「禅の旅zenno-tabi」では「禅」を元に、人が生きるとはどういう事なのか、どのように生きれば人はより良く生きられるのかを考え、旅のように探求していく事を目的としております。
「廓然無聖(かくねんむしょう)」とは、インドから中国に「真の仏法」を伝え、中国禅の初祖となられた「菩提達磨様」が中国に上陸をし、はじめて「梁の武帝」と会見した際、「いかなるかこれ聖諦第一義」と尋ねられた時に達磨様が答えたとされる「言葉」です。
この『学道用心集』ですが、正式には『永平諸祖学道用心集』といいます。またこの『学道用心集』は第1巻からなり、道元禅師が仏教を学び実践しようとする初心者のために、参禅学道の心がまえを10箇条にわたって簡潔に書かれたものです。
海印三昧とは?正法眼蔵のタイトルにもなっているその意義とは?
海印三昧とはサンスクリット語で「サーガラ・ムドラー・サマーディ」の訳で、大海の風がおさまって波が静かな時に天地のありとあらゆるものがそこに映し出されているように、煩悩の波風のない仏陀のさとりの心の中には一切の存在が真実なものとして現成しているという意味です。
圜悟克勤禅師(1063年-1135年)は、諡(おくりな)を「仏果禅師」、あるいは「真覚禅師」といいます。彭州(ほうしゅう)崇寧県(現在の四川省)のご出身で、中国臨済宗五祖法演について参禅され、その法をつがれました。また『碧巌録』を記されたことでも有名です。
「衣鉢」とは「三衣一鉢(さんねいっぱつ)」ということですが、出家修行者が身に付けることができるものは、三つの「衣」と一つの「鉢」だけです。その際の「衣」というのが「お袈裟」や「法衣」などのことをいい、「鉢」というのが、修行僧がお食事を頂く際に使ったり、「托鉢」の時に使ったりする「鉢盂(食器)」のことをいいます。
道元禅師にまつわる「言葉」のエッセイ。 今回は「慧可断臂(えかだんぴ)」についてお送りいたします。 筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。 2012
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