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東洋思想、孟子を読む。 https://aristotles200.hatenablog.com/

東洋思想に関して。孟子を意訳し、所感を述べています

儒学を学び、自らを磨き上げようと、志しを立てました。四書を中心に、繰り返し通読し、まとめとして、ブログで所感を述べています。

aristotles200
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2021/08/11

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  • 三行詩 第百三十章(郷党第十②)

    ○日曜日の午後、3月10日、森 揖所与立、左右其手、衣前後譫如也、郷党篇三 (朝廷で)同役の人たちに挨拶をされるときは、両手を胸の前で組み合わせて、左に向き、次に右に向き、少し上にあげる動作をされた。礼服の裾の前後は整然と揺れ動き、寸分も乱れない。 「孔夫子の身長は2m16cmとされ、文武両道と見事な礼儀作法、朝廷での礼装がさぞかし映えられたのではないか、イメージ的にやや被る、後の三国志に登場する関羽が1m86cmとか、共に中国では信仰の対象とされた」 #論語 ○日曜日の夕方、マクド 「調子が悪いときには荻生徂徠先生の論語徴がよい」 「現代語訳はないが内容は論語に変わりない、名文なので字を追い…

  • 三行詩 第百二十九章(子罕第九②)

    ○月曜日の朝、3月4日、通勤 子曰、可与共学、未可与適道、子罕篇三十 孔夫子はいわれた、共に学問を行うことは出来よう、しかし同じ学問の道を歩むことは出来ない人もいる。 「志や学問に対する思いが異なれば、孔門を叩いた時は変わらぬも学問が進めば次第に溝が広がる人もいる、悲しいことだ」 #論語 「学問の道とは、学問をすることが目的ではない」 「学問をして、自らを磨き上げる、故に道なのだ。自らの学問を誇ってどうするのか」 「四書五経を読んだ、全て写経した、良いことだが、それを誇るより学んで何を得たか、省みたか、改めたかが眼目だ」 #三行詩 ○月曜日の朝、一休み 「素読という勉強方法がある、短期的には意…

  • 三行詩 第百二十八章(子罕第九②)

    ○日曜日の午後、2月25日、ウオーキング 子謂顔淵曰、惜乎、吾見其進也、未見其止也。子罕篇二十一 孔夫子、早世した顔回を評していわれた、惜しいことかな、彼の学問は進むばかりで、止まることは無かったのだ。 「惜乎(惜しいことかな)とは、早世した顔回を惜しむ気持ちと、いつか大成した顔回が、孔夫子の跡を継いで、為すであろう栄光の未来が消えてしまったことを惜しまれたのだ。前に進むのみの学問とは、控えめに述べても聖人の御業、以外には思い当たらない」 #論語 ○日曜日の午後、森 「アマプラMで米津玄師さんの曲集を聴きながら、雨中そろりとそろりと歩いている」 「読書と学問、食べては昼寝、良き三連休であった」…

  • 三行詩 第百二十七章(子罕第九②)

    ○月曜日の朝、2月19日、通勤 且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎。子罕篇十二 (孔夫子はいわれた)そのような偽の家臣団に偽の大夫として天に見送られるより、門弟の二三人に見送られるほうがよい。大夫としての大葬がなされなくても、まさか亡くなったのち道に捨てられることはあるまい。 「重病で、このまま亡くなるかもしれない時の話し。孔夫子は礼節は尊ぶも、権力や世間の評判に対しては単に付属することであり、重きを置いていないことがよく理解る。孔夫子は私利私欲の人ではなく、終生を学問の道に歩まれたのだ。当然ながら先に亡くなった子路が登場する為、この時は病は持ち直された」…

  • 三行詩 第百二十六章(子罕第九②)

    ○日曜日の朝、2月11日、森 大宰問於子貢曰、夫子聖者与、何其多能也、子貢曰、固天縦之将聖、又多能也、子罕六 呉の大宰である嚭、子貢に問う、孔夫子は聖人であられるも、どうして諸事多能であられるのか。子貢はいう、孔夫子は天より許しを得た、真の聖人であられます。その上に天より多能も授けられたのです。 「高弟の子貢であれば、当然ながら孔夫子の出自も存じているし、聖人は多能ではない先王の教えも知っている。故にこのように、多能も天からの命であると嚭にお答えしたのだ。孔門きっての秀才、子貢らしい返答だし、子貢が如何に孔夫子を尊敬しているのかも伝わってくる」 #論語 ○日曜日の朝、自宅 「ここ半年、アトピー…

  • 三行詩 第百二十五章(子罕第九②)

    ○月曜日の朝、2月5日、通勤 孔子曰、才難、不其然乎、唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣。泰伯篇二十 孔夫子はいわれた、国の政に才ある人を得るのが困難というが、果たしてそうだろうか。堯帝、舜帝が天下を治めていた時が終わっても、周王朝では尚、勢いが盛んであった。武王のいう十人の重臣がいて、一人は夫人。武王の父である文王の頃に、西伯となり天下の三分の二を領有していたのだ。そして、残りの三分一を統治する殷王朝に、周は臣従していたのだ。周王朝の徳とは、真に最高のものであるといえるな。 「儒学とは、歴史の積み重ねでもある。現代の私たちにとっても、孔…

  • 三行詩 第百二十四章(泰伯第八②)

    ○日曜日の午後、1月28日、自宅 子曰、三年学、不至於穀、不易得也。泰伯篇十二 孔夫子はいわれた、学問の道を学んでも、たかが三年で仕官を求める者がいるのだ。 「何の為の学問の道か、仕官は手段であり、目的は苦しむ民を救うことにある。孔夫子の門を叩いた者でも、志が低く、仕官目的の者がいることを孔夫子は嘆かれた」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 子曰、篤信好学、守死善道、危邦不入、乱邦不居、泰伯篇十三 孔夫子はいわれた、学問の道を好み、堯帝、舜帝が残された先王の教えを篤く信じること。生ある限り学問の道を歩み、自ら徳を善くすること。政で争う国には立ち入らず、政が乱れた国には滞在しないこと。 「孔夫子の教え…

  • 三行詩 第百二十三章(泰伯第八②)

    ○日曜日の午後、1月21日、自宅 詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷、而今而後、吾知免夫、小子。泰伯篇三 曽子、傷のない手足を見せていう、詩経にこうある『戦々恐々として深き淵に臨みて、薄氷の上を歩むが如く』と。臨終を迎え、ようやくこの心配から離れられるのだ。お前たち、よく理解するのだよ。 「孝とは親に心配をかけない、=親から与えられたこの身体を傷つけ、欠損させないこと。しかし、この乱れた世の中を生き抜くには並大抵のことではなく、文字通り、薄氷を踏むが如く、慎んで生き抜くことの大切さを曽子は臨終にて弟子たちに述べた」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 曾子有疾、孟敬子問之、曾子言曰、鳥之将死、其鳴也哀…

  • 三行詩 第百二十二章(述而第七②)

    ○日曜日の午後、1月14日、ウオーキング 子曰、若聖与仁、則吾豈敢、抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、述而篇三十三 孔夫子はいわれた、学問の道の目標とは、自らを聖人や仁者へと近づけることであるが、私は未だにそれらに及ばない。ただ、止まることなく学問の道を歩み、飽きることなく人に教えることだけだな。 「若聖與仁、則吾豈敢とあるも、常に学ぶ、省みて実践する人こそ聖人であり、仁者なのだと思う」 #論語 ○日曜日の夜、自宅 「毎日、根本通明先生の論語講義を少しずつ繰り返し読み、ノートに写経している」 「参照として、諸橋轍次先生の論語の講義を横に開くと、どうも形が良くない、机上が狭すぎる」 「明日が…

  • 三行詩 第百二十一章(述而第七②)

    ○日曜日の夜、1月7日、自宅 子釣而不綱、弋不射宿。述而篇二十六 魚釣りはしてqも網でさらうことはなく、弓で鳥を狩っても巣を狙うことを孔夫子はなさらなかった。 のちの季氏第十六 に『孔子曰、益者三樂、損者三樂。』とある通り、釣りも狩りも君子の嗜みとして楽しむのは良いが、何ごとも楽しみて過ぎるのは中庸から遠く外れる、ということではないか。 #論語 ○月曜日の午後、ウオーキング 子曰、蓋有不知而作之者、我無是也、述而篇二十七 孔夫子はいわれた、自らの才能を過信して自己流を良しとする人を見受けることがあるが、私は決してそのようなことはしない。 「仮に天才であれ、唯一無二の創造者とは人類史上、数人では…

  • 三行詩 第百二十章(述而第七②)

    ○月曜日の午前、1月1日、正月 子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之。述而篇二十一 孔夫子はいわれた、学問の道とは、三人いれば必ずや師となる者に出会える。仁徳に優れた善き人であれば自らも倣い。私利私欲の悪き人であれば自らはどうか省みるのだ。 「学ぶに限りなし。自らの方向生が正しければ、学問の道を問わず、仕事、遊び、それこそ通勤時間でも人は学ぶことが出来る。孔夫子の教えに受け身なし。学ぶとは、常に積極的に歩み続けることだと思う」 #論語 ○火曜日の午後、ウオーキング 子曰、天生徳於予、桓魅其如予何。述而篇二十二 宋の景公の寵愛を得て、悪逆無道を繰り返す大夫の桓魋、仁徳を説く孔…

  • 三行詩 第百十九章(述而第七②)

    ○日曜日の午後、12月24日、ウオーキング 冉有曰、夫子為衛君乎、子貢曰、諾、吾将問之、述而十四 衞の霊公の太子蒯聵、霊公の夫人南子を追放しようとして失敗し、晋国へ亡命。後、霊公が死去、蒯聵の子、輒が即位する。晋の趙鞅、亡命した蒯聵を即位させようとして衞へ出兵、内乱が始まる。孔夫子一行は衞に滞在中でもあり、冉有がいう、孔夫子は衛の君主を助けられるのだろうか。子貢がいう、私もそのことを孔夫子にお尋ねしようと思っていたところです。 「霊公といい、あの南子といい、碌でも無いし、太子蒯聵の肩を持ちたいところだが、隣国の兵を率いて内乱とは民のことを蔑ろにし過ぎる。つくづく酷い時代だと思う」 #論語 ○日…

  • 三行詩 第百十八章(述而第七②)

    ○日曜日の午前、12月17日、ウオーキング 子之燕居、申申如也、夭夭如也。述而四 孔夫子のご自宅でのご様子は、伸び伸びとして寛がれ、楽しそうに、にこやかであられた。 「申申如、夭夭如であり、これが自宅での礼節なのだ」 #論語 ○日曜日の午前、ウオーキング 「稲葉浩志さんの曲を聴きながら再び冬の森を歩いている」 「洋楽邦楽を問わず、スラッシュ・メタルと日本の冬の光景はよく合う」 「寒風が心地よい、風よ、もっともっと強く吹くがよい」 #三行詩 「続いで、音楽はイギー・ポップへ、力が湧いてくる」 「ロックはいい、年老いてから聴くロックはますます良くなる」 「あらゆる音楽とは素晴らしいものだ、ショスタ…

  • 三行詩 第百十七章(述而第七②)

    ○日曜日の午後、12月10日、マクド 子曰、斉一変、至於魯、魯一変、至於道。雍也二十四 孔夫子はいわれた、遥か昔、太公望呂尚が建国した斉は、政を仁徳により改めさえすれば魯のようになれるし、その周公旦が建国した魯は、仁徳により政を改めれば、古の周王朝のような先王の道を世の中に開くことが出来るだろう。 「孔夫子の教えとは、つまるところ先王の教えに他ならない」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 子曰、觚不觚、觚哉、觚哉。雍也二十五 孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる觚(盃)は角があるものであるが、今までは角がない、これが觚といえるのだろうか。 「觚は祭礼で酒を飲む為の器であり、一升のものを爵といい、二升(…

  • 三行詩 第百十六章(雍也第六②)

    ○日曜日の午後、12日3日、ウオーキング 冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。雍也十二 冉求はいう、孔夫子の教え、先王の道に感動を覚えていますが、私の力は及ばず、いくら学んでも実践出来ないのです。孔夫子はいわれた、力が足らない者とは中途半端で諦める。一つで貫き通すことなく諦めていて、何が力不足であろうか。 「一つで貫くことが孔夫子の教えであり、眼目である。力が足りていようが、足らずであろうが何の関係もない。学問の道を問わず、物ごとを成すには一つで貫き通せば良い。仮に結果を出せず墓場に行ったとしても、貫き通したこと自体が十分な結果である」 #論語 ○月曜日の朝、通勤…

  • 三行詩 第百十五章(雍也第六②)

    ○日曜日の午後、11月26日、マクド 哀公問、弟子孰為好学、孔子対曰、有顔回者、好学、不遷怒、不弐過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好学者也。雍也三 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。学問を好み、怒りに惑わされることもなく、過ちも二度繰り返すこともなかった逸材でした。不幸にも短命にて世を去り、以降、学問を好む者を聞くことはありません。 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。学問を好み、怒りに惑わされることもなく、過ちも二度繰り返すこともなかった逸材でした。不幸にも短命にて世…

  • 三行詩 第百十四章(雍也第六②)

    ○日曜日の朝、11月19日、ウオーキング 子曰、伯夷叔斉不念旧悪、怨是用希。公冶長二十三 孔夫子はいわれた、周の粟を食べずと、首陽山に隠遁して餓死した伯夷・叔齊の兄弟は、清廉で且つ度量が大きく、人が過去に行った不仁を何時までも憎むことはなく、人から怨まれることはなかったのだ。 「清廉であるとは人として美しいことであるが、狭量であれば自らを越え、他人にも清廉であることを強いる・許せない。孔夫子の教えに独善はない。大きな仁徳で全てを包み込む(ぽかぽかとした暖かな)優しさ、思いやりがあり、その内に礼、義、智、信がある」 #論語 ○日曜日の朝、森 「他人と比べて自分は頑張っている(なのに世の中から認め…

  • 三行詩 第百十三章(公冶長第五②)

    ○日曜日の朝、11月12日、ウオーキング 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性与天道、不可得而聞也。公冶長十三 高弟の子貢はいう、孔夫子は、学問や道徳、先王の道については度々お話しされたが、人間とは何かや天に関してはほとんどお話しをされなかった。 「述而第七 にある『子不語怪力亂神』(孔夫子は怪奇現象や武勇談、巷の醜聞、神や鬼神のことを語られることはなかった)。人間(性)については、孔夫子の言葉、全てが人間のことを語られており、子貢のいう性とは哲学的な解釈であろう。孔夫子の視点・思考は現実世界にある、終生、振れることはない」 #論語 ○日曜日の夕方、森 「朝は寒かったので夕方は着込むも今…

  • 三行詩 第百十二章(公冶長第五②)

    ○日曜日の朝、11月5日、森 子謂南容、邦有道不廃、邦無道免於刑戮、以其兄之子妻之。 孔夫子、魯の家老である孟孫氏の子息、南容を評す。仁徳によって国が治められているのであれば厚く用いられるであろうし、仁徳が国に無くとも刑罰を受けるようなことはない人物だ。孔夫子は兄の娘を嫁がせた。 「身柄も良く、慎み深い堅実な人物であったらしい。のち先進第十一で再登場する」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 子謂子賤、君子哉若人、魯無君子者、斯焉取斯。公冶長三 魯の国には君子はいない、という噂を聞いた孔夫子は、弟子の子賤を評していわれた、君子とは弟子の子賤のような人をいうのだ。魯の国に君子がいないなら、彼は誰に学んで…

  • 三行詩 第百十一章(里仁第四②)

    ○日曜日の朝、10月29日、ウオーキング 子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。里仁十七 孔夫子はいわれた、仁徳の行いを見れば自らもそうなりたいと努め、不仁の行いを見れば自らにもその点がないか省みること。 「仁徳に基づいた礼節を日々、実践する君子に不仁があろうはずはない、それでも尚、自らの仁徳を広げる為に、人の仁を学び、人の不仁を我が身に省みなければならない。学問の道とは一生を学ぶ、実践する、面白い」 #論語 ○日曜日の朝、森 「礼儀と節度、礼節とは、礼の本質である尊ぶ心をもって、中庸の行いであることをいう」 「時と場所、場合に最善の選択をして実践する、儒家の十八番であり、礼節を知ると世の中が広…

  • 三行詩 第百十章(里仁第四②)

    ○日曜日の朝、10月22日、ウオーキング 子曰、富与貴、是人之所欲也、不以其道、得之不処也、貧与賤、是人之所悪也、不以其道、得之不去也、君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是。里仁五 孔夫子はいわれた、富と名声は人であれば皆、望むものであるが、道(汎神論・至善)に反して求め得て、この世界の何処に居場所があろうか。又、貧困と卑賤になることは人であれば皆、憎むものであるが、道(汎神論・至善)に沿うて、そうなったのであれば、そこがこの世界での居場所なのだ。君子ともあろう者が、道(汎神論・至善)の体現である仁徳から離れて、どうこの世界で天命を果たせるというのか。衣食住、果てはつ…

  • 三行詩 第百九章(八佾第三②)

    ○日曜日の午前、10月15日、自宅 定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。八佾十九 魯の君主であり襄公の子である定公が問う、君主が臣下を使う、臣下が君主に仕えるに大切なことは何か。孔夫子はいわれた、君主が臣下を使う場合は何ごとも礼(規律・規範)を以て行い、臣下が君主に仕える場合は何ごとも忠(誠の心)を以て行うことです。 「組織とは、規律・規範があってこそ上手く回る。トップが率先して規範を示し、公正無私の仁徳を国全体へ広げるからこそ臣下は忠(誠の心)で仕えることが出来る。故に、私利私欲の小人がトップとなり無償の貢献を社員に強制するブラック企業に君臣の義は存在しない」 …

  • 三行詩 第百八章(八佾第三②)

    ○日曜日の午後、10月8日、マクド 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以為絢兮、何謂也、子曰、絵事後乎、子曰、起予者商也、始可与言詩已矣。八佾八 子夏が問う、詩に『笑窪あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩りの絢』とありますが、どのような意味でしょうか。孔夫子はいわれた、絵を描き、仕上げに胡粉を散らすようなことだな。子夏はいう、仁徳ののちに礼があることですね。孔夫子はいわれた、私に学問で気付きを与えるとは、子夏よ、ともに詩を語りあえるようになったな。 「仁徳こそ人の根本であり、礼はそこから発することが大切だ」 #論語 ○月曜日の朝、ウオーキング 子曰、夏礼吾…

  • 三行詩 第百七章(八佾第三②)

    ○日曜日の朝、10月1日、ウオーキング 子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。為政二十三 子張は問う、十代の後、王朝が交代しても礼は残っているのでしょうか。孔夫子はいわれた、殷王朝は夏王朝から礼制を引継ぐ、周王朝は殷王朝からの礼制を引継いだ。少々の改めたところはあるも根本は変わらない。今、周王朝から伝わる礼制を引き継いでいるように、百代の後の未来でも根本は変わらない。 「連なりとは根本に通じる。お辞儀や挨拶、お盆、正月、端午の節句、等々、儒教の影響を受けた東アジア・東南アジア地域に残る礼制の根本は紀元前2070年の夏王朝に至る…

  • 三行詩 第百六章(為政第二②)

    ○日曜日の夕方、9月24日、ウオーキング 子貢問君子、子曰、先行其言、而後従之。為政十三 子貢、君子を問う。孔夫子はいわれた、言葉よりも先に行うこと、後に思うことを述べるのが君子というものだ。 「言葉に過ぎて行いが足らない、恥とするべきだ」 #論語 ○日曜日の夕方、森 「流行歌を聴きながら森を歩いている、夕方、ようやく涼しさを感じる」 「心を鎮めている、先週から溜まった色々な感情が薄れていく」 「人はそれぞれに命があり、その生ある限りは寝て食べて働く、今、生きることがそれぞれの天命かも知れない」 #三行詩 「生きることで精いっぱい、まずはこれで良い、第一関門はクリア」 「自然界の勝者とは種を繁…

  • 三行詩 第百五章(為政第二②)

    ○日曜日の夜、9月17日、自宅 子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。為政一 孔夫子はいわれた、仁徳を以て天下の政を行うとは、例えれば、天下の国や民、全天の星々が、仁徳の君子、北極星の周りを巡るようなものだ。 「徳治政治とはどの様なものか、イメージしやすい比喩で孔夫子は述べられた。仁徳とは小さくは父母からの慈愛であり、大きくは天下泰平、万民の幸せを思い、実現するものだ」 #論語 ○日曜日の夜、自宅 子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。為政二 「孔夫子はいわれた、詩経に三百篇あり。一言で述べれば、詩経にいう『思いに邪無し』、この言葉に尽きる」 「思いに邪なし、とは、日本であれば万葉集であろ…

  • 三行詩 第百四章(学而第一)

    ○日曜日の夕方、9月10日、自宅 子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。学而五 孔夫子はいわれた、戦車を千台維持出来る位の大国を治める道とは、何ごとにも誠を以て慎んでことに当たること、民を大切にし無用な出費は慎むこと、民を使役する場合は、農閑期等の民の負担が少ない時季にすること。 「君主の宮殿は綺羅びやかであり、私利私欲に満ち満ちて食べるものにも困らない。一方で領地の農村では餓死者が道に放置されている。国を治める政治とは弱者と向き合わねばならない。何ごとにも誠を以て慎んでことに当たるは、人間として第一に為政者自身に求められることだ」 #論語 ○日曜日の夕方、自宅 「猛烈な雨音と雷鳴…

  • 三行詩 第百三章(尭曰第二十)

    ○日曜日の夕方、9月3日、ウオーキング 「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶踰ゆべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、それ何ぞ日月を傷らんや。多にその量を知らざるを見るなり。子張二十四」 「大夫の叔孫武叔、孔夫子の悪口をいう。子貢はいう、悪口はお止めください、孔夫子のことを誰が悪くいうことが出来ましょうか。比べれば、他の賢者は丘のようなもので、越えようと思えば越えられます。」 「一方、孔夫子は太陽や月のようなもので、越えることは出来ません。人が幾ら絶縁しようと思っても、太陽や月にとって何か…

  • 三行詩 第百二章(子張第十九)

    ○日曜日の午後、8月末27日、ウオーキング 「子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。子張十三」 「子夏はいう、仕事をして余力があれば学問の道を歩むこと。学問の道を歩み成果を得られれば仕事に活かすこと」 「漫然と生きない、自らの徳を広げ、世の中を善い方向へ進める」 #論語 ○日曜日の午後、森 「ベートーヴェン、交響曲第七番第二楽章を聴きながら森を歩いている」 「土日は寝る、疲労蓄積した身体は回復するもアトピー皮膚は崩れたまま、面倒くさい身体なり」 「休日は涼しくなるまで自室に潜むしかなさそうだ、帰宅したら読みかけの昭和史に戻ろう」 #三行詩 ○日曜日の午後、森 「ベートーヴ…

  • 三行詩 第百一章(子張第十九)

    ○月曜日朝、8月21日、通勤 「子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与し、その不可なる者はこれを距めと。子張曰わく、吾が聞ける所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜れむ、我の大賢ならんか、人に於いて何の容れられざる所あらん。我の不賢ならんか、人将に我を距まんとす。これを如何ぞそれ人を距まんや。子張三」 「子夏の門人、人との交わりについて子張に問う。子張はいう、子夏は何と述べたか。子夏の門人はいう、子夏先生は、善い人と親交を持ち、善くない人は拒絶せよといわれました。子張はいう、それは孔夫子から聞いた話とは違う…

  • 三行詩 第百章(微子第十八)

    ○日曜日の午後、8月13日、自宅 『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。/ヴァイツゼッカー』 「図書館で、戦中・戦後史の本をかりる、このお盆休みに腰を据えて読もう」 「思想は左右別れるも、戦争を繰り返すな、若い人はしっかりと勉強すべきだ、ここは一つで貫かれている」 #三行詩 『独裁者(ヒトラー)はいつも、偏見と敵意と増悪を(民衆へ)掻き立て続けることに腐心していたのです/ヴァイツゼッカー』 「私たちは歴史に目を背けてはならない、自ら学び、判断する」 「一部の政治家、有名コメンテイター、人気ユーチューバーの発する言葉が思い浮かぶ、煽動者には注意すること」 #三行詩 ○日曜日の…

  • 三行詩 第九十九章(陽貨第十七)

    ○日曜日の午後、8月6日、自宅 「子曰く、唯だ女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくれば則ち不遜。これを遠ざくれば則ち怨む。陽貨二十五」 「孔夫子はいわれた、小人とは扱いにくいものだ。優しくして近づけると無礼になり、疎遠にして冷たくするとこちらを恨む」 「私利私欲しかない人とは、全体の幸せを追求するという価値観が希薄で、自分さえ良ければと常に思っている」 #論語 ○日曜日の夕方、ウオーキング 「坂本龍一を聴きながら森を歩いている、たまに吹く強い風が心地よい」 「地球温暖化、増えるばかりの二酸化炭素が環境を変え、生態系循環を狂わせている」 「人が生活する限り二酸化炭素は減らせまい、この暑さ、…

  • 三行詩 第九十八章(陽貨第十七)

    ○日曜日の夕方、7月30日、ウオーキング 「子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳をこれ棄つるなり。陽貨十四」 「孔夫子はいわれた、中途半端に得たものを人に説く、徳を捨てるようなものだ」 「学問の道とは、自らどう思うかまで掘り下げて初めて門が見える、学ぶ・省みる・実践するの繰り返し」 #論語 ○日曜日の夕方、森 「昨日の呑み会、飲み過ぎた、二日酔い、涼しくなってから歩いている」 「地球沸騰化の時代とか、人の業が煮詰まり、環境をも変化させた」 「生きる為には自然を、地球を貪らなければならない、そして貧富の格差は広がり、人の命と道徳は軽くなるばかり、末世かな」 #三行詩 ○日曜日の夕方、森 「恐竜が滅ん…

  • 三行詩 第九十七章(陽貨第十七)

    ○日曜日の朝、7月23日、ウオーキング 「子曰く、性は相近し。習えば相遠し。陽貨二」 「孔夫子はいわれた、人の生まれついいた性質とは誰も似たようなものだ。何を学び、思い、実践したかにより小人に終わる人もいれば、君子の高みに至る人もいる」 「学ぶことの大切さを述べられている。学びを説いた学而第一とは、論語の眼目であると改めて思う。言葉は短いが、その意味するところはとても深い。人の性質、本質、人はどう生きるべきか、生涯をかけて仁徳を学ぶ、省みる、実践するのだ」 #論語 ○日曜日の朝、森 「暑気あたり、日中は暑すぎる、また寝込む、明日からの為に涼しい時間を歩いている」 「アプリの無料漫画を読む、人が…

  • 三行詩 第九十六章(季氏第十六)

    ○日曜日の午前、7月16日、散髪屋さん 「孔子曰く、君子に侍するに三愆あり。言未だこれに及ばずして而も言う、これを躁と謂う。言これに及びて而も言わざる、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして而も言う、これを瞽と謂う。季氏六」 「孔夫子はいわれた、君子に仕えるに三つの過ちがあり。発言すべきでない時、場所、場合に発言する。発言すべき時、場所、場合なのに発言しない。先方の時、場所、場合に思いやることなく発言することだ」 「言葉とは重いものであるし、一度発言すれば取り返しようがない。思いやるとは人だけとは限らない、時、場所、場合に宜しきを得て、簡潔に、自らを誇ることなく主旨を述べなければならない」 #論語…

  • 三行詩 第九十五章(季氏第十六)

    ○日曜日の午後、7月9日、自宅 「子曰く、辞は達するのみ。衛霊公四十一」 「孔夫子はいわれた、言葉とは、飾ること無く内容を正しく伝えることを心掛けること」 「仁徳とは実践あるのみ、自らを賛美する人の何処に仁徳があろうか」 #論語 ○日曜日の午後、ウオーキング 「雨あがる、森を歩いている、休日に汗をかかないと明日の肌が困る」 「エアコンをつけ食べては寝る幸せ、結論、太るということらしい」 「子が勉強から逃げている、小言を言っても取り付く島もない」 #三行詩 ○日曜日の夕方、森 「大降りの雨、雨宿りのち、雲が晴れて夕日が見えた、緑の中に包まれている」 「薄靄がかかる森を、今しばらく歩く」 「先ほど…

  • 三行詩 第九十四章(衛霊公第十五)

    ○日曜日の朝、7月2日、ウオーキング 「子曰く、人能く道を弘む、道人を弘むるにあらざるなり。衛霊公二十九」 「孔夫子はいわれた、人が自らの徳を広げるからこそ、天下泰平、堯帝・舜帝への道が広がるのだ、道が人を広げるのではない」 「孔夫子は夢幻は好まない、道とは現実的解釈を伴う確固たる、学び実践する未来でもある。天は畏れ敬う、不可思議な運命も受け入れる、しかし、その思考・行動とは、常に仁徳を本にした現実主義で貫かれている」 #論語 ○日曜日の朝、森 「ドミトリー・ショスタコーヴィチ、交響曲5番を聴きながら、既に蒸し暑い森を歩いている」 「しかし論語は面白い、汲めば汲むほど孔夫子が大きくなる」 「読…

  • 三行詩 第九十三章(衛霊公第十五)

    ○日曜日の朝、6月25日、通勤 「子曰く、群居して終日、言、義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。衛霊公十七」 「孔夫子はいわれた、集まって一日中話しをしているが、言葉に真実はなく、互いに小知恵を自慢するのみだ。有為な人材になるなどとても難しかろうて」 「君子とは言葉少なく、実践を重んじるものだ。意味のない言葉を羅列し、且つ自らを褒め称える、なんと見苦しいことかな」 #論語 ○日曜日の朝、森 「妻とウオーキングへ、よく喋る人だ、さぞかし面白い風にかつて聞いた話しを繰り返している」 「言葉少なく相づちを打つ、小鳥のさえずりや朝の森には興味がないらしい」 「どう思う、と度々聴かれるが、面白いね、…

  • 三行詩 第九十二章(衞霊公第十五)

    ○日曜日の朝、6月18日、ウオーキング 「子曰く、無為にして治むる者はそれ舜か。夫れ何をか為さんや。己を恭々しくして正しく南面せるのみ。衛霊公五」 「孔夫子はいわれた、何をするのでもなく、天下が仁徳にて治まった舜帝の治世とは、なんと素晴らしきことかな。舜帝は何をされたのか、ただ南面を向いて座っていただけなのだ」 「儒学界のスーパースター、舜帝の御代を孔夫子が語る、この設定だけでも嬉しくなる。舜帝は人材を適格適所に配置されたのちは、その要として常に、臣に、民に仰がれる存在として南面に座ったのだ。孔夫子は控えめに無為といわれたが、舜帝とは存在自体が民と臣と化し、天を向き常に治世されていた」 #論語…

  • 三行詩 第九十一章(衛霊公第十五)

    ○日曜日の朝、6月11日、自宅 「子路、石門に宿る、晨門曰く、奚れ自りするか。子路曰く、孔氏自りせり。曰く、これその不可なることを知りて、而もこれを為さんとする者か。憲問四十」 「子路、魯の城外にある石門にて宿をとる。門番がいう、汝、何処から来たのか。子路はいう。孔家から来た者だ。門番がいう。ああ、孔子という人は、不可能であると知りながら、それを為さんとする人らしいな」 「ただの門番の言葉であるが意味するところは深い。道徳が無視され、戦乱の世であり、民は、弱者は虐げられ小人が権力を握る世界で、貴方はどう思い、どう行うかを問いている。このような不合理、非道を改めることを不可能とし、自分だけが良け…

  • 三行詩 第九十章(憲問第十四)

    ○日曜日の朝、6月4日、ウオーキング 「子曰く、君子はその言のその行に過ぐるを恥ず。憲問二十九」 「孔夫子はいわれた、君子とは言葉を慎み、行いより言葉が大きくなることを恥とした」 「小人の言葉とは行いより大きくなることが常であり、昨今の政治家の恥知らずはもはや亡国の危機では」 #三行詩 #論語 ○日曜日の朝、マクド 「言葉を慎む者は、人と騒がないし、行いを慎む者は、人に見せびらかさない」 「物知り顔をして、有能ぶりを発揮するのは小人のすること」 「言葉の要点とは、知っていることは知っている、知らないことは知らないということだ」 #三行詩 #荀子/子道篇 「行うことの窮極とは、自ら出来ることは出…

  • 三行詩 第八十九章(憲問第十四)

    ○日曜日の朝、5月28日、ウオーキング 「子路曰く、桓公、公子糾を殺す。召忽これに死し、管仲は死せず。曰く、未だ仁ならざるか。子曰く、桓公、諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。その仁に如かんや、その仁に如かんや。憲問十七」 「子路がいう、斉の桓公が政敵である兄の公子糾殺した時、公子糾の側近である大夫の召忽は殉死を選びましたが、同じ公子糾の側近であった管仲は殉死せず、さらに桓公に仕えました。これは仁徳から外れるのはないですか。孔夫子はいわれた、その後、桓公は諸侯を九度集めて会合を開き、天下の覇者となった。しかも兵力の数や戦争を用いて諸侯を強迫し、諸侯を従えたのではなかったのだ。これ…

  • 三行詩 第八十八章(憲問第十四)

    ○日曜日の朝、5月21日、自宅 「南宮适、孔子に問いて曰わく、羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死を得ず。禹と稷とは躬ら稼して天下を有つ。夫子答えず。南宮适出ず。子の曰わく、君子なるかな、若き人。徳を尚べるかな、若き人。憲問六」 「弟子の南宮适(子容)が問う、古代堯王朝の羿は弓矢の達人であり、奡は舟を地上に押し戻せるくらいの怪力でしたが、どちらも滅ぼされました。一方、夏王朝を開いた禹と稷は、みずから耕して天下を保ちましたのは何故でしょうか。」 「孔夫子、答えず。南宮适が退席したのち、孔夫子はいわれた、南宮活は君子といえる。天下を治められるのは武の達人や力持ちではなく、道徳であることを十分…

  • 三行詩 第八十七章(憲問第十四)

    ○日曜日の朝、5月14日、自宅 「子曰く、君子は事え易くして説ばしめ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。その人を使うに及びては、これを器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖も、説ぶなり。子路二十五」 「孔夫子はいわれた、君子に仕えるのは易しいが、君子の心に沿うように仕えるのは難しい。君子は、恒に正しき道に従って考え、行動しなければ喜ぶことはない。そして仕える場合に君子は、その人の度量、能力を器のように把握するので無理なく仕えることが出来る。」 「一方、小人とは、私利私欲の塗れていつも自分さえ良ければいいと考えているので仕えるのが難しい。し…

  • 三行詩 第八十六章(子路第十三)

    ○日曜日の午後、マクド 「冉子、朝より退く。子曰く、何ぞ晏きや。対えて曰く、政あり。子曰く、それ事ならん、如し政あらば、吾以いられずと雖も、吾それこれを与り聞かん。子路十四」 「冉有、朝廷から帰宅する。孔夫子はいわれた、遅くなったのだな。冉有はいう、政を行っていました。孔夫子はいわれた、国の政ではあるまい。重要な政であれば、私も聞いているはずだ」 「弟子の冉有は魯の家老、季孫氏に仕えていた。本来、支えなければならない魯の君主を蔑ろにする季孫氏に、一生懸命仕える冉有を見て、本来の目的を見失ってはならないと孔夫子は教えている」 #三行詩 #論語 ○日曜日の夕方、ウオーキング 「雨の中、森の中を歩い…

  • 三行詩 第八十五章(子路第十三)

    ○日曜日の朝、4月30日、自宅 「衛の公子荊を謂わく、善く室を居く。始めて有るときは、苟か合うと曰い、少しく有るときは、苟か完しと曰い、富いに有るときは、苟か美しと曰えり。子路八」 「孔夫子、衛の公子荊についていわれた、家の内での遣り繰りが上手であった人だ。はじめて財産ができたときには、これでやっと足りる、いいと、少し財産が貯まってきたときには、これでようやく十分になった、という。そして大きな財産ができたときには、なんとかこれで良いだろう、といったらしい。」 「この句、三箇所に苟の字が使われている。苟の意味は①いやしくも。 ②かりそめ。まにあわせ。 ③まことに。ほんとうに、とある。財産を得ても…

  • 三行詩 第八十四章(顔淵第十二)

    ○日曜日の朝、4月末23日、ウオーキング 「樊遅従いて舞樗の下に遊ぶ。曰く、敢えて徳を崇くし慝を脩め惑いを弁ぜんことを問う。子曰く、善いかな、問うこと。事を先にして得るを後にするは、徳を崇くするに非ずや。その悪を攻めて人の悪を攻むるなきは、慝を脩むるに非ずや、一朝の忿りにその身を忘れて以てその親に及ぼすは、惑いに非ずや。顔淵二十二」 「弟子の樊遅、孔夫子のお伴をし、雨乞いの高台の下で問う。古語に、徳を崇くし慝を脩め惑いを弁ぜん、とありますが意味を教えて下さい。」 「孔夫子はいわれた、理解らないことは問う、善いことだ。この意味は、物ごとは実践することを先に、利益を得ること後にする。それが徳を高め…

  • 三行詩 第八十三章(顔淵第十二)

    ○日曜日の朝、4月16日、自宅 「子張、徳を崇くし惑いを弁ずることを問う。子曰く、忠信に主しみて義に徒るは、徳を崇くするなり。これを愛するときはその生を欲し、これを悪むときはその死を欲す。既にその生を欲して、またその死を欲するは、これ惑いなり。顔淵十」 「弟子の子張はいう、自らの徳を高くし、自らの迷いから離れるにはどうすればいいのですか。孔夫子はいわれた、自らを誠とし人からの信頼を大切にすること。そして中庸の立場から義の道を実践する、貫き通すことが自らの徳を高くすることだ。」 「自らの迷いとは、自らの愛、自らの憎しみの思いから生じる。愛する人は命末長くを願い、片や憎む人は命短けれと呪う。迷いと…

  • 三行詩 第八十二章(顔淵第十二)

    ○日曜日の午前、4月9日、自宅 「子路問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、父兄在す有り、如何ぞ、それ聞くままにこれ行わんや。冉有問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、聞くままにこれ行え。公西華曰く、由が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は父兄在す有りと曰えり。求が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は聞くままにこれ行えと曰う。赤や惑う。敢えて問う。子曰く、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ねんとす、故にこれを退く」 「子路が問う、善いことを聞いたら直ぐに行うべきですか。孔夫子はいわれた、父母を心配させてはいけない、どうして直ぐに行えようか。次に冉求が問う、善いことを聞いたら直ぐに行う…

  • 三行詩 第八十一章(先進第十一)

    ○日曜日の午後、4月2日、マクド 「顔淵死す。子哭して慟す。従者曰く、子慟せりと。子曰く、慟することありしか、夫の人の為に慟するに非ずして誰が為にか慟せん。先進十」 「愛弟子の顔回が亡くなった。孔夫子は霊前にて、大声で慟哭された。のち従者いう、先ほど慟哭されていましたね。孔夫子はいわれた、慟哭することが人生にあるとしたら、今、この時以外に有り得ようか、有り得まい」 「孔夫子の尋常でない悲しみを見て、従者は思わず声をかけてしまった」 #三行詩 #論語 ○日曜日の午後、マクド 「家族でお花見へ、例年と同じく人の来ない場所で手弁当を広げる」 「葉桜にやや近い、散りゆく桜吹雪に言葉もなく心が奪われた」…

  • 三行詩 第八十章(先進第十一)

    ○日曜日の午後、3月26日、自宅 「子、斉衰の者を見ては、狎れたりと雖も必ず変ず。冕者と瞽者とを見ては、褻れたりと雖も必ず貌を以てす。凶服の者にはこれを式す。負版者に式す。盛饌あれば必ず色を変じて作つ。迅雷風烈しきときも必ず変ず。郷党二十一」 「孔夫子は、喪服の人を見れば、たとえ親しい人でも顔色を改めた。国に仕える冠をかぶった役人と、目の見えない人を見れば、親交の有無に関わらず礼儀を正された。駕籠の上で喪服の人を見れば、駕籠の前の横木に手をつく式という礼を行う。」 「国の戸籍簿を管理する役人を見れば、同様に式という礼を行う。客として訪れて先方から立派なおもてなしを受けたときには、必ず顔色を改め…

  • 三行詩 第七十九章(郷党第十)

    ○日曜日の午後、ウオーキング 「康子、薬を饋る。拝してこれを受く、曰く、丘未だ達らず、敢えて嘗めず。郷党十二」 「魯の大夫(家老)である季康子が、病を患う孔夫子に薬を贈る、孔夫子は拝して受けられたが、せっかく頂いた薬であるが、この薬がどんな作用があるか不明故に服用は出来ないな、といわれた」 「二千五百年前の医療故に、薬が薬とは限らない、リアリストの一面を備える孔夫子らしいエピソード」 #三行詩 #論語 ○日曜日の午後、森 「桜がちらほら咲いている、今日は暖かい、股引きはいらなかった」 「子はラグビーの試合へ、相手校が強豪らしく、朝、緊張してトイレから出てこない」 「日中も寝てようやく体調が戻る…

  • 三行詩 第七十八章(郷党第十)

    ○日曜日の午後、3月12日、通勤 「孔子、郷党に於いては恂恂如たり。言う能わざる者に似たり。その宗廟朝廷に在りては便便として言い、唯謹めり。郷党一」 「孔夫子は郷里では穏やかで温厚素朴であり、寡黙で言葉を発することもなかった。一方、祖先を祭る宗廟や、重臣として朝廷で事にあたる場合、堂々と慎み深く言葉を発せられた」 「礼節とは、時と場所と場合において適切な発言、行動を行うこと、世の中の規範であり、中庸の徳に達するものだ」 #三行詩 #論語 ○月曜日の朝、通勤 「朝にして下大夫と言えば、侃侃如たり、上大夫と言えば、言言如たり。君在すときは、叔昔如たり、与与如たり。郷党二」 「会議で下役人に話される…

  • 三行詩 第七十七章(子罕第九)

    ○日曜日の午後、3月5日、ウオーキング 「子曰く、これに語りて惰らざる者は、それ回か。子罕二十」 「孔夫子はいわれた、今まで弟子たちに道を教えてきたが、飽きずに学び、常に実践したのは顔回のみだ」 「天才顔回のエピソード。道を学び、好み、楽しむのは聖人レベルといえる」 #三行詩 #論語 ○日曜日の夕方、森の中 「昨日、薄着で出掛けたらお腹を壊してしまう、また寝込む」 「新スタートレックの映画を流しながら日中、食べては寝る、回復した」 「儒家を止めて心が清々しい、新名称は色々考えるている、論語と孟子を学ぶ人ではどうだろうか」 #三行詩 ○日曜日の夕方、森 「メガデスの『symphony of de…

  • 三行詩 第七十六章(子罕第九)

    ○日曜日の午後、ウオーキング 「子曰く、鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾已んぬるかな。子罕九」 「孔夫子はいわれた、この乱れた世の中を正す聖王の誕生を示す吉兆の象徴である鳳凰は現われず、この世の叡智が記された書をもたらす黄河にいる龍の頭を持つ馬も現われない。もはや、私に何が出来ようか」 「孔夫子も老いられた。聖王を補佐して天下を道徳で治める、民を苦しみから救うことは終に叶わなかった。そして、自らの天命とは現世で救世を補佐することではなく、教育により後世の聖王を補佐する人材を遺す、育むことであることを受け入れられたのだ」 #三行詩 #論語 ○日曜日の午後、自宅 「子と大グラウンドにてラグビーの練…

  • 三行詩 第七十五章(子罕第九)

    ○日曜日の午後、2月19日、ウオーキング 「吉田松陰先生の留魂録を繰り返し読む、読む度に胸が熱くなる」 「儒家の生き様を学べる、文字通り、松陰先生の魂が込められている」 「青空文庫で誰でも読める、『頼むべきところは草莽の英雄のみ』とは今の私たちへの言葉だ」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「試験勉強から逃げる子に一喝、せずにマクドへ、本人が決めることだ」 「ガンコ親父がいくら怒ろうと効きめ無し、筋トレで加点して貰えることを親子共々密かに願っている」 「資格勉強、土日は各5時間超が目標、さて、集中するとしよう」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「Mr.バイオハザードが現れた、凄い咳、くしゃみ…

  • 三行詩 第七十四章(泰伯第八)

    ○日曜日の午後、2月12日、ウオーキング 「午前中は家族と過ごす、午後から勉強を、少しは歩こう」 「どんな縁であろうと友人は大切にする、しかし、貴方は友人ではない、とされたのであればもはや他人だ」 「他人をブロックするのは当たり前ではないか、ご縁がなかったのだ」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「さて、夕方まで資格勉強に集中する、向くのは前が良い」 「前職場の会長は将棋の駒で人物評をしていた、案の定、私は香車だ」 「けっこう気に入っている、そう、直進は得意だが後ろには戻れない」 #三行詩 ○日曜日の夕方、マクド 「90年代ヘヴィメタル集を聴きながら、快調なり、曲のお陰か集中出来る」 「ひと休…

  • 三行詩 第七十三章(泰伯第八)

    ○日曜日の朝、2月5日、ウオーキング 「凛とした寒さの中をバロック音楽集を聴きながら歩いている」 「グールドのピアノの音色は、寒い北欧の国の雰囲気がする」 「冬の光景とバッハは合う、そして春も夏も秋も合う、バッハとは最高の音楽だ」 #三行詩 ○日曜日の午前、森 「森のかしこに春の芽吹き、枯れ木の中で着々と」 「大きくなる子と老いる親、調和とか、全ては自然に帰するのだ」 「髑髏が笑う、ああ、私は捻くれ者だ、そんな大した存在には中指を立てたくなる、挑みたくなる」 #三行詩 ○日曜日の午前、マクド 「日曜日の日課と化した温かいコーヒーを飲みにマクドへ」 「お供は岩波文庫、ゴーゴリの外套・鼻、好きな小…

  • 三行詩 第七十二章(述而第七)

    ○日曜日の午前、1月29日、ウオーキング 「さあ資格の勉強しよう、継続こそ力なり、金がないなら勉強だ」 「もはや資格取得より、日々弓矢の如く直くあることが気持ちよい」 「ダラダラは大好きだが、日々、直くあるからこその息抜きだ」 #三行詩 ○月曜日の朝、通勤 「子、人と歌いて善きときは、必ずこれを反さしめて、而して後これに和す。述而三十一」 「孔夫子が人と歌われる時、相手が素晴らしい歌い手であれば、必ず独唱してもらい、良く聴いてのち共に歌われた」 「孔夫子の日常でのお姿を垣間見ることができる。現代でいえば、カラオケでサビの部分を一緒に歌う感覚であろうか、和やかな気持ちになる」 #三行詩 #論語 …

  • 三行詩 第七十一章(述而第七)

    ○日曜日の午後、1月22日、マクド 「寒くて出歩く気にはならないが温かいコーヒーは飲みにきた」 「行き掛けに田舎のNと電話する、体調が悪いらしいが相変わらずの減らず口を叩いていた、大丈夫だろう」 「少し孟子を読んでから資格勉強に取り組もう、穏やかな休日を楽しんでいる」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「少し勉強に飽く、眠気、窓越しから通行人を眺める、服装、歩調、雰囲気、etc‥」 「ベートーヴェンのピアノソナタ集を聴いている、ミスター・パーフェクトのポリーニの演奏で」 「左斜めにある蕎麦屋さんのスタンド看板に興味津々だ、蟹に牡蠣か、美味そうだ」 #三行詩 ○日曜日の夕方、マクド 「資格勉強は…

  • 三行詩 第七十章(述而第七)

    ○日曜日の午後、1月15日、ウオーキング 「ちくま文庫の中島敦全集3を持ってきた、コーヒーでも飲みながら読もう、『弟子』が好きだ」 「文学はあまり読まない、森鴎外と中島敦くらいしか」 「若いころ内田百閒を集めたが散逸した、岩波文庫も青帯ばかりで、緑帯は手付かずではある」 #三行詩 ○日曜日の午後、スタバ 「甘かった、座る席など有るわけがない、スコーン、ドーナツ、ケーキを買う」 「妻と子は目的を達っしたのか帰ってしまった、いつものマクドへ」 「コーヒーを飲みながら読書、ゆっくりしていこう、『弟子』をじっくりと読み返す」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「儒学を学んでから初めて読み返す、新たに人…

  • 三行詩 第六十九章(述而第七)

    ○月曜日の朝、1月9日、ウオーキング 「今朝、アマプラ映画で邦画の犯罪ものを観たせいか心が暗い」 「子の宿題は絶望的だ、家族全員が暗やみに包まれている」 「夜更しした子、昼から立て直そう、それまで資格勉強に励もう」 #三行詩 ○月曜日の朝、ウオーキング 「昨日は昼からサイゼリヤで友人と新年会、安くて美味い、大好きだ」 「1.5リットルの赤と白、スパークリングワイン、赤ワインを各1本、四人で痛飲する」 「相変わらずのバカ話に花が咲き、とても楽しかった、また集まろう」 #三行詩 ○月曜日の午前、マクド 「少し気分がのらないので、岩波文庫、孟子(下)を読んでいる」 「昼からの計画を立てる、まず環境、…

  • 三行詩 第六十八章(雍也第六)

    ○日曜日の午後、1月1日、元旦 「年頭の挨拶、お年玉を子へ、妻が頑張ったおせち料理に舌鼓を打つ」 「大吟醸酒をちびちび呑みながら、穏やかな時を過ごす」 「子の氏神様にお詣りにいく、コンビニのコーヒー飲んで帰宅、良き正月かな」 #三行詩 ○月曜日の朝、ウオーキング 「明治書院の荀子を読んでいる、私如きが烏滸がましいが、論語の復習に感じる」 「論語を理解りやすく解説した書、といった印象を持つ、それに少し言葉が多い」 「本来ならば学問をして、考えて得ることを繰り返し丁寧に述べている、どんどん読み進めよう」 #三行詩 ○月曜日の朝、森 「明治書院の荀子を読むにあたり、ほとんど現代語訳を読むことがない」…

  • 三行詩 第六十七章(雍也第六)

    ○日曜日の夕方、12月25日、ウオーキング 「あと仕事二日で息切れか、スランプか、週末は勉強もせず、終日機嫌悪し」 「アマプラビデオの海外ドラマを次々と観まくっている、思考が止まり楽でいい」 「森を歩いても頭の中で音楽が鳴らない、ただ風の音だけ、やはりスランプだ」 #三行詩 ○日曜日の夕方、森 「少し気分転換が必要だ、温かいコーヒーでも飲んで帰ろう」 「珍しく迷っている、論理的思考か感情か、結論が出ない」 「コーヒーのお供、ビッグマックとポテトを食べている」 #三行詩 ○月曜日の朝、通勤 「樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。子曰く、仁者は先ず難ん…

  • 三行詩 第六十六章(雍也第六)

    ○日曜日の朝、12月18日、ウオーキング 「寒い、天気は良い、散髪しようか悩むも面倒くさいのでまた来週」 「資格勉強に集中する為、SNSとブログを中断するか悩んでいる」 「マクドを目指すも、朝メニューか通常か、今朝はどうも優柔不断らしい」 #三行詩 ○日曜日の朝、森 「SNSとブログの目的とは儒学勉強の為のツール、兼日記として」 「また、遠方に住む母へ、妻の感想を聴くこと、大人になった時の子に向けて」 「経験豊富や学識高い、或は個性的なフォローワーさんから学ぶことだ」 #三行詩 ○日曜日の朝、森 「SNSやブログとは良くできている、人とは、自らの意見を述べたくて仕方ない、承認されたい、共感して…

  • 三行詩 第六十五章(雍也第六)

    ○日曜日の午後、12月11日、マクド 「子の服を買いにユニクロへ、ダウンジャケット、フリース、ズボン、店内は人混み」 「マクドでおやつのち、資格勉強中、子も横で勉強している」 「昨夜は子の好物、シーフードピラフと春雨スープを妻が料理し、えらく喜んでいた」 #三行詩 ○日曜日の午後、マクド 「資格勉強の方法に見直しが必要だ、惰性的であり目的意識が薄れている」 「子も勉強が苦手だ、故に連れ出して、否応なしに教科書と向き合う時間をつくっている」 「もう一度、最初からやり直そう、及び強制的且つ継続的なルールが必要だ」 #三行詩 ○月曜日の朝、通勤 「哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔…

  • 三行詩 第六十四章(公冶長第五)

    ○日曜日の午後、12月4日、ウオーキング 「病み上がりながら森へ、バッバ、平均律クラヴィーア曲集Ⅰを聴いている」 「薄着に厚着、ジャージ姿にダウンジャケットを装備した」 「子から練習の誘いあるも保留する、内視鏡検査前だ、無理は禁物」 #三行詩 ○日曜日の午後、森 「続いてジョー・パスのヴァーチュオーゾを聴く、冬の光景とよくあう」 「芸能人や有名人の早逝のニュースをよく見る、自らに省みてどうか」 「明日、亡くなっても後悔なき一日を過ぎしているか、今が全力なら問題ない、運は避けられない」 #三行詩 ○日曜日の午後、森 「もちろん、じだばたと見苦しく大声をあげて泣き叫んでやろう」 「そんな出来た人間…

  • 自由律 第六十三章(公冶長第五)

    ○日曜日の午後、11月27日、ウオーキング 「皇帝ダリアの早咲きか、日中は十八度まで上がる」 「妻と子はミスドへ、デカくてうるさい親父は敬遠された」 「良い天気だ、ゆっくり森を散策してから資格勉強に戻ろう」 #自由律 ○日曜日の午後、マクド 「コーヒーを飲みにマクドへ、『論衡のはなし』を読んでいる」 「儒家、現実主義、告子と共通点、孔孟を批判するも法家ではない」 「世の中、遇不遇あれども一つ(道徳)で貫くべきだ、との主張らしい(浅読み)」 #自由律 ○日曜日の午後、マクド 「論衡のはなしにある「善人に福がくるとは限らない」、全くだ、悪人が栄え長生きする世の中だ」 「孔夫子の教えを学び、自らに仁…

  • 自由律 第六十二章(公冶長第五)

    ○日曜日の午後、11月20日、ウオーキング 「午前中は勉強、午後からアマプラで映画、のち久しぶりにウオーキングへ」 「体調が悪いと気分も弾まない、子の試験勉強も相変わらず弾まない」 「流れが良くない、今日はずっと歩いてみよう、身体は動かすものだ」 #自由律 ○日曜日の夕方、森の中 「強い風、落ち葉舞う、深呼吸、溜まった人の毒が抜けていく」 「ショスタコーヴィチ、チェロ協奏曲1番を聴きながら森を歩いている」 「失われた大国、巨大なコンクリートの神殿、過去の遺物、消えた世界を思う」 #自由律 ○日曜日の夕方、沼 「心とは毒を吐く、自らの心が毒を吐く、恐れ、不安、憎しみ、怒り」 「人のいない森の奥に…

  • 自由律 第六十一章(公冶長第五)

    ○月曜日の朝、11月14日、通勤 「子、子賤を謂わく、君子なるかな、若き人。魯に君子なかりせば、これ焉にか斯を取らんと。公冶長三」 「孔夫子はいわれた、魯の国に君子がいないというが、弟子の子賤がいるではないか、子賤は十分に君子である」 「子賤は単父という地方の邑の長官をしていたらしい」 #自由律 #論語 ○月曜日の朝、乗り換え 「2億5千年前に遡り、ソテツとゴキブリの夢をみた、よく眠れたらしい」 「フアミコン版「アトランティスの謎」の音楽が脳裏に流れている、今週は無理ゲーか」 「資格勉強は今夜から再開しよう、休肝日は三日目に、脚はましに」 #自由律 ○月曜日の朝、電車内 「駅でホスト風の人二人…

  • 自由律 第六十章

    ○月曜日の朝、11月7日、通勤 「子曰く、父母在せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方あるべし。里仁十九」 「孔夫子はいわれた、父母を心配させるような危険な所には赴かず、安全な所でも連絡を絶やしてはいけない」 「根本を疎かにしてはいけない、自らが父母になった時にどう思うか踏まえること」 #自由律 #論語 ○月曜日の朝、電車内 「肉離れは痛むが出勤する、気分はターミネーター2のあのシーンだ」 「ダダンダッダダンダン、ダダンダッダダンダン、ダダンダッダダンダン」 「自業自得のくせに悲壮感たっぷり、職場で親指を立てるのだ」 #自由律 ○月曜日の朝、乗り換え 「いつもの二人組、電車内、今朝はほぼ向かい合わせに座…

  • 自由律 第五十九章

    ○月曜日の朝、10月31日、通勤 「子曰く、利に放りて行えば、怨み多し。里仁十二」 「孔夫子はいわれた、私利私欲に流されて生きれば、同類から恨まれて争いが止むことはない」 「私は特別だ、私が被害者だ、私だけなら、と私たちは皆思っている」 #自由律 #論語 ○月曜日の朝、電車内 「いつもの二人組が横にきた、シャツに関して話している、今日は実験室に入るらしい」 「先手はノッポ、次にメガネが沈黙で応える、意地悪メガネが押されている」 「行ったことのない研究所への行き方を如何にも慣れた口調でいうメガネ、立場が違うと相手にしないノッポ」 #自由律 ○月曜日の夕方、通勤 「子曰く、能く礼譲を以て国を為めん…

  • 自由律 第五十八章

    ○日曜日の朝、10月23日、ウオーキング 「元から独学であったが、蛇足が消えて気分すっきり爽やかだ」 「迷いなく、真っ直ぐ進む、学問も形意拳と同じく基本を徹底する」 「儒学の基本であり、根本である論語を全文、白文から意訳してみよう」 #自由律 ○日曜日の朝、マクド 「さて、日課となったマクドで朝食のち資格勉強へ」 「結果を夢見るより、過去問を1問でも解くとしよう」 「過程こそ物事の真実であり、流れる水であり続けること、留まるな」 #自由律 ○月曜日の朝、通勤 「君子仁を去りて悪にか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違うことなし。里仁五」 「君子が仁から離れてどうして君子であろうか、君子とは例…

  • 自由律 第五十七章

    ○日曜日の朝、10月16日、ウオーキング 「皮膚が秋冬形態に移行済みの為、十月で28度を越える暑さに戸惑っている」 「明日から21度くらいらしい、今日の暑さはやり過ごそう、皮膚よ頑張れ」 「秋の花粉でアトピーがぐずり出している、気温の変化についていけない」 #自由律 ○日曜日の朝、マクド 「早々にマクドへ、資格勉強に取り組む、過去問、過去問、あゝ過去問」 「混んでいる、行列だ、まあここまで来たには朝食は食べて帰ろう」 「近くのコーヒー店も値上がり、一杯五百円を越えた、ため息しか」 #自由律 ○日曜日の午前、自宅 最近、Twitterを止めようと思うこと、しばしばなれど思い直す。 癌で亡くなられ…

  • 論語 八佾第三(前半)

    論語 八佾第三 1:孔子季氏を謂う、八佾庭に舞わしむ。是をも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらんや。 孔子はいわれた、 季氏(魯国の家老、季平子)は、 本来であれば君主しか司ることが許されぬ、 八佾の舞い(八列六十四人を祖先の廟の前で舞わせる)を自らの為に行わせた。 この事態を黙って見過ごせる(忍ぶ)のであれば、この世の中の不仁、不義は全てまかり通るであろう、 決して忍ぶことなど出来ないし、忍んではいけない。 2:三家者、雍を以て徹す。子曰く、相くるは維れ辟公、天子穆穆たりと。奚ぞ三家の堂に取らん。 魯国の王位を昭公から奪った孟孫・叔孫・季孫の三家老は、 詩経にある雍の楽(天子とその忠臣の様…

  • 日記・雑記 第二話

    ○10月10日、月曜日の朝、 『子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。』 論語学而篇一 「孔子はいわれた、 ものごとを学びて、時に応じて学んだことをまた習う。 心の底から嬉しさが込み上がる。 同じ志、学問の道を目指す友が、遠方より来たる。 心の底から嬉しさが込み上げる。 世間の人が、己を認めないことを憤ることも無い。 君子とはこのような人を言う。」 最近、思う。 学ぶ、ということに終わりはなく、この章句とは論語の総論だ。 孔夫子は忠恕を説かれ、仁徳によりこの世の中を、苦しむ人を救おうとされた。 だからこそ、私たちは学ぶのだ。 大きな仁の下で、生ある限り学…

  • 自由律 第五十六章

    ○日曜日の夜、10月9日、自宅 「礼記にあの原壤が現れた、相変わらずの礼を無視した野人ぶり、と」 「原壤の母が亡くなる、貧しい原壤の為に、孔夫子は葬式の世話や面倒を見られた」 「孔夫子の幼なじみであり、野人ではあるが何処か愛すべきものがあったのだろう」 #自由律 #礼記 ○日曜日の夜、自宅 「楽とは、心から生まれ、心の様々を表したものが音楽だ」 「治世であれば穏やかな音色、乱世であれば怨み荒ぶる音色、楽とは、時の政を、民の心を表す」 「礼により尊び(お互いに気付き)、楽により親しむ、礼楽として合わせることが人欲を抑え天理の為に必要なのだ」 #自由律 ○月曜日の朝、ウオーキング 「私は孟子を好む…

  • 日記・雑記 第一話

    ○10月2日、日曜日、朝7時から資格勉強の為にマクドへ。途中You Tubeを見たりするが概ね勉強する。 テキストは一巡するも過去問につまづく。分野外の初見が多く、都度青ざめる。 昼は家で食べる予定。もう少し頑張るとする。週末は勉強しているが、仕事のある平日に出来ていないのが痛い。 ○日曜日、昼まで頑張るが、座るのが苦痛となり外へ。 タバコの匂いがする。 身体を壊してからは禁煙している。 もう、二度と吸うことはない。 10月でこの暑さとは、何か世界はおかしい。 ○月曜日終わる、疲れた。生協で半額の米5㌔を見つけ2袋買い帰宅、のち風呂、晩酌のビール、キムチ、ビーフシチュー、焼き茄子、ごはん、食後…

  • 自由律 第五十五章

    ○月曜日の朝、10月3日、通勤 「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。八佾第三」 「冠婚には大金をバラまくより簡素を以て礼とする、葬祭には大袈裟な式典より哀悼を以て礼とする」 「林放という人、孔夫子に礼儀について問う、礼の本質とは人を尊ぶことにある」 #自由律 #論語 ○月曜日の朝、乗り換え 「礼とは、税金をバラまいたり、葬儀を政治ショーにすることではない」 「礼を知らぬ政治家に、義があろうはずもない、ましてや仁の徳など」 「このような世の中だからこそ、儒学を、孔夫子の教えを学ぶのだ」 #自由律 ○月曜日の夕方、通勤 「夫子莞爾として笑いて曰く、鶏を割くに、焉んぞ牛刀を用いん。陽貨十七」 「鶏を捌…

  • 自由律 第五十四章

    月曜日の朝、9月26日、通勤 「民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知と謂うべし。雍也二十二」 「市民としての責を果たすこと、祖先を敬うも祭祀には距離を保つこと」 「厚い信頼を寄せる弟子、樊遅に対して知とはどのようなことか孔夫子が述べた」 #自由律 #論語 月曜日の朝、乗り換え 「週末、春秋左氏伝を読むも地名・人名がわからずぼんやりとしか」 「子の中間テスト、今回も期待出来そうにない、妻とため息をつく」 「差し入れをするも夜八時頃には全て食べ終えていた子、おいおい」 #自由律 月曜日の夕方、通勤 「直にして礼なければ則ち絞す。泰伯二」 「私利私欲なく真っ直ぐであっても、行いに礼を伴わなければ理解…

  • 自由律 第五十三章

    月曜日の午後、9月19日、ウオーキング 「台風故に終日家と思いしも今年最後の三十度越えと知り出かける」 「素敵な風に身体が斜めに押されつつ雨が振り出した、傘は無理だ」 「クラッシック・ロックを聴きながらテンションが上がる、来い、風よ!」 https://youtu.be/bkApuQWCPdM #自由律 月曜日の午後、台風 「森が大きく揺れている、良い音だ、嵐とはなんと心惹かれるものか」 「根っからの天の邪鬼なのか、人が道にいないととても嬉しい」 「おお、大雨が振り出した、音楽を変えよう、そう、シューベルトの魔王だ!」 https://youtu.be/2d4SddVDBZI #自由律 月曜日…

  • 自由律 第五十二章

    月曜日の朝、9月12日、通勤 「子曰く、仁に里るを美しと為す。里仁一」 「日頃から仁を実践し、忠恕にその身を置くこと、素晴らしいことだ」 「行動してこその仁であり、心を誠にして人を思いやることの大切さを説かれた」 #自由律 #論語 月曜日の朝、乗り換え 「昨夜は何故かよく眠れず、深夜に座禅を組む」 「脚を組んでどかっと座り、腰から上をちょこんと載せた」 「虫の声、窓から月の光、ゆっくりと呼吸をする、気づけば朝だった」 #自由律 月曜日の夕方、通勤 「子曰く、恭にして礼なければ則ち労す。泰伯二」 「慎み深いとしても、礼(規範)に反するのであれば無駄に終わる」 「何々すれば良い、と短絡的になるので…

  • 自由律 第五十一章

    月曜日の朝、9月5日、通勤 「益を請う。曰く、倦むこと無かれ。論語/子路一」 「子路が政ついて重ねて問う、孔子は言う、諦めることなく、飽きることなく続けること」 「短気で武闘派である弟子の子路を、孔子はたしなめた」 月曜日の朝、電車内 「土日に、公田連太郎先生の周易講話を読み進める」 「儒学の言葉で述べてはいるが、本質は世界の有り様が描かれている」 「繋がりで捉えること、一卦=八卦=六十四卦、全ては太極の変化した有り様である」 月曜日の朝、乗り換え 「ホームに並ぶ旅行者夫婦、雰囲気は似ているが喧嘩中らしい」 「気弱そうな夫は前を向き目線を動かさない、妻は鋭い眼光で夫を注視している」 「車内も夫…

  • 自由律 第五十章

    日曜日の夕方、8月28日、ウオーキング 「ヴィルヘルム・リヒャルト・ワグナー作曲、タンホイザーを聴きながら久方ぶりに森を歩く」 「ようやく涼しくなり、アトピー肌が外気温についていける気候になった」 「ドラマ「白い巨塔」の財前先生が浮かぶ、財前五郎のテーマ曲だ、なにげに義父を演じた西田敏行さんのように「五郎ちゃん」と呟いた」 日曜日の夕方、森の中、 「続いて、ベルリオーズ幻想交響曲op14を聴く、風が、涼しい風が吹いている」 「音楽と心を同調させながら、森の夕暮れ、蝉の声、森の香りを満喫している」 「今年の夏も暑かった、そろそろ腹減った、帰ろう、我が家へ」 日曜日の夕方、森の中 「前職の友人、S…

  • 自由律 第四十九章

    月曜日の朝、通勤 「子曰く、如し王者有らば、必ず世にして後仁ならん。子路十二」 「忠恕を根本として政治が行わなれた時、古の聖王(堯・舜)の世が戻ってくるのだ」 「法に基いた徳治政治の大切さを孔子は説いた」 月曜日の夕方、通勤 「子曰く、性は相近し。習えば相遠し。陽貨二」 「人とは善も悪もない、なにを学ぶかによって変わる」 「育ちでも環境でもない、なにを学んだかが人の本質となる、そして学ぶのに老若男女の区別などない」 火曜日の朝、 「子曰く、故きを温めて新しきを知る、以って師と為すべし。為政十一」 「古くから伝わる礼や音楽から古の聖王(堯・舜)の有様を学び、今のあるべき姿を知る、人の師たり得よう…

  • 自由律 第四十八章

    土曜日の夜、8月13日、自宅 「日中、子の宿題を教える、残り数学プリント一枚と国語、行けるか」 「夕方、子とラグビーの練習、雨のほうが楽だが腰をひねる、腰痛が、、」 「子の誕生日プレゼント、アイアンマンシャーペンを買う、喜んでいる」 #自由律 https://t.co/EXHscjIkvX 月曜日の朝、通勤 「匹夫も志しを奪うべからざるなり。子罕第九」 「三軍(三万七千五百人)を率いる将軍でも討伐することは出来るが、志を抱いた士とは(三軍に攻められようが)その志を挫かせることは出来ない」 「世の中で最も高貴且つ無二のものとは、一人の人が抱く志である」 #自由律 https://t.co/ePn…

  • 自由律 第四十七章

    月曜日の朝、8月8日、通勤 「人の悪を称する者を悪む。陽貨第十七」 「君子とて人を憎む、人の功をおのれの功とする者、傲慢を勇気の証とする者、人の失敗を暴露して私は公正で正直だと公言する者」 「自らを省みる、君子が憎む人を持て囃していないか、楽しんでないか、尻馬に乗っていないか」 #自由律 https://t.co/E1Evw6eiCP 月曜日の朝、乗り換え 「私利私欲で国政を担う政治家や、民の代表を唄い、次の権力を奪おうとする人たち」 「各々レイズして、その尻馬に乗ろうとする富裕層と、マスコミ、大企業」 「私は、今日も、馬車馬の如く働く、文句も言わず、マスコミの言う正義と平等を信じて、働く、さ…

  • 自由律 第四十六章

    月曜日の朝、7月1日、通勤 「過ちて改めざる、是を過ちという。衛霊公第十五」 「間違えは良い、間違えを認めない(改めない)のが間違いだ」 「開き直るのは良くない、頭を下げれない自分とは、人として深く反省すべきだ」 #自由律 https://t.co/Jk4eEgfkJX 月曜日の朝、乗り換え 「孔孟の教えに否定的な人がいるらしい、もちろん考えは自由だ」 「私は日本人の根本には「忠恕」があると信じている」 「日本人、日本史とは素晴らしい結晶だ、過ちは過ちとを認め、仁と礼と義に立ち返る、儒学は実践してこそ」 #忠恕/心を誠にし、人を思いやること #自由律 https://t.co/A7qofzEa…

  • 自由律 第四十五章

    日曜日の朝、7月24日、ウオーキング 「切切偲偲、怡怡如たるは、士と謂うべし。「論語」子路第十三」 「善いことを行い、勧める、また、いつも和らいでる、志士といえる」 「困った人を救い、悪人たちに立ち向かう、志しを抱く人であろう」 #自由律 https://t.co/aLIoiCglTX 日曜日の朝、森の中 「蝉の声を聞きながら、志士とは、ふと西郷どんのことを思う」 「冷徹な謀略戦を制した幕末期、維新の大功、そして西南戦争へ」 「人としての器が大きい、私利私欲と縁遠い、つかみようもない、志の人であったのだろう」 #自由律 https://t.co/HPDTmstRFH 日曜日の夕方、公園 「子と…

  • 自由律 第四十四章

    月曜日の朝、7月18日、ウオーキング 「気が付けば五月蝿いくらいに鳴く蝉の声、猛暑よ朝くらい控えめに」 「七月も半ば過ぎてもう夏休み、子は部活、家には子離れしてない親二人」 「居れば五月蝿い甘えん坊、生意気ばかりで言うこと聞かず、子が出掛けるとガランと感じる自宅かな」 #自由律 https://t.co/9Qq3FnJ7pT 月曜日の朝、森の中 「昨夜はよく眠れず、ディアブロⅢ(Switch)を朝までする、ウイザード最強かも」 「久方ぶりに朝マックへ向かう、冷コーといつものメニューの予定」 「貝塚茂樹先生の論語を持ってきた、雰囲気良ければじっくり読もう」 #自由律 https://t.co/j…

  • 自由律 第四十三章

    月曜日の朝、7月11日、通勤 「『我仁を欲すれば、斯に仁至る』「論語」述而第七29」 「人が、心から、自らが仁でありたいと願えば、即ち、人は、仁の徳を得ている」 「自らを一とするのに、時と所と場合は関係ない、今、心から思えば、即ち一である」 #自由律 https://t.co/WhGLp5l4b3 月曜日の夕方、通勤 「君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す「論語」里仁第四24」 「口下手ではあるが、善いことは素早く行う」 「君子とは寡黙であって良い、私利私欲を離れ、最善の責を担うこと、率先して自ら行うこと」 #自由律 https://t.co/lu6ohHBW2c 火曜日の朝、通勤、大雨 …

  • 自由律 第四十二章

    月曜日の朝、7月4日、通勤 「雨、蒸し暑い、長靴を履いてきた、マスクが辛い週になりそうだ」 「暑くてアトピー肌が負けているのでウオーキングは中止、座禅していた」 「結跏趺坐は止めて半跏で、無理はしない、理趣経そろそろ来るはずだ」 #自由律 https://t.co/acSHK37rWn 月曜日の朝、電車内 「なんとなく、今、間がずれた、いつもと少し流れが異なる」 「座禅と念仏の違いが、わかるようでわからない」 「土曜日にスシローで帽子を失くした、日曜日にダイエーで新しく買う」 #自由律 https://t.co/cboITuhXFi 月曜日の朝、乗り換え 「私の頭は64cm以上あり、お気に入り…

  • 自由律 第四十一章

    月曜日の朝、6月27日 「出勤前に論語を読む、『人とは直くあれば良い』雍也第六17」 「力強い言葉だ、一であり全でもある、「直く」とは誠ともいう」 「生き方はシンプルが良い、今日一日、直くありますように」 #自由律 https://t.co/naxArgPrn9 月曜日の朝、乗り換え 「朝から暑い、アトピー肌はだいぶん回復した、行けるか」 「猛暑でも皆マスクをつけている、もちろん私もだ」 「奇妙、いや、この国の強さか、この国伝統の怖さか、よくわからない」 #自由律 https://t.co/Jqel30f3XE 月曜日の朝、出発待ち 「昨夜、修行について寝ながら思う、聖人もいれば暴力を振るうク…

  • 自由律 第四十章

    日曜日の朝、6月19日 「なるほど、気付かなかった、中庸とは美しく、詩の様でもある」 「四書とは上手く出来ている、天才の御業としか」 「子の試験勉強に付き合い、一日、中庸を写経する、読み返す、素読する」 #自由律 https://t.co/FMX55R2FSf 日曜日の朝、曇り 「私の様な浅学も者でも積み重ねた学問の分だけ中庸は応えてくれた」 「逆にいえば、中庸とは儒学のエッセンスの塊だ、初学者では他の四書、経書との連なりが理解る訳が無い」 「四書は繰り返して読みなさい、とは、儒学を学ぶ時に最初に教わったこと」 #自由律 https://t.co/MWAAA2J2cl 日曜日の朝、森の中 「葉…

  • 自由律 第三十九章

    日曜日の朝、ウオーキング 「久方ぶりに坐禅でも組もうかと思う、どかっと坐りたくなった」 「基本、通勤・仕事=苦行であり、自宅・散歩=癒しなので、相対的に楽に生きている」 「苦楽の繰り返しでは何処か芯が緩む、自らを一であり全と為す、念仏と同じく、只座ることに集中する」 #自由律 https://t.co/aWx5mZXpKi 日曜日の朝、森 「宗教的ものは正直わからない、ただ、一遍上人絵伝が私の落ち着き所だ」 「信仰心が無くとも念仏するを是とし、絶対的な他力を信とする」 「率直で潔い、嘘方便はなく、一つに徹している、柳宗悦でなくとも、一日本人である私の心に響く」 #自由律 https://t.c…

  • 自由律 第三十八章

    日曜日の午後、自宅 「ブルックナーのミサ曲第3番を聴いている、穏やかな休日」 「ブルックナーの作曲した宗教曲の中では、最高傑作の一つとして世に知られている」 「実はあまり聴き込んでいない、たまたまCDが視野に入り聴いている」 #自由律ブルックナー:ミサ曲第3番 https://t.co/fSzsUPlfv4 日曜日の午後、自宅 「ミサ曲から気分を変えて、ソンドハイム、スウィニー・トッド」 「ミュージカルが大好きだ、劇団四季はコロナ禍前にはよく観に行った」 「メロディが凄いと思う、旋律が広がっていく、いつの間にか口ずさんでいる」 #自由律 Sweeney Todd https://t.co/sH…

  • 自由律 第三十七章

    日曜日の午前、公園 「公園で子とラグビーの練習、父はタックルの練習台、大汗をかく」 「まだ肩が当たる、都度注意する、スクリューパスは父も上達する」 「昼からは読書、及びモーツァルトのピアノ協奏曲を聴く予定」 #自由律Mozart: The Piano Concertos https://t.co/i5nixfkAqX 日曜日の昼、焼き肉屋さん 「子が焼き肉を食べたいとアンコール、家族そろって焼き肉屋さんへ」 「焼き肉を、嬉しそうに食べる子の顔を眺めるのが何より嬉しい」 「父と母の皿から肉を奪う子と、甘やかせ過ぎたと苦笑いする親バカ二人」 #自由律 https://t.co/XRflDZhAbT…

  • 自由律 第三十六章

    日曜日の午後、自宅 「午前中は子の試験結果の振り返り、担当は国語・社会・理科」 「昔から国語だけは良く出来た、解き方を子に教える」 「午後からラグビー部一年生が集まって、自主練とか」 #自由律https://t.co/RhmH9oCJ6z #精神年齢レベル診断 #精神年齢 #困難な旅路を経験したアヒル #47歳 日曜日の午後、自室 「モーツァルトの歌劇「魔笛」を聴いている、相変わらず魅力的だ」 「ベーム指揮ベルリンフィル盤以外は持っていない、この盤を溺愛している」 「若き頃に魔笛中毒者となり、四六時中聴き続け、全曲ハミングしていた」 #自由律 モーツァルト:魔笛 全曲 https://t.co…

  • 自由律 第三十五章

    日曜日の夕方、ウオーキング 「歩いている、己を、直くする為に歩いている、ただ歩いている」 「BBCのドキュメンタリーを観ていた、何故か心が重い」 「独楽(コマ)は、回るからこそ立っている、回せれる限りは回せ(駄目なら、大モーションで大声をあげながら倒れてやろう)」 #自由律 https://t.co/cEXkeuEam5 日曜日の夕方、ベンチ 「思い出した、私は自己中で嫌な奴で、自分さえ良ければ満足な正直者だ」 「危うく、いい人になるところであった、危ない危ない」 「キャラはぶれてはいけない、頑固親父でもあるし、尻に敷かれているし、友人にはとても我儘な男だ」 #自由律 https://t.co…

  • 自由律 第三十四章

    日曜日の朝、晴れ雲多し 「風が涼しい、ジャージで調度良い、森の中を歩いている」 「子は疲れたのか、晩飯のちすぐに寝てしまった」 「昨日の夕方、スーパーでハイボールを買おうとしたら子に止められた、心配しているらしい」 #自由律 https://t.co/6SEtzFxrjh 日曜日の朝、午前七時 「風が吹き、樹々がザザザザと揺れている、心地よい」 「子は中間試験に向け勉強をしなければならない、今一つ自覚に欠けている」 「父は易経を読む、先生のツイートは易経の例えが多い、正直、あまりついていけてはいない」 #自由律 https://t.co/DMxOMvvt4w 日曜日の朝、ウオーキング 「風に揺…

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