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東洋思想、孟子を読む。 https://aristotles200.hatenablog.com/

東洋思想に関して。孟子を意訳し、所感を述べています

儒学を学び、自らを磨き上げようと、志しを立てました。四書を中心に、繰り返し通読し、まとめとして、ブログで所感を述べています。

aristotles200
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2021/08/11

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  • 孟子 其の心を尽す者は

    書き下し文) 孟子曰く、 其の心を尽す者は、其の性を知るなり。 其の性を知れば、則ち天を知る。 其の心を存し、其の性を養うは、天に事ふる所以なり。 夭寿不弐はず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり、と。 孟子 尽心章句上 現代語訳直訳) 孟子はいわれた、 人の心(側隠・羞悪・辞譲・是非の四端から、仁・義・礼・知の四徳)を尽くす者は、人の性、善性を知る。 人の性、善性を知れば、天(宇宙の理、人に内在する道徳的根源)を知る。 人の心(側隠・産悪・辞譲・是非の四端から、仁・義・礼・知の四徳)を養えば、つまり天(宇宙の理、人に内在する道徳的根源)に仕えるということ。 人の命は、短命、長命とあ…

  • 孟子 萬物皆我に備はる

    書き下し文) 孟子曰く、 萬物皆我に備はる。 身に反して誠なれば、樂、為より大なるは莫し。強恕して行ふ、仁を求むること焉より近きは莫し、と。 尽心章句上 現代語訳直訳) 孟子はいわれた。 万物は皆、自分に備わる。 故に、我が身を省みて誠であれば、 楽しみ、これほど大きなものは無い。 まごころと思いやりの心で行えば、 仁を求めること、これより近き方法はない、と。 所感) ■孟子の教え 孟子といえば、この「萬物皆我に備はる」との大命題が有名であり、「強恕して行ふ」は、孟子の教えの中心にある結晶のようなもの。 こう書くと大げさで、神話か古代の理想論のように思われがちであるが、 万物皆備わるとは、自分…

  • 講孟箚記 われの魯侯に遇はざるは天なり

    現代語直訳)「われ魯侯に遇はざるは天なり」 この一語は、孟子みずから決心され、天に誓われ述べられた。 これ故に、孟子は時運に遇っても遇わなくても、すべてを天にまかせて顧みることなし。 自身において、道を明らかにし、義を正しくし、 言うべきことを言い、為すべきことを為すのみ。 これ故に、孔子・孟子が終身、世にでることもなく、路で老い死すとも、少しも愧じること、倦むことなし。 今、私たちが、獄中に在って「孟子」を読むからには、深くこの義を思うべし。 講孟箚記 第十六章 所感) ■背景 孟子が魯国を訪れた時、高名な孟子に会おうとした魯君平公は、臣下の佞言に阻まれ実現することはなかった。 そこで、冒頭…

  • 講孟剳記 記聞の学は

    現代語直訳) 人が、師になりたいとの欲がでれば、学んだことは己の身にはつかない。 得た幅広い知識は、ただ人に使われるのみ。 このような人に使われるだけの学問は、学者の常の患いであり、自ら戒めなければならない。 学問を成し遂げる眼目は、己の為にすることにあり。 君子の学問は、己の為に学ぶ。 小人の学問は、他人の為に学ぶ。 己が為の学問とは、人の師となるを好まなくとも、既に人の師となっている。 他人の為の学問とは、人の師となりたい欲を思うも、終には人の師となるに足らない。 故に、孟子はいわれた。 「記聞の学は以て師となるに足らず」 (知識のみの学問では人の師に足らず) 第二十三章 以上を含む第二十…

  • 孟子 人を在るには

    書き下し文) 孟子曰、人を存るには眸子より良きはなし。 眸子はその悪を奄うこと能わず。 胸中正しければ眸子も瞭らかに、胸中正からざれば眸子も眊し。 その言を聴きて、その眸子を観れば、人なんぞ廋さんや。 離婁章句上 意訳) 孟子はいわれた。 人に存るもので、瞳ほど人をあらわしているものはない。 瞳は、人の悪を覆い隠せない。 胸のうちが正しいと、瞳は澄んでいる。 胸のうちが正しくないと、瞳は濁っている。 言葉を聴き、瞳を見れば、人が隠せることなし。 所感) ■父との訓練 私事であるが、私が小学生の頃、父より受けた訓練がある。 父と子、互いに瞳を見つめ、反らしたら負けのルール。 父の瞳はやや茶色がか…

  • 孟子 貴きを欲するは

    書き下し文) 孟子曰く、 貴きを欲するは、人の同じき心なり。 人人己に貴き者有り、思わざるのみ。 人の貴くする所の者は、良貴に非ざるなり。 趙孟の貴くする所は、趙孟能く之を賤しくす。 詩に云う、 『既に醉うに酒を以てし、既に飽くに德を以てす。』 仁義に飽くを言うなり。 人の膏粱の味を願わざる所以なり。 令聞廣譽、身に施く。人の文繡を願わざる所以なり。 告子章句上 意訳)孟子はいわれた。貴くなりたいとは、人であれば皆思うこと。 本当は人であれば皆、貴いものが有る。 しかし人は貴いものを、思うことなし。 人が人によって貴くなるものは、良き貴さでなし。 大貴族、趙孟により貴くなれば、 大貴族、趙孟に…

  • 孟子 道は近きに在り

    書き下し文) 道は邇きに在り、而るに諸を遠きに求む。 事は易きに在り、而もこれを難きに求む。 人人其の親を親とし、その長を長として、天下平らかなり。 離婁章句上 意訳) 仁の道は近くにある。なのに人は、遠い先にあると思っている。 仁の行いは易しいことにある。なのに人は、難しいことの先にあると思っている。 自分の両親を敬い、年長者を敬う、そのままで天下は平らかに治まる。 所感) 武道、武術を習う場合、最初に学ぶ技は、突き詰めれば奥義となるくらいの、その道の全てが内包している。 初学者は、形を一通り模写出来るようになると、直ぐに次の技を望むが、どうなのであろう。 私事であるが、中国の内家拳の一つ、…

  • 孟子 人は與に適むるに足らざるなり

    原文) 孟子曰、人不足與適也、政不足閒也、惟大人爲能格君心之非、君仁莫不仁、君義莫不義、君正莫不正、一正君而國正矣。 離婁章句上 意訳) 孟子はいわれた。無能な人が、君主の地位にあるからといって責め立てる必要はない。 無能な人の行う政治が、間違っているからといって責め立てる必要もない。 儒学を修めた徳大き人が、無能の君主の政治の誤りを正す。 国の政治が仁となれば、国中の人に不仁はなく、 国の政治が義となれば、国中の人に不義もなく、 国の政治が正しくなれば、国中の人に不正もない。 儒学を修めた徳大き人が、一たび君主を正せば、国は定まる。 所感) 孔子、孟子の唱える、儒学の思想信条の要となる章とさ…

  • 孟子 仲尼亟々水を稱して

    書き下し文) 徐子曰く、 仲尼亟々水を稱して曰く 水なるか、水なるかな。 何をか水に取れるや。 孟子曰く、 原泉混混として、晝夜を舎かず。 科に盈ちて而る後に進み、四海に放る。 本有る者は是の如し。 是を之れ取るのみ。 苟しくも本無しと為さば、七八月の閒、雨集まりて、溝澮皆盈つるも、其の涸るるや、立ちて待つ可きなり。 故に聲聞、情に過ぐるは、君子之を恥づ。 離婁章句下 意訳) 弟子の除子は、孟子に問うた。 孔子は、水について「水なる哉、水なる哉」とたびたび述べられたと聞き及びます。 孔子は、水のどこに感銘を受けられたのですか。 孟子はいわれた。 水の溢れる源、源泉とは、昼も夜も止むことなく湧き…

  • 講孟箚記 孟子におもねてはいけない

    最近、吉田松陰先生の講孟箚記を読み始めている。そして冒頭から衝撃を受けている。 「孟子におもねてはいけない」 儒学の聖典でありながらも、二千三百年前の中国での出来事故に、今の世(江戸時代末期)で解釈する場合は、是々非々の判断が必要であると、松陰先生は述べられた。 目から鱗のような印象を受ける。 孟子の教えとは人類普遍の教えではあるが、 二千三百年前の中国戦国時代のお話しであり、現在とは異なる部分はある。 聖典だから、一文字一句妄信しろ、とは良く考えれば儒学の教えと異なる。 儒学とは、ものごとの本質を正しく捉える現実的な学問。 儒学の根本となる聖典ですらその範囲外ではない。 人が人として存在する…

  • 孟子 為さざる所を為す所なく

    書き下し文) 孟子曰く、 其の為さざる所を為す所なく、 其の欲せざる所を欲することなし。 此く如きのみ、と。 尽心句章上 意訳) 孟子がいわれた。 人としてして、最高の行いとは、 ·為してはならぬことを、為さず、 ·欲してはならないことは、欲しない。 君子の道とは、詰まるところ、この二つに尽きる。 所感) 原文は、わずか十七文字に過ぎない。 内容は、この二行のみ。意を反転すれば、 ·行って善いことを、行い、 ·欲して善いことを、欲する。 理屈からいえば、簡単で、子供でも理解できる。 だが、 文章だけ読めば、この、わずか二行のことを人生において、いまだ続けて行えないのが私たちだ。 しかし、儒学は…

  • 孟子 ここに人あり②

    書き下し文) 是の故に君子には終身の憂いあるも、一朝の患いなきなり。 乃ち憂うる所の若きは則ちこれあり。 舜も人なり、我も亦人なり。 舜は法を天下に為して、後世に伝うべくする。 我は由未だ郷人たるを免れざるなり。 是は則ち憂うべきなり。 これを憂えば如何にせん。 舜の如くせんのみ。 夫の君子の若きは、患いとする所は則ち亡し。 仁に非ざれば為すなきなり。 礼に非ざれば行うなきなり。 一朝の患いあるが如きは、則ち君子は憂いとせず。 孟子 離婁章句 意訳) 孟子はいわれた。 君子とは、一生をかけて、行わなければならない心の憂いがあり、 日常のつまらないことに、心を奪われたすることはない。 君子の憂い…

  • 孟子 舜の深山の中に居るや

    原文) 孟子曰、舜之居深山之中、與木石居、與鹿豕遊、其所以異深山之野人者幾希、及其聞一善言、見一善行、若決江河沛然、莫之能禦也。 盡心章句上 意訳)孟子はいわれた 昔々、舜(中国古代の聖人、五帝の一人)という人がいた。 中国の歴山と呼ばれる、山の奥深くに、一人暮らしていてた。 歴山の、深い、深い森の中に連なる大木や、そびえ立つ巨大な石の間で、 一人、眠たくなれば寝て、 気が向けば、森の中に咲く花を愛で、 鹿や猪といった森の中に住む生き物を、友として遊び、 何不自由なく、日々を楽しく過ごしていた。 その姿は、とても荒々しく、森の動物となんら変わらぬ様な有り様だった。 ただ彼は、他の山に住む野人と…

  • 孟子 君子に三樂有り

    原文)孟子曰、君子有三樂、而王天下不與存焉、父母倶存、兄弟無故、一樂也、仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也、得天下英才而教育之、三樂也、君子有三樂、而王天下不與存焉。 盡心章句上 意訳)孟子がいわれた。 君子の楽しみは、三つある。 ·父と母が健康で、兄弟は何も問題はなく、無事平穏に暮らしていること。 これが一つ目の楽しみ。 ·天を見上げても、自らのことで、徳に反する、恥とする行いが無く、 地に深く頭を垂れても、自らのことで、徳に反する、恥とする行いが無いこと。 これが二つ目の楽しみ。 ·天下の、輝かしい才能を持った人材を集め、 さらなる教育を、自らの手でとり行うこと。 これが三つ目の楽しみ。 君子…

  • 孟子 君子は亮ならず

    原文) 孟子曰、君子不亮、惡乎執。 孟子 告子章句下 意訳)孟子はいわれた。 君子とは、融通が利かず、真っ正直なだけの、 己の小さな信(誠)にこだわる者では、決してない。 君子とは、小さなことに固執はせず、 ただ、大きな信(誠)で、物事を為すのだ。 所感) 原文では、わずか十文字であるが、 その伝えることは深い。 この文章は、信の徳について述べられている。 己が固執が過ぎ、小さな信にこだわれば、すなわち、信は遠ざかる。 そして、君子たるもの、一つのことに囚われて大きなことが見えないなど、もはや君子ではあり得ない、との君子論でもある。 四端、四徳にはじまる孟子の儒学の教えは、いずれも素晴らしいも…

  • 孟子 ここに人あり

    ここに人あり。 その我を待つに横逆を以てすれば、則ち君子は必ず自ら反するなり。 我必ず不仁ならん。 必ず無礼ならん。 この物奚ぞ宜しく至るべけんや、と。 その自ら反して仁なり。 自ら反して礼あり。 その横逆由是くのごとくなるや、君子は必ず自ら反するなり。 我必ず不忠ならん、と。自ら反して忠なり。 その横逆由是くのごとくなるや、君子曰く、これ亦妄人なるのみ。 此くの如くあれば、則ち禽獣と奚ぞ択ばん。 禽獣に於いてまた何ぞ難ぜん、と 孟子 離婁章句 意訳) ここに人がいる。 その人は、自分に、横暴で、理不尽なことをしてくる。 君子は、その人に対して行った、自らの行いを振り返ってみた。 私に、仁(思…

  • 孟子 君子の人に異なる所以は

    孟子曰く、 君子の人に異なる所以は、その心を存するを以てなり。 君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。 仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。 人を愛する者は、人恒にこれを愛し、人を敬する者は、人恒にこれを敬す。 孟子 離婁章句 意訳) 孟子がいわれた。 君子と、普通の人との違いとは、 自らの心を、 本来の仁の姿で、生かすことが出来るか、出来ないかによる。 君子は、 仁によって、心を生かし、 礼によって、心をしっかりと保つ。 仁を身につけた人は、 人を、心から愛することが出来るし、 礼を身に付けた人は、 人を、心から敬うことが出来る。 人を、心から愛することが出来る人は、 世の中のあらゆる人…

  • 孟子 自ら暴なう者は

    孟子曰く、 自ら暴なう者は、与に言うあるべからざるなり。 自ら棄つる者は、与に為すあるべからざるなり。 言、礼義を非る、これを自暴と謂う。 吾が身、仁に居り義に由る能わざる、これを自棄と謂う。 仁は人の安宅なり。 義は人の正路なり。 安宅を曠しくして居らず。 正路を舎てて由らず。哀しきかな。 孟子 離婁章句 意訳) 孟子がいわれた。 自ら、徳なき乱暴なふるまいをする人とは、語るべき言葉を持たない。 自ら、徳を放棄するようなふるまいをする人とは、ともになにかを行動することは出来ない。 言葉を発するたびに、 礼(人としてのあり方として修練されるべき規範)を、 否定すること、これを自暴という。 仁(…

  • 孟子 人の患いは

    孟子曰く、 人の患いは、好みて人の師と為るに在り。 孟子 離婁上句 意訳) 孟子がいわれた。 人のめんどくさいところは、 自身がたいしたことなくても、 他人には、偉そうに、聞いただけの浅い悟りを教えて、 崇められ、師のように思われたいと思っていることだ。 所感) 言い換えれば、人の師たる者であれば、 なにかを人に教えるということは、 自らの自尊心を満足させる為や、我が身を人から崇められたい為に、 自身の知識や経験を、考えもせず、あけっぴろげて教えてはいけない、ということか。 人に教えるということは、または、人の師たるを行おうとすれば、 教えを乞うもののレベルに合わせた、成長につながる教え方があ…

  • 孟子 我善く吾が浩然の気を養うと

    敢えて問う。 夫子悪にか長ぜる。 曰く、我言を知る。 我善く吾が浩然の気を養うと。 敢えて問う、何をか浩然の気と謂う。 曰く、言い難し。 その気たるや、至大至剛、直を以て養いて害なうことなければ、則ち天地の間に塞ちる。 その気たるや、義と道とに配す。 是なければ餒うるなり。 是れ義に集まって生ずる所の者にして、義襲いてこれを取れるに非ざるなり。 行い心に慊ざるあれば、則ち餒う。 我故に、告子は未だ嘗て義を知らずと曰えるは、そのこれを外にせるを以てなり。 孟子 公孫丑章句上 意訳) 先生にとって、ご自分が、他の人より秀でている点があると、お考えのことがあれば、是非ともを教えて下さい。 私は、他人…

  • 孟子 何をか言を知ると謂う

    何をか言を知ると謂う。 曰くヒ辞はその蔽わるる所を知り、 淫辞はその陥る所を知り、 邪辞はその離るる所を知り、 遁辞はその窮まる所を知る。 その心に生じれば、その政に害あり。 その政に発すれば、その事に害あり。 聖人復起こるも、必ず吾が言に従わんと。 孟子 公孫丑章句 意訳) 先生は、他人の言葉を聴けば、その人の本質を理解することが出来る、とのことですが、どのようなことなのか教えて下さい。 ·偏った見方や、片寄った考えの発言をする人からは、 その人の心が、独り善がりな、極端な方向に向いていることがわかる。 ·みだらな、なんの考えもない発言をする人からは、 その人の心が、なにか別のことに奪われて…

  • 孟子 人皆人に忍びざるの心有り

    孟子曰はく、 人皆人に忍びざるの心有り。先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運らすべし。 孟子 公孫丑章句 意訳) 孟子がいわれた。 人は皆、他人の不幸に接っすると、見て見ぬ振りが出来ず、なにか助けの手を差し伸べたいという気持ち、心が、必ずあるものだ。 古の聖王、と称された偉大な為政者も、現代の私たちと変わらず、人の不幸に接して、見て見ぬ振りが出来ず、なにか助けの手を差し伸べたいという気持ち、心が、常にあった。 そして、彼らは、その心の命ずるままに、人の不幸を見れば、困っている人たちに、助けの手を差し…

  • 孟子 孺子の将に井に入らんとする

    人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、 今人乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隠の心有り。 交はりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。 誉れを郷党朋友に要むる所以に非ざるなり。 其の声を悪みて然するに非ざるなり。 是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。 羞悪の心無きは、人に非ざるなり。 辞譲の心無きは、人に非ざるなり。 是非の心無きは、人に非ざるなり。 惻隠の心は、仁の端なり。 羞悪の心は、義の端なり。 辞譲の心は、礼の端なり。 是非の心は、智の端なり。 人の是の四端有る、猶ほ其の四体有るがごときなり。 孟子 公孫丑章句 意訳) 人は皆、他人の不幸に接っする…

  • 孟子 取るか取らないか

    孟子曰く、以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば廉を傷つく。以て與う可く、以て與うる無かる可し。與うれば惠を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく。 孟子 離婁章句 意訳) 孟子がいわれた。 取るか、取らないか、その場で、どちらでも良い場合は、取らないこと。 どうであれ、取るということは、一点の曇りもなき、自らの、正しいことを行おうという清廉の徳を、汚すことになる。 与えるか、与えないか、その場で、どちらでも良い場合は、与えないこと。 どうであれ、与えなくても良いのに、たいした理由もなく与えるということは、本来の、人に情けをかけ、人を救うという、尊い行いである恩恵の徳…

  • 孟子 仁の不仁に勝つ

    仁の不仁に勝つは、 猶ほ水の火に勝つがごとし。 今の仁を為す者は、 猶ほ一杯の水を以て一車薪の火を救ふがごときなり。 熄まざれば則ち之れを水は火に勝たずと謂ふ。 此れ又不仁に与するの甚だしき者なり。 亦終に必ず亡はんのみ。 孟子 告子上十八章句 意訳) 仁の人とは、不仁の人達に対し必ず勝利するものだ。 例えるなら、火を消し止めるには水が必ず効き目があるように。 だが、昨今の仁を行う人は、己が盃一杯くらいの水(仁)で、台車に積み上げたたくさんの焚き木についた炎(世の中の不仁)を消そうとしている。 結果、己が蓄えた水(仁)が少ない事を嘆かず、火(世の中の不仁)には水(仁)は勝てないと、巷で言いふら…

  • 孟子 読んで楽しい

    孟子は、読んで楽しい。 論語は、読みもの、読書として昔から繰り返し読んでいて内容は、浅く知っている。 もちろん、内容を知っているだけで、学問としては、一初学者だ。 著者の解釈を頼りに、自己の誤った解釈の気づきや、読み込めていなかった意味を探す、考える形の勉強スタイルだが、 孟子は、人生でも通読は片手の数以下、どの章を紐解いても新鮮に思え、また、主旨も直接的に理解出来る内容が多く思え、本当に読んで楽しい。 論語のように、様々な解釈の本があり、誰から読もうか、といった悩みも、いまのところ孟子からは感じない。 岩波文庫版を通勤時間やウオーキング中に繰り返し読み、仕上げに自宅で腰を据えて、新釈漢文体系…

  • 論語に関して

    もともと、岩波文庫版の論語は、大好きな本であったので、自己流で若い頃から読み続けてきた。 もちろん、読書として。 今回、自分を磨き上げる為に、孔子孟子の教えを改めて学ぶうちに、これまでと読む視点、姿勢が異なる為か、見えない、見えなかったものが、なんとなく先にある様に感じるようになる。 岩波文庫版の次に、諸橋轍次先生の「論語の講義」を読むと、岩波文庫版では気づかなかった、文章の背景が、なんとなく理解しだした。 次に、新釈漢文体系、明治書院版を読むと、前二冊で気づきけなかった事が、さらに見えだした。 正直、論語がこれほど深い内容、思想を秘めていとは、嬉しい発見だ。 繰り返し通読し、きれいな字で紙に…

  • 大学に関して

    大学という四書に連なる経書に対し、正直、混乱している。 当初、儒学を学ぼうと、二十年ぶりに岩波文庫版大学を通読した時、 目が覚めるような興奮を感じた。 明徳、親民ときて、至善にいたるためには、物を(善悪)を確かめる事から始まる、と、何とシンプルでわかりやすく、 又、物を(善悪)を確かめる、の善悪とは、人であれば誰もが持つ両親の気持ち、兄弟への行動、 これまた、シンプルでわかりやすい。 儒学の根本を、シンプルに理解出来る喜びに満ち溢れた。 しかし、ここからが、雲行きが怪しくなる。 より、理解を深めようと、新釈漢文体系、明治書院の大学を紐解いていくと、 大学の成立過程や、歴史上での揺れ動く捉え方、…

  • 近思録に関して

    近思録 新釈漢文体系 明治書院、 通読一回目。 理解出来ていない事。 ①一章、理解するに、なにか知識がいるかも知れない。世界観が、現代とは異なり過ぎる。 ②レビューにもあったが、易經の文章を用いる箇所は、暗号文の説明の様で、今回は全てスルー。 感銘を受けた事。 ①儒学を学ぶ初心者向に分かりやすく四書に関連した内容を学べる。 ②大学を最初に学ぶ意味や、論語を読む時の注意点等、四書を学ぶ為のわかりやすい説明書として。 ③詩経に興味が持てた事。又、他の五経に関しても、どのような経典であるか、ある程度理解出来るようになる。 ④四書に述べられている、人生の指針となる言葉や、学問を学ぶにあたり勘違いしやす…

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