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  • 多数派と少数派について

    1 大抵の物事には多数派と少数派がある。けれども、それは細かいところを詰めていないがために、そう分かれているように見えるだけである。例えばある物事に対して、一口に賛成と言っても、その理由は様々であるし、条件付きの人がいたり、賛成度合いもきっと本当は全然バラバラである。ただ反対する人と比べた時に、大きな括りとして賛成のグループに入れられているだけである。多数派も少数派もこれは同じだ。党派というのはそういう細かいことは抜きにして、同じところだけを抽出する集まりである。 2 社会というのは多数派に利便があるようにできている。これは仕方のないことだ。秩序を保つためには何かしらの基準が必要であり、その基…

  • 人生は一度きりだから?

    1 人生を何か大切なもののように語る時、「人生は一度きり」という文言がよく使われているのを見る。人生は一度きりだからやりたいことをやろうとか、人生は一度きりだから後悔のないように生きようとか、そんなフレーズが多く飛び込んでくる。けれども、そもそも一度きりではない人生とはなんだ?と思うことはないだろうか。例えば死んだ後で、今の記憶を持ったままもう一度赤ちゃんからやり直せるとか、時代を超えて赤の他人として改めて人生を歩めるとか、そんなのが一度きりではない人生ということなのだろうか。しかし、よくよく考えれば、それはただ今の常識の意味と違うだけの結局は一度きりということではないか。人生は仮にやり直すこ…

  • 自分にとっての書くことの変化

    書くことは 以前の私にとって書くということは自分を書き記すことだった。それはつまり書くことを自分の外側に配置し、自分をこそ書くことの中に入れるという作業であった。だからこそ、それは毎日為されなくてはならなかった。書かなければ自分がそこで終わってしまう。終わらせないためには書くしかなかった。けれどこの頃はそれが大きく変わった。書くことは自分の一部になった。自分を書き記すためにではなく、ただ書くということをしている。それは洗濯や料理をするのと、何ら変わらない日常の行為の一つに成り果てた。 書くことは 以前の私にとって書くということは私にとって日常からの逃避だった。日常の自分から目を背けるためにここ…

  • この世で最も兼用であり専用であるもの

    言葉は兼用 前回に関連した話。この世で最も兼用であり、最も専用であるものは言葉だろう。言葉ほど多くの物事に用いられるものはなく、言葉ほど一つの物事を正確に表せられるものもない。だが言葉は必ず兼用だ。たった一つのものを表す専用であることは決してない。あるものに言葉をあてがい、名前をつけるためにはまず、それが一つのものであると我々が認識できなければならず、そして、一つのものであると我々が認識できるためには、必ず時制的同一性を要求する。1秒前のあるものと今のあるものを同じものと見なす我々の認識が、言葉を可能にしているので、今この瞬間だけの「それ」を表すことのできる言葉は存在しないのである。 言葉は専…

  • 兼用と専用について

    兼用と専用 兼用というのはとても便利なことだ。一つのもので二つ以上の物事に役立てるなんて、本当に素晴らしいという他ない。けれど、これは貧しさの象徴であったりもする。専用のものが持てないからこそ兼用でしのごうとするのだと、そう見ることもできるわけである。逆に一つ一つのものに専用のものを必要とするなんてそれは考えの貧しさだ、と捉えることもできる。考えが貧しいから、兼用で対応可能な物事に対しても、いちいち専用を割り振らないと切り盛りできない。極論で考えればこれは「全ての物事に兼用できるたった一つのものがある方がよい」か、「全ての物事にそれぞれ専用のものが備わっている方がよいのか」という問題である。 …

  • 本気ということについて

    1 本気というのは面白い概念で、それはいつも後から書き換えが可能である。あの時は本気だったとか、あの時は本気じゃなかったとか、どういう風に過去に読み込みたいかで、どちらにも解釈できるようになっている。「あの時はああ言ったが、口をついて出た言葉で本気じゃない」「その言葉がつい口から出るということはそれが本気なんだよ」「本気でお酒をやめようとしたけどやめられなかった」「やめられなかったということは本気でやめようとしていなかったんだよ」などなど、本気かどうかは、過去を振り返る視点によって定められていて、その時々で本人が実際に本気だったかとは実はあまり関係がない。 2 今自分が本気を出しているのかと考…

  • 普通の人はすごい

    普通の人はすごい 普通の人というのはすごいなと常日頃思う。私は普通の人のようにはなれない。まず、他人との何気ない会話を楽しむ心を持てない。他人と会話をする時、私はいつも自身の自尊心の壊れを恐れており、それが壊れぬように気を張るので精一杯である。他人の一言一言に私の自尊心を破壊する凶器が隠れていやしないかと、点検するのでもう酷く疲弊してしまう。他人との会話なんて避けられれば避けられるに超したことはない。 自尊心の大きさが世界と同じ 私は己の自尊心を自分一人だけで守れる人に強く憧れを抱いている。普通の人はきっとそういう人間に違いない。だから、他人の言葉の節々など大して気にせずに日常の会話がするする…

  • 当事者について

    当事者 「当事者」という言葉がある。その事に直接関係する者という意味の言葉だそうな。どうも近頃この言葉には、それだけではない意味が込められているような感じがする。なんというか「当事者が言っているのだから」となると、誰もそれ以上何かを言ってはいけない空気になる。何かを言えば「当事者の苦しみをなんだと思っている」と必ずこちらが悪者扱いされる。当事者の主張を聞き入れる以外の選択肢が、社会的に奪われているのである。 こんな弱小ブログ見つからんかそもそも ある事に直接関係する者の声と、その事に直接には関係ない者の声の間にある差というのはもちろん、その「直接さ」つまりは、それがどれだけ本人にとって生の現実…

  • 正しいことを書きましょう

    笑えない 書きましょうとは書いたが、さて、何を書きましょう。困ったことに最近何も考えていないですからね。別に考えたことだけしか書いてはいけないなんてルールはないですけど、やっぱり考えた実りあるものを書いていきたいじゃないですか。お前程度の頭で考えたことが実りあるものとか笑わせんなと言われれば、もう大いに笑っていただく他ありません。 善悪 しかし実りあるものとは何なのでしょう、何が実りになるのか、それはやはり人それぞれでバラバラなのでしょう。私の書く文章が誰かの実りになることは、なくはないはずである。しかし逆に誰かにとっては全くなんの実りにもならず、むしろ害悪であるといったこともままあると思いま…

  • 書きましょう

    お久しぶりです 書かない人生の方が幸せであるのは言うまでもない。その上で書くことを選ぶのは、つまり自分の幸せなんかよりもずっと大事なものがあるからだ。死を胸中に浮かべるなら、これは誰しもが抱える思いのはずだ。幸せは死によって奪い去られる。だが文章は死によっても消えることはない。文章は一人の人生などという短小なものの内に収まらない。言葉を受け取る存在がいる限り永遠に残り続ける。書くこととは即ち何かを永遠に残さなければならないという世界に対する自身の慈愛の心が生み出す選択なのである。 どこまでも考えてゆきましょう 人様に何かを伝えたいのだとすれば、私の言いたいことはたぶん「もっと考えて」しかないの…

  • 生きにくい世の中や人生があるのではない

    1 この頃、生きにくい世の中だとか、生きにくい人生だとか、そういうフレーズをやたら見聞きする。これ、個人的には不思議である。だって、元々そういうものではないか。生きにくい世の中や人生があるのではなく、世の中や人生というものがそもそも生きにくいものでしかあり得ない。世の中や人生にわざわざ生きにくいとつけるのは、まるで生きにくいのではない世の中や人生があるかのような言い方である。 2 どうも、今よりも生きやすい世の中や自分よりも生きやすい人生がある、と思う人が圧倒的に多いようである。しかしそれはただの幻想だろう。もちろんそれは、それらが存在しないと言いたいのではなく、そもそも生きづらさは比べられる…

  • お互いに努力をしてこそ正常に機能する言葉

    1 「気持ちだけで嬉しいよ」という言葉がある。これは本当に難しい言葉だ。なぜなら、本当に気持ち「だけ」であるなら、およそ、その気持ちを感じとることは本人以外、誰にもできないからである。気持ちを相手に感じさせるためには、それに伴った行動が必要になる。「気持ちだけ」という言葉には、いつもその「だけ」に排除される何ものかが既に含まれていなければならないのである。つまりは、相手に「気持ちだけ」と言われるためにこそ、必ず気持ちだけではいけない。気持ちだけでなく、気持ちに伴った行動をしようとしたが、それがうまくいかなかった時に、やっと「気持ちだけ」という言葉が正常に機能するのである。大丈夫、それをしようと…

  • どうにもできないことはどうにかできることと繋がっている

    1 自分の意志とは関係なく、してしまうことが人にはある。不安に思っても意味がないと分かっているのに、ついそれを何度も想像してしまったり。他人を悪く言っても仕方が無いのに、つい口をついて雑言を吐いてしまったり。自分のプラスにならないと知りながら、やめることのできないことが人には本当にたくさんある。人の悩みのタネはほとんどこれだと言ってもいい。〜したくないのに〜してしまう。解決するにはさぁどうすればいいのだろう。 2 認識する順番を入れ換えるのがカギだと思う。〜したくないのに〜してしまう。のではなくて、〜している自分をまずしっかりと認める。したいしたくないに関わらず、現にしているのだから、している…

  • 現実は甘くないという甘々な現実

    1 人生で最も大切なことはつまるところ、自分の思う幸せや楽しさを壊さないこと、見失わないこと、手放さないことであると思う。それを犠牲にするような、それが分からなくなるような、そこから目を背き続けるような生活が、結局は自らを惨めにさせ、他者へのマイナスな関心を抱かせる。現実はそう甘くない、と人は言う。それができるのはひと握りだけで、残りの人は大なり小なりそんな惨めな生活を送らざるを得ないのだ、と。でも本当にそうなのだろうか。確かに世界は現にそうであるように見えるけれど、本当に本当に、みんな本気を出しのだろうか。 2 そうじゃない、と私は思う。このくらいの幸せが自分に似合う。そこそこ楽しければいい…

  • 自分を愛すために世界を愛さなくちゃならない

    1 人間が狂うのはいつだって自己愛が破壊された時である。自分の理想とする自分と現実の自分があまりに乖離した時、人はそれに耐えきれず理性を失う。理想の自分に近づくためのあらゆる努力を放棄し、理想の自分にしてくれない世界の方を恨み否定するようになる。自己愛を直接満たす術がもうないから、世界を否定することで間接的に自己愛を満たそうと考えるのである。けれども、もちろんそれはそうすればするほど虚しい結果を招くだけだ。瞬間的な快楽として満たされることはあっても、中枢はいつも冷たく死んでいる。 2 しかし一度狂った人間はそう簡単には正常へと戻れない。いや、もう二度と戻れないとさえ言ってもいい。自己愛を破壊さ…

  • 哲学は答えがないからこそ始まる

    哲学の問 哲学の問には答えがない。だから多くの人にとってそれは無意味な活動に映る。いくら問うたところで分からないのだし、時間をかけても仕方がないだろうと思うわけである。答えを出すことだけに意味を見出すなら、哲学が無意味であるというのは、無論その通りである。だが、哲学の真骨頂はそこにはない。答えがないことなど、哲学的にはいわば当たり前に過ぎない。その答えのなさにこそ驚いて、哲学者は「なぜ…」と問うているのである。答えがないことからやっと、哲学は始まるのだ。 哲学とは その意味で、哲学はその答えが「どうしてないのか」または「どのようにしてないのか」を扱う学問なのである。世界が存在するわけなど知るは…

  • 死にたくない

    1 結局私はいつまでも死ぬのが怖くてたまらない。できることなら死にたくないと毎日思う。それでも必ず死ぬことはやはり自明であるから、どうにかこうにか受け入れていかなければならない。何をしたら私は死んでもいいと思えるのだろう。それを何回も何回も考えてきた。けれど、いつも、何をしても死にたくない、というところにたどり着く。死をどうしたって受け入れられない。死にたくないと足掻いて足掻いて、どうせいずれ死ぬのならもういっその事…なんてことも幾度となく思ってきた。どうにもできない。どうにかしたい。毎日毎日。 2 じゃあ生きていて私は何をしたいのかというと、こちらは何もない。ただ生きていたい。世界をずっと見…

  • 自分だけは大丈夫と信じながらもできることはしておこう

    無根拠な信仰 どれだけ平和な国や時代においても事故や事件というのは毎日どこかで起きている。どれだけ医療や科学が発展していても、病気や障害などはやはりなくなるものではない。今、平穏と健康を持って生きられている人は、本人の意識や努力など以前に、偏にたまたま運に恵まれているにすぎない。まさに明日は我が身なのであって、自分や自分の周りだけは大丈夫なんて保証はどこにもない。その事実はみんな分かっているはずだ。分かっているけれど、それでも平穏と健康が無根拠に明日も続くと信じ、当たり前な前提として日常を送っている。 自分だけは大丈夫? ひとつにはそれはやはり仕方ないというのがあるだろう。その事実があるからと…

  • 自分と他人を分かつものは何もない

    自虐的には生きたくない 他人を非難したり、蔑んだり、何かマイナスな態度をとることはなるべく避けたいと思う。他人と自分を分けるものはつまるところ、「現になぜかこの人が私だった」という事実だけであって、目の前にいるこの人も、職場でいつも会うあの人も、道ですれ違ったその人も端的に私でありえた、けど、たまたまどうしてかそうはならなかっただけの、私であった可能性を十分にもっていた人達だからである。私であった可能性がある人たちに何かマイナスな態度をとるということは、私自身に対してマイナスな態度をとるということ。そんな自虐的には生きたくないなと思う次第である。 分からない もし私が目の前のこの人だったら。こ…

  • 普通と変

    普通と変 世の中には普通の人と変な人がいるのではない。どんな人でも近づいてよくよく見ると、変に思えるポイントが出てきて、遠ざかっていけばいくほど普通に見えてくるだけである。それは見る距離と見る時間の長さによって大きく変わることであって、見られている対象の方に何か決定的な違いがあるのではない。それを勘違いしてはいけない。そもそも普通なものは普通であるだけだし、変であるものは変であるだけに過ぎない。そこに優劣はない。ただ多数派が普通と呼ばれ、少数派が変と呼ばれるに過ぎない。変だからそれを矯正し、普通に合わせなければいけないということはないし、普通だから正しくて、そこからはみ出さないようにしなくては…

  • それは本当に価値観なのか

    1 価値観とは事実に対する個人の感性や考えである。それは必ず事実に根差していなければならず、もうしそうでないなら、幻想や妄想の類に含まれるだけである。りんごを美味しいと感じるかまずいと感じるかは個々人の価値観に他ならないが、りんごをトマトだと思いそれをトマトだと呼ぶことは決して個人の価値観などではなく、それはただの世界の誤認か、或いは言葉の誤用である。ここはとても大事な線引きだ。我々は根本的に後者を個人の価値観だと認める術を持たない。無理にそれを認めようとすれば、世界の秩序が崩壊してしまう。 2 自分という個人に対してもこれは同じである。自分のことだからといって、好き勝手に価値観を設けられるわ…

  • まずは同じ世界に生きなければならない

    1 私達は同じ一つの世界に生きているようで、その実、全く異なる世界を各人がそれぞれに生きているだけである。視点がある一人の人間に固定されているのだから、これはある意味で当然な話だ。誰だって自分と呼ばれる人の内側しか覗けず、他人に対してはその外面が分かるだけである。それでも日常生活の上ではさほど困らない。やはり、「その実」全く異なる世界を各人がそれぞれに生きているのであって、普段は同じ一つの世界に生きているように「見える」くらいの同じさは保たれているからである。 2 日常では困らないけれど、しかし、何かの核心に触れるような話になると途端にダメになる。なぜなら私達は普段の様子から私達は同じ一つの世…

  • 自分の中にだけ吹く向かい風

    1 人間には向かい風が必要である。向かい風がなければ、追い風がどんなにありがたいものなのかを実感できない。風がない状況の平穏さも忘れてしまう。向かい風が一切ない人生に、もはや自分はいない。向かい風に強く吹かれるからこそ、自分という存在がそこにはっきり現れるのである。地面を踏みしめながら一歩ずつ立ち向かうその足が自分の生きる意味なのだ。 2 けれども、この時代にもうそんな強い向かい風は滅多に吹かない。時々局所的に突風が発生することもあるけれど、多くの人にとっては、そよ風くらいのものだ。大変困った事態である。もはや追い風のありがたみは完全に忘れられて当たり前と化し、風がない状況であるだけで不憫と数…

  • 不安とは仲良くしよう

    1 漠然とした不安というのが人生にはある。何が原因かはっきりとは言えない、言えないのだけれどとにかく不安でたまらないという状態のことだ。この不安はもちろん容易にはとり除けない。いやそもそも根源的に取り除くのは無理だとさえ言える。なぜならその漠然とした不安は、生き物の宿命、即ち死に関する不安だからだ。 2 不安とはつまり、何がどうなるのか分からない、最悪の最悪どこまで転がり落ちるのか、谷の底が見えず、それに事前に備えておくことができない、先の見通しが立たない状況のことだ。だから、今自分が何をすべきなのかも分からない。これをするのも、あれをするのも、もしかしたら、その最悪の最悪に転げ落ちてしまうき…

  • 皆様お久しぶりです

    1 皆様お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。ふと思い出し、ブログを立ち上げました。最後の記事はなんともう二ヶ月以上も前なんですね。もうそんなに経ったのかというべきか、まだそんなもんなのかと思うべきか、自分でもよく分かりません。率直な感想としては、なんだか書くこと自体がとても新鮮です。自分は今何をしているのだろう?と自問したくなるくらいに不慣れで、無骨に筆をとっております。 2 この二ヶ月を振り返る。と言って振り返られるような趣のある生活はとくに送ってきませんでした。ただ生活から書くことだけが消え、それ以外はなんの代わり映えもない日常を過ごしました。普通に働き、普通にご飯を食べ、普通に寝て…

  • 世の中そういうものだから

    1 「世の中そういうものだから」という言葉、誰しも人生で一度は耳にしたことがあるのではないか。そういうものだから、仕方がないことなのよ、後に続く言葉はそんなところだろうか。しかし、よくよく考えてみると、世の中というのは常に移り変わってきた。昔では仕方ないとされていたことが、今ではすっかり改善され、自由が効くようになった物事などいくらでもあるだろう。「そういうもの」は別に全く不変的ではないのである。だが、それでもこの言葉を言う人は後を絶たない。今日もきっと世の中のどこかで誰かしらがそれを口にしているだろう。なぜなら、たぶんみんな諦めたいのだと思う。 2 そういうものだから、仕方ないのだ「というこ…

  • 四月になりましたね雑談

    1 四月になりましたね。というかもう十日ですね。ついにどうにもならないほどのお休みをしてしまいました。何を言ってももう書くことからすっかり気持ちが離れているのだろうと思います。お休みしている間、私が何をしていたのかと言えば、ただ普通に暮らしておりました。普通に朝起きて普通に仕事をし普通にスーパーで買い物をして普通に夕飯を食べ普通に寝床について、ごくごく普通の毎日を送っておりました。およそ書くことが入る隙間などどこにもないほどに、些細な幸せを感じては、毎日に満足をしているのである。今更何のために筆をとろうかといよいよ考えるわけですが、ここまで積み上げたものをぽいっと捨てる勇気が私にはまだないよう…

  • 他人に対する判断をどのようにするか

    1 本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定するのは理不尽であり、偏にそうするべきでない。という言説はとても正しいように思う。理由は言うまでもないが、単純にそれが本人の望んだものではないからだ。しかし、この言説は「だから、そうすべきでないのだ!」と直ちに主張していくには問題を孕んでいる。それは「本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定する」こと自体が、本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられないまさにその部分によって為されている場合があるためだ。 2 だか…

  • 配慮はする側の親切

    1 配慮というのは、それをする側の親切と美学であって、される側の権利ではない。履き違えてはいけないところだと思う。そこに道徳を持ち込み、自分たちは配慮されなければならないと主張するのはとても醜いことであって、偏に人としての品性が欠けているのではないだろうか。配慮して欲しいなら、きちんとした態度でお願いをすればいい。それが嫌なら配慮されるのを諦める。配慮はされたい、でも自分から頭を下げるのは癪に障る。だから正しさを主張し、それを自分の権利として、さも相手の義務であるかのように振る舞う。下劣そのものだろう。 2 配慮は決して当たり前のことではない。それはいつもする側の良心と正義心に支えられている。…

  • 何もしていないから悪いということもある

    1 「何もしていないから自分は悪くない」という言葉がある。何もしていないのだから自分は端的に関係がないといった意味なのだろう。何もしていないのだから、何も影響を及ぼすはずがない。それがどうなっていようとも、自分がやったのでないことだけは確かだ。だが、これは本当だろうか。人にとってそもそも「何もしていない」とは何を意味するのか。例えば、今日という一日の中で自分は何もしていないと言える瞬間はあったかどうか。ソファで寛いでいる時、ベッドで横になっている時、そんな一見何もしてなさそうな時でさえ、人は寛いだり、横になったりしているのではないのか。 2 人にとって、何もしないというのは即ち、何もしないこと…

  • カテゴリーと個について

    1 個人を初対面で理解するのは不可能だ。目の前の人が何をして欲しくて、何をされたくないのか。それを知るには実際に本人とコミュニケーションする他ない。そのコミュニケーションを簡単にする手段として、カテゴリーが存在する。カテゴリーがあれば、自分はこのカテゴリーに属している人なので、これをして欲しくて、あれはされたくありませんと、即座に説明することができる。カテゴリーは人々の理解を助け、それを広めることに対し有効的である。つまりは便宜上のものであって、それ以上でもそれ以下でもない。 2 個を尊重する時、カテゴリーを無闇にしてはならないという風潮がある。目の前の人を自分の独断で勝手にどこかにカテゴライ…

  • 知りたい

    1 一度染み込んでしまった悪癖はそう簡単に治るものではない。気を抜くとすぐにブログの日付が飛んでしまう。ちゃんと戻していきたいけれど、無理をすると本末転倒になるので、徐々にでいこう。さて、今日はなんの話をしようか。この頃思うのは、私はやはりもっと世界とか私とかについて純粋に知っていきたい。以前は八割がた「知っている私ってすごい」というくだらない自尊心のために色々知っていこうとしていたが、最近はそれを抜きにしてもやっぱり知りたいなと考えるようになった。たかだか数十年しかない人生で知れることはただですら、とても限られている。その上、別に個として優れている頭脳を持っているわけでもないから、更に更に知…

  • 常に選択をしよう

    1 人は毎日たくさんの物事を選ぶ。様々な基準で様々な物事を選び、自分自身の生活を送っている。どれが自分の好みか、どれが自分にとって都合がいいか、どれが自分の将来に役立つか、どれが自分の生涯の幸せに直結しているか。様々あれども、要するに全ては「どれが自分にとってよりよいか」だ。誰だってそうである。人はそもそも自分にとって良いことしか選べないようにできている。もし何か悪いことを選ぶのだとしても、それはそうする方が自分にとって良いからだ。しかし、そうは言っても人は間違えることがある。それは現実が難解で厳しいからだ。好みや都合ならまだしも、将来や幸せなんか、簡単に見通せるわけない。一体目の前のどれを選…

  • 世界はもっと優しくなれるはずだ

    1 世界はもっと優しくなれるはずだ。少なくとも優しくしたいのに様々な事情によって現実的に今はそれができない人、は一定数いるに違いないのだ。個人的にはそういう人達の優しさが制限されることなく、そのまま放出された世界の方がよりよいと考える。だってそれは単純に優しさの総量が増えるということなのだから。優しさなんて、あればあるほどよいものだろう。少なくともあって困るようなものじゃないはずだ。しかしでは、現実的にそういう人たちの優しさを塞き止めているのは一体なんなのだろうかと言えば、これは偏に余裕のなさなのだと思う。 2 余裕がないから優しくできない。よく聞く言葉であるし、その通りであると思う。人は誰だ…

  • 意志による決定をしよう

    1 何かに対しての反応を人は二種類持っている。一つは反射だ。それをされると咄嗟に自分でも意図せずしてしまうことである。もう一つは意志による決定。そうされたことをうけ、自分なりの基準と思考を経た後に返しをする。二つはグラデーションのようになっており、現実においてキッパリ分かれているわけではない。どの行為にも二色混在しており、ただ一方が色濃く現れたりする場合があるというだけである。反射はより早く返しができる。意志による決定は時間はかかるが自分にとっての確実性が増していく。即ち、時間に余裕がない時は前者の方がよく、時間にたっぷり余裕がある時には、後者の方がよりよいということだ。 2 反射はいわばただ…

  • 自分にとっては不快でも

    1 自分にとって不快なものはなければないほどいい。これは自明なことだ。不快なものを望むとは定義に反する言葉の使い方であって、それはもはや自身にとっての快であるから望まれているだけに過ぎない。しかし人間というのは当たり前だが集団で暮らしている。そして、一人一人の人間は大きく異なる性質を持っている。自分にとって少しの不快である物事が他の誰かにとっては必要不可欠な生命線であることだって大いにあり得る話だ。その不快を排除していくことで抑圧され根本から居場所を失う人がいるかもしれない。そういう想像力は人として持っておきたいものである。 2 そもそも不快に感じたとしても色々選択肢がある。それを以降は自分の…

  • 帰ってきました

    1 一日でもサボるとダラダラしてやらなくなるから毎日投稿している、と過去の自分が言っていたことが見事的中したというようなこの頃。いよいよ今日から、また本腰を入れていきたいと思います。さすがにこれ以上書かなくなるのは自己嫌悪に陥りそうなので。思うに人は一日の中で何か一つくらいは「やるべき事」をやった方がいいのだ。それをこなしているという実感からしか得られない満足があるから。「やりたい」ばかりに従っていると、「本当にそれでいいのか?」という問を突きつけられる。「いいのだ」と答えられる何かが、そこには必要なのである。 2 それ自体は別になんだっていい。大切なのは、それをやることによって自分自身が前に…

  • 個と種の非対称性

    1 種にとって個は種を存続させていくための道具だ。反対に、個にとっての種も同様である。お互いがお互いを生かし、お互いがお互いを利用し合っている。種は個の経験の数だけ学習し、より生存の確率を上げる。そして、次なる個はその環境の中へと生まれてくる。種にとって個も、個にとっての種も、どちらの方から見たとしても、定義や本質から言って離れることのできない関係である。しかし、そこには一つだけ非対称なことがある。それは種にとって個はいくらでも換えが効くが、個にとっての個も種もただそれ一つしかないということだ。 2 個にとって不幸のダメージはとても大きい。時には人生そのものがその一件を経ることによって、まるき…

  • またこの話ですか

    1 ここ最近の記事を読み返したら、「あれ?同じことしか言ってなくない?」と思い至りましたが、今日も相も変わらずその話をしていきたいと思う。私の人生にとって一番大事なところだもの。何千回語っても多分語り足りないね。さて、今日は再び不足についてのお話。この一年半、私は不足を意図的につくりだし、それを利用して記事を書いてきた。いわば自分自身をわざと飢餓状態に追い込み、それで血眼になって食べ物を探してもらっていたのである。で、探し当てた食べ物をみんなに見せて「どう?私すごいでしょ?」とひけらかす随分と不健全な遊びにずっと耽っていた。お腹が空いてる極限状態なら、誰だってそうするだろうということを、さも自…

  • 三月になりましたね雑談

    三月になりましたね。二月はブログ的に見ればボロボロだったけれど、そのおかげで自分のスタンスはもうだいぶ変わって固まってきたかなという感じ。今月で通常運転に戻れるかは分からないが、いずれにしても、そろそろかな。書くこと、それが自身の不足を埋めるためでなく、正真正銘の興味として立ち上がる日はもうすぐそこに来ている。これが一皮剥けるって言葉の意味なのかしら、とかなんとか最近はもうそんなことばかり考えて、すっかり調子に乗っているようだ。 書くことが完全に自分の興味として回収された暁には、このブログの記事内容は一体どうなってしまうのでしょうね。自分でもそれは全く検討がつかない。もしかしたら、今までこのブ…

  • したいからするへの集約

    1 「しないと生きていけないからする」と「したいからする」の違いは、当然それをしなくても生きていけるかどうかだ。でも、本当にそれをしないと生きていけないということはたぶん人生においてあまりない。食べたり、飲んだり、眠ったり、人間の生を支えているのは、だいたいそれくらいだろう。あとの「しないと生きていけない」はつまり、しないと「理想の自分として」生きていけない」とか、しないと生きていけない「くらいに好きだ」とか、所詮はそんな意味である。それをしなければ、せいぜい自分が少し苦しむというくらいで、直接的に死んでしまうなんてことはない。 2 だから「しないと生きていけないからする」と「したいからする」…

  • 生まれ変わるまでの時間

    1 自分の中の不足を埋めていくのではなく、なくしていく方に動き始めてから、このブログは本当に私にとって無用の長物になってしまった。今までは不足を作りだしてまで、それを書くことのエネルギーに充ててきたのだから、きっとその反動で一気にやりたく無くなったのだろう。しばらくは書くことのために虐げてきた自分の感情と向き合う時間が続くのかなと思っている。 2 このブログは今まで自分の弱さを埋めていこうとすることで、続いてきた。プライドで自分の弱いところを武装し、そのプライドに追いつこうとする気概で、一年半やってきたわけである。が、ここに来て大きな転換期を迎えているのだと思う。といって、最終的な目的は依然変…

  • 書きたかったので書いた記事

    1 埋まらない不足に絶望しながらそれを補っていこうとすること、或いは欺瞞という苦しみを伴いがらその不足を肯定しようとしていくこと。それら負の感情に苛まれながらでしか、よいものは生まれ得ない、或いはそのように生み出されたものにしか生み出された価値がない、と長い間思っていたけど、別にそうではないなって今なら思える。負の感情から生み出されたものこそ、時にむしろ、自分は負の感情を感じながらやっているということの「やっている感」に騙されている可能性があるなぁと考えるようになったのだ。 2 どんな経緯で生み出されものだろうと、そのものがよいものであるかどうかとは端的に無関係だ。そのものがよいかどうかは、そ…

  • 普通に生きるのって楽しいな

    1 この頃、普通に生きてるのが楽しい。楽しくて充実してるからこのブログを開くことさえしない日が増えてしまった。新しい家では家電を一式揃えたことで、金は無くなったが、おかげで自炊という技を覚えた。働いて、帰りがけにスーパーに寄って食材を買い、それを調理し、食べ終えたら後片付けをして、さぁ次はお風呂の時間だ。シャワーを浴びドライヤーをして、仕上げに歯磨きをすると、あら大変。もう眠い眠い。欲に負けて、はいおやすみなさい。 2 最近はずっとそんな感じ。だから、もう本当に隙間時間にしかここに来なくなった。あれだけ書くことをやめられないだのとほざいてた人間とは思えない始末だな。まぁそれでも来てはいるから、…

  • 戦いと棲み分けの末

    1 私は常々他人を尊重したいと考えている。それは尊重できた方が自分にとって気持ちが良いからだ。尊重しないことは、ただその分の己の小ささを痛感するだけであって、個人的にはメリットが存在しない。だから、他人がどんな性質や特徴を持っていたとしても、それに関わらず、一様に尊重したいと心では思っている。だけど、それは言わずもがなとても難しいことであり、私は二十六年生きてきた今の今まで、一度も成功したことはない。難しくさせている最大の要因は、私が「そうあるべきだ!」と思うようなことでさえ、なぜなのかは不明だけれど、他人はそれとは全く違う行動基準や価値観を持っているからだ。その「なぜなのか」が一向に分からな…

  • 後悔と未練のない死を迎えるには

    1 後悔のない死と未練のない死を迎えるには、それぞれ方法がある。どちらも同じことで即ち、それらの余地を潰すのである。後悔のない死の場合は、自分が生まれたことに焦点を当てることで、全てを偶然とし、どんな選択もその偶然の産物に過ぎないと捉えて、自分自身の自由を放棄してしまうことだ。そうすれば選択というものがそもそもないので、当然後悔する余地も生まれ得ない。或いは後悔するにしても、それは偶然の産物に過ぎないのだから、その後悔に対して後悔する余地はやはりなくなる。未練のない死の場合は、現に存在している自分に着目し、仮に全てが偶然なのだとしても、現に存在している自分だけは、全ての偶然を認識する側にいるの…

  • 隣人から考える理不尽

    1 新居に越してきて気づいたこと。隣人がくそうるせぇ。どうやら毎日夜中に熱唱するか、人と楽しく通話するのが趣味のようで、しきりに音楽の音と歌い声、高めの笑い声が聞こえてくる。こういう時のお役立ちアイテムとして、私はノイズキャンセリング機能搭載のイヤホンを持っているのだが、残念ながら自分は素直にそれをつけてはい解決!と済ませられるようなさっぱりした性格の持ち主ではない。こういう時の対処の仕方で、人間の本性が出ますね。私は確実に、相手が迷惑になる範囲の音出しをやめるか、それができないなら退去するか、の二択のどちらかにならないと気が済まないくらいにはねちっこいタイプだ。要するに私は隣人がくそうるせぇ…

  • #近況雑談記7〜やっぱり毎日書こう〜

    1 やっぱり日にちを空けるとどんどん書く気が失せていく。だめだな、ということで今日からまたなんちゃって毎日投稿をちゃんとしていこうと思う。何かを続けるためにはやっぱり続けていかないとな。続けるために日にちを空けるなんて本末転倒になりかねないことしても、本末転倒になるだけだったわ。書くことがなくても、書く気力がなくても、とりあえず書く。何が何でも書く。その意識でいこう。 2 最近は自炊という技を覚えた。家に冷蔵庫さえなかった私がなんと、新居では家電を一式全部ちゃんと揃えた。特に心境の変化とかはなく、理由も別にない。強いていうなら気分だ。そのために、使わないわけにはいかない。だから色々とりあえずは…

  • 書かなくて済むために書いている

    1 文章など書かせないでほしい。こんな底辺のへっぽこに「自分にしか書けないものがある」なんて思わせる世の中には心底絶望を覚える。お前のような雑魚キャラが出る幕などあるわけないだろ、と私を怯えさせ萎縮させてくれる世の中なら、どんなによかっただろう。そしたら、私も雑魚キャラらしく分を弁え、慎ましく生きられたのに。自分が書かないよりかは書いた方が世の中のためになる、なんて烏滸がましく傲慢な自分のこの思いを、はっきり幻想だと打ち砕いてくれよ。ねぇ、世の中くん。 2 え、世の中のせいにするな、お前が勝手にそんな烏滸がましく傲慢な思いを抱いているだけだろって。いやー全くもってその通り。私が勝手に一人で抱い…

  • 言葉を自由に使うためには意味から自由にならないといけない

    1 言葉というのものは自由には使えない。もちろん、どんな言葉を選ぶかは自分の自由だが、その意味は固定的である。既存の言葉には全て定義やその指定する範囲というものがあって、それを無視して自分勝手な意味で使っても、端的に用法を間違えているだけの人になる。しかし、現実的にはほとんどの人がこれをやらかしているのではないかと思う。言葉の歴史を見てみても、やがて、その間違いの意味で使っている人が多数になって、言葉の意味の方が訂正されるなんてことも、しばしばおきているくらいだから。みんなだいたいの感覚でしか言葉を使っていないのがよく分かる。もちろん私もその一人だけど。 2 しかし、自明だがやはりそれはあまり…

  • 世界の広げ方

    1 世界の広げ方は大雑把に言って二種類ある。一つは自分の未知なものをどんどん仕入れることだ。ジグソーパズルで言えば新しいピースを自分の中に取り込む作業である。へーこんなピースもあるんだと知っていくことで、単純に量が蓄積されていくので、その分だけ世界の幅が広くなる。もう一つは自分の中に既にあるものの新しい組み合わせを試してみることだ。こちらもジグソーパズルで言うなら、あーでもないこーでもないとパズルを様々な位置に並べ替える作業である。並べ替えは意味を増やす。あれとこれには実はこんな繋がりがあったんだとか、このピースはここでピッタリに見えるけど、そう見えるだけど本当はここじゃないなとか。パズルの絵…

  • 人間の愛と神の愛

    1 人間ひとりの愛はすごく脆いのだと思う。何かしらの抵抗を少しでも感じると、それだけでバラバラと崩れ落ちていってしまう。臆病だと言い換えてもいいかもしれない。何かと愛する対象に対して、慎重になりがちなのである。愛はそれだけ人にとって貴重であるから、とにかく自分の最も重要だと思うものにしか注ぎたくないのだ。だから、少しの違和感も飲み込めないし、少しの不義理も許せない。そんなのちっとも愛じゃないじゃないと言われてしまうかもしれないが、人は神みたいに強くはないから致し方ない。丹念に対象を選別しないと、愛を注ぐ主体であるはずの自分自身が、先に崩壊してしまう。 2 注ぐ方が慎重にならざるを得ないので、受…

  • このブログのこれからについて

    1 私の記事は一日おくともうそれだけでダメになる。ダメとは自分の気持ち的に出したくなくなるという意味。なぜなら、このブログは名前の通り記録だから。その時に出た生のもの、鮮度が何より大事なのであって、リアルに一番近いところにあるからこそ、このブログは意味がある。だから、とても困る。即ち、書き溜めができないのだ。時間がある時に書いといて後で出そうなんてのは論外だし、今日半分だけ書いて明日続きを書こうなんてのも無理だから、まとまった時間がとれる時にしか記事を執筆できない。今まではそれでも良かった。端的に時間がとれてたから。だが最近は新しい仕事に環境に本当にいっぱいいっぱいだから、正直空いてるのは時々…

  • 馬鹿は死んでも治らない

    1 昨日の今日でなんですが、少し回復しました。自分に関するいろいろを楽しめる視点が徐々に帰ってまいりました。なんでそうなれたのかはたぶん「どうしようもなくなったらどうしよう 」と考えている自分の馬鹿馬鹿しさに気づいたから。どうしようもなくなったらどうしようって、そんなのどうしようもないに決まってるじゃない、という自分の冷静なツッコミが入ったことで、どんよりと渦巻いていたものが一気に晴れてきました。そん時はそん時思考がやっと帰ってきた。おかえり。ずっと待ってたよ。 2 今回の一件ではっきりした。自分は余裕がないと文章を書けなくなり、何の思考もできなくなるのだと。それはつまり、私にとって生きること…

  • 二月になりましたね雑談

    二月になりましたね。過去最低な気分で新しい月を迎えることとなりました。もうやる気があるとかないとかそういうレベルの話ではなく、やる余裕と暇が精神にないといった感じになってきた。二月はどうなっていくのか分からないが、少なくとも今の自分にはよくなる兆しが全く見えてこない。いつまでこのままで過ごせばいいの?と思っては弱気になる日々である。といってまぁその答えははっきりしているのだけど。もちろんそれは給料日までだ。金があれば今すぐ椅子も買えて、冷たい地べたに座る生活ともバイバイできる。自分をストレスから解放するための贅沢も与えられる。もうぜん〜〜〜〜〜〜ぶ解決。 ものとものを直接交換するのでは、たいて…

  • 未来と今の整合性問題

    無理オブ無理 最近は手一杯なため、しばらくは個人的な記事が続きます。よろしくお願い致します。さて、この頃なんにもできていない日々が続いている。ここでのなんにもとは即ち、私の目標である後悔のない死に向かうための全ての行為である。本を読むであったり、気づきをメモするであったり、思考もブログも、もう全部がズタズタのボロボロ。それはなぜかというと、もちろん環境の変化で手一杯なことも関係しているが、一番はまだ家に布団しかないからだ。我が新居には、未だよっこいしょっと腰がけられる場所すらない。真冬のこの寒い中で地べたに座るという苦行を私は私に強いられている。読書も思考も執筆も尻の冷たさが気になって、できた…

  • 近況雑談記事#6〜切羽詰まってて無理〜

    1 はぁやる気がない。もう今月は六日も休んで、休み回数の過去最高記録を不名誉に更新してしまったのに、全く書く気が起きない。新しい職場の環境が思ってたのより悪かったし、新居も色々トラブルがあって、更に引越しで大金使って金欠だし、色々切羽詰まってて本当キツい。ブログを書くどころじゃない。書くけどね。今日は仕事は休みで、ネットで注文したデスクを組み立てたのだけど、骨組みの向きを間違えるわ、天板を逆につけてしまうわで、ミスりまくって結果3時間くらいかかってしまった。あれもこれも、うまくいかないことばかり…。 2 こんな時は経験則から言って、必ず自分が悪いのですけどね。説明書ちゃんと読んでないでしょ。金…

  • 失うこと加えられること

    1 自分が今既に持っている「よい」ものを失うというのは大抵苦痛を伴う。それは「なぜ」失われなければないのか、端的に答えがないからだ。答えはないのに、現に失っていることだけはよく分かるから、本当やるせない。何の「よい」を失うにしても、そうではないだろうか。やるせなさは、「そのもの」を無くしたから抱くと言うより、「自分は既に持っていたのに」無くしたからこそ、抱くものであるはずだろう。今自分のものである全ての良さは、既に自分のものであるというそのたった一つの理由で失いたくない。そのものがどんなものであるかは、そもそもが無関係である。 2 よいを失う方には敏感であるがしかし、今の自分に何かのよいが加え…

  • 進歩し続けるから変わらないでいられる

    1 私はたぶんもう一生変わらないのだと思う。だってもう一生変わらなくてもいいやと自分で思っているからね。でもそれは進歩しないって意味じゃない。変わらないけれど進歩はする。むしろ、ずっと進歩し続けるという意味で変わらないのである。具体的に何を進歩させていくのかと言えば、それは自分自身だ。つまりは、思考を研ぎ澄ましたりだとか、自己認識を深めたりだとか、世界をより一層理解したりだとか、私は死ぬまでそんなことをやり続けたい。 2 そうすれば、自分の自由を開いていけるからである。何度も書いてきたが私の人生の目的は後悔のない死だ。そのためにはあらゆるものから自由になっていく必要がある。唯一考えることだけが…

  • 不自由を自由に選べる時代

    自由がすぎる時代 自由になりたい、人は常にその願望を奥底に抱えているはずだ。歴史的に見ても明らかであり、今この時代はどう見ても今までで一番自由な時代であろう。こんな底辺な奴がネットに自分の好き勝手に書ける時代ですよ。すごすぎますね。だが、ここに来て自由になりすぎたためか、いよいよ人は自由を拒むようになった感じがする。或いは逆に、精神が潔癖になってきたから、少しの不自由さえも受け入れられなくなっているのかもしない。 拒否するって選択肢が消えている 例えば、人に自分が行きたくないなと思うようなイベントに誘われた時、「ごめんね、行かない」という一言が言えない。たぶん相手が好意で誘ってきていることが分…

  • 人付き合いは難しい

    難しい 人付き合いの難しさの原因は色々あれど、 一つの大きな前提として、みんながみんな違う人間だから、というのがあるだろう。何に喜び、何に悲しみ、何に怒りを覚え、何を失礼に思うか、全部が全部人それぞれだから、どんなに自分がが誠意をつくしたつもりでも、相手を不快にさせてしまうことがあるし、自分と相手の立場が逆の時でも然りだ。そのどうしても避けられない摩擦が、人付き合いを難しく感じさせる。誠意を限りなくつくしても他人を傷つけてしまう時があり、逆に他人の悪意のない言葉で勝手に自分が傷ついてしまう時もあるのなら、どうしたらいいのか分からなくなるのは当然である。 信念の違い 思うにこれは自分の基準で他人…

  • ブログを書き続けることの半分

    半々 私がブログを書き続けることの半分は、自分のためである。悔しさや怒りやその他、現実においては消化できない思いを言葉にして発散させている場がここである。だが、全部が全部自分のためというのではない。もちろん、大枠で見れば別である。人は誰だって自分のため以外には生きられないという観点から言うならば、当然このブログの全ても自分のためにやっていることである。しかし、やはりその中でも分類はあるはずだ。つまりは、他人のため寄りの自分のためにやっていることと、自分寄りの真に自分のためだけにやっていることの二つがあるだろう。このブログはちょうど、その二つを半々で兼ね備えていると私は思っている。 別として 最…

  • 過去の意味はいつでも変えられる

    未来は今には手が届く 未来には無限の可能性があるけれど、なんでもできるというわけではない。それは自分自身の能力の限界から言ってももちろんそうなのだが、未来というものの性質からしてできないこともある。ズバリ、過去を変えることだ。過去は文字通りもう過ぎ去った。それは未来から手を伸ばしたって、届くところにはない。未来から手を伸ばして届くのはせいぜい今である。今はいわば半分が過去で、半分が未来だ。目の前にあるまさに今この瞬間が過ぎ去っては、また新たな瞬間が目の前に飛び込んでくる。その経過過程こそが今なのである。だから未来から手を伸ばせば、半分の今は変えられる。人は常日頃そうして未来を選んでいるはずだ。…

  • 失ったものは取り戻せない

    歳はとりたくないな 私はずっと何かを取り戻そうとしているような気がする。それはたぶん十代の自分と、自分が産まれる以前の世界だ。歳をとるとは私にとって日に日にノイズが大きくなることを意味している。そのノイズを毎日どうにかこうにか消して、奥底にある私の本質を引っ張り出してくる。二十代の私がやっているのは、ずっとそんな作業である。いつか自分が丸ごとノイズに飲み込まれ、何もかもを忘れてしまうのが怖い。だから、とにかく自分を取り戻そうと毎日必死に抗い続けている。これから先、歳をとるごとにノイズはますます今よりも凄まじい勢いで押し寄せてくるのだろうと想像する。やっぱり、いつかは負けてしまうのかな…。 コナ…

  • 個人に生きる喜びを与えるのが先決

    一瞬生きるだけなら誰にでもできる 人は一人では快適に長く生きていけない。存在するのは自分の力ではないから一瞬生きるだけなら生まれてきた全ての人に可能であるけれど、それをより快適なものにしていくことと、より長く続かせていくことには他人の力が必要不可欠である。安全で過ごしやすい住居、上質で安心できる食べ物や飲み物、健康や寿命を長く持たせるための知恵や技術、平安平和が保たれた社会環境、人生を豊かなものにしてくれる教養や娯楽、そういうものを一人で全て手に入れるには、人間の一生はあまりに短いし、物理的に不可能な部分も多くある。だからこそ、人同士は今まで協力するという道を選んできたのだろう。 若干妄想も入…

  • 近況雑談記事#5〜生きていくのって大変〜

    1 引っ越してきたはいいものの仕事がまだ始まらない。採用されたはずなんですけど、連絡したら、連絡をお待ちくださいとのこと。おいおい、大丈夫かよ。もう来ちゃったぞ。家賃も電気代も何もかもな支払いが近いうち押し寄せてくるのに、働けないのか私。まぁ貯金は多少あるので、しばらくは耐え凌げるけれども、できれば使いたくないなぁ。近いうち連絡が来るのを待ちつつ、別の仕事を探すべきなのかこりゃ。えー嫌だなめんどくさい。決まったから来たのに、おかしくないか。そんなことを言っても何も始まらないのは分かるけどさ、それにしたって…。 2 家の方はというと、概ね満足なのだけど、住み始めて気づいたのは一つにはクソうるさい…

  • 近況雑談記事#4〜新生活が始まったことについて〜

    1 さぁ新生活の幕開けだ、という意気込みも束の間。死ぬほど疲れました。新生活の準備って別に今までしたことないわけじゃないのに、完全に舐めていた。以前の自分は若かったのだなあと痛感しました。家具の新調や日用品の買い出しであちこち歩き回って足が棒になった。でもものが届くのに時間がかかるので、今はまだ布団一式とカーテンしかない生活である。これからが楽しみだなという気持ちが遥か彼方に飛んでいくくらい、本当に今は疲れでいっぱい。そんな中でこれを書いている。なんとしても新生活一日目は絶対記録しておきたかったので。 2 しかし実のところ、私はこの疲れがなければ新生活を楽しみにしワクワクしていたのだろうかと考…

  • 世界の二面性に対して私が出した答え

    どっちも事実 世界はすごく面白くて綺麗だ、と思う。色々に不思議ことがあって、色々な思いで生きている人がいて、美しい景色や芸術がそこら中に溢れている。そんな世界をほんの一瞬だけでも覗けるということ、それ自体がとんでもない奇跡なのだと思う瞬間、同時にそんな呑気なことを思っている自分の軽薄さを嫌悪する。世界はすごく残酷であり無情でもあるということから目を背けていたのだと瞬時に気づくからである。世界には色々な惨劇があり、色々な思いを半ばにやりきれず死んでいった人がいて、目も当てられないような不幸や悲しみがそこら中に溢れている。棚に上げてはいけない事実である。 記録にした意味 世界のその二面的な部分をど…

  • あるようでない、ないようであるもの

    1 無は無なのだから、そんなものは無い。この世には最初からそもそも有しかない。全てが有なのであり、有こそが全てなのである。しかし、もしそうであるとしたら、上の言葉は変である。だって本当にそうなのだとしたら「有しかない」の「しか」は意味を持たないはずだし、「全て」と「有」は元より同じ意味の言葉になってしまうのだから、「全てが有」なんて言い方も通じないはずなのである。だが、現にそうなってはいない。我々にとって、冒頭の言葉はきちんと有意味なものだ。「全て」と「有」はしっかり違う意味の言葉として機能していて、「しか」という言葉で排除された何かしらが、やはりそこにはちゃんと存在している。 2 では何がそ…

  • やわな人間が増えていくのは悪いことじゃない

    その通りだけどそれは当たり前のことだ 昔の時代に比べ、根性や忍耐力がない人が増えたという言説を見かける機会は多い。これは自分の肌感覚としても、まさにその通りだと感じる。時代が進み豊かになっていくにつれ、そうなっていくのは必然とさえ思える。昔にとってみれば酷く豊かで恵まれた環境であっても、最初からそこに生まれてきた世代にとっては、それこそが当たり前になるのだから、当然その環境の中で更に豊かさと過酷さの区分がなされる。過酷さのレベルは時代を追うごとに緩く軽くなっていくに決まっているのだ。だが、最初からそこに生まれてきた世代にとって、それは依然リアリティのある、ずっしりとした重みを持つ過酷さなのであ…

  • 久しぶりに実家に帰ったので母との話を少々

    ウザったいけどありがとお母ちゃん アラサーにもなると実家に帰る度、いい人はいないのかい?と聞かれるようになる。アハハそのうちね、と誤魔化してきたが、いよいよその手も通じなくなってきた。特にお母ちゃんはどうしても私にそろそろ結婚を考えて欲しいようである。二十六と言えば、世間的には確かにもうそういうお年頃なのだろう。それは大いに分かるのだけど、しかし正直少しウザったい。まず私が結婚したいかどうか知ってる?と聞いてみたい気持ちである。聞いてみたいが聞かないことにしている。なぜなら、その言葉が親の愛よるものであることを、私は身に染みてよく知っているからだ。 愛だな きっと母は父と過ごしている毎日が楽し…

  • 自分のことは自分で言葉にする

    回りくどいと思う 他人よりは自分のことの方がまだ分かる。だから自分のことに、より精力をかけるべきだと個人的には感じる。誰しもがそうすれば、世の中は今よりもう少し生きやすくなるんじゃなかろうか。要するに自分がどうして欲しくて、どうして欲しくないのか、そういうのをみんながみんな空気などを通してお互いに推理し合うのではなく、みんながみんな自分の口で言えるようになった方が簡単で分かりやすい、と思うのである。自分のことは他人より自分の方が分かるのだから、他人のことは自分より他人の方が分かるのだから。自分のことを他人に当てさせて、他人のことを自分が当てるなんて回りくどいやり方をする意味はないはずだろう。 …

  • べきと犠牲について

    1 存在するということは必ず何かの犠牲の上に成り立っている。何かの犠牲なしに他の何かが存在することはできない。…のだろうか。そうではないはずだ。少なくとも存在の構造的には、そうなっていない。全ての存在はただ突如としてあっただけに過ぎない。何の犠牲もなしに全ては「なぜか」ただあったのだ。そこに犠牲という概念が生まれる余地はない。存在することは何も犠牲にはしていないし、そもそも犠牲にできるようにもなっていない。問題は存在することではなく、存在し「続ける」ことにあるのだと思う。つまり、存在を毎瞬「たまたまなぜか」存在しているのではなく、毎瞬繋がって存在しているのが当たり前であり、その上そのように存在…

  • 言葉の存在意義

    言葉の三つの存在意義 言葉とは何のためにあるのか。最近の私が出した主要な答えは三つだ。一つ、他人に交じるため。二つ、他人に要求を通すため。三つ、自分の魂を見せるため、である。話の内容とか相手の反応とか、そんなのは二の次で、とにかく自分が喋っては相手が喋る、そういう交互性のあるやり取り自体を目的として言葉を交わす。これが他人に交じることだ。代表的なのは挨拶。やり取りの行為を通して、自分がその場に参加している一人であると安心できるのである。「コーヒーでお願いします」「この資料のここ直して貰えますか」「雨が降っているから迎えに来て欲しい」。してもらいたいことがあるから、何かを言う。他人に要求を通すは…

  • 本当のことを書きたい

    1 本当のことを書きたい。このブログはある意味でそのために作られたとさえ言える。けれど今までに一度も達成したことはない。本当とはそもそも書けるようなものではないからだ。それが書くという行為の限界である。書くことは絶対に自己の内にあるものの再現であって、どんな内容の文章もその枠を飛び越えることはできない。書かれたものは必ず模造品なのである。でも、だからこそより本当に近づけるために書き続けていかなくちゃいけないと思う。本当は書けなくても、似たものは書けるというその事実が私にそう思わせるのかな。たぶん。 2 ところで絶対に達成はできないけど、一歩ずつ近づくことはできる。そういう物事に直面した時の人の…

  • 平等は下らない

    平等は下らない 平等というのは実に下らない。何が下らないって、等しくあるそのことが既に下らないでしょう。等しくあるとは即ち、あるのが当たり前の意味なのだから。当たり前のものは全てにおいて下らないに決まっている。それが当たり前という言葉の定義だ。しかし、そんな平等は世の中では大層持て囃されている。まるで素晴らしいものであるかのように扱われ、疑うまでもなく全人類が目指すべき場所として煌びやかに、そこに存在している。この落差は何ゆえに生まれるのだろうか。 平等という名の? 平等というのは皆が同じであるだけではダメである。優劣の差がある時、皆が望む平等は必ず優れている者と等しく揃うことだ。貧富であるな…

  • 今年もやることは変わらないなという話

    よかったよかった shikouzakki.hatenablog.com 復活しましたーーー!!イェーーーイ!!!よかった。本当によかった。すっかり全部回復して、むしろ元気もりもりになりました。昨日まではトイレに起き上がるのも大変だったのに、人間の身体ってすげー。ようわからんうちにようわからん仕組みで全部が元通り。頭も昨日までの痛みが嘘だったかのように澄み渡っている。だからと言って、とくに何も考えていませんが…。まぁまぁ今日くらいは体調の悪さを乗り切った自分へのご褒美として、何もしなくてもいいでしょう。ともあれ、これで新生活へは無事に踏み出せそうだ。順調に色々な手続きを進められることでしょう。 …

  • 新年早々引くほど体調が悪い話

    1 新年早々引くほど体調が悪い。熱はないので流行りのアレではないと思うけど、謎の頭痛と気だるさに見舞われている。幸先の悪い一年の幕開けとなりました。こうも体調が悪いと頭が少しも回らず、しんどいでいっぱいになるな。なので、思索は全くできておりません。昨日一日休んだら多少マシになるかなと思ったけど、一向にその気配がないので、諦めて体調悪い日記を書くことにします。 2 それにしても全く原因が分からない。ワクチンの副反応は2日ほど前に治ったし、特段何かをした覚えもない。強いて言うなら、普段の生活習慣の悪さがここに来て爆発したのかなという予想。睡眠不足が祟りすぎたか。だとしたら逆に今まで体調不良にならな…

  • 一月になりましたね雑談

    一月になりましたね。あけましておめでとうございます。今年も当ブログをどうかよろしくお願いします。さて、もうすぐ新生活の幕開けだ。借りる予定の部屋も無事審査が通り、着々と準備が整っております。今の仕事も休み明けにあと何度か顔を出したら、それでおしまいだ。引越しの荷物はあまり多くならないと思う。家電らしい家電はそもそもないし、ベッドや机などの大きい家具もも処分して新調する予定だ。持っていくのは、何十冊かのお気に入りの本と、よく使うカバン、着心地のいい服くらいかな。新しい家では、今以上にものが少ない暮らしになっていくと思う。今日よりは明日、明日よりは明後日と、そうやって日に日に死へと近づいているのは…

  • できるできないは方法の中だけで考える

    グラデになってる 自分のできることできないこと、と一口に言っても、現実はそんなに単純明快ではない。できることの中には、すごーーく死ぬ気で頑張ればできることから息をするように片手間でできることがあり、できないことの中にはどう転ぼうが、逆立ちしようができないことから自分の心理的にちょっとするのに抵抗があるだけということがある。死ぬ気で頑張るはそれ自体滅多にやれるものではないし、心理的な抵抗は時に少しの勇気で乗り越えられる。できるとできないの間は常に曖昧で、きちんとした線引きは難しい。 甘えと欺瞞 ここに甘えと欺瞞の問題が絡んでくる。自分は甘えているだけなのか。本当はできることなのに、頑張りたくない…

  • ルールは現実を上手くやっていくためにある

    ルールはなぜ作られるのか ルールというのは基本的に作った側にメリットがあるようになっているはずだ。でなければ、端的につくる意味などないのだから。ルールに従ってもらうことで、集団の活動が円滑に進み、作った側のメリットを実現しやすくなる。だいたいのルールはこのためにあると思う。だが、綿密にきちんとルールを作りさえすれば、それで望んだメリットが実現されるかと言えば、そんなことはない。ちゃんとした作りのルールがあっても、ルールがその通りに守られるかどうかは従う側にかかっているからだ。作る側はここら辺も考慮に入れなきゃならない。「それがルールだから」とただ一方的に押し付けるのでは、多くの場合に上手くいく…

  • 3回目のコロナワクチン接種をしてきたという話

    ワクワクワク 3回目のワクチンを打ってきました。今は打ち終えたばかりで、副反応が出るまでの間に今日のブログを書いてしまいたいという魂胆で指を走らせております。さて、本当はルールについての話をしようと朝頃には考えていたのだけど、もう腕が痛くなり始めているので、却下しよう。人間って体調が悪くなると頭まで含めて、ほぼ何もできなくの不便だな。体調は悪いけどそれはそれとしてって切り分けられるくらいのゆとりが精神には欲しかったな。ほとんど比例していく形なの、嫌だなぁ。 副反応どうなるかな 実は2回目を打ってから一年以上が経っている。正直、自分は3回目とはもう無縁かなと考えていた。けれど、昨日の記事で書いた…

  • 近況雑談記事#3〜新生活と接客業について〜

    また仕事変わります また仕事を変えることとなりました。特に必要もなかったので書きませんでしたが、今までは事務作業の仕事をやっておりました。次は事務作業の前にやっていた接客業界に舞い戻ります。やっぱり私、人間が大好きなのだと思う。多くの人と直接に関われる仕事の方が能力的にも気持ち的にも向いているような気がする。事務作業もそれはそれで一定の面白みはあったけれど、なんというか、私がこの書類をつくることで何がどうなって、最終的にどう人の役に立つのか、イマイチよく分からないところが個人的に苦手だった。きっと誰かが必要としているから、仕事で作らされているのはもちろん分かるのだけど、実感としてその必要性を感…

  • 偶然か必然かは自分次第

    1 私がこの人としてあることは偶然だ。この人のいかなる性質を持ち出しても、私を表すことはできない。私とこの人の間に必然的な結びつきは何もない。ただ現状として、「なぜか」私はこの人であり、他の人ではなかっただけである。別に他の人が私でもよかっただろう。今私の母親であるところの人物が私であってもよかったし、友人や知り合いや、或いは画面の前のあなたが私でも、端的によかったはずだ。必然的と言えるのは、ただ現状としてなぜかそうはなっていないということだけであるのだから。別に私があなたで、あなたが私でも全然よかったのだ。 2 その偶然である事実を自覚した上で、他人の人生を見渡すと、全く知りもしないような赤…

  • 何かを消し去りたいのなら塗り替えをしよう

    消し去るは難しい 一度存在したものを完全に消し去ることは容易ではない。なぜなら、そこには人の記憶があるから。関わった全ての人が忘れるのでない限り、ものは形を変えてあり続ける。だから、もしこの世から何か消し去りたいことがあっても、簡単には成し遂げられない。忘れるはその本人でさえコントロールできるような能力ではないから。忘れてとお願いし、相手がそれを承諾したところで何の意味もない。できるのは、自然的に忘れ去られるのをただ待つだけである。 でも方法はある では、この世から消し去りたい物事がある時、人には何も為す術がないのかと言えば、そんなことはない。自然的に忘れ去るスピードを早めることは十分に可能な…

  • 矛盾する生き物なのに矛盾を放っておけない

    人は矛盾する生き物 人は矛盾する生き物だとよく言われる。これはその通りだろう。そもそもその存在の形式から人は矛盾を免れないのである。望んで生まれてきた人はいない、故に望んで生きている人も当然いはしない。だけども、人は生きている。既に存在した自分がこれからもあり続けることは望んでいるからだ。存在し続けることは望むけれど、生きていることは別に望んでいない。言い換えれば、存在するそれ自体は望んでいるけれど、「この形で」存在していることは別に望んだものではないという、その間に無限の矛盾が横たわるのである。 人は矛盾を放っておけない生き物 人は矛盾を放っておけない。矛盾こそがこの世唯一の確固たる「間違い…

  • 家に帰るのが嫌いという話

    家が嫌いだ 家というものが嫌いだ。家があることで、私には二つの面が生まれる。即ち、家にいる自分と外にいる自分とに分離するのである。玄関でそのスイッチの切り替えをしている時の自分なんか、本当に嫌いでたまらない。外には絶対的な人の目がある。家にはそれがない。外と家の一番大きな違いはそれである。その違いを違いとして激しく気にしている自分がいる。つまり私は、人に見られているか否かで、その時々の行動を変えてしまうような軽薄な人間であるということだ。 統合したい 外にいる自分と家にいる自分を統合したい。これは私が結構長い間考えている課題の一つだ。未だ現実的な方法は見いだせていない。とりあえずお金と時間が許…

  • 私と世界の非対称性

    何のところで? ところで私はどうしてこんなに死にたくないのだろう。後悔や未練を残してしまうから。正解。単に死というものが何なのか分からなくて怖いから。正解。死ぬともう二度とこの世界には帰って来られないから。正解。全部正解。でも一番の正解はたぶん、私が生きていたいからだ。生きていたいから、死にたくない。極めて単純ですね。じゃあ生きているの何がいいかって、そりゃ生きていることがいいんですよ。じゃあじゃあその生きていることってそもそも何なのかって、つまりはそれを考えられるのが生きているってことなんじゃないかしらね。 寂しい なら、私は考えられなくなることが嫌だから死にたくないのかと言えば、そうではな…

  • 自他の区別の仕方について

    なぜか間違えない 世界には約80億の「私」がいる。言語は違えどみんながみんな「自分」を「私」と呼ぶのはどこでも変わらないはずだ。じゃあその80億もいる私の中から、人はどうやって、自分の私を識別しているのだろうか。どうして「私」を間違えるなんてことが起こらないのだろうか。みんながみんな私なら、何かの弾みで一回くらい間違えても全然おかしくないのに。あーこれは自分の私じゃなくて他人の私だったわ、というように。自明ですね。なぜなら「真の私」は必ず一つしかないから。ビンタされて頬に痛みを感じる人は世界に一人しかいない。だから、決して私を間違えることがない。 それ以外にはない 私と他人を分けるところはズバ…

  • 悔しさは結局バネにするしかない

    1 悔しい。なんか悔しくないですか。私はすっごく悔しい。何がって。全部全部。毎日あれもこれも悔しくてたまらない。生きているって何なのか全然分からないこと、自分よりすげー人がたくさん世の中にいること、ブログがうまく書けなかったり、本の内容をいくら考えてもよく理解できないこと。そういうの全部全部心の底から悔しいと思う。その悔しさを持て余して、私は日々を生きている。無闇にぶち撒けるようなダサいことはしたくない。かといって端的にそれを無視できるほどの器用さも図太さも持ち合わせてはいない。たぶん私はその悔しさを「正しく」発散させる方法を求めているのだ。 2 このブログはそのための手段の一つであるし、私が…

  • 近況雑談記事#2〜意志について〜

    1 あん、だめだめ死ぬほどやる気がないわ。一日休んだら治るかなって思ってたけどダメだった。このブログは全て天啓頼りだから、何か降ってきてくれないと書くものがないわ。二日連続で休むのは気が引けるなっていうことだけが今、私の指を動かしている。さて、何を書こうかしらね。近況雑談はしたばっかりで、特に付け加えることもないし困ったな。まぁとりあえず思いつくまま書いていくか。 2 ……だめだ、何も出てこねえ。本当に書くことがないらしい。仕方ない。最近の何の結論も特に出ていないただの思考テーマでも羅列するか。この頃はもっぱら意志というものを考えている。例えば、 電車でいかにも立っているのが辛そうな人に席を譲…

  • そう感じるとそうであるは関係ない

    感じるの違いはどこから 個であるところの人間はみんなそれぞれに違う。でもその違いを支えている根幹は人間みんな同じである。心があって、何かを感じる。感じたものは千差万別でも、感じるというその働きは誰しもに共通しているであろう。感じたものが千差万別であるのは、まずは人が個であるからだ。つまりは物理的な位置の異なりによる視点の偏りがある。見えている範囲や角度が違う、よって一つの出来事でも、感じるものが異なってくる。二つ目には、個には性(さが)があるからだ。これは言わばレンズの違いである。それぞれに異なる色の眼鏡をかけているようなものとでも思ってもらえれば分かりやすい。緑色のレンズではすごく綺麗に見え…

  • 近況雑談記事

    1 眠いので今日も今日とて緩く書いていこうかな。この頃、記事の緩急が結構くっきり分かれている気がする。なんというか、頑張る記事と頑張らない記事の線引きが上手くできるようになった感じ。頑張らない日はとことん頑張らないかわりに、頑張る日には最高の記事を仕上げる。そういう風に上手く波に乗れていると思う。たぶん。きっと。おそらく。前はもっと根を詰めて書いていたから、上手くいかない日の自分なんか本当に大嫌いだったけど、最近は全然そんなこと思わなくなった。どんな文章であれ、正直であることこそが一番大事なのだと改めて思ったのである。 2 正直になると自分の矮小さや卑劣さ、醜さがよく見えるようになる。以前の私…

  • 気持ちの整理と目の前の問題を分けて考える

    人生でぶつかる難事は二つ 人生において自分の役に立つ言説は大まかに二つに分けられると思う。一つは気持ちの整理に役立つもの、もう一つは目の前の問題を解決するのに使えるものである。現実で人がぶつかる難事と言えば、だいたいこの二つのどちらかではないだろうか。気持ち的に向き合うのが難しいこと、実際的に解決の仕方が分からないこと。この二つへの対処法は面白いことに、得てして正反対になる。だから情報を収集する際には、それがどちらに対しての言説なのか、きちんと留意しなければならない。 甘い言葉を読んでいるという自覚が必要 気持ちを整理するのに役立つ言説は、当たり前だが、自分を鼓舞してくれるものであったり、慰め…

  • 人が大切にされるべき理由

    なぜ 人はなぜ大切にされるべき存在なのだろうか。大切にされるに値する源は一体どこなのか。今回はそれを考えてみたい。 理由として不十分 「一つの命だから」と言う人がいる。失えば二度と元に戻らない一回性のものだから、大切なのであると。これは確かにそうなのだが、しかしそれだけでは理由として不十分だろう。それなら他の一切の生き物も人と同じでなければならない。でも明らかに、人はそこから区別されている。しかもその理由は、我々自身が人間だからという生物的エゴによるものだけではないはずだ。人間と他の生物は客観的に見ても判然たる差がある。その差を生み出している一つは、個性である。だから人が大切なのは「一人一人違…

  • 豊かになって実感はなくしたとしても忘れたくない

    大人気ない大人買い 知らない街をぶらぶらしていたら、久しぶりに駄菓子屋を見かけた。随分懐かしい気持ちになった。小学生の子らが買っているのを見て、自分にもこんな頃があったなぁとすっかり思い出に耽ってしまった。もう十五年以上も前の話になるのか。うへぇえ。子供達が立ち去った後で、自分もお店に入ってみることにした。昔自分がどんなのを買っていたか思い出しながら、それらをどんどん手にしたいたら、気付かぬうちに籠がいっぱいになっていた。大人気なく大人買いをしてしまった。お会計はギリ千円には届かないくらいだったかな。家に帰って、焼たらをむしゃむしゃ食べていたら、なんだか虚しさで胸がいっぱいになった。100円玉…

  • ゆるい雑談に奇跡を添えた記事

    ゆるいです ゆるふわな記事が書きたい気分なので、今日はいつも以上にゆるゆるで行きますね。浮かんだ言葉をただ並べていく感じで。この頃やっぱり書くことって楽しいなと思うようになった。それは偏に書きたいものがあるからだ。頭の中にあるものを外に出して形にしていく作業ってやっぱりすごく面白い。難しいけれど。難しいからこそ、面白みがある。ぶっちゃけ頭で思い描いたものと全然違う形の文章になった記事はいくつもあるが、これはこれで悪くないなと思って普通に公開している。論文を書いているのでもないし、そんなに拘らなくてもいいっかという気持ちで。失敗も失敗の記録にはなるわけだし。 知らんけどたぶんね 書きたかったもの…

  • 常識はかつて常識ではなかった

    生活がよりよくなるサイクル 時代を通して人の生活がよりよくなっていくサイクルには、何かが問題視される→徐々に改善される→改善されている状態が当たり前になる、というのがあると思う。皆が今まで何の疑いもなく当然のように常識として受け止めていた物事から、誰かが問題を掘り起こし、その問題意識がだんだんと広まって、やがて常識そのものがアップデートされる。常識がアップデートされた以降に生まれた人々にとって、それは単なる常識である。が、まさに常識がアップデートされる過程に生きた人々にとっては、きっと戦いの連続だったに違いない。周りとの戦いはもちろんのこと、意識に刷り込まれた常識を改めるのだから自分自身とも散…

  • 目的に正解はなくとも手段にはある

    目的に正解はなくとも手段にはある 生きている上で人それぞれが持っている目的や理想に正解はない。そこは何を持つべきかなんていう「べき性」が働くところではなく、違法でない限りは完全に個人の自由に属する領域である。誰しも自分が思う正解を思う通り生きればいいのだ。そもそも皆全然異なる人間なのだから、人それぞれで描くものが違うのは当たり前であるし、他人に大きく迷惑をかけるのでないなら、なんだって自分の自由であるのも極めて当然のことだろう。しかし、そこに向かう手段の話となれば、別である。目的や理想に正解はなくとも、そこに向かう手段の方には、必ず正解がある。それはどんな目的や理想においても、そうなのである。…

  • 生きる意味があることないこと

    1 自分とは本質があるような存在ではない。本質みたいなものはあるかもしれないけれど、はっきりきっぱりばっさり本質だと言い切れるようなものはないのである。何があれば自分は自分であるのか、何を失えば自分は自分でなくなるのか、そんなの、誰にも分からない。その分からなさが人に生きる意味やら価値を求めさせる。生きる意味とはつまり、それがあれば自分は自分であると思える何か、である。実際には本質がないから、代わりとして自分の思いの上に本質を打ち立てたいのだ。それがあれば自分は自分であることができるものが何か分からないから、それがあれば自分は自分であると「思える」もので、その蓋をしていきたいのである。 2 私…

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