甘酒は大晦日、神社で湯気を立てて飲む印象が強いのですが昔は夏の飲料でした。現在のオロナミンCのような経口栄養剤だったようです。当時なら俳句の季語は冬だったかもしれません。( ブランコの季語は春ですが、永六輔氏にはわからなかったようですが、春先森に入って乙女の揺らすブランコを...
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甘酒は大晦日、神社で湯気を立てて飲む印象が強いのですが昔は夏の飲料でした。現在のオロナミンCのような経口栄養剤だったようです。当時なら俳句の季語は冬だったかもしれません。( ブランコの季語は春ですが、永六輔氏にはわからなかったようですが、春先森に入って乙女の揺らすブランコを...
私達の小学生の教室は、55人押し込められた。40年後息子の1クラスは30人だった。何せ25人1クラスを要求していた時代、今、学校が廃校になってしまった例は沢山ある。 それでいて大学が増えたものだから、全入時代になってしまった。正直、前にまして勉強、テーマの追求をしなくなって...
ウクライナ侵攻、ハッキリしないロシア。3日どころか3年半たっても未決着。 シリア、イスラエル⇔イランもロシアの後楯なければ話にならないことが、素人の私にもよくわかった。ロシア贔屓の人、ウクライナを領土にしたところで国際的評価はマイナス。(小遣いを貰ってこそ) 少なくとも、高...
犬公房と称された5代将軍徳川綱吉、どこまでが真実で滑稽話かよくわからないところがある。 日本全国、あるいは大坂ではどうだったのだろうと考えたら、地方条例の類いで江戸だけの話だったらしい。 大河ドラマ、6ヶ月以上かかって遊郭と江戸の対比に明け暮れて帯ドラマらしかった。奥方様が...
水戸光子・三浦光子・森光子。 かまやつひろし・守屋ひろし・井上ひろし。 田中裕子・名取裕子・古手川裕子。 風吹ジュン・五十嵐ジュン・粟吹ジュン。 米倉涼子・広末涼子・篠原涼子。 大体同時期にデビューし活躍した人々で似たような役回りをする。でも、容姿の良いアイドル的なイメージ...
芸術作品には常に真贋がつきまとう。私は例え偽物でも一つ床の間か応接室に置きたい。専門家が鑑定しても判定容易ならざるものがあるという。一つの品物にには20以上の贋作があるらしい。 世界的美術館に必ずと言ってよいほど掴まされた贋作があるらしい。 でも、国宝級の絵画に囲まれ色落ち...
6月21日は夏至(最も昼間が長い)。自分の誕生日を使って子供達に教えた。3月21日は春分の日、9月21日は秋分の日として祭日になっているが、昼夜同じになる。 半年先の12月21日(22日もある)、冬至と呼ばれ夜の最も長い日。だから、1日1分日没が変わってゆく。 子供達は覚え...
映画 寅さんを見ていたら、巨匠画家の玄関先に陶製の大壷が何気なく置いてありました。映画 東京物語でも玄関長押に提灯箱がありました。どちらも現代には見掛けられません。提灯にしても懐中電灯になり、今は充電器ライトがテレビのコマーシャルで放送しています。戦争中であれ長蛇の列、並ん...
アルバイトの時、「 旨いものを食べることを暫し忘れれば ・・・」という風変りな陽気なおっさんがいた。美味いものを食べることは良い企業で働き、良い大学、良い高校、良い幼稚園とか競争社会を否定的だった、一利あるように思えた。 でも人間もっと御気楽でも良いではないだろうか? 私は...
明治から150年。戦後だけでも80年。徳川開府から幕末まで250年、もし開府の頃から商人・企業から税金徴収を考えていれば、相当違った幕末、明治、あるいは全然異なった現在があったに違いないだろう。 開府の頃、金山銀山など鉱山を押さえていれば充分と考えて、なおかつ身分の低い商人...
昔、囲碁将棋、連歌師、俳諧、美術、など師匠が修行をかね全国を行脚していた、今で言えば通信教育、あるいはスクーリングというのかもしれない。特に幕末ちょと前、算術ブームが全国規模で起こり、全国の神社に納められた算術額が残り、中にはノーベル賞よりも30年前に発見された数式があった...
1812年、ナポレオンがロシアに敗北。1868年明治だが、西郷隆盛は本で知っていたそうだ。どの様に伝搬したかさだかではないが、文字の読める人に知られていたようだ。 ただ、楽器、音楽については入って来なかったようだ。出島に芸術部門の輸入がなかったのは実に残念なことだと思ってい...
スーパーマーケットで売られていた大福饅頭、餅が厚く残念。餅で餡を包む前に、湯を練り込むようにすれば、もう少し薄皮饅頭に作れる?職場の上司が和菓子屋で覚えたそうだ。 職場の先輩が終戦直後、闇市でトラック単位で饅頭を販売して儲けていたそうだ。何でも小豆の替わりに薩摩芋の切身をい...
美術館に人手が増す。ある人はとは言う。国営放送が予告地味たことを流すことを怒る。伊藤若冲、モナリザ、ツタンカーメン、松方コレクションテレビの影響力は凄いものがある。 私は余り美術館観賞というのは好きではない。単に我が儘などだろうけれど、浮世絵みたいな方が良いと思っている。 ...
大名庭園。修学旅行で訪れた岡山・後楽園、どうにも損した気分になった。東海道53次を網羅したと説明があったが、小さすぎて大名のイメージとは全く結びつかなかった。 東京にある浜離宮、お付きや大奥にも人気があったと言う。海の魚を釣り、鴨場、塩田等あり自己参加型のアトラクションで楽...
先輩や上司が栄転やら退職は内心嬉しかったものです。何時までも助手では、自分のレベルアップは望めません。私はそう思ってました。何か人間でないような悪い印象を周りに与えるようですが? 江戸時代も今も責任を負いたくない人もいて万年ヒラリーマン志向の人もいるそうです。無論、絶妙に切...
203高地、日露戦争、乃木希典で有名ですが、少し前まで単独峰とイメージしていましたが、幾つもの連山の一角にあることを知りました。旅行者のビデオをインターネットで見ることができました。 まず、麓からシャトルバスで登ります。(かなり歩いて登りきるようです) ビデオだと辺りはかな...
米の価格が高騰、農水大臣が替わった時、必ずしも評判は芳しいものではなかった。どうも ”坊っちゃん” 扱いとピントのズレを揶揄されていた。 ビックリするほど早く備蓄米が放出され市場に並んだ。 これが、またまた党内から批評された、自民党に農水族がいて、それなりの・・・つまりは前...
長嶋選手が逝去した時、同級生も逝った。悪く言えば狂人の如く、持ち物全てに “長嶋“ (多分平仮名だったろう)若しくは “3“ と書いていた。 兎も角、その頃の男子は空地があれば野球に熱中していた。勿論彼は優れた打者、と投手だった。それで夏前に野球名門高校に決まりノンビリして...
終戦直後、東條英機はGHQに調べられたが蓄財が少なくアメリカ軍が驚く程。 日本人には蓄財に終始したような軍人は無く、独裁政治とは意外にも遠かったようだ。 ( 憲法を変えてまで終身大統領になろうとするのは、案外蓄財をバレないように続けているかもしれない。日本では秀吉、家康など...
( 岡山 )・ 池田藩31万石。は埋立によって7600haを拡張しました。7600・0000⨫1、8⨫1,8⨫365⨫10000=6,4 6万石を増やしました。実質37万石と海産物が入ります。ですから明治期、1万石を越えていた家来6名が大名扱いで華族になっているほど...
何を恐れているのか、書き物とテレビ放映では大きく異なり、人間性が乏しく減滅した現代史の人がいた。要点を聞きたいのに花鳥風月然としている。子分も付かないし、親分にも担がれることはないであろう。 責任を取りたくないのか、遥か群衆を離れて正論を言ったというか、犬の遠吠えというか虚...
あまりクリムト、シーレの絵画のファンでないのでウイーンに行っても関心は薄かった。 (ウィーン美術学校となっていますが、どうも芸術大学でなかったという説がありました、職工ではなく、絵描きの美術課程のようでした。) シーレの在学中、翌年、翌々年ヒトラーが受験生として訪れています...
ふと横に白いドラム缶が到着し何事か話している。受付だけかと思っていたら、ウエイトレスまでロボットになっていた。一店舗あたり一台としても500店舗では500人、一年となると6000人削減、単純計算で億単位、凄いことになっている。あの複雑な路を来るのだから拍手ものだ。日進月歩、...
鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺 夏目漱石 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子規 「 坊ちゃん 」は伊予松山に赴任した時の物語で漱石は子規と同居していたそうです。 二人は東京予備門の同級生同士、漱石は毎日鰻飯を子規に食べさせ、子規は俳句の師匠であったという、どうも漱石は金...
モーツァルト。シューベルト。メンデルスゾーン。比較的短命だったが多くの作品を残している。悪く言えば死に急いだ人達としか言いようはない。 正岡子規35歳。夏目漱石( 作家活動11年 )森鴎外60歳。当時の平均寿命?と比べると長生きではない。 子規と漱石は闘病の中書き進めている...
正岡子規は “ 柿 “ が好物。立派な食いしん坊。「 柿くうも 今年ばかりと 思いけり 」と読んでいる。ちょぴりセンチメンタルな句といわれるが、子規の晩年はもう少し明るく過ごしたようだ。 比較的短命だったショパンにも遺作がある。哀愁はあっても微塵も悲しみを感じさ...
永六輔。1ページの1⁄ 5程しか書かれていない、独特の本であった。でも広範囲に渡る聞き書きは読んでいて楽しかったし、自由に旅ができない頃、何か自身が揺られている気がした。 同じ頃、團伊玖磨の「 パイプのけむり 」を貪り読んだ。両氏の広範囲な趣味、視野、一般的でない豊富な体験...
十三代将軍・徳川吉宗。この人も好奇心が強い人で多くを学び、中には今日にも繋がることも奨励し、産業まで昇華しています。 この時期、 人口が伸びることが停滞していたので調査。 日本地図を作成。 天体を観測。 新田を開発。 洋書の輸入。 動物の輸入。 産業奨励として生糸の生産。 ...
九州・平戸藩( 6万石 )のお殿様。《 死後10年で明治 》 生涯無役の外様平大名で終わりましたが、60歳から83歳まで書き溜めた、甲子夜話( かっしよわ )270冊残した。 若い頃、出世したくて猛勉強、生来の好奇心も強かったのだろう。 大塩平八郎の処刑模様をスケッチと文章...
MLBにおいて1塁~3塁ベースが7、5cm大きくなったそうです。テレビで見ているぶんにはどうでもよいように思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。 クロスプレイとなると、その違いが如実に露になるようです。190cm、200cmをゆうに越えた選手の攻守での足、ブツか...
息子が結婚するので、指輪のアンケイトを投稿しました。子供の指輪のことに私が口コミを書くこと事態後ろめたいのですが、(家族のアルバムは何故か担当者になっているのでちょとお許しを) メールを読めば爺様が書いていることが分かると思いますが、返信文面は丁寧なものでした。ひらったく言...
私鉄沿線でポスター擬きの蕎麦のCMをよく目にしたが、それだけのことでしかなかった。 ( 月見そば・トロロそば写真と短いコメントが添えられていた。) 山の上のビヤガーデンで聞いた。あれって蕎麦屋にとって誇りであり、莫大な宣伝力があり私鉄様々で感謝さえしていた。 全線各車両1...
アウトドアのプロ達が集い腕に寄りをかけた料理、酒をふるまう宴会。 レトルト食品とやっと火起こしのソロキャンプ、ていの良い避難民逃避キャンプ、結果としてはソロキャンプが番組として残った。 調理パンとインスタントコーヒーを飲むだけ、どうも視聴者に高齢者も多く、なにより素人が多く...
老いて病になると、不幸とか不運とか良くは言わない。でも本当にそうなのだろうか? 何もギヤチエンジしたと思えば良いだけの話ではないだろうか?誰にだって最盛期、20代はあったろう、僻むことはない悲しむことはなんらない、歳を重ねれ場当たり前のこと。 今時の若者は親を老人施設に入れ...
アメリカの映画スタッフが集まり “宴会“ ののりで始めたのかアカデミー賞と勝手に決め込んでいる。 兎も角、金色の像を贈ろうとした時事務員が「 オスカーおじさんにそっくり」から今も呼ばれ続けている。 オスカー像 の値段は意外と・・・・ソフィアローレン、この像を紛失した時再交付...
MLBはピッチロックで投手の投球間隔を決めたり、延長戦では2塁に走者を置くルールを考え、実行している。 本場アメリカでの発案に関わらず、日本ではピッチロック、2塁案など無視? DHのみ採用している、それもパリーグのみ。 セ・パのクライマックス戦など、金稼ぎのことならアメリカ...
ちょっと手を上げるだけでとどのつまり、億単位の金銭を得ることができたという。 俳優としての演技も似たようなものだったという。そして、結婚。多数の子供にも恵まれた。でも幸運は取り敢えずここまでだった。( また幸運があるだろう ) 離婚。女優が大病。子供達に定職は無い。これだ...
芦屋小雁、認知症だそうです。小雁はどうでもよいのですが、認知症の人との関わり接し方に興味を持ちました。要するに患者を居心地のようにしておくことでした。指導者が医師などから現在確かのようです。 食べることに対しても脳の働き、刺激になってよいようです。また、日に何度も同じ事を...
バッハが作曲しました。1700年というから日本では大石内蔵助が討入りの頃です。チェロ独奏曲で全6組曲、1組曲あたり6曲で構成されていますが、舞曲と名がついていますが私にはわかりません。( イタリア人はジーグ、ポロネーズ、ワルツと分けるようです、一括総称した盆踊りとは少し異な...