コミカルなキャラがゆるーく会話しながら日本語を勉強していくサイト。 普段何気なく使っている言葉が実は誤用だったり、わかりそうでわからない言葉の由来を調べたり、ゆるく読みながらも言葉の雑学が学べるサイトです。
「堅忍不抜」とは「どんなことがあっても心を動かさず、じっと我慢して堪え忍ぶこと。」という意味の四字熟語である。中国の書家である蘇軾(そしょく)の「鼂錯論(ちょうそろん)」に由来している。
「左団扇」とは「利き手でない左手でゆうゆうとうちわを使うこと。転じて、安楽に暮らすこと。ひだりおうぎ。」という意味の言葉である。利き手ではない左手で団扇をゆっくりあおぐのは、ゆったりとした生活を送っているようにみえるからなど、由来は諸説ある。ハエや蚊や、災いを打ちはらうという役目もあった「打つ翳(は)」が変化し、「団扇」になった。
「流れに掉さす」の本来の意味は「流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。」である。しかし最近は「流れに逆らって勢いを失わせる」「邪魔をする」という意味で使われていることが多いが、誤りである。邪魔をするという意味の「水をさす」という言葉と混同しているからかもしれない。
「天地無用」とは「荷物の梱包の外側に記載して、荷物の上下を逆さまにすると破損する恐れがあるからしてはならないと警告することば。」という意味で使われている言葉である。運送業界で使われていた業界用語が由来であり、もともとは「天地(入れ替え)無用」「天地(逆にすること)無用」という言葉が使われていたが、短縮された言葉である。本来の意味ではない「上下を気にしないでよい」という意味で使う人が3割程いる。
「手塩にかける」とは「みずからいろいろと世話をして大切に育てる。」という意味で使われている言葉である。「手塩」は清めの塩として、膳の不浄を祓うために小皿に盛って添えられた塩を指していた。その後、食膳に添えられた少量の塩を「手塩」と呼ぶようになり、「手塩」を使って料理を自分好みの味付けにしていたことが由来となり、「自ら面倒を見ること」を「手塩にかける」と言うようになった。「手塩をかける」と使われることがあるが、誤用である。
「白羽の矢が立つ」とは、最近では「大勢の中から抜擢されること」「知識や経験が認められて特別に選ばれること」というような良いときに使われることが多い。しかし本来は「多くの中から犠牲者として選び出される。また、一般に多くの中から特に選び出される。」という悪い意味で選ばれるときに使われていた。人身御供(ひとみごくう)を求める神様が、その望む少女の家の屋根にしるしとして白羽の矢を立てるという俗説が由来だといわれている。
「舌鼓を打つ」とは「 あまりのおいしさに舌を鳴らす。舌鼓を鳴らす。」「不満げに舌打ちをする。」という意味があるが、前者の意味でよく使われている。 本来の読みは「したつづみ」だが間違えて「したづつみ」と読む人が多いことから認められ、誤りではないとされた。
「皮肉」とは主に「遠まわしに意地悪く相手を非難すること。」「期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。」という意味で使われている言葉である。「皮肉」は「達磨大師」が弟子たちに伝えた言葉である「皮肉骨髄」という仏教語に由来している。皮と肉は「表面的な理解」を意味し、骨と髄は「本質的な理解」を意味している。「我が皮を得たり」は褒めていると見せかけて「まだまだ修行が足りませんね」と遠回しに非難していることから「皮肉」という言葉だけが残り、遠回しに欠点を指摘するような意味合いとして使用されるようになった。
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