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禅の旅zenno-tabi https://zennooto.com/

「禅の旅zenno-tabi」では「禅」を元に、人が生きるとはどういう事なのか、どのように生きれば人はより良く生きられるのかを考え、旅のように探求していく事を目的としております。

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2021/04/30

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  • 看経とは?意味や使い方について。

    看経とは、もともとは「諷経(ふぎん)」のことを指し、声をださずに経典を黙読するという意味でしたが、のちに「読経(どっきょう)」と同じ使い方をされるようになり、声を出してお経を唱えたり、諷経をする際にも使われるようになった言葉です。

  • 寒巌義尹禅師とは?

    寒巌義尹とは、1217年から1300年までご活躍された禅僧です。かの「後鳥羽天皇」の第三皇子としてお生まれになられたので、「法皇長老」とも呼ばれております。

  • 画餅とは?その意味と使い方について

    「画餅」とは一般的には「画に描いた餅は食べられない」というわけで「何の役にも立たない」という意味でよく用いられる言葉です。しかし三世諸仏も、大蔵経も、山川草木も、ありとあらゆるものは、仏法の筆で描いた画に他ならないといった深い使い方もされます。

  • 葛藤とは?語源や使用例についても解説。

    枝や木がもつれ絡みあう様子のことをこの「葛藤」と言い、人間生活に置き換えると「大変煩わしい思いをしている状態」や、「心の中で、あることについて悩み、自分と戦うこと」をこの「葛藤」といいます。

  • 家常とは?読み方や意義について

    「家常」とは、「かじょう」と読み、道元禅師がしるした『正法眼蔵』、第五十九巻のタイトルになっているものです。また「日常の生活」のことを指しており、この「家常の巻」では「日々の生活がそのまま仏道である」ということを説いております。

  • 何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師とは?

    何山守珣(かざんしゅじゅん)禅師は1079年から1134年にかけて活躍した臨済宗楊岐派の禅僧です。

  • 廓然無聖とは?意味や経緯について。

    「廓然無聖(かくねんむしょう)」とは、インドから中国に「真の仏法」を伝え、中国禅の初祖となられた「菩提達磨様」が中国に上陸をし、はじめて「梁の武帝」と会見した際、「いかなるかこれ聖諦第一義」と尋ねられた時に達磨様が答えたとされる「言葉」です。

  • 学道用心集とは?道元禅師がしるした参禅者の心がまえ。

    この『学道用心集』ですが、正式には『永平諸祖学道用心集』といいます。またこの『学道用心集』は第1巻からなり、道元禅師が仏教を学び実践しようとする初心者のために、参禅学道の心がまえを10箇条にわたって簡潔に書かれたものです。

  • 海印三昧とは?正法眼蔵のタイトルにもなっているその意義とは?

    海印三昧とはサンスクリット語で「サーガラ・ムドラー・サマーディ」の訳で、大海の風がおさまって波が静かな時に天地のありとあらゆるものがそこに映し出されているように、煩悩の波風のない仏陀のさとりの心の中には一切の存在が真実なものとして現成しているという意味です。

  • 圜悟克勤禅師とは?その出生や碧巌録との関係について

    圜悟克勤禅師(1063年-1135年)は、諡(おくりな)を「仏果禅師」、あるいは「真覚禅師」といいます。彭州(ほうしゅう)崇寧県(現在の四川省)のご出身で、中国臨済宗五祖法演について参禅され、その法をつがれました。また『碧巌録』を記されたことでも有名です。

  • 衣鉢とは?衣鉢を継ぐことは仏祖正伝の象徴の意味

    「衣鉢」とは「三衣一鉢(さんねいっぱつ)」ということですが、出家修行者が身に付けることができるものは、三つの「衣」と一つの「鉢」だけです。その際の「衣」というのが「お袈裟」や「法衣」などのことをいい、「鉢」というのが、修行僧がお食事を頂く際に使ったり、「托鉢」の時に使ったりする「鉢盂(食器)」のことをいいます。

  • 慧可断臂とはどういった話か?経緯についても解説します。

    道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。 今回は「慧可断臂(えかだんぴ)」についてお送りいたします。 筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。 2012

  • 永平清規とは?

    『永平清規(えいへいしんぎ)』は道元禅師がしるした著物で、道元禅師が教団の規則や決まりを説いたものとなります。

  • 永平寺とは?成り立ちや由来について。

    永平寺とは曹洞宗の修行道場第一です。その永平寺の成り立ちや由来について解説します。

  • 古仏とは?或いは永平古仏とは?

    「古仏(こぶつ)」とは本来、過去の仏祖、或いはすぐれた祖師に対して用いられる言葉で、正法を伝えて来た祖師に向けられる尊称です。めったに使われる言葉ではありません。

  • 永平広録とは?

    『永平広録』は道元禅師による上堂や法語、頌古、賛語などを弟子たちが編集したものですが、それには第一巻から第十巻までがあります。 本記事では道元禅師にまつわる書物としては『正法眼蔵』や『普勧坐禅儀』と並び称される、この『永平広録』に関してそれ

  • 雲居道膺(うんごどうよう)禅師について

    雲居道膺禅師について、面白いエピソードを交えながら解説いたします。

  • 雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師について

    雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師は、中国唐代の禅僧です。 道元禅師だけでなく、今日の我々の生活にも多大な影響を及ぼす雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師。 今回はその雲巌曇晟禅師とはどのような人物なのか簡単にご紹介したいと思います。 この記

  • 優曇華とは?その意味について

    「優曇華」とは「クワ科」で、イチジクの一種だとされております。また「実在の植物を示す場合」と、「伝説上の植物を指す場合」、そして「昆虫の卵を指す場合」とがあります。仏教や経典ではこの「優曇華」の花を三千年に一度咲く、「伝説の花」であると伝えています。

  • 有時とは?その意味や使い方について

    「有時」の「有」は「存在のこと」、そして「時」は「時間」のことを指します。つまりこの「有時」は「時間」を指す言葉なんですね。

  • 恁麼とは?その意味や使い方について解説します。

    「恁麼(いんも)」とは、「このような(に)」「そのような(に)」という意味を表す中国の言葉です。また「恁麼」とは、仏法における「真実」をあらわした言葉でもあります。

  • 一闡提とは

    「一闡提(いっせんだい)」とは、仏教の正しい教えを信じず、さとりを求める心もなく、仏となる素質を欠く者のことをいいます。

  • 一箇半箇とは?

    「一箇半箇」とは、極めて希有の人のことを指し、得難い人物のことを指します。

  • 一転語とは?

    「一転語」とは、日常の常識的な分別の世界をひっくり返して、人々にさとりを開かせる契機を与える「一句」のことです。

  • 一日作(な)さざれば一日食はずとは?

    「一日作さざれば一日食らわず」とは百丈懐海禅師のお言葉です。「日々の行いが、そのまま仏法の修行であるから、一日の中で仏法にかなった行いがないときはご飯は食べない」という意味になります。

  • 潙山警策とは?

    潙山警策(いさんきょうさく)とは、「潙仰宗(いぎょうしゅう)」の祖である、潙山霊祐(いさんれいゆう771-853)禅師の「著物」です。また「四十二章経」、「仏遺教経」、そしてこの「潙山警策」と、「仏祖三経」の1つとして数えらているものです。

  • 安楽の法門とは?

    この「安楽の法門」は道元禅師の『普勧坐禅儀』の中にでてくる次の一節に由来した言葉です。「所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。」

  • 安居とは?

    安居(あんご)とは修行者たちが、「一定の場所」にあつまり、共同で修行生活をおくることを意味します。また「パーリ語」のヴァッサ(vassa)の訳語で、他にも「夏安居(げあんご)」、「夏行(げあん)」、「坐夏(ざげ)」、「結夏(けつげ)」、「結制(けっせい)」と言ったりします。

  • 阿羅漢とは?

    「阿羅漢」とは、サンスクリット語の「arahat:アラハト」を音写したもので、すべての煩悩に打ち勝ち、もはや学ぶべきものもなく、人々に敬われる価値に到達した聖者のことをいいます。

  • 阿耨多羅三藐三菩提とは?

    「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とは簡単にいえば、この上ない極上の「悟り」という意味です。

  • 愛語とは?

    愛語とは、簡単にいえば「やさしいことばで語りかけること」をいいます。またこの愛語はその「四摂事(ししょうじ」のうちの一つに数えられるものでもあります。

  • 托鉢とは?

    托鉢とは修行僧が、自身の最低限の糧を得るために「食糧」や「浄財」を集める事をいいます。ただ「托鉢」の目的はそれだけではありません。というのも、信者や布施をしてくださった方に功徳を積ませる意味もあるからです。

  • 典座とは?

    「典座」というのは禅宗の修行道場において、修行僧、及び雲水の食事をつかさどる役職のことを言います。つまり食料の調達、調理、給仕まですべてを司る責任者の事をこの「典座」といい、その「典座」が率いる寮舎のことを「典座寮」と呼びます。

  • 参堂とは?

    「参堂」とは、「禅」の修行道場で「修行僧」及び、「雲水」がお堂に参じることを言います。

  • 朝課

    朝課とは「雲水さん」たちが毎朝行う、お勤めのことです。「朝課諷経(ちょうかふぎん)」と呼ばれたりもします。

  • 行脚とは?

    禅にまつわる「言葉」のエッセイ。 今回は第2弾といたしまして、「行脚(あんぎゃ)」についてをお送りいたします。 筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します

  • 道元禅師のご生涯について

    本記事では道元禅師の生涯について解説していきます。ただひたすらに坐禅をする事(只管打坐)が、「悟りである」と説かれた道元禅師。また世界的名著と呼ぶにふさわしい『正法眼蔵』や『普勧坐禅儀』を記された道元禅師。そんな現代においても多大な影響を及ぼす道元禅師のご生涯をご紹介します。

  • 雲水とは?

    雲水とは、雲自水由(うんじすいゆう)、行雲流水(こううんりゅうすい)、浮雲流水(ふうんりゅうすい)の略称です。

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊿本当の宝とは?

    本記事をもちまして、この『普勧坐禅儀』の講話は第「50回目」を迎えます。 ここまで連載してこれたのも、日々このblogをチェックしてくださる皆様のおかげです。 心より御礼申し上げます。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊾我々は真実に生き、真実を守り伝えなければならない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。 という部分を解説していきます。 まず始めに前回の、

  • 「禅の旅」キーワードごと簡易検索システム、「禅旅」。

    この「禅旅」では当ブログ、「禅の旅」において重要となる「キーワード」に関連した記事を見つける事ができます。 自身で分からない内容があった時に、それを解消するために活用出来たり、そのキーワードごとに関連した記事を続けて読みたい場合などに使う事

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊽「直指」とは何か?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、 という部分を解説していきます。 まず始めに、前回の のポイントを振り返りたい

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊼摸象や偽物の竜に囚われてはならない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。 という部分を解説していきたいと思

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊻大自然の教えを説いたのが「仏教」。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は(た)草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(し

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学㊺人間として生まれる事ができたのは本当にありがたいことである。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃ

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊸坐禅に邪魔されるおかげで本来の在り方に気付ける

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。 という

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊷達磨様が伝えたかった事とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊶「平常心是道」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思いま

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊵「説示一物即不中」が命の正体

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返り

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊴本当の「救い」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返り

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊳正しい生き方に出会う事それが「悟り」

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。 という部分を読んでいきたいと

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊱禅の指導者が導こうとした世界とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。豈に神通修証(じんず

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉟臨済禅師と三聖慧然との仏法の相続におけるやりとり

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「棒」は「棒」で殴ることで人を導こうとした徳山宣鑑禅師にまつわるエピソード「疑問」は人の頭の中にしか存在しない。その「疑問」を解決するために生きているのでは

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉞我々の生きている世界には「理不尽」はない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「拳」は知事である李渤刺史と帰宗智常禅師によるエピソード。「払拳棒喝」の「拳」は「拳骨」の「拳」。「分からない」が仏法の真実。「羊羹」をどんなに詳しく説明し

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉝「分からない」が「仏法」の真実

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「払」は師匠である青原行思禅師と弟子の石頭希遷

  • 『無門関』の趙州従諗禅師と二人の修行僧にみる「命」のエピソード

    趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778年 - 897年)は中国唐代の僧で、中国禅宗における巨人です。 「庭前の栢樹子」を例に見ても、その道に通ずる方であれば、この趙州禅師の事を知らないという人はそう多くはないでしょう。 今回はそんな趙州禅師とある二人の修行僧が残した逸話をご紹介して、「生命の実物」とは何なのかを紐解いていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 高齢で行脚修行に出た趙州禅師 趙州従諗という禅僧がかつて唐時代の中国にいました。 この趙州禅師とい

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは?のポイントを振り返ってみたいと思います。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おられた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「鎚」はお釈迦様と迦葉仏尊者のエピソードからきている。お釈迦様は高座の上られ、高座から下

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉚「水」と「針」、洗面器の中で何が起きているのか?のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おられた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「針」は龍樹菩薩と伽那提婆のエピソードからきている。「自分」と「宇宙」を切り離す以上、そこには始まりと終わりがある。生と死がある。「自分」が死ねば「宇宙

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉚「水」と「針」、洗面器の中で何が起きているのか?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!」・・「はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おりました仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「竿」は阿難尊者と摩訶迦葉尊者のエピソードからきている。「おい!」と呼びかけられ「はい!」と返事をする。そこに宿っている「仏法」「うまく

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!」・・「はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉘指一本を差し出す。それだけでいい。 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔いた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「指」は俱胝和尚のエピソードからきている。何を質問されても「指一本」差し出せばいい。何故なら「指一本」が全宇宙だから。「仏法」は概念化する以前を説く。 それではポイ

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉘指一本を差し出す。それだけでいい。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉗大自然に「凡」も「聖」もなく、でっちあげは通用しない。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「超凡越聖」とは「凡」も「聖」も超える事。「仏」は「仏」すら超えていく。大自然の在り方。「坐禅」こそ「超凡越聖」である。自分の外側に「大自然」があるのではない。「死ぬとき」には「死ぬ様」がある。大自然にでっちあげや、ごまかしは一切通用し

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉗大自然に「凡」も「聖」もなく、でっちあげは通用しない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉖坐禅を終えた時の作法とは?「安祥」として起つこと。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「坐禅」を終える時はゆっくりと組んでいる足をほどき、身を動かすこと「坐禅」を終える時は安らかに、静かに立つようにすること「坐禅」を終える時は、足が痺れている可能性もある為、いきなり荒々しく立ってはいけな

  • 「臨済義玄禅師」が出会った真実の仏法とは?師匠の「黄檗禅師」が伝えたかった事。

    今回は「禅僧たちの物語」第五弾として今日の臨済宗をお開きになった、「臨済義玄禅師」のある逸話をご紹介したいと思います。 「臨済禅師」は実に誠実なお方でおられました。 そんな「臨済禅師」が、若かりし折に触れた「真実の仏法」との出会いの話を本記事ではご紹介したいと思います。 それでは参りましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 臨済禅師がゲンコツをもらって出会えた「真実」 「臨済義玄禅師」がお生まれになった正式な時期と言うのは明らかになっておりませが、867年に遷化された(僧侶

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉖坐禅を終えた時の作法とは?「安祥」として起つこと。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。卒暴(そつぼう)なるべからず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。の復習から入りたいと思います。 前回のポイント 本当の理解とは「実践すること」で本当の理解ができる。「坐禅」の「行」を行う事こそが本当の理解。「昏散」とはうつうつと眠くなることと、心を乱す事。「撲落」とは束縛から解放されること「真実の自己」は常に目の前に展開し

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 當(まさ)に知るべし、正法(しょうぼう)自(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)先づ撲落(ぼくらく)することを。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉔「公案現成」の意味とは?「今」目の前に展開する一切は行き詰まりがない。のポイントを振り返りましょう。 前回のポイント 「公案」とは「揺るがす事のできない」という意味。「現成」とは「目の前に展開している全てのもの」という意味。「公案現成」とはつまり「今、目の前に展開する一切のものは行き詰まりのな

  • 一遍上人の「詩」にみる、当事者と傍観者の世界

    皆さんは「一遍上人(いっぺんしょうにん)」をご存知でしょうか? 今回はこの「一遍上人」の「詩」を題材として、この世界の真実の有り様について考えていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 当事者も傍観者もない「真実の世界」 イラスト画・吉田義晃氏より出典 「時宗」を開いた「一遍上人(いっぺんしょうにん)1239-1289」という方がおります。 この「一遍上人」の本当の名前は明らかになっておりませんが、幼いころの名前は「松寿丸」であったとされております。 かの「法然聖

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉔「公案現成」の意味とは?「今」目の前に展開する一切は行き詰まりがない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 公案現成(こうあんげんじょう)、籮籠(らろう)未だ到らず。若(も)し此の意を得ば、龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉓「修行」がそのまま「悟り」の証明である。のポイントを振り返りましょう。 前回のポイント 「菩提」とは悟りの意。「究尽」とは究め尽くすの意。「修証」とは行いの証明の意。「悟り」は「修行」によって証明される。つまり「悟り」とは「修行」のことで、それぞれに分かれない。 それではポイ

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉓「修行」がそのまま「悟り」の証明である。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。 という部分を読んでいきます。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉒「坐禅」は個人のならいごとではないのポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「坐禅」はピアノを習ったり、水泳を習ったりというような個人の「習い事」ではない。「坐禅」は生命の実践。「生命の実践」において、その足の痛みは誰とも比較できない。本来誰とも比較できない生命を生きている人間。坐禅における生命の実践は「大」でも「小」でもない、「真実」。「坐禅」は足

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉒「坐禅」は個人のならいごとではない

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。 という部分を読んでいきます。 まず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉑人生の教科書。本来の命を生きる為に「坐禅」を行う。を振り返りたいと思います。 前回のポイント 「不思量底を思量せよ」とは「思わないところを思え」の意味。「不思量底を思量せよ」とは「生命の実物をしっかり抑えなさいということ。つまり「思う」という行為は大自然の行いであって自分ではどうすることもできないからそのままにしておくのが本来の形しかし現代の人間はこの「

  • 不思量底とは?春になれば花が咲く大自然の在り方と同じような我々の命の風景

    道元禅師の『普勧坐禅儀』は、在家の者、出家の者問わず普く人々に「坐禅」とは何か?その坐禅の「意義」と「作法」についておしるしになった「坐禅の奥義書」であります。 その『普勧坐禅儀』の一文で次のようなものがあります。 箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。 この一文はこの『普勧坐禅儀』において非常に大切な箇所であり、先人たちや現代の僧侶のバイブルとして古来より受け継がれてきました。 今回本記事では恐れ多くもこの「不思量底」とは何か?を参究してまいりたいと思います。 以下の記事でも軽く今回の「不思量底」について触れており

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉑人生の教科書。本来の命を生きる為に「坐禅」を行う。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。 という部分を読んでいきます。 まず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑳「坐禅」における正しい呼吸法とは?のポイントをおさらいしておきたいと思います。 前回のポイント 坐禅においての「呼吸」はコントロールしない、出来ない仏祖の「調息」は「呼吸」をコントロールせず、ただ背筋を伸ばしただけの自然に行われる大自然の「呼吸」。「坐禅」は大自然の上に乗った大きな「岩」のようなもの

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑳「坐禅」における正しい呼吸法とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、 という部分を読んでいきます。 それではまず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑲道元禅師がお示しになる「坐禅作法」とは?のおさらいをしておきたいと思います。 前回のポイント 「坐蒲」や「坐褥」を用いる理由は腰を高くし、安定して長時間坐る為。「結跏趺坐」、「半跏趺坐」、そのどちらであっても構わない。そのどちらであっても「足首」をしっか

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑲道元禅師がお示しになる「坐禅作法」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しん

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑱「瓦」をいくらみがいても「鏡」にはならない

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 作仏を(と)図ること莫(なか)れ。 豈に坐臥に拘(かか)はらんや。 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑰思いを管理しないことのポイントをここで少しおさらいしておきたいと思います。 前回のポイント 「停める」というのは思いに「ブレーキ」を掛ける事でもなく「ストップ」を掛ける事でもない。「ブレーキ」や「ストップ」をかけることは「思い」を管理しているつまり「思い」をそのままにしておくこと心境と言うのは人間の概念遊び それでは前回のポイントを踏まえたところで本記事

  • 道元禅師と「紫の衣」のエピソード、大自然に笑われない生き方とは?

    地位や名誉とは縁遠い山奥の地で多くの弟子達と坐禅修行に励み、生涯を「坐禅」に費やされた道元禅師。 愚直なまでに真実を追求し、ただひたすら真実の道の為に。 その「真実の道」を追求するために決して地位や名誉を頼ろうとはしなかった道元禅師。 ただ真実の「坐禅」をただひたすらに打ち込む。 それが何よりも道元禅師が求めていたことで、「真実」の生き方でありました。 今回はそんな道元禅師の求めた真実の道を、位の高い高僧に与えられる「紫の衣」とまじえてご紹介していきます。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをし

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑰思いを管理しないこと

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑯実際の「坐禅」の仕方について初めて触れる部分では、『普勧坐禅儀』において初めて道元禅師が実際の「坐禅」の仕方について説いたその内容についてそれがどういったものかを解説しました。 それでは前回のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 道元禅師の言う「参禅」とは「坐禅」のことをさす。「坐禅」はしずかな場所で行うこと「坐禅」をする際は「腹六分目」が相

  • 坐禅に関する大きな疑問選!一つずつ分かりやすく解説します。

    「坐禅」ひたすらに実践し続ける事(只管打坐)をお説きになった道元禅師。 「坐禅」そのものを悟りの目的とし、「坐禅」を行う事は「生命の実践」、「仏行」とも言われております。 今世界中でブームを巻き起こしているこの「禅」。 その禅と同義とされる「坐禅」に関して、目的や継続の意義について疑問に思っている方は多いはずです。 今回はそんな「坐禅」に関して皆さんが抱える疑問を一つずつ丁寧に解説していきたいと思います。 それでは参りましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 坐禅に関する悩

  • 禅ブーム真っただ中!誰でも簡単に自宅で出来る「坐禅講義」

    道元禅師がおすすめになる「坐禅」。 「坐禅」の実践こそが修行そのものであるとし、過去に多くの祖師方がこの「坐禅」を実践されてきました。 近年でも「禅ブーム」が流行し、生活の一部にこの「坐禅」を取り入れる方も多くなってきております。 「生命そのものの実践」、「仏行」とも言われるこの「坐禅」。 今回その「坐禅」を自宅でも正しく実践できるように、細かいポイントや坐禅における心構え、そして実際の実践方法について分かりやすく紹介したいと思います。 尚、本記事は 「別冊太陽 道元」監修角田泰隆 平凡社を参考に執筆しています。 この記事を読んで頂ければすぐにでも「自宅」で道元禅師がおすすめになる正しい「坐禅

  • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑯道元禅師が実際の「坐禅」の仕方について解説し始める部分

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲飡(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑮「禅」の至極、「恁麼」とは?と、前々回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑭人が安心できる本当の「場所」とは?はこの『普勧坐禅儀』において非常に重要な部分となります。 なので今一度ご一読いただくとこれからますます難儀となる『普勧坐禅儀』も読みやすくなるの

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑮「禅」の至極、「恁麼」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。 という部分を解説していきます。 前回記事 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑭人が安心できる本当の「場所」とは? では、 身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。 という部分を解説しました。 ここで前回のポイントを簡単におさらいしておきましょう。 前回のポイント 無我でなければ「仏法」ではない他人の評価で成り立つ「相対的な世界」ほど曖昧で不安定なものない「思う」という事は

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑭人が安心できる本当の「場所」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。 という部分を解説していきます。 前回記事 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑬真の「安心」、「回向返照」とは? では、 所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。 という部分を解説しました。 ここで前回のポイントを簡単におさらいしましょう。 前回のポイント 「言葉」や「概念」は人間観のコミュニケーションツールであり

  • 曹洞宗の「面壁坐禅」と臨済宗の「対座坐禅」その違いは何か?簡単にご紹介。

    現在日本における禅宗は「曹洞宗」、「臨済宗」、「黄檗宗」の3つがあります。 その中で曹洞宗の「坐禅」は「面壁」をして行います。 また臨済宗と黄檗宗の「坐禅」は人と向かい合って「対座」形式で行われます。 今回、この記事では坐禅における「面壁」と「対座」、その形式の違いとは何なのか、その背景について分かりやすく簡単に述べていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 坐禅の種類 別冊太陽「道元」P8より出典 臨済宗「正光寺」様HPより出典 「面壁」というのは左(上)の写真

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑬真の「安心」、「回向返照」とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑫我々の体とは?「薄皮一枚」で繋がる世界では、 少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺきくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。 という部分を解説しました。 まずここで前回のポイントを簡単におさらいしましょう。

  • 批判されても構わない。宏知正覚(わんししょうかく)禅師の貫いた坐禅とは?

    今回は、宏知正覚(わんししょうかく)禅師についてご紹介させてください。 「宏知正覚禅師」は道元禅師が非常に尊敬しておられた祖師であります。 宏知正覚禅師は1091年にお生まれになられた隰州(しつしゅう)、現在の山西省出身の中国の宋時代の禅僧です。 多くの優秀な弟子を輩出し、当時「黙照禅」という現在の曹洞宗の坐禅の大元となるものを、正当な「禅」と主張され、また同時に多くの詩ものこされた方です。 臨済宗の属した「大慧宗杲(だいえそうこう)」というこちらも有名な人物ですが、その大慧宗杲と真の禅法をめぐって激しく対立しました。 今回その大慧宗杲とのやりとりを取り上げ、宏知正覚禅師という人物像に迫るとと

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑫我々の体とは?「薄皮一枚」で繋がる世界

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑪お釈迦様が言われた「天上天下唯我独尊」の本当の意味とは?では、 『普勧坐禅儀』本文の、 矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。 という部分に触れ、 お釈迦様がお生まれになってすぐにおっしゃった 天上天下唯我独尊 という仏教において非常に有名なポイントを重点的に解説してきました。 この「天上天下唯我独尊」という言葉からも分かるように、我々人間は生まれながらにこの尊い体、この尊い命を頂いております。 悩めるのもこの「命」があ

  • 面壁九年、中国に仏法を伝えた菩提達磨(だるま)様。廓然無聖(かくねんむしょう)の教えとは?

    「だ~る~ま~さ~ん~が~こ~ろ~ん~だ!!」 現在の我々にも馴染みの深い「だるまさん」。 本記事ではインドで王族としてお生まれになり、その後中国に「真実の仏法」をお伝えになった「菩提達磨(ぼだいだるま」様の生涯について触れていきます。 達磨様は中国に渡ってすぐ、当時中国で権力を奮っていた「梁の武帝」と問答をし、「真の仏法とは無功徳である」と言われました。 一体そこで「無功徳」とおっしゃた意味は何だったのでしょうか? 本記事では達磨様のお示しになった有名な「廓然無聖(かくねんむしょう)」についても触れております。 またその後「少林寺」にはいり、「面壁(めんぺき)九年の坐禅」を実践された達磨様。

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑪お釈迦様が言われた「天上天下唯我独尊」の本当の意味とは?

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑩お釈迦様と同じ命を我々は生きている。では、 『普勧坐禅儀』本文の、 矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。 という部分に触れて、 前回のポイント 「祇園」とはお釈迦様の事を指す。お釈迦様を始め、我々人間はこの仏の体をもってして生まれながらに悟っている。お釈迦様の生涯を参考にはしてほしいいが、自分たちも何一つ無駄にならない一瞬一瞬を生きている。 以上の点をお伝えしました。 今回は前回の復習を皮切りに、お釈迦様がお生まれにな

  • 「即心即仏」とは?「心」を耕すこと。大梅法常禅師と山本常朝の歌に学ぶ

    この記事では「即心即仏(そくしんそくぶつ)」とは何かについていくつかの章にわけて解説していきます。 大変奥の深いワード、「即心即仏(そくしんそくぶつ)」。 早速、読み進めてみましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 北海道を開拓した屯田兵 冒頭から余談をさせていただきます。 1800年後半から「北海道」の地に「屯田兵」が導入されました。 明治維新から間もなくの事です。 屯田兵とは 明治維新後、旧幕府側の武士たちは、禄を奪われ窮乏しました。屯田兵とは、そのような士族の救済と北

  • 洞山良价が出会った「真実」。「宝鏡三昧」というお経はどのようにして生まれた?

    今回は曹洞宗の開祖でもある「洞山良价(とうざんりょうかい)」というお方によってよまれた「宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)」というお経の、生まれたその経緯を解説いたします。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 「宝鏡三昧」とは? 宝鏡三昧① 宝鏡三昧② 宝鏡三昧③ 宝鏡三昧④ 宝鏡三昧⑤ 宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)は、曹洞宗の開祖とも言われる「洞山良价(とうざんりょうかい)」によって作成されたする中国の「漢詩」です。 いわば「歌」ですね。 「宝鏡」とは「至上の明鏡」という意味です

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑩お釈迦様と同じ命を我々は生きている。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑨仏法が説く本当の「心」とは?ストーブの音に学ぶでは、 『普勧坐禅儀』本文の、 直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)を(の)明らめて、衝天の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾(ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。 という部分に触れて、 前回のポイント ストーブの音やカラスの鳴き声が聞こえてくる。「聞いている対象」と「聞かれている対象」という分け方はなく、「仏法」にお

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑨仏法が説く本当の「心」とは?ストーブの音に学ぶ

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑧「今、ここ、この命。」落ち込んだ時こそありがたい。では、 『普勧坐禅儀』本文の、 「然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を(の)失す。」 という部分に触れて、 前回のポイント 我々の命は今立ちどころに仏の命を生きている寸分の狂いで、行き着く場所は天と地をほど違ってしまうのが我々の行い「思う」という行為は自分がやっていることではない本来の「命」からしてみれば「悟る」というのは余

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑧「今、ここ、この命。」落ち込んだ時こそありがたい。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑦自分からは一切逃れられない。雪峰義存と玄沙師備の話。では、 『普勧坐禅儀』本文の、 「大都(おおよそ)当処(とうじょ)を離れず、豈に修行の脚頭(きゃくとう)を用ふる者ならんや。」 という部分に触れて、 前回のポイント 親指を石ころにぶつければ「痛い。」これが全てである。外に求める必要は何もない今ここにある「自己」こそ真の仏法どんなに遠くに移動しようと、自分からは一切逃れる事は出来ない。つまり「仏」から逃れる事ができない。世界は「仏」。全ては仏。 以上の4ポイントをお伝えし

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑦自分からは一切逃れられない。雪峰義存と玄沙師備の話。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑥寒山拾得と麻浴宝徹禅師の話を参考に「塵」や「埃」は払わなければならない。では、 『普勧坐禅儀』本文の、 「況んや、全体迥かに塵埃を出ず。孰か払拭の手段を信ぜん。」 という部分に触れて、 「塵」や「埃」を払う事で初めて、「塵」や「埃」の実物をとらえる事が出来る。「風」は至ることろにあるということを知っているが、仰いで初めて「風」が至る所にあるということを知れる。人間、誰しも「仏性」を持ち合わせているが、坐禅を実践することで初めて、「仏性」を持ち合わせているということを知れる

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑥寒山拾得と麻浴宝徹禅師の話を参考に「塵」や「埃」は払わなければならない。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑤慧能禅師の話を例に、「概念」の本質を探るでは、 『普勧坐禅儀』本文の、 「況んや、全体迥かに塵埃を出ず。孰か払拭の手段を信ぜん。」 という部分に触れて、 「塵」や「埃」というものは人間の概念でしかなく、その「概念」も含めた、我々人間の命を行じるのが「坐禅」である。 であるという事をお伝えしました。 今回も前回と同様、下の青いマーカー線で引いた、「況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。」という前回の部分をもう少し深

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑤慧能禅師の話を例に、「概念」の本質を探る

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ④命の「全体」を行じる道元禅師の坐禅。では、 『普勧坐禅儀』本文の、 「況んや全体逈(はる)かに」 という部分に触れて、 道元禅師のおすすめになる「坐禅」は転迷開悟の「手段」としての坐禅ではなく、「全体」の「坐禅」 であるという事をお伝えしました。 今回は、前回の内容も踏まえつつ、下の青いマーカー線で引いた、「況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。」という部分を読んでいきたいと思います。 それでは参りましょう。 別

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ④命の「全体」を行じる道元禅師の坐禅。

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ③「仏法」とはみんなが乗ることの出来る乗り物では、 我々は生きながらに既にみな「仏(仏法)」という救いの世界にいるのにもかかわらず、何故、個人の救いを得ようとするのか。 という事をお伝えしました。 今回は、下の青いマーカー線で引いた、「況んや全体逈(はる)かに」という部分を読んでいきたいと思います。 それでは参りましょう。 別冊太陽「道元」出典「普勧坐禅儀」部分 大本山永平寺蔵『天福本』① 別冊太陽「道元」出典「普勧坐禅儀」部分 大本山永平寺蔵『天福本』② 別冊太陽「道元」

  • 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ③「仏法」とはみんなが乗ることの出来る乗り物

    本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきたいと思います。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ②人間が生きる事、それはつまり「坐禅」を行じることでは我々の生命やそれにかかわる出来事は全て「円通」であり、一切行き詰まりがない今を生きている。という事をお伝えしました。 また、その観点から「生きる事はつまり坐禅を行じること。」という内容をお伝えしました。 今回は、下の青いマーカー線で引いた「宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。」という部分をメインに読んでいきたいと思います。 それでは解説していきたいと思います。 別冊太陽「道元」出典「普勧坐禅儀

  • 「生きる」とは何か②「自由」とは何かについて「鈴木大拙」氏の観点で考察する。

    ここでは「自由」とは何か臨済宗で有名な仏教学者の「鈴木大拙」氏の観点を参考に考えていきたいと思います。 我々は自由な命を生きているはずなのにいつも人間関係や仕事の問題で苦しんでしまう。 一体「自由」とは何なのか。 是非この記事を参考に、あなたが普段考える「自由」と比べて考察してみてください。 我々の「命」は大地と同時に救われている。 別冊太陽「道元」出典「普勧坐禅儀」部分 大本山永平寺蔵『天福本』 道元禅師のしるされた書物に「普勧坐禅儀」というものがあります。 その「普勧坐禅儀」本文の中に、 「宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。」 という文が出てきます。 その「宗

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