若年性アルツハイマーの50代の父の介護と自閉症の息子(幼稚園生)のダブルケアをしています。日常生活で気づいたことなどを綴ります。
親子教室は、何も参加できないまま帰りの時間になった。 ママ友ができるかもと期待して来たけど、誰とも話す事なく終わった。 ただただ、より一層英太が他の子よりもパニックが酷いことを改めて認識するだけだった。 保健師さんは、英太をなだめるのを手伝ってくれたり、帰り際に色々と優しい言葉をかけてくれたけど、私はいっぱいいっぱいで何も聞こえない状態だった。 エレベーターに乗って鏡を見ると、ボロボロになった自分が映っていた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofami…
楽しみにしていた親子教室。 友達できるかもしれないとワクワクしていた。 なのに、現実は、、、 英太は泣いてパニックを起こし、 親子教室の間ずっと泣いていた。 私と英太は二人だけ別室での対応となったが、 別室でも英太は泣き続けた。 私は親子教室が楽しみで、おしゃれしていこうと、お気に入りのシュシュを付けていった。 お気に入りだったシュシュは、英太に壊されてしまった。 こうなるって心のどこかでわかってたはずなのに、 おしゃれなんてして、浮かれてバカみたい。 虚しい。 悲しい。 ここでも、独りぼっちなんだ。 言葉では言い表せない感情が込み上げてきた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほ…
英太は親子教室の間ずっと泣きっぱなしだった。 愚図ったり泣いている子はいなかった。 発達が遅れている子向けの教室のはずなのに、 みんな言うことを聞いて椅子に座っていた。 もしかして英太は自分が思っているよりもずっと発達が遅れているのではないか。 大きな不安が襲ってきた。 英太一向に泣き止まないことから、発達教室の先生の配慮で 私と英太の二人だけ別室での対応となった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net …
半年待った市が開催する親子教室。 初めての療育。 親子教室では、リトミック、ダンス、手遊びなど様々な療育が行われていた。 みんなが楽しそうにダンスする最中、英太は泣き続けた。 せっかくの療育。 半年も待った療育。 英太は何一つ参加する事が出来なかった。 次回に続く ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室の翌日は英太の2歳の誕生日だった。 市が月に一回発達が遅れている子のために開いている親子教室。 半年間も待った。 やっと、やっと親子教室の日が来た。 初めての療育。 初めて、同じ境遇の人に会える。 英太と同じような子供に会える。 親子教室で、もしかしたら同じ境遇の友達が出来るかも知れない。 友達まではいかなくても、気持ちを共有できるんだと期待に胸が膨らんだ。 私は気持ちが浮き足立って、お気に入りのシュシュを付けていった。 家族以外との交流を経ってしまった分、 誰かと話ができる事自体が嬉しい事であった。 まさかこの日の出来事がきっかけで自分が病気になるなど夢にも思わなかった。 ↓ポチッと…
児童発達支援の見学の予約はすぐにできて、 市役所で受給者証が発行できればすぐに利用できるとのことであった。 自治体の療育園は半年以上待っていても、満員で入れない状況だった。 本当に偶然だけど、知れて良かった。 一歳半から利用できる施設もある。 こういった施設もあると知っていれば、 一歳半から半年間、 あんなにも孤独で辛い思いをしなくて済んだのではないかと思ってしまった。 一人でやみくもに、手探り状態のまま発達障害の息子と接するのと、 専門家にアドバイスをもらったり、指導してもらいながら育児をするのとでは、 大きな違いがある。 田舎だから、都会だからなど関係なく、必要な情報が、必要な人に届いて…
児童発達支援というものがあるのを偶発的にインターネットで知り、 すぐに問い合わせをしてみた。 隣の市でも通うこともできるし、 送迎もしてもらえるとのことだった。 市役所で「受給者証」を発行してもらえれば 療育に通えるんだ。 全く知らなかった。 「受給者証」というものがあることも、初めて知った。 自治体の療育施設が満員でいつ入れるか分からないと断られてから半年もの間、 療育に通いたいと思っていても 情報が全く無いため 児童発達支援の事業所に問い合わせすらできない状況であった。 ※児童発達支援の利用の流れ等は、あくまで息子の通う施設の話なので、 各事業所のホームページ等をご覧いただければと思いま…
児童発達支援事業所の存在を私は全く知らなかった。 このように、私はのどかな町に住んでおり、市内に児童発達支援の施設は無い。 そのせいか、情報が全く入ってこなかった。 一歳半の時点で、もしくはもっと早くこの情報を知りたかった。 ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 この件に関しては、以前のブログで掲載しております momofamily.net 前回のお話 momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
私は独りじゃなかった。 忘れっぽくなった父を私がフォローするのと同様に 父も私を支えてくれていた。 (孤独な子育て 完) 次回に続く ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net 一歳半検診の様子 momofamily.net
家族に八つ当たりをしてしまった。 だけど、誰も英太が発達障害だとは思っていなかった。 私一人だけが気付いている状況。 英太が発達障害の可能性が高い根拠を言っても、 年齢も低いし、発達障害のチェック項目全てに当てはまるわけではなかったので、 誰かに理解してもらうのは、難しい状況だった。 自分一人だけが英太の発達障害に気付いている状況で、 「誰にも分かってもらえない」と精神的にも孤立してしまった。 友達も避けてしまい、私はどんどん孤立していった。 主人や母は、後になって 「あの時、ももが早く気付いてくれて良かった」と言ってくれた。 今となっては、 「もー誰も気付かないから、本当辛かったんだからね…
同じ境遇の人を探しても、そう簡単には見つからなかった。 同じ境遇の人と話をしたい。 辛さや大変さを分かち合いたい。 どこにいけば、そんな人と会えるのだろうか。 英太と二人だけ。 二人でずーっと水溜りを眺めたり 石並べを何時間もしたり 英太とどうやって関わったらいいか分からなかった。 「一緒にやろう」 「公園で遊ぼう」 何と声を掛けても無反応。 一緒に石並べで遊ぼうとしても 英太が並べている石を触ったり、少しでもズレると癇癪を起こす。 一緒に遊ぶのも難しい。 隣の公園からは 「ままー、こっちー」 「あはは」 楽しそうな親子の声が聞こえてきた。 私だって、本当は英太と一緒に遊びたい。 孤独感が襲…
息子に「障がい」があるかもしれない。 その言葉に囚われて 私の心は壊れていった。 というよりも、醜く腐っていった。 人の優しさを受け入れられなかった。 「なぜあの子は定型児なのに、英太なのだろう」 人を羨んだり、妬んだり、拒絶したり、心がどんどん荒んでいった。 私は、昔から祖母に 「ももちゃんは優しい子だね。」 「ばあちゃんは、ももちゃんが優しい子に育ってくれて嬉しいよ」と よく言ってもらっていた。 でも、私は祖母が思っているような優しい人間ではなかった。 自分の中に、醜い感情が芽生える度に、祖母の言葉が思い浮かんで 苦しかった。 (次回に続く) こんな暗い内容ですみませんm(_ _)m ポ…
友達だけでなく、知らない人と会話するのも疲れるようになってしまった。 何気ない日常会話さえも、ほとんどが「普通の人」用の会話に聞こえた。 「幼稚園はどこ希望なんですか?」とか 「2歳になったら、うるさいくらいしゃべるよ」とか 発達障害の可能性が高い息子とは、そもそも価値観が異なるのだ。 幼稚園さえ入れるか分からない。 小学校だってどうなるの。 いつか話せるようになるのだろうか。 周りの人から見たら、英太は「普通の子供」に見える。 普通の会話をするのも疲れる。 だって、もう英太は普通というカテゴリーではなくなってしまったから。 話を合わせるのも疲れてしまった。 それなら誰とも会わなければいい。…
英太が赤ちゃんの頃、毎日のように子育てサロンに通っていたので、たくさんママ友ができた。 みんなで一緒に公園に行ったりもした。 だけど、英太はもうみんなとは違う。 みんなが想像している子供とは違うんだ。 子育てサロンに行った時、 英太がパニックになってて、私が焦ってたら ママ友が 「ちょっとくらい泣いても大丈夫だよー」 とか 「うちもすぐ泣くから一緒だよ」と 優しい言葉をかけてくれた。 でもね、英太はみんなと違って切り替えが出来ない。 何時間も泣き続けるの。 疲れて寝るまで泣き続けるの。 言葉が伝わらないの。 みんなの子は、泣いてもあやせば泣き止むよね? 何時間も泣く子いないよね? だから英太…
一歳半検診が終わってから、療育施設を一ヶ月探し回ったけど、少なくとも半年以上は通えない状況だった。 療育施設を探し回っていたわずか一ヶ月の間にも英太の自閉症の傾向は強くなっていった。 より一層こだわりが激しくなり、おもちゃを並べる順番が少しでも自分の思い通りにならないと癇癪を起こした。 私はこの頃から人目を避けて行動するようになった。 大きな公園や子育てサロンには、行かなくなった。 誰もいない公園。 誰もいない広場。 誰もいない場所ばかりを選んだ。 誰にも会いたくない。 他の子供と比べてしまうのが嫌だ。 ママ友にも、もう会いたくない。 だって、もう私はみんなとは価値観が違うから。 みんなが楽…
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