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  • 日記とやけくそ

    1 とりあえず最近は仕事が終わるまでの辛抱だと考えている。相変わらず何も書く気が起きない。身体が根本から疲れていて、睡眠時間も圧倒的に足りていない。体の限界を迎えるのが先か、仕事が終わるのが先か、もうそういう勝負である。あと少し、大丈夫、すぐ終わる。終わりまでのカウントダウンを数えながら、そんなことを心で唱えて日々を過ごしている。今はもう7日の朝だ。6日の記事として書いているが、もう7日の朝5時半である。全くやる気になれずベッドに横になって数時間、すこぶる眠くなってきたので今急いで書き上げようとしている。 2 部屋も散らかったまま、もう何日も片付けていない。土日だというのに、なんにもしないでベ…

  • 現実をしかと見つめる

    1 人生の全ては現実をしかと見つめたところから始まるのに、そのたった一つのことの難易度があまりに高すぎる。まずは哲学的に難しいという問題。一言で言えば、現実とはなんぞや、だ。全く分からない。なぜ現実なんてものが存在するのか、これはもう解明しようのない謎であることは自明だが、どのように現実は存在するのか、についても、依然その多くが謎のままである。認識と実存、自分と他者、論理と感知、哲学において様々な対比が為され、議論や思考実験が繰り返されてきたが、まだまだ道半ばである。二つ目は受け入れ難い出来事についての問題。受け入れ難いから、ついその現実を、自覚せずに曲解したり、見えていないふりをする。三つ目…

  • 真剣に取り組みたい

    1 何か一つを真剣に取り組んだ人にしか分からないことがある。それは自分自身の無力さだ。真剣にやればやるほど自分のできることの小ささに気づく。我々は皆凡人だ。天にたなびく煌びやかな才能を持つ彼らとはわけが違う。自分のやろうとしていることの多くが、既に他の誰かがとっくの昔にやってきたことだ。その現実を冷静に見られる大人はだからこそ、一つのことにはのめり込まない。仕事や家族、友人や趣味と、それぞれに自分の人生を分散をさせて、普通の暮らしを楽しむ。極めて真っ当な生き方だ。その生き方ができる人は、皆それで幸せになれば良い。 2 問題はそうではない人だ。それだけでは満足できない、やはり何か一つ真剣に命をか…

  • 3周年

    えぇそれでは気を取り直して、本日でブログ3周年を迎えることとなりました。 それを記念し今まで頑張ってきた自分へのご褒美としても、今日は短かく終わろうと思います。はい、それではおやすみなさい。これからも当ブログをどうかよろしくお願いいたします。

  • 明日だったわ

    1 しまった。間違えた。今日はこのブログの初投稿から3周年!という記事を書こうと意気揚々としていたのに、よくよく見たら明日やないかーい。ポンコツすぎるだろ。さぁて3周年の記事を書くにあたって、最初の記事のタイトルと内容をもう一度見とくかとスクロールして辿ってみたらみたら、タイトルよりも先に「2021/07/03」の日付が目に飛び込んできて、おいバカとひとりでツッコんでしまった。完全にやる気をなくした。いつもは事前に書くことを決めないこのブログでも、今日だけはそれしか書くつもりがなかったから。もうため息しか出ないわ。はぁ。 2 日付とかそういうのを覚えるの本当に苦手なんですよね。人として恥ずかし…

  • 死を超えた意地が欲しい

    1 死を超えた意味が欲しい。途中で死んだとしてもこの道を歩めただけで全く構わないと、そう思えるような大きな目標と信念をどうにかして持てないものだろうか、と考えるのだけど、残念ながら今のところ、惰性で続いているブログが一つあるだけである。全く目標もなければ信念もない。死を超えるにはあまりにか弱く、力不足なブログがほんの一つ、ここにあるでだけである。まぁそれでも何もないよりはマシだけれども、死など全く恐れるに足らんと人生を真っ直ぐ貫くような道を歩んでみたいと、時として切に願うのである。 2 これをしていれば死んでも構わないと思える。そんなものって人それぞれ何か与えられているんですかね。家族との幸せ…

  • 読むことを取り戻したい

    1 何も書くことがなくて、寝る間際になって無理やり言葉を絞り出す。いつもこのパターン、休みの日でも全く同じ。なんだかもうちょっと飽きてきたな。そろそろ変化が欲しいと思う今日この頃である。変化していない理由は明確で、もちろん何も取り入れていないからであるが、なんだかいっそ自分の中で本を読むハードルが上がっている感じがする。物理的なハードルがないよう、いつも手元に置いているのに開くことが滅多にない。すごく頑張って開いても2ページも読めないで閉じてしまう。そんな日々を繰り返しているから、自分の中にある言葉が一向に増えない。増えないから一向に書きたいことを捻出できない。 2 昔は本は私の人生の苦しみを…

  • 全てに嫌気がさしても

    1 およそ存在する全てのものに対して、嫌気がさす。如何なる存在も許すことができない。そこにあることが耐えられない。何もかもに対してむしゃくしゃし、とにかく喚き散らしたい。そんな感情に私はよくなる。でもいい大人なので我慢してグッと堪えて、ギリギリ理性で押さえ込んでは、人間の振りをしながら仕方なく日々を生きていく。時間が流れる限り、投げ出したくとも投げ出すことはできないから。生きることが大好きだから、生きられる内容はどうしたって受け入れなければならない。嫌気がさしても、嫌気がさしたままで前に進むしかない。 2 何か一つでも希望はないのだろうか。そんなことを考えてみても、およそ何も思いつくことはでき…

  • 自由と幸せと健康と

    1 退職する日がおおよそ決まりました。有給消化も込み込みで8月の半ば頃になりそうである。本当は7月で有給を使い切って、7月末でやめようと考えていたのだけど、職場の人手不足もあって、自分的にもお世話になったという気持ちがあったから、新しい人が入って簡単に慣れるまでは残る形となった。終わると既にはっきりわかっているから、まぁあとはもう誤差だ。残り実働日約一ヶ月で、私は無職になる。既に何度も経験済みであるので今更思うこともない。早くその日が来ないかなと願うばかりである。やはり仕事から解放された直後の無職期間ほど、人生を楽しめる期間はないですからね。だってやめたばかりだからお金の心配はないのに、全ての…

  • 続・仕事辞めることにしました

    1 仕事をやめると告げてきました。はぁぁぁこれでスッキリ!…とはまぁいかない。人間の感情や決断はいつも白か黒かってそんなはっきりした二択じゃないから。突発的に辞めることを思いついたとはいえ、色々な取捨選択をし、辞めたい自分と続けたい自分が何度も何度もせめぎあい、結果的に辞めたい自分がギリギリ勝って表出したというだけで、全く純度100%の気持ちではない。後悔もたくさん含まれる決断になった。何かの選択を手放さなければいけないのはいつだって自分の力不足が原因である。その力不足を解消させることなく、私は延々と現実を逃げ惑っている。 2 もう既に何度も仕事を替えてきた。前にも書いたが私にとって仕事は生き…

  • なんか最近タイトルテキトーじゃない?

    1 眠いのに書きたくなさすぎてその間に2時間が経過した。更に眠気はピークに到達して、もういよいよ書かないときっと今日の分を書けなくなるというところでやっと今手を動かし始めた。先延ばし癖ってどうにかならないですかね本当。教えていただきたい。んでも先延ばしにはすれど、なぜか絶対に書き上げられるのが私のすごいところである。記事のクオリティは置いとくとしても、この約二ヶ月、一日たりとも欠かしたことはないし、千文字以下で諦めて投稿したこともない。まぁつい先日危ない場面はあったけれども、でもあれも間に合ったのでセーフ。 2 いやいや単に運が良かっただけでしょう。ギリギリでも間に合うのは、そのギリギリの内に…

  • 仕事辞めることにしました

    1 はぁ。今日はどっと疲れている。仕事ですごく嫌なことがあって、もう帰ってきてもすっかりそれを引きずっている。こんな時自分はもう直ちにそれを全部辞めてしまおうかと突発に思うような人間で、たぶんもうこの仕事は長くないのだと腹を括った。ブログを書くために仕事をなんとかしなきゃなと言っていた昨日と接続する形でも、これはもう自分の中で決定事項になった。近いうちに上司には切り出すだろう。ああ。なんというかこんな時、ブログがあって心底良かったなと思う。このブログに書けることでどんなに私が救われるか。 2 私がこんなにブログを続けているのはきっと現実にあまり居場所がないからだと改めて思い知る。何かを残したい…

  • セーフということにしておきます

    1 寝落ちしてしまった。気づいたらもう3時やないか。おい。日曜の夜はいつもうまく眠れなくて睡眠時間短く出勤して、月曜の夜に取り戻す生活をしているのだけど、この前の日曜は2時間しか眠れなかったために、さすがに今日は帰ったら即寝てしまった。で、気づいたらこんな時間。まだ起きれたのがせめてもの救いね。さぁさっさと書いてさっさと二度寝をかましましょう。アラサーになって猛烈に体感していることがある。それは昔みたいに長い時間寝ていられなくなったことだ。どんなに寝不足でも今日みたいに途中で一回目が覚めて、暫くは寝付けない。歳なんですかね。 2 きっと体力の低下が関係しているのだと思う。体力を回復するための体…

  • 自分のできること

    1 何もやり出していない時は、なんでもできる気がするのに、いざやり出してみると自分のできることのちっぽけさに心底絶望してしまう。どうして人はあんなにできるのに、自分はこんなことしかできないのだと比較してますます落ち込み、そして自分が落ち込んでいる間も、人は絶えず努力をしているのだと思うと、本当に自己嫌悪で消えたくなってくる。しかしそれでもやると決めたから、やり出していなかった頃の自分に戻る選択肢はもうない。己のちっぽけさを知り、絶望して落ち込んで自己嫌悪に陥っていても尚やらねばならない。 2 毎日毎日書いているこれがちゃんと積み重ねになっているのだろうか。時々疑問に思わずにはいられない。ひょっ…

  • トイレの電球が切れた

    1 トイレの電球が切れた。昨日までは確かに元気にピカンと光っていたそれが、今日起きれてみればもううんとともすんとも言わなくなっていた。家に電球の替えはなく、出かけるのも酷くめんどくさかったので、諦めて薄暗い小屋で一日用を足した。明日は買いに出かけようかと思ったけれど、どうやら天気は大雨らしい。平日はわざわざ買いに行く元気なんてないし、もうしばらく、薄暗い小屋のままで生活することになりそうである。まぁ別にそんなに支障はなさそうだし、特段困ることもないだろう。実際今日一日なんの不便も感じなかった。薄暗くても用を足すのには影響ないんだなという余計な知識が一つ増えてしまったくらいだ。元々トイレに光なん…

  • 誰も自分のことを知らなければいいのに。

    1 誰も自分のことを知らなければいいのに。そんなことをふと思う時がある。誰も私がどこの誰でどんな過去を歩んできて、今どんな生き方をしているのか、何もかも知らなければいいのに。そうしたら私はどんなに自由で、どんなに軽やかか。とまぁ思うのだけど、しかしどう考えてもこれは、現に自分を知ってくれている人がいるからこその戯言だ。誰も自分を知らないという恐怖を経験していないからこその妄想だ。きちんと考えれば、それが良いものでないのはちゃんと分かる。誰も自分を知らないなら、この世に自分の居場所なんてないですからね。 2 でもやはり思うのだ。誰も自分のことを知らなければいいのにと。別に恥じる過去や生き方がある…

  • お姉さんと私の日常

    1 仕事から帰るとき、近所でいつもすれ違うお姉さんがいる。おそらく活動時間帯が被っているのだろう。知人でもないのに、毎日のように顔を見るというのはなんだかすごく不思議な気分だ。お、今日もいた。ついにはこの頃、そうして姿を探すほどになってきた。ただただ街の風景であった雑多な人々の中で、もうお姉さんだけは違って見える。すれ違うことのなかった日には、今日はどうしてるのかなとさえ考える。赤の他人なのに。お姉さんは完全に私の日常の一部になってしまった。きっとこれからも言葉を交わすことはないだろうし、人生を交えることだってあるはずもない。だけれども、既にお姉さんは私の日常の中に存在していて、そこにいるのが…

  • 有意義な時間について書いた無益な記事

    1 スマホばっかりいじっていると聞こえてくる。もっと有意義に時間を使えよという声。これに負けじと有意義な時間ってなんだよ!と叫んでみるものの、しかし有意義な時間がたとえどんなのであれ、スマホをいじっているこの時間が有意義でないことだけははっきりしているので、素直に負けて、スマホいじりの中でも、まだ意義があると感じられるブログの執筆を今始めたわけですが、本当に有意義な時間とはなんなのでしょうか。あぁ実に有意義な時間だったなと振り返る瞬間が人生には確かにあったと思うけれど、それは果て一体どんな時だったろうか。 2 ブログを書いている今を意義があると感じられのは、それが今の私だけに影響することではな…

  • 生きづらいのは数が少ないから

    1 生きづらさの最たる原因は、人数の少なさにあると思う。社会は常に多数の生きやすさに焦点を当てており、その陰で苦しむ少数はまぁ仕方ないと切り捨てるしかない。多数と少数のどちらかが絶対に苦しむ羽目になるという二択に迫られた時、やはり多数が救われ選ばれる。社会の構造的にそうならざるを得ない。少数は常に弱い。足掻いてみせたところで待っているのは、多数に干渉しないところでの生存の許しだけである。私たちの邪魔にならないところで好き勝手やってくれ。それが多数と少数の唯一の"共存"の仕方だ。それだからこそ少数は生きづらいのだけど、多数にとってはそんなの知ったこっちゃないのである。 2 ある属性を持つから、生…

  • また明日も頼むわ

    1 結局隙間時間に一文字も執筆できず、ええ今のお時間は23時となりました。意味が分かりません。うーん無理。仕事に向かう時間は仕事に向かう時間だし、仕事の休憩時間は仕事の休憩時間だし、仕事帰りの時間は仕事帰りの時間でしかないんですもん。ブログを書くってそんなに気軽にできるもんじゃない。よし今からブログを書くぞっていう心構えをするのでも、結構時間かかりますからね。というかいつもここが一番長い。私にとってブログは未だ書きたいものではなく、書かねばならないことだから。しなければならないことって、後回しにできればできるほど良いですからね。なんなら後回しにしたまま死ねるのが本当は一番良いでしょう。 2 今…

  • 記録でありたい

    1 眠い。最近これしか書いていない気がするが、今日も今日とてしっかり眠いので仕方ない。今はとりあえず続けることを定着させるのが最優先だから、内容は一旦置いといて、とにかく毎日書くという形式だけにこだわろうと、そう思っているわけですが、ここから地続きの未来に果たして、「充実した記事を毎日書ける自分」がいるのか、どうも疑わしくなってきました。そんな兆しが未だ全く見えないからである。このままダラダラ記事を書き続ける自分の姿しか脳裏には浮かばない。もしかして自分はこれからもずっと、今日のようなこんな記事を積み重ていくことになるのだろうか。 2 何も今日のような記事が悪いと言っているわけじゃないんです。…

  • この世で一番不平等なもの

    1 この世で一番平等なものは死である。そこにはいかなる例外もない。生きとし生けるもの全ての宿命であり、逃れることは決して叶わない。では逆にこの世で一番不平等なものはなんだと思いますか?個人的にはそれは出会いである。人との出会いに限らない。ものや出来事や考え方や概念、その他全ての出会いは、本当に不平等だとしか感じられない。誰かにとっては幼少期には既に出会っていた当たり前のものが、誰かにとっては一生出会わずに人生を終えてしまうものであったりするし、誰かにとっては一生出会わずに済んで人生を終えられたものが、誰かにとっては幼少期には既に出会い当たり前に根付いてしまったものであったりもする。良い意味でも…

  • ただ千文字書いたという記事

    1 わっひゅゅうついに週末!!睡眠不足が回収できる日!さっさと書いてさっさと寝るぞい。といっていつも通り特に書くこともないので、さっさと寝るのは難しそうです。頭の中には「ねむい」の三文字しかなく、なんにも思いついていないので、やはりいつも通りその場で出た言葉を並べていきます。このブログは大方「だ・である調」ですが、時々「です・ます調」になったりもします。特に使い分けの意識はなく、ただの気まぐれとその時の文章の雰囲気や語感で決めていますが、何となく自分的に内容が薄いなと思うような記事は 「です・ます調」になりやすい傾向にあるようです。内容が薄いのでせめて形だけでも丁寧にいこうと、そういう心がけな…

  • 狂ってきました

    1 はぁやる気がない。何も書く気がしない。ネタはあるけど、今日はそれをちゃんと文章にできる気がしないので、ダラダラ回にします。なんかこの頃日に日にやる気がなくなってるんですよね。まぁ原因ははっきりしている。もう圧倒的に寝不足。仕事しながら連日をブログを書くのって本当に大変だわ。仕事終わりの疲れ具合で頭が冴えているわけないのに、元々の文章下手も加わって、時間がかかるかかる。もう日を跨がない方が珍しくなってまいりました。 2 毎日続けていくということはもちろん一日でも途切れたらアウトなので、もう何としても書かなければならないプレッシャーが日々を埋め尽くすことになる。どんなに嫌なことがあった日でも、…

  • 芸術は隣に生きる孤独

    1 自分は芸術というものの真意を読み取るのがとても下手くそな部類の人間なのだと思う。映画しかり絵画しかり音楽しかり、オモシロカッタ、キレイダッタ、ナンカイイキョクダワ、くらいの感想しか抱けず、その作品の意味するところなんか全然分からない。でもそれでも芸術が好きである。それは単に娯楽として楽しいから、というだけではない。作った人の孤独に触れられるのがたまらなく好きなのである。私は孤独を自覚する人間が大好きだ。死ぬ時には絶対にひとりであること、他人に百パーセントの何かを伝えるなど不可能であること、そういう絶望に値する現実にしっかりと絶望したところから、人の芸術は始まる。 2 芸術は絶望からの諦念に…

  • バイバイボツ記事

    1 このブログは毎日即席の文章をあげているが、それでも書かれたもの全てがここに載るわけではない。ボツになった記事は、ここにあげているものよりもはるかに多い。たいてい書いているうちに自分でも何を書いているのかよく分からなくなるからだ。元々書きたいものなんてないから、筆の勢いに任せて書いていると、どんどん文章が意味不明な方向に進んでいって、振り返ると、ん??なにこれ??と、書いた本人もわけがわからない。意味がない文章ならそのままあげてもいいかなと思うのだけど、意味が不明な文章はさすがにまずい。仮にも書くことに人生の重きを置いている人間ですから、書かれた文章には常に責任を持っていきたい。 2 それで…

  • 生きるそのことが好き

    1 好きでこの世に産まれてくる人はいない。みんな一方的にある日突然、人生を始めさせられただけである。しかし、それでも生きることが好きだ、という人はいる。好きで産まれてきたわけではないけれども、産まれた結果としての生きていることは好きだと、そういう人が存在する。そういう人がなぜ生きていることを好きになれるのか。それは生まれる個体や環境に恵まれたからだよ、というのが通常の答えなのかもしれない。この世を生きるのに有利な個体のスペックと、豊かで優しい環境があるからこそ、生きていることを好きになれるのだ、と。見渡すと確かに世の中にはそういう価値観が蔓延しているようである。そのスペックと環境を与えられない…

  • 一度失った信頼はどうしたら取り戻せる

    1 一度失った信頼はどうしたら取り戻せるのだろうかと考える。人に対しても自分自身に対しても。自ら積極的に裏切りにゆかなくとも、自分にとってはほんの些細で無意識な言動で、今まで積み重ねてきた大きな信頼を失うことが人生にはしばしば起こる。もちろんその中には、そんなので失われる信頼なら失って一向に構わんと思うようなケースもあるけれども、もう少しだけでも自分の言動に気をつけいてさえいれば……と、何度も何度も後悔を余儀なくされるケースも往々にしてあるだろう。そんな時はやはり限りなくその信頼を取り戻したいと強く思うものである。強く思う、思うのだけどしかし、一体どうすれば良いのか、全くもってその手がかりは掴…

  • 仕方がないなんて知っている

    1 人生どうにもならないことってたくさんある。生まれ持った性質や環境、何度も記憶として蘇る苦い過去、他者の抱く思いや考え、突然襲い来る病魔や災悪、加齢に伴う老化現象、そして絶対に避けられない死。たくさんありすぎて本当に嫌になってくる。どうにもならないと知っているけれど、だからって簡単に割り切れたりはない。どうにもならないと知っているからこそ時に喘ぎ苦しみ、時に人生に絶望するのである。「どうにもならないなら悩んでも仕方ないじゃん。」「人生は結局どうにかできる部分をどうにかするしかないんだよ。」そんな正論は自分が一番よく分かっている。 2 どうにもならないことに時間を費やす。確かにそんな馬鹿なこと…

  • 意地で言葉を並べる毎日

    1 以前の私にとって書くということは、たいてい神の声を下ろすことだった。頭に突然降ってきたぼんやりとした神の声に、ただ輪郭を与え言葉として形取る。それが私の書くことの意味だった。けれども、この頃はそうではない。5月以降の私にとって書くことはもう意地でしかない。神の声などもはや何も聞こえない。しかし、私は書かねばならない。これは自分自身との戦いなのだ。今更書くことを捨てられはしないが、神の声を下ろす以外の書き方なんて私は知らない。毎日自然と何かを書き出せるほど素敵で充実した人生は送っていないし、毎日の微小で繊細な変化をいちいち汲み取れるほど豊かな感受性も持ち合わせていないのだから。もう意地で言葉…

  • 薄っぺらな意見は嫌だな

    1 どんな意見を持つにせよ、矛盾していて自分の都合でコロコロ変わってしまうような薄っぺらは嫌だなと思う。内容はなんでもいいけど、とにかく一貫した態度は保っておきたい。だけどこれってものすごく難しいことなのですよね。自分の持っている意見がつまりは何を言っていることになるのか、多くの場合で、言っている本人もよく分かっていない。言葉が意味するところは自分では決められない。どんな思いを込めた言葉だろうと、言葉の意味は公的に定まっている。その定められているところをきちんと知っていて、尚且つそれを多角的な視点で考えられるのでなければ、意見は簡単に矛盾の渦へと落ちていく。 2 場合によって覆るなら、そんな意…

  • 喋るのは苦手なくせに書くことも別に得意でない

    1 人と喋るのは苦手だ。相手の言ったことを即座に理解できないし、それに対しての自分の言いたいこともすぐには、はっきりとした形にならない。それなのに、会話は止まることなく流れ続ける。流れ続けた先で、もはや自分がどこにいるのかさえ分からない。何を口にしてきたのか、振り返りたくもない。その場ですぐに何かを言わなければならないという状況が私にとっては酷く苦痛である。全然言いたいことがちゃんと言葉となって出てこないからだ。でもまぁさすがに二十七歳ですからね。世渡りのためにもほとんど克服しましたよ。パターンという武器を私は手に入れた。こう来たらああ返す、そう来たらこう返す。会話とは、即ち反射ゲームだ。 2…

  • 一日は長いが人生は短い

    1 さぁて今日は何を書こうかと一日中考えたけれど、特にこれといって何も思いつかなかったので、今日も今日とて思うまま筆を走らせていこう。私はいつも人生を長くともたかが数十年という風に書いてますが、一日一日に注目すれば、すごく長く感じられるものですね。特にこうして毎日絶対に何かを続けると決めていれば、日々があっという間に過ぎるなんてのはもうありません。一日が終わりを迎える前に必ずそのやることが立ちはだかり、それを乗り越えなければ、今日という日を終えることはできませんから、本当に長いものです。先月はここ最近で一番長い日々を過ごしました。 2 真っ白なブログ画面を前に、私は今日という日を振り返ることに…

  • 自分とこの人間の関係

    1 自分はこの人間ではないという事実は気を抜くとすぐに忘れ去られてしまう。他人が私をこの人間として扱うから、私もすぐに乗せられて自分がこの人間である振りをしてしまう。何度も繰り返すと、もはや振りは振りではなくなって、私は最初からこの人間だったということになっていく。この人間でないとは何を言っているのか、もうその言葉さえ馬鹿馬鹿しく思える。だけど、これはただの事実であろう。人生の最初を思い出して欲しい。自分はこの人間として生まれたのだろうか。違うはずだ。ある時から突如この人間が私だということに「されていた」のだ。それまで私は誰でもなかったし、なんでもなかった。 2 自分の名前はなぜ自分の名前なの…

  • 「今」という不思議について

    1 突然ですが「今」と頭の中で唱えてみましょう。すると唱えられた「今」は瞬時に過去となり、「先程今と唱えた」という記憶としてしか、もうここにはないですね。「今」と唱えた時の今は既に世界のどこにもなく、一瞬で記憶の中に眠る過去となり果てたわけです。今とはそれほどまでに脆く儚いもののわけですが、しかし今度は「今今今…」と連続で何度も唱えてみましょう。すると自分が唱えようとする限りで、今が続くと分かりますね。唱えるのをやめれば瞬時にその今は過去に変わりますが、唱える続ける限り、今は永遠に存在し、そもそも今しか存在していないと気づくことになります。 2 時間とはやはり誠に奇妙なものであって、その中で自…

  • したいのにやり出さないことについて

    1 本を読むという話をしてから私が捲ったのは結局2ページ程度でした。働いていると本が読めないなんて話をどこかで聞いたことがありますが、自分もそうなのかなと一瞬頭を過り、考えてみました。うーん…なんだかしっくりこないんですよね。だってもし働いていなかったら本を読んでた?と自問してみると、してるところがあまり想像できないから。たぶんそうではなくて、ただ今の私にとってそれほど他人の言葉が必要ないだけなのだと思う。ブログは書けるようになったわけだし、疲れて体力や気力がないから読めないのとはやはり少し違う感じがする。 2 したいことなのに、自分がなかなかやり出さない時、ついそこには原因があると考えがちに…

  • 一ヶ月よく頑張りました

    1 あぁぁぁ一ヶ月走りきってやったぞ。めちゃくちゃ頑張った。まじで頑張ったな。一ヶ月毎日毎日書いた。たった三十一日、されど三十一日。続けた自分にまず拍手を送りたいと思います。パチパチ。本当にお疲れ私。一ヶ月、日常を飲み笑いする時も、人生にもがき苦しむ時も、休むことなく淡々とブログを書いた。えらいぞ。ずっと書いたり書かなかったりをしばらく繰り返していた私にとって、これは大きな一歩だ。前進の一歩か、後退の一歩かは分からないけれど、とにかく進んだことは間違いない。 2 毎日毎日ブログに齧り付くと、どんなことが起きるのか。一ヶ月程度では特にこれといって、めぼしい変化はないですね。ただ一日の中で食う寝る…

  • 全部魚の骨のせいです

    1 魚の骨が喉に刺さった。たったそれだけのことが今日の私の全てをダメにした。そして、今もそれは喉につっかえたまま、じわじわと私を苦しめている。別に痛くも痒くもない、ただ唾を飲み込む時に何かがそこにあると感じてしまうだけのことが、気になって気になって仕方ない。はぁクソッ。お昼に鮭なんか食うんじゃなかった。そこから私の一日が狂い出した。仕事中も、帰りの電車の中も、家に着いて今これを書いている時も、魚の骨気になる〜〜〜!!ずっと頭の中それだけだ。もう許してくれ。 2 ほんの些細なことで、その他の全部がダメになっていく。人生のあるあるですよね。人から見たら、そんなことで?と思われるような、小さな小さな…

  • 愛したいのに愛せない

    1 何かを愛したいのに愛せない。そういう時、本当にたまらなくやるせない。どうして愛せないのか、その答えは一つしかないからだ。自分の小ささ以外に、いかなる理由もない。自分が小さいから、小さい自分を守るしか能がない。小さい自分を脅かすような存在を許すことができない。共存することができない。こんなにも小さい自分を、まず何よりも愛しているから。 2 愛したいのに愛せない何かがあることは当然、その何かを愛せない自分を愛せないということであるから、自己愛をもつ人間にとって、これはひどく具合の悪い状態と言える。そんな時に人が走りがちになる態度があると思う。それは軽蔑ではないかな。軽蔑をすれば、愛せないのは相…

  • 全ては生きているからできるのだ

    1 全ては生きているからできるのだ、というこれほどまでにない当たり前を今一度考えなければならないと思う。その意味するところを本当に我々は知っているのだろうか。誰しも生きたことしかないから、その境目を普段意識する機会は少ない。けれど、それを考えておくことはとても大切であるはずだ。なぜなら、誰しも必ず死ぬのだから。死は誰にとっても他人事にはなり得ない。いずれ来たる死が「何を」終わらせるのか。それを考えておくことも、当然生きているうちにしかできない。 2 たとえば「死んだら楽になれる」なんて言葉がある。この場合の楽になれるとは一体なんだろうか。死は人生の終わり。その人自身が無くなることだ。楽になれる…

  • 夢と現実の境目

    1 夢を見た。すんごく訳の分からない夢が一夜に4、5個まとめて上映されて、不思議な気分で目が覚めた。最後に見た夢は、夢と現実の境目がはっきりしていなかった。枕元に置いてあるブタの貯金箱からお金が盗まれるというなんとも夢のない夢だった。実際、本当に家には枕元にブタの貯金箱が置いてある。そんな盗まれるわけない、これは夢だって何回も夢の中で唱えたけれど、妙に現実と全てが一致していて、酷く落ち着かなかった。起きて顔をあげ、昨日と変わらぬブタの姿をそこに確認し、ようやく安堵した。あぁだよね。そんなわけないよね。知ってた。と心の中で繰り返し、やっと私のいつも通りの日常は始まった。 2 人が夢を夢だと思う条…

  • 良いものをつくるには吸収量と範囲がものをいう

    1 良いものを作っている人ほど、過去の良いものを多く参照して取り入れている。良いものをつくれるかどうかはもちろん個人の才能やその他の諸々の要素も関係しているのだろうが、この「吸収量」は外せない本質であるように思う。そこをサボるともうよっっっっっぽど才能に恵まれているのでない限り、良いものなんかつくれない。いや、よっっっっっぽど才能がある人こそ、大概常人には信じられないほどの吸収量を既にこなしているのである。 2 他人とは違うものをつくりたい。だから他人の作ったものは見ないし聞かない。そういう人ってたぶんいる。というか昔の私がそうだった。自分は自分にしかつくれないものをつくりたいんだから、他人の…

  • いい話と本当のこと

    1 いい話というのは大抵嘘だ。嘘だからそれはいい話として語り継がれる。本当のことなんてみんな嫌という程に知っているから、そんなの今更口にしたって仕方がないのである。だがそれは語り継がれるうち、嘘だということも大抵みんな忘れていく。こんなに語り継がれているのだから本当に違いないのだという逆転の捉え方が出て来るようになって、話がややこしくなっていく。今度はもはやそれをわざわざ嘘だと指摘しなくてはいけない。みんな嘘だと知っていて、だからこそ語り継がかれてきたものが、嘘なのだとあえて提示しなければ、本当だと思い込まれていくまでに変わっていってしまうのである。 2 本当のことは大抵身も蓋もない。身も蓋も…

  • 言葉に他意はありません

    1 相手に対する自分の心のうちをそのまま明かしただけのに、「優しいね」と評されることがある。そんな時、私はなんだかもどかしい。優しさじゃない、本当にそう思ったからそう言っただけだよと口にしたくなる。だが、実際にそう応じてみても、大概「慰め嬉しいよ」とはぐらかされて、結局は何も伝わっていないような気がする。優しさで思ってもない慰めを並べるくらいなら、最初から口を開いたりはしない。私はあなたを思ってそれを言ったのではなく、私の思っていたことが本当にそうであっただけなのだと、一体どうしたら伝わるのだろう。 2 自分の心から思ってるだけのただの「本当のこと」が、受け取り側によって、慰める言葉や褒め言葉…

  • 読む本が決まりました

    1 さぁ昨日の記事から私が手にとった本のタイトルを発表したいと思います。それは…なんと…何も読んでませんでしたぁ。おいおかしいって。いやぁ昨日の記事を書いていた時は、確かに本を読もうという気持ちがあったんです。嘘じゃないんです。信じてください。ただいつの間にか消え失せて、気づいたら一日が経っていて、もうこの時間になっていたんです。本当なんです。 2 自分というものはつくづく当てにならないなと思う。思うことも考えることもいつもただの気まぐれで、そこには本当にやるんだ!という真剣さが全然ない。私はたぶん自分の人生で何かに対して真剣になったことなど、未だかつてない。このブログを見てもらえれば分かる通…

  • 本を読みたくなった

    1 言葉をダッと二十何日連続で出してきて、自分の中が空に近づいてきたのを実感する。あぁなんか言葉を摂取したいなと、そういう欲求が湧いてきたのである。これが本来の健全な流れなのだと思う。言葉を摂取して、自分の中でしばらく発酵させる時間があって、やがて外に出される。言葉の循環が自分を介して成されていくその流れを絶やさず繰り返すことで、人生に停滞がなくなる。心地いいですね本当に。 2 私はたぶん本を読む方ではない。あまり集中力がないし、同じ本を読み続けるのもすぐ飽きてしまう。カバンには常に二、三冊の本を忍ばせているけれど、大抵は肩を疲れさせる重りとしてしか機能してない。他人の言葉にかじりつく能力が、…

  • 書く気分じゃない日でも書く

    1 はぁ今日はなんも書く気しないな、もう早く寝たいなと思う時でも、ブログを開いて、はぁ今日はなんも書く気しないな、もう早く寝たいなと書きにくる。そういう生活を積極的に送っていきたいと思う。このブログ元々は毎日投稿だったのに、五月以前は三ヶ月くらい休んでいたし、その前も一年くらいはポツポツとしか書いていなかった。たぶん最初に一度休むことを自分に許したからだ。一度あることは二度あり、二度あることは三度ある。そうしてどんどんどんどん休むことを覚えて、ついには書くことと休むことの頻度が逆転してしまった。 2 何かを休んでもいい人というのは、しっかりとメリハリをつけられて計画を立てられる人だけなのだと思…

  • 自信とは信じられる「自分がある」ということ

    1 他人が自分の人生を歩んだとしても、きっと自分のようには生きられない、そう思うことが自信の正体なのではないだろうか。こんな環境で暮らせば「普通は」こうなる、でも自分はそうはならなかった、頑張って努力して違う道を歩めた。自信とは読んで字のごとく、自分を信じられるということだ。信じられる自分があるということだ。この時「信じられる」は実はただの前座で、「自分」と呼べるものがあることが、自信においては最重要なのである。 2 他人が自分の人生を歩むと想像することは、つまり自分の人生から自分を分離させる行為である。その分離された自分の方に残るものがあると思えるかどうか。人生で出会う偶然に影響され流される…

  • 祈りを込めてただ創り続ける

    1 自分の信じるものを創り続けていれば、いつか誰かが見つけてくれる。たとえ誰にも見つけてもらえなくても自分の信じるものを作り続ける。俗に言う職人気質みたいものが私は大好きである。それはたぶん現代とはすこぶる相性が悪い価値観なのだけれども、人知れず今もそうして生きて、人知れずそうして死んでいった人々を私は心の底から尊敬している。なんというか、すごく気高さを感じないだろうか。信念と呼ぶべきものが一本真っ直ぐに通っている、そういう誇り高く気品のある魂を自分も持ちたいと切に願うのである。 2 誰にも見つけてもらえないのならなんの意味もないじゃんという反対の価値観を考えてみる。自分の信じるものを丹精込め…

  • 人は必ず死にます

    1 私は生きていたいと思う方である。本当に死にたくないなといつも思っているし、そう思う心があまりに大きすぎて、反動で死にたくなることもあるけれど、やはりは生きていることが根本から好きである。何かを感じ思い考えては日々が過ぎていく、そういう時間の流れがただただ愛おしい。けれども、じゃあそういう時間をできるだけ長く維持するべく長生きを目指そうと言われたならば、きっとなんのやる気も出ない。なぜなら、私は長生きがしたいのではなくて、ただ生きていたいだけだからだ。先のことよりも、この瞬間の生をまず何よりも愛しているのである。 2 死というのは常々人から悔やまれる。短い生は言わずもがな、どんなに長生きした…

  • 自分の特別を見失わない

    1 私は自分にしかできないことがあると考える。もちろんそれは自分が選ばれた存在だとかそういうことではなくて、「人は誰しもその人にしかできないことがある」という意味で、純粋に自分もそのひとりだと思うだけである。誰しもその人にしかできないことがある。そういう意味で一人ひとりの人間は皆特別であるはずだ。だけれどもまさに皆が特別であるために、その特別さは安易に見過ごされ、簡単に失われてしまう。結局、世の中に特別だと評価されなければ、或いは誰か他者にとっての特別でなければ、自分の特別さを見い出せなくなって、自分の存在意義に疑いをかけていってしまう。 2 特別を辞書で引いてみる。出典によって多少の違いはあ…

  • 美容院行ったので見た目について考えた話

    1 今日は髪を切りに行った。生活の中で数少ないイベントの日だ。前の美容院記事の中でも書いた気がするが、私は万年ショートカットである。その髪型が好きとか、自分に似合うとか、そういうのではなくて、ただ髪を洗うのも乾かすのも面倒なので、楽な髪型にしているだけである。もしも世の中の人の自分の見た目を気にする度合いが1〜10まであるとすると、たぶん私は2か3くらいのところにいる。人と関わる上で酷く不潔だとか思われない程度に整えて、あとはもう本当にテキトーである。こだわりもないし、なりたい姿もない。そもそも他人のためにしか見た目を気にしようと思えない。 美容院で人の優しさに感動した話 - 底辺人間記録 2…

  • 書くこととはズバリなんなのだろう

    1 昨日、一昨日、一昨昨日と、この人書くことの話しかしていないな。他に書くことないんだろうか。うーん……ない。だって特別な非日常を送っているわけでもないし、その日常の大半を占めている仕事も私にとっては書くに値いしないことであるから、本当になんにもない。だから日々頭の中に眠っていることから書くネタを引っ張ってくるしかないのだけど、最近の私の頭の中はもっぱら書くことでいっぱいだ。いつもいつも書くことと、このブログのことばかりを考えている。朝起きて仕事行くまでの間も、せっせと仕事をこなしている間も、仕事終わりから眠りにつくまでの間も、およそ書くことをしている時間以外は全て、書くことについて考えている…

  • 文章に深みを出すには

    1 文章に深みを出すにはどうしたらいいかと考える。読んだ人が思わず唸ってしまうような、長く心に残るような、そんな文章を書くには、一体どうしたらいいのだろうか。それはきっと、伝える内容よりも伝え方が鍵になってくるのだと思う。どんな内容であるにしろ、心に残る伝え方をすれば必ず残るのだし、逆に伝え方が下手くそであれば、どんなに良い内容でも霞んでボヤけてしまうに違いない。…というところまでは分かるのだけど、じゃあ肝心の伝え方はどんな伝え方がいいのかと考えると、結局振り出しに戻ってしまう。 2 ところで文章において、伝える内容とその伝え方はどの程度可分的なのだろう。パッと思いつくところは、伝える内容が裸…

  • いつもあなたに宛てて書いています

    1 自分にとって、意識にすら上がらないような、まるで言葉にする価値もない当たり前のことが、他人にとっては喉から手が出るほどに心の底から望んでいる言葉だったりする。そういうことってたぶん、自分が思うより結構たくさんある。だから私は、自分の当たり前を常に振り返りたいと思う。できるだけ意識に上げて、そういうことをこそ言葉に起こしたいと思う。自分の書きたいことよりも、書くべきと思うことよりも、こんなの誰が読むんだよというような文章を一番にここに並べていきたい。 もちろん、だからって自分の書きたいことと書くべきと思うことを蔑ろにするのではない。要は優先順位の話だ。 2 このブログはいつも書きたてほやほや…

  • 進化していきたい

    1 ブログのアクセス数がとんでもないことになっているなと思ったら、どうやら「きょうのはてなブログ」にとりあげていただいたようだ。わぁやった。3年ブログを続けてきて初めてだ。細々とやっいるだけのブログなので、まさかこんな日が来るとは思いませんでした。これを機に登録くださった方、お読みくださった方本当にありがとうございます。アクセス数や読者様が増えるとシンプル嬉しいものですね。3ヶ月ほどお休みして久しぶりに戻ってきて10日くらいでこんなことがあっては、ますます毎日書き続けなくちゃという気持ちになりますね。 2 とりあげられた記事がきっかけで読みに来てくれた方のために書きますが、このブログは本当にく…

  • 芸術の感想って正解ある?

    1 芸術を鑑賞して何を思うべきなのだろうとよく考える。そこには客観的な正解があるのか、はたまた自分で感じたものをそのまま味わえばいいのか、実のところよく分からない。どちらを考えてみてもあまりしっくりこないのである。あ、作品によるだろというのはなしでね。よらないところをまさに今考えているので。好みで言えば、私は完全に各々が好き勝手に感じればいいと思う派である。だけど、たまに同じ作品を鑑賞した他人の感想で、あぁこの人は私よりもずっと深くこの作品を捉えられているなと思うようなことがある。そんな時は自分は何も分かっていなかったんだなと酷く反省するのである。また逆にどう鑑賞すればそんなに悪意のこもった解…

  • ブログを続けていきましょう

    1 気まぐれに戻ってきたのに思いのほか記事が続いている。やる気なんて全然ないのだけど、ついブログを開いてしまう。きっと、私の生活にまた何かが強く不足し始めたのだと思う。何かは分からないのだけど、ただ生きるだけでは耐えきれぬ焦燥感と不安感が私に強く襲いかかっている。このまま死にたくないなという思いを吐露するために、ここに書きに来ているのだろう。一体どうすれば死を乗り越えられる、その方法を模索に、ここに書き来ているのだろう。依然私は全く死を解決できないまま、相変わらずの毎日を過ごしている。 2 死の問題はきっと死ぬまで解決できない。これはもうどう考えてもそうである。でも私はそれを悟ることができない…

  • リズムがいい文章を書きたい

    1 文章は内容よりもリズムだと最近よく思う。少なくとも私が書く時はそうである。内容ももちろん大事であるけれど、それを乗せる文章のリズムが良くないと端的に読む気が失せる。私が文章を書く時によく考えるのは例えば「ここに五文字くらいの響きの単語を入れたい」とか「ここの語尾はuの母音で終わりたくない」とか「こことここで単語を繰り返すと面白いな」とかそういうことである。読んでいてリズムが途切れるような、引っかかるような文章には極力したくない。リズムがいいとその内容もすっと頭に入ってくる。私はそんな文章が書ける人になりたい。もちろん内容が綿密で正しい文章を書ける人にも、憧れはある。できれば両方を上手く兼ね…

  • 存在しない記憶

    1 ここ最近ブログを開く機会も増えたので、自分の過去の記事を何個か読み返していた。私ってこんな良い文章書いてたんだなぁと改めて驚いた。本当に自分が書いたのかと疑いたくなるほどに、素晴らしい出来だ。今の私にこんな文章が書けるのか?と自問してみたが、とても無理そうだ。過去の自分がどうやって書いていたのか今となってはもう全然分からない。私は自分のことを、日々生きているだけで、生きている日数を最も積み重ねてきた分、なんとなく常に今最新の自分が一番優れている気でいたけど、そんなことは全くなかったなぁと過去の自分に深く脱帽した。 2 今の自分は過去の自分を全て経験してきたのだから、その意味で過去の自分は今…

  • 仕事は自分じゃない

    1 私は仕事というものにお金が貰える以上の価値を見い出せない。やりたい仕事なんて全然ないし、働かずに同額のお金が貰えるなら絶対に仕事なんかしない。情熱はないし、やりがいとかそういうものも感じたことはない。ただお金が貰えるので、お金が貰えるくらいの責任は果たそうと、そういう常識的な感覚があるだけである。お金がなきゃ生きていけない。だからお金を得るための手段として働く。それ以上でもそれ以下でもない。 2 例えば仕事をしていて、人の役に立てて嬉しいなと思う瞬間は確かにある。また以前よりもできることが増えて楽しいなという瞬間もある。でもそれはそれだけである。だからこの仕事が好きだとはならないし、だから…

  • 体力をつけようね

    うぅ… GWだけ顔を出しおって。書くこと書かないことの御託を散々並べてますけど、つまりあなた働きながら書く体力がないだけですよね? 三年くらい経ちましたね いやー昔は若かったな…。このブログを始めた時私はまだ二十代前半だったものね。三年くらいしか経っていないとは言え、なんだか随分元気がなくなった感じがするな。労働時間も大して変わっていないし、むしろ昔は肉体労働で今はデスクワークなのに、仕事終わりの余力が本当になくなってしまった。帰ったらベッドにグダっとしてYouTubeをボーッと何時間か眺めてお風呂に入って寝る。そんな日ばかり。YouTubeを開く気力はあるのに、ブログを開くのはひどく億劫で避…

  • 自分の書きたいことってなんだろな

    1 相変わらず自分が何を書きたいのかさっぱり分からん。書かれた記事を読み返すと多くが「まぁ書きたかったことじゃなくない」くらいのものにしかなっていない。全然心からの叫びを果たした感じがしない。もっと他に書きたいことがあるはずなんだけどなぁという思いがしこりとなって残り続けている。でも、じゃあ何を書きたいの?と正面きって問われると、本当にさっぱり分からん。自分のことなのに、分からなさすぎてつい苦笑したくなるほどである。なんとなくここで「だがだからこそ私は書いている」と安易に繋げてみた。あぁきっと、これ以外に答えはないのだろうな。 2 自分が何を書きたいのか、それを知るためにこそ私は書いている。今…

  • 成長は副次的なものだ

    1 成長なんてのはしないで済むのならそれに越したことはない。ある物事を成長を伴わずに楽しめる人と、成長を伴うのでなければ楽しめない人がいたら、明らかに前者の方が得であろう。世の中では成長を無条件に良いものと捉える価値観がどうも蔓延っているようだけれども、本人にとってみればその多くはただ必要性に駆られただけのことに過ぎない。そもそも成長というのは単なる過程であって、それ以外のものではない。だから、目標にされるようなものでもなければ、誇りとなり得るようなものでもないのである。ただ物事を行っていく過程として淡々と存在することがあるだけだ。 2 自分が成長したなと実感できる瞬間が来ると確かに嬉しい。以…

  • 書くことは逃走だ

    1 現代の隣に生きる人々とどうしても心を交わせない。そういうことが悲しくてやるせなくて、私は筆をとる。どうしてこんなにも言葉を尽くしているのに分かり合えないのか。他人なのだから当たり前だ、と理性では分かる。だが心はやはり寂しい。その寂しさを諦めたくなくて、私は未来に、もっと遠くにいる人々に言葉を託す。いつかどこかで私の言葉を受け取ってくれる人が、心の底から共鳴してくれる人がひとりでもいればと、そう願って。 2 分かり合えなくても、分かり合えなさを分かり合えるはずだ。それが私の思うところである。だから言葉を尽くせば、その分かり合えなさに共に辿り着けると信じてやまない。ところが、現実はいつもその随…

  • 才能とはなんだろうか

    1 27歳にもなって考える。自分にはどんな才能があるのだろうかと、もうここまでで目覚ましい出現がないのならそもそも才能なんてないのではないか、と思う。根拠はないがたぶんこれが正解だろう。才能があるのならもっと早くに何か頭角を現しているはずである。私はただの凡人。いや凡人にもなれなかった底辺だ。しかしそれが分かったからといって、私の人生がどうにかなるのかと言えば、全然そんなことはない。才能があろうとなかろうと、やることは同じである。私は私の人生を生きる、それだけだ。 2 しかし、才能があればなと、そう夢想することは幾度となくある。その有無に関わらず、やることは同じであるけれど、できることの幅はや…

  • 芸術とは神の声だ

    1 この頃他人の芸術ばかり鑑賞していた。音楽に小説に絵画にその他もろもろ。人の芸術を鑑賞するというのはつまりその人の排泄を見ることなのだと、私は思う。その人が何を自分の外に出さざるを得ないのか。ビジネス目的でない作品はその表れだと個人的には捉えている。作品自体に何かがあるのではなく、作品を作り上げる行為の方にこそ本人にとって重要で大きな意義があり、それをするために、ついでに作品ができあがっているだけに過ぎない。私が作品を通して見ているのはいつもその行為の方だ。 2 排泄なんてのはしなくて済むのなら、しないに越したことはない。たいていの人はそう思うはずだ。必要性に迫られているからする。芸術も同じ…

  • 多数派と少数派について

    1 大抵の物事には多数派と少数派がある。けれども、それは細かいところを詰めていないがために、そう分かれているように見えるだけである。例えばある物事に対して、一口に賛成と言っても、その理由は様々であるし、条件付きの人がいたり、賛成度合いもきっと本当は全然バラバラである。ただ反対する人と比べた時に、大きな括りとして賛成のグループに入れられているだけである。多数派も少数派もこれは同じだ。党派というのはそういう細かいことは抜きにして、同じところだけを抽出する集まりである。 2 社会というのは多数派に利便があるようにできている。これは仕方のないことだ。秩序を保つためには何かしらの基準が必要であり、その基…

  • 人生は一度きりだから?

    1 人生を何か大切なもののように語る時、「人生は一度きり」という文言がよく使われているのを見る。人生は一度きりだからやりたいことをやろうとか、人生は一度きりだから後悔のないように生きようとか、そんなフレーズが多く飛び込んでくる。けれども、そもそも一度きりではない人生とはなんだ?と思うことはないだろうか。例えば死んだ後で、今の記憶を持ったままもう一度赤ちゃんからやり直せるとか、時代を超えて赤の他人として改めて人生を歩めるとか、そんなのが一度きりではない人生ということなのだろうか。しかし、よくよく考えれば、それはただ今の常識の意味と違うだけの結局は一度きりということではないか。人生は仮にやり直すこ…

  • 自分にとっての書くことの変化

    書くことは 以前の私にとって書くということは自分を書き記すことだった。それはつまり書くことを自分の外側に配置し、自分をこそ書くことの中に入れるという作業であった。だからこそ、それは毎日為されなくてはならなかった。書かなければ自分がそこで終わってしまう。終わらせないためには書くしかなかった。けれどこの頃はそれが大きく変わった。書くことは自分の一部になった。自分を書き記すためにではなく、ただ書くということをしている。それは洗濯や料理をするのと、何ら変わらない日常の行為の一つに成り果てた。 書くことは 以前の私にとって書くということは私にとって日常からの逃避だった。日常の自分から目を背けるためにここ…

  • この世で最も兼用であり専用であるもの

    言葉は兼用 前回に関連した話。この世で最も兼用であり、最も専用であるものは言葉だろう。言葉ほど多くの物事に用いられるものはなく、言葉ほど一つの物事を正確に表せられるものもない。だが言葉は必ず兼用だ。たった一つのものを表す専用であることは決してない。あるものに言葉をあてがい、名前をつけるためにはまず、それが一つのものであると我々が認識できなければならず、そして、一つのものであると我々が認識できるためには、必ず時制的同一性を要求する。1秒前のあるものと今のあるものを同じものと見なす我々の認識が、言葉を可能にしているので、今この瞬間だけの「それ」を表すことのできる言葉は存在しないのである。 言葉は専…

  • 兼用と専用について

    兼用と専用 兼用というのはとても便利なことだ。一つのもので二つ以上の物事に役立てるなんて、本当に素晴らしいという他ない。けれど、これは貧しさの象徴であったりもする。専用のものが持てないからこそ兼用でしのごうとするのだと、そう見ることもできるわけである。逆に一つ一つのものに専用のものを必要とするなんてそれは考えの貧しさだ、と捉えることもできる。考えが貧しいから、兼用で対応可能な物事に対しても、いちいち専用を割り振らないと切り盛りできない。極論で考えればこれは「全ての物事に兼用できるたった一つのものがある方がよい」か、「全ての物事にそれぞれ専用のものが備わっている方がよいのか」という問題である。 …

  • 本気ということについて

    1 本気というのは面白い概念で、それはいつも後から書き換えが可能である。あの時は本気だったとか、あの時は本気じゃなかったとか、どういう風に過去に読み込みたいかで、どちらにも解釈できるようになっている。「あの時はああ言ったが、口をついて出た言葉で本気じゃない」「その言葉がつい口から出るということはそれが本気なんだよ」「本気でお酒をやめようとしたけどやめられなかった」「やめられなかったということは本気でやめようとしていなかったんだよ」などなど、本気かどうかは、過去を振り返る視点によって定められていて、その時々で本人が実際に本気だったかとは実はあまり関係がない。 2 今自分が本気を出しているのかと考…

  • 普通の人はすごい

    普通の人はすごい 普通の人というのはすごいなと常日頃思う。私は普通の人のようにはなれない。まず、他人との何気ない会話を楽しむ心を持てない。他人と会話をする時、私はいつも自身の自尊心の壊れを恐れており、それが壊れぬように気を張るので精一杯である。他人の一言一言に私の自尊心を破壊する凶器が隠れていやしないかと、点検するのでもう酷く疲弊してしまう。他人との会話なんて避けられれば避けられるに超したことはない。 自尊心の大きさが世界と同じ 私は己の自尊心を自分一人だけで守れる人に強く憧れを抱いている。普通の人はきっとそういう人間に違いない。だから、他人の言葉の節々など大して気にせずに日常の会話がするする…

  • 当事者について

    当事者 「当事者」という言葉がある。その事に直接関係する者という意味の言葉だそうな。どうも近頃この言葉には、それだけではない意味が込められているような感じがする。なんというか「当事者が言っているのだから」となると、誰もそれ以上何かを言ってはいけない空気になる。何かを言えば「当事者の苦しみをなんだと思っている」と必ずこちらが悪者扱いされる。当事者の主張を聞き入れる以外の選択肢が、社会的に奪われているのである。 こんな弱小ブログ見つからんかそもそも ある事に直接関係する者の声と、その事に直接には関係ない者の声の間にある差というのはもちろん、その「直接さ」つまりは、それがどれだけ本人にとって生の現実…

  • 正しいことを書きましょう

    笑えない 書きましょうとは書いたが、さて、何を書きましょう。困ったことに最近何も考えていないですからね。別に考えたことだけしか書いてはいけないなんてルールはないですけど、やっぱり考えた実りあるものを書いていきたいじゃないですか。お前程度の頭で考えたことが実りあるものとか笑わせんなと言われれば、もう大いに笑っていただく他ありません。 善悪 しかし実りあるものとは何なのでしょう、何が実りになるのか、それはやはり人それぞれでバラバラなのでしょう。私の書く文章が誰かの実りになることは、なくはないはずである。しかし逆に誰かにとっては全くなんの実りにもならず、むしろ害悪であるといったこともままあると思いま…

  • 書きましょう

    お久しぶりです 書かない人生の方が幸せであるのは言うまでもない。その上で書くことを選ぶのは、つまり自分の幸せなんかよりもずっと大事なものがあるからだ。死を胸中に浮かべるなら、これは誰しもが抱える思いのはずだ。幸せは死によって奪い去られる。だが文章は死によっても消えることはない。文章は一人の人生などという短小なものの内に収まらない。言葉を受け取る存在がいる限り永遠に残り続ける。書くこととは即ち何かを永遠に残さなければならないという世界に対する自身の慈愛の心が生み出す選択なのである。 どこまでも考えてゆきましょう 人様に何かを伝えたいのだとすれば、私の言いたいことはたぶん「もっと考えて」しかないの…

  • 生きにくい世の中や人生があるのではない

    1 この頃、生きにくい世の中だとか、生きにくい人生だとか、そういうフレーズをやたら見聞きする。これ、個人的には不思議である。だって、元々そういうものではないか。生きにくい世の中や人生があるのではなく、世の中や人生というものがそもそも生きにくいものでしかあり得ない。世の中や人生にわざわざ生きにくいとつけるのは、まるで生きにくいのではない世の中や人生があるかのような言い方である。 2 どうも、今よりも生きやすい世の中や自分よりも生きやすい人生がある、と思う人が圧倒的に多いようである。しかしそれはただの幻想だろう。もちろんそれは、それらが存在しないと言いたいのではなく、そもそも生きづらさは比べられる…

  • お互いに努力をしてこそ正常に機能する言葉

    1 「気持ちだけで嬉しいよ」という言葉がある。これは本当に難しい言葉だ。なぜなら、本当に気持ち「だけ」であるなら、およそ、その気持ちを感じとることは本人以外、誰にもできないからである。気持ちを相手に感じさせるためには、それに伴った行動が必要になる。「気持ちだけ」という言葉には、いつもその「だけ」に排除される何ものかが既に含まれていなければならないのである。つまりは、相手に「気持ちだけ」と言われるためにこそ、必ず気持ちだけではいけない。気持ちだけでなく、気持ちに伴った行動をしようとしたが、それがうまくいかなかった時に、やっと「気持ちだけ」という言葉が正常に機能するのである。大丈夫、それをしようと…

  • どうにもできないことはどうにかできることと繋がっている

    1 自分の意志とは関係なく、してしまうことが人にはある。不安に思っても意味がないと分かっているのに、ついそれを何度も想像してしまったり。他人を悪く言っても仕方が無いのに、つい口をついて雑言を吐いてしまったり。自分のプラスにならないと知りながら、やめることのできないことが人には本当にたくさんある。人の悩みのタネはほとんどこれだと言ってもいい。〜したくないのに〜してしまう。解決するにはさぁどうすればいいのだろう。 2 認識する順番を入れ換えるのがカギだと思う。〜したくないのに〜してしまう。のではなくて、〜している自分をまずしっかりと認める。したいしたくないに関わらず、現にしているのだから、している…

  • 現実は甘くないという甘々な現実

    1 人生で最も大切なことはつまるところ、自分の思う幸せや楽しさを壊さないこと、見失わないこと、手放さないことであると思う。それを犠牲にするような、それが分からなくなるような、そこから目を背き続けるような生活が、結局は自らを惨めにさせ、他者へのマイナスな関心を抱かせる。現実はそう甘くない、と人は言う。それができるのはひと握りだけで、残りの人は大なり小なりそんな惨めな生活を送らざるを得ないのだ、と。でも本当にそうなのだろうか。確かに世界は現にそうであるように見えるけれど、本当に本当に、みんな本気を出しのだろうか。 2 そうじゃない、と私は思う。このくらいの幸せが自分に似合う。そこそこ楽しければいい…

  • 自分を愛すために世界を愛さなくちゃならない

    1 人間が狂うのはいつだって自己愛が破壊された時である。自分の理想とする自分と現実の自分があまりに乖離した時、人はそれに耐えきれず理性を失う。理想の自分に近づくためのあらゆる努力を放棄し、理想の自分にしてくれない世界の方を恨み否定するようになる。自己愛を直接満たす術がもうないから、世界を否定することで間接的に自己愛を満たそうと考えるのである。けれども、もちろんそれはそうすればするほど虚しい結果を招くだけだ。瞬間的な快楽として満たされることはあっても、中枢はいつも冷たく死んでいる。 2 しかし一度狂った人間はそう簡単には正常へと戻れない。いや、もう二度と戻れないとさえ言ってもいい。自己愛を破壊さ…

  • 哲学は答えがないからこそ始まる

    哲学の問 哲学の問には答えがない。だから多くの人にとってそれは無意味な活動に映る。いくら問うたところで分からないのだし、時間をかけても仕方がないだろうと思うわけである。答えを出すことだけに意味を見出すなら、哲学が無意味であるというのは、無論その通りである。だが、哲学の真骨頂はそこにはない。答えがないことなど、哲学的にはいわば当たり前に過ぎない。その答えのなさにこそ驚いて、哲学者は「なぜ…」と問うているのである。答えがないことからやっと、哲学は始まるのだ。 哲学とは その意味で、哲学はその答えが「どうしてないのか」または「どのようにしてないのか」を扱う学問なのである。世界が存在するわけなど知るは…

  • 死にたくない

    1 結局私はいつまでも死ぬのが怖くてたまらない。できることなら死にたくないと毎日思う。それでも必ず死ぬことはやはり自明であるから、どうにかこうにか受け入れていかなければならない。何をしたら私は死んでもいいと思えるのだろう。それを何回も何回も考えてきた。けれど、いつも、何をしても死にたくない、というところにたどり着く。死をどうしたって受け入れられない。死にたくないと足掻いて足掻いて、どうせいずれ死ぬのならもういっその事…なんてことも幾度となく思ってきた。どうにもできない。どうにかしたい。毎日毎日。 2 じゃあ生きていて私は何をしたいのかというと、こちらは何もない。ただ生きていたい。世界をずっと見…

  • 自分だけは大丈夫と信じながらもできることはしておこう

    無根拠な信仰 どれだけ平和な国や時代においても事故や事件というのは毎日どこかで起きている。どれだけ医療や科学が発展していても、病気や障害などはやはりなくなるものではない。今、平穏と健康を持って生きられている人は、本人の意識や努力など以前に、偏にたまたま運に恵まれているにすぎない。まさに明日は我が身なのであって、自分や自分の周りだけは大丈夫なんて保証はどこにもない。その事実はみんな分かっているはずだ。分かっているけれど、それでも平穏と健康が無根拠に明日も続くと信じ、当たり前な前提として日常を送っている。 自分だけは大丈夫? ひとつにはそれはやはり仕方ないというのがあるだろう。その事実があるからと…

  • 自分と他人を分かつものは何もない

    自虐的には生きたくない 他人を非難したり、蔑んだり、何かマイナスな態度をとることはなるべく避けたいと思う。他人と自分を分けるものはつまるところ、「現になぜかこの人が私だった」という事実だけであって、目の前にいるこの人も、職場でいつも会うあの人も、道ですれ違ったその人も端的に私でありえた、けど、たまたまどうしてかそうはならなかっただけの、私であった可能性を十分にもっていた人達だからである。私であった可能性がある人たちに何かマイナスな態度をとるということは、私自身に対してマイナスな態度をとるということ。そんな自虐的には生きたくないなと思う次第である。 分からない もし私が目の前のこの人だったら。こ…

  • 普通と変

    普通と変 世の中には普通の人と変な人がいるのではない。どんな人でも近づいてよくよく見ると、変に思えるポイントが出てきて、遠ざかっていけばいくほど普通に見えてくるだけである。それは見る距離と見る時間の長さによって大きく変わることであって、見られている対象の方に何か決定的な違いがあるのではない。それを勘違いしてはいけない。そもそも普通なものは普通であるだけだし、変であるものは変であるだけに過ぎない。そこに優劣はない。ただ多数派が普通と呼ばれ、少数派が変と呼ばれるに過ぎない。変だからそれを矯正し、普通に合わせなければいけないということはないし、普通だから正しくて、そこからはみ出さないようにしなくては…

  • それは本当に価値観なのか

    1 価値観とは事実に対する個人の感性や考えである。それは必ず事実に根差していなければならず、もうしそうでないなら、幻想や妄想の類に含まれるだけである。りんごを美味しいと感じるかまずいと感じるかは個々人の価値観に他ならないが、りんごをトマトだと思いそれをトマトだと呼ぶことは決して個人の価値観などではなく、それはただの世界の誤認か、或いは言葉の誤用である。ここはとても大事な線引きだ。我々は根本的に後者を個人の価値観だと認める術を持たない。無理にそれを認めようとすれば、世界の秩序が崩壊してしまう。 2 自分という個人に対してもこれは同じである。自分のことだからといって、好き勝手に価値観を設けられるわ…

  • まずは同じ世界に生きなければならない

    1 私達は同じ一つの世界に生きているようで、その実、全く異なる世界を各人がそれぞれに生きているだけである。視点がある一人の人間に固定されているのだから、これはある意味で当然な話だ。誰だって自分と呼ばれる人の内側しか覗けず、他人に対してはその外面が分かるだけである。それでも日常生活の上ではさほど困らない。やはり、「その実」全く異なる世界を各人がそれぞれに生きているのであって、普段は同じ一つの世界に生きているように「見える」くらいの同じさは保たれているからである。 2 日常では困らないけれど、しかし、何かの核心に触れるような話になると途端にダメになる。なぜなら私達は普段の様子から私達は同じ一つの世…

  • 自分の中にだけ吹く向かい風

    1 人間には向かい風が必要である。向かい風がなければ、追い風がどんなにありがたいものなのかを実感できない。風がない状況の平穏さも忘れてしまう。向かい風が一切ない人生に、もはや自分はいない。向かい風に強く吹かれるからこそ、自分という存在がそこにはっきり現れるのである。地面を踏みしめながら一歩ずつ立ち向かうその足が自分の生きる意味なのだ。 2 けれども、この時代にもうそんな強い向かい風は滅多に吹かない。時々局所的に突風が発生することもあるけれど、多くの人にとっては、そよ風くらいのものだ。大変困った事態である。もはや追い風のありがたみは完全に忘れられて当たり前と化し、風がない状況であるだけで不憫と数…

  • 不安とは仲良くしよう

    1 漠然とした不安というのが人生にはある。何が原因かはっきりとは言えない、言えないのだけれどとにかく不安でたまらないという状態のことだ。この不安はもちろん容易にはとり除けない。いやそもそも根源的に取り除くのは無理だとさえ言える。なぜならその漠然とした不安は、生き物の宿命、即ち死に関する不安だからだ。 2 不安とはつまり、何がどうなるのか分からない、最悪の最悪どこまで転がり落ちるのか、谷の底が見えず、それに事前に備えておくことができない、先の見通しが立たない状況のことだ。だから、今自分が何をすべきなのかも分からない。これをするのも、あれをするのも、もしかしたら、その最悪の最悪に転げ落ちてしまうき…

  • 皆様お久しぶりです

    1 皆様お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。ふと思い出し、ブログを立ち上げました。最後の記事はなんともう二ヶ月以上も前なんですね。もうそんなに経ったのかというべきか、まだそんなもんなのかと思うべきか、自分でもよく分かりません。率直な感想としては、なんだか書くこと自体がとても新鮮です。自分は今何をしているのだろう?と自問したくなるくらいに不慣れで、無骨に筆をとっております。 2 この二ヶ月を振り返る。と言って振り返られるような趣のある生活はとくに送ってきませんでした。ただ生活から書くことだけが消え、それ以外はなんの代わり映えもない日常を過ごしました。普通に働き、普通にご飯を食べ、普通に寝て…

  • 世の中そういうものだから

    1 「世の中そういうものだから」という言葉、誰しも人生で一度は耳にしたことがあるのではないか。そういうものだから、仕方がないことなのよ、後に続く言葉はそんなところだろうか。しかし、よくよく考えてみると、世の中というのは常に移り変わってきた。昔では仕方ないとされていたことが、今ではすっかり改善され、自由が効くようになった物事などいくらでもあるだろう。「そういうもの」は別に全く不変的ではないのである。だが、それでもこの言葉を言う人は後を絶たない。今日もきっと世の中のどこかで誰かしらがそれを口にしているだろう。なぜなら、たぶんみんな諦めたいのだと思う。 2 そういうものだから、仕方ないのだ「というこ…

  • 四月になりましたね雑談

    1 四月になりましたね。というかもう十日ですね。ついにどうにもならないほどのお休みをしてしまいました。何を言ってももう書くことからすっかり気持ちが離れているのだろうと思います。お休みしている間、私が何をしていたのかと言えば、ただ普通に暮らしておりました。普通に朝起きて普通に仕事をし普通にスーパーで買い物をして普通に夕飯を食べ普通に寝床について、ごくごく普通の毎日を送っておりました。およそ書くことが入る隙間などどこにもないほどに、些細な幸せを感じては、毎日に満足をしているのである。今更何のために筆をとろうかといよいよ考えるわけですが、ここまで積み上げたものをぽいっと捨てる勇気が私にはまだないよう…

  • 他人に対する判断をどのようにするか

    1 本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定するのは理不尽であり、偏にそうするべきでない。という言説はとても正しいように思う。理由は言うまでもないが、単純にそれが本人の望んだものではないからだ。しかし、この言説は「だから、そうすべきでないのだ!」と直ちに主張していくには問題を孕んでいる。それは「本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定する」こと自体が、本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられないまさにその部分によって為されている場合があるためだ。 2 だか…

  • 配慮はする側の親切

    1 配慮というのは、それをする側の親切と美学であって、される側の権利ではない。履き違えてはいけないところだと思う。そこに道徳を持ち込み、自分たちは配慮されなければならないと主張するのはとても醜いことであって、偏に人としての品性が欠けているのではないだろうか。配慮して欲しいなら、きちんとした態度でお願いをすればいい。それが嫌なら配慮されるのを諦める。配慮はされたい、でも自分から頭を下げるのは癪に障る。だから正しさを主張し、それを自分の権利として、さも相手の義務であるかのように振る舞う。下劣そのものだろう。 2 配慮は決して当たり前のことではない。それはいつもする側の良心と正義心に支えられている。…

  • 何もしていないから悪いということもある

    1 「何もしていないから自分は悪くない」という言葉がある。何もしていないのだから自分は端的に関係がないといった意味なのだろう。何もしていないのだから、何も影響を及ぼすはずがない。それがどうなっていようとも、自分がやったのでないことだけは確かだ。だが、これは本当だろうか。人にとってそもそも「何もしていない」とは何を意味するのか。例えば、今日という一日の中で自分は何もしていないと言える瞬間はあったかどうか。ソファで寛いでいる時、ベッドで横になっている時、そんな一見何もしてなさそうな時でさえ、人は寛いだり、横になったりしているのではないのか。 2 人にとって、何もしないというのは即ち、何もしないこと…

  • カテゴリーと個について

    1 個人を初対面で理解するのは不可能だ。目の前の人が何をして欲しくて、何をされたくないのか。それを知るには実際に本人とコミュニケーションする他ない。そのコミュニケーションを簡単にする手段として、カテゴリーが存在する。カテゴリーがあれば、自分はこのカテゴリーに属している人なので、これをして欲しくて、あれはされたくありませんと、即座に説明することができる。カテゴリーは人々の理解を助け、それを広めることに対し有効的である。つまりは便宜上のものであって、それ以上でもそれ以下でもない。 2 個を尊重する時、カテゴリーを無闇にしてはならないという風潮がある。目の前の人を自分の独断で勝手にどこかにカテゴライ…

  • 知りたい

    1 一度染み込んでしまった悪癖はそう簡単に治るものではない。気を抜くとすぐにブログの日付が飛んでしまう。ちゃんと戻していきたいけれど、無理をすると本末転倒になるので、徐々にでいこう。さて、今日はなんの話をしようか。この頃思うのは、私はやはりもっと世界とか私とかについて純粋に知っていきたい。以前は八割がた「知っている私ってすごい」というくだらない自尊心のために色々知っていこうとしていたが、最近はそれを抜きにしてもやっぱり知りたいなと考えるようになった。たかだか数十年しかない人生で知れることはただですら、とても限られている。その上、別に個として優れている頭脳を持っているわけでもないから、更に更に知…

  • 常に選択をしよう

    1 人は毎日たくさんの物事を選ぶ。様々な基準で様々な物事を選び、自分自身の生活を送っている。どれが自分の好みか、どれが自分にとって都合がいいか、どれが自分の将来に役立つか、どれが自分の生涯の幸せに直結しているか。様々あれども、要するに全ては「どれが自分にとってよりよいか」だ。誰だってそうである。人はそもそも自分にとって良いことしか選べないようにできている。もし何か悪いことを選ぶのだとしても、それはそうする方が自分にとって良いからだ。しかし、そうは言っても人は間違えることがある。それは現実が難解で厳しいからだ。好みや都合ならまだしも、将来や幸せなんか、簡単に見通せるわけない。一体目の前のどれを選…

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