は60才、自分が癌だとは宣告されずに亡くなりました。父親は相当無念だったと思います。 医師は大学卒業時に自分の専門の診療科を決めますが、父親は自分の専門の皮膚科を私に選んで欲しかったよ

  • 【#002】日本初の健幸外来

    実は31年前の1990年、 私の体験から私が勤務していた東京都済生会中央病院に 日本で最初の「健康外来」を開設しました。 その頃は「健幸外来」ではなく、「健康外来」という名称でした。 まだ一般社会でも、健康にはあまり関心のない時代で、 ” 生活習慣病 ” を ” 成人病 ” と言っている時代でした。

  • 【#001】 みなさまに質問です

    今日、歩いている時の風はどちらから吹いていましたか 雲は流れていましたか 街路樹の葉は何色でしたか 道端に花がありましたか 風を頬で感じていますか 花の香りを今日は感じましたか 空には雲がありましたか 食事は美味しかったですか 空気をいっぱい吐いて吸っていますか 空気がいっぱい身体に入っていますか 今、生きていますか

  • 【前書き】がんステージ3の医師のブログ

    現在 私は74才の医師です。今年7月までは健康な身体で毎日を過ごしていました。 診療以外に茶道、ヨガ、スポーツジム通い、そして道楽で若い人たちも応援したり、たまにデートもして楽しい日々でした。 2021年7月 突然の宣告 ところが7月、何の前触れもなく突然血尿が出現し、即日診察を受けたところ、『腎盂癌』と判明しました。当日に入院手術日程を決め、クリニック体制を整えました。 術後経過は良好で10日で退院しました。入院中から身体を出来るだけ動かし、退院後も直ぐにトレーニングを開始し、翌日から診療も再開しました。 2週間後の泌尿器外来受診で病理検査の結果、『がんステージ3』と宣告

  • 脳へのアプローチ

    あなたに質問します。 Q. 氷が解けたらどうなりますか A. 水になる 一応、現代人が答える正しい答えです。 Q. 氷が解けたらどうなりますか A. 春になる このような感性がまだあなたに残っていると良いのですが。 今日歩いている時に風はどっちから吹いていましたか。 雲の流れはどうでしたか。 道端の花に気が付きましたか。 街路樹の葉の色はどんなでしたか。 風の香りはどうでしたか。 体感療法・五感療法 健康へのアプローチの道筋は、先ずは肩こり、頭痛、腰痛、倦怠感などの体内ストレスを緩和することが重要です。身体が楽になれば五感の機能も回復

  • 健幸脳と疲弊脳

    現代人の不健康 現代人の多くは様々なしかも過剰な情報を脳で処理し、理性的な観念で生活しているのが現状です。この過剰すぎる情報こそが私たちのストレスとなっています。 たとえば、健康に良い食べ物を「知識」として取り入れて食事を食べており、実は身体に良いものか悪いものかを舌の味覚として感じていないのです。 その日の気温も天気予報で予測して、肌では感じていないのです。 雲の流れも、風の向きも感じないで歩いています。 現代人は五感と体感を通して生きているのではなく、過剰な情報と時間と義務感という理性で日常生活をこなしているだけです。 本来、人が持っていた生きるための能力こそが、自

  • 100年後の子供達の健幸

    真の健幸で得られた生活美の豊かな感性は、和の心を学ぶことで2000年培って来た日本人の健幸そのものです。 そして人生を日本の歴史文化にみられる「道」に喩え、美意識を深めれば、その智恵と喜びを同時に得ることができ、生きる和の美学が生まれます。 これを「和美」として100年先の子供達に引継いで行くことが、我々の課せられた使命です。

  • 「ヒトの健康」から「人の健幸」へ

    ヒトの健康 脳が元気プログラムとなれば人は自然に生きる能力を回復し、人は健康感を強く感じることができます。 脳科学からみると余裕のなかった脳に余裕ができ、脳は生きる能力を取り戻すことができます。 人が生きるための生命力を回復することが「ヒトの健康」です。 動物としての「ヒトの健康」を回復した脳を、我々は人間として更にレベルの高い脳にしなければなりません。 ここで初めて「人の健幸」へのアプローチとなります。 人の健幸 日本人の感性は箸と食材から始まる和食文化の美しさ、日本語の使い方から和文字の美しさ、さらに人と人との礼から四季を五感で感じる生活習慣を茶の湯の文化として生み

  • 日野原重明先生との出会い

    健康外来を始めた当初は従来の医療の外来とは違い、「外来のあり方」から始まり、実は「健康とは一体何なのか」という根本理念に私自身が悩み始めました。 そんな時に聖路加病院院長だった日野原重明先生を雑誌で知り、自分の考えを手紙で書いたところ、思いもかけず先生から会いたい旨のご返事を頂き、聖路加病院をお訪ねしました。 初めてお会いした時、先生の最初の言葉が「君は良い外来を始めましたね」でした。 そして「受診者に対する心」や「人が生きること」、「健康とは何か」など多くのことを先生から教えて頂き、ようやく自分なりの健康観と健康科学を確立することが出来ました。

  • 健幸外来の開設

    健幸外来開設のきっかけ 1990年に日本で最初の「健康外来」を東京都済生会中央病院にて開設しました。 1998年には 健康外来サロンを併設した新しい健幸概念に基づいた【 横倉クリニック 】 を私が開院しました。 このような外来を始めたきっかけは、実は私自身の体験からでした。 私自身、高度の肥満と重症の高脂血症だったのです。学生時代に比べ、体重は15kg増加して80kgとなっていました。中性脂肪の正常値は150なのですが、私は1250ありました。そこで食事制限や薬の内服もせずに治したのです。今では体重は62kg、中性脂肪は60、体脂肪率12%で20年間リバウンドがありま

  • 健幸の美学

    人を一本の木に例えてみます。 それぞれの木には根があり根は土壌から栄養を吸収しています。 では土壌は人にとっては何かと言いますと、私達が生まれ育った日本の2000年の歴史に培われてきた歴史・文化・宗教・風習・習慣です。 日本人は春夏秋冬の季節を肌で感じ、 日々の生活習慣を営み、 さらに高度な感性を磨き世界に類を見ない日々の生活習慣を営み、 さらに高度な感性を磨き世界に類を見ない日本文化を築き上げて来ました。 この感性こそが日本人の美学として受け継がれて来ています。 日々の日常茶飯にこそ 人生の質を高める「健幸の美学」があり これが「人が生きるための美学」です。

  • 健幸はここにある

    実はこの日々の生活の中にこそ健幸の原点があり、日常茶飯から生命力のエネルギーと人が生きる美学が生まれて来るのです。 これが私の提唱する「 健幸美 」です。 1990年日本初の 「健幸外来」を開設しました。 研究と実践から 1993年「未知なる健康科学」と題して 新しい健康概念を確立し発表しました。 私が提唱した疲弊脳と健幸脳の概念による 「ヒトの健康」は「人が生きるための生命力」です。

  • 健・幸・美

    健幸外来を訪れ方によく聞く質問です。 「ここに来る時、風はどっちから吹いていましたか。」 「頬で風を感じましたか。」 「雲はどっちに流れていましたか。」 五感を使っていますか 時間に追われて歩いていたり、下を向いて歩いていたり、イヤホンをしていると『 風の音 』が聞こえません。 スマホを見ていると限られた画面の情報しか入手できません。 イライラしながら赤信号を待っていると五感が働きません。 信号待ちしている時にちょっと空を見上げると雲が流れています。 風を頬で感じるかもしれません。 歩道の樹木の香りがするかもしれません。 自分の周りの身近な情報が、そし

  • がんステージ3の医師

    横倉 恒雄(よこくら つねお) 医療法人社団 健人会理事長 Facebook https://www.facebook.com/tuneo.yokokura Instagram https://www.instagram.com/dr.yokokura_kofu/ ●1947年亥年 東京都大田区山王で生まれ芝中・高校から日本大学医学部 ●中高時代は弁論部所属 同級生に作家北方謙三 ●大学時代はヨット部所属 1年中日焼けで真っ黒 ●慶応大学医学部産婦人科入局 脳下垂体内分泌学研究 ●東京都済生会中央病院 実地臨床 ● 35才:自分の肥満と高脂血症に遭遇して運動開始

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