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創作BL小説を掲載しています。(大学生、社会人、高校生、ノンケ、日常、切ない、甘々、一部R18含む) できたものから少しずつアップしていきたいと思います。

立石 雫
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2021/03/31

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  • 2(39)

    第9章 12月-決意 しんとする寒さの中、高志は来た道を戻った。無意識のうちに顔が歪む。 アルコールで火照った頬に、冬の夜風が冷たかった。高志はただ少しでも遠くに行くことだけを考えて、足早に歩き続けた。駅前通りに出ると、駅には向かわずに反対側に折れた。このまま線路沿いをずっと歩いて行けば、そのうち自宅に着く。それまでただ頭を空っぽにして歩き続けたかった。全てがどうでもいいと思えるまで。 上着のポケットに入れたスマホが震える。案の定、茂からの着信だった。取らずにいると

  • 2(38)

    大学院の学費もその間の生活費も、長い目で見れば先行投資だろう。茂なら将来的に独立しても多分成功するだろうし、そうなればその分は充分回収できる。だから、理屈では時間的なメリットの方を選ぶ方がいいと思う。しかし、現実的な問題も無視する訳にはいかない。「その辺、今の事務所は協力してくれたりするのか」「分からないけど……二年後にまた戻ってくるって約束したら、その間にバイトくらいはさせてくれるかも」 経営者が恋人なのだから、何か融通が利いたりしないのか、と一瞬思う。しかし口に出すの

  • 2(37)

    運ばれてきた料理を取り分け、食べる。咀嚼している間にしばし流れた沈黙の後、茂が口を開いた。「……大学院に行けばどうかって言われててさ」「大学院?」「うん」 料理に視線を落としたまま、茂が話し出す。「大学院に行って修士論文を書いたら、試験のうち二科目が免除になるっていう制度があって、それを狙うのもいいんじゃないかって」「へえ。そんな制度もあるんだな。そっちの方が楽ってこと?」「うん、まあ楽っていうか、試験はやっぱり運とかもあるし、一年に一回だけの勝負になるだろ。それを五科目

  • 2(36)

    「……何?」 ジョッキを傾けてごくりと一口飲むと、面白そうな顔をした茂と目が合ったので、高志は思わず尋ねた。「いや、何かサラリーマンみたいだなと思ってさ。スーツ着て仕事終わりにビールって」「みたいじゃなくてそうだろ」「でも、頭ん中ってまだ自分ではガキのつもりだったりしない?」「え? そうかな」「お前はそんなことないのか。俺は自分があんまり大人になった気がしないから、目の前でそうやってスーツのお前見てると、何か感慨深いよ」「親かよ」「だって一年前ならさ、同じことやってても大学

  • 2(35)

    待ち合わせ場所は前回と同じだった。早めに仕事を終わらせて会社を出た高志は、少し早く到着し、ひとまず壁際にスペースを見付けて、壁にもたれた。 週末の繁華街は混雑していて、周りには高志の他にも誰かを待っているらしき男女がたくさんいた。待ち人が来ると楽しそうに声を上げている。集団で歓談している若者もあちこちにいる。そこら中が喧噪に満ちていた。高志はスマホを取り出して適当に暇をつぶすことにした。「――藤代」 しばらく待っていると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。 顔を上げると、

  • 2(34)

    第8章 12月 翌週の月曜日、外で夕食を済ませた高志は、帰宅して着替えると再び外出した。徒歩数分の距離にあるジムへと向かう。近いため、ジムの更衣室やシャワールームは使用せず、いつも家からトレーニング用のウェアを着て行き、終わったらそのまま帰宅して家でシャワーを浴びることにしていた。 この時間はいつも、仕事帰りと思われる男女で比較的混んでいる。今日も、専用のキーでドアを開けて中に入ると、そこそこの数の会員が思い思いに汗を流していた。トレッドミルなどでカロリーを消費して

  • 2(33)

    こうやって週末に希美と一緒に過ごす時間を、高志は結構気に入っていた。普段一人で部屋で過ごすのもそれなりに快適だったし、特に淋しいとも思わなかったが、希美が来ると何でもない時間が楽しかった。 そうやって過ごしながら、高志は、あの後に茂と連絡を取っていないことを意識しないようにしていた。あれ以来、茂から連絡はなかった。きっと仕事と勉強で忙しいのだろう。そして高志からももう何も送らなかった。もし茂が単なる友達であれば、連絡がないことすら意識しないか、あるいは何も遠慮せずに連絡し

  • 2(32)

    高志の部屋に着く頃には、希美はいつもの様子に戻っていた。「高志くん、先に着替えていいよ」 希美はそう言いながら鞄を置いてジャケットを脱ぐと、早速キッチンのシンク前に立つ。慣れた手つきで包丁を取り出し、まな板を水で濡らす。 高志はクローゼットを開けてスーツを脱ぎ、部屋着に着替えた。それからキッチンに行き、希美の隣に並んで立つ。と、包丁を手にして下を見たままの希美が、「違うから」と言った。「え?」 手を洗いながら何気なく希美を見ると、泣いている。少しだけぎくっとしたが、すぐに

  • 2(31)

    第7章 11月 繋いだ手が温かい、と思ったちょうどその時、希美が「ちょっと寒いね」と言った。「あっという間に冬だね」 金曜日の仕事終わり、会社近くで落ち合って高志の部屋に向かう道中、最寄り駅を降りたところで、いつものように希美が手を繋いできた。11月初旬、もう朝晩の気温はかなり下がってきていて、今日は特に冷え込んでいる。「そうだな」「そろそろ、お鍋とかもいいよねー」「いいな。また近いうちやるか」「何鍋が好き?」「すき焼きかな」 話しながらいつものスーパーに向かう。惣

  • 2(30)

    それからしばらく、週末はまた毎週のように希美と一緒に過ごした。金曜日の仕事帰りに落ち合い、大抵は土曜日の夜まで高志の部屋で二人で過ごす。外食する回数が減り、部屋で食べることが増えた。 あの旅行以来、茂とは連絡を取っていなかった。 しばらく距離を置けば、そのうちに茂への感情が薄れていくかもしれない。そう思いながら数週間を過ごしてみたが、実際には、高志の頭の中には常に茂の存在があった。考えてみれば、自分は過去にも半年以上の期間を待っていたのだ。あの時の精神状態と今は少し似てい

  • 2(29)

    「これ、お土産」「わ、ありがとう」 次の日、仕事終わりに落ち合った希美に、高志は買ってきた讃岐うどんを手渡した。何度か行ったことのある会社近くの洋食レストランで、一緒に夕食を取って帰ることにする。「……それさ、うどんなんだけど」「あ、うん、ありがと。うどんツアーだったんだよね」 希美はいつものように明るい表情で頷く。「うん。……いや、何かうちの妹がうどんに文句言ってたから」「ええ? そうなんだ。私は嬉しいけど、讃岐うどん」 ちょうどその時、店員がオーダーを取りに来たので、そ

  • 2(28)

    ふと目を覚ますと、停止した車の中だった。 知らない間に眠ってしまっていたらしい。外はもう真っ暗で、隣の運転席に茂の姿はなかった。空調を維持するため、エンジンはかかったままになっている。 エンジンを切ってから外に出ると、そこはサービスエリアだった。見たことのある光景から、おそらく淡路SAだろうと思われた。ちょうど目の前にトイレの入口がある。探すまでもなく、その横のベンチに座ってスマホを触っている茂がいた。近付く高志の足音に気付いて、顔を上げる。 そして、見慣れたきれいな笑顔

  • 2(27)

    次の日の朝食の場で、高志の顔色を見た茂が、体調を訪ねてきた。高志は「あんまり眠れなかった」と答えた。「夜中に目が覚めて、そしたらそっから何でか眠れなくなってさ」「ああ。それで朝風呂も行ったんだ?」 本当は一睡もできなかった。眠れないまま、布団の中でスマホから宿の入浴可能時間を確認した高志は、時間になるとそっと部屋を出て大浴場へ行った。 茂が目を覚ました時、高志は既に風呂から帰ってきた後だった。座椅子に座って自販機で買った缶コーヒーを飲んでいたが、高志の肩にタオルが掛かって

  • 2(26)

    暗闇の中で天井をひたすら見上げているのに飽きた高志は、少しだけ寝返りをうって茂の方を見た。茂はもう寝ているようだった。顔は見えない。かすかに肩の辺りが上下しているのが薄明りの中で見える。 消灯してから、多分もう一時間以上経っただろう。眠気は全く訪れなかった。――いつからだ。 混乱と衝撃の余韻が残っている頭の中で、高志は考え続けた。 再会した直後から、ずっと茂の顔を見る度に何か違和感を覚えていた。自分で気付いていなかっただけで、もうその頃からそうだったのか。 それとも、もっ

  • 2(25)

    第6章 9月-自覚「――お前が、いつも俺のこと変に持ち上げて人に話すからさ」 茂に不信感を与えないように、それだけを考えて、高志は口先だけで言葉を繋いだ。「いざ見せても、がっかりさせるだけだろ」「そんなことないよ。ほんとにイケメンじゃん」 茂がスマホの画像をあらためて見ながらそう言う。今の高志になら分かる。きっと彼女は、結局のところ茂の見事な笑顔にしか目が行かないだろう。 自分の気持ちを自覚した高志の頭の中には今、絶望にも似た衝撃と、諦めと、混乱があった。明らかにお

  • 2(24)

    「あ、そうだ」 唐突に茂が声を上げたので、高志は飲もうとしていたチューハイの缶を持つ手を止めた。「ん?」「な、写真撮ろう、二人で」 茂が楽しげにそう言うと、スマホを手に取って高志の近くに寄ってくる。「え、ああ」 座ったままの高志のすぐ横に並んだ茂は、スマホをフロントカメラに切り替えると、腕を伸ばして構える。写真があまり得意ではない高志は、それでも何とか笑顔らしきものを作った。角度を調整した茂がカメラボタンを押し、自動でフラッシュが光る。「あれ。フラッシュない方がいいかも。も

  • 2(23)

    「あ、布団敷いてくれてる」 大浴場を出た後、大広間での夕食を終えて部屋に戻ると、中央にあった座卓が隅に寄せられ、布団が二組敷かれていた。茂がぼすんと布団の上に俯せに寝転がる。「駄目、腹一杯。疲れた」「そのまま寝るなよ」 高志が座卓のそばに腰を下ろしながらそう言うと、俯せのまま腕の上に顔を載せた茂が、高志の方を向いて柔らかく笑った。その顔に、またふとした違和感を覚える。夕食の際に一本だけ飲んだ瓶ビールで少し酔っているように見える。「――大丈夫」 茂はそう言うと、やがて仰向けに

  • 2(22)

    「藤代」 チェックインを終えた茂に呼ばれ、ぶらぶらとエントランス横の小さな土産物コーナーを見ていた高志は振り向いた。「銀杏の間だって」 部屋の鍵を持った茂に続いて廊下を進む。部屋は二階なので階段を昇り、『銀杏』と書かれた部屋に入った。「飯は19時な。下の大広間で」「あ、この部屋で食うんじゃないのか」「そういうのは一泊何万円もするような宿の話だろ」 それもそうか、と高志は頷く。まあ、食事の場所がどこであろうが別に構わない。 買った飲み物を冷蔵庫に入れ、いったん座卓の前に座った

  • 2(21)

    良かった。運転していれば、茂の方を見ないで済む。 そんなことを考えながら、高志は再び運転席に座り、殊更に前を見ていた。 普通に考えれば茂だってさすがに四六時中笑っている訳ではないし、大学の時にはいちいちそんなことを気にしたこともなかった。さっきだって、茂はおそらく何の意図もなくただ素の表情に戻っただけだろう。それなのに、高志は自分でも驚くほど動揺した。結局、自分は再会後の茂の友情をまだ信頼しきれていないのだ、と自覚する。 遅い昼食を食べ終わった後、道の駅で少しだけショップ

  • 2(20)

    その後、下道に降りて、海岸沿いの道を南に向かって走った。天気が良かったので、途中で適当に車を停めて、砂浜で少し遊んだりもした。 何も決めていない気ままな旅は、大人になった今では逆に新鮮に思えて何だか楽しい。高志だけでなく、茂も楽しんでいるように見えた。淡路島には何度も来ている高志にとっては、その風景よりも、風景の中にいる茂の存在の方が物珍しく貴重なもののように思えた。 結局、道の駅に着いたのはお昼をかなり過ぎていたが、それでも名物のあわじ島バーガーを販売しているレストラン

  • 2(19)

    「あ、いた」 高志が再び展望台に戻ると、高志の姿を探していたらしい茂と目が合った。高志は手にしていたプラカップを差し出す。「ごめん。コーヒー買ってた」「え? あ、サンキュ」展望台のすぐ横には、大学の購買棟に入っていたのと同じ系列のコーヒー店があった。高志が差し出したコーヒーは、ゼミ終わりにいつも二人でそのカフェに行っていた時によく茂が頼んでいたものだった。「どこ行ったかと思ってた」「悪い。買ってすぐ戻ってくるつもりだったんだけど、混んでて思ったより時間かかった」「いや、全然

  • 2(18)

    「なあ、橋が見えてきた」 窓の外を見ていた茂が声を上げる。「あ、そっちから見える?」「うん。見える」 運転しながら高志は答えた。左側はすぐ近くがもう海で、前方に明石大橋が見える。「休みだからもっと混んでるかと思ったけど、そうでもなかったな」「だな。ここまでは結構スムーズだったな」 そのまましばらく進んでいくと、内陸側に入り込んだのか、視界が遮られて橋が見えなくなった。やがて何車線もある広いトンネルに入る。それを通り抜けて再び外に出ると、そこはもう橋の上だった。視界が一気に明

  • 2(17)

    そのまま運転席に乗り込み、ゆっくりと車を外に出して、いったん路肩に停める。「乗って」と茂に声を掛けながら、門扉を閉めるために再び降りようとすると、玄関から妹が出てきた。ちょうど出掛けるところらしく、高志が行く前に門扉を閉めてくれる。それからこちらに近付いてきて、「ねえ、駅で降ろして」と言うと、高志が答える前にさっさと後部座席に乗り込んだ。高志も運転席に乗り込み、助手席の茂に声を掛ける。「悪い、先に妹を駅まで送る」「全然いいよ」 茂は笑いながらそう言うと、後ろを振り返って「

  • 2(16)

    第5章 9月-旅行 旅行前日の金曜日に実家に帰ってそのまま泊った高志は、土曜日の朝、最寄り駅まで茂を迎えに行った。 快晴で、午前中からもうかなり暑い。約束の時間の少し前に着き、しばらく待っていると、茂が改札の中から姿を現した。すぐに高志を見付け、足早に近付いてくる。「藤代」「細谷、お疲れ」 軽く挨拶を交わしてから、駅を出て高志の実家に向かう。茂は鞄の他に紙袋を手に提げている。「十分くらい歩くけど」「おう」 先週の金曜日に茂と旅行の計画を立てた後、高志は父親に連絡して

  • 2(15)

    翌日の土曜日は、約束どおり希美と会った。今日は高志の部屋に泊まる予定もないため、お昼過ぎに駅で待ち合わせ、そのまま街をぶらつくことにする。どこか行きたいところがあるか聞くと、希美は商業ビルの高層階にある有名な展望台に行ってみたいと言った。この辺りではメジャーな観光スポットとなっているが、地元出身の希美はまだ行ったことがないらしかった。「高志くんは行ったことある?」 駅から十数分の道のりを歩きながら、希美が手を繋いでくる。「何年か前に一回行ったかな」「それって、も」 言いか

  • 2(14)

    「――お前とさ」 意識する前に勝手に口から出てしまった高志の言葉に、茂が振り向く。まともに目が合い、高志は少しして目を逸らした。「……旅行でも行けたらいいけど、当分は難しいよな」 口に出して、自分が思ったよりもあの約束を楽しみにしていたのだということを、高志は遅れて自覚した。結局行けないままだった卒業旅行。計画がなくなった直後に茂との関係そのものが切れてしまったせいで、今までそこを意識したことがなかった。「あん時は結局行けなかったもんな」 茂が少し申し訳なさそうにそう言った

  • 2(13)

    「うわ。まじで何もないな」 開口一番、茂が感心したようにそう言う。高志は買ってきた飲み物をローテーブルの上に置き、そのまま座った。床にはこの前購入したクッションが置かれている。金曜日の今日、落ち合った後に適当な店で夕食を済ませてから、茂は約束どおり高志の部屋に来た。「だからそう言っただろ」「めちゃめちゃきれいだな」 茂は部屋を見渡している。「物がないから、散らかりようがないんだよ」「だよなあ。俺ん家、ワンルームだから悲惨でさ」「ワンルームのせいにすんなって」 高志が笑いなが

  • 2(12)

    「昨日はどうだった? 上手くいった?」 次の日、外で待ち合わせた希美にそう聞かれ、高志は頷いた。 並んで歩きながら、二人は近くのショッピングモールへと向かっていた。そこにはワンフロアを占めるインテリア雑貨専門店があった。ソファも何もない高志の部屋に来ると、いつも希美は直接床の上に座る。それが前から気になっていた高志は、何か下に敷いて座れるものを買うことにした。そしてどうせなら希美に選んでもらおうと思い、今日の機会に誘ってみたところ、希美は上機嫌で了承した。「ああ。大学の時み

  • 2(11)

    それからは、コースの料理を順に食べながら色々なことを話し続けた。話しながら高志は茂の様子を気に掛けていたが、茂におかしな様子は見当たらず、普通に高志との会話を楽しんでいるようだった。高志がいきなり電話したことも、この再会についても、どう思っているのか分からない。茂からその部分に触れてくることもなかった。 ただ、このまま終わる前に、一つだけ確認しておかなければならないことがあった。デザートを食べ終えた時、高志は意を決して切り出した。「細谷」「ん?」 茂が気安げにこちらに目を

  • 2(10)

    テーブルに置いていた茂のスマホが震える。手に取った茂はそのままディスプレイを確認すると、少し笑って、高志に掲げてみせた。「お前によろしくって」「え?」「正確には『イケメンくんによろしく』ってさ。今日お前に会うって話したから」「誰に?」「諒子さん。今付き合ってる人」 さらっとそう言った茂に、高志は一瞬だけ反応が遅れた。何か言葉にできないものを感じながら、努めて何気ないふりを装った。「へえ。年上?」「そう。七歳上かな? 先月誕生日でさ、ついに三十歳になったって何かすごいへこん

  • 2(9)

    「そう言えば、藤代って矢野さんと仲良かったっけ?」 運ばれてきた前菜を口に運びながら、茂が聞いてくる。「俺の番号、矢野さんから聞いたんだろ」「ああ。いや、何か……」 少しややこしい経緯をどう説明しようかと考えているうちに、むしろ元凶は茂だったことを思い出す。「ていうか、もともとはお前のせいだろ」「え、俺?」「お前が矢野さんに、変なこと言ったからだよ」「変なことって?」「だから……」 少しだけ声を潜めて、あかりからの依頼の話をすると、茂は笑い出した。「俺、そんなこと言ったかな

  • 2(8)

    第4章 8月-再会 茂が指定した場所に少し早めに行くと、茂は既にそこに立っていた。スラックスにネクタイというビジネススタイルで、スマホを触りながら壁にもたれて高志を待っている。少し離れた位置から茂を見付けた時、高志は一瞬立ち止まった。歩調を緩めながら茂に歩み寄ると、顔を上げた茂が高志に気付く。「藤代。久し振り」 八か月ぶりに会った茂を、高志は思わず凝視する。昔と同じように高志に笑い掛ける茂のその笑顔は、懐かしいようでいて、高志にはどこか何かが違って見えた。「……久し

  • 2(7)

    週の明けた月曜日、高志は仕事終わりに希美を呼び出した。どこかでお茶でもと思っていたが、結局食事に行くことにする。ちょうど金曜日の埋め合わせにもなった。 二週連続で金曜日の夜に会えないことを希美に伝える時に、高志はかいつまんで事情を話した。大学時代に行き違いがあって今まで音信不通になっていた友達と、先週ついに連絡が取れたこと。今週食事に行くことになったこと。 それらを話すと、希美は、「それで、先週も早く帰ったんだ? でも上手く仲直りできて良かったね」と言って笑った。その表情

  • 2(6)

    「細谷。お前、今どこにいんの」『今? 家にいるけど』「どこの?」 高志の質問の意味が分かったらしい茂が、少し笑った気配と共に答える。『O市内だよ』 それは、高志がいるのと同じ市だった。『お前は?』「……俺も」『はは。そうなんだ』 何度も聞いた茂の笑い声。電話を通して聞こえてくるその声は、少しだけ音がこもっていて、何故か懐かしさをいっそう引き立てた。「細谷――」『お前、何でこの番号知ってんの?』 高志が話そうとした時、茂の声が被る。口調は変わらないままのその茂の問い掛けの内容

  • 2(5)

    第3章 8月-電話 決行の日は、夏休み明け最初の金曜日にした。 その日、高志は喉をせり上がってくる緊張感を抑え、努めて毎日のルーティンのとおりに動いた。 希美には、今日は一緒に食事には行けないことをあらかじめ伝えていた。終業後、一人で会社を後にすると、電車で帰宅する。外食する気になれず、部屋に帰る前に少し離れた場所にあるスーパーに寄る。まだ料理と呼べるものを作ることはできないが、肉の焼き方だけは母親に教えられていた。鶏肉と適当なサラダ、それからアルコールを購入する。

  • 2(4)

    高志の住む部屋は、M駅から徒歩三分ほどの距離にある築浅の単身者向けマンションの八階だった。配属先が本社だったため、実家からも通えないことはなかったが、会社から補助が出ることもあって、高志は就職と同時に家を出て独り暮らしを始めていた。 途中のコンビニで買い物をしてからマンションに入る。オートロックを解除して、エレベーターで部屋に向かう。「駅から近いね」「うん」 鍵を開けると、ドアを押さえて希美を先に通した。後から入って電気を点けると、希美が声を上げる。「すごい、きれい! 広

  • 2(3)

    第2章 7月「社会人になると、夏休みってびっくりするほど短いよねー」 7月上旬の金曜日。レストランを出た後、日が落ちてもまだ蒸し暑い外気の中を歩きながら、希美がそう言って大袈裟に首を振った。「大学の頃は二か月もあったしな」「働き始めると、いきなりたった一週間ちょっとだもんね。高志くんは夏休みってどうするの?」「お盆辺りに実家に帰って、更に田舎に帰ると思う」 そう答えながら、希美の視線に気付いた高志は、「空いてる日、どっか行く?」と聞いてみた。希美がぱっと笑顔になり、

  • 2(2)

    飲み会が終了し、暖簾をくぐって高志が店の外に出ると、希美と槙が既にそこにいた。高志に気付き、槙が声を掛けてくる。「お疲れ様。藤代くん、二次会は?」「いや、今日はやめとくよ」「そっか」 高志に続いて三浦も出てくる。「三浦くん、二次会行く?」と槙がそちらに声を掛けに行ってしまうと、希美だけが高志の隣に残った。「藤代くん、やっぱり背が高いね」 そう言って笑う希美も、話していたとおりの長身だった。高志の知っている他の女子に比べると、その顔の位置が近い。「私、女のくせにでかいから、

  • 続・偽りとためらい

    第1章 6月 食事を終えた後、レストランを後にして移動した高層階のそのバーからは、窓の外に広がる一面の夜景が見えた。窓際に席を取り、向かい合ってドリンクを飲む希美の顔には、アルコールのせいではない赤みがさしている。 食事の時と違い、二人ともあまり言葉を交わさないまま座っていたが、それすら居心地の良さに変えてしまう雰囲気がこの店にはあった。その沈黙を破って、希美が小さな声で名を呼んでくる。夜景を見ていた視線をそちらに向けると、希美はこちらを見ずに俯いていた。「……今、

  • (98)

    つらつらと考えていると、あかりから声を掛けられる。「藤代くん」「ん?」「……さっきの話、半年後くらいでもいいですか」「どの話?」「連絡先の話です」 あかりが顔を上げる。普段の表情に戻っている。今からのことを考えて動揺しているのかとばかり思っていたら、全く別の、茂と自分のことを考えていたと知り、高志はあかりの顔を見つめる。「もっと早く、多分年度内に細谷くんは連絡をくれると思いますけど。半年後なら、お二人の気持ちも落ち着いて、新しい生活にも慣れている頃だと思うので」「……待っ

  • (97)

    「藤代くん。私、今からちょっと非道なことを言います、すみません」「非道?」 少し沈黙が続いた後、意を決したように硬い声で話し出したあかりに、高志は怪訝な声で問い返した。あかりがおかしなことを言うのにはもう耐性がついている。「もし、今日最初にお願いした件を引き受けてもらえるのでしたら、代わりに細谷くんの新しい連絡先を教えます」「――え?」 思わずあかりを凝視する。その真剣な顔は、冗談や嘘を言っている表情ではなかった。「……知ってるの」「今はまだ知りませんが、そのうち分かると思

  • (96)

    ふと、自分のものではない嗚咽が聞こえてきた気がして、高志は顔を上げた。目の前では、あかりが眉根を寄せながら涙を浮かべて、ハンカチを握りしめていた。「……何で矢野さんが泣いてんの」 高志が問い掛けると、あかりは強く首を振って、ハンカチで目を覆う。「ごめんなさい」 涙声でそう言った後、高志より激しく泣き出したあかりを見て、高志はしばらく呆気にとられたままその姿を見つめていた。自然と涙が止まり、少しだけ冷静さを取り戻す。「……大丈夫?」 思わずそう聞いてしまう。あかりは何度か頷

  • (95)

    第27章 現在――藤代、ごめん。――ごめんな。 あの夜、最後に茂が何度も謝っていたのを、その時はキスのことだと思っていた。 本当は高志を切り捨てることを意味していたのだと、今なら分かる。今自分が辛いのと同じくらい、きっと茂も辛かったのだろう。そう思って、あの日から何度も自分を納得させようとしていた。「――藤代くん」 あかりの声が聞こえる。意識が現実に引き戻され、片手で顔を覆ったまま、高志はゆっくりと目を開けた。「多分、藤代くんは誤解していると思うんです」 俯く高志に

  • (94)

    それから数日、高志は喪失感を抱えたまま生活した。卒論を進めていると、どうしても茂のことを思い出してしまう。今までだって長期休暇で二か月くらい会わずにいたことも何度もあったのに、その時とは何もかもが違っていた。 その週のゼミでは、教授から、茂が既に卒業論文を提出済みであることと、これ以降はゼミに参加しないことが発表された。その提出の早さにゼミ生達がどよめいていたが、その中で数人が自分に視線を向けるのを、高志は努めて無視した。 その夜、高志は茂にラインを送ってみることにした。

  • (93)

    その後、二人ともほとんど何も話さないまま、少しずつグラスを口に運んだ。 いよいよグラスも空になった頃に、そろそろ店を出ようと切り出すことができたのは茂の方だった。高志はまだ終わりたくなかったが、このままここにいても沈黙が続くだけなのも分かっていたので、結局席を立った。 会計は茂が持った。高志は合格祝いに自分が払うと言ったが、茂はどうしても高志に払わせようとしなかった。「……じゃあ、次に会えるのは卒業式か」 店を出たところで高志がそう言うと、茂は曖昧に笑って頷いた。「……か

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