病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
初めにお断りしておきますが、今から書くことは全く的外れのことの方が大きいと思われる、おせっちゃんの勝手な思い込みです。すでにブログにも簡単に書きましたが、先月半ばだったか体調を崩して、掛かりつけのH医者に駆け込んだりしたことがありました。2・3日前からニュースで紅麹を使ったサプリメントが原因で、腎臓を悪くして、死者が出たり、多くの入院患者が出たりして問題になっていますね。ワイドショーなどでそれに対する専門医などが解説をしているのを聞きました。え?!これ、症状がおせっちゃんの不調とそっくりではないの?使っている生協の配達品の中に問題の紅麹を使ったものもあって、回収しているとも言っています。画面に出た商品は、私は食べていませんが、・・もしかして、他のもので、紅麹が使われているものもあったりしないか??私は持病...紅麹サプリメントと私の場合
今日も「折々のことば」。2月4日、ずいぶん前の言葉です。そうだなと肯いて、いつか紹介しようと思いながらしないままになっていました。『人生の中で/誰もが一度だけ詩人になると/聞いたことがあった/生まれてくるこどもの名前を考えるときである』文筆家平川克美「隣町珈琲」店主解説者の鷲田清一氏は続いてコンな文を取り上げている。「今まさに生まれ出ようとしているものに、幸あれと祈りつつ名を与える。それこそ詩の本質ではないか」と。テレビニュース、新聞紙上、様々な方の名前にお目にかかる。中で、不幸にも人の道を踏み外した人の名前を見る時、悲しくなる。あなたに名前を付けたご両親。どれだけ考えて、どれだけの親の愛をこめて、あなたの歩む道が幸せであるように祈り、これぞ…とお決めになったに違いない、名前なんだよ。こんなことで人々の目...詩人になる時
予報どおりお日様は顔を出さないらしい。少し早起きして、ごみを捨てに門を出るが、おやみなく小雨が降っていました。今日は夫がリハビリに行く日、お迎えの車に他の人を待たせないように、ちゃんと時間通り送り出すのに神経を使う。疲れる。やっと送り出して、一寸テレビ。大谷さんと桜標準木の咲き具合とが大問題。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠んだ人の心が分かるような気がします。今年は、暖冬、暖冬と言われ、桜は一段と早く咲くだろうと予想されていました。ところが冬に逆戻りの日々が多く、開花宣言は3度4度先延ばしになっています。「焦らなくても咲きますよ、これで普通の年に近づいたのよ。私達が子どものころ、桜は4月、入学式を飾る花と決まっていたじゃあないの。これでもまだ早すぎるくらい」わざと落ち着き払って自...さくらはまだかいな
今朝、朝仕事を終えて遅い化粧をしていて気がつきました。先日のリフォームで洗面台を取り換えましたので家じゅうで一番きれいな場所です。ピカピカの鏡に映ったのは、リフォーム不可能のしわシミ婆さんですが。つくづく見ていて気がつきました。私独特の半分眉毛です。姉・妹と3人姉妹、(兄が5人いますが)揃って母から貰った半分眉毛です。それぞれが独特の形をしていますが、とにかく化粧の私は黛で書き加えるのですが、左右うまく描けた例がありません。ああ、今日は眉毛の形を書くつもりではありませんでした。不揃いの眉毛の中に、左右一本づつ、それもデザインしたように右は白髪、左は黒い毛がピロンと長く生えて(育って)るのを見つけたのです。オヤオヤ、お父ちゃんの長生きの印の眉毛だよ~。もうかなり長生きしていると思うけど・・・鏡に向かって無言...半分眉毛と父の思い出
ハラスメントを省略して、「ハラ」。セクハラ・パワハラなどという言葉が駆け巡っています。それはまあ、意味のある言葉として認めるとしても、最近言われ始めた・・・私が知らなかっただけかもしれませんが・・・「マルハラ」はどう考えてもおかしな屁理屈だと思います。文章の中に「。」を使うと、その文が威圧感を持ち、相手の人に不快な思いをさせるというのです。もうかなり前でしたが、「マルハラ」という言葉がこんな議論に盛んに言われるようになる前に、私が言われたことがありました。なんだか結婚式のお祝を送るときの文には、「。」はつけてはいけないのよね、というのでした。私はさっぱり意味が分からなくて黙って話題をそらしたことがあるのです。その時から、「。」は、意味もなく使用禁止の意味合いを持って語られていたのですね。そもそも「。」と「...マルハラ??
マイカレンダー作成の時、写真を使わせていただく伊藤信男さんの最近の写真です。彼は自分を自然写真家と名乗って花や動物を撮るのがお好きです。少しお年を召され、大きなカメラを持って歩くのが苦になってと作品の数は減っているようですが、これと思ういい写真ができた時は、焼いて我が家の郵便受けに入れてくださるのです。花動物専門家と思ったら、近頃、電車が面白くなってと、「撮り鉄」よろしく頑張ってもいらっしゃいます。短いメモが一緒に入っていました。公園の隣に都会には珍しく、かなり広い畑が残っています。そこにわずかですが、菜の花が咲いていて、温かさに恵まれた日(3月15日)ミツバチが蜜をあさっていたのだそうです。桜の花の開花宣言、このところの寒さに遅れるようですが、もう咲くでしょう。桜と一緒に菜の花の花見もなさって下さいませ...菜の花とミツバチ・・・伊藤信男さんの写真
家にいる時は「徹子の部屋」は必ずと言っていいほど見ます。いろいろな人生を歩んだ人が呼ばれて出演します。それぞれが聞く価値のある人生修行者で、教えられます。2・3日前、出演者はピアノ演奏家の清塚信也さんでした。お母様の勧めでピアノを習いだしたようですが、それはそれは厳しい母親であったようです。子供の健康を心配するより「倒れるまで寝るな倒れるまで練習せよ」という母だったとのことです。氏には二人のお子さんがいらっしゃるようですが、二人にはピアノはやらせていない、あれだけ厳しい練習をしなければならないものを、子どもにやれとは言いたくないと。そうなんですよね。一流のプロになる人はみな、こんな思いを乗り越えられた人なんですよね、と思うことでした。歩んだ道で、ありがたい人だった、あの人のおかげでここまで来られたと思う人...僕を導いた言葉・・・清塚信哉
昨日、意味のない、やり取りこそ、という伊藤雄馬さんの言葉を借りてブログを書きました。私も確かにこうした何気ない言葉がお付き合いの雑念を取り払って、ごく温かい仲間を作ると感じました。と同時に、こうした何気ない会話に含まれる温かさを、ある時から「プライバシー」という言葉が壊してしまっているのではないかと思っていることをかいておこうとおもいました。。★子供が初めてのお友だちを連れてきました。「あら、よく来てくれたわね。仲良くしてね」「はい」「お名前は?何丁目に住んでいるの?」「それはプライバシーにふれますから、言いたくありません」4年生の子供の答えですよ。びっくりしてしまいました。これは単なる子供のジョークでしょうか。それとも日頃から家族で決めていることなのでしょうか。ただびっくりしました。★町会を脱退したいと...仲良く・・を壊すもの
『人間は意味のないことをやり取りする時こそ、仲が良くなる』折々のことば・3月15日・伊藤雄馬・言語研究者(タイの少数民族の研究者)「どこいくの?」という挨拶は声を掛け合うこと自体に意味があって、正確な情報を求めているのではない。むしろ返答は「テキト―」な方がいいのであるという。解説者の鷲田清一氏は若い頃、こんな会話をしていたという。「どちらへ」「ちょっとそこまで」「はようおかえりやす」などと。本気で、どこに行くのか、、知ろうとするのではない。自分の行き先をまともに答える必要性は無いと思っている。ただ朝、お互い元気に今日一日を進み始めたことを納得するのでしょう。(おせっちゃん)何年前からのことでしょうか。こんな言葉を聞いてびっくりしたのは。お互いの無事を確かめ合う、軽い挨拶。それによって醸し出されるご近所様...仲が良くなる秘訣
昨日の5月連休かと思われるほどの温かさを感じた身には、寒い!冬に逆戻りと思ってしまう今日の気温です。いえ、気温はさして低くは無いのですが、北からの風がなんとも荒々しく感じられます。「春2番?」。言葉は面白いものですね。春一番はいかにも冬を乗り越えて、まちに待ってた春を迎えた喜びにふさわしい言葉と思うのだけれど、春2番は確かに1に次ぐ言葉だとは思うけれど、少しも美しくもないし、可愛くもないし。やっぱり「1」でなければと思うのです。この季節になると父を思い浮かべます。幼い私とらい太にいい聞かせるのです。「さむうなったり、あつうなったり。冬の神様と春の神様とが綱引きをしちょってんよ。三寒四温ともいうて、春先にはあっちが勝ったりこっちが勝ったり、定まらんからのう。春風邪をひかんようにせんと」。風邪をことさら恐れる...春2番?
もう6年ばかりの月日が経ちましたが、救急車で搬送されたことがありました。脊柱圧迫骨折でした。5週間入院をし、痛みが全く取れていないのに、ここは救急病院で、急患のためにベッドを空けなければならない、退院せよと追い出されてしまったのでした。それからの紆余曲折はすでにあちこちに書きました。今は、公園で出会ったワンちゃんママが紹介してくださった理学療法士の保険外のマッサージに頼っています。その若い療法士さんが、なかなか優秀で、こちらの質問にもよく答えてくださるし、マッサージをしながら得た、私の身体が発する信号を良く読み取り、合った体操を指導してくださるのです。最近の先生のお考えおせっちゃん、ぼくは医者ではないから診断はできませんが、考えていることを話しますね。今までの医者から、狭窄があって、それが神経に障るからと...青竹踏み
昨日は木曜日、週1回のパソコン教室の日でした。もう20年近く通い続けた4名のクラスです。もう何度か書きましたけれど、授業は勿論ですが、合間の質問から始まるあれこれのおしゃべりが無駄なようで、そうではなく、時に授業より老いの道に差し掛かったおばさん(お婆さん?)の宝物になっているのです。昨日は、音楽コンサートのことから始まって、ドラマや、映画、新旧の俳優さんの動向など、話に花が咲きました。切っ掛けになった映画の題名も、俳優さんも、私は知らない方でしたが、こんな言葉が盛り上がりをより強くしました。「○○は、ずいぶん歳をとったけれど、私、今の顔の方が好きだわ」「そう。歳月が磨いたのよね」「確かに、真剣に生きた人は顔のしわ一本にも味があり、深みを感じさせ、人に対する温かみを増し、言うに言われぬ魅力をつけていくのよ...歳月が磨く
『そして、気づいた。指も旨い。』・・・阿部了・・・折々のことば2月3日おにぎりを食べながら、指についたご飯粒を食べる。あの感じだ、と。カメラマンの阿部了はインドに渡った。ある家庭で弁当の御裾分けに預かった。彼らは指で味わう。『箸は使わず手で、指で口に運んでいたのだろう。他人に作ってもらったという思いをありがたく思ったのだろう‥・おせっちゃん)弁当箱を開けた途端、今日はは誰が作ったのかが分かるのだという。それがお昼の楽しみなのだろう。私は、料理が苦手な人間です。料理らしい料理を、母からあまり習っていない。戦後の食糧のない時代に重なるから、ちゃんとしたものは手掛けていないのだと思います。だから思い違えたまま、下手な料理をそのままわが家の食事にしたのだと思います。まずお結び。同様に、「ぎゅっころぎゅっころぎゅっ...指も旨い
皆さん、「むくみ腸」という病名をお聞きになったこと、おありですか。どんな症状の病気かご存じですか私はつい先日、見るともなく見ていたテレビで初めて聞きました。気象の変化が病を引き起こすことがあると、昨年くらいからでしょうか、「気象病」とか「お天気病」とか呼ばれるようになってきていますね。その日のお医者様はこの病気の専門家でいらっしゃるようでした。もう時間切れという時、もう一つ是非話しておきたいと、早口で話されました。「温度差、気圧差が、自律神経を狂わせ、それが原因で体調を崩す方が多いとお話しましたが、それ以外にもむくみ腸と呼ばれる不調があります。夜と昼の温度差が大きいとよく発症すると言われますが、腸の不調を引き起こすのです。水分を腸に近い下腹にため込むのです」と。わたしは、「これだ!!」と思いました。脊柱圧...むくみ腸
おなじみの「折々のことば」(3月2日にあった言葉。)『贈られる物は中身でなく、その箱であるかのようだ』。ロラン・バルト・・・フランスの批評家鷲田清一氏の解説によると日本を訪ねた時、人々の贈答行為、特にその包装に印象を受けたのだと言います。木や紙や紐などからなり、折り目結び目もつけられて包装じつぃが一つの品になっているささやかな中身とは不釣り合いな外装の重ね。中身にふれる楽しみのときをひきのばしつつ、世の秩序を暗に支える。私が思うに、解説の2行は、水引、熨斗、キチンと角々を合わせた美しい包み紙、そしてそれを見事に手際よく一つの美術品の様にしてしまう日本人の繊細さなどに感心したのだと思いました。子供Maが社会人1年生、Kが大学4年生の夏休み、アメリカの女子高校生を10日ばかりホームステイしたことがありました。...中身より箱
冬休みを長く取ったり、我が家のリフォームで休まざるをえなかったり。ブログを休んでいるうちにも、日にちはどんどん「お先に」と行ってしまいました。「折々のことば」も、古くなっています。2月24日に載ったのは、私の苦手な英語の言葉です。解説の言葉が、私の思っていることと同じだと切り抜いたようです。ご紹介します。『Emptyvesselsmakethemostsound』「空の入れ物が一番大きな音を立てる」。「空樽は音が高い」。頭が空っぽの奴ほどがなり立てる。良く知りもしないことを自慢げに話す。思慮ある人は穏やかに語る。話しかける相手への敬意がある。何をどこまで言えるか常に吟味している。ここまで読んで、悲しいかな、NHKの国会中継を思い描いてしまった。声を荒げて、相手の弱点を突きつける。もっと静かに話し合えないも...エイゴンことわざ
Kが中学生の時です。私共は夫の転勤で北九州市小倉に越していました。わが家は単身赴任は考えず、家族が揃って引っ越したのです。運動会が行われました。カメラを持った父兄が、考えもなく、写真を撮りまくる弊害をなくするためでしょうか、写真屋を入れて撮ってもらい、後に掲示して、それを見てほしい写真に代金を添えて頼む方式になっていました。写真申し込みの日を前に、Kも幾枚か希望を出したいようでした。自分の部屋に籠ってごそごそやっていました。しばらくして、しょんぼりと部屋から出てきました。見ると目が潤んでいます。どうしたのかと思っていると「これだけはぜひ欲しいのだけれど、お小遣い足りないの」というのです。はあ?泣くことかいな。あなたは無駄遣いもしないようだし、もともと大した金額をあげてるわけでもないし、どうしてもいるものな...子供の金銭感覚3
昨日に続いて我が家の話を書いてみます。Kが小学3年生の頃だったと思います。お友だちとのお付き合いも広がってきたのでしょうか、「お小遣いが欲しい」といい始めました。PTAで知り合ったママたちと話しでも、そろそろ責任をもって自分で使うお金を持たせてもいいかなと思いました。ママたちの話を聞いてみると、「100円×学年」が目安のようでした。子どもたちと、話し合ってその標準の額を渡すことにしました。あげたからには、これはあなた方の自由になるお金です。でも、無駄遣いはしないように、お父さんが毎日働いてもらってくるお金です。お金を手に入れるということは難しいことなのですよ~」と言い聞かせました。あなたのものですから、お母さんがいうことを守れとは言いませんが、お友だちも大抵の人がこう言い聞かされていると思います。お小遣い...子供の金銭感覚2
びっくりするというより、あきれてしまったというか、表現する言葉を失ってしまいました。中学生が、90万を超える額のお金をやり取りしていたと。時の流れの中で、もはやおとぎ話に属するかもしれませんが、我が家の・・おせっちゃんが子どものころのこと、わが子に私たち夫婦が教えたこと、などを書いてみようと思います。すでにブログで細切れに書いたことはあったかと思いますが。日本の敗戦の昭和20年は国民学校1年生の夏休みでした。今の時代に生きる人たちには想像もできない、貧しい日本の戦後でした。父は軍人でしたから、敗戦の日からは、追放され、職業も奪われ、小さい地主として、コメは小作の人が納めてくれていた生活は、農地改革で取り上げられたのです。8人の子供と父母・10人が食べるものも不自由する状態に激変したのです。というと、まこと...子供の金銭感覚
ウトウトしていた夫が目が覚めたとみえ、テレビをつけた。午後のワイドショウが写った。白熱した(??)嫌に興奮した国会中継か、と思ったら、不倫騒動を週刊誌にすっぱ抜かれた女性議員のお詫び会見らしい。こんな時の御手本のようなありきたりの朗読、そして、涙涙である。くだらない!!ワイドショーもワイドショー、コメンテーターも巻き込んでの自分はこんな愚かなことはしないとばかり、躓いた同じ女性をここぞとばかり批判する。国会の審議はどうなったのだろう。それにしても芸能人の同様の不倫騒動の時も同じ考えに怒りを覚えるのだが、不倫は法的な罪ではない。公共の電波を使って、大事と思われる国会審議もそっちのけに報道する価値があるのだろうか。個人として、行動を誤っていたと思えば、速やかに辞職するべきだし、これを機会に大いに反省して一皮む...国会議員の不倫騒動
先日来,取り掛かっていた我が家のリフォーム、家全体の半分ほどだけれども、不満なところが見事に治りました。小さなことでもご不満なところは遠慮なくおっしゃってください。と親切。カーテンやさんも橋渡ししてくれるようです。先週請求書が届きました。見積もりを取っていますので、大体の費用は分かっていました。昨日やってきたむすこKと私どもと、三者会談、円満に支払いを決めました三人の支払額を取りまとめ、最終的にはKが業者に振り込むという手順も決めました。ごく普通に暮らしている私にとっては、かなり大金です。夫と私分を、纏めてKの口座に振り込むという作業なのですが、やりつけないこと、オタオタ。夫は今は、ほとんど外出もしない、出来ない老人です。お金は当座のものはM銀行にあるようです。私はへそくりを郵便局(というのも可笑しいので...本人でなければ・・・
週末です。何かしゃきっとした文章で締めたいのですが、テーマが尽きてきました。お助けのように日経新聞の広告欄に面白い言葉を見つけました。今日はそれでご勘弁。今日はではないだろう、いつものこと!!とヤジラレそうですげが。広告にとった紙面の一番下に小さく「KADOKAWA」とありますので、本の広告だと思います。下は横書きですが、実物は縦書きです。●生ビ昼●昼ハイ●芋焼昼昼と酒、実は相性が良い。朝ご飯が終わって、そのまま食卓で新聞を読んでいた夫が「生ビ昼」を指して「これ読める?」と訊く。はいはい、あなたには一番大事なものでしょう。読めないなんて・・・。「生ビール」でしょう。「チュウハイ」「イモ焼酎」。ああそうか、上手いこと当てるねえ。こうしたダジャレの言葉遊び、私は慣れています。学生時代のボーイフレンド・今ではじ...ビ昼
うかうかしているうちに今日から3月です。歳とともに、ますます日々の過ぎ去るスピードは速くなるようです。1年の6分の1が過ぎたことですからね。3月の今日、昨年末に作ったマイカレンダーをお見せいたします。お雛様は、もう4半世紀は前のことでしょうが、昨年末亡くなった次兄の妻(義姉)とらい太と三人で長野の小布施に雛祭りを観に行ったことがありました。商人でありながら、お殿様も自宅へ招くほどの力を持った旧家の雛飾りは見事なものでした。飾り付けるのに1週間、片付けるのには3週間はかかるという大きなりっぱな雛飾りでした。写真は禁止でしたから、この享保雛は頂いたパンフレットをスキャンしたものだったと思います。小布施は北斎が晩年住んだこともある街で、作品も楽しく感激しながら楽しんだことでした。楽しんでいただければ幸いです。3月のマイカレンダーお見せいたします
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び